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祈祷師アルマ


 太古から世界には霊気と呼ばれる不思議な力がある。霊気の流れである霊流が乱れると、その土地では収穫が落ち、病が蔓延り、魔獣が増える。

 霊流の道筋を霊脈といい、それを作り変える能力は稀に女性にのみ顕れる。この国では彼女たちは祈祷師と呼ばれ、祈祷によって世界が人々に優しくあるよう整えることを使命としている。アルマもアルデンティア王国の中央神殿が抱える祈祷師のひとりだった。


 アルデンティア王国では祈祷師は必ず中央神殿に属し、神殿の指示のもと各領へ派遣される。王都以外の土地に嫁いだ場合のみ、嫁ぎ先の領内での祈祷が許される。

 王都以外の領が祈祷を受けるには、神殿から祈祷師を派遣してもらうか、神殿の許可を得て腹心や地元の有力者の妻として祈祷師を迎えるしかない。


 婚姻に際して祈祷師の実家には、相手の家から相当の結納金が、神殿からは祝金が渡る。大きな領の有力者に嫁ぎコネクションを得ることも多い。故に、平民の中に見出された能力者は、しばしば貴族や豪商に養子として迎えられた。

 そんなことは知らないアルマの父親は十二歳のアルマを二束三文で人買いに売り、人買いはそこそこの値段でフォルマン男爵に売った。

 フォルマン男爵の雇った家庭教師は嗜虐趣味で、文字も読めない幼いアルマを鞭打って教養を叩き込んだ。十四の歳で神殿に入ったアルマはそれをあっさり告発し、以来アルマの後見は中央神殿となった。


 アルマは結婚に興味がない。祈祷以外にも黙々と雑務をこなすアルマは神殿でも重宝され、恙無く日々を過ごしていた。このまま中央神殿の指示に従って祈祷をしながら歳をとり、引退時に支給される報奨金でまったり余生を過ごす。

 そんなアルマの人生設計は、唐突な辺境伯の来訪によって音を立てて崩れた。


 三ヶ月前、アルマたちの働く中央神殿にウィンターハーン辺境伯がやってきて、祈祷師を妻として連れ帰ると言い出した。長い間ウィンターハーン領への祈祷師の嫁入りに難癖をつけていた中央神殿が、領主夫人としてなら出してやると口を滑らせたらしい。

 通常、祈祷師の婚姻は求婚された祈祷師がそれを受け入れて神殿に申請するもので、神殿が斡旋するものではない。慣れない縁組仕事に神官たちは希望者を募ったが、多くの若い祈祷師たちは泣いてこの縁談を嫌がった。辺境伯の美貌に熱をあげた娘もいたが、実家の反対により話がまとまらなかった。


 ウィンターハーン辺境伯は当年とって二十五歳。

 行き遅れではあるが同い年のアルマならギリギリセーフでは? という失礼な結論で、アルマにお鉢が回ってきた。アルマには反対する実家がなかったからだ。


 アルマは勝手に結ばれた婚約に抵抗した。結納の品を頑として受け取らず、男癖も人遣いも金遣いも荒いという悪評を吹聴して回った。男と同衾している現場を下女に目撃させることまでした。


 それでも構わないと言う辺境伯。

 毎日説得に訪れる、これまで話したこともない枢機卿たち。


 祈祷師に婚姻を強制はできないことになってはいるものの、この国では神殿の許可がなければ祈祷はできない。アルマは祈祷師を辞めたくはなかった。

 最終的にアルマは折れた。


 そうして輿入れの段取りが決まったが、抵抗していた二ヶ月の間に吹聴した噂がウィンターハーン城砦で広まり、アルマへの心象の悪さから式などは執り行わないと伝えられ、花嫁は誰からも祝われることなく荒れた辺境伯領へやってきた。



 ジグルド・ウィンターハーン辺境伯との、たった五分の顔合わせが済んだアルマは、階段を登って部屋に案内された。廊下の壁に飾られたハンティングトロフィーに、いちいちびくりと肩を竦めながら進む。


「後ほど、部屋付きのメイドがふたり参ります」

「そういうのは要らないわ」

「……左様でございますか」


 案内してくれたメイドは頭を下げて退室した。


 アルマは男爵家の養女になってはいるが、誰かに仕えられた経験はない。部屋にふたりもメイドがいても困ってしまう。


 塔の最上階で、冷え冷えとした部屋を見渡す。王都は気候が良かったし、十二の年にフォルマン男爵に引き取られてからは寒さで困ることはなかった。部屋には立派な暖炉があるが薪が置いていない。豪華な調度品は長年使われないまま置かれていた印象だ。城の位置的にも、ここが領主夫人のための部屋ではないことくらいはアルマにも分かった。


(覚悟してたよりは、随分良い待遇だわ)


