16. 魔力のある都市
自分の名前はセシリアだと言った時のリディアからは、何か今までと違った印象を受けた。
「あの時、私達は魔法石の研究をしていた」
リディアは目を閉じ、悲しそうな顔をした。皆の意識が彼女に集中して、時が向きを変える。静寂があたりに漂っていた。
「あの時は世界中に魔力が満ちていた。そして人は魔法を使ったわ。でも、その力は限られていたの。
魔力が少ししか漂っていなかったから。魔力は生まれると同時に、大気を超えて拡散していってしまう。だから、この星に残るのはほんの少しだけだった。
それでも、それは世界中に満ちていて、いろいろなところで利用されたわ。小さな傷なら魔法で治癒したし、それに、あなた達も見たでしょ。
空に浮かぶ島を。
あの島は魔法で浮いているのよ。
あそこでは、島の中枢に作られた機械によって、大気中の魔力が浮力へと変換され続けているの。そういう、魔力を別のエネルギーに変える装置は昔からあったわ。
でも、それを蓄えることは出来なかった。だから自分の周囲にある魔力しか利用できなかったの。魔力を一つの所に集めて、そして保存出来たらもっと多くの事が可能になる。
空中の薄いものじゃなくて、もっと濃い魔力を一度に利用できたら……。そう考えた私達は、魔力を内に蓄える物質を作る研究をしていたわ。それは、完成する前から魔法石と呼ばれていた……」
そこから先は、言葉はなかった。タリスには、彼女の記憶が心の中に流れ込んでくるように感じられた。
三百年前まで、アルテーシスは巨大な研究都市だった。
この島は空高く浮かんでいるため、他では出来ないような危険な研究も行っていた。
魔法石の研究もその内の一つである。大量に蓄えた魔力が暴走したらどうなるか、それは誰にも分からなかった。
ある日、研究室から見える広大な海をセシリアは眺めていた。研究の手を休めて。
「ちょっと来なさい」手招きされて、彼女はその男性の下へと歩いた。
「あのさあ、そんな事じゃ困るんだよね。事は一刻を争うんだからさ」
そう男は言った。
この研究を総括している彼は、思うような結果が得られず苛立っていた。セシリアは返事をし、元の場所へと戻った。溜め息をつく。
理論的な支えがあるとはいえ、魔法石は未知の物質である。そのため、研究内容は、ひたすら物質の構成を変え続けて偶然を待つというものだった。
席に着いた彼女は、複雑な機械をいじり始めた。それからまた席を立ち、いくつかの薬品や化合物を抱えて戻る。それらを混ぜ、加熱し、出来上がった物質の組成を記録し始めた。
魔力を使って、情報を魔に書き込む。そうすると、心の中でアクセスすれば、そのままの形で記録を取り出せる。
記録を終えたセシリアは文献を繰り始めた。
そこには、魔力が物質と結びつく可能性を示唆した論文が乗っている。
「でも、魔力は人の意志にも反応するわ」
そう彼女は呟いた。
就業時刻が来ると、セシリアは荷物をまとめて研究室を出た。
同僚達はまだ何やら話している。窓から見える景色は暗黒へと変わっていた。ドアばかりの長い廊下を歩き続けると、やがてベンチが見えて来た。
誰かいるわ。ベンチに座った見覚えのない男を目にしてセシリアは呟いた。自分とその男だけが冷たい風に包まれている、そんな気がした。
自宅の近くへと続く転移装置まで来たセシリアはそれに乗った。空間が重なり、魔力が増大する。彼女の姿が消え、別の場所へ移った。
家に着くと、夜食を取り、家事を済ませてから風呂に浸かった。風呂から上がり、さっぱりすると途端に眠気が襲って来た。布団の中でまどろむ。
「どうしたの? 何をしているの?」
暗闇の中で一人座っている少女に、セシリアは話し掛けた。妙に輪郭のはっきりした夢だった。
「待ってるの」
「誰を?」
少女は黙ってしまった。泣いているのかもしれない。
「大丈夫よ。安心して」そうセシリアが言った。
それから少女の顔を覗き込む。瞳に、幼い自分の姿が映った。その途端、闇が崩れだし少女は落ちていく。
助けなきゃ、私を。
そう思ったセシリアは手を伸ばした。しかし間に合わない。闇は深くなり、自らもそこへ落ち込んでいく。
しかし、何故か恐怖は感じなかった。彼女は、闇の中で安らぎを覚えていた。一つのもので完全に満たされた世界。安定した、確かなものがある場所で。このまま……。
何かが崩れる音がして、セシリアは目を覚ました。
慌てて周囲を見回したが、家の中は昨晩と何も変わっていない。ほっと息をつく。きっと、あんな夢を見たから、それで不安になったんだわ。窓から差し込む朝日が、彼女を優しく照らしていた。
それからしばらく経ったある日、セシリアは、前に見たベンチの男と話す機会があった。あれから何度も彼を目にするようになった彼女は、何となく話し掛けてみようという気になった。
「隣、良いかしら」
いつもの様にベンチに座っている男に、セシリアは話し掛けた。男は頷くと、座りやすいように端に寄った。沈黙が続く。
「あなた、いつもここに居るみたいだけど、誰かを待っているのかしら?」
静かさに耐え切れず、セシリアが言った。
