14. セルギア 過去の箱庭
船室をでるとデュプレがいた。
「リディアは既に島に降ろしてある。妖精も一緒だ。で、あとは治療してもらうだけだな」
そう彼が言った。
デュプレと共に島に降りた二人は、セルギアでは珍しい多階建ての建物の前まで来た。
「ちょっと待っててくれ」
そう言ってデュプレが中に入って行く。しばらくすると戻ってきた彼は、
「診てくれるってよ。病院は三階にあるそうだから、リディアをそこまで運ばなきゃいけないが。それで、ここなら安心だろうし、船の修理も済んだから、な。リディアを連れてったらそこで……もうそろそろ仕事に戻らないといけないし、俺はもう帰らせてもらっても良いかな」と言った。
もちろんかまわない、そう二人は答えた。
「すまないな」デュプレは心底申し訳なさそうだ。
「いえ、お礼を言うのはこちらの方ですよ」パウエルが頭を下げた。
「そうか。まあこっちも世話になったしな。パウエルさんの話も面白かったし。にぎやかなのは楽しかったよ」
そう言うとデュプレは、タリスに手伝ってもらって担架を持ち上げた。それから彼等は入口へと向かったが、パウエルだけは立ち止まったままだった。
タリスが、「パウエルさん」そう彼を呼んだ。
「あ、えっと、私はここで待ってますので。あなた方だけで行ってください」
そうパウエルが答えた。
「良いんですか?」
パウエルのためらい方が、タリスには本当は行きたい気持ちを隠しているかのように感じられた。
「ええ、まあ、そうですね。では、後から行きますから」
急かされたように、パウエルが答える。
デュプレは、「じゃあ行くか」そうタリスを促した。
三人が建物に入ってしまうと、その場にはパウエルだけが残された。もうすでに冷たくなり始めた風が、彼をそこから逃がすまいとしていた。
そうして時が過ぎ、砂は落ちていく。背後から足音が聞こえ、それが消えると声になった。
「デリウス、か?」
パウエルが振り向いた。
三階にある治療室で、セルギアの医者はリディアの診察をしていた。
「ふむ。そこの、タリスとデュプレだったかな?」
「はい」小さな声でタリスが答えた。
「一通り診てみたが、結論から言うと、この子がどうして目を覚まさないのか分からないんだ。衰弱している様子もないし、どこかに損傷がある訳でもない」
「そうすると、治療も出来ないのかい?」
デュプレは壁にもたれたままでそう言った。
「いや、無くはないが、あまり勧めないな。つまりだな、この子の脳に微弱な電流を流すという方法があるんだが、これは成功する見込みも無ければリスクも大きいからな。技術も確立されてないし、私だってやりたくないよ」
「じゃあ、どうしようもないんですか? このまま待ってるしか……」
タリスが悲しげに言った。医師は意味も無くカルテをめくった。
「そうだな、今は話し掛けてやることしか……。まあ、だが、意思の力は侮れんから、この子が目覚めたいと思うようになれば自然と治るかもしれん」
「そうですか……」タリスが呟く。
壁にもたれていたデュプレが数歩歩いた。
「まあそう落ち込むな。明日にも目覚めるかもしれないんだろ? なあ、医者の先生よ」
「ああ、そうだよ。そのためにも声を掛けてやると良いんだ。それで、この子はこの部屋で入院させるから何度も訪れてやってくれ」
医師がそう言うと、デュプレは怒ったように、
「こんな所、そう簡単に来れないだろう? 何度もって……」と言った。
それを聞いてタリスが頷いた。
「あの、セルギアに、リディアが目覚めるまで居たいんですけど、大丈夫ですか?」
「ああ、元々そのつもりだったと思ったが……。もちろんかまわないよ。ここには患者の親族とかを泊めるための部屋もあるからな。ほら、この階にもたくさんのドアがあったろう。それらは今空いているから、どこでも好きな所を選ぶと良い。言ってくれれば鍵も貸すよ」
タリスはここから一番近くにある部屋の場所を尋ねた。
「デリウス、お前、戻って来たのか!」
冷たい風が舞う中で男が叫んだ。
「不可抗力ですよ、マーグリス」
パウエルが苛立だしそうに答えた。
「そうか……。だが、どちらにせよ悪いことではないさ」
「何故です?」
「分からないのか? それとも……。要するにお前は見るべきなんだ」
風が震え、枯れ葉が地面を撫でる。
「お前は昔、ここを抜け出しただろう? そうしなければならなかったのはお前が弱かったからだ。だが今は違う。それを確かめるべきなんだよ、デリウス」
「いまさら何を確かめるというのです。私にとってこの場所での生活は終わっています」
マーグリスが足を前に踏み出す。同時に彼の姿は揺れ、波が大きな音を立てた。
「違う! 認めるんだデリウス。お前がここから逃げたときはまだ子供だった。その時はまだ逃げるしか無かったんだ。だが、今は親を、セルギアを超えることが出来る。お前を育てた者の弱さを知ることが出来る。親を超えたと知って、初めて子は真に一人で歩けるのだ」
「確かに、あなたの言う通りでしょう……」
「ならば、ここで待っていても仕方ないだろう。あの三人の下へ行くんだ」
パウエルが顔を上げた。
「見ていたのですか? しかし、そんなはずは……」
そう呟くと、彼は再び地面に目を落とした。マーグリスは黙ったままパウエルを見つめた。
声だけが遠ざかっていく。
「……お前は、ここでの生活は終わったと、過去のものだと言ったな。だが、それは違う。この隔離された中での暮らし、教育、それらの経験はお前の一部なんだ。どうしても切り離すことのできない今なんだ。切り離せないもの、自身の記憶を否定してどうする。せっかくここに来たんだ。いい機会じゃないか……」
