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はじめまして、ウィンターハーン


「とうとう我が領に祈祷師様が……!

 毎日真摯に向き合っていた私の祈りが神々に届いたのですな!」


 執務室に通されたアルマは、恰幅の良い神殿長に熱烈な歓迎を受けた。


「苦節二十年。ようやくです。

 こう言ってはなんですが、ウィンターハーンのためには、なんとか祈祷師をお呼びするしかないことなど子どもでも分かること。そのためにどんな手段でも講じるべきでした。閣下の行動は遅きに失したと言わざるを得ませんな。結果がこの衰退です。

 先代様の腰が重かったせいではありますが、ならば閣下は強引にでも爵位を譲っていただくべきでした。そうすれば一年でも二年でも早く祈祷師を迎えられたのに」


 歓迎してくれるのはいいのだが、先程から何故か延々とジグルドの悪口を聞かされている。マークに席を外させたのはそのためだろうか。


「そうですね。もっと早ければ、全然違ったと思います」

「そうでしょうとも!」


 神殿長は興奮で鼻息が荒くなっている。


「貴方は何してたんですか」

「はっ?」


「一刻も早く祈祷師を招聘すべきだった時に、神殿長は何してたんですか? 中央神殿に派遣要請したりしなかったんですか」

「……私は、毎日祈りを捧げておりましたとも! 神殿は民の心の進むべき道を示すもの。世俗の問題は領主の問題でございますからな。そもそも原因は辺境伯家にあるのです。だというのに、この土地の神殿に属するというだけで私の肩身まで狭くなって」

「……それは、辛い思いをされましたね」


 アルマの相槌に神殿長は前のめりに訴える。


「そうなのです! ですが私は民と共に辛い時代を耐えました。毎日の祈りによって、心の内側から民を支えてゆくという責務を全うしたのです。

 祈祷師様。ぜひこの成果を、中央神殿にお伝えいただきたく」

「あ、ごめんなさい。わたし、派遣じゃなくて閣下に嫁いできたので、中央神殿とはもう縁はないです」

「えっ」

「お聞きになってませんか?」

「えっ、いや、新しい祈祷師様だとしか……とすると、閣下の、奥様で……?」

「はい」


 神殿長が満面の笑みのまま固まった。


「―――いやぁ! しかし、結果として祈祷師様をお迎えできたのは、ひとえに閣下のご尽力で! 流石、若くして御領主を継がれただけのことはある!

 因みに、奥様、実は神殿の修繕についてなのですが」

「ごめんなさい。わたし、祈祷のためだけに来たから、そういうことは分からないわ」


 笑顔でうんうんと何度も頷き、神殿長はアルマに祈祷室の鍵を託していなくなった。


 執務室を出ると、廊下で立っていたマークが駆け寄ってくる。


「アルマ様。大丈夫でしたか。何か言われました?」

「潔さに笑うしかない」

「え?」

「ううん。祈祷室の鍵をもらったの。西棟の最上階だって。

 わたし、今から祈祷するけど、帰りはどうしたらいい?」

「えっ? もちろんお待ちしてますよ」

「多分時間がかかるわ」

「大丈夫です」

「マークが暇人じゃないことくらい、分かってるわ。帰って仕事していいわよ」

「………アルマ様。俺は今も職務中です。護衛を付けることはアルマ様の権利であり義務であるとご理解ください」


 きょとんとするアルマに、マークは苦笑する。


「アルマ様。ご自身が領主夫人だって、覚えてます?」

「…………さっきまで覚えてたわ」


 王都でも祈祷師は誘拐される危険があるため、外出時には護衛がついた。これからは領主夫人としても気をつけないといけないのだ。


「……そう。じゃあ待っててもらおうかな」

「はい。因みに、見学しててもいいものですか? お邪魔でしたら扉の前でお待ちします」

「別に構わないわ。霊気が見えないなら、面白いものでもないけど」


 階段を登って重い扉の鍵を回す。

 中央に曼荼羅の絨毯が敷かれただけの何もない部屋。ずっと閉じられていた部屋に特有の臭い。碌に換気もしていないことが分かる。

 六角形の部屋の大きな窓を全て開け放す。風が空気を入れ替える。城砦の物見台より少し低いが、同じように地平線まで見渡せる高さ。南の窓に見える、蒼天を背景にしたウィンターハーン城砦は、一枚の絵画のようだった。


