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お義祖母さまの密謀


 それから四日が経った。


 ウィンターハーン城砦は、辺境軍の屈強さにそぐわず、中央神殿よりも余程アットホームな空気だ。

 マークと一緒にいる時はメイド服を着ている領主夫人と認識されるが、あまり目立つ容姿でないアルマは単品だと新人メイドと間違えられる。


 廊下を歩いている間にぽんぽんと用事を言いつけられる。仕方がないので渡された洗濯籠を持って、ランドリールームへ向かう。

 通りかかった廊下で、イゾルデがきぃい、と声をあげているのが聞こえる。

 手摺から下を覗くと、階下の吹き抜けの談話室でイゾルデが扇子で手の平をばちばち叩いていた。


「なんなのあの娘は!」


 イゾルデの声が吹き抜けの上まで響く。


「メイド服を平然と着たり部屋付きのメイドもつかないのに平気だったり……実家は一応爵位のある家なんでしょう!」


 アルマのことだ。


 最初に挨拶して以来、イゾルデとはあまり話していない。アルマは日中は許可のいらない書庫を物色したり、マークに領のことを聞いたりしているし、食事はひとりで部屋でとっている。

 昨日メイドに渡された火かき棒で応接室の暖炉を掃除しているところを鉢合わせて注意されたくらいか。洗濯籠を持っているのを見つかったらまた注意されてしまうかもしれない。


 イゾルデはふうふうと呼吸を整えて、ソファの背もたれに背中を預けた。


「………声を荒げるなんて、はしたないことをしたわ。

 次はどうしてくれようかしら。ジグルドがいない間に、泣いて謝るまで追い詰めてやらなければ」

「大奥様。もう、慣れないことは諦めてはいかがですか」

「お黙りなさい、ローラ。この家での自分の立場を思い知らせてやるの。貴女も何かお考えなさい」


 侍女のローラが呆れ気味の顔で答える。


「………湯浴みの湯を冷ましておくとか?」

「まだ寒いのに、そんなことをしたら風邪をひいてしまうわ」

「…………………そうですね。申し訳ありません。

 大奥様が、嫁いでこられた時にお辛かったことをしてみるのは如何ですか」

「わたくしの辛かったこと……そうね、まだ未熟と言われて、お義母様から奥向きの仕事を任せていただけなくて、悔しくて………そうね! それよ!

 アルマさんからは妻の仕事を取り上げて、悔しい思いをしてもらいます。心を入れ替えて謝罪するまで貴女たちも領主夫人として扱わなくていいわ」


 名案を得て嬉しそうなイゾルデの高笑いが吹き抜けに響いた。


 ……なんということだ……!


 イゾルデがアルマから仕事を取り上げようとしている。


 ありがとうございます!


 アルマは祈祷は全力でやる主義だが、どちらかと言えば、しなくていい仕事はしたくない。神殿できりきり働いていたのは報酬のためだ。ぐうたらして生活が回るのであればそれが一番良い。


 仕事をさせてもらえなくて辛いとは、イゾルデはきっと勤勉な女性なのだろう。アルマを苛めることにもとても真面目に取り組んでいる。

 昨日はイゾルデ付きのメイドの前で饅頭が怖いと言ってみたら夕食のデザートに饅頭が出た。今日はタルトが恐ろしいと呟いてみようと思っている。いや、やはりチーズケーキの方が怖いだろうか。


 再考していると、イゾルデの笑い声がふと止まった。


「………わたくしが嫁いできた頃は、実家が恋しくて……クヌートが心配して傍にいてくれたのが、とても嬉しかった。

 アルマさんは、……ひとりで、平気なのかしら。妻を迎えたばかりだというのに城を空けるなんてジグルドは何を考えているの」

「よろしいんじゃございませんか。先に失礼を働いたのは奥様です」

「………そう、……そう、よね。見てらっしゃい! ウィンターハーンを怒らせるとどうなるのか、とくと味わうといいわ!」


 アルマはそうっと忍び足で談話室から遠ざかる。


 好ましい。

 アルマは努力をする人が好きだ。

 一生懸命な人は報われて欲しい。


 イゾルデはいつかきっと、アルマをギャフンと言わせてくれるに違いない。



 昼から側についてくれるマークと物見台に出て、今日も領について聞けることを聞く。マークに質問すると一般に隠されていないことは大抵の回答が返ってきたし、分からないことは翌日までに確認してくれる。出来が悪かったと言うが、マークは十分に賢明だと思う。

 そう言うと、マークは目を大きく開いた。


「そう? そうですか? ……そうですよねぇ?

