おしゃれをしてたら可愛いって言って
二日後、アルマは王城と中央神殿へ挨拶に行くためウェストをぎゅうぎゅうに締められて、ヴァレンティナの選んだ一式に身を包んでいた。
いつも無造作に括られているだけの栗色の髪はしなやかな波を描きながら巧みに結い上げられ、金の髪飾りは繊細に輝いて、まるでアルマを品位ある貴婦人のように演出する。アップにされた髪から垂らされた巻き毛が頬にかかってくすぐったい。ヴァレンティナが指示したドレスは深い藍色を基調とした布に銀糸の刺繍が施され、動くたびに控えめに光を反射する。袖口や襟元には繊細なレースがあしらわれ、全体のデザインに柔らかさを加えていた。
昨日師匠の墓前で泣いてしまって腫れた目元はメイド達の努力で殆ど分からない。メイドたちが渾身の化粧を施してくれた後に姿見に写っていた姿は、とても自分のものとは思えなかった。
プロの技術、すごい。
迎えに来たジグルドがアルマを凝視する。
初めて本格的に着飾った己が無性に恥ずかしくなって、顔が勝手に赤くなる。
こんな、素敵なドレス、不相応じゃないか?
十人並みのくせに、化粧で可愛くなるなんて詐欺じゃないか?
なんか、なんかこう、足掻いてるみたいでみっともなくないか?
でもいつもより確実に可愛い。可愛いって、言われちゃうのでは?
ばくばくと耳の奥で聞こえる心音を誤魔化そうとして、つい怒ったような声になる。
「なにっ?」
「………人間の外見は九割が服だったと気付いた」
「零点」
失言で怒らせたまま一日会わなかった妻に対する第一声がこれ。
残念すぎてアルマの感情は無事に死んだ。
馬車の前で待っていたマークとヤコブが手放しで褒めてくれたので、アルマはなんとか尊厳を立て直した。
まあ、良かった。ひとりくらい忌憚のない意見を言ってくれないと勘違いしちゃう。
王城に向かう馬車でふたりきりになると、ジグルドはなけなしの三点を減点した採点官に異議を申し立てた。
「あれは、思ったことをそのまま言っただけで、採点を求めた発言ではない」
何のフォローにもなっていない夫の台詞をアルマは白けた顔で聞き流す。
「その話はもういいわ。ジグルドの言葉にいちいち傷付いてなんていられないもの」
「傷付く? 何故だ」
「………三十点とれたら、ご褒美に教えてあげる」
生まれて初めて着飾った姿を褒めてくれなかったからだなんて、子どもじみたことを言いたくない。
ジグルドの灰色の目がぎろりとアルマを睨む。
最近分かってきた。これ、目つきが悪いだけで怒ってるわけではない。
マークが初めに言ったように、ジグルドは滅多なことでは怒らない。重鎮のおじさんたちが甘い仕事をしても、悪意がない限り叱責も罰もなく淡々と是正させるらしい。まあその淡々が手厳しいらしいけど。マリールイーズを追い出したアルマのことも一度も責めない。褒めてくれなかったなどと怒っている自分より余程人間ができている。
アルマの日常もそれなりに忙しく、マリールイーズのいる孤児院に全然顔を出せていない。
元気でやってるだろうか、と考えたところで、ジグルドが低い声で申告してきた。
「………昨日、商会で、マリーにネックレスを買った」
「あっ、そうなの?」
恋人に宝飾を贈るなんて、ちゃんとした彼氏みたいなことがジグルドにできるなんて意外だ。マリールイーズは本当に特別なんだな。
「助言は受けたが、自分で選んだ」
「偉い」
「お祖母様にも買った。宝石をあしらったガラスペンがあったので、ラースとクリスにもそれを買った。全部自分で選んだ。
家族のために時間を使う男は、点数が高いはずだ」
「ぶふぉっ」
思わず吹き出したアルマにジグルドの眼光が鋭くなる。
「なんだ」
「ううん! 良い! 良いと思う!」
だってそんな、魔界の番人みたいな顔で何を言うのかと思ったら!
