おやすみ鳥
おやすみ鳥がいなくなって、眠れなくなってしまった。
鳥に「おやすーみー」と鳴いてもらって、僕は毎日眠りについていたのだ。
ある朝目覚めて、枕元におやすみ鳥がいないことに気づいた。
柔らかく鮮やかな桜色の羽毛を持つ大切な鳥。
僕は不安になった。夜には帰ってくるだろうか……?
帰ってきてくれと祈った。
でも夜になっても帰ってこなかった。
僕は「おやすーみー」と鳴いてもらえなくて、就寝できなかった。
まんじりともせずに朝を迎えた。
鳥はどこへ飛んでいってしまったのだろう。僕になついてくれていたのに……。
次の日も、その次の日もおやすみ鳥は帰ってこなかった。
僕は夜眠れなくなってしまった。
完全に睡眠が取れなくなったわけではない。
人間はまったく眠らないと倒れてしまう。
授業中に異様に眠くなって、寝落ちするようになった。
夜は布団に入っても、目が光って眠れない。
おやすみ鳥がどこへ行ってしまったのか気になって眠れなかった。
死んでしまったんじゃないかと心配で眠れなかった。
そもそも僕は眼光性不眠症に罹っていて、バードマジックがないとまともに眠れないのだ。
僕はおやすみ鳥を探し回った。
象滑り台の公園には樹木がたくさん生えていて、たくさんの野鳥が棲んでいる。隈なく探した。
僕の住む街をあてどなく歩き回った。鳥がいそうだったら、よその家の庭に不法侵入しさえした。
河原をかなり上流まで歩き、橋を渡ってから下流へ行き、海の近くの橋を渡ってこちら側へ戻り、また上流へ向かって歩いて戻ってきたりもした。
そんなふうに探した。いろいろな鳥を見たけれど、僕の鳥は見つからなかった。
「もうあの鳥はあきらめて、お医者さんに別の鳥を処方してもらったらどう?」とお母さんが言った。
おやすみ鳥は不思議な魔声を持っている。専門医が患者に合わせて選んでくれる。
高額だけれど、別の鳥を買うことは可能だ。
でも僕は嫌だった。
僕のおやすみ鳥でなければ嫌だった。
死んでしまったのならあきらめもつく。
でも生きている可能性があるうちに、別のおやすみ鳥を飼うなんて考えられなかった。
授業中に爆睡し、僕は生き延びていた。
「眼光性不眠症って、眠れない病気なんじゃないの? あなた、めちゃくちゃ寝てるけれど」と隣の席の七夕さんが言った。
七夕さんは背が高く、髪をショートカットにした女の子だ。明るい茶色に染めている。
「夜になると、まぶたが光る病気なんだ。太陽が出ている間は症状が出ない。だから昼間は眠れる」と僕は説明した。
「夜間学校に転校して、昼はお家で寝てたらいいんじゃない?」
「それもひとつの手だね」
放課後になると、僕はおやすみ鳥を探した。
隣町へ行ったり、そのまた隣町をうろついたり、前に歩いた河原の逆コースを行ったりした。
ばったりと七夕さんに出会ったことがあった。隣の隣の隣町にある亀池公園で鳥を探していたときのことだ。
「奇遇ね。この辺に住んでいるの?」
「けっこう離れてる。おやすみ鳥を探しているんだ」
「おやすみ鳥? なにそれ?」
おやすみ鳥は特殊な鳥で、知らない人も多い。僕は簡単に説明した。
「ふーん、見つからないと大変だね。一緒に探してあげる」七夕さんが小首をかしげながら言った。
「悪いよ」と僕は言った。
「わたし、散歩が趣味なのよ。悪くなんかないって」
七夕さんはときどき僕の鳥探しにつきあってくれるようになった。
おやすみ鳥を探して、七夕さんとあちこちを歩いた。
放課後、学校から出てすぐに鳥探しに行くこともあり、待ち合せて行くこともあった。
沈黙して歩くこともあり、しゃべりながら歩くこともあった。
「その病気、原因はなんなの? 謎のウイルスかなにか?」
「原因不明なんだ。精神的なものと言われることもあるけれど……」
「精神的? そんなものでまぶたが光ったりするものかしら?」
「ストレスが原因で発症するという研究もあるんだ。実際、僕は中学時代にいじめられていたときに発病したし……」
「ふーん、怖いね、ストレス」
「うん。怖いよ……」
七夕さんはいつからか毎日僕につきあってくれるようになった。
「悪いね」
「いいからいいから、気にしなくていいよ。どうせ散歩するんだし」
でも僕は気になった。
いつまでもおやすみ鳥探しにつきあわせるわけにはいかない。
「今月中に見つけることができなかったら、新しいおやすみ鳥を処方してもらうことにするよ」
「そう……。まあその方がいいわよね。夜眠れないのは苦しいだろうし……」
七夕さんはどことなく不機嫌そうに言った。
その夜、うとうととして、いつの間にか眠ってしまった。
朝になって、まぶたが光らなかったことに気づいて、僕は驚いた。
昨夜は症状が出なかった。どうして?
放課後、七夕さんと象滑り台の公園へ行った。
僕は自動販売機でふたり分の飲み物を買い、ひとつを七夕さんに渡した。
ブランコに隣り合って座り、象の鼻型の滑り台を見ながら、僕は言った。
「もしかしたら、もう鳥を探さなくてよくなったかもしれないんだ」
「どういうこと?」
「昨日、まぶたが光らなかったんだ」
「そうなの? よかったね!」
七夕さんは微笑み、心から喜んでくれているみたいだった。
「本当に治ってたらいいね」
「うん」
「でも……」
「でも?」
「そうしたら、この鳥探し散歩も終わっちゃうね」
「と、鳥は探しつづけたい!」
僕は思わずそう口走っていた。
「もし眼光性不眠症が治ったとしても、あの鳥は僕の大切なペットなんだ。家族みたいなものなんだよ。だから見つけたい」
「そう? じゃあ探しつづけようよ」
七夕さんがそう言ってくれて、僕はほっとした。
いつまでもつきあわせるわけにはいかないと思っていたけれど、同時に反対のことも思っていたのだ。
いつまでも一緒に歩いていたい……。
その夜も、その次の夜も、僕のまぶたは光らなかった。
眼光性不眠症の原因が精神的なものという説は、正解なのかもしれない。
七夕さんとの散歩は、僕の心からあらゆるストレスを吹き飛ばすほど楽しかったのだ。
七月七日は七夕さんの誕生日だった。
僕は彼女にささやかなプレゼントを渡し、すっかり定番の散歩コースになった象滑り台の公園を歩いていた。
くぬぎ林の小道を歩いていたとき、僕は背後で「おやすーみー、おやすーみー」というなつかしい鳴き声を聴いたような気がした。
すぐに振り返ったけれど、鳥の姿は見つからなかった。
「七夕さん、おやすみ鳥の声、聴こえなかった?」
「おやすーみーっていう鳴き声だよね。聴こえた気がする」
「探そう!」
僕たちは公園を走り回って、おやすみ鳥を探した。
日が暮れるまで粘ったけれど、ついに見つからなかった。
「残念だったね……」
「うん。でもまた探しに来よう」
僕たちは手をつないで、帰路についた。