とんだ思い違い
灰色の綺麗な目がじっとアルマを見つめている。
幻聴だったのではないかとアルマは聞き直した。
「…………えっ? なんて?」
「これで足りるか」
ジグルドはテーブルに置いた蒼玉の指輪をすいと滑らせてアルマに差し出す。
「えっ? ………あの、買いたいって、……あの、性的な意味で?」
「そうだ。今後どうするにしても、金はあったほうがいいだろう」
「いやぁ、そりゃ、そうですけど、」
わたしを? ジグルドが?
「なんで?」
「私だって、好みの女がいれば女遊びくらいする」
「好み?? わたしが? マリールイーズに、似ても似つかないですけど?」
「……マリーは妹だ」
「えっ」
「本当にそんな勘違いをしていたんだな……マリーは、父上が移民の女に産ませた妹だ」
「えっっ??」
家族の霊脈は似るものだ。
特に領主などの土地に深い繋がりのある家は土地の風合いに染まりやすい。ウィンターハーン家の人々は、あの土地に馴染む、アルマにとっては心地よい霊脈が特徴的だった。
マリールイーズからは、ウィンターハーン独特のあの感じはしなかった。だからそんなこと、思いも……
「―――早く言ってよ!
うわー、うわー、あんな可愛い子が、妹だったのに! ああ〜、惜しいことした! もっとおしゃべりしたり、デートしたり、お泊まりしたりできたかもしれなかったのにぃ〜!」
「………私は半年、夫として一緒にいたのに、デートもお泊まりも誘われたことがないが」
「そりゃそうでしょ!」
お互い渋々した結婚で、愛されることなど期待していなかった。この超絶イケメンは噂より立派な領主様で、予想していたより優しくて、うっかり惚れてしまってからはこれ以上好きにならないようにずっと気をつけていたのだから。
結果として無駄な足掻きだったが、足掻いていなければもっと骨抜きにされて、今頃、捨てないでと縋り付いてしまっていただろう。結局別れることになったのだから、気をつけておいて良かった。
慌ただしくて忘れていた砦での苦い思いが甦る。
急にアルマにあんなことを言い出したのは、マリールイーズと別れたからだと思っていた。
「じゃあ、どうして砦で急に誘ってきたの?」
「……私は、十分親しくなったつもりだった」
「でも顔がだめだった?」
「言っている意味が分からない」
覚えていないのか。
冷静になって思い返せば、今更アルマの容姿を貶したりすることはジグルドらしくなかった。不美人という意味ではなかったのかもしれない。
しかし婚姻を解消して他人になった途端に買おうとしている今の状況も意味不明だ。何か事情でもあるのだろうか。
怪訝な顔で見つめるアルマに、ジグルドは少し眉を寄せて言い直した。
「……あなたの顔は可愛い」
「へたくそがすぎる」
「本当だ。私の知る女の中で一番可愛い」
「うわぁ……悪い男の甘い嘘だよぉ……」
アルマは両手で顔を覆う。
ほんとにやめてほしい。
耳が勝手に幸せになる。
ジグルドの考えていることが分からない。
今になってアルマに手を出してどうするのか。ヴァレンティナほどの女はそういないにしても、ここは王都なんだから、もっと若くて良い女を買えばいいのに。
(……もしかして、もう要らない指輪だし、餞別として渡したいのかな)
これと対のものは、去年アルマが売っぱらってしまった。新しい妻を迎えるなら、新しいペアの指輪を仕立てるのだろう。
アルマは売り捌いた結納品を返せないことが申し訳なくて、ジグルドが提示してきた餞別を何ひとつ受け取らなかった。優しい人だから、今後のアルマの生活が心配なのかもしれない。
頑なに賛辞を信じないアルマに、ジグルドは少し困ったような顔をした。
「………代金が足りないのか」
「そんなわけないでしょ……一晩で蒼玉の指輪なんて、どんな高級娼婦よ」
「どんな高級娼婦より、あなたの方が可愛い」
「ジグルド、ほんとに、どうしちゃったの……」
どういう意図なのか分からないが、一生懸命アルマをおだてようと頑張っているのがなんだか面白い。