 アルマは王都から持ってきた鞄をオットマンに見つけてほっと息をつく。息を吸って寒さに耐える覚悟を決める。なんとかひとりで着慣れないドレスを脱ぎ、持ってきた部屋着に着替えて、とりあえずドレスを鏡台の椅子に掛ける。

 寒さに肩が震え部屋着の上にコートを着込んだ。引っ詰めていた髪を解くと肩の下まで伸ばした髪がふわりと降りて、首周りが暖かい。栗色の巻き毛を指で漉いて軽く整える。


 窓から外を覗き、初めての高さからの景色に目を見張る。

 景色を見下ろすと、ウィンターハーン辺境伯領の領都グゼナが一望できる。見定めるように目を細める。

 

 国境の領地ウィンターハーン辺境伯領は、祈祷師の不在だった期間が長い。眼下に広がる景色に被って、重く澱んだ霊流が見える。

 その割には不快な感じがしないので、おそらくウィンターハーンの土地はアルマに合っている。


 土地の霊脈と祈祷師には相性がある。

 余程悪くなければそれなりの祈祷はできるが、祈祷の効果も落ちるし祈祷師に負担もかかる。

 そんな判断もなしにアルマを選んだ神殿は、アルマがこの土地に合わなければどうするつもりだったのか。

 中央神殿には、結婚に承諾する代わりに、次の派遣計画にウィンターハーンを組み込んでくれるよう捩じ込んだ。アルマとこの土地の相性が悪い場合の最低限の備えだ。小娘ひとり説得できないと言われたくない枢機卿は簡単にそれを承諾した。

 数年後に新しい祈祷師が来てくれればふたりがかりだ。それなりの改善が見込めるだろう。


 部屋の備品を確認しながら、アルマはさっき会ったばかりの夫を思い返す。


 初めて見るウィンターハーン辺境伯は、噂に違わず彫刻のように美しい男だった。


 王都の舞台役者のような―――いや、隣に立ったら舞台役者も平伏するほどの。


「綺麗すぎて人間味がなかった……」


 アルマは婚約に徹底的に抵抗し、破談を諦めてからは片っ端から結納品を売却し、婚約指輪をも売っぱらった。本来なら言葉を交わすことすら難しい身分差にも拘らず、会う前からアルマは散々彼の顔に泥を塗った。やっと手に入れた祈祷師を切り捨てることはしなくとも、鞭打たれるくらいはするかと思っていた。


 生まれた時から辺境伯を継ぐと決められていたジグルド・ウィンターハーン。弟のラース・ウィンターハーンと共に美貌の兄弟として社交界で名を轟かせている。にもかかわらず現在まで独身であり、祈祷師たちが泣いて嫌がるのには理由があった。王都に実しやかに流れるジグルドの噂がそれだ。

 ウィンターハーン家に婿養子に入ったジグルドの父親は、気立が優しく文武に秀で、しかしその類稀な美貌のせいか女癖が悪かった。ジグルドはそんな父親によく似ており、唯一の違いがその凶悪な性格だという。泣いて縋る父母を部屋から引きずり出して追放し、貧しさから罪を犯した者を容赦なく断罪し、捕虜や罪人の首を落とすことを愉しみとする残虐な男。美しい顔は処刑場で鮮血にまみれ、その姿はさしずめ血濡れた魔王、非道の鬼神である。そのうえ糊口を凌いでいる領民の税で領都の城に何人も女を囲い、娼館遊びがお気に入り。どこまで本当かは分からないが、過去に参加した王都の社交場では、パートナーとして連れていたのは妖艶な美しい娼婦だったという。

 一部の酔狂な女性たちはそれでもあの顔ならばと惚れ込んでいるが、領の苦しい財政が続いている今、一般的には結婚相手としての魅力はなかった。


 アルマはそこまで噂に怯えていたわけではない。この図太さもアルマが選ばれた理由のひとつだ。無断で話を進めた神官たちは、小銭を稼ぐのが大好きなアルマはたんまり結納金が貰えるこの話に乗り気だろうと思い込んでいた。だがアルマは王都を離れるのが嫌だったし、勝手なことばかり言う男たちに腹を立てた。


 結果、会う前から印象最悪の状態で嫁ぐ羽目になった。多少の扱いの悪さは当然のことだ。


「やらかしたかなぁ………」


 仕方がない。

 断れないという結果が分かっていたならまだしも、そうでなければアルマはもう一度同じ状況になってもきっと同じことをする。


 アルマは大きく溜め息をついて、コートを着込んだまま寝台に倒れ込むと、長旅の疲れでそのまま眠りに落ちた。


 日が落ちる頃に食事を運んできたメイドに暖炉の火を頼む。眉を顰めながらもメイドは薪を準備してくれた。

 出された食事は固い肉料理が多く、狙ったようにアルマの苦手なものばかり。

 冷えてしまった豆のスープがやたらと美味しく感じた。



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