ウィンターハーンの事情
アルデンティア王国と隣国との国境をなすバルスク大森林。
ここは大陸の中でも特段霊脈が崩れやすく、多くの魔獣が棲みついている。王国の中で、大森林の西側を抱えるウィンターハーン辺境伯領は魔獣の侵攻を食い止める重要な役割を負う。
王国屈指の軍を擁するウィンターハーンは、国境を守り、魔獣の被害から王国を守り、その代わりに王都から祈祷師を得る。そういう互助関係でうまく回っていた。
ところがある時、ウィンターハーン家当主の娘婿が、神殿から派遣されていた祈祷師の女に手をつけた。
まだ若かった祈祷師の女は、恋した男とその妻との愛憎に疲れ果てて自殺未遂を図り、王都へ連れ戻され、精神の衰弱により祈祷師を引退した。
問題は、その祈祷師が、その突出した能力故に幼い頃から目をかけられていた教皇の秘蔵っ子だったことだ。
彼女を孫娘のように可愛がっていた教皇の怒りは激しく、以降王宮の要請に反して、ウィンターハーン辺境伯領への祈祷師の派遣はなくなった。
それから二十年。
祈祷を放棄したウィンターハーンはじわじわと荒廃へと傾いていった。他領に売るほどあった穀物は五年前から買い付けるものとなり、国の大事にはどこへでも駆けつけていた辺境軍は増える一方の大森林の魔獣にかかりきりになり、領の懐を潤していた鉱山は魔獣の被害のため閉鎖された。
長年ウィンターハーンの守護神と呼ばれたウィンターハーン辺境伯は、人生を賭けて守ってきた領の衰退する様に涙しながら永い眠りにつき、その跡には愛娘の産んだ嫡男が就いた。
領を継いだ若き辺境伯が最初に行ったことは、領の施政に携わっていた父親を、泣いて縋る母親ともども領から叩き出し、王都の中央神殿に足を運び祈祷師の派遣を請うことだった。
新しい教皇は神殿の厳かな謁見室で、自身は覚えていないであろう二十年前のウィンターハーンの無体を、国教に対する敬意の浅さだと散々詰った。
殆どの枢機卿たちは辺境伯を気の毒に思ったし、国益のために祈祷師を派遣する方が良いとは思っていたが、彼らにとってそれらは教皇の機嫌を損ねるほどの理由にはならなかった。それどころか教皇に阿ることに執心している一部の枢機卿は教皇の尻馬に乗り、辺境伯に罵声を浴びせた。
大切な祈祷師を派遣しても、その父親譲りの悪魔のような美貌でまた潰してしまうのであろう。それとも今度は妻として迎えてくださるとでも言うのか、それなら出してやろうじゃないか。
そうにやにやと揶揄したひとりの枢機卿に対し、辺境伯は冷たい灰色の目で即答した。
「承知いたしました。私の妻として、できる限りの待遇でお迎えする。
猊下の御前でのお約束、必ずお守りいただけると確信します」