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夫婦の夜


 ぐっと腰を引かれたアルマは、何が起こったのかと慌てて身体を引こうとするが、ジグルドの手に右手も腰も捕まえられてそれは叶わなかった。


「アルマ」


 ジグルドはアルマの額のすぐ上で、心臓をくすぐるような声を落とす。


「その、私たちは友人だが、一応、夫婦ということになっているだろ」

「そう、ね」

「もし、よければ――今晩私と、夫婦らしいことを――どう、だろうか」


 アルマは驚いて大きく目を見張る。


 抑えた声を紡ぐジグルドの唇は妙に蠱惑的で、今の言葉が本気だと伝わってくる。


 アルマは静かに深呼吸して、震えそうになる唇を抑えた。


「………なんで?」

「……あなたは、私の妻だろう」


 それは、そう。


 ジグルドは領主だ。女が必要なら女の使用人や女兵士を一晩召し上げれば良い。顔も良いので満更でもない女を探すのは難しくないだろう。だがジグルドは決してそういうことをしない。

 だから、馴染みの娼館に行けない今、ジグルドが必要だと言うならその相手は妻であるアルマの仕事だ。


 それは、分かる。分かるけど。


「………マリールイーズのことは、もういいの?」

「マリー? マリーがどうした」


 もういいのか。

 それとも、マリールイーズでないならば、もう誰でもいいのか。


「………………あの、ジグルド。あの、……ジグルドにとって、……わたしへの好意とマリールイーズへの好意は、違う種類のもの、よね?」

「当たり前だ」


 怪訝な顔のジグルド。明確な回答に胸が軋む。もしかして、と期待した自分の愚かさが恥ずかしくて目元が熱くなる。


 どうして。

 可愛いマリールイーズと会えなくて寂しいのは分かる。美しいヴァレンティナが呼べなくて不自由なのも分かる。

 だけど、アルマを孕ませればもう次の結婚はできないのに。


 好きでもないのにそういうことをするなら、もう友達ではいられないと、言ったのに。


 ジグルドの右手が更にアルマの腰を引き、左手の指がアルマの指に絡まる。

 こんな時なのに触れられた場所から感じるジグルドの霊脈が心地良くて、アルマはこの失望感が何に対してのものなのか良く分からなかった。


「祈祷が終わるまではと思って控えていた。

 今夜、夫として、あなたに触れたい」


 聞くだけで脳が痺れるほど良い声が、アルマの中心を撫でるように、すぐ近くで低く囁く。


 まあ、そうね。

 一ヶ月、ヴァレンティナも呼べなかったものね。

 きっとご無沙汰で、わたし程度でも可愛く見えてしまうんでしょうね。

 友人としての体裁も取り繕えないほどに。


 身体だけを求められているのだと思い知って、未熟な恋心が喉の奥を苦く締め付けた。


 沈黙に眉を顰めたジグルドに、アルマは努めて笑顔を返した。


「ジグルドの、好きにしたら良いわ」


 なんとかそう答えると、ジグルドは眉間の皺を深くした。何度か口を開きかけ、それを固く閉じてから、苦々しく歪む顔を逸らす。

 置かれていた形の良い手が、漸くアルマの腰を放した。


「………分かった」

「なにが?」

「……………そこまで嫌がられるとは思わなかった」

「ジグルドは夫だもの、妻を抱く権利があるわ」

「そんな顔の女相手に、その気になどならない」


 そう言い捨ててジグルドは部屋を出た。

 強く閉められた扉の音が部屋に響く。

 ひとり残されたアルマは、珍しく行儀の悪いことをする夫の姿に暫し呆然とした。


 ……………


 ………………………………


 …………はぁ?


 はぁぁ?? 「そんな顔」?


 自分から誘っておいて、「そんな顔とはヤる気がしない」!?!?


(じ、自分がちょっとばかりイケメンでイケメンでイケメンだからって……!!!)


