ミスティグ鉱山の霊脈
馬車と馬の番にふたり残して倒木を越える。先頭を歩く兵士がカランカランと乾いた鐘の音を響かせている。天狼避けの鐘だ。
天狼は狼に似た大きな魔獣で、とても知能が高い。その鋭い牙で大きな猪でも容易く仕留めてしまう。森の王とも呼ばれる天狼は、この鐘の音を鳴らしていると不思議と近寄ってこないことでも知られている。この辺りは大森林の中にしては魔獣が少なく、天狼の他には脅威となる魔獣の目撃情報はなかった。
途中、コートを渡されたので何かと思ったら風穴を抜けて行くらしい。縄梯子を降りると、もう春も終わろうという時期なのに一面氷に包まれている。
入口から差す陽光が幻想的に広がる。
初めて見る風景にきょろきょろしていたら、兵士たちに足元を見て歩くよう注意されてしまった。革靴に眉を顰めてしまったアルマのために用意された布靴には、底に何かの滑り止めが施されていて、平地を歩く時にはその抵抗が歩きづらかった。この場所のためだったのかと納得する。岩壁に打ち込まれた縄を辿りながら凍えるほど寒い暗い道を抜けて縄梯子を登る。急に開けた空の明るさに目が眩む。
地上からアルマを引き上げてコートを預かってくれた兵士が、もう少しですよと声をかけてくれた。
遠目で見るとただの茂みだったところに岨道が通っている。一歩ずつ踏み締めて登る。冷えた身体がすぐに温まって汗で顔に髪が貼り付く。目に汗が入ってしまい拭いながら顔を上げると、アルマだけが息を切らせているようだ。
足を止めて深呼吸すると、少し気になる流れがあった。
意識を集中させる。左の崖の上から途切れがちな流れを感じる。
アルマの身長よりやや高いくらいの崖。登れるかな、と迫り出した木の根に手を掛けて這い登ろうとし、豪快に滑った。
前で下草を踏んでいた兵士と、後ろにいたラースが慌てて駆け寄ってくる。
「奥様、大丈夫ですか」
「ごめんなさい。登れるかと、思って……」
「山猿かよ! 貴族の女が何やってんだ!」
流れがどうしても気になる。
「ヤコブ、ここ、登りたいんだけど」
ヤコブが意見を聞く誰かを探してきょろきょろし、ラースに伺うような視線を投げる。その視線をそのまま渡された兵士が一歩前に出た。
「三十分ほどなら寄り道をしても問題ありません。それ以上ならどちらかを諦めてください。三時間を超えるなら、奥様とラース様に夜の風穴を通らせるわけにはいかないので、野宿です」
とりあえず行ってみないと分からないので、アルマは兵士の肩を踏み台にして崖を登る。先に登っていた兵士が手を引いてくれた。よじ登ったので服も顔も土まみれだ。後から颯爽と登ってきたラースが、この汚いのが兄嫁なのかとさめざめと泣いた。
霊気の流れがアルマを掠める。
辿って行きたくて足を向けるが下生えが邪魔をする。もがいていると兵士が低木を蹴り倒してアルマを抱え上げて運んでくれた。兵士の皆さんのブーツは鋼が入っているらしい。流れに逆らって進むと、樹木が途切れて崖が現れた。
バルスク大森林を見下ろす崖の先。自然のものには見えない平らな岩が敷かれている。
たぶんここは、祈祷のための場所だ。
その中心に立って、ゆっくりと息を吸う。更にゆっくりと丁寧に息を吐く。何度か繰り返して、瞼を閉じる。
霊気の流れが生まれる源泉と呼ばれる場所。
霊気が上手く流れずに不規則な波が澱みを作っている。
意識を潜らせて霊脈に触れる。
領都の神殿のものよりも荒く脆い。
その道筋は領都と繋がっている。霊流が澱んでいなければ、神殿からでも祈祷は届くのかもしれない。
アルマは振り返りざま道案内の兵士に問うた。
「鉱山はどっちですか?」
兵士は周囲の森を見渡してから南側の山の赤茶けた岩肌を指差した。
よく見ると土砂を運搬するための台車などが放置されている。鉱山と言うからには大きな掘削の装置などがあるのかと思っていたが、そういったものは見当たらなかった。
目を細めて霊流を見る。
あの一帯を含む中心はここだ。
「目的地、ここです。とりあえずきりのいいところまで祈祷するのに丸三日くらいかかりそうです。野営の準備をしてもらえますか?」
「だめだ。この場所なら下の村から通える」
アルマの言葉をラースが遮った。
「この辺りはたまに天狼が出る。已むを得ない理由がないなら夜の森には滞在しない」
「でも、通いだと毎日三時間くらいしか祈祷できないですよ。一週間じゃ終わらないと思います」
「だめだ。一週間でも十日でも、村から通え。
俺は管理官と話が終わったら帰るが、兵士たちは置いていく。お前みたいな山猿でも、大事な祈祷師だからな」
「ラース様……」
ぶっきらぼうにそう言うラースからツンデレの香りがする。髪を掻き上げる姿が役者顔負けでかっこいい。
「あの、ラース様がわたしの心配してくださっているのは分かるし、ありがたいんですけど、その方が鉱山も早く再開できるし」
「だめだ」
「ここに滞在する間、領都の祈祷もお休みになっちゃうし」
「だめだと言っている」
「だって! 半月もわたしのクリスに会えないなんて!」
「お前のクリスなんていうクリスはいないんだよ!!」
結局、アルマは下の村に滞在することになり、ラースは騎士に色々と言い残してミスティグの街に向かった。





