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打ち上げのハニーワイン


 アルマの報告を受けて、領都への帰還が三日早まった。兵士や使用人たちが砦の撤収の準備に慌ただしくしている。

 上質な寝具に包まって丸一日休んだアルマはすっかり元気になって、ジグルドと二人分の夕食をとりに厨房へ向かう。


 すれ違う兵士や使用人たちにお礼を言いながら廊下を歩く。一ヶ月、少ない人数でアルマの生活を支えてくれた。兵士はともかく、村から来てくれた使用人たちとはこれでお別れだ。


 詰所の前を通りかかると、休憩している兵士の会話が聞こえてきた。


「そういやお前、ニーナに乗り換えたんだな」

「はぁ? そんなわけねぇだろ」

「ニーナ、お前と一緒に町に行くことになるからって挨拶にきたぞ。イサベラのことは諦めたんじゃないのか」

「諦めるかよ! クソッ、あいつ、何回かヤったくらいでイサベラに変なこと言わないだろうな」

「……お前、なんで本命の友達に手を出しちゃうの」

「いけそうだったんだからしょうがねぇだろ!」

「もうニーナでいいじゃねぇか。イサベラはあれ、気づいてもいないぞ」

「ニーナなんか、やれそうじゃなきゃ声もかけねぇよ! イサベラはあんなどうでもいい女とは違う。慎重にやってんだよ!」


 だんっ、と机を叩く音が廊下まで響く。


「この任務のせいでもうひと月も娼館にも行けてねぇんだ。手近なとこで手を打つしかねぇだろ。

 お前だって領都の彼女にべた惚れのくせにクレアとよろしくやってんじゃねぇか」

「クレアは友達だよ。ご無沙汰だとあんな男女でも可愛く見えるから困るよなぁ」


(………最低だわぁ)


 アルマは声に出さずに呆れ、静かに廊下を進む。

 ああいう男は、相手を人間ではなく女体だと思っている。相手を傷つける意図すらないのだ。極力関わりたくない。

 幸いアルマはそういったお誘いからは縁遠い。領主の妻の特権である。


 今回の滞在にあたって連れてきた兵士は二十人に満たない。素行の悪い者は入れていないはずだ。女がこれをやれば淫売だの尻軽だの言われるのに、男にとっては、これは素行が悪いうちに入らないのか。しみじみ不公平だと思う。


 部屋の扉を開けると、ジグルドが棚からワイングラスを出していた。


「あなたは、酒は飲めるか」

「ちょっとなら飲めるわ。マークとベンジャミンと飲んだ時も大丈夫だったわ」

「あいつらと飲んだのか? いつ?」

「だいぶ前よ。えっと、ラース様が来てた頃」


 ジグルドは少し眉根を寄せた。

 どういう感情なのか分からない。


「良ければ、あなたの慰労のために乾杯したい。どうだ」

「甘いのある?」

「……甘い酒は、ないな」


 持ち上げていたグラスを下ろすジグルドががっかりしているような気がして、アルマは慌てて取り繕う。


「白ワインだったら、少しは飲めるわ」


 なんで男の人って、一緒に酒を飲みたがるんだろう。アルマがクリスとのスイーツ会にジグルドを誘った時、甘味などどれも違いが分からないと言われてアルマは度肝を抜かれ、分かち合えないことが残念だった。それと同じことだろうか。


 厨房に頼んで、柑橘系の白ワインに湯で緩めた蜂蜜を入れてもらう。

 ソファテーブルにワイングラスと夕食を配膳して座る。すぐ隣の暖炉でぱちぱちと薪が爆ぜる。


 ふたりは軽くグラスを掲げて鳴らした。

 

「ご苦労だった。何事もなければ明日ここを発つ。城に戻ったらトーマスの料理で改めて労いをしよう。何でも望むものを作らせる」

「ほんと? 自分で言うのもなんだけど、今までで一番手応えがあったの。春の収穫がほんと楽しみ」

「そうか」

「そうよ。収穫があがったら、ジグルドのお仕事、少しは減らせる?」


 元気な状態でジグルドと話すのも久しぶりで、アルマは妙にはしゃいでしまう。聞かれてもいないことを喋るアルマの話を、ジグルドはいつも通りの短い相槌を打ちながら聞いてくれた。


 お腹いっぱい食べて、使用人に食器を下げてもらう。

 ふと窓外を見ると音もなくちらほらと白い塊が降りてくる。雪は帰路が困難になるためありがたいものではなかったが、アルマにはそれすら、ウィンターハーンがアルマの祈祷を労ってくれているように感じた。


 小さな窓から外を見ているアルマの肩にジグルドがガウンをかける。

 肩に触れた手に、速まる鼓動を宥めてお礼を言う。

 ジグルドはアルマと同じように、暫く窓の外をじっと見つめていた。


「………ずっと前から、祈祷師を呼ぶしかないことは分かっていた」


 呟きに視線を上げるアルマに、ジグルドは遠くを見たまま続ける。


「お祖父様が動かないのであれば、退いていただくべきだと、分かっていた―――もっと、一年でも二年でも早くお祖父様に、王都に行くつもりがないのであれば爵位を譲ってほしいと、言うべきだった。

 私ひとりでは領を守りきることはできない。足りない部分を他の皆が補ってくれている。皆、お祖父様を大切にしていた。彼らの協力なしに領を運営できない私は、お祖父様を蔑ろにするわけにはいかなかった。

 私が不甲斐ないせいで、領民にはつらい時代を長引かせてしまった……」

「べつに、そんなの、ジグルドが悪いわけじゃないわ」


 アルマの言葉にジグルドはこちらを見た。冷たく見える灰色の目をアルマは真っ直ぐ見返す。


「良かった。苦手なことがあったお陰で、ジグルドはお祖父様を追い詰めなくてすんだのね。

 やっぱり人間、完璧なだけじゃしょーもないってことよ」


 何故かジグルドが泣きだしそうな気がして、アルマははにかみながら子どもにするように眉間の皺を指先でそっと撫で伸ばしてあげた。


「大変な時は神妙な顔も大事かもしれないけど、これからウィンターハーンはきっと落ち着くわ。わたしも頑張るし、ジグルドも頑張るでしょう? そしたら、これからは、領民の皆が『自分たちが支えてる領主様は幸せそう』って思える顔してなきゃ。

 ジグルドは、皆のために、ジグルドのことも幸せにしてあげないとダメなのよ」


 そう言って笑いかけると、ジグルドは長い睫毛に飾られた美しい目を細めた。


 不意にジグルドがアルマの手をとって、反対側の手でアルマの腰を引き寄せる。

 暖炉の炎が作るふたりの影が重なった。


 目の前の細やかな刺繍の入ったジグルドの襟から、ふわりとサンダルウッドが香る。


 驚いて見上げると、熱を帯びた灰色の瞳がアルマを見下ろしていた。




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