仲直り
翌日、エリックたちに「ジグルドの時間を空けるから」と言われ、アルマはマークにジグルドの部屋の前まで引っ張ってこられた。
「そんな、急に言われても何の話をすればいいの」
「アルマ様。お願いします。とりあえず、昨日ジグルドがアルマ様を泣かせた件について話をつけてきてください。本人、ほんとに心当たりがないみたいで」
「何度も言ってるけど、ジグルドが何か悪いことしたとかじゃないの!」
「あと、川浚いをやめるよう説得してほしいんです」
「それは、昨日言ったけど、聞いてくれなくて……」
それはアルマも気にかかっている。
だが、―――気まずい。
散々避けておいて、今更改めてどういう顔をすればいいのかも分からない。
「……わたしが言ったって、」
「成功報酬は、トーマス料理長の新作の塩バターキャラメルのクレープです」
「しおばたーきゃらめるくれぇぷ」
「シナモンのかかった林檎のソテー添え」
「しなもんりんごそてぇ……!」
まぁ、その、あれだ。
うん。
川浚いは危ないからやめさせないとね? 危ないから。
「マーク」
いつの間にか開いていた扉からジグルドがこちらを見ていた。
「無理強いをするな。
アルマは祈祷さえしているならそれでいい」
感情の薄い冷たい声。
やはりジグルドはアルマの祈祷以外には興味がないのか。昨日はアルマを元気付けたいようなことを言っていたのに、それも祈祷の効率のためだったのだろうか。
塩バターキャラメルクレープで膨らんだ心がペシャンコになった。
俯くアルマの横でマークが呆れた溜め息をついた。
「ジグ。俺はお前がアルマ様を大事にしようとしてるのは分かるけど、言葉を惜しんでちゃ伝わらない。黙って睨まれてるなんてアルマ様が可哀想だ」
「言葉を惜しんでいるつもりなどないし、睨んでなどいない」
「うん。俺は分かるよ。でも、アルマ様に伝わってないなら、意味がないだろ」
ジグルドが眉を顰めて黙る。
マークはアルマに向き直って、ぐっと応援の拳を握ってみせる。
「アルマ様。失敗しても挑戦者にはアンダースの紅茶とスコーンが振る舞われますよ!」
マーク……わたしのこと何だと思ってるの。
扉を閉めてふたりになると、苦い顔のジグルドはアルマと視線も合わせずにソファに座って溜め息をついた。
「マークの戯言に付き合う必要はない。甘味が欲しいなら用意させる」
「……何もしてないのに、報酬だけもらうなんてできないわ」
「祈祷をしているだろう。あなたにはそれ以上のことは望まない」
切り捨てるように言われて心臓がずくりと痛む。
それは確かに、いつもアルマから話しかけることが殆どだったけど。けっこう仲良くなったと思っていたのはアルマの独り合点だったのだろうか。
それともずっと避けていたせいで怒らせてしまったのだろうか。
そうかもしれない。ジグルドにしてみれば、親切でキスしてあげたら無視されるようになったという謎の状況だ。
もう、気安くおしゃべりしたりできないのだろうか。
(わたしって、勝手なことばかりだな……)
自分が散々避けておいて。
だって、ちゃんと話せる自信がなくて。
ジグルドのことを考えると鼓動が早くなって、顔を見れば恥ずかしくて目を逸らしたくなって、声を聞けば胸がいっぱいで逃げたくなって、でも姿が見えないとつい捜してしまう。
この感情を何と呼ぶのか、流石のアルマにももう分かってしまった。
身の程を知らない自分がいっそ可哀想だ。自分はただの、肩書きだけの妻なのに。
―――仲直りをしなければ。
アルマはジグルドがやっとの思いで手に入れた祈祷師。振られてお別れ、というわけにはいかないのだ。知られたら、ずっと気まずいまま近くにいることになる。
「あの、ごめんなさい」
「なにが」
「ずっと逃げててごめんなさい。ええと、その、ちょっと、色々考えすぎてて」
「構わない。私も今後は不必要な接触は控えよう」
淡々と下される宣告にざっと血の気が引く。
空気を和ませようと、無理矢理笑って戯けてみせる。
「でも、……あの、ほら、女心の勉強が途中だし」
「もうやめる」
「え……なん、で……」
アルマの気持ちに気付いて、距離を置くつもりなのだろうか。
想い人がいると知ってこんな感情を向けるアルマを不愉快に思ったのか。自分のことだから気付かなかったけれど、アルマの態度は側から見ればあからさまだった。
縋るような目をしてしまうアルマに、ジグルドは冷静な声で予想外の答えを返した。
「私には女心を理解する資質がないように思う。私は忙しいし―――一緒にいても相手を傷付けるばかりなら、それは本意ではない。ラースもクリスもいるのだから、このまま子がいなくても困らない」
その意味を考えて、アルマの心臓が焦燥感で逸る。
マリールイーズを諦めるってこと?
