平民女心検定
自分の顔が好きではないと呟いたジグルドの声からは、感情はあまり読めない。
だがジグルドが自分の好悪を口にするのは珍しいことだ。
それがジグルド自身に向けられた悪感情だということが、アルマの心に引っ掛かる。
そうなんだ。
昔なんかあったのかな。
これだけ美しいと、まぁ色々あったんだろうな。ここはひとつ、理解ある風に相槌を打つのが正解だろう。
そっか、つらいことあったんだね、とか。
良いことばかりじゃなかったよね、とか。
何かジグルドの心に寄り添う言葉を―――
「―――贅沢ぅ!」
いや無理だわ。
「いや、ごめん、色々あるんだろうけど。贅沢ぅ!
それ他の人の前であまり言わない方がいいわ。億万長者が、お金嫌いって言ってるようなものよ。億万長者の苦労なんて、貧乏人には分からないんだから顰蹙買うだけよ! わたしがその顔だったら一日鏡の前で過ごすもの!」
「……それでは、仕事にならない」
「そうね。ジグルドはその顔で、鏡ばかり見てないで仕事してるだけで偉い」
「……そんなに?」
「わたしが典礼大臣なら、国宝として保護します」
「そんなに??」
ジグルドが呆れた顔になる。
そのままじっとアルマを見つめて黙ってしまった。きっと何か考えているのだろう、眼光がだんだんと鋭くなる。ほんとに顔立ちは国宝並みだ。しかし顔つきが悪い。
怒らせてしまったのだろうか。
知ってる。自分はちょっと、考えを咀嚼する前に口に出す癖がある。直したいと思ったことはあるが、なかなか難しいのだ。
逡巡するように口元を撫でていたジグルドが何かを呟く。聞き取れなかったアルマが傾聴の姿勢をとると、ジグルドはアルマの方を向いて座り直し、尋問官の如き形相で言い直した。
「……………………平民の、女心とは、なんだ」
「……はい?」
なにて?
「平民の女心とはなんだと聞いている。
私は今まで女の気を引こうとしたことがないし、平民の女と私的な会話をしたのもマリーが初めてだ。………私では贈り物のひとつも思いつかない」
え?
あっ、あ、なるほど?
城から出してしまったマリールイーズに贈り物をしたいのかな?
「指南書を探させたが、貴族の令嬢相手のものしか見つからなかった」
なにて。
恋愛指南書? その顔で?
探せと命令された時の使用人の心情が察するに余りある。
「えっ? それでそれ、わたしに聞くの?」
「あなた以外の誰に聞くんだ」
確かに。
何を喜ぶかは人それぞれでも、ジグルドよりはアルマの方が正解に近いだろう。妻に恋人とのコツを聞くなんて正直クソだが、ジグルドに他の平民の女友達なんてきっといない。
冷血の魔王に恋愛相談されるまでになった!
ジグルドはアルマを慮ってマリールイーズを城から出したのだ。優しさには優しさを、友情には友情を返すべき。ここは友人としてひと肌脱がなくては。
アルマ自身は恋愛ごとに縁が無いが、知識だけはある。妄想が趣味の師匠によるエリート教育を施されている。こんなところで活用できるとは、人生何が役に立つのか分からないものだ。
「分かった。わたしが練習台になってあげる。一緒に、平民女心検定合格点を目指しましょう」
「練習台……」
「誰しも初めてのことは失敗するものよ。いくらジグルドがイケメンでアドバンテージがあったって、本番の前に練習しておかなきゃ。
言っとくけど、普通はこんなの請け負わないのよ。友達だから、特別よ」
「練習と本番は何が違う」
「?」
そんなの相手が違うに決まっているじゃないか。
「失敗しても練習だったらやり直せるわ」
「………そうか。それは、助かる」
大丈夫。ジグルドは頑張り屋さんだ。
平民だ女心だと言ったって結局は人と人とのこと。歩み寄る気持ちがあればその距離は縮むし、山だって乗り越えられる。
「ジグルドは、女の子には何を贈ったら喜ぶと思う?」
「………………ドレスや宝石を喜ばないなら、もう思いつかない。既に衣食住の必要は満たしている」
ジグルド。衣食住の必要は贈り物じゃない。支援だよ。
「わたしも貴族の男性の考えは分からないから、まずは縮めるべき距離が知りたいわね。ジグルドは、今まで贈られた中で一番嬉しかったのは何だった?」
「陛下から頂いたセレーナ川の航行権だな」
「そういう領主としてのものじゃなくて。個人的なもの。で、あまりお金のかからないもの。
すぐじゃなくていいわ。ゆっくり思い出して、教えて」
「…………分かった」
生真面目な返事。なかなか良い生徒になりそうだ。
なんだか微笑ましくて笑ってしまうと、ジグルドが睨むようにアルマを見た。
「………なんだ」
「ううん。ジグルドは、どんなものが嬉しかったのかなって思って。わたしもジグルドのことが知れるの楽しみだわ」
そう言うと、ジグルドは眉根を寄せて視線を逸らせた。
翌週アルマが祈祷から戻ると、部屋のテーブルの上にリボンの巻かれた大きな紙箱があった。
ジグルドからの贈り物だ。
わくわくと中身を想像しながらリボンを解く。
逸る気持ちを抑えてそっと蓋を開ける。
入っていたのは、歴戦の戦士の鎧を想起させるような立派なクワガタ。
腐葉土と熟れたバナナが香る。
アルマはそのままそっと蓋を閉めた。
乗り越えるべき山は高い。
闘志が燃えるぜ!