第二十話
気付いた時、世界は闇に包まれていた。
ひたすらに黒く塗りつぶされた世界。
咲夜は何度か瞬きを繰り返し、自らの手を目の前に掲げてみたけれど自分の手すら確認することはできなかった。
「ひょっと死んだの?」
思わず声に出してつぶやくも誰も答えてくれる人はいない。ひたすら待っても変わらない深い闇の世界に咲夜の不安は強くなっていった。
「誰か・・・。誰かいないの?!」
うわずる声で叫ぶと背後から声がかかった。
「さっちゃん?」
小さい子特有の高い声。そして咲夜のことをさっちゃんと呼んでいたのはただ一人。
振り返るとそこには甥っ子の修真が立っていた。
「修真っ!!!」
思わず駆け寄り抱きしめる。柔らかいからだに涙が出る。喉が千切れんばかりに泣き叫んだ最期の時を思い出す。
「さっちゃんここでなにしているの?」
顔を見つめ額を寄せるときょとんとした顔で修真が尋ねてくる。
「さっちゃんもわかんない。修真はどうしてここにいるの?」
暗闇の中、自分の手すら確認できなかったのに、なぜだか修真の姿は見える。そして修真に触れていると自分の姿も確認できた。
まるで灯りに寄っているようだ。修真の身体が光っているのだろうか?
「ぼくはね~さっちゃんがきたっていうからきただけだよ?」
そういいながら首をかしげる。すでに修真の興味は自分に無く、そっぽを向いてしまっている。
修真はそういう子だ。コミュニケーションがうまく取れない。
それが姉を追い詰める結果になった。
「修真ごめんね。修真と修真のママを助けてあげられなくてごめんね。」
涙でぐちゃぐちゃになりながら修真を抱きしめる。腕の中で修真はイヤイヤと逃れようともがいている。それでもなお強く抱きしめた。
-その子どもとともにここを去るのもまたひとつだ。-
修真の肩に顔をうずめていると頭上から声がし、咲夜は顔をあげる。
その声は久々に聞く、頭に響く声。
咲夜の運命を惑わす白い神の使い。
最初見たときと変わらない真っ白に光る体躯と藍色の瞳を持つ獣がたたずんでいる。
「今まで何してたのよ。何も告げずに消えて、でも私は消えたあんたに振り回されてばっかりいたのよっ!」
悠然とした姿をみていたらふつふつと怒りがこみ上げてくる。周りからは神獣の守護を受けた娘ともてはやされる。でもその姿を見たのは一度だけ守護を受けているといわれても何も出来ない。いつだって咲夜は自分ではなく自分の後ろにいる神獣のためだけに存在していて誰にも認めてもらっていない気持ちでいっぱいだった。
先程までの涙とは違う悔しさから生まれる涙が頬を伝う。
声を殺して泣く咲夜を神獣は黙って見つめていた。
ひとしきり泣くと咲夜の気持ちも落ち着いてくる。
思い切り鼻をすすると涙を拭いて前に立つ神獣を見つめる。
「ねぇ。ほんとは私に何かさせたいんじゃないの?」
いつも感じていた漠然とした疑問。
「あの時私を守護しなくたってあの世界には何にも変わらない。一人の異世界人が人知れず死んでるか、いち市民として生きて寿命を全うしただけだわ。でも貴方が私を守護したことによって国レベルの問題になり、たくさんの人に大きな影響を及ぼすことになった。
それって本来貴方達にとっては都合の悪いことなんじゃないの? それを犯してまで私を守護したのには目的があるんでしょう?」
理由が欲しかった。あの世界で生きている自分の理由が。
-変革の歯車が動き始めた。しかしその歯車にお前が必要かどうかはわからない。私とて未来は読めぬ。-
神獣が一歩咲夜との距離を縮める。すると今まで咲夜の隣でおとなしく座っていた修真が立ち上がるとぱっと走り出す。
「修真!?」
慌てて咲夜が後を追おうとすると神獣が声をかける。
-そのまま子どもの後を付いて行けば、その先には死後の世界が待っている。-
その言葉に思わず足を止め、振り返る。
-逆を行けばまたあの世界に戻る。-
神獣が見つめる先には闇がただ広がっている。
-どちらを選ぶもお前次第だ。-
「目的は何も無いの?」
私は本当に神の気まぐれで守護を受けただけなのだろうか?
-死を選ぶもまたお前の人生である。戻れば変革の歯車に巻き込まれることもあり、また巻き込まれず一生を終える道もある。私に意図があろうとなかろうと全て選択する権利はお前にある。いくら神の領域で生きる者でもお前の人生を操ることはできないのだ。-
「さっちゃーん?」
遠くで修真の呼ぶ声がする。もうつまらなくて帰りたいといった表情だ。
修真といけばもう悩んだりしなくていいのかもしれない。ラチュアを見るたびに修真を思い出すことも無くなるだろう。
ラチュア・・・。
ふとあの紫色の瞳がよみがえる。なんとなく誰もいない暗闇から誰かに呼ばれた気がした。
「さっちゃん?」
不機嫌な表情で修真が戻ってくる。修真をもう一度ぎゅっと抱きしめた。
「修真ごめんね。さっちゃんは一緒に行けないの。」
-戻るのか?-
神獣の声に咲夜は向き合う。
「たぶんラチュアが待っているから。もうこれ以上あの子を傷つけられないもの。」
「私は変革とかはわかんないけど、今の世界で関わってきた人たちを大切に思う気持ちはあるんだ。だから戻ることで守れるのならもうちょっと頑張ってみます。」
神獣の表情は変わらなかった。
修真に目線を移すとぎゅっと手を握られる。軽く笑ってぱっと走っていってしまった。
「修真っ!!!ばいばいっ!!」
またしても涙が溢れてくる。涙声にかすれながらも叫び、手を振る。
「ばいばーい」
修真も明るい声で手を振り返す。
修真を見送ると咲夜は振り返り、暗闇の中を歩き出した。