4話
王宮の地下に有る薄暗い牢が有る場所。
そこに看守達の休憩室として設けられた、最低限椅子と机がそろっている部屋がある。
ダヴィッドはその椅子に座り、十数年前の資料をめくり続けていた。
扉がノックされ一人の男が入ってくる。屈強な体つきとは裏腹に申し訳なさそうな顔をしている。
「このような場所までお越しいただかなくても、いくらでもお持ちいたしましたのに」
「いや、これはただ自分の興味から調べている事だし。それに君も見慣れぬ私の部屋よりこの部屋のほうが緊張せず話せるだろう」
「国王様とお目通りできただけで、緊張はしています」
言葉の通りに全身を硬直させている男に笑みを返して、言葉を続ける。
「まあ良い。早速本題に入りたい。
君はこの地下牢で罪人の処刑を行っている、間違いないね」
「間違いありません」
「では、いつから行っている」
「先代の国王様の時から行っております」
「よし、では具体的な質問に移ろう。私の生まれた次の日に関してだ」
「聖人の生誕祭の日ですね。通例ではその日の処刑は翌日に持ち越される事になっています」
「しかし、私の生まれた年だけ一件の処刑が行われた、と書類には記されている」
男の表情が曇り、あらぬ方向を向いて唸る。それでも正確には思い出せなかったらしく、反省しきりの様子で答えた。
「・・・幾分か古い記憶なので思い違いでしたら申し訳ありません。
たしかその一件は「特例」を使って逮捕されたその日のうちに裁判が行われ、そしてその判決に従い処刑が執り行われたと記憶しています」
「そうだね。書類には全て同じ日付で記載されている。
これは完全に蛇足だが、このような「特例」は他にも」
「先代の国王様の時には、数か月に1回ほどでしょうか、そのような罪人もつれてこられていました」
男はそれについて個人的な意見は持っていない、とでも言うかのごとく客観的な事実のみを口にした。
「父も随分と強引な手法を持っていたようだ。
話を戻そう。これによるとその罪人は女性とあるが覚えているか」
「・・・なにぶん、このような仕事ではその対象一人一人に関心を持ってしまうと、自分の心が壊れていきそうで。
何かとっかかりになりそうな事はありませんでしょうか」
「そうだな、ここには罪状として「王族の殺害」と書かれている」
「あ、思い出しました。若い娘です」
「処刑の前に何か言い残していたりはしていないか」
「大抵の罪人は助けを懇願したり、罪を認めなかったり、たまに全てを理解して沈黙を貫く者も居ます。
その娘の場合は罪を認めませんでした。最期の瞬間まで偽りを叫び続けていました」
「それはどんな」
「たしか「私は子供を殺していない。その場に居た死産の赤子と取り換えただけだ」と。
私自身その現場にも裁判にも居ませんでしたから、それが本当か嘘かは知りえません。ただ裁判が有罪としたのであればその発言は嘘なのでしょう」
話の最後まで男は自分の意見は言わない。こんな男だからここで長い期間処刑人をしていられたのだろう。
「・・・なるほど。よくわかったありがとう。
これからもこの国を良くするために、頑張ってくれ」
「お心使いありがとうございます。万感の思いです」
男は笑顔で敬礼して部屋から出て行った。
はたしてこの若い娘の死の間際の証言は本当に助かりたい一心からのただの虚言なのだろうか。
ちょっとした出来事から始まったこの好奇心はここで終わると思っていたが、どうやらもう少し調べる所が出てきたようだ。
調べた先にもしかしたら驚くべき事実が埋まっているかもしれない。
「・・・まさかな」
独り言を呟いて自分も部屋を出た。
自室では大臣があまりよろしくない表情で待っていた。
報告の内容は大方予想が出来る。
「国王様。前線からの連絡で、そろそろ食料が尽きそうなので撤退の許可を欲しいとの事です」
「まあそろそろだと思っていた。今回の侵攻の失敗も相変わらずか」
「そのようです。あの傭兵部隊さえ居なければあのような小国一か月とかからずに攻め落とせていたでしょう」
「聞くところによれば、父はあの傭兵部隊の隊長を処刑する機会を見過ごしたそうだな。
まったく、父も面倒な物を残したものだ」
「・・・」
大臣は否定する訳にも肯定する訳にもいかず無言で返した。
「まあ良い。撤退を許可する」
「わかりました。すぐに伝えます」
ふと、一つの案が浮かぶ。
「待て、今王宮の警備などで戦場に行っていないのをかき集めたらどのぐらいになる」
大臣は唐突な発言にも頭を回し、適切な回答をしてくれた。
「・・・おおよそ小さい砦ぐらいなら突破出来そうな位は集められるとは思います」
「それだけ居れば十分だ。その中でも特に足の速い騎兵を中心に攻め込ませてから、撤退の許可を出せ」
「攻め込ませるとは」
理解しかねている大臣が聞いてくる。私は机に向かいながら答えた。
「捜索に当たらせていた密偵が途中で変死したりして、なかなか特定に手間取ったがようやく見つけた」
机の上に広がっているオラルカ王国周辺の地図のある一点をさし示した。
「奴らの村だ。騎兵達には徹底的に破壊しろと伝えろ。一人たりとも生存者を残すなと」
「かしこまりました」
大臣が恭しく頭を下げて部屋を出て行った。
「ようやく、父が成し遂げられなかった夢への第一歩が踏み出せる。
