5 ヴォルテラ① ただ鼻の下が伸びただけだ
朝の修練は日課で、それは環境が違っても変わりはしない。
日々の積み重ねが財産になるのだという父の教えを俺は疑ったことがなかった。
集中力向上の一環として体内のフォトンに意識を集中させ、循環を加速させる訓練がある。
これを我が部族では「静血居流」と呼んでいるのだが、これがまた凄まじい汗をかく。
「君も早いんだな」
シャワーを浴びた後、朝食の準備をしようとキッチンに立った時にクレイトンが部屋から起きてきた。
短く刈り上げた灰色髪にも寝癖がついていて、寝起き直後だと伝わってきた。
「おはよう」
早いという単語に反応して特化端末を覗く。
未だに慣れない端末という文化だが、都会に来た以上はそう言っていられない。
「6時。早いのか?」
「僕は早いと思っていたが、違うのか?」
朝焼けと共に起きていたあの頃は、皆して同じ時間だからそう思うことは無かった。
「まぁいいか。僕は走りこみに行ってくる」
彼は端末と同期させた耳当て(イヤホンというらしい)を耳の穴に差し込んで、ストレッチをしながら玄関から出ていった。
耳が寒いならもっと全体を覆うものを使えばいいのに、何を考えているのだろうか?
クレイトンから意識を切り替え、冷蔵庫から大量の卵とウィンナーを取り出す。
この寮の近くに遅くまでやっている商店街があったから、昨日買い込むことができたのだ。
オーブンに切れ込みを入れたパンを入れる。
鍋に張った水を火にかける。
フライパンに油を薄く引き、温めている間に卵をボウルに割っていく。
素早くかき混ぜながら塩と胡椒で味付け、追加でミルクも少量。
ちょうどいい温度になったので、かき混ぜた卵をフライパンに投入。
素早く箸でかき混ぜていき、沸騰した水にウィンナーを淹れボイルしていく。
「おはよ~ヴォルテラくん」
ちょうど、身だしなみを整えてきたメアリィが起きてきた。
寝癖や目ヤニが絶対にないのは、自分やクレイトンとは違う生きものだから、だろう。
……今更だが、年頃の女の子と一つ屋根の下、か。
父さん、母さん、決して俺は間違いを犯さないようにする。だから祈っていてくれ。
部屋着以外はいつでも登校できる準備が整っている彼女を見る。
可憐で、守ってあげたくなるその容姿。服を押し上げる膨らみ、は置いておこう。
あまり見るのも失礼だろうし、彼女も良い気分にはならないだろう。
「おはよう」
「朝ごはん作ってくれてるのぉ? もうホント凄い女子力だねぇ」
女子、力? 聞いたことない単語だ。
後で端末で検索をかけるとして、そろそろパンが温まるので大皿に移していく。
「ちょうど出来立てだ。運が良かったな」
昨日余っていたレタスを洗った後、均等になるよう千切って水を切る。
完成した全てをそれぞれで盛りつけ、テーブルの真ん中に置いた。
「サンドイッチにすればいいのぉ?」
「あぁ。好きに食ってくれ」
自分のコップにミルクを注ぎながら、薄桃色のコップも手に取った。実に女の子らしい、彼女らしい色のチョイスだ。
「何を飲む?」
「アイスティーおねがぁい」
パックに入ったアイスティーを注ぐ。無糖なのは意外だ。
村の娘たちと同じように甘いものに目がなさそうだったから。
「朝早いんだねぇ。いっつもこんな感じ?」
「クレイトンにも言われたな」
朝食を作るのはいつも母だった。
日課の修練は父との稽古も兼ねているので、手伝えないことがほとんど。
代わりに夕食は手伝ったし、日替わりで俺が作る。
「食べるのが好きなんだ。だったら自分好みのモノを作った方がいいだろう」
母は言っていた。
作ったものが好きに味付けしていいんだ。文句を言うなら作れ、もしくは黙っていろと。
「メアリィは好きだなぁ。ヴォルテラ君の作ってくれるご飯」
「まだ二回目だ」
「それでもだよぉ。もう、旦那さんになってほしいくらい」
不意打ちの発言に、喉にスクランブルエッグが詰まりそうになる。
ゆっくりミルクで流しながら、んんっと咳払い。
「メアリィ、お前は素敵だ。
朝からその声を聞くだけで舞い上がらない男はいないだろう」
