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真夜中のパンケーキ


 五段のパンケーキとハーブティーを部屋に持ち込んで、ソファテーブルに並べる。

 クリストファーの目の前でこれでもかというほど蜂蜜をかける。得意げに皿を差し出すアルマに、クリストファーは目も口もまんまるにした。


「はちみつ……こんな………こんなに? 怒られない?」

「クリストファー様。そもそも晩御飯がパンケーキという時点で、もはやわたしたちは怒られるのです。毒を食らわば皿までですよ」


 夕飯を済ませたアルマも蜂蜜パンケーキは別腹なので、五段のパンケーキをふたりで攻略にかかる。

 皿が空になる頃には、クリストファーは笑顔でアルマとお喋りするようになり、話し方も砕けてきた。


 ハーブティーをもう一杯淹れて、アルマはクリストファーの隣に座る。


「それで、クリストファー様はどうして泣いてたんですか」

「………おなか、いたくて」

「今は治った?」

「うん、でも、………きっと、また、授業始まると痛くなっちゃう。僕、ダメな子だから……」


 青い目がじわりと揺れる。


「………僕、なんかじゃ、ジグルド様みたいになんて、なれない……」


 唇を噛みしめるクリストファー。


 さっきジグルドは、クリストファーは本来授業を受けている時間だと言っていた。ジグルドも寝食以外は教育だったという。領主として育てるなら学ばせることは尽きないのだろう。

 誰かクリストファーの心のケアはしているのだろうか。会ったばかりのアルマにこんなことを言うのは、クリストファーが、身内には「できないとは言えない」と思っているからではないのか。


「クリストファー様は、閣下と同じようになんてならなくて良いんですよ」


 つい口をついて出てきた言葉に、クリストファーが顔をあげる。

 アルマがフォルマン男爵の屋敷にいた時、次に家庭教師が来るまでに完璧にしておかないと酷い目に遭うので、アルマは必死で勉強していた。

 中央神殿で師匠に師事してから、強迫観念に追われただけの勉強と、己の理想を実現するための勉強とはまるで違うのだということを知った。


「クリストファー様は、ジグルド様の次の領主様であって、ジグルド様の予備じゃありません。クリストファー様らしい領主様になれば良いんですよ。

 わたしは初めてお話させてもらいますけど、真摯に責務と向き合う方だろうなって思いますよ」

「し、しんしにせきむと、何?」

「やらないといけないことが、すぐに上手にできなくても逃げないってことです」

「……そんなことない。僕、……トンプソン先生の授業から、逃げちゃ………っ……」

「それは過程を一部失敗しただけで、たいした問題じゃありません。明日、ごめんなさいって言いましょう。授業をさぼってる今は、休憩したり考えたりする時間です。

 クリストファー様は、授業を受けないといけないって思うと、お腹が痛いんですか?」

「……うん」

「どうしてですか?」

「分かんない……」

「ひとつずつ考えれば分かるかもしれませんよ。

 お勉強が嫌いだから? 分からないから? 先生が嫌いだから? 長い時間座っているのが辛いから?」

「……お勉強は、嫌いじゃない。トンプソン先生が、嫌……」

「そうなんですね。トンプソン先生、わたし、お会いしたことないので教えてください。お顔が嫌ですか? お声が嫌ですか? 教え方が嫌ですか?」

「……僕が、上手に答えられないと、机をムチで机をたたくの、嫌……」

「先生、鞭を持ってるんですか」

「トンプソン先生の、ムチを見たら、頭が真っ白になる……」

「真っ白になったら、上手に答えられなくて、困っちゃいますね」

「僕、ちゃんと返事しないとって、思うけど、バシッて音を聞くと、声が出なくなっちゃう……」

「なるほど。どうして先生は机を叩くのかな」

「………僕が、ダメな子だから」

「クリストファー様がダメな子かどうかなんて、まだ誰にも分からないことです。

 うーん、先生はもしかしたら、クリストファー様が鞭が嫌なの、分からないのかもしれませんね」

「そんなことある!?」


 綺麗な天使は、愕然と顎を落とす顔すら可愛い。


「クリストファー様は、まだ子どもです。子どもは大人より小さいから色んなものが大きく見えたり聞こえたりするでしょう? わたしは子どもの頃に鞭が怖かったので今も怖いですけど、大人になってから初めて見た人は怖くないのかも」

