断罪
※ アルマの誘拐事件について、厳しい顛末があります。
王都の事件からひと月ほどが過ぎたその日。領都グゼナの空は灰色の雲が低く垂れ込めていた。
鉛のように重い空気がウィンターハーン城砦を覆う。常にはところどころ聞こえてくる使用人たちの声もいつもより少なく小さかった。
王都の議会ではハヴスリス子爵家の爵位の剥奪とウィンターハーンへの賠償が決定し、子爵家の殆どの資産が執行官に没収された。アルマの誘拐のためにハヴスリス子爵の雇った平民たちはウィンターハーンに引き渡されており、ウィンターハーン領での尋問により関係者の洗い出しが行われ、過半が捕縛された。彼らの一部は、自身が人身売買の被害者であったにもかかわらず、商品として側で見ていた人脈や知識を使ってウィンターハーン領内で人身売買を始めていた。
捜索範囲が絞れなくなるため、余程の領主の思い入れがない限り罪人の捜索はひと月ほどで打ち切られる。捕縛された者には重い刑が下されるのが常だった。
神殿の祈祷を終えて城に帰ってきたアルマは、王都から賠償金額の連絡を受けてほくほくのエリックから事の顛末を聞き、ジグルドの部屋を訪ねた。
ハヴスリス子爵の屋敷で会った少女の罰を少しでも軽くしてくれないか、ジグルドに頼むためだ。男たちと違って彼女はアルマに危害を加えるつもりはなかった。
頼み事をしたアルマに、ジグルドは事もなげに告げる。
「彼らは明日、判決の申し渡しのうえ処刑する」
「え……」
ジグルドの言葉がすぐには処理できず、扉の前に立ったままのアルマは声を失う。
「え………あの、明日?」
「昨日、全員の尋問が終わった」
「あの、でも、あの、明日って、」
「食糧を買い付けるしかないウィンターハーンは足元を見られがちだ。今年の収穫が昨年と同程度であれば、今年は冬を越せない領民が増える。殺すだけの罪人に与える食糧はないし、監視に割く人手もない」
静かな部屋に感情の薄い声が良く通る。
言葉の意味がだんだんと咀嚼できて、アルマは慌ててジグルドの側に駆け寄った。
「ぜ……全員!? 全員処刑!? そこまで悪いことしてない人とかもいるんじゃ……」
「誘拐と知って加担していた者は全員だ」
「でも、事情がある人も……みんながみんな、誘拐なんて、やりたくてやったわけじゃ―――エリンって、女の子がいたでしょ? 彼女は、話を聞いてほしいだけだったって」
「ヤコブを誘惑してあなたを誘き出したのはその女だ」
「………えっ……」
想定外のヤコブの名前にアルマの思考が止まる。
「初めの捕物の直後から交流があった。私たちが王都に入る日も私たちの行程もヤコブから漏れている。
剣を捧げた主家を害したのでヤコブには昨日毒杯を与えた。一親等の父母は領都から追放する」
毒。
その光景が脳裏に浮かんで、アルマは背中を駆け上がる震えを口を塞いで耐えた。喉の奥で押し殺した悲鳴がぐきゅりと不恰好な音を立てる。
ジグルドは、涙の滲むアルマの腕を掴んでソファに座らせ、自分も斜向かいに座った。
「アルマ。平民が貴族を攫うとは、そういうことだ」
諭すようなジグルドの声が耳を滑る。
分かっている。
一度困窮を理由に誘拐を許してしまえば、自分も許されるだろうと同じことをする人間が後を絶たなくなる。空腹のあまり食糧を盗むのとは訳が違う。
アルマに言葉を届けたいだけなら護衛騎士であるヤコブにはいくらでも機会があった。護衛騎士でなくても、貴族相手に命懸けで直訴する人はいる。エリンたちはそういう方法ではなくアルマを攫うことを選んだ。それは間違いなく、ジグルドを脅すためだ。
ああ、だけど。
エリンの気持ちも分かるのだ。
突然拐かされ、見知らぬ土地で放り出されて、権力者の目に留まる可能性に抗えなかったことはそれほどの罪なのだろうか。目の前に選択肢をぶら下げられて拒める人は少ない。
ヤコブはきっと、そんなエリンに同情してしまったのだろう。でなければ、誘惑されたといってこんなことに手を貸すとは思えない。人懐っこくて、ちょっと短絡的で、素直な優しい子だった。
