ラウル・ハーガーという男
使節団の代表との相談の結果、祈祷師の交換については、使節団が中央神殿に持ち帰ってくれることになった。
疲弊した心が重く、ジグルドは慎重に息を吸ってから大きく吐き出す。
使節団との話し合いで、「そちらの寄越した祈祷師が使えなくなったので即刻交換してくれ」という自分の言葉が、まだ心臓を抉っている。隣に座っていたアルマは俯いて黙って聞いていた。
この半年で中央神殿とは多少の交流が持てた。今後の付き合いを考えるのなら、こんな無理を通さず、ジグルド以外の者が新たに祈祷師に求婚した方が無難だ。
それでもジグルドは、多少強引にでも、速やかに中央神殿側で目星をつけてもらう方を選んだ。情報の得にくい中央神殿にいる腕の良い祈祷師を特定し、本人を説得し、実家と交渉し、そこから婚姻の申請をしていては、次の春の波に間に合わない。何より、その祈祷師とウィンターハーンとの相性など分かるわけがない。
代表はウィンターハーンの事情なら祈祷師が必要不可欠なのは仕方がないと理解を示してくれたが、他の神官たちの中には祈祷師を何だと思っているのかと反発もあった。それをフォローして宥めてくれたのはアルマだった。
二泊の歓待を終え、明日の早朝に使節団は王都に発つ。
代表と挨拶を済ませて執務室に戻ったジグルドは、扉を叩く音を聞いて使用人を下がらせた。使用人と入れ替わりに神官服の男が入室する。
「失礼します。ラウル・ハーガーです」
「呼び立ててしまい、すまない。
私から出向くべきかと思ったが、ここの方が人払いが簡単だった」
ジグルドは執務机の反対側から椅子を勧める。丁寧に辞退されて、男を立たせたまま話を始める。
「君と話すのは夏の王都以来だな」
「はい」
「アルマが……祈祷の力を失ったのは聞いていると思う。中央神殿に戻っても、肩身の狭い思いをするのではないか?
彼女が祈祷を失ったのは、私のせいだろうと思う。何か私にできることはないか」
ジグルドの質問に、男は面倒くさそうにヘイゼルの目を細めた。
「そんなことは、アルマに聞いてくださいよ」
「聞いた。心配ない、としか答えない」
「………そうですか」
抑揚のない口調で男は続ける。
「肩身の狭い思いなどしないでしょう。彼女はたぶん下女として戻る。割となんでもこなすのできっと重宝されます」
「下女?」
「中央神殿には女は祈祷師か神官か下女しかいません。まぁ、アルマなら、男神官たちからも上手く逃げるでしょう」
「どういう意味だ」
「そのままの意味ですよ。神殿の聖職者は婚姻が認められていない。教皇や枢機卿なら愛人を囲ってますが、俺たち神官は立場の弱い神殿の下女が一番手軽だ。気の弱そうな下女はみんな苦労してる」
予想外の回答にジグルドは目を見張る。
「アルマは……男爵家の養女だろう」
「祈祷師じゃなくなった状態でフォルマン男爵のところに帰るくらいなら、神殿の方がましだと思いますよ。あの背中を見たでしょう」
「背中?」
「…………いえ。
男爵はおそらくアルマを恨んでます。アルマも彼のところへ戻りたいとは思っていません」
背中。
その単語の意味に気付いてジグルドはかっと頭に血がのぼり、奥歯を噛み締める。
アルマが来てすぐの頃に、背中に酷い傷痕があるという報告は聞いていた。
この男はそれを見たのだ。
アルマは、ジグルドに見せた嫌悪の滲んだ態度ではなく、この男に身体に触れることを許した。或いは請うたのかもしれない。ジグルドの妻となることから逃げるために。
夫のはずのジグルドはアルマの背中を見たことがない。この男はそれに思い至って言葉を噤んだのだ。
嫉妬と羞恥に歪みそうになる顔を抑えつける。
―――落ち着け。白紙撤回の話をした時点で、それは知られている事だ。今更動揺するようなことじゃない。
ジグルドは努めて冷静に声を出した。
「―――君は、アルマと恋仲だったのではないのか」
「………アルマがそんなことを?」
「私たちの婚姻前に、閨を共にしたと聞いた。
彼女は友人だと言っていたが、目的あって男を探すときに友人を選ぶ人には見えない。
彼女を助けないのか。君の方は、遊びだったのか」
責めるようになってしまった物言いに、目の前の神官は不愉快そうに顔を顰めた。
「それ、閣下に関係あります?」
言外に、「これからアルマを捨てるお前に」と言われた気がした。
「………そうだな。私が口を出すことではなかった。失礼した」
少しの沈黙の後、男は軽蔑の滲んだ声で笑った。
「たいして大事にもしてないのに、手元からいなくなると思うと惜しくなりましたか」
「………なんだと」
「そうでしょう。アルマをよく見てれば、俺と恋仲などという言葉は出ない。
アルマは恩を返すために閣下に尽くした。それを壊れた道具のようにあっさりと取り替えるのだから、冷血の評判は伊達ではない」
「………恩とは何だ。私とアルマは結婚してからが初対面だぞ。アルマがここでどうしていたかなど、君の知るところではなかろう」
「分かりますよ。あいつは、師匠の薬代をくれた閣下のためならきっと何でもする」
「薬代? そんなものは渡していない」
「婚約期間に結納品をくれたでしょう。
アルマの師匠は病に苦しんでいた。痛みを和らげる薬はとんでもなく高価で、俺もアルマもとても手が出なかった。アルマが閣下との婚姻を拒んでいたのは、王都で師匠の最期を看取りたかったからだ。
閣下からの結納品を全部売り払った金で、師匠はそれなりに安らかに逝った。あいつは貴方のために、できることは何でもしたはずだ。
―――あんな何も欲しがらない女が、大金を何に使ったのか、興味もありませんでしたか」
言葉に詰まるジグルドを男が見据える。
「ご心配なさらずとも、あいつは自分でできることを探せるし、目の前の人間に情を寄せるタイプです。そこそこの環境なら楽しく生きていきますよ。ここじゃなくてもね」
あからさまな蔑視を受けて、ジグルドは目を細める。
「―――もういい。下がれ」
「はい。失礼します」
男は頭を下げて書斎を出た。
ジグルドは静かに閉じられた扉を睨む。
目を閉じて椅子の背に身体を沈めた。
幼い頃から辺境伯となることが定められていたジグルドは、この土地で常に人の上にいた。それに相応しくあるよう努め、周囲もそれが当然のようにジグルドを扱った。
平民にこんな態度をとられるのは初めてだった。
即刻不敬と切って捨ててもおかしくない。
そんなことが分からない男には見えない。
彼は、怒っているのだ。
アルマの祈祷の力を潰し、消耗品のように手放すジグルドに、命を張って怒っている。
あの男の側に帰るのならば、きっと酷いことにはならないだろう。





