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紫の目のマリールイーズ


 アルマがウィンターハーン城砦に来て六日目。

 新婚の夫の帰宅を明日に控え、アルマは城内で迷子になっていた。


 許可が必要ないくつかの場所を除き、城内は好きに散策してよいと言われている。

 何気なく城内を散策していて、行き止まりの通路が多くて何度か引き返しているうちに迷い込んでしまい、どこから来たのか分からない。

 アルマの部屋からも領主一族の居住スペースからも離れた、北の裏門に近い辺りだと思う。あまり積極的に活用されている気配はなく、衛兵も少ない。

 訊ける相手を探してきょろきょろしていると、背後で鈴を転がすような声がした。


「あなた、新しい人? 迷ってしまったの?」


 振り向くと、金糸の髪の美少女がアルマを見ている。

 透き通るような白い肌に、艶のある桜唇。―――ゴーツ王国の女性にのみ稀に顕れるという、紫色の虹彩。


(………あ)


 マリールイーズ、と、その人の名前を心中で呼ぶ。


「―――そうなの。お城が広くて……」


 どうしよう。

 今まで色恋に無縁だったため、『夫の恋人』にどういう態度で接するのが正解か分からない。

 困惑しながら、目の前の少女を見る。


 可愛い。


 小さな顔。柔らかそうな髪。大きな目。

 貴族の部屋着らしい上品な淡い黄緑色のドレスがよく似合っている。

 窓から差し込む陽光を柔らかそうな白い肌が弾く。

 少女から大人の女に変わりつつある繊細な時期の、危うい魅力。


 ―――これは、さすがあの閣下の隣に選ばれただけはある。


 惚けて見入るアルマに首を傾げて、マリールイーズは控えめに問うた。


「あの、お仕事中かしら?

 クッキーがあるの。お時間あったら、少し休憩していかない?」

「はい……」


 ふわりと向けられた笑顔に、アルマは為す術もなく扉の中へ誘われた。



 次に意識を取り戻した時には、マリールイーズがポットからハーブティーを注ぐ音を聞きながら、ちゃっかりとクッキーの前に座っていた。


 ―――はっ!? 何やってんだ、わたし! ばか!

 わざわざ修羅場を作ってどうする!?


「私、マリールイーズ。あなた、お名前聞いてもいい?」

「………アルマです」

「ありがとうアルマ」


 マリールイーズはにこりと笑った。

 美しい少女はアルマの向かいに腰掛けて、紅茶のカップを手に取る。


「あのね、ジグの、奥様がいらっしゃったって聞いたの。アルマはもうお会いした? どんな方?」


 『ジグ』。ジグルドのことか。

 こんな可愛い子に愛称で呼ばれるなんて、流石は閣下。ずるい。

 マリールイーズはアルマのことを知らないのか。どうしよう。こんな若い女の子、泣かせたくない……。


 そう思ってから、アルマは気付く。


 …………マリールイーズ、若くない!?


 え? いくつ? 十五くらいに見える。

 これは子どもなのか? 大人なのか?


 貴族の婚姻としては、十五でもそんなにおかしくはないけど。

 マークは、ジグルドは子どもには手を出さないと言っていた。もしかしてマリールイーズはジグルドの恋人じゃないのだろうか。


 どうやって聞こう。

 妻から「恋人なの?」と聞かれて、泣いて出ていかれたらどうしよう。


「その……マリールイーズは、閣下と親しいの?」

「あ……っ……あの、違うの、ちゃんと弁えてるわ。ジグだって、良くしてくれるけど、母を亡くした私を同情して置いてくれてるだけって、分かってる」


 そう言ってから、慌てて手で口を押さえる。


「あっ、違うわ、領主様。いつもはそんな馴れ馴れしい呼び方してないわ、私、―――ごめんなさい、言わないで。大奥様にまた不愉快な思いをさせちゃう……」

「大丈夫、誰にも言わない」


 アルマの言葉に、マリールイーズは大きな目をぱちぱちしてから、安堵したように微笑んだ。


「ありがとう」


 春を呼ぶ妖精のような微笑みにアルマの心まで温かくなる。


 ……ほわぁ。可愛い。


 アルマのことはメイドだと思っているようなのに、居丈高なところが少しもない。


「―――貴女は、それで良いの?」

「え?」

「大奥様が反対しなければ、貴女が女主人になるはずだったって」

「やだ! そんなわけないわよ! アルマ、私のこと知ってるの?」

「よくは、知らないけど……この城には閣下が連れてきたんでしょ?」


 マリールイーズは少し困ったように眉を下げる。


「母が亡くなって、ジグが心配してここに置いてくれてるけど……私じゃあ、ジグの家族として認められないわ。分かってる。

 大奥様に不愉快な思いをさせてしまってるのも、分かってるの。ジグは気にしなくていいって言ってくれるけど……もう十五だもの。新しくいらっしゃった奥様が嫌がられるなら、なんとかひとりで町で暮らすわ」

「貴女みたいな若い子が町でひとりなんて、危ないわよ」

「うん、怖いけど。

 ジグと初めて会ったのも、男に絡まれてる私をジグが助けてくれたの。初めて会ったとき、……ジグには内緒ね。王子様みたいで、私、ドキドキしちゃって、大変だったのよ」


 肩を竦めながら、ふふ、とはにかむマリールイーズの頬が仄かに染まる。


 ………ああ〜〜〜〜!

