そんなお茶会をしにきたんじゃないのよ
城に戻ったのは日も暮れる時間だった。
マークは必要ないと言ったけれど、料理長に謝りたくて厨房へ行く。逆に恐縮させてしまい、申し訳ないことをしてしまった。お弁当の残り物を貰えないかと聞いてみたが、夕食は夕食で作っているというので、自室に運ばれたものを食べた。美味しかったけれど量が多くて、結局また残してしまった。
夜、鉱山の関係者たちとの面会を終えたジグルドが部屋に戻っていると聞いて階段を降りる。
アルマは明日中にこの土地の霊脈を捉えると決めた。そして今週中にできる限り整える。なので、ウィンターハーン領の概要だけでも分かっておかなくてはならない。
今日の様子では、正直に言って一週間はかなり厳しい。だが決めたのだ。
流れの中で、遠く微かに感じた季節の萌芽。
あと一週間ほどで、『春』が来る。
ジグルドの部屋をノックすると、執事のアンダースが顔を出した。ずっと張り付いたような笑顔のイェンスに比べると、表情の動くとっつきやすそうな人だ。不惑を過ぎたと思わせる目尻の皺を深くしてにっこりと笑う。
「アルマ様。閣下に御用事ですか?」
「閣下とお話ししたいの。入って良いかしら」
「少々お待ちください」
一度扉が閉められて、再び開き、申し訳なさそうなアンダースが出てくる。
「恐れ入ります。閣下からお許しがでませんでした」
「えっ」
大至急の要件のつもりだったアルマは、思いもよらない拒絶に日中の己の不首尾を思い出し、ぶり返す不愉快な気持ちを抑えられない。
「……舌の根も乾かぬうちに」
できるだけ話をすると約束したのに、こんにゃろう。
アルマの呟きを拾ってアンダースが謝罪する。
「申し訳ありません」
「アンダースが謝るようなことじゃないわ。後悔するなよ、と伝えておいて」
アンダースが軽く吹き出して、咳払いする。
「………申し訳ありません、もう少々お待ちください」
待っていると、次に開いた扉にはジグルドがいた。着崩した部屋着姿が無駄に色っぽい。これを画家に描かせて王都で売ればひと財産築けそうだ。
くだらないことを考えているアルマに、ジグルドが感情の読めない顔で言った。
「………今日はだめだ」
「それはアンダースから聞きました」
アルマの白けた視線を受けて、ジグルドは煩わしそうに眉を歪める。
「私は明日は朝からソラウッドに向かう。今日は早めに休む」
「そうですか」
「こちらにも準備がある。今から準備すれば終わるのが夜半になってしまう」
「はい?」
「いきなり言われても、今からでは花の用意もできない」
「花」
「だいたい、予告をしてくれなくては話題を準備していない」
「すみません。なんか話が噛み合っていない気がします」
ジグルドの眉が少し上がる。
この人、感情表現が目元に集約されているなぁ。
「………だから……話をするのだろう。女と親睦を深める茶会は花を飾ったテーブルで、概ね二時間、紅茶と甘味を嗜むもののはずだ。花の用意もしていないし、今から甘味を作らせては料理人が休む時間が遅くなる。だから今日はだめだ」
「え? わたしとそんなお茶会するつもりなんですか?」
二時間も甘味を。
なんだそれ素晴らしいな。
「そんなのは、マリールイーズとだけしてれば良いですよ。甘味は余れば下さい」
「私はマリーと茶会などしない」
えっなんで? もしかして結婚したから?
そんなどうでもいいところで操を立てなくていいのに。
「何言ってるんですか。マリールイーズは閣下しか頼る人がいないんですよ。あんな離れにひとりにしてるんだから、毎日でも顔を見に行って、たまにはお茶くらいしてあげてください」
「私にそんな暇はない。マリーには十分なものを与えている」
淡々と言い切るジグルドにアルマは目を丸くする。
かーっ!
女の子の扱いを全然分かってない!
これだからイケメンは!
振られてしまえ!
アルマは恋愛はしたことがないが、女の子がコミュニケーションを必要としていることくらい知っている。見てれば分かる。男ってなんで上司の求めるものは察するくせに、パートナーの求めるものは言わなきゃ分からんとか言うんだろう。
「とにかく、わたしはそんなお茶会をしたいわけじゃありません。話題はわたしが持ってます」
そう言うと、ジグルドは眉間を揉みながら軽く溜め息をついた。
「………………結納品といい、全然あてにならないな……」
「はい?」
「なんでもない。少し後で、三十分でいいか」
「閣下次第です。お忙しければ用件だけお伝えしますので、どなたかを紹介してください」
「……私と話をしにきたんじゃないのか」
「閣下とお話にきましたよ」
「閣下。とりあえず、入っていただいては」
噛み合わない会話にアンダースが割って入って、とりあえずアルマは入室に成功した。
ソファテーブルに資料が広げられ、見知らぬ男が座っている。先客の可能性を考えていなかったアルマは強引に割って入ってしまったことに肩を竦めた。
仕方がない。急ぎの要件なのだ。ジグルドにとっても重要な話の、はずだ。誰かに引き継いでもらって、早々に退出しよう。
アルマを見てテーブルの資料を片付け始めた男をジグルドが止める。
「ベン。そのままでいい」
長髪の男は手を止め、立ち上がってアルマの前で深々と頭を下げた。
「初めましてアルマ様。ベンジャミンと申します。ご挨拶できて光栄です」
「初めまして、アルマです。お話の邪魔をしてごめんなさい」
「ほんとうに。噂通りの傲慢な方だ」
にこにこと慇懃な笑みを崩さない男にアルマは目を瞬く。
これはめっちゃ嫌われてる。
ジグルドがベンジャミンの肩を引く。
「ベン、口を慎め。アルマはやっとウィンターハーンに来てくれた大事な祈祷師だ」
「それが閣下の妻である必要などなかったと申し上げているのです」
「それを望んだのはウィンターハーンであって、アルマではない」
「ウィンターハーンはこんな男にだらしのない領主夫人を望んでなどいません」
「中央神殿の派遣計画は五年先まで確定していた。これが一番早い方法だった」
「教皇も教皇だ。もっとまともな女がいくらでもいたでしょうに」
「私は祈祷さえしてくれれば文句はない」
「閣下」
アンダースの大きめの声にジグルドが止まる。
「閣下。アルマ様の前でお話するようなことではありません。ベンジャミン様、わざとアルマ様のお気持ちを害する発言はお控えください」
ジグルドが意外そうな目でベンジャミンを見る。
ベンジャミンは小さく舌を打ってアンダースを睨んだ。
「お前もお前だ。何故お止めしなかった。いくら祈祷師を確保するためでも、こんな女の夫が閣下である必要はなかった! 誰でも良かっただろう。俺でも、エリックでも、マークでも!」
「あのですねぇ!」
声を張り上げたアルマに三人の視線が注がれる。
「わたし、閣下にお話があるのですが」
「………そうだったな。聞こう。
ベン。お前は下がれ。アルマは大切な祈祷師だ。次はない」
「…………申し訳ありませんでした。失礼します」
ベンジャミンはアルマを蔑視してから部屋を出ていった。