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夜の酒盛り


 ウィンターハーン城砦の地下には食糧庫と酒蔵が並ぶ一角がある。管理人と何人かの衛兵が常在しており、その手前にはカウンターと椅子が並ぶだけの簡素な休憩所があった。

 ウィンターハーン城砦ではいつからか、ある程度の立場のある者はふらりとここへ立ち寄れば酒とナッツがつまめるようになっていて、談話室のような場所になっていた。

 酒を飲まないアルマもたまに立ち寄る。部屋の置きおやつであるタフィーが置いてあるのだ。メイドに頼めば持ってきてくれるが、なんとなく自分でとりにいく習慣になっている。


 神殿から戻りローラのマナー講座も終えて休憩所を覗くと、何人かの男に混じってマークとベンジャミンがカウンターでジョッキを傾けていた。半日ぶりのベンジャミンはアルマに軽く頭を下げる。久しぶりに会うマークはいつも通りの笑顔を見せた。


「アルマ様。こんなところでどうしたんですか」

「部屋のおやつを貰いにきたの。今日は何かの集まり?」

「いえ。俺とベンは一緒に来ましたが、あとは皆ふらっと寄った奴らですよ」


 マークと話すアルマに、周りの男たちの好奇と警戒の視線が刺さる。

 昼間の使用人たちの噂話を思い出して居心地の悪さに俯くと、マークがジョッキをカウンターに置いて立ち上がった。


「ベンの部屋で飲み直しますが、よろしければアルマ様もご一緒にどうですか?」

「わたし、お酒飲んだことないの」

「甘くしたワインやミードもありますよ」

「甘いお酒があるの?」

「飲んだことがないなら、好きかどうか試してみませんか?」

「そうね。でも、わたしが行くと、ベンジャミンが嫌じゃない?」


 アルマはちらりとベンジャミンを見遣る。『ジグルド大好きの会』会員のベンジャミンには、確か嫌われていたはずだ。

 マークはにこやかにベンジャミンのジョッキを取り上げる。


「そんなことないよなぁ?」


 視線を逸らせて押し黙るベンジャミンの脛をマークが蹴る。


「なぁ?」

「……ええ、まぁ、はい」


 渋々承諾するベンジャミンを気の毒に思いつつ、甘いという単語に誘惑されてアルマはふたりの後をついていった。


 ベンジャミンの部屋は装飾が少なく、全ての壁が本棚で犇めいていた。本以外のものが殆どない。トンプソンの部屋よりも蔵書が多い。同じ本がたくさん並んでいることを指摘すると、法令集や判例集なのだそうだ。


 マークが管理人に出させた酒瓶をソファテーブルに並べる。アルマは自分の貰ってきたおやつをその横に並べた。


「周りの人たちがふたりと話したそうにしてたけど、良かったの?」

「いちいち俺たちと話したい人間の相手をしてたら、他に何もできないですよ」

「そうなの? 人気者なのね」


 アルマの感想にマークは笑った。


「そうですよ。俺たちの気が引ければ、閣下にダイレクトに届きますからね」

「浅ましい。閣下は個人的に親しいかどうかで待遇を変えることはしない」

「まあそれは、俺たちは分かってるけど、当たり前のことではないからなぁ」


 マークが琥珀色の酒の入ったグラスを配りながらベンジャミンを脇でつつく。嫌そうな顔をしたベンジャミンは渡されたグラスをテーブルに置いてアルマの前で床に膝をついた。


「アルマ様。今更ではございますが、私の無礼な言動によりご不快な思いをさせてしまいましたこと、お詫び申し上げます」


 ぽかんとしてしまったアルマにベンジャミンが頭を下げる。

 ベンジャミンはアルマの輿入れ前のあれやこれやに憤慨し、アルマのことは祈祷を盾にジグルドを侮辱する女だと思っていた。初対面の暴言をジグルドに叱責され、真面目に仕事をしているアルマを見て反省したらしい。


「容易くお赦しいただけないのは承知しております。今後は言動を改めることだけ、お知りおきいただきたく」

「あ、はぁ。別にもういいですよ」


 あっさり赦したアルマにベンジャミンは拍子抜けした顔をし、もう一度頭を下げた。

 マークがにこにことベンジャミンにグラスを渡す。


「良かった。やっぱり閣下に近い人間同士は仲良くしときたいですから」


 マークがアルマを誘ったのは謝る機会を作りたかったのだろう。

 おそらくアルマのせいでベンジャミンが傷ついたことの方が多い。ベンジャミンとは顔を合わせることも少ない。言葉を交わしたのも初対面の時だけだ。そんな中で認識を改めてくれたなら良かった。