「何点だ。足りたなら、傷付いた理由を言え」
すごいわー。苦手分野でも正々堂々と結果を勝ち取る姿勢、すごいわー。
言われたことをちゃんと覚えて実践している。学習能力が高い見本のような人だ。これはもう、観念するしかない。
「ごめんなさい。ジグルドは別に悪くないの。精一杯頑張って、お化粧してもらって、わたし、今までで一番可愛いつもりなの。可愛いって言ってくれるかなって、勝手に期待しちゃっただけ」
「可愛い……?」
疑問符を付けるんじゃない。傷付くだろ。
「可愛いというのは、子どもを形容する言葉だ」
「そんなことないわ。好ましくて、ときめいて、大事にしたいなって思うものは、可愛いで良いのよ」
ジグルドが軽く眉を寄せる。
ん?
わたし今、何つった?
好ましくて、ときめいて、大事にしたいって、言って欲しかった、みたいなことを……
「―――とか! 顔見知りの女性がオシャレを頑張った時に軽率に激励の言葉として使って良いのよ!」
「そういうものか」
「そうよ!」
あぶねぇ。
仕掛けられてもいない罠にのこのこ嵌まりにいくところだった。
「アルマ」
ふわりとサンダルウッドの柔らかい香りが届く。
身体を寄せてきたジグルドの指先がアルマの首筋に伸びる。長い指がネックレスの繊細な鎖の捩れを器用に直す。
脳が痺れるほど良い声が、アルマのすぐ近くで囁いた。
「服も装飾品も、よく似合っている。可愛い」
「軽率にそういうこと言わないで!!」
「!?」
要求された通りの台詞を口にしたはずのジグルドが目を点にした。
だって! だって心臓が、止まるかと、止まるかと思ってぇ……!
ごめん。完全にわたしが悪い。ほんとすみません。わたしの分際でイケメンに可愛いと言われたいなんて浅はかが過ぎた……。
王城の控室で謁見の順番待ちをしている間、誠心誠意謝罪した。
「ごめんなさい。我ながら理不尽な態度だったわ……反省してます」
「もういい。正直、理解が追いつかない。謝罪は受け入れる」
優しい。
それはちょっと失言は多いけど、誠実で寛容で、人として十分だと思う。ジグルドがどうして社交に関わらないようにしているのか分からない。
そう言うと、腹芸や謀略ができないからだと教えてくれた。言葉の裏が読めないと王都の社交場ではやっていけないし、失言ひとつが取り返しがつかなくなることがある。
文書のやり取りでは相手の隠した目的をあっさり看破したりするので、王都では、まさか寡黙な辺境の魔王が怖い顔の係に徹しているとは思われていないらしい。
ジグルド……対面より文字情報の方が相手の意が汲めるなんて、わたしはもう、なんて言ったらいいか分からないよ。
「社交はお祖母様とラースとおじ様方に任せきりだ。不甲斐ないが、それが最適解だと判断した」
「イゾルデ様も分かりやすくて、謀略合戦の中ではへっぽこ戦士っぽいですけどね」
「へっぽこ戦士……」
呆然と呟いたジグルドが、少し間を開けてふはっと笑った。
「あなたにかかると、お祖母様も形無しだな。
お祖母様があんな風なのは、身内の間でだけだ」
くつくつと笑い声を抑えるジグルドの白い頬がやや紅潮して、いつもの人形のような印象を拭う。
こんな風に笑うのか。
クリスの笑顔に似ている。
威圧感が消えて、ただただ魅力的だ。
えっ。
えっ、やばい、やばい、可愛い。
イケメンの圧力で心拍数が勝手に上がる。
「……ジグルド、そんな顔、見せないで。素敵すぎて、うっかり惚れる………」
火照ってしまった顔を両手で覆うと、真顔に戻ったジグルドの声が降ってきた。
「………何故嫌そうなんだ。私に惚れることに、何か不都合でもあるのか」
あるわ。
ありまくりだわ。
愛のない結婚をして、旦那は若くて美しい恋人がいるのに、嫁だけ旦那に惚れるとか、それなんて修羅場。そんな素敵な顔は、愛しい恋人にだけ見せれば良いのよ。
―――昨日は、どんな顔であの美しい少女のネックレスを選んでたんだろう。
マリールイーズはきっと、ジグルドのもっと特別な顔をたくさん知っているのだろう。三年後に彼女を城に迎えることができれば、毎日恋に蕩けた美貌の魔王を見ることになるのかもしれない。
どう考えても眼福なのに、あまり楽しい気分になれないのは、きっと王宮への挨拶に緊張しているせいだ。





