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聖女様を執拗にいじめることを決意しました


「きっとバリーナ様は聖女様に王子を奪われるだろう」


 その噂話を聞いた時、私は思わずティーカップを握り潰しそうになった。




 私――バリーナ公爵令嬢には国一番の剣の腕前を持つ婚約者がいる。

 アレクサンダー王子。

 王家の血筋に恥じない気品を兼ね備えた自慢の婚約者だ。


 けれど、私の立場は非常に危ういものとなっていた。


 原因は我が国と交戦状態にある魔王軍の存在。

 そして、それに呼応するかのように現れた一人の少女――聖女ビフィーの存在だ。


「聞いたか?聖女ビフィー様はどんな傷も一瞬で治す奇跡の力を持っているらしい」

「しかも儚げで愛らしい容姿だとか」

「卒業後の魔王討伐の旅、アレクサンダー王子のパートナーは彼女で決まりだな」

「バリーナ様もお気の毒に……きっと、旅先で愛が芽生えて……」


 学園のサロンで聞こえてくる、ひそひそとした噂話。

 私はティーカップを持つ手にギリギリと力を込め、優雅な微笑みを保つのに必死だった。



 ――ふざけないでちょうだい!

 アレクサンダー様は私の婚約者よ。あんなぽっと出の小娘にみすみす奪われてなるものですか。


 とはいえ魔王討伐の旅に聖女の力が不可欠なのは事実。私が「行かせないで」と駄々をこねれば、それこそ国益を害する悪女として糾弾されるだろう。


 ならば、どうするか。

 ……そうだ。あんな容姿が少し整っただけの小娘、徹底的にいじめ抜いてやればいいのよ。

 肉体的にも精神的にも追い詰め、疲弊させ、「もう嫌です」と教会に引きこもるほどに執拗にいじめ倒す。

 どうせ虚弱な小娘。数日で音を上げるに決まっているわ。


 身の程をわきまえさせてやる!

