流行り風邪
アルマがミスティグでの祈祷に精を出している間に、領都グゼナ一帯で流行っている季節外れの風邪が城砦内でも広がり、ウィンターハーン城砦は人手不足に見舞われていた。
領主一族の居住区に入る人間を無闇に増やすわけにもいかず、そんな中でイゾルデとその侍女のローラが寝込んでしまった。クリスは限られた使用人とトンプソンとのみ面会を許され、隣の領へ出かけたラースには日程を延長して帰ってくるなと連絡を入れているらしい。
城へ戻った翌朝、アルマはちょっとした甘いものを貰えないかと使用人を探して廊下を歩いていた。何人かの使用人が廊下の隅に集まってざわついている。首を突っ込んでみると、イゾルデの朝食を誰が運ぶかで揉めている。
まだベッドにいるイゾルデは男性使用人の入室を許さないが、メイドたちは大量の洗濯物と掃除に追われており、厨房の女性使用人は大奥様の部屋に入るなんて恐れ多いと泣き顔だ。
アルマは遠慮する使用人たちを押し切ってワゴンを受け取り、イゾルデの部屋に運ぶ。昨日漸く熱が下がったイゾルデに可能な限り食事をさせるというミッション付きだ。
初めて入るイゾルデの部屋は、深いモスグリーンの壁紙にダマスク柄の焦茶のカーテンが落ち着いた雰囲気をもつ、イゾルデらしい部屋だった。
半月ぶりに顔を合わせるイゾルデは寝衣のままベッドに座っていた。昨日まで寝込んでいたとは思えないほど端然としている。膝の上の手紙を読みながら隣の女官に代筆をさせている。
ベッド脇にワゴンを寄せたアルマを見て、イゾルデは手紙を捲る手を止めた。
「アルマさん。給仕など、領主の妻のすることではありません」
「そんなことないですよ。看護は専門家がいれば専門家がするものですけど、手が足りなければできる者がするものです」
イゾルデのいつも通りの元気な声に、アルマはほっとして小鍋からお椀にオーツ麦のミルク粥をよそう。
「どれくらい召し上がれそうですか? わたしの素晴らしい機転で蜂蜜をつけてもらいました。お好きですか?」
「食事は甘くするものではなくてよ。……せっかく持ってきたのだから、今回は頂こうかしら。
戻ってよろしいわ。食事くらいひとりで食べられます」
「だめです。どれくらい食べられるようになったか報告しないといけないので」
許可もなくベッド脇の椅子に座るアルマにイゾルデが顔を顰める。アルマは蜂蜜を混ぜた粥に木匙を入れてトレイをイゾルデの膝に置いた。
「ほら、ほら、食べちゃってください。いつまでもアルマさんが居座ってしまいますよ」
揶揄うように食事を勧めるアルマにイゾルデは無言のまま何か言いたげな視線を向ける。
「………居座ってほしいんですか?」
アルマは椅子に座り直した。
「わたしに何か、お話がありますか?」
イゾルデはふいと顔を背けて咳払いをした。
「あなたの影響か、先日クリストファーが廊下を走っていました。あなたはウィンターハーンの嫁なのですよ。早く淑女としての振る舞いを身につけなさい」
「すみません。廊下は走らないように気をつけます。クリスにも言っておきます」
「………仲が良いのね」
「あ、はい。仲良しです」
何かクリスとの関係で文句を言われてしまうのだろうか。授業に関してはトンプソンが認めてくれたので問題ないはずだが。
静かに次の言葉を待っていると、イゾルデが強張った声で呟くように言った。
「………あなたは、クリストファーが憎くはないの。この家はあなたの子ではなくあの子が継ぐのよ」
「憎くないですよ。わたしの子が跡継ぎだとか言われる方が困っちゃいます」
「最初からつらくあたった私は憎いでしょう。看病なんか、無理にしなくても」
「イソルデ様は、まだ点数が足りないですね」
「点数」
「ヘイト点数です。嫁いびりは飽きましたか? 最近手を抜いてますよね」
「………………。
そうね、絶対にあなたを泣かせてやろうと思っていたけど、全く手応えがなくてもう飽きたわ。絶対に、絶対につらい思いをさせてやろうと思った。
………ジグルドが王都まで頭を下げに行って貰った嫁が、浮気をした挙句に指輪を売り払ったと聞いて、我慢ならなかった………」
イゾルデは感情を抑え込むように拳を握る。
アルマからしてみればこの結婚は、ジグルドが何度断られても聞く耳も持たずに権力を振り翳して組んだ縁談だ。アルマが誰と何をしようと、貰ったものをどうしようとどうこう言われる筋合いはない。それで怒るのなら罵るなり鞭打つなり好きにすればいいと思った。
だが、誰かをこんな風に傷付けたいわけではなかった。
「………そうですか。すみませんでした。
わたしの、結婚前の諸々については、相手が多すぎてきりがないので、これから真面目に働いて返したいと思います」
「どういう意味?」
「ジグルドには、大切に思ってくれる人が沢山いるようなので。
わたしのしたことは、きっとジグルドを大切に思う人皆を傷付けました。わたしにも事情があったので反省とかはしませんけど、傷付けてしまったことは申し訳なく思います」
あっさりした口調で言い切るアルマを見て、イゾルデは複雑な顔で眉を下げた。
「……あなた、妙なところで淡白よね……」
「そうですね。割とクール系です」
「そうは言ってないわ」
む? 違うの?
「……あなたのような人にも、赦せない相手はいるのかしら」
「赦せない相手……どうでしょう。たぶん沢山いますけど普段あんまり考えないですね。わたしはこう見えて忙しいのです」
アルマがそう答えると、イゾルデは何かを諦めたように溜息をついた。
「……クリストファーは、あなたが来る前は、あまり話さない大人しい子でした」
そう言って、記憶を辿るように目を細める。
「本当に明るくなった……元気で、可愛らしい………
私たちがきちんと守れていれば、ジグルドのあんな姿を見られたかもしれなかったのに。イングリッドが躍起になってジグルドに厳しくしていた時、力づくででも止めていれば」
イゾルデは暖炉に目を向ける。アルマが追ったその視線の先には肖像画が飾られている。手前に描かれている小さなふたりの男の子は、おそらくジグルドとラースだ。
「ジグルドのお母様は、どうしてそこまで」
「……前の祈祷師が帰ってしまって、私はクヌートに王都へ謝罪に行くよう何度も提案したわ。でもイングリットがその度に、神殿はあの男の身柄を要求する、そうなったら自分も生きていけないと泣くので、私たちはどうしても振り切れなかった。
時間が経つごとに皆があの男を責める声が大きくなって―――イングリットは、その声からあの男を守るためには、あの男の子どもであるジグルドが完璧な後継者に育つしかないと、―――」
「その時、お父様は何してたんですか」
「困った顔をしてたわ」
「役に立たねぇ」
うっかり口を滑らせたアルマに、イゾルデは少し笑った。
「ほんと。ほんとそうよ。
何度かクヌートは王都へ行こうとしたわ。イングリットはその度に食事を断って抗議した。クヌートも私も、娘可愛さに折れてしまった……ほんとに、役に立たない。
守られるべきはジグルドとラースと、領民たちだったのに」
肖像画よりも遠くを見ているイゾルデの言葉。それは幼かったジグルドとラースに向けた謝罪のように聞こえた。





