アルマのドレス
翌日の夕食後、アルマの部屋を訪れたジグルドが言った。
「………王都で結婚の挨拶をしていないので、お祖母様がふたりで行ってきてはどうかと言っている」
最近覚えたティーカップの持ち方を練習中のアルマは危うくカップを落としそうになる。
「えっ? ……わたしが、王都の社交場に一緒に?」
「嫌でなければ」
「嫌ですけど、行きますよ。お仕事でしょう?」
「………嫌なのか」
「嫌ですよ。貴族の綺麗な女性ばかりの群れに、どう頑張ってもイモのわたしが放り込まれるんでしょ?」
結婚前にジグルドが贈ってくれたので、アルマは自分のドレス姿を見たことはある。
イモ! って感じだった。
仲の良い同僚に髪型などを手伝ってもらったりお化粧してもらったりしたが、どうやってもちぐはぐでイモ感が抜けない。厳しい現実にアルマなりに傷ついた。
「………嫌なら、いい。ひとりで行く」
「ごめんなさい、言い直すわ。お仕事だったら、嫌じゃないです」
何か言いたげだったジグルドが、はたと気付いたように呟いた。
「………そういえば、あなたに、ドレスを作っていない」
そんな流れで、翌日には仕立て屋と宝石商とスタイリスト・ヴァレンティナが衣装室にやってきた。
いや、ヴァレンティナはお仕事で来ていたところに、アルマのドレスを選ぶと聞きつけて押しかけてきたのだ。度々の登城、ご苦労様である。
ジグルドは何着か新しく仕立てようとしていたが、一着で平民の生涯年収を超えると聞いてアルマは必死で抵抗した。妥協点としてとりあえず一着仕立てることになり、あとはイゾルデとイングリッドの若い頃のドレスを直すことになった。今回は王城に行けるレベルのものを仕立てるため、仕立て屋も宝石商も鼻息が荒い。
楽しそうにアルマに布地をあてるヴァレンティナはすっかり面倒見の良いお姉さんで、ジグルドの残り香がなければ友人と錯覚してしまいそうだ。
「あの、ヴァレンティナ。マナー違反にならない程度の質素なものでいいの。どれだけ素敵なドレス作ったって、着るのはわたしなんだから」
鏡の前に座らせられる。映り込んだ自分とヴァレンティナの落差に溜め息が出る。
ヴァレンティナはアルマの自虐の滲む言葉など聞こえなかったかのように、アルマの頭や首元に片っ端から宝石をあてていく。
「アルマ。貴族の女の子って、綺麗な子が多いと思わない?」
「あ、そう。あれ、どうしてなのかしら? 男の人も、ジグルドみたいに造形が飛び抜けてるのは別としても、なんかビシッとしててかっこいいと思うわ」
「どうしてだか分かる?」
「え……綺麗なお母さんから生まれてきて、良いもの食べて、良いもの着てるから?」
「それもあるわ。でも彼らが美しいのは、そうあるよう求められて、そうあるように努めているからよ」
「………はぁ、なるほど? ヴァレンティナが美しかったり、わたしが祈祷できたりするのと同じってこと?」
「そう。アルマも、もうちょっと美しさに力を入れてみたら?」
「わたし?」
アルマのような生まれついての美女ではない女が美しさを保つのには、みっつ必要なものがある。
時間と、金と、美しさにかける執念。
残念ながらアルマには、全ての要素がちょこっとずつしかない。
そんなアルマに、美の伝道師のようなヴァレンティナはにっこりと笑った。
「アルマは可愛いほうよ。磨いてないだけ。頑張るつもりがあるなら、侍女……はいないんだったわね、大奥様の侍女とメイドに協力するよう言っておくわ」
可愛いほう。初めて言われた。
師匠が可愛い可愛いと言ってくれていたのは、顔の造形のことではない。ラースに言われた山猿という言葉は、実はラウルにも言われている。
鵜呑みにはしないがヴァレンティナがそう言ってくれるなら、とりあえず王都で挨拶をするまでのひと月、挑戦してみることにした。少しでもアルマの見栄えが良くなればジグルドも恥をかかなくて済むかもしれない。
ジグルドは王都の社交場には滅多に顔を出さないが、出す際にはヴァレンティナがパートナーとして参加している。ヴァレンティナは王都の社交場で知っておくべき情報にも詳しい。アルマの爪を手入れしながら、王都の人々の人間関係を説明してくれる。
現在、国王には愛人が五人いて、三番目の愛人の子が優秀なので王妃と養子縁組しようとしており、王妃との夫婦関係はバッチバチ。
優秀な庶子を推す能力主義派と第一王子を推す血統主義派がいるが、国王が健在のため今のところ双方大人しい。ウィンターハーンは無干渉を貫いているので不用意に話題に入ってはいけない。
因みに第三王子は女好きが高じてハーレムもどきを作っているので声をかけられても絶対に付いて行ってはいけない。第三王子の奔放っぷりを、王の血筋だとして、王妃の第三王子への態度は冷たい。
中央神殿でも聞こえていた話だ。全く関わりない世界だと思ってあまり聞いていなかったので良い復習になった。
「王妃様が悋気の強い方なので、王様はご機嫌をとるのに必死なの」
「ご機嫌とるくらいなら、愛人なんか作らなきゃいいのに……」
アルマは呆れた溜め息をつく。
跡取りがいないとかならまだしも、王妃は三人王子を産んでいる。
「男の人って、なんで浮気するのかなぁ。
浮気はするけど好きなのは妻だけって言う男いるでしょ? あんなの絶対嘘よね」
「そんなことないわ。他の女をどれだけつまんでても、好きなのは妻だけっていう男は沢山いるわ」
「まじかぁ」
嘆くアルマに、ヴァレンティナはくすりと笑う。
「アルマ。多くの男にとって、女の身体って、アルマにとっての甘いものと一緒なの。我慢できなくても、しょうがないのよ」
「えぇえ……じゃあ女は許してあげるべきなの……?」
「アルマ。例えばあなたが誰かと、今後一生、甘いものは一種類しか食べないって約束したとするでしょ。誰も見てないところでもずーっと我慢できる?」
「…………無理かも」
「もし約束した人がアルマにとって大事な人で、約束を破ったらお別れしなきゃいけないとしたらどう?」
「……我慢、するわ」
「じゃあ逆に、目の前の甘いものが大切な人の大事なものだったら?」
「我慢するわ」
「そういうことよ。
浮気する夫も、妻が好きよ。
妻のことも浮気相手のことも、たいして大事じゃないだけ」
「……それは、なんだか、悲しいわね」
「恋愛結婚じゃなくても、妻を愛して操を立ててる男もいるわ。男よりは少ないけど、女だって浮気している人はいる。
結局みんな、ひとりひとり別の人間よ」
「そうね……」
性を商売道具にしているヴァレンティナがそういう考え方なのは、少し意外な気がした。
「ヴァレンティナは、浮気は、しない方が良いって言ってるように聞こえる……」
「良いとか悪いとかじゃないわ。個人の判断よ。
性を快楽の手段にした人間は、一番幸せな愛情表現の手段を失う。そこに男も女もない。だから愛する人とだけ交わる性は尊いのよ。
でも人生で心を捧げたい相手と必ず出会える保証があるわけじゃないし、そんなふうに人を愛するのには素質が要るの。愛だけが人生でもないし、無理するより奔放に遊んだ方がハッピーかもしれないわ。
ウチにお金を落とすなら男も女も、通えば通うほど幸せな天国にイケる身体に育ててあげる♡」
「………………あんまり良い話にオチなかった……」
アルマはがっくりと肩を落とした。