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西棟の広間


 ウィンターハーンの守護神と呼ばれた先代辺境伯。その片腕であり、現在はウィンターハーン城砦の城代を務めるヘルムート・ウルフスが四日前に高熱に倒れた。熱の下がらない彼が西棟に運び込まれた時は城内が騒然とした。


 既に日の暮れた中、ヘルムートを祈祷するためアルマとアンダースは彼の個室を訪れた。

 しかし戦場を退き歳を重ねてなお屈強な戦士は、下がらない熱に荒い呼吸をしながらもきっぱりと祈祷を拒絶した。


「私のような無粋な田舎者に祈祷師様の時間を頂くなど、過分な光栄でございます。お捨て置きくだされ」


 そんな訳でアルマはヘルムートの看病は諦めて、他の重症患者が収容されている広間に足を運ぶ。

 風邪がうつらないよう部屋の外で待っていたアンダースがアルマを先導しながら石造りの階段を申し訳なさそうに下る。


「御足労いただいたのに面目もございません。私の浅い考えで奥様に不愉快な思いをさせてしまいました」

「大丈夫よ。慇懃な態度で裏で嵌めようとされるよりずっといいわ。ウィンターハーンは正直な人が多いわね」

「ヘルムート様はまだ奥様のことを誤解していらっしゃるのです。もう少し、時間を差し上げてください」


 ヘルムートは古くからウィンターハーン家に仕える家系であり、ジグルドの祖父の片腕として仕えてきた。主に辺境軍を指揮する忙しい男は、十年ほど前まで時間を作ってはジグルドの鍛錬の指導にあたっていた。

 それは主家の嫡子に対する忠義であるとともに、両親から嫡子としての厳しい期待しか受けられなかった子どもへの気遣いであったことを、この城の誰もが知っていた。幼かったジグルドが、その時間を楽しみにしていたことも。


「城の広間にあったハンティングトロフィーをアルマ様のために下げたのが、変に伝わってしまったようで……あれは閣下が幼い頃にヘルムート様と狩猟に行って、初めて仕留めたものです」


 いや知らんがな、と呆れる一方で、大事なものをアルマを慮って下げてくれたジグルドに驚く。友達になろうと言った時にはあれらは下げられていたように思う。アルマと仲良くなったからではなく、妻として、或いは祈祷師として、この城に来た時からずっとジグルドには配慮があった。恋人と馴染みの娼婦はいるが、それは恐らく貴族の夫婦としてはよくあることだ。


(なのにわたしは、妻の立場を振り翳してマリールイーズを追い出す……)


 イゾルデのためとはいえ、そんな伝えていない事実はジグルドは知る由もない。

 良かれと思ったことだが、本当に良かったのか。

 イゾルデの心を守るために、ジグルドを傷つけたのではないか。あっさり認めてくれたのは、祈祷師であるアルマの機嫌を損ねるわけにはいかなかったからではないのか。


 そう思いはしても今更だ。

 アルマには返せるものが何もない。


 黙り込むアルマに、アンダースが遠慮がちに問うた。


「………あの、奥様。大変な差し出口とは存じますが、理想の男性像などについてお伺いしても?」

「なにて?」

「奥様の、男性の好みを」

「何のために??」

「恐れながら我らが閣下は、伸び代だらけの夫君と愚考します。努力すれば、奥様の理想にきっと届くと思うのです。私が微力ながら精一杯の力添えを」

「何言ってるの。ジグルドがわたしの好みに合わせたって意味ないじゃない」


「…………………いみ、ない、でございますか」


「わたしとジグルドは肩書きだけの夫婦だもの。わたしなんかより恋人の好みをちゃんと確認してあげて」

「恋人。アルマ様は、閣下に、恋人がいても、構わない、と?」

「全然構わないわ。あ、クリスに紹介する時はちゃんと言葉を選んでね」


 アルマが人差し指を立てて注意すると、アンダースは悲しそうに手で額を押さえた。


「………………あの、奥様。私がこんな事を言っていたのは秘密にしていただけると。閣下の耳に入れば、お怒りで城を出されてしまうやも」

「そうなの? 気をつけるわ。アンダースはジグルドに必要な人なんだから、こんなことに職場生命かけないでちょうだい」


 アンダースが重い扉を開けると、広い空間の石畳の上に簡易ベッドが並び、二十人ほどが横たわっていた。腐敗臭と体臭を、薬草の臭いがますます強烈な悪臭に仕上げている。


「アンダース、うつるといけないから貴方はもう戻って」


 流行り風邪は一度罹ると同じものには罹りにくくなる。広間では風邪から回復した兵士と使用人が四人で看護にあたっていた。アンダースからアルマの好きにさせるよう言われた兵士は怪訝な目でアルマを見る。


 ランタンの灯りを頼りにひとりひとりの枕元に行って手を握る。半分くらいは放っておいて大丈夫そうだ。崩れかけている人を順番に軽く整えていく。


 窓際のベッドの枕元へ行くと、呻いている男の顔に見覚えがあった。


 アルマを王都まで迎えに来た騎士だ。

 馬車に乗り込むアルマに悪態をついて、周りの騎士たちに取り押さえられていた。

 淫売め、と睨めつけてきた茶色い目は今は閉じられている。ふっ、ふっ、と浅く弱い呼吸をする度に僅かに上下する胸元を見ながら手を握る。


(これは、だめだ)


 彼はおそらく、今晩死ぬ。


 穏やかに凪いでいく植物と違い、動物の死に際の霊流はいつもアルマに言いようもない焦燥感を齎す。触れているとばくばくと心臓が逸り、不安と恐怖に押し潰されそうになる。

 アルマは震えそうになる両手で男の手を握り直す。流れ落ちる砂を掬うように、波を宥めるように、できる限り丁寧に男の霊脈を整える。整えた端から崩れていく。あと数時間、穏やかな霊流が彼を包むよう、細やかに流れを拾い、男の霊脈を調整する。


 数日間全力で祈祷すればこの男は助かるかもしれない。だが、それはできない。そんなことをしたらアルマはおそらく潰れてしまう。

 アルマがすべきことはまず自分で自分の面倒をみること。そしてウィンターハーンを整えること。その余力でできることは、本当に少ない。


 きりがついた時にはすっかり夜も更けていた。

 疲れと死への恐怖で震えそうになる身体を叱咤して、看護人のために改装された小屋で身体を湯で流し、新しい服に着替えて主棟に戻る。湯殿を準備してくれていたアンダースに、使用人たちの小屋で身体を洗うなど二度としないようにと厳しく注意されて、その日は寝台に倒れ込んだ。



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