1. 始まりの村ランス
真夏の太陽が、ランス村のあらゆるものを乾燥させていた。
この季節になると人々は、一日のほとんどを屋内で過ごす。そして、どうしても外出しなければならなくなった場合には、少しでもこの暑さを避けようとして、木陰や建物の近くを歩くのだった。
そのため、村の外れにある海岸でひとり座っている少年も、ここに来るまでに、誰ともすれ違うことはなかった。
乾いた風が砂埃を巻き上げる中、少年はじっと海を眺めていた。その眼はまるで、遥か遠くにあるはずの何かを捉えようとしているかに見える。
実際、少年は竜の神殿を見定めようとしていた。
彼には、このまま目を凝らしていれば、地平線の彼方にあるはずの神殿も、そこにいる警備員等とともに、はっきりとこの目で確認できそうな気がしていた。
しかし、いつまで経っても神殿が見えてくる気配はない。
ただいたずらに目が乾き、汗は滴り落ち、そうして時が過ぎていった。それでも少年はあきらめず、ずっとその場所に座り続けていた。
だが、時間が経ち、正午が近づいてくるにつれて、太陽はますます輝きを増していく。
そして、光が少年を容赦なく照り付け、彼の体温を上げていく頃になると。漸く立ち上がり、自分の家に向かって歩き出した。
立ち上がった少年は、時々額の汗を拭いながら一歩一歩足を進めていった。しかし拭ってもぬぐっても汗は乾くことを知らず、体内からは水分がどんどん失われていった。
それに彼は疲れていた。
だが、それでも少年は、絡みつく砂から逃れるために、足を高く上げて前に進んだ。
そうして、非常に長く感じられる砂場が終わりを迎える頃、何かが砂の上に落ちているのを見つけた。
それは気を失った妖精の女の子だった。
その子供を手のひらの上に乗せ、長老の自宅へと向かった。
あの人なら何とかしてくれるだろう、そう考えたのだ。
ランス村には出入り口がひとつしかなく、それ以外の方向には家々が所狭しと並んでいる。
そのため、外からこの村を眺めると、家が密集している様に見える。
だが、ひとたび中に入ると、道幅が十分にとられ、広場などもあったりするので、村の広さに比べて家の数が少なすぎるように思えるほどだ。
海岸を出た少年は、枯れ木をアーチ状に組んだ門をくぐって、そのすぐの所にある料理屋の前を通り、そのまま真っ直ぐ目的の家へと向かった。
家の前に着くと少年は戸を叩いた。すると中から返事があり名前を尋ねられたので、タリスだと答えた。
入って良いという声が聞こえると、その木造の家に入った。
家の屋根には布が張られ、その上には藁が幾重にも重なっており、それが日よけとなっている。そのため、家の中は涼しく、タリスには汗が乾いていくように感じられた。
玄関からすぐの応接間には、ランス村の長老であるジャコモと、一人の少女がいた。
「リディア!」
タリスが彼女の名前を呼んだ。
「どうしたの? タリス」
タリスはリディアとジャコモに事情を説明し、手のひらに乗せた妖精を見せた。
その子の紅潮した顔と、少し乾燥したような肌の状態を見て、ジャコモはすぐに熱中症だと気付き、少女の体を冷やしてやった。
ほどなくして妖精は目を覚まし、水分をたくさん取ると、たちまち元気になって部屋中を飛び始めた。
「ねえ、名前は何て言うの?」
リディアが妖精に向かって優しく尋ねた。
すると妖精は、「フェーだよ!」と明るく返事をしてますます激しく飛び回った。
その様子を見てタリスは安心した。
そして次の瞬間には気分が昂揚してきた。自分は一つの命を救ったのだと思った。
だが、彼はすぐにその感情を打ち消した。自分の力だけではない。長老がいなければ、自分はただじっとフェーが衰弱していくのを眺めているだけだっただろう。
それに、彼女が生きていることこそ喜ぶべきことなのだ。 それと比べると、誰がフェーを見つけたかなんてどれだけ些細なことだろうか。
「タリス、いつまでそこに立っているの? こっちへ来てお話ししましょう」
リディアが言った。
それを聞いてタリスは、自分が入ってきたときのまま棒立ちでいることに気がつき、彼女に勧めてもらった椅子に腰掛けた。
それからは三人共黙っていた。彼等は元気よくはしゃいでいるフェーを見るともなしに眺めていた。
無邪気なフェーを見ていると、三人とも懐かしい気持ちになった。目を閉じると、彼等の意識は過去へと遡っていった。
それは、タリスとリディアがまだ幼かった頃の思い出だった。
十六年前、ジャコモが家で一人くつろいでいた時、玄関の方で戸が激しくノックされる音が聞こえた。
そこで戸口へ近づいて行くと、戸を叩く音に交じってかすかに、「長老、開けてください」という声が聞こえてきた。
訪問の目的を尋ねると、その声は、竜の祭壇で捨てられた赤子を見つけたと伝えた。
それを聞いてジャコモは戸を開けた。
すると、そこには小さな赤ん坊を腕に抱えた村の漁師が立っていた。それを見た長老は男を中に招き入れ、さっそく赤子を拾った時の状況を尋ねた。
「いえ、私がたまたまその辺をぶらぶらとしておりましたところ、えーと、竜の祭壇、ですから、ランス村にある、竜を祭って竜の像が置かれた祭壇の辺りに、この子が落ちてあったのでそれで……」
「だいぶ慌てているな。ところで、本当にその子は捨てられていたのかね?」
「ですから竜の祭壇にこの子が」
ジャコモは溜め息をついた。が、すぐに思い直して、
「そうだな。確かにこんな小さな村の祭壇で、誰の子だか分からない赤ん坊が、しかも毛布にくるまれた状態で発見されたのだから、その子は捨て子だとみて間違いないか」
と呟いた。
それから漁師に向かって、その子は自分が預かるからもう帰って良いと告げた。
漁師が帰ってしまうと、ジャコモはこれからの事を考えた。
「さて、まずはこの子の両親が村に居ないか確かめなけりゃならんな。そうして親が見つからなかったら、次は養育者の事も考えなければ。
しかし、村にこの子を育てるだけの余裕がある者がいるのか?
まあ誰もいなかったらわしが引き取るしかないか。
ふむ、どちらにせよ、やることは決まっているのだからそれをすれば良いのだ。……とにかくこの子を寝かせてやるか」
彼は手近にあった安楽椅子に子供を横たわらせ、そうして自分は隣の椅子に腰かけたが、すぐに眠気が襲ってきてうつらうつらし始めた。
ジャコモは、ぼんやりと霞がかかっている様な頭で自分の年齢のことを考えた。
もしこの子を自分が育てる事になったらどうなるだろうか。そうか、わしはもう三十七歳なのか。そうすると、平均寿命まで生きるとして、だいたい五十だから……とにかく、時間が無い。
ジャコモが眠ってからも、安楽椅子に乗った赤子は周囲を物珍し気に眺めていた。
しかし、ある時その視線は一つの方向で止まった。
そこには、淡い青色の宝石が付いたペンダントがあった。 子供はじっとペンダントを眺め続けていたが、その眼にはなにか寂しい様な、郷愁を感じさせる様なところがあった。
実際、この子が見ているものはペンダントでは無かった。
その先にあるはずの何か、遠い世界、そんなものを探していたのだ。
ジャコモの思い出は終わった。彼が目を開けると、他の二人も思い出を呼び起こそうとしていた。
フェーは疲れて眠ってしまったようだ。




