第1章:瓦礫の上の街(サンクトペテルブルク 1990年代)
1:KGBの残響
サンクトペテルブルク市庁舎 近くのカフェにて
1990年代初頭。雪が舞うサンクトペテルブルクの街は、かつての「北のヴェネツィア」の威厳を失い、ネオンと安っぽい洋楽が鳴り響く「西側」の資本に侵食されつつあった。
窓の外では、マフィア風の男たちがベンツのトランクから外貨を運び出し、廃墟となったソ連時代の工場跡地が、怪しげな外資系企業のオフィスへと変わっていく。
若きプーチンは、市庁舎の役人として静かにコーヒーをすすっていた。彼の冷徹な瞳は、目の前の光景に微かな怒りを宿していた。
「見ろ、ドミトリー。奴らは瓦礫の上で踊っている。我々の父祖が築いた栄光の帝国が、ハンバーガーと安酒の金で買いたたかれている…」
彼は、KGBのエージェントとして東ドイツで過ごした日々を思い起こす。
「ソ連の栄光は失われたのではない。ただ、今は凍っているだけだ。いつか、この西側の黴を払い落とさねばならん。」
彼の心には、失われた「偉大なロシア」を再建するという、静かだが燃えるような野望が渦巻いていた。彼は、そのための「影の道具」を必要としていた。
2:路上の獣
薄暗い裏路地で
同じ頃、街の裏側では、貧しい出身のエフゲニー プリコジンが、その日を生きるための飢えと闘っていた。
かつてスポーツで鍛えた恵まれた戦闘能力と、刑務所での服役で身につけた「獣の勘」が、彼の唯一の武器だった。
路上で立ち止まるプリコジンの目には、西側のブランド服をまとい、分厚い財布を持つ「成功者」たちが映る。彼らの贅沢は、プリコが生まれた貧困の世界とは隔絶していた。
彼は、飢えと怒り、そして「この街は力を失った者から全てを奪う」という冷徹な現実を悟る。
その夜、プリコジンは強盗に手を染めた。
短く、暴力的な衝突。彼は標的の男を圧倒的な力でねじ伏せ、金を奪う。その動きは迷いがなく、獲物を見つけたオオカミのようだった。
彼の血と汗、そして奪った金銭。これが、彼が世界と交わした最初の「契約」だった。
彼の強盗のニュースは、サンクトペテルブルクの裏社会、そしてプーチンの耳にも、やがて届くことになる——。