 枕を殴りながら寝台に上がり、布団を引き上げて頭までもぐりこむ。胸に哀しい痛みがじわりと広がり、アルマは布団の中で身を縮めた。


 ぼろぼろと涙がこぼれる。


 今の今まで、ジグルドはそんなことは言わないと、根拠もなく信じていた。

 自惚れていた。

 愛し合うことはなくとも、良い友人になったつもりだった。そうであるよう、アルマなりに努力してきた。

 ジグルドにとっては、アルマはそうではなかったということだ。そのうえ大歓迎しなかったからといって顔を貶すとは不躾にもほどがある。美しいマリールイーズやヴァレンティナに比べればそれはそうだろうけど。


(………わたしが馬鹿だった……)


 ジグルドは領の運営に心を砕いている。

 アルマの祈祷は絶対に必要だった。

 友達になろうと提案されて、アルマの機嫌を損ねることなどできなかったのだ。そんなものが友達のはずがなかった。

 ―――きっとそれでも、アルマで性処理をするようなことはないと、アルマが勝手に期待していただけだ。


(……城を、出たい……)


 求められているのは祈祷の力だけなのだから、城に住まなくても良いはずだ。


 だって、無理だ。

 こんな気持ちで彼の治めるこの土地に触れても碌なことにならない。

 ジグルドにとっても祈祷の効率が最優先のはずだ。


 廊下にいる衛兵に声が聞こえないように、頭まで布団を被る。声を殺すと上半身が引き攣れるように痛い。吐くことも吸うことも難しい空気を、嗚咽の合間になんとか肺に入れながら、アルマは時間をやり過ごした。


 泣いて泣いて、泣きすぎて頭が重くなってくる。

 柔らかいシーツに染みた涙が冷たくなっている。ぼんやりと、マットに染みてしまっただろうかと庶民じみた感想が浮かぶ。

 ジグルドが、アルマが寒さが苦手だと知って、砦で一番暖かい部屋に入れてくれたお高い寝具。冬の祈祷の時しか使う機会がないと断ったのに、アルマの体調管理に必要だと用意してくれた。


 少しずつ思考が落ち着く。


(………わたしったら、なにやってんだろ)


 ジグルドは悪くない。

 その場限りの遊びを求めていたあの兵士たちとは話が違う。アルマはジグルドの妻なのだ。きっとジグルドはアルマを一生養うつもりなのだろうし、子が出来れば歓迎してくれるのだろう。

 貴族にとっては妻と恋人は全く別のものだ。思い返してみればジグルドは初めからアルマを抱こうとしていた。マリールイーズを諦めたなら、ジグルドがアルマに手を出さない理由ももうない。政略結婚が普通の貴族にとっては、夫が妻を抱くのは礼儀だという考えもある。


 頭ではそう思えても、心が納得しない。


 泣き疲れて嗚咽する体力がなくなってくる。

 小さくしゃくりあげながら、息を整えるように呼吸する。

 涙だけは、まだ止まる気配もない。


 もう、ジグルドの姿を見たくもない。


 男はそういうものだと訳知り顔をしていても、いつからかジグルドがヴァレンティナと会っているのを見るのが嫌だった。

 そんな筋合いなどないと分かっていても、マリールイーズだけを特別に扱うのを見るのが嫌だった。


 二年後に、アルマ以外の妻を迎えるジグルドなど見たくない。


 妥協してアルマで済まそうとするジグルドは、もっと見たくなかった。


(しょうがない。あんなイケメンに夫みたいな態度とられてれば、誰だって好きになるわ。そう、別にわたしが特別馬鹿な訳でもチョロい訳でもない)


 冷酷無比と評判の王都ですら、それでもと言われる顔なのだ。

 不愉快に歪んだ顔ですら美しかった。

 いや、顔だけでなく、ジグルドは強く公正な領主で、魅力的な男だ。近くにいるアルマが惚れてしまうのは、仕方のないことだ。


(わたしがもっときれいだったら、何か違ってたのかな………)


 もっと美人で、若くて、身分がある女だったら。

 花屋なんかにいたことがなかったら。

 少しでも、ジグルドに釣り合うところがある女だったら。

 妻という肩書きではなく、わたしを見てって、言えたのかな。


(……―――、はー、しょうもな……)


 ―――つらいが、飲み込もう。

 金と引き換えに結婚するとはそういうことだ。それを承諾したのはアルマだ。ジグルドだって、選択の余地があれば、もっと若くて身分があって顔も身体も美しい女が良かっただろうに、『こんな顔』のアルマで我慢しているのだ。


 大丈夫。何があっても、アルマには師匠に貰った祈祷がある。どこででも、ちゃんと生きていく。


 明日は笑顔で「おはよう」と言おう。

 ―――そして、領都に戻ったら、城から出たいと相談してみよう。


 彼の寝室はここなのに、そういえばいつも、いったいどこで寝ているのだろう。



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