ジグルドの事情
ウィンターハーンの若き辺境伯ジグルド・ウィンターハーンは、二十六になったこの歳まで女を知らなかった。
女に興味がないわけでも、身体に問題があるわけでもない。思春期の頃には人並みに女体に興味を引かれた。
だが鏡を見る度に、父親に似てくる自分が信用できなくなる。
父レイフは、決して愚鈍な男ではない。文武に優れ、それをひけらかすこともなく、領民のために力を尽くす男だった。それが、女が絡むと途端に知能が下がった。
母イングリッドも、父を立て、夫を立て、ときに領のために犠牲を払う、淑女の鑑のような女だ。それが、レイフが絡むと何故かあらゆる面でポンコツになる。
ジグルドは自分を真人間だと自認している。いつも、どうするのが領のために最善かを判断するよう努めてきた。そんな自分は、一枚皮をめくればどんな人間なのか――あのふたりの血を引く自分が、女が絡んでどうなってしまうのか、ジグルドはそれがずっと怖かった。ウィンターハーンの間諜には女も多い。彼女たちがとってくる重要な情報の多くは、一見気難しそうな男たちが寝所で漏らした機密だ。その事実がますます不安に拍車をかけた。
結婚適齢期になって、貴族の男がこの歳まで童貞というのは、妻になる女性に引かれるのではないかと気になった。どこかで練習をした方が良いのかと相談したヴァレンティナは、ジグルドの悩みを鼻で笑った。
「他の女で練習した技術で喜ぶような女なら、心配しなくても他所でちゃんと楽しむわ。男と一緒で、女だってどちらかと言えば新品がいいし自分専用がいいの。夜の営みはふたりで上手になっていくものよ。どういう風にしてほしいかなんて、相手の身体に聞きなさい。
でもそこに愛がないなら、どうせなら上手い方がいいわね。そういう技術が必要になったら、私が一から教えてあげる♡」
一理あると思ったし、ヴァレンティナが言うのだからきっと間違いないのだろう。
妻になる女性ができればその時考えれば良いし、できなければそれでも良いと思っていた。あれは子どもを作る行為だ。正式な妻以外からウィンターハーンの直系が産まれるのは好ましくない。罪もない自分の子どもを殺すこともしたくない。自分が我慢すれば済むだけなら簡単なことだ。
そんな折、祖父が息を引き取って、ジグルドは新しい領主として中央神殿へ頭を下げに行き、思わぬ縁談を拾ってきてしまった。
実のところジグルドは、妻ができることをそれなりに楽しみにしていた。
ところが中央神殿が紹介してくれた祈祷師の女はこの縁談に抵抗した。何を贈っても受け取らず、使者に言付けるのは断りの言葉ばかり。挙句に縁談から逃げるために神官と同衾騒ぎを起こした。婚姻をものすごく嫌がっていると知って気の毒に思ったが、今更相手を変更すると明らかに技術不足の者になるか、実家の説得に数ヶ月を要すると言われ、強行することにした。王都での自分の評判を利用し助長していたことを悔いた。
軽く調べさせてみれば、祈祷師の養家となることだけを目的に男爵家が買ったが、虐待の嫌疑で神殿預かりとなった身寄りのない女だという。――親にも売られ、中央神殿にも売られた女。
結納品を売り払われ、色んな噂はあったものの、ジグルドは、たったひとりで自分の元へ嫁いでくる女をできるだけ大事にしようと思っていた。
そして冬が終わり、春先に彼女はウィンターハーンへやってきた。
そこそこ仲良くやっていければと思っていた妻は、元気で破天荒で優しくて、可愛い人だった。
好きでもないのにするなら友達でも家族でもないと言われて、好きになってくれるのを待とうと思った。ジグルドの子どもはいた方がいいと言ってくれたから、前向きに考えてくれるつもりなのだと思った。
ジグルドなりに、アルマの好みに近づこうと努力してきた。
なにがそんなにいけなかったのか、今も全然分からない。
王都で承諾もなく無理矢理口付けたのは、たぶん良くなかった。あれから暫く避けられてしまった。
ジグルドの妻だったばかりに酷い目に遭わせてしまって、なのに彼女は謝ってばかりで。自分は汚いから城から出ると言い出した。汚くなんかないと何度言っても、口下手な自分では伝わらなかった。
多少乱暴なことをしてでも、汚くなどないと分かってほしかった。そうでなければいなくなってしまうと思ったから。
その後何日も避けられて、初めて自覚した。
いつもわざわざ顔を見にきて、おはよう、おかえりと言ってくれる彼女の笑顔が、いつの間にか自分にとって、どれほど大きなものになっていたのか。
仲直りができた時は心底ほっとした。
秋になり収穫祭の日が近づいて、エリックが不思議そうに聞いてきた。
「そういえば閣下。アルマ様、もう壊れそうですけど、いいんですか?」
ジグルドには少しはしゃいでいる風にしか見えなかったアルマが、近々限界だろうと言う。隣にいたマークも驚いた顔をしていた。
同じ日にクリスが泣きついてきた。
「父上、何とかしてください。アルマ、僕が何を言っても聞いてくれない」
アルマの様子がおかしいことに、ふたりだけが気付いていた。慌ててマークと相談して、とにかく息抜きをさせようと収穫祭へ連れ出すことにした。
収穫祭の日、物見台で初めて抱擁した。
請われたのだと思って、元気を出してほしくて。その行為に誓って下心はなかった。
なのに抱きしめた身体が柔らかくて――たまらなくいい匂いがして、細い腰に手が吸い付き、一瞬意識が飛んだ。
手が勝手に彼女の身体を這った。
拒まれて、正気に戻って愕然とした――やはり自分は父と同じ種類の人間だったのだ。
幻滅されたかと焦ったが、アルマはジグルドの劣情には気付いていない様子だった。
疲れていたのだ。
ただでさえ今回の祈祷のために様々な予定を前倒しにしていたのに、一日空けるために睡眠時間を削った。
焦って聞き流してしまっていた。あの時もアルマは、何とも思っていないと、はっきり言っていたではないか。
朝に見た泣き腫らした目元が頭から離れない。
――まだ誘っただけだろう。そこまで嫌がらなくてもいいじゃないか。
顔が良いから満更でもないと、言っていたではないか。
何も泣かなくても、いいじゃないか。





