悪夢の復活祭(イースター)
警告・New Age Beginningの続編であるために先にオリジナルを刮目せよ。そして本編に突入くれたし。
それは既に砂時計の砂が下に落ち時を刻むように静かに正確に動いていた。
それは常に私たちの知らない場所にありながらすぐ側で進化していった。
それは更に誰しもが皆気づく事なく確実に広がっていた。
それは用心深く皆が注意していれば防げたかもしれない。
・・・しかし私たちの感覚は麻痺されそれを見過ごしてしまった。
もう何をするにも遅すぎる。止めることなど誰一人出来はしない。
それは当然のごとく着実に一寸の狂いも無く私たちと共に動いている。それは常日頃から徐々にしかも正確に私たちを蝕んでいった。それに気付いた時にはもう遅い。もう取り返しのつかない事態まで来ている。支配はすでに始まっている・・・。
見上げると今日もまた見渡す限り澄みきった雲ひとつ無い青空がいつもの様に広がっている。街のそびえ立つビル群が太陽の光に反射して銀色に照り返してくる。騒音はいつもながら目まぐるしく人混みが溢れかえっている。午前八時三十分。そういう私も人混みのひとつ、いつもの様に通勤途中だ。身動きが出来ないほど押し込まれた電車から掃き出され、まるで競争をしている様に小走りでゴールとなる会社に向かう。そんな年中変わらない日々がこの頃、この青い空とは裏腹にどんよりとした鉛色の雲に覆われた様な重いものが私の気持ちの中に広がっていた。
宇宙開発局。此処が私が長年務める自分の居所だ。今日も一日、慣れた仕事が待っている。私の慣れた仕事というのは、火星移住計画により火星に移住した人たちの生活データを収集して今後、より良い生活基準を満たすために次の新たな移住者の資料を送り、また火星で生まれた新しい家族と暮らすためにも蓄積したデータをコンピューターに掛け分析するのが日課である。今のところ何の問題も無く残業も無く定時の夕方五時には家路に向かっている。考えてみれば会社と家との往復で何の取り柄もない毎日が今の今までは変わりなく続いていたのだ。ところが、この頃つい最近から私の気持ちをザワツカせる妙な気分が仕事の最中に起こり始めている。それはまた幾度となく感じる心に広がる鉛色の雲の重苦しいものなのかもしれない。ふと我に返ると私の前のデスクに座る愛らしい女性を私を眺めていた。美しい顔の割には背筋が凍る様な鋭い視線だ。彼女については詳しくは知らないが最近新しく配属されたらしい。ここに移ってもう何日目になるだろう。またどうも身体の中からなんとも言えない違和感が襲ってきた。
「ねぇ・・、西山さん・・」
データグラフを分析していると突然!目の前の愛らしい女性が声を掛けてきた。私は不意打ちを突かれ拍子抜けな声を出してしまった。これまで私も話掛けた事はないが、以外や向こうから呼び止められてくるというのも初めてだ。
「今日、私と一緒に残業できますか・・」
何かと思えば予測を超える質問にまたもや不意打ちを突かれた。
「溜まった仕事が出来なくて私、遅くなりそうなんです・・。私の仕事手伝ってくれませんか・・」
意味ありげな訴えにすかさず良い返事を返した。断る理由も無いからだ。これまで残業などした事などないが毎日のルーティーンをはみ出すのも、たまにはいいだろう。しかし、この会話の間にも胸が苦しくなってきているのは何なのであろう・・。
「ありがとうございます。ほんと恩に着ります」
愛らしい女性が私の目の前で無邪気に笑った。鋭い視線が少しは和らいだ。その愛らしい女性の名前は確か・・、覚え出せないな・・。しかし自分の名前も久々に聞いた感じがする。それどころか初めて呼ばれた感覚に陥ってしまう。自分はそんな名前だったのだろうか・・?そんな事を考えながらいつもの流れで淡々と仕事を熟していくうちに、昼休みの時間が瞬く間にやってきた。最近の主流の食事といえばカロリー低めのドライな宇宙食が人気を呼び、それひとつで3食分の栄養が摂れるというが食った気がしない。私から言えばジャンクフードだ。今日も独り食堂で昔ながらの固形物を頂こうとしよう。今の口の感覚は天ぷらうどんの気分かな?