アルマがウィンターハーンに来たせいで?
アルマがマリールイーズを追い出したせいで?
アルマのアドバイスが役に立たなかったせいで?
「………そ…っ、そんな……ジグルドは、それでいいの?」
「……私が、どうしたいかなど、問題ではない。
あなたが不快な思いをするならもうやめる」
「わたし??」
アルマの間の抜けた声にジグルドがやっとこちらを見た。
「あなたにはこれからも快く祈祷をしてもらわなければ困る。あなたが私と会いたくないと言うなら、」
「会いたいわ!」
「……………」
食い気味に否定するアルマに、ジグルドは不可解な生き物を見る顔をした。
ジグルド。
まさかジグルド、わたしが避けていたのは、嫌いだからだと思ったの?
初心者のアルマでも分かるのに。
キスしたら真っ赤な顔で挙動不審になる女を見て、嫌われていると思ったのか、この男は。
(ぜ、せんぜん、分かってない……?)
分かってない。これっぽっちも。
―――全然ばれてない!
ばれてない!
やった!
ブリキ閣下ばんざい!
「ごめんなさい、逃げてたのは、わたしの問題なの! ジグルドは悪くないし、あの、ジグルドが怒ってないなら、わたしは会いたいわ……」
「私の顔を見たくないのではないのか」
「そんなわけない!」
「謝罪を拒むほど怒っていた」
「怒ってないわ。え? 謝罪を拒んだ? いつ?」
「クリスの謝罪は受け入れて食事をしたのに」
「ジグルドには謝られるようなことされてないわ」
「……本当に、私が傷付けたわけではないのか」
「違うわ!」
「ではどうすれば、あなたは泣かなくなるんだ」
ジグルドの困惑したような言葉に、アルマは胸が熱くなる。
きっとアルマならこんな時、自分のせいではなかったと安心しておしまいにしてしまう。やっぱりジグルドは優しいのだ。
「親しく過ごそうと思っていても、私はあなたを傷付けてばかりだ。贈答品も喜ばないし、遊んでいるだけで良いと言ってもやれないし、提示できるメリットがない」
やっぱり親しくなってた!
孤高の辺境伯は、ちゃんとわたしを友達認定してた!
嬉しい。独り合点じゃなかった。
「傷付けてばかりなんて、そんなことないわ。楽しいこともいっぱいある。わたしが泣き虫なのは、ごめんとしか言えないけど………それに、友達は取引相手じゃないのよ。提示できるメリットがなくても、仲良くなりたいとか、仲直りしたいとか、言っていいの。
わたしだってジグルドのメリットなんて思いつかないけど、赦してくれるなら、また気安くおしゃべりしたいわ」
ジグルドは優しい。きっとアルマの気持ちを知っても、気持ちを返せないことを気に病むことはあっても、身の程を知らない猿だと嘲ることはない。
そう信じられるだけで、アルマの心はこれまでの動揺が嘘のように落ち着いた。
「まだ、友達で、いてくれる?」
「………ああ」
困った顔で、それでも頷いてくれるジグルドにほっとして、アルマは久しぶりに心から笑えた気がした。
「ぬいぐるみは、本当にもういいのか」
「いいの。あれは、もっと大事なものと引き換えに失くしたの。だからもういいのよ。
危ないことはしないでほしいけど、捜してくれた気持ちがすごく嬉しい。ありがとう」
「……そうか。じゃあもうやめる。
マークから報酬をせしめるといい」
「そうするわ」
笑いかけると、ジグルドの表情も少し緩んだように見えた。
こんな風に、これからも笑って側にいたい。
―――だから、気付いてしまったこの心には、蓋をしよう。
ジグルドの隣に誰がいても気兼ねなく祈祷師として側にいるために。
何年か後に「貴方のことが好きだったのよ」と、笑って話せるようになるまで。