 マークとアルマの世間話を聞くだけだったベンジャミンは、酒が進むにつれて会話に混じりだす。男に多い、酒が入らないと砕けた話ができないタイプのようだ。丁度良いタイミングでマークがベンジャミンに話題を振る。難しい法律などの話になると、解説を入れてくれたりアルマが理解できる辺りまで話を引き下げてくれる。マークのこういうところ、ほんとにカッコいい。


「そういえばアルマ様はジグルドから、うちの諜報部の話はもうお聞きになりました?」

「アルマ様はウィンターハーンに来てまだ半年も経たない。そんなことは領の中枢の話だぞ。まだお話ししてはいないだろう」


 勝手に答えるベンジャミンにマークは苦笑する。


「そうだけど、もう話したのかなって思うことが何度かあって……アルマ様とは仲良くなれるようにだいぶ頑張ってるし」


 マークの言葉にアルマは目を瞬いた。


「………そんな、ことは、ないんじゃない? 諜報部の話も、聞いたことないわ」


 祈祷師としては尊重してくれているし、妻として予算などを割いてくれているのは分かるが、ジグルドは用件がなければアルマの顔を見にもこない。


「何を言ってるんですか! あんなに大事にされておいて!」


 すっかり饒舌になったベンジャミンがグラスをたんっとテーブルに置いた。


「閣下は、アルマ様がどんな方だろうと祈祷をしてくれる限り尊重しろと、何度も仰っていたのですよ!」


 うん。だから、そういうとこ。


 祈祷が大事なのであって、アルマと仲良くなりたいのかは分からない。今日なんか、髪を結っただけで男遊びを疑われた。自分は娼婦を呼んでるくせに。


「半月もマークを側に付けていた時点で、どれだけ大事にしているか分かりそうなものでしょう!」

「まぁそうだなぁ」

「だいたい、閣下がよくよく言い含めていなかったら、アルマ様などエリックに良いように使い倒されてますよ!」

「まぁそうだなぁ」


 はは、とマークが相槌を打つ。


 どういうことか分からなくて質問する。どうやら今までのエリックの配慮は全部ジグルドの命令あってのことだったようだ。


 ジグルドが悪女と評判の祈祷師を迎えると決まった折、城の中でエリックだけが歓迎した。

 これで収穫不良も財政難も全部奥様にヘイトを押し付けられるじゃないですかぁ。しかも挿げ替えられない、幽閉もできない理由つき。末永く領民の捌け口になってもらいましょう―――と満面の笑みだったらしい。ひどい。


「ジグルドは、アルマ様を駒のように扱うのは許さないと強く念を押してました。

 あんまり悪印象を持たれるのも困りますけど、エリックはそういう奴だというのは知っておいてください」

「良い奴でも悪い奴でもないです。あいつの血の色はたぶん緑か紫。あいつに言うこと聞かせられるのは閣下だけです」


 エリックはマークとベンジャミンと三人でジグルドの最側近だと聞いている。なのにこの言われよう。


「……昨日、ね。エリックと出かけたの。

 他人に寄り添うのは、健康に悪いからやめた方がいいって言われたわ。

 それは、なんてこと言うんだ、って思ったけど……わたしのために言ってくれたんだと、思った。違うかな?」


 アルマは、それはエリックの優しさだと思った。良い奴だと思いたいのは楽観だろうか。

 エリックとのやりとりを説明すると、それは一応親切心だと認定されてほっと息をつく。

 難しいな。


 難しいといえば、平民を区別しろという言葉も、まだアルマは咀嚼できていない。エリックはもう、アルマに噛み砕いて説明してくれる気はないようだった。


「城の外の人間とは親しくしない方がいいの?」

「あー………それは……難しい話ですねぇ」

「そうなの? でもマークも、わたしが出かける時に領主夫人だってばれないようにしてるでしょ? 同じことなのかと、思ったんだけど」

「………んー……説明するのが難しいんですよね。色んなことがあるので。平和ボケするくらいの時勢なら構わないのかもしれませんが、今はうちはこんな状態のうえ国境もキナ臭いし。

 でもまぁ、周りが気を付ければいい話なので、今すぐ分からなくても大丈夫です」

「………そう」


 マークは答えられることは基本的に教えてくれる。アルマが自分で分からないといけないものなのかもしれない。

 領主夫人の待遇を受けて、何ひとつその役割がこなせないことに負い目を感じる。ただの祈祷師としてここにいられれば良かったのに。


 アルマは琥珀色の甘い液体をくるくると回しながら、せめて自分にできることを丁寧に頑張ろうと思った。



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