風が向きを変え、南へと向かって行く。砂が落ち、止まっていた時が動き始めた。
「マーグリス、あなたは……」
しかしそれを聴く者はいない。パウエルはただ一人そこに立っている。太陽だけが、彼をその場に繋ぎ止めていた。
タリスが医師から教えられた部屋は、病室と同じ階にあり、ある程度の距離があるとはいえ、行き来には便利な場所だ。彼はその部屋へと向かう途中、パウエルに会った。
「タリス、どこに行くのですか? 病室はそちらでは無いはずですが」
互いにすれ違った後でパウエルが振り返った。
同じくタリスも相手を見て、
「パウエルさんこそ、このまま来ないかと思いましたよ」と言った。
「まあ、そうですね。初めはそのつもりでしたが、気が変わりまして……」
パウエルは口の辺りを手で隠した。それから、
「それで、あなたは?」と聞いた。
「ちょっと部屋を見に行こうかと思って……」
「部屋、ですか。どういうことです?」
タリスは、セルギアの医師でもリディアの治療は難しいという事、しばらくここに泊めてもらうことにした事などを説明した。
「しかし、あまり時間が掛かっては封印が解かれてしまうんでしょう? 何か方法を考えなくてはいけませんね」
「分かってますけど、リディアを置いていくわけにもいかないし……」
「そうでしょうね。まあ、とりあえず様子を見ますか」
パウエルは、何か急ぐような調子でそう言った。
「パウエルさん。外で何かあったんですか?」
「大したことではありませんよ。ところで、デュプレさんはどうしたのです?」
デュプレは忙しいらしく、彼とはすでに別れていた。その事をタリスは伝えた。
「……あまり時間は経ってないから、急げば追いつくと思います」
パウエルはそれを聞くと、デュプレに挨拶を告げるために走って行った。
しばらく経ち、部屋の前まで来たタリスは、外で何があったのだろうかと考えた。
パウエルの様子は、いつもとは明らかに違っていた。しかし、タリスにそれ以上の事が分かるはずも無く、悪い出来事では無かったのだろうという、漠然とした結論だけを出して戸を開けた。
部屋に入り鍵を掛ける。振り向くと、赤い服を着た少女が立っていた。
「まったく。なかなか来ないんだから。待ちくたびれちゃったよ」
チクチャンはからかうように言った。
「何しに来た!」タリスはそう叫んだが、以前に比べると少し落ち着くことが出来た。
「そんなに大声出さないでよ。今回はあんたに教えてやろうと思って来たってのにさ」
タリスが小さな声で、「何を……」と呟いた。
「リディアの事さ。あんたは気づいてないからね。あのさ、何のために聖剣があると思ってるんだい? 想いを叶えるためだろう? だったらそれを使えば良いじゃないか」
少女の言葉をすぐに理解したタリスは、「そうか」と言った。それから聖剣を手に取ろうとしたが、それは病室に忘れて来ていた。
チクチャンが溜め息をつく。
「置いて来ちゃったのかい? なら早く取りに行ったほうが良いよ。盗られちゃうかもしれないしね」
タリスはすぐに動かず、どうするべきか考えた。彼女の言うと通りにしても良いのか。どうして僕にそんなことを言うんだろう?
それに、前の時だって、わざわざ来ない方が良かったはずだ。自分の存在を、騎士と神子に知られてしまうんだから。
「行かないのかい?」チクチャンが強い口調で言った。
タリスは我に返り、聖剣を取りに行こうと部屋を出た。後ろから少女の声が聞こえる。
「リディアはさ、とらわれているんだよ。そこから抜け出すためには、誰かが引っ張り上げてやらないといけない。あんたにはそれが出来るはずだよ」
走って病室まで辿り着いたタリスは、すぐに剣を手に取った。すると剣が光を放ち、誰も居ない部屋の中で、彼はその輝きに包まれていった。
気が付くと、タリスは闇の中に立っていた。光に包まれたはずなのに、そう思って慌てて周囲を見回すと、特別に暗い何かがある。
それはオロチだった。
横たわっているオロチの懐に女性がいる。タリスは彼女に声を掛けた。しかし返事は無い。彼女も眠っているように見える。
リディア? だけど、リディアとは雰囲気が違う。見た目は似ているが。それに、どうしてここにオロチがいるんだ。これは聖剣が見せた幻なのか?
違う、そう彼には分かった。ここにリディアがとらわれているのだと。彼女を連れて帰らなくてはと考えた。
タリスはオロチに向かって歩いた。そうして辿り着くと、リディアの手を取った。再び光に包まれ、時が交差する。気が付くと、彼は元の病室にいた。
「リディア……」そう呟いてタリスはベッドに駆け寄った。眠っていた少女の瞼が動き、彼女は微笑む。胸ではペンダントが光を反射していた。
「タリス。私、夢を見ていたの。その夢の中で、どこだか分からない暗闇に一人座っていた。いいえ。それは私では無かったのかもしれないわ……。ねえ、この旅でいろんなことがあったわね。でも、全てが消えてしまいそうな、そんな予感がするの。私だけが、たった一人取り残されて……」
タリスはリディアの手を取った。
「大丈夫だよ、君は今ここにいる」
リディアが起き上がる。すると、胸元にいた妖精が吃驚して飛び上がった。二人はフェーがいたことに驚き、互いに微笑んだ。
「あ、見て、雪よ」
窓の外では雪が降っていた。もう冬が始まろうとしている。全てを飲み込む白い吐息と共に……。
数時間前、一人の男が火の神殿に入った。そしてやることを終えてしまうと、男はマントを風になびかせながら次の目的地へと向かった。
その時、それまで海中に沈んでいた島が空を目指し始めた。その様子はまるで、封印が解けたことに呼応しているかのようであった。




