はじめましてのお義祖母さま
翌日、アルマはなんとか自力で昨日と同じドレスを着た。顔を洗う湯を持ってきたメイドが困惑した顔で背中のリボンを直してくれた。
昨日通った廊下には当然ながら昨日と同じハンティングトロフィーがある。熊、狼、鹿などに混じる魔獣の首。勇猛を良しとする土地であることがひしひしと伝わる。アルマはできるだけメイドの後ろ姿だけを見つめて足を進めた。
顔合わせをする天井の高い談話室に通される。
執事のイェンスにソファを勧められて座る。
ローテーブルの向かいに座る貴婦人は不機嫌な顔で目を細めているし、小さな貴公子は無表情な顔で目を伏せていて視線も合わない。
そんな空気を無視してイェンスが二人を紹介した。
「閣下のお祖母様のイゾルデ様と、御養子のクリストファー様です」
「はじめまして、アルマです」
アルマが頭を下げるとイゾルデと紹介された貴婦人は更に目を細めた。
イゾルデも美人だが、隣に座る少年は人間離れした可愛らしさだ。昨日会ったジグルドとの血の繋がりが濃く見える。養子は甥だと言っていた。おそらく弟のラース・ウィンターハーンの子だろう。
イゾルデが歳の割に若々しい声でぴしゃりと言う。
「平民のような挨拶だこと。これでは社交は難しいわ。領地運営のことも何も知らないというじゃないの。それで領主の妻が務まるとでも思っているのかしら」
それはそう。
そんなことはアルマが一番思っている。
それでもと望んだのはウィンターハーンなのだから、祈祷以外をあてにされても困る。アルマは売っぱらった結納品の代金分働こうと思っているだけだ。蒼玉の婚約指輪、その他宝飾品、ドレス、小物、………
………………
ありゃ?
内臓でも売らなきゃ返しきれないな??
祈祷師の身体は闇市場で高値で売れる。何かの儀式の供物になったり生薬になったりするらしい。世の中には色んなことを思いつく人がいるものだ。一応アルマは、それは選択肢に入れないことにしている。
アルマは立ち上がって、神殿の応接バイトで身につけたお辞儀で精一杯丁寧に頭を下げた。
「お目にかかれて光栄ですイゾルデ様。高貴な生まれではないため不調法があるかと思いますが、ご寛恕くださいませ」
定型文の挨拶をすると、イゾルデは少し目を見開いてから咳払いをした。
「きちんとできるなら初めからなさい」
「いえ、このテンプレ挨拶しかできません。必要なことは仕込んでいただかないといけませんが、高い期待にはお応えできないと思います」
「努力するつもりはないということかしら」
鋭いイゾルデの言葉に、俯いている小さな貴公子の肩がびくりと震えるのが見えた。
「努力は、ぼちぼち、するつもりですけど」
アルマの返事が気に入らなかったのか、イゾルデは苛立ったように溜息をつく。
「あんな移民の娘が城にいると考えるだけでも頭が痛いのに、嫁までこんな娘だなんて、ジグルドは何を考えているの……」
移民の娘。誰のことだろう。
ジグルドが囲っていると噂の女性のことだろうか。
アルマはちらりとイェンスを見る。執事は穏やかな表情を動かすこともなくアルマの視線を黙殺し、話題を変えた。
「クリストファー様のご両親であらせられる、閣下の弟君のラース様と奥様のフレイヤ様は、現在王都のタウンハウスでお過ごしです。タウンハウスには他に、クリストファー様のご兄弟のフレデリク様とシニャ様がいらっしゃいます。
閣下の御家族は以上でございます」
追放されたと噂のジグルドの両親がいない。もはや縁を切ったということなのか、はたまたもう生きていないのか。
多少気にはなるが、アルマはまだ踏み込んだことを聞くほど近しくなっていない。
アルマは領主の妻としての技量を見込まれて嫁いできたわけではない。神殿で学問はしていたが、それはまた別の話だ。祈祷の合間にちょっと頑張ってなんとかなると思うほど貴族社会を舐めてはいない。それよりもアルマがすべきことは、祈祷のはずだ。
