お説教
また痛みに目を覚ますと、柔らかなベッドの上だった。
ウィンターハーンのタウンハウスで用意してくれたアルマの部屋だ。
暖炉の前から話し声がする。ジグルドとマークだ。
起きあがろうとすると身体に痛みが走った。
「目が覚めたか」
呻き声を聞いて枕元に来たジグルドにアルマは問う。
「………エバ、は?」
「見つかった。命に別状はない。
あなたは一日寝ていた。幸い骨にも内臓にも損傷はない」
二日前、駆け込んできたヤコブと護衛兵にアルマが攫われたと告げられ、タウンハウスは大騒ぎになった。
ウィンターハーンの手駒が足りず、王宮に捜索の依頼を出した。ヴァレンティナと一緒に社交場に出ていたジグルドも商談を切り上げ、エバの情報を得るため中央神殿の門を叩き、カイヤ師匠と近かったことでラウルが引っ張り出された。
荒らされたカイヤ師匠の実家に残されたものと馬車の目撃情報から方角を割り出し、幾つかの建物に目星をつけたが決め手に欠け、警邏では身動きが取れなかった。その全ての場所にジグルドは家名を振り翳して乗り込ませたらしい。殆どは平民の屋敷や倉庫であり、主人たちは渋々ながら扉を開けた。家令の抵抗が激しかったハヴスリス子爵家の別邸を強行捜索してアルマが発見されたとのことだった。
「……ジグルド、お仕事は……?」
「殆ど中止だ。大きく警邏を動かしたので騒ぎになってしまった」
王都中に、ウィンターハーン辺境伯夫人がハヴスリス子爵家に拐かされ大怪我をしたと広まってしまった。動かしたのは国の警邏だ。王宮の人員を大幅に割いておいて、直後にのうのうと商談をするのは厚顔なことと忌避されるらしい。
今回の王都の訪問は、ジグルドはかなりタイトなスケジュールだった。調整にひと月以上をかけている。
「……台無しにして、ごめんなさい……」
「そんなことを言っているわけじゃない」
機嫌が悪い。
「………醜聞になるような妻で、」
「そんなことを問題にしてるわけじゃない! あんな状況で男たちを煽ったと聞いた! もっと自分の安全を考えろ、もう少し発見が遅かったら死んでいたかもしれないんだぞ! ウィンターハーンは、また祈祷師を失うところだった!」
「あ……っ」
そこまで考えが及ばなかった。
今、祈祷師がいなくなれば、おそらく来年のウィンターハーンの収穫はどうにもならない。新しい祈祷師を得るまでの間、毎年何千人もの命を奪う。
初めて聞くジグルドの怒鳴り声にアルマは震えあがる。
「ご、……ごめんなさい………。
やっと、手に入れた祈祷師、なのに………」
ジグルドはますます怖い顔で黙ってしまう。
沈黙の中に扉をノックする音がした。
「閣下。ラウル・ハーガー様がアルマ様のお見舞いにおみえです。お通ししても?」
タウンハウスの執事の声。ジグルドは一瞬アルマを見て、忌々しそうに扉に視線を戻した。
「通せ」
そう言い捨てて部屋から出ていく。
部屋に残されたマークが困った顔でアルマに笑いかけた。
「アルマ様。ジグルドは、アルマ様を心配してるんですよ。
申し訳ありませんが、領主夫人を外の男とふたりきりにはいたしかねます。同席をお許しください」
「うん……大丈夫よ。聞かれて困るような話、しない」
暫くして通されてきたラウルは横たわったアルマの側に来て、挨拶もなしに話し始める。
「エバはもう起きあがれるようになっていた。元気というわけにはいかないが、本人も大丈夫だと言っていた」
「うん」
面倒くさそうなラウルの声。
情が薄いようにも聞こえるが、エバのこともアルマのことも気にしてくれていなければ、今ここにはいない。
「手紙を書いたことをお前に謝っていた」
「うん。………ラウル……エバを、守って。わたし、何も考えてなくて……あいつら、エバに仕返しするかも……わたし、」
「お前、嫁いだ自覚が全くないな。
辺境伯夫人を監禁して暴行した平民だぞ。尋問が終わればすぐ処刑される」
「………………あ、そう、なの?」
アルマのきょとんとした声に、壁際でマークが苦笑する。
「そうですよ。子爵はたぶん爵位剥奪ですね」
「貴族なのに?」
「アルマ様。あなたの旦那は、貴族の中でもけっこう偉いんですよ」
今回の子爵家の量刑は中央貴族の合議で決まるそうだ。