「奇遇ですね!私も天ぷらうどんなんです」
うどんを啜っていると、あの愛らしい女性が天ぷらうどんの乗ったトレイを持って目の前に座ってきた。私は突然の事にうどんを吹き出してしまった。
「ほんと私、西山さんのお膝元に就けてたいへん嬉しいです」
お膝元?どういう事だ?部下ということだろうか?そんな事聞いてもないぞ。私は天ぷらを噛りながら頭をフル回転させた。しかしこの間、胸の高まる動揺は抑えきれず熱いうどんに輪を掛けて額から汗がより一層垂れ落ちてきた。
「それに西山さんを探し出すのにたいへん時間が掛かりました」
またどういう事だ?まぁ宇宙開発局といえば大企業だ。大勢の社員が働き沢山の部署もある。そこからようやく私を見つけたという事か?結構そんなに私は有名人なのか・・?まさか・・。
「これからも私の事を気に掛けて下さいね」
なんだろう・・。この胸を貫く感触は・・。熱いうどんを食べている所為かまた余計に汗が溢れ出してくる。
「それでは今晩の残業、お待ちしてまぁす」
愛らしい女性は天ぷらうどんには一切手も触れずに喋るだけ喋って席を立った。私は顔を赤らめながら汁を残らず一気に飲み干した。
午後からの時間は怒涛のように過ぎ去っていった。目まぐるしく動き回る体を止め窓に目をやると日暮れが近づいていた。いつもなら淡々と過ぎてゆく一日が今日は長く感じた。そうだ、今からも長い時間が続くんだ。そう、あの愛らしい女性が残した仕事を手伝わなくてはならない。あの瞬間、なぜ咄嗟に都合の良い返事をしたんだ?そうだ、あの目だ。あの愛らしい女性は容姿も美しく、素振りも気品で良いのだが、その冷たく突き刺さる目で見られると恐ろしいものを感じ、自分の言いたい事も裏腹に相手のペースにはまり言い分をついうっかり聞いてしまう。残業を承諾したのも蛇に睨まれた蛙の様なものだったのだろうか・・。今となっては毎日のローテーションが恋しくなった。まぁいいさ。少しでも二人だけの時間が出来るんだ。そう思うと気持ちが高鳴る。心臓の鼓動が爆発的に早く打ち始めた。
「あっ、西山さん。五時になったらお願いしますね」
偶然、廊下の角から愛らしい女性が顔を出した。私は突然のことで感情が頂点を達した。またどうしてだろう・・。頭の中で膨れ上がり、胸が押しつぶされるほど苦しくなる。また愛らしい女性の目が突き刺さる。私は笑顔で返した。
「嬉しいー!この御礼はきっと返します!」
また突然、愛らしい女性が急に私に飛びついてきた。今度は頭の中が真っ白になり呼吸も激しくなった。愛らしい女性はその後あっけらかんとした笑顔で廊下を駆けていった。
夕方五時近く私は一日業務の終りの日課の場所にいた。男子トイレだ。その日の疲労が全て流れ出ていく開放感に酔いしれながら、オレンジ色に染まる夕日を窓から眺めていた。遠くで五時を知らせる時報の鐘の音が聞こえる。さぁ、あの愛らしい女性と二人の時間を過ごそう。・・いやいや残業だ。そう考えていた瞬間・・、
"ドンッ!”