「ムチが怖くないとか、ある……??」

「わたしは怖いので、あるかどうか分かりません。でも、閣下とかマークとか、怖くなさそう」

「たしかに!?」


 クリストファーの台詞にアルマは思わず吹き出す。


 確かに、て。

 そんな言い回し、どこで覚えるんだろ。


「明日、トンプソン先生にどうして鞭を持ってるのか聞いてみます。できればやめてほしいってお願いしてみますね」

「ほんと!?」

「ほんとですよ」


 クリストファーが今日一の嬉しそうな顔でアルマを見る。ほんとに可愛い。ジグルドといいマリールイーズといいクリストファーといい、ウィンターハーンは美形がインフレをおこしている……。


 クリストファーは突然何かに気づいたように目を見開き、それから遠慮がちにアルマに問いかけてきた。


「……ねぇ、アルマ様。アルマ様はジグルド様の……父上の妻になったんでしょ?」

「そうですよ」

「じゃあ、僕の母上?」


 アルマは少し考える。

 庶民の間ではそういう呼ばれ方をするが、厳密には違う。相続財産が多い家では厳密に区別されていることが多い。きっとウィンターハーン家でも、アルマをクリストファーの母親とは認識していない。


「……残念ですが、違います。王都のお母様が、クリストファー様のただひとりのお母様ですよ」

「………そうなの……。じゃあ、アルマ様は、僕の何?」


 ベビーブルーの瞳がじっとアルマを見つめている。

 そういえばつい先日、もう少し薄い灰色の瞳から、同じような問いを受けたことを思い出す。


「クリストファー様は、何がいいですか?」

「僕が決めるの?」

「わたしとクリストファー様の関係は、わたしとクリストファー様が決めるんですよ」

「関係……」

「家族とか、友達とか、ライバルとか、恋人……恋人はだめですね、わたしは閣下と結婚したので」

「結婚したら、恋人はだめなの」


 しまった。

 クリストファーの目標とするジグルドは、結婚したけど少なくともふたり恋人がいる。養父の所業を悪いことのように教えるのは良くない。


「………結婚した相手が、いいよって言ったら、いいかもしれません」

「じゃあ、ジグルド様がいいよって言ったら、僕、アルマ様と恋人になれる?」


 おいおい。

 いったいわたしを何の沼に落とす気だ。


「クリストファー様、恋人って何かご存知なんですか」

「知ってるよ。いつも、会ったら、ぎゅってしたり、キスしたりする人」

「うはぁ。おませさんですねぇ。

 大変心惹かれる提案ですが、わたしは結婚したら恋人は作らない主義です」

「そうなの」

「そうです。家族も友達もぎゅってできますよ」

「じゃあ僕、家族がいいな。あっ、でも、お友達も、いいな……。

 アルマ様が二人いればいいのに。

 アルマ様は、どっちがいい?」

「ふふ、クリストファー様、やっぱりまだまだ子どもでいらっしゃいますね。世の中にずるいことがいっぱいあるのをご存知ない。

 よく聞いてください。世の中には、どっちかと見せかけつつ、両方取りということもあるのですよ!」

「両方!? 家族と、お友達と?」

「そうです! でも、良い家族である努力も、良いお友達である努力も大変です。片方でも大変なのに、両方はとても大変ですよ。どうしますか」

「アルマ様はそれでいい?」

「アルマは大人なので、今回はクリストファー様に決めさせてあげます」

「じゃあ、家族で、お友達!」

「はい。家族でお友達なら、今からクリストファー様のことはクリスって呼んじゃいますよ」

「いいよ! 僕もアルマって呼んでいい?」

「いいですよ」


 青い目が細められて、天使のかんばせがはにかむ。何が楽しいのか、クリストファーはくすぐったそうにくすくすと笑いだした。


「ふふ。アルマ」

「はい」

「呼んでみただけ。怒る?」


 ファ――――――!!


 か!

 かわ!

 可愛いの暴力!!!!!!


 アルマは大人の意地で奇声を抑え込んでにっこりと微笑んでみせる。


「怒らないですよ」


 怒るどころか溶けるわこんなん。


「アルマは明日もお仕事なので、そろそろ寝ないといけません。クリス、ひとりで着替えられますか?」

「うん。着るのは、タイがむつかしいけど、ぬぐのはできるよ」


 寝衣に着替えてふたりでベッドに潜り込む。

 柔らかい布団の中。イゾルデに怒られても泣かない誓いを立てるクリスの身体をとんとんとたたきながら、アルマも眠りに落ちた。



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