 私は早速、行動を開始した。



 ◇



 翌朝。午前四時。

 まだ空には星が瞬き、鳥さえも寝静まっている時間帯。


「おはようございます……バリーナ様……」


 女子寮の裏庭に呼び出された聖女ビフィーは眠い目をこすりながら震えていた。

 小柄で、風が吹けば飛んでしまいそうなほど華奢な体つき。桃色のふわふわとした髪に潤んだ瞳。


 なるほど、確かにこれは男の庇護欲をそそるタイプだわ。腹立たしい。


 私は仁王立ちで彼女を見下ろすと、手にした鞭を地面に叩きつけた。


「遅い!」

「ひっ!?」

「アレクサンダー様をお守りする聖女がこんな時間まで寝ているとは何事ですか!魔物は夜行性も多いのですよ!」

「は、はい。ごめんなさい……」


 ビフィーの瞳に涙が浮かぶ。

 ふん、泣けば済むと思ったら大間違いよ。私のいじめはここからが本番なのだから。


「さあ、まずは校舎の外周を二十周です。立ち止まることは許しませんわ!」

「二十周!?そんな、無理です……」

「お黙りなさい!魔王軍から逃げるときにそんな泣き言が通用すると思って?アレクサンダー様の足手まといになりたくないのなら走りなさい!」


 私の厳しい言葉に、ビフィーはビクリと肩を震わせるとよろよろと走り出した。

 もちろん私も監視のために後ろからついていく。サボらせるわけにはいかないからね。

 私は優雅に馬に乗りながらだけど。


「はぁ、はぁ、もう、だめ……」

「甘い!足が止まっていますわよ!」


 私は馬から身を乗り出して(げき)を飛ばす。

 彼女がへたり込みそうになるたびに「そんなことでは王子を守れませんわよ!」と精神的な揺さぶりをかけることも忘れない。


 数時間後、ボロ雑巾のようになったビフィーが芝生に倒れ込んだ。

 泥だらけで汗まみれ。可憐な聖女の面影など見る影もない。


 いい気味だわ。

 これで少しは私の恐ろしさが身に沁みたかしら。



 次は食事の時間だ。

 朝食時、食堂できれいに焼けたトーストとショートケーキを前に目を輝かせているビフィーのもとへ、私は音もなく近づいた。


「ごきげんよう聖女様」

「あ、バリーナ様……」

「まあ、なんてこと。これから過酷な旅に出るというのにこのような栄養バランスの偏った、軟弱なものを召し上がろうとしているのですか?」

「えっと……ショートケーキは、甘いものが好きで……」


「いけませんわ!」


 私は彼女のトレイから、愛しのショートケーキを無慈悲に取り上げた。

 その代わりに私が用意させた特製ドリンクの入った大きなジョッキをドンと置く。


 どす黒い緑色をした泡立つ液体。

 そこからは青臭さと生臭さが混じった、えも言われぬ香りが漂っている。


「こ、これは……?」

「あなたのために特別に用意させた栄養強化ドリンクですわ。薬草十種類に生の鶏ささみ、卵、その他滋養強壮に効く食材を、液体になるまで混ぜ合わせて飲みやすくしておきました」

「うぅ……!」

「さあ召し上がれ。一滴も残さず、ですわよ?」


 ビフィーは顔面蒼白になりながら、震える手でジョッキを掴んだ。

 周囲の生徒たちが「ひどい」「バリーナ様、鬼だ……」と引いているのが分かる。


 そうよ、私は鬼。恋する乙女の修羅なのだから。


「うっ、うう……まずい……くさい……」

「鼻をつまんで一気に流し込みなさい!身体を作るのは食事からです!」


 ビフィーは涙を流し、何度もえずく。

 それでも私の剣幕に押されて地獄のドリンクを飲み干した。


 偉いわね。

 全部飲んだご褒美に、明日からは小魚の粉末も追加してあげるわ。



 学園の授業も好きにはさせない。

 五限目の歴史の授業の前、私はビフィーの机の上に置かれた教科書を手に取った。


「あっ、私の教科書……」

「こんなもの、あなたには必要ありませんわ!」


 ビリィッ!

 私は教科書を真っ二つに引き裂いた。


「ああっ!」

「過去を振り返っている暇があったら未来の敵に備えるべきです!あなたが学ぶべきは年号の語呂合わせではありません!」


 私は引き裂いた教科書の代わりに、分厚い専門書を積み上げた。

 『人体の構造と筋肉』『効率的な止血法』『戦場におけるトリアージ』。


「こ、これは……?」

「実家の権力を使ってあなたの時間割を変更しておきました。今後、あなたは一般の授業を受ける必要はありません。全ての時間は医学と身体についての学習に充てていただきます。余った時間は鍛錬です!」

