施し
ウィンターハーン城砦は、城壁に囲まれた領都の高台にある。元々は防衛のためだった城壁は、近年は通行人を確認する程度のものになっている。
メイド姿のアルマを乗せた馬車は、朝から護衛を供に神殿に向かう。初対面の神殿長にアルマを引き合わせるため、ジグルドの側近であるマークも付いてきていた。
ウィンターハーンの紋章を掲げた馬車が城から出ると、通行人は距離をとって頭を下げ、他の馬車は道を空けて停まる。
「食事のメニューが苦手なら、言ってくだされば良かったのに。甘味しか召し上がらないって、料理長が焦ってたんですよ」
「そうなのね。ごめんなさい。メニューに注文がつけられるなんて思わなくて」
「王都の贅沢品に慣れた奥様は、自分の料理は口に合わないんだろうって、料理長がしょんぼりしてました」
悲しいことに、着実に悪妻の道を爆進中である。
隣に座っている若い護衛のヤコブは、マークの軽口に驚いてアルマとマークを見比べている。
あっけらかんと暴露するマークの話によると、マークの差し入れのクッキーも甘味しか食べないアルマのために料理長が持たせたものだった。初日に薪を頼んだ時も、何故もっと早く言ってくれないのかと思われていたらしい。
「メイド頭がローラさんに叱られてました。寒くなかったですか?」
「……寒かったわ。嫌われてるんだろうなぁ、と思って」
「嫌っているというか……敬遠していたようですね。あまりお部屋に近寄らないようにしてて、アルマ様に誰も付いていないことにも気づかなかったようです。なんでかな、ふたりくらい付ける予定だったはずなんですが……完全にこちらの落ち度です。申し訳ありません。今後はなにかあれば教えていただけると助かります」
「あ、あの、ごめんなさい。わたしがメイドは要らないって言ったわ」
「そうなんですか? 今日は料理長が野菜弁当を作ってくれてますからね。好き嫌いをあとで教えてください。神殿でのご用事が早めに終わったら、昼食は城に戻ってきてもかまいませんし、街で気になるお店があれば寄っていただいてもかまいません」
「そうなの」
「そうです。
今朝閣下たちと、俺たちの対応が良くなかったかなって話してまして。アルマ様は二年ほどしか貴族らしい生活をしてないんですよね? もっとこちらから色々お伺いすべきでしたし、こういう要望していいって提示すべきでした」
十二で養子に入ったフォルマン男爵の家では、部屋に閉じ込められ、毎日家庭教師に鞭で打たれていた。あれを貴族らしいと言えるのか、アルマにはよく分からない。
それでも食事と寝床には困らなかったし、二度顔を見ただけの男爵は、アルマが寝込むほど鞭打たれていることなど知らなかったのだと思う。なにより男爵のおかげで中央神殿に入れたので、個人的には恨みなどはない。寧ろ男爵家に入るはずの結納金を使い込んだアルマを男爵が恨んでいる可能性はある。
「一番慣れていただいてるでしょうし、もう暫く俺が色々お声がけさせていただきますね。俺、貴族の方に物怖じしないし、喋るのも苦じゃないんで!」
でしょうね。
「ありがとう。わたしもマークは話しやすいから嬉しいわ」
話していると、馬車が停車する。
神殿に着いたのかと窓から外を見る。まだ並木の続く道の半ばだ。
マークが音取りの小窓を開ける。御者台にいる護衛が女と言い合っている。
「ウィンターハーンの馬車の前を塞ぐとは、どういうつもりだ!」
「領主様、お願いします! 食べるものを、お恵みください!」
「退け! お前みたいな下賤の者の相手をするお方じゃない!」
「私の、処罰は覚悟してます! どうか、御慈悲を! そこの夫に、食べるものを、」
「この……!」
「待って」
アルマは慌てて馬車から降り、道の真ん中で座り込む女に駆け寄った。擦り切れた服の痩せこけた女が頭を地面につけて、どうか、どうか、と繰り返している。
「ねぇ、貴女、道を開けて。こんなことしてたら殺されてしまうわ」
「か、覚悟のうえです! どうか!」
視線を移すと、道の端に男が同じように額づいている。
「……どうして旦那さんと二人でいるのに、貴女だけこんなことさせられてるの?」
「させられては、いません! 私が……」
「旦那さんだけお腹いっぱいになれば、貴女は死んでもいいの?」
「いいえ、いいえ!