「待ってるわけじゃないよ。ただ、あそこには居づらいから……。今は聖剣さえあれば研究が進むみたいだからさ」
それを聞いてセシリアは、この場所で行われているというもう一つの研究を思い出した。
アルテーシスでは、魔法石の研究と同時に、竜の騎士と聖剣との関係についても調べられていた。何故剣は想いを叶えるのか、どうして騎士じゃないといけないのか、それを解き明かそうというのだ。
じゃあ、この人が竜の騎士なんだわ、そうセシリアは思った。なんだ、私と同い年じゃない。
「だから僕は、研究の邪魔にならないようここに座ってるんだ」
「そうなの。でも、それじゃあ詰まらないでしょう。せっかく来たんだもの、この町を見学してたらどうかしら」
「良いんだ。僕はここが落ち着けるから。いつ呼ばれるかも分からないし」
「そう、なら良いけど……」
セシリアは目を落とした。
「私もね、ここはあまり居心地が良くないなって思ってるの。この場所には、私よりもずっと年上の人しかいないわ。もちろん、一緒に仕事をする人もいるし、時々は話したりもする。けれど、そんな時でも、私だけはここにいないような、そんな気がしてしまうの。馴染め無いのよ、なかなか……」
男は何も答えなかった。ただ頷いただけだ。ゆっくりと時間が過ぎてゆく。
「ごめんね」そう言ってセシリアは立ち上がった。「いきなりこんな事話しちゃって」
「いや、僕の方こそ……。でも、久しぶりに会話をしたような気がする。ねえ、もし迷惑じゃなかったら、またこうして話せると良いな」
セシリアは微笑み、頷いた。
「そういえば、名前を聞いてなかったわね。私の名前はセシリア。あなたは?」
男はウィッテだと答えた。セシリアは軽く笑みを浮かべ、研究室の方へ歩いて行った。いつもは重いはずの足取りが、今日は何故だか軽い気がした。
セシリアは闇の中にいた。遠くに光が見える。彼女は光に向かって走っていた。しかしそれはどんどん遠ざかっていく。待って、行かないで! ……ああ、消えてしまった。
輝きを見失ったセシリアは視線を落とした。そこには幼少の自分がいた。少女の手を見てセシリアは叫んだ。
「あなた! もしかして、その手についているのは血なの? 一体誰の……」
「あそこ……」少女が指さした先には、血まみれになって倒れている男女がいた。
「あれは、私の……。あ、あなたが殺したの?」
両親の亡骸を見てセシリアが言った。途端に少女は耳を塞いで泣き出した。
「違う、私じゃない。私じゃないの」
だけど、私のせいだわ。そうセシリアは思った。いつの間にか少女の姿は消え、また元の暗黒へと戻っていた。
闇の中を見つめている中に、ウィッテの顔が心によぎる。思い出したわ。ここは夢の世界。だから、目を覚ませば消えてなくなる。早く朝になって。お願い。セシリアは胸に手を当てて蹲り、必死に願った。
あの日、最初に話した時から、セシリアとウィッテは度々会った。しかし、二人でアルテーシスの外へと行く事は無かった。
何処かへ行くにはセシリアがあまりに忙しすぎたし、ウィッテもあまり行動的な方ではなかった。
だが今日は違った。たまたまセシリアの仕事が早く終わり、午後に時間が出来たのである。
ウィッテはそれを知ると、海へ行こうと言った。転移装置でも行けない、どこか郊外にある小さな海へ……。
それを聞いたセシリアは微笑み、むしろ転移装置がある場所の方が特別だと言った。
「でも、良いわね。たまにはそういうのも」
そうして二人は空中艇に乗り、海岸へと向かった。
着いた場所は、まさに想像した通りの浜辺だった。そこで二人は、何をするともなく語り合い、体を休め、そうして時を共有した。
暖かい日差しに照らされまどろんでいるうぃってにセシリアが言う。
「ねえ、前に、研究室にいても、私だけはそこにいないような気がするって言ったわよね。本当は、私、あそこだけじゃなくて、どこにいてもそう感じていたの。誰かと話している時も、一人でいる時でさえも……。でも、今なら、私は私だって、ここに存在しているって、信じられる気がするわ」
ウィッテは黙って頷いた。セシリアは彼が待っているのだと気がついた。私が何かを打ち明けようとしているのだと、彼は気づいている。
「あのね、ウィッテ……」
今にも消えてしまいそうな声でセシリアは話し始めた。幼いころ、親からひどい扱いを受けたこと。
自分なんて消えてしまえば良いと、幼いながらに感じたということ。
その感情は、成長と共にやがて両親に向かったこと。あの人達がいなくなってしまえば、私の心は平和でいられるのに……。
「そうしたらね、本当に死んでしまったの。私の目の前で、事故にあって」
「でも、それは君のせいじゃない」
ウィッテが思い切ったように言った。セシリアが微笑んだ。
「ありがとう。でもね、わたし、ずっとひどいことをしてきたのよ。父も、母も、私の事をたくさん構ってくれたのに、そのことを忘れて、死んでしまえばいいだなんて思っていた。楽しい思い出だっていっぱいあったのに、最後までそれに気が付かなかったの」
ウィッテはセシリアを抱き寄せた。彼は言葉を発しなかった。セシリアも、心地よい沈黙に身を委ねることにした。