「そ、そんな……私も普通の授業が受けたいです……」

「お黙りなさい!アレクサンダー様を守るために、無駄な知識を入れるスペースなどありません!」


 私は泣き言を言うビフィーの首根っこを掴み、自分の受ける授業の教室へと引きずっていった。


「バリーナ様、ここは……?」

「私が優雅に文学の授業を受けている間、あなたは教室の隅でスクワット五百回です」

「五百回!?」

「声を出してはいけませんよ。授業の邪魔になりますからね。さあ、始めなさい!」


 教室内がどよめく中、私は涼しい顔で席に着いた。

 教室の隅からは衣擦れの音と、押し殺したような嗚咽が聞こえてくる。

 先生も困ったような顔をしているけれど、公爵家の威光の前には何も言えないようだ。


 こうして、私の執拗な聖女いじめの日々は幕を開けた。

 毎日毎朝、来る日も来る日も、私は彼女を徹底的にしごき抜いた。

 休む暇など与えない。王子と見つめ合う時間など一秒たりとも作らせない。

 彼女の頭の中を「バリーナ様怖い」だけで埋め尽くしてやるのだ。



 ◇ ◇



 ところが。

 私はいじめる相手の素質というものを少々見誤っていたのかもしれない。


 いじめを開始して一ヶ月が経った頃だ。

 本来ならとっくに音を上げて実家に逃げ帰っていてもおかしくないはずのビフィーが、なぜか平然としていることに気づいた。


「あら、バリーナ様。おはようございます!」

「……あなた、今日は顔色が良いようですわね?」


 早朝四時の呼び出しにも関わらず、ビフィーは爽やかな笑顔で現れた。

 その体には以前のような華奢さはなく、どことなく引き締まったような印象を受ける。


「はい!最近は走るのが気持ちよくなってきまして。今日は三十周行ってきます!」

「は……?」


 彼女は軽快な足取りで走り去っていった。そのスピードは、以前の倍以上出ている気がする。


 食事の時間も同様だ。

 あの悪魔のドリンクを前に、彼女は以前のように怯えることもなく、むしろゴクゴクと一息に飲み干した。


「ぷはーっ!やっぱり運動の後はこれが一番ですね!鶏肉の繊維が染み渡ります!」

「…………」


 何かがおかしい。

 私の知っているいじめられっ子の反応と違う。


 調べさせてみて分かったことだが、どうやら彼女の持つ「聖女の治癒能力」が関係しているようだった。

 彼女の回復魔法は他者だけでなく自分自身にも無意識に作用する。

 つまり、私が課した過酷なトレーニングで破壊された筋繊維が聖女の力によって瞬時に、かつ超回復を伴って修復されていたのだ。


 壊しては治し、壊しては治し。

 それを毎日繰り返した結果、彼女は通常の人間の何倍ものスピードで肉体改造を成し遂げてしまっていたのだ。


 数ヶ月後。

 廊下を歩いていた男子生徒がうっかりビフィーの肩にぶつかるという事故が起きた。


「あ、すまな……うわぁ!?」


 謝ろうとした男子生徒がまるで巨大な岩壁に衝突したかのように吹き飛んでいった。


「あら、ごめんなさい。大丈夫ですか?」


 ビフィーは微動だにせず、おっとりと微笑んでいる。


 その制服のパフスリーブは、内側から盛り上がる上腕二頭筋によってはち切れんばかりになっていた。

 背中には鬼の顔が浮かんでいるんじゃないかと思えるほどの広背筋。

 大腿四頭筋は丸太のように太く、歩くたびに床がきしむ音がする。


 ……やりすぎたかしら?

 さすがの私も冷や汗を流さずにはいられなかった。


 でも、もう止まらない。

 ビフィーは私の課すメニューを「ありがとうございます!効きます!」と喜んでこなすようになってしまった。




 そして、学園の卒業式。

 魔王討伐の旅立ちの日。


「行ってまいります、バリーナ様!」


 王城の前でビフィーは私に向かって敬礼した。

 その腕の太さは、隣に並ぶアレクサンダー様の太ももより太い気がする。


「……ええ。せいぜいお役に立ちなさい」


 ビフィーはダンベルが入った重そうなリュックを軽々と背負い、旅立っていった。


 私はその背中を見送りながら溜息をついた。


 あれだけの努力をしてきたのだ。いじめにも屈しなかった鋼の精神力(と肉体)。

 きっと彼女は、その強さでアレクサンダー様を支えて魔王を倒すだろう。

 そして、その過程で二人が結ばれたとしても……もう、私が文句を言える筋合いはないのかもしれない。


 私は敗北を悟りながら、彼らの帰りを待つことにした。



 ◇ ◇ ◇



 そして一年後。

 魔王討伐の旅を終えた一行が王都に帰還した。


 凱旋パレードの最中、アレクサンダー様は真っ先に私の元へとやってきた。



 ――いよいよこの時が来たのだ。

 聖女への非道ないじめを糾弾され、婚約破棄を突きつけられる瞬間が。

 私は覚悟を決めて瞳を閉じた。


「バリーナ」

「……はい」

「ただいま。君に会いたかった」


 え?