ん? と目を丸くするメアリィに構わず続ける。
「だから他の子より発言には何倍も気をつけるんだ。そんなことを言われて勘違いした男が、いつ強引に迫って来るか分かったもんじゃない」
つい説教染みた言い方になって、彼女はぽかーんしていたが、気にせず微笑をたたえた。
「こう見えてメアリィ、貞操観念は高いほうなんだよぉ?」
「だったらいいが」
「ヴォルテラくんにはいいよねぇ?」
「恥ずかしいから控えてくれ」
「ざんね~ん」
すると、ちょうどいいタイミングでアーシェの部屋の扉が聞かれる。
「おはよう、よく眠れたか?」
「うん、おはよう。あ、朝ご飯作ってくれたんだ?」
彼女はテーブルの上を見て喜んでいた。
今朝はまだ髪を結ってはおらず、活発な印象だったのが急に女の子らしく見えた。
第一印象が勇ましかっただけに、とても魅力的に映った。
「あ、浮気ぃ?」
こちらの反応を見たメアリィがからかってきた。……ふっ、目敏いな。
「違う。ただ鼻の下が伸びただけだ」
「待って、どっちも意味が分かんない」
追及を逃れようとメアリィが皿を流し台に持っていく。
洗い終わったあとで、きっと制服に着替える為に自室に戻ろうとしたのだろう。
っと、その前に。
「ノルンを起こしてきてくれないか?」
「オッケー」
彼女はノルンの部屋をノックする。
しかし、一切の反応がない。
もう一度ノックし、やはり何の反応がないことに、苦笑い。
「じゃあヴォルテラ君、どうぞぉ」
「お前がされたら嫌だろう? 女同士でなんとかしてくれ」
「明日メアリィ起きられないかもぉ。お願いしていい?」
口の減らない彼女に溜め息。
冗談だとわかっていてもそういうのは苦手だ。
村で喋ったことのないタイプの子だが、これから先、何回も振り回されるんだろうな。
「いいから行ってこい」
「はぁい」
こちらを弄るのが飽きたのか、ノルンの寝室に入っていった。
きっと起きてすらいないから、時間がかかるだろうな。
「私がいない間に何があったの?」
「何もなかった、本当だ」
彼女がクレイトンだけに向いていた矛先が、たまたま今朝はこちらに来ただけだ。
だからアーシェ、半目で睨むのはやめてほしい。
「同じ隊で昼ドラとかほんと嫌だからね? 気をつけてよ?」
昼、ドラ……また調べる単語が増えてしまったか。
「そろそろカルロを起こすつもりだ。食べるなら早めにな」
「うん、ありがと」
殴り合いに発展しかけた次の日だ。寝て起きて関係性が回復するわけでもない。
申し訳なさそうに感謝を言う彼女に、少し考える。
新入生の中でも俺は一際背が高い。
だから多くの生徒を文字通り上から観察できたが、アーシェは女子生徒の中でも特に高い身長だ。
170センチは余裕で越えている。
小柄な男子より大きく、勇気と行動力に溢れた彼女のことだ、きっと男友達も多かったに違いない。
カルロじゃないが、あぁいう事を言われた回数はゼロじゃないはずだ。
むしろコンプレックスだったのでは? とも考えられる。
「昨日も言ったが」
メアリィのフォローに合わせたので流れてしまった言葉を、もう一度。
「アーシェ。会ってまだ二日だが、お前はたくさんの魅力を持つ素晴らしい女性だ」
「ん、え、なに?」
喉に詰まらせそうになる彼女に既視感を覚えながらも、続ける。
声が上ずらないように、努めて冷静に、だ。
「その背の高さも含めて、魅力的だっていうことを覚えていてほしい」
「へぁ?」
素っ頓狂な反応だった。
目を丸くして、視線を向けたり外したりと忙しい彼女を見て少しだけ満足する。
「ただいま。おぉ、朝食まで用意してくれたのか」
「少し冷めたな、温めるか?」
丁度帰ってきたクレイトンの方に行って、彼女からの言及を避けることにする。
汗だくの彼にスポーツタオルを投げ渡しながら、
「いや大丈夫。ん、どうしたんだ、顔を赤くして?」
「一番の問題児はそこにいる留学生だぁ!」
「本当にどうしたんだ!?」
元気になったようでよかった。
そのまま素知らぬふりで、俺は俺で登校の用意をする。
仕組まれた共同生活も、悪いものじゃないかもしれない。