子どもがいます。夫がいなくなっては、今日を凌げてもやっていけません。私が、……私なら、………お願いします、どうか、食べるものを」
アルマは立ち上がって、馬車から降りていたヤコブに向き直る。
「ヤコブ、お弁当持ってきて」
驚いた顔のヤコブは、躊躇う様子を見せたものの、アルマの視線が揺るがないのを見て車内から包みを持ってくる。
受け取って、高価そうな外箱から中の木箱を外す。木箱もそれなりの値段がしそうだが、これがないと中身が潰れてしまう。アルマの嗜好が把握できていないせいか、色んなものが少しずつ包まれて五人前くらいになっている。アルマは木箱ごとパンの包みと一緒に女に手渡した。
「ごめんなさいね。今あげられるのはこれだけ。今日はこれで諦めて。もしずっと食べてないなら、お粥にしてね」
女は目を見開いて恐る恐る箱を受け取り、罰せられないことを理解すると、喘息のような荒い呼吸で箱を抱きしめたまま蹲ってしまった。
いつの間にかアルマの後ろにいたマークが、道端の男に向かって女を連れて行くように目線で伝える。慌てた男は這いずるように女の側にきて、腰を低くしたまま女を道端の茂みに引っ張り、ふたりで地面に頭を擦り付ける。
アルマはかけるべき言葉が分からず、黙って馬車に戻る。
ヤコブが扉を閉めると、無言で見守っていたマークが困った顔をしていた。
「ああいうのはあまり感心しませんね。お気持ちは分かりますが、きりがない」
「………そうね。ごめんなさい。
こんなこと初めてで………どうしたら良かったのかな。領主夫人らしく、なかったのは、分かるわ……」
間違ったことをしたつもりはないが、間違えた、という思いがぐるぐる回る。
「そんな格好なんで、たぶん領主夫人だとは思われてないですよ」
マークがいつも通りの軽い調子で笑う。
「おひとりの時は暫く紋章付きの馬車はやめときましょうか」
怒られなかったことにほっとすると同時に、居心地が悪くなる。全然整理できないが、アルマ自身が、やらかした、と感じているということだ。
きりがないというマークの言葉も、あの夫婦の今日の食事だけあっても仕方がないのも分かる。あのお弁当だって、アルマに食べさせるために料理長が手間をかけて作ってくれたものだろう。領主の馬車の道を塞いだのに罰しないのも良くなかった。道を塞いで懇願すれば食べ物が出てくるなんて噂になってしまったら、アルマは外出できなくなってしまう。
だがどうしても、斬って捨てるべきだったとは思えなかった。
王都にも飢えた人間はいた。
だが彼らは王でも代官でもないアルマに救いを求めてはこなかったので、アルマも見て見ぬふりをして生活してきた。
領主の妻になるということの意味を、深く考えてこなかったツケがきたのだと思った。
「今アルマ様が明らかに駄目だったのは、領主邸の馬車を止めるような輩がいるのに、外に出ていってしまったことです。これは、次になさったら俺は怒ります」
「………ごめんなさい」
その通りだと思ったので素直に謝る。
「ウィンターハーンには、労働仲介所はないの?」
「仲介所……王都にある、日銭を稼ぐとこでしたっけ?」
「うん。王宮が急ぎじゃない仕事をおろしてるから、最低限だけど、働く気がある人は少なくとも今日のごはんはなんとかなるの。王宮の蔵の、古くなった穀物とか大人の事情で大量に買っちゃった食糧とかが賃金代わりになることが多くて、割と評判の良い施策なんだけど」
「三年前までは、そういうのは鉱山が受け皿でしたね」
「でも、鉱山だと、女の人とか子どもは働けないでしょ?」
「……アルマ様、施政に興味あるんですか」
「あ、……ごめんなさい。ただの素人の世間話よ。口を出したいとかじゃないわ。
次にこういうことがあったとき、紹介できる場所があればいいのにって、思って」
言葉を止めると、車輪が石を踏む音が車内に響く。
窓の外を眺めながら考えるアルマの前で、マークは珍しく黙って座っていた。
北の丘の神殿に到着する。
中央神殿のような絢爛豪華な装飾は少なく、白壁が陽を反射して輝いている。中央神殿しか知らないアルマはその無骨な佇まいに、神殿にも土地柄が出るのだなと感心する。
マークが神殿長への取次をしている間に、護衛のヤコブが話しかけてきた。
「あの、アルマ様。俺は、助けられる人は助けるべきだと思いますよ! アルマ様の行動は素晴らしいと思います!」
「……ありがとう」
アルマも、間違ったことをしたつもりはない。だが、どうにも腑に落ちない。ヤコブは若いので、あまりそういう感覚が伝わらないのかもしれない。
歯切れの悪いアルマに、ヤコブは熱弁する。
「ほんとですよ! 人として、尊敬します。
俺、ほんとは、アルマ様の護衛って言われて、毎日どんな叱責を受けるのかうんざりしてたんです。噂なんて信じてた自分が恥ずかしい。
ほんとに、あんなタチの悪い嘘、どこのどいつが言い出したんでしょう。きっと天罰が下りますよ!」
はい。
すみませんでした。