「あの、領地のことをあまり知らないので、見て回りたいんですが、馬車とか借りられるものですか?」
「アルマさん。まずはご自分の格好を整えなさい。あなた、部屋で襤褸を着ていたそうね。ご実家のことは知りませんが、ウィンターハーンの嫁が許されることではありません」
「すみません。神殿ではずっと制服だったので、ああいったものしか持ってないんです」
「? ジグルドが贈ったドレスを全部拒否したのだから、ご自身のもっと良いものをお持ちなのでしょう」
「いえ。部屋で着てたようなのしか持ってません」
「? ではなぜ売ったの」
「売れたので」
イゾルデは理解不能の生き物を見る目でアルマを見る。
「……急に言われても、ドレスは一日二日で出来るものではないわ。ローラ、何かあるかしら」
「新しいもので予備が揃っているのはメイドのお仕着せくらいです」
後ろに控えた侍女の答えに、イゾルデは一瞬困ったように眉を下げてから、ぱっと意地の悪い顔で笑った。
「だそうよ。アルマさん。メイドの服を着ていただくしかないようね?」
「ありがとうございます」
良かった。
ドレスはいざという時の一着しか残していない。神殿に入ってから十年、日中はずっと制服だったので普段着というものに思い至らなかった。
贈答品を売っぱらった女に更に新品の服をくれるとは親切な職場だ。
礼を言うアルマに、イゾルデはぱちぱちと目を瞬かせ、また不思議な生き物を見る目をしている。
「メ……メイドの、お仕着せを着ていただくしかないわ!」
なんで同じこと言った?
はっ! 謝意が足りなかったか!
「ありがとうございます! 大事に着ます!
それで、わたしの今後の行動はどなたと相談すればいいですか?」
アルマの質問が聞こえなかったのか、イゾルデはすっと立ち上がってこめかみを押さえる。
「………気分が優れないので失礼するわ。イェンス、良いようになさい」
「はい。閣下が戻られるまで、アルマ様にはマークを付けます。
本日のアルマ様の食事は大食堂に準備してよろしいですか」
そう問われて、イゾルデは渋面を緩ませてまた嬉しそうに口の端を上げる。
アルマは貴族の女性はもっと表情が読めないものと思っていた。イゾルデは表情豊かでなんだか可愛らしい。
嬉しそうなイゾルデは、ちらちらとアルマを見ながら居丈高に言う。
「そうね! アルマさんがどうしてもと言うなら、そうしても良いかもしれないわね?」
「わたしはどちらでも」
「えっ」
イゾルデは青い目を大きく開いて、暫く呆然とアルマを見つめてから、今度は眉を吊り上げた。
「―――そう、なら、ずっとお部屋でお食べなさい」
言い捨てて談話室を出ていく。
怒らせてしまった。
もしかしてアルマと食事をとりたかったのだろうか。アルマの第一印象はあまり良くなかったように思えたけど。
ふと見ると、小さな貴公子が心配そうにこちらを見ている。
アルマは改めて少年の姿をゆっくり眺めた。
白い肌。頬に赤みがさしている様子は瑞々しい桃のようだ。細く淡い金の髪が、大きなベビーブルーの目の色と馴染んでいる。今絵画から飛び出してきた天使だと言われれば信じてしまうだろう。
可愛い……
これはとんでもなく可愛い!
この子、貴族で良かったな。
こんな綺麗な子が平民だったら、誘拐犯が列を成してしまう。なんならばアルマもうっかり並んでしまいそうだ。
「はじめまして、クリストファー様。アルマです」
「……クリストファー、です」
子ども特有の甘い声。
少しおどおどした感じも、たまらなく庇護欲を掻き立てる。
「クリストファー様は、アルマと仲良くしてくれますか?」
「仲良く……」
「してくれたら嬉しいです。考えておいてください」
「うん……」
なんだかんだ、アルマも美形は大好物である。
こんな可愛い子が仲良くしてくれれば、毎日うきうきと過ごせるに違いない。