ソファに座っているのに膝ががくがくと震える。屈託なく笑っていたヤコブの顔が脳裏に浮かんで、ぼろぼろと涙がこぼれ、アルマの視界を奪った。
「………すまない」
涙で歪む景色の中で、ジグルドがいつも通りの淡々とした声で言う。
アルマは深く慎重に息を吐きながら、なんとか言葉を絞り出す。
「………ジグルド、が、謝るようなことじゃ、ないわ……」
「あなたの言うとおり、生活に行き詰まって加担していた者もいた。あの事件の被害者に十分な世話ができたとは思っていない。領民への対応も行き届かない中で、彼らにだけ手厚くはできなかった。
領が豊かであれば、起こらなかった事件が、きっと、たくさんある……」
「そんなの、ジグルドが悪いわけじゃ、ない……」
「私は悪くない。だが私には責任がある。
―――だからあなたは、私を責めていい」
ふとアルマは気付いた。
どこまでも強く聞こえるこの言葉は、もしかしたら弱音なのではないか。
ジグルドは領民に向かっては、犯罪に対して非を認めるような発言はできない。領民が領主を責めるようになっては治安はますます悪化する。罪人が悪であり、領主は正しく制裁した、そういう顔をして立っていなくてはならない。この土地が、先が見えない中でこれだけの治安を保っている理由は、ジグルドたちが出来る限りを尽くしていることの他に、犯罪に対する厳罰が大きい。
治安が悪くなれば権力者や富豪は困る。だが一番割を食うのは、いつでも善良で力無い人々だ。どんなに困窮しても罪を犯すこともできない声なき民に、少しでもましな生活を届けるために、ジグルドは血を浴び続けている。
(…………ああ、)
王都で、なぜジグルドがあれほど怒ったのか、分かっていたつもりだったけど。
(………わたしは、何者のつもりだったの………)
アルマはウィンターハーンで唯一の祈祷師だ。アルマがいなくなれば、ウィンターハーンの復興はまた遅れてしまう。復興の要の、いち領民より優先されるべき命。
どうすれば良かったか、など、優先順位の分かっていない者の甘えでしかない。ヤコブがアルマから離れると言った時に、祈祷師の護衛として不十分であると厳しく言うべきだった。不穏な気配を察した時点で屋敷に戻るべきだったのだ。
たとえ、エバがどうなろうとも。
(―――わたし、には、できない……)
領を担う立場として、目に見えない見知らぬ多くの人のために、目の前の人を諦める覚悟が、アルマにはなかった。
ジグルドは揺らがない。いつも領のための判断をする。ジグルドには、領主たる覚悟がある。
―――だけどそれは、傷つかないということではないはずだ。
「………そうね。ジグルドは領主だもの、責任があるわね」
アルマは止まらない涙はもう諦めて、涙でぐしゃぐしゃの顔でジグルドを見る。
「領主夫人のわたしと、半分ずつのはずなのに、うまく背負えなくて、ごめんね……」
一瞬目を見開いたジグルドの眉間の皺が深まる。
「あなたにそんなものを負わせるつもりはない」
失敗したアルマを責めもしないジグルドに、胸が裂けるように痛む。
なんで。
肩書だけの妻だから?
明確に線を引くジグルドの言葉に、胸の痛みで上手く息が吸えない。傷つく資格などないと己を叱咤しても、喉が勝手にしゃくりあげ、みっともない音を出す。
ジグルドにとってアルマは本当の家族ではない。そんなことは分かっている。覚悟もないアルマにはそれを求める資格もない。
だけど、側にいる友人として、少しくらい重荷を分かち合うことはできないのか。
睨むようにアルマを見る鋭い眼光は美しい魔王のようなのに、それはアルマに、クローゼットでひとりで泣いていた天使のようなクリスを思い起こさせた。
この哀しい人に何もしてあげられない自分の無力さが悔しい。
ただの祈祷師のアルマには、彼を慰める手段がない。
マリールイーズがいれば、きっと愛らしい笑顔で慰めてくれたのに。
ヴァレンティナだったら、きっと柔らかい身体で包んでくれたのに。
誰か、今この時、この不器用な人の心に、優しく触れてくれればいいのに。