後ろの個室トイレのドアがうるさいくらいの激しい音を立て、けたたましく開いた。私は驚き振り返り身を縮めた。その中から一人の男性社員がふらふらとした足取りで出てきた。顔は血の気が引き体を支える力も無いほどで目もうつろだ。私は固まった体で恐れおののきながら、その光景を見ていた。力尽きたのであろうか、その男性社員は倒れ込み動かなくなった。私はようやく体に感覚が戻り、恐る恐るゆっくりと倒れている男性社員を覗き込んだ。私が間近まで近づいたその時、嗚咽と共に男性社員の口から異形な塊が吐き出された。それは赤黒く苦痛な表情を浮かべた胎児のような姿をしており長く伸びた尾っぽのような胴体は、まだ男性社員の口元から喉まで続いているようだった。私は目の前で何事が起こったのかも訳が分からず腰が抜け座り込んだ。どうしようもなく体が震え、どうする事も出来ず恐れ慄いていると、今度は男子トイレのドアがうるさいくらいの激しい音を立て、またけたたましく開いた。
「西山さん。そろそろ残業のお時間ですわ」
そこには愛らしい女性が男子トイレのドアを蹴破り飛ばして立っていた。
私は今何をしている?此処は何処だ?体に力が入らない。だけど・・、なんて静かで心地の良い場所なんだ。ベッドで横になっているのだろうか・・、このまま眠りにつきたい気分だ。誰かに病院に運ばれたのか?そういえば最近、体調不良が続いていた。なんとも言えない今までに無い違和感が常日頃もやもやと襲ってきていた。その原因は私の勘だとしたら新しく配属された私のデスクの前で座るあの女性が現れてからだ。まさか何か関係があるんだろうか・・?
「それは恋というものなのよ、西山さん・・」
あの女性の声だ。姿は見えず何処にいるかは分からないが声だけが脳に直接響いてくる。これがテレパシーというものか?恋・・?確かにそう言った。恋とは何だ・・?。
「人間には愛する前に恋をするというプロセスがあるのよ。西山さん・・。ただ命令どおり動く新人類には分かりづらいかもしれないけど・・。だけど、もうこの世界には恋愛しようとも男も女も性別は無くなっているわ。ただ外見で区別されているだけ。だから女と思っても生理は来ないわけ・・、なに恥ずかしい事言わせるのよ!」
新人類?性別が無くなった?いったい急に何を訳の分からない事を言い出して恥ずかしがっているんだあの女性は!愛する・・?、恋をする・・?、それは何なんだ・・。
「だけど西山さん・・。あなたは特別なのよ・・。考える事も出来るし感情もある。魂を奪われた新人類ではない」
私が新人類!あの女性の言っている事がさっぱり分からん。どっちにしろ私の思っていることが、あの女性に筒抜けじゃないか。あの女性は超能力者なのか・・。それとも夢でも見ているのだろうか・・。
「別に私が超能力者な訳でもなく、あなたが夢を見ている訳でもないわ。ただあなたの思っている疑問に答えてあげているだけよ。もう既にあなたの体と精神は分離されているわ。もうあなたの体は蒸発して無くなってカプセルに入った遺伝子だけの存在になっているのよ。だから眠っている様で意識だけは起きている」
あの女性からまた理解に追いつけない言葉が返ってきた。今の私はどういう状況なんだ。確かに感覚は夢見心地だ。手足どころか体の感覚が全く無い。本当に私の体はもう無くなったのだろうか。夢ならこれは絶対に悪夢だ。
「人間の体は殆どが水分なの。新人類も同じこと。いやそれ以上に寿命を満たすまでの栄養を含んだ水分だけの存在よ。だってあなた達は水溶液の中で造られた(うまれた)ですもの。そりゃ、廃棄されりゃ蒸発なんて当たり前でしょ。だけど体なんて直ぐに造り変えれるわよ。それよりそろそろ残業のお仕事よ。西山さん・・、あなたの出番が来たわ」
「君はいったい何者なんだ!残業してまでする仕事って何があるんだ!」
私は口から出せない言葉を大きく頭の中で叫んだ。
「私は帝国に盗まれたこの世界を長い間取り戻そうとしているの。そんなあなたをようやく見つけ出したのよ西山さん・・。いや、有沢1号。完全無比で完璧なDNAさん」
あの女性がそう言った瞬間、あの鋭い眼光が見開き突き刺さるイメージが脳裏をよぎった。そして私の意識に猛烈な電流が走りこれまで以上に心地よい闇の世界に沈んでいった。
・・つづく。