 俺も、求められるレベルが高すぎるんじゃねぇの、とは思ってたんですよ!」


 やはりただのお調子者かもしれない。


「俺たちもキツかったですけど、閣下はそのあと更になんかやってて、多分睡眠時間以外全部教育でしたよ。あの頃は俺も子どもだったんで分からなかったけど、今思えばおかしかったですね。

 ラース様も怒られてばっかで、まあラース様は反抗ばかりしてたせいもありますけど、十四で王都の学院に受かってますしね」

「それはすごい」


 王都の学院は年齢身分職業を問わず学業に励む者に門戸を開いている。学問にトチ狂った教授陣の面接に受からなければ入学できない。貴族のお抱えの者は多いが、貴族の子弟が入ろうと思って入れる場所ではないのだ。


「閣下は、それは真面目に勉学に取り組んでいましたから、ラース様よりよくおできでしたよ。すごくないです? かっこよくないです?」


 マークがうざい。


 ジグルドの恋人のことを聞いてしまってから、マークが矢鱈とジグルドを褒めそやすので食傷気味だ。『イケメン』以外の感想のなかった旦那様を嫌いになりそう。


「すごい興味なさそうな顔……そういえばアルマ様、色々お訊ねになりますけど、閣下のことは何も聞いてくれませんよね」

「………閣下の素晴らしさは、マークのおかげで、聞いてもいないのに詳しくなったわ」

「それは良かった! 今も、ソレム地区の管理官から急な要請があって、結婚したばかりなのに現地に行ってるんですよ。頑張り屋さんでしょう」


 頑張り屋さん。

 『血濡れた魔王』にえらくそぐわない形容が飛び出してきた。

 血濡れた方向に頑張り屋さんだったら嫌だなあ。


 ウィンターハーン領は国境に接し、領自治が強い。社交も王都の宮殿で成り上がるためのものではなく、王都や他領と交渉するためのものだ。アルデンティア王国の一部ではあるが、法制も違うし王命を出されることもない。領内で何かあれば辺境伯が他の貴族を裁くことさえする。

 大きな戦争がない昨今、王都の人々にとって辺境軍が国防に寄与している実感が薄く、天災や食糧難でも国からの援助が殆どなかった。


「小麦の収穫量が落ちたのは気温が下がったせいだと言われてますが、そんなはっきり分かるほどは下がってないと思うんですよね。霊流が乱れてるせいなんですかねぇ?」

「気温も下がってると思うわよ。霊流が乱れると、気温が下がることが多いの」

「そうなんですか。大森林の方は、確かに、雪の時期が長いなとは思います」

「大森林……」


 物見台から東を見遣る。

 地平線の辺りを薄く冠雪した森が広がっている。


 澱みが酷い。

 少しずつ削っていくしかない。


 コートの襟首を掻き上げて、アルマは物見台を後にした。


 マークと別れて階段を降りると、廊下の端で使用人たちがこそこそと話し合っている。


「マリールイーズ様のお衣装を運んでいるのを見つかって、大奥様に睨まれちゃったわ」

「大奥様のお気持ちも分かるけど、お可哀想だよなぁ」

「そうね、領主様はお忙しくて……これからは、奥様もいらっしゃるようでは、ますます、ねぇ?」

「ずっとお一人であんな離れに置かれて、おつらいでしょうに、私達にもいつも笑顔で接してくれて」

「ええ。可愛さをひけらかすようなところも全然なくて」

「領主様の付けられた先生が、とても優秀だって褒めてらしたの。大奥様の反対がなければ、領主様はウィンターハーン家にお迎えしたかったのよ」

「正式には難しくても、奥様がいらっしゃらなければ、マリールイーズ様がこの城の女主人だったかもしれないのに」

「俺らにも愛想良く笑ってくれるし、あんなとんでもない噂の女より、ずっといいよなぁ」

「しょうがないわ。大奥様も、おつらいのよ……」


 おお。

 マリールイーズさん、使用人にめちゃくちゃ評判が良い。

 そしてわたしの評判は散々だなぁ。

 嫌がらせなどはないので、まあ陰口くらいは仕方ない。


 アルマはまだ見ぬ夫の恋人に感心しつつ、自分の部屋に戻る。

 可愛くて、優秀で、気立が良い。世の中には天に二物も三物も与えられる人間はいるのである。

 下町から城に連れてきて、教師を宛てがう。おそらくジグルドは、マリールイーズをただの恋人にしておくつもりではなかったのだろう。


 マリールイーズにとってアルマは、自分が得るべき妻の座を掠め取った女だ。泥棒猫、とか言われてしまうだろうか。それとも泣かれてしまうのだろうか。

 所詮アルマは祈祷師と交換条件に付いてきただけの妻だ。可愛い女の子が無駄に悲しい思いをしなければいい。



 翌日、変わらずメイド服でうろちょろしているアルマを捕まえたイゾルデは、軽く咳払いをしてから言い放った。


「アルマさん。あなたのような未熟な方には、奥向きの仕事は任せられないわ!」

「ええっ、そんな! イゾルデ様、どうかわたしにも奥向きの仕事をさせてください!」


 アルマの懇願を受けたイゾルデは嬉しそうに口の端を上げた。


「だめです。ご自分に、何が足りないのかよく考えることね」

「そんな、ご無体な」


 ふふんと機嫌よく踵を返し、満足そうに立ち去るイゾルデ。


 そんな義祖母の後ろ姿を、アルマはほっこりとした気持ちで見送るのだった。



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