 アルマはブーツを脱いで絨毯の上に胡座をかいた。


「今日は初日だから集中したいの。話しかけないでね」


 そう言うと、マークは頷いて扉の前に座った。


 半月ぶりの祈祷だ。


 身体から力を抜く。

 ゆっくりと息を吸って、更にゆっくりと息を吐く。呼吸を整えながら、思考が凪いでいくのを自覚する。

 瞼を閉じて耳を澄ます。

 風のそよぎ、鳥の囀り、遠くから聞こえる鐘の音。

 普段なら聞こえるはずのない音が届く。音の渦はこだまして昇華され、小さな粒になって流れていく。


 ゆっくりと瞼を開ける。


 この場所が土地の巡りの只中なのが分かる。澱んだ霊気のもったりした感覚を抜けて、もっと深くに目を凝らす。

 広く悠とした流れが全てを包み込むように南西へ向かっている。


 広く、大きく、力強い。

 澱みさえ内包して穏やかに流れる。

 これがウィンターハーン。


 己を通り抜ける流れに、アルマは確信する。


 ―――ウィンターハーンは、わたしを受け入れる。


 いける。

 かなり重くなってしまっているが、きっと整えられる。


 腹の底から歓びが湧いて、無造作にその流れに介入しようとした途端―――それはアルマの形を撫でるように動き、迂回し離れていった。



「―――待って!」



 咄嗟に手を伸ばす。

 胡座をかいていたおかげで転ばずには済んだが、前のめりに倒れ込んでしまい床に勢いよく手をつく。


 全力疾走したように肺が酸素を求める。息の吐き方を忘れ、必死で空気を送り込もうとするが限界まで膨らんだ肺がそれを拒む。腹筋が痛み、アルマは床に丸くなった。


「アルマ様! まず息を吐いて!」


 息。

 息、息を吐く………


 えっ

 まじか……つら………


 明滅する視界に誰かが写る。

 それがマークだと気づいた頃に、漸く周りの音が聞こえ始める。開け放たれた室内は外気温と変わりない室温で、汗にまみれたアルマの身体を急激に冷やし始めた。


「アルマ様。大丈夫ですか。

 今日はもう城へ戻ります。いいですね?」


 なんとか頷くと、マークは上着を脱いでアルマの身体を包み、失礼しますと声をかけてからアルマを抱き上げた。男に抱き上げられたことなどないアルマは一瞬動揺したものの、言葉を発するのも億劫で大人しく運搬されることにした。

 視界の端に橙色が写る。一瞬のようだったのに何時間経っていたのか、夕日が空を染める時間なのだ。


(……捉えられなかった……)


 アルマは王都以外で祈祷をしたことがない。王都の霊脈はどんな祈祷師の祈祷も拒むことはない。アルマはウィンターハーンの霊脈を一目見て、王都より余程自分に合っていると確信した。これならば運命のようにすぐに馴染めるのではと思っていた。


 初めての経験に愕然とする。期待値が高かった分だけ衝撃が大きい。

 

 悲しい。心が折れそう。


 悲しくて悔しくて情けなくて、目頭が熱くなる。


『どんな土地でも、初めは結構しんどいものよ。

 アルマもいつか派遣されたら、びっくりするわよ』


 師匠の言葉が思い出される。


『諦めなければ、どんな土地でも、必ず祈祷はできる。時間がかかることを、楽しめるようになるといいわ』


 祈祷とは、才能と経験と土地との相性。

 そこに根性というバフをかけて成すもの。


 ―――くそう。

 見てろ。

 根性が取り柄と言われたアルマ様を本気にさせやがって。絶対に、捉えてみせる。


 アルマは馬車に揺られながら、沈む夕日にそう誓うのだった。





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