砦で誘われた時はあれほど腹が立ったのに、これで最後だと思うと不思議と穏やかに聞くことができた。
「………まあいいわ。今回だけ騙されてあげます」
アルマが笑ってそう答えると、ジグルドはそれを了承ととらえたようで、アルマの手を引いてベッドに座らせ、自分はさっさと服を脱ぎ始めた。
「灯りは落とした方がいいか」
「え? あ、うん、そうね?」
情緒も何もない始まり方に、アルマも慌てて服を脱ぐ。そういえばラウルが茶番に付き合ってくれた時もこんな感じだったと、懐かしくなって頰が緩んだ。
ブラウスのボタンをひとつずつ外す。
スカートの腰のリボンを解く。
下ろした下着を足から抜いた時には、ジグルドは既にベッドの上でアルマを待っていた。
美しい顔に相応しい均整のとれた身体。
薄暗い中で、ジグルドの身体の線を直視できず、アルマは視線を泳がせる。
ジグルドの美しさには比べるべくもないが、アルマは最近、祈祷を頑張りすぎたせいでだいぶ痩せた。アルマ史上最もスタイルが良い。
(今なら神を信じてもいい)
周囲に倣って仕える振りをしていただけのドレイン神に、初めて感謝を捧げた。
ベットに上がり裸で向き合う。
微妙な距離のまま真顔で正座するジグルド。あまりにも姿勢が良いので、アルマもつられて正座する。
素っ裸で正座で向き合い、真顔で見つめ合う。
なんだこの状況?
勿体ぶるような身体ではないと分かっているのに、とくとくと耳の奥で心臓の音が聞こえ始める。
もしかして、緊張してるの?
わたしが? 裸を見られるくらいで?
ジグルドの透き通った灰色の瞳がじっとアルマを見ている。その視線から身体を守るように、つい両手で隠してしまう。
もしかしてヴァレンティナのダイナマイトボディと比較しているのかしら。それは酷というものですよお客様。
さっきまで少しは良いと思っていた自分の身体が、だんだん自信がなくなって、アルマは哀しくなって身を縮めた。
俯いていると、言い辛そうなジグルドの声が降ってきた。
「アルマ、初めに言っておく。私はこういうことに経験がない」
「…………………? はい?」
視線をあげると、変わらず生真面目な顔のジグルド。
言われた言葉の意味が飲み込めなくて間抜けな声を出してしまったアルマに、ジグルドは重ねて言う。
「心配するな。一応やり方は知っている。ただ、その、言い訳をするつもりではないが、不手際があろうかと思う」
「………………」
「何か不快なことをしたなら改める。随時指摘しろ」
なにて?
「……え? そんな百戦錬磨な顔で? えっ? ほんとに? じゃあヴァレンティナとは何を? 何か特殊なプレイを?」
「それについては言えない。……経験がないことは、話す機会がなかった。隠していたつもりはない」
「あっ、そ、そうですか、……そう……」
じゃあ、わたしなんかの身体をじろじろ見ていたのは。
「もしかして、女の裸を見るのも初めて……?」
「生きている女は初めてだ」
色んな意味で、聞くんじゃなかった。
因みにアルマは見たことはある。
子どもの頃働いていた店では、まだ商品でもないアルマに色々と要求してくる客もいた。危ない客が商品に乱暴していないか見張るのもアルマの仕事だった。神殿で逢引の見張りを頼まれたこともある。ラウルの裸は、申し訳なくてあまり見ないようにしていたけど、見えていた。
基本的にアルマにとって男の裸は、汚くて怖くて、不快なものだ。
その、はずなのに。
初めてならばもっと明るくした方が良いのではと思ったが言えない。きっと真っ赤になってしまっている顔を見られたくない。寧ろもっと暗くしてほしい……
ヴァレンティナに鍛え上げられた手腕でリードしてもらえるつもり満々だったのに、とんだ誤算だ。アルマも自分がこんな風になってしまうなんて思ってもみなかった。
………初めてどうし……
アルマは下町の姐さんたちの会話を思い出し、両手で顔を覆う。
「大事故の予感しかない」