 予想外の甘い声に、私は恐る恐る目を開けた。

 そこには以前と変わらぬ、いや、少し精悍さを増したアレクサンダー様が愛おしげに私を見つめていた。


「アレクサンダー様?あの、ビフィーとは……?」

「ビフィー?ああ、彼女には本当に助けられたよ」


 アレクサンダー様は苦笑交じりに振り返る。

 そこには、群衆の声援に応えてポーズを決めているビフィーの姿があった。


「道中で魔物が出ても、僕が剣を抜く前に彼女が素手でなぎ倒していくから、僕はほとんど何もしていない」

「す、素手で?」

「ああ。魔王城に着いたときもすごかった。ビフィーが愛用のメイスで魔王の膝を一撃で粉砕してね。魔王が涙目で『もうしません、許してください』って命乞いをするのを彼女が追いかけ回して……」


 ……魔王をメイスで叩いて黙らせるなんて。

 聖女という皮を被った筋肉の怪物を生み出してしまった事実に、私は戦慄した。


「そんなわけで、討伐はあっという間に終わったんだ。バリーナ、それもこれも君がずっと彼女のトレーニングを見てくれていたおかげだね。ありがとう」


 アレクサンダー様は私の手を取り、そっと口づけを落とした。


「え、でも……ビフィーと、恋に落ちたりは……?」

「は?まさか……」


 彼はきょとんとした顔で首を傾げた。



「貴族同士の思惑が絡む婚姻に、平民の彼女を巻き込むわけにはいかないだろう?」


 お、おっしゃる通りで……。

 私は自分の視野が狭くなっていたことに反省した。



「それに……」

「それに?」



「……やだよ、あんな筋肉だるま」

「…………」



 王子、さらっとひどいことを言ったわね。

 英雄たる功績を残したのに「やだよ」と言われたビフィーが、少しだけ気の毒になった。


 と、そこへビフィーがドスドスと地響きを立てて近づいてきた。

 もはや聖女の法衣は、そのあまりある筋肉で格闘家の道着のようなものに見えてくる。


「バリーナ様!!」



 ――ああ、怒られる。

 積年の恨みを晴らされるに違いない。あの筋肉で殴られたら殺される……。

 私は身構えた。


 しかし。



「ありがとうございました!!」


 ビフィーは私の前で、深々と頭を下げたのだ。


「えっ?」

「バリーナ様は毎朝私を叩き起こし、食事を管理し、勉強よりも肉体を鍛えることの重要性を教えてくださいました。そのおかげで、私は自分の生きるべき道を見つけることができました!」


 ビフィーは感極まった様子で私の両手をむんずと握りしめた。


 痛い。

 骨が軋む音がする。


「私、決めました。教会に戻ったら、筋肉の素晴らしさを広めるための活動を全力でやります!」

「そ、そうなの……?頑張ってね……」


 キラキラと輝く汗と笑顔。

 そこに私への憎しみなど微塵も感じられなかった。

 どうやら彼女の中では、私は「自分を極限まで鍛え上げてくれた恩師」として認識されているようだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇



 その後。

 私は予定通りアレクサンダー様と結婚し、幸せな生活を送っている。


 ビフィーはといえば教会の一角に訓練部屋を併設し、日夜トレーニングに励んでいる。

 訓練部屋は後に『ジム』と呼ばれる。今では教会には必ず『ジム』が併設され、日々多くの人が通うのだった。


 また、彼女は「ボディビル協会」なる謎の組織を立ち上げた。

 なんでも、筋肉の美しさを競うことを奨励する団体らしい。

 そして、なぜか騎士団や冒険者たちの間で爆発的な人気を博し、今や国一番の巨大組織となっていた。


 年に一度開催される「ミスター&ミス・キングダム」大会では、ビフィーが男女混合無差別級部門で二十連覇という偉業を成し遂げている。


 先日出版された彼女の自伝『筋肉は裏切らない~聖女がダンベルを持った日~』の冒頭には、こう記されていた。


『今の私があるのは、私を厳しくも愛を持って導いてくれた、国母たるバリーナ様のおかげである』


 その一文が読まれるたび、私は周囲から「さすがバリーナ様、先見の明がおありだ」「人を育てる天才」と称賛されるのだが……。


 そのたびに私はなんと答えていいか分からず、ただ曖昧で微妙な笑顔を浮かべることしかできないのだった。



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正式タイトル: 聖女様(の筋肉を)執拗にいじめることを決意しました なのですね!
プロテインが回復薬かな?
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