 かわいい〜〜〜〜!

 めっちゃかわいい〜〜〜〜!


 しゃーない。

 これは、惚れてもしゃーないわ……。

 育てちゃう。わたしだって男だったら、これを見つけたら囲って育てちゃうよ。


 ジグルドは無罪。

 世界には不可抗力というものがあるのだ。


 アルマがうんうんと頷いていると、マリールイーズの顔がふと曇った。


「ジグの奥様、性格悪くて、男遊びが激しい人だって聞いて……心配なの。ジグが贈ったドレスも、こんな田舎のデザイン着れないって捨てられたって」


 すみませんでした。

 だいぶ原作に近い噂でまだよかった。


「ジグが傷つくことも考えてくれないような人なら嫌だなって、思って……」


「………傷…つく……?? 閣下が?」


 わたしが男遊びしたくらいで?


「だって、ジグはきっと、奥様を迎えたら奥様だけを大切にするわ」


 そ、そうかなぁ?

 現に大切な女の子が目の前にいますけれども。


「あんまり女の子に慣れてないし」


 そうかなぁそうかなぁ?

 女の子に慣れてない男は、女を何人も囲ったりしないんじゃないかなぁ??

 マリールイーズには、ほかの恋人のことは話していないのか。そりゃそうだ。


「ジグは紳士だから、町の男みたいに女の子の胸ばっかり見たりしないの」


 それは、その辺の女の子では、貴女に見劣りするからじゃないかなぁ?


「抱きついちゃっただけで、はしたないって慌てて注意してくるのよ。私なんて、ただの平民の娘なのに」


 その光景を思い出したのか、マリールイーズが楽しそうにくすくす笑う。


 閣下……。一体この子の前でどんなキャラ作りを。


 ―――もしかして、ジグルドは、まだマリールイーズに手を出していないのか。


 ただの平民の娘を、保護するためだけに城に住まわせて教育を受けさせるわけがない。着ているドレスだって平民が買えるようなものではないからジグルドが贈ったんだろう。

 辺境伯は、辺境伯領では、王のようなものだ。目についた娘を一晩召し上げても誰に非難されることもない。

 にもかかわらずこの待遇で手も出さない。


 これはガチのやつだ。


「でもきっと大丈夫ね。ジグ、かっこいいし、優しいし……奥様も、きっとジグのこと好きになるわ」


 居た堪れない。


「すみません、わたしです」

「え?」

「閣下と結婚しちゃった、評判の悪い女。わたし」

「え……」


 マリールイーズの紫色の目が大きく開く。


「えーっ!? だって、えっ、―――」

「祈祷師の、アルマです」

「ご、ごめんなさい! アルマ様! 私、なんて失礼なことを」


 床に手をつこうとしたマリールイーズを慌てて止める。


「やめてやめて。わたしも、男爵家の養女にはなってるけど、平民みたいなものなのよ」

「ごめんなさい、ごめんなさい、私、」

「大丈夫。言いそびれてたわたしが悪かったの。ごめんなさい」

「アルマ様……」


 潤んだ目でアルマを見つめるマリールイーズ。


 やめてくれ。

 可愛すぎて溶けちゃう。


「あの、ご安心ください。神殿の方には、ゴーツの血は特に不愉快だって、分かってます。すぐ、出ていきますから」

「そんなことない。貴女みたいな可愛い子がいてくれて、嬉しくない人いないわ。わたし、王都から来たばかりで、知り合いもいないの。仲良くしてくれれば嬉しい。わたしたち、お友達になりましょう? さっきみたいに普通に話して?」


 恋人の立場で妻に仲良くなんて言われたくないだろう。だがこんな若い女の子をひとりで放り出すよりマシだ。

 マリールイーズに拒否権などないと知りつつもアルマはゴリ押す。


「ね? せっかくご縁があったのに、すぐいなくなっちゃったら悲しいわ」


 そんな悪妻に、妖精のように美しい恋人は極上の笑顔を向けた。


「……ありがとう。ジグの奥様が、アルマ様みたいな優しい方で良かった。ジグは、ぶっきらぼうだけど、優しいの。きっとアルマ様のこと、大事にするわ」

「ふふ。きっとそうね」


 もうひとり恋人いるみたいだけどね。




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