引き渡した際に子爵と縁のある伯爵が酌量を仄めかしたが、ジグルドが「貴殿にとって妻が拐かされ暴行されることは罪にならないと覚えておく」と言うと青くなって口を噤んだらしい。
「…………じゃあ、エバたちは、安全……?」
「大丈夫でしょう。ウィンターハーンの騒動に巻き込まれて傷つけてしまったお嬢さんです。今後の生活で苦労することがないよう、こちらで気をつけます」
「…………………よかった」
エバは、無事だったわけではない。心にも身体にも傷を負った。それでも、生きていて、とりあえずの危険が消えた。
「―――よかった……」
そう呟いてしまって、ラウルの視線に身を竦める。
人が処刑されることに良かったと言ってしまえる自分がとても卑しく思えた。
「……助けてくれたのに、こんな人間で、ごめんね」
「なにが」
「わたしだって、師匠とラウルがいなかったら、きっとあっち側の人間だった。……あの人たちも、弱かっただけかもしれない………」
「くだらん。弱さは他人を害する免罪符にはならない」
「そうだけど、わたしがただの平民だったら、処刑にまでは」
「どんな環境でも人間らしく生きている奴はいる。多くの警邏は平民相手の犯罪も無くしたいと願って働いている。刑吏も犯罪者が憎くて処刑するわけじゃない。履き違えるな。彼らに失礼だ」
「……………はい……ごめんなさい……」
説教するラウルとしょんぼりするアルマの間に、マークが割って入る。
「まぁまぁ。ラウル殿、怪我人なんですからあまり厳しくしないでください。
アルマ様も思い詰めないで、早くお元気になって城へ戻りましょう」
「…………わたし、城に戻るの?」
「えっ? どういう意味ですか? 戻らないとかありえます?」
「だっ、て………ラウルが、話してたでしょう。わたし、昔、花屋で働いてて」
「その辺は、俺にはなんとも。帰ってから閣下と話し合ってください」
「あの、……もう、城から出るわ。皆、不愉快だろうし」
「閣下も俺も、そんなことペラペラ喋りませんよ。落ち着いたら、閣下とお話しましょう」
「…………いや……」
どう話せと言うのか。
わたしは男の身体を舐めて生活していたけどどう思う? って聞くのか。
できない。
アルマを映すあの灰色の目に侮蔑が滲むのを想像すると、内臓が絞られるように痛い。
「……ジグルドにこんな話、できない。
恥ずかしい、こんな、………汚いって、面と向かって、言われたくない………
ちゃんと祈祷はするわ。どこか、どこでもいいから、」
―――汚いわたしを、ジグルドに見られたくない。
自分が汚いことなど初めから知っていた。
今更こんなことが恥ずかしくてやるせないのは、きっとジグルドが綺麗なお貴族様だからだ。
視界が涙で滲む。
アルマとマークの会話を黙って聞いていたラウルが眉を顰めた。
「………一昨日も思ったが、お前、閣下を意識してるのか」
「………えっ……」
いしき?
いしき……とは……
あの、ボーイミーツガール的な?
「えっ、えっ?」
「今まで、誰かの視線を恥ずかしいなんて言ったことなかったろ」
「えっ、………ちが、違うわよ!
最近せっかく、仲良くなったところだから、だから」
「じゃあ、俺に汚いと思われても、恥ずかしいのか」
ラウルに。
ラウルに汚いと思われたら、悲しい。
とても悲しくて、きっと泣いてしまう。悲しすぎて死んでしまうかもしれない。
だけど―――恥ずかしいとは感じない。
(……ジグルド、だけ……?)
そう思い至って、顔がかっと熱くなる。
「ジ、ジグルドに、惚れてなんかいないわ! そこまで身の程知らずじゃない」
「惚れてるとまでは言ってない」
「えっ、あっ、そうなの? 違うの?」
意識すると惚れてるは違うの?
分からない。どっちも経験がない。
混乱するアルマをよそにラウルは呆れた顔で勝手な言葉を続ける。
「あれだけ顔がいいと、流石にそうなるのか。
惚れるなよ。山猿なお前の武器で、閣下に侍ってる美女たちと戦うのは大変だぞ」
「ラウル殿、変なこと言わないでください。閣下は美女を侍らせたりは」
「一昨日も凄い美女を侍らせてたじゃないか」
「それは、……ヴァレンティナですね、あ、はい、すみません。侍らせてますね」
頭を抱えるマークと混乱を極めるアルマの横で、ラウルが珍しく柔らかく呟いた。
「………そうか。師匠が生きてたら、喜んだな」