「神の子」たる私に不可能な事なんて無いのだ」
今回の戦も勝つ事は出来た。まさに辛勝だった。
両軍とも大きな痛手を負ったが、結局何も得るものは無かった。
我々もそこまで大喜びとはいかないながらも、勝利とわずかな報酬を手に村に帰る事になった。
帰り道の森の隙間から徐々に村が見えてくる。
それがくっきりと見えるようになってきて、それぞれの表情が凍り付いた。
家という家が焼かれ、瓦礫と燃え残りと灰になっていた。
急いで村の中に入る。
村の中央のちょっとした広場にはおびただしい数の人が重なり倒れていた。
負傷して残っていた仲間も女性も子供も全てが、傷つけられ血まみれで息を引き取っていた。
その人々が折り重なって出来た小山の上にはオラルカ王国の国旗がはためいていた。
亡骸の山の中に母の姿を見つけてしまい、私は膝から崩れ落ちた。
ルネは険しい表情で無言のまま、山から一人ずつ丁寧に降していった。
あるものはそれに倣って一人ずつ降し、あるものは親しい人の亡骸の周りで悲嘆に暮れる。
ある者の親だったり、子だったり、兄弟だったり。
私のもとに母メラニーが運ばれてきた。その冷たくなった手を握り涙をこぼした。
全ての亡骸を運び出した後、ルネは瓦礫の下から燃え残った布をかき集め、彼らに優しく掛けた。
ふと気になり見渡すも、どうやらリーズの姿が見当たらない。これだけの惨劇があって幸運にも彼女だけ助かったと思うのは無理があるだろう。
おおよそ彼らに連れていかれたのだろう。連れていかれた先でどうなっているかは考えたくもない。
ルネが同情を示すように肩をたたいてきた。
私と同じようにその場で悲しみに暮れている全員に同じように思いを伝えた後で、彼は皆から見える位置に移動して発言した。
「皆、親しい人を亡くしてつらいかも知れない。だがそんな君たちにあえて頼みたい。
まずは犠牲になった彼らに安住の地を用意してやって欲しい。出来る限り親しい人達がすぐ近くで眠れるように場所も一緒に考えてほしい。
また他の者は、生きている我々の面倒を見てほしい。具体的には焼け残った食料の確認ともしそれで足りなそうなら、町まで買い出しをお願いしたい。
体力が十分に余っている者はひとっ走りオラルカ王国まで行って、密偵に連絡を付けて動きが無いかを確認してきてほしい。
奴らの動き次第では、すぐに次の戦が始まる。
各々役割を終えたら十分に休養を取って、次の戦に備えるように」
彼の言葉を聞いているうちに、自分の中で違和感を覚えた。
彼は死者を弔おうと言った。その後に更なる戦の準備をするようにと言った。
彼はこれだけの事をされても全く何も変わっていなかった。
彼の言葉により私だけでなく皆が絶句していた。
「・・・ルネ隊長」
「エロア、どうした」
「あなたはこの状態を見ても、まだ先の戦の事を考えているのですか」
「確かに犠牲になった人は多く被害は甚大だ。だからこそすぐにでも態勢を立て直さなければ」
何を当然な事を聞いているんだ、とでも言いたげな表情の彼に対して、若干の怒りを覚える。
「せめて立ち止まって振り返る事をするぐらいの猶予はあるように思います」
「・・・何が言いたい」
ルネの表情が変わる。子供頃の私はあの顔がとても怖かった、しかし今は引くわけにはいかない。
「ルネ隊長、こうは考えられませんか。
今まで私たちは隊長の意思の下、オラルカ王国に敵対する形で傭兵稼業を行ってきました。
しかし現状として、オラルカ王国の軍事力は大きくなり、それに対して我々を雇ってくれている周辺各国は徐々に追い込まれています。
今はまだなんとかオラルカ王国の攻勢を押し返すことが出来ていますが、それが出来なくなる日もそう遠い未来では無いでしょう。
今回のこの襲撃もオラルカ王国にまだ余力がある事の現れだと思います。
今一度、どちらに加勢するかも含め考えを巡らせる時だと思います」
「エロア、つまり君はこの私にオラルカ王国に頭を下げろと言うわけか」
ルネの表情が更に激しくなる。こちらも必死に食らいつく。
「その通りです」
「私がオラルカ王国に対して、先代国王のバシールに対してどれほど恨みを持っているかは知っていると思っていたが」
「それは重々承知です。その上でお願いしています。
それに今オラルカ王国を治めているのはバシールでは無く、その息子のダヴィッドです。
あなたの恨みはバシールに対してであって、オラルカ王国ではなかったはずです」
「私はあの時、この村に最初の墓石を建てたあの時に、バシールに復讐を誓った。
その相手が病死したからといって、私の誓いを簡単に崩すわけにはいかない。
バシールが死んだ、ならばバシールが私たちを踏み台にして作り上げたあの国自体に復讐する事になんの問題がある」
「しかし、そのせいでこれだけの犠牲者が出たのですよ」
広場のあちらこちらに横たえられた、布を被せられた数多く亡骸を示して言った。
ルネは一瞬言葉に詰まるも、持論を展開した。
「確かに犠牲者は出た。
しかし、あの時に比べればまだ被害は小さい。
あの時の生き残りは私を含め数人しか居なかった。お前も知っている通りこの部隊の古参の奴らだ。
何とか生き延び、部隊を再構築して今の状況にまで大きくすることが出来た。
それにひきかえ今回の被害は人数的には多いかもしれないが、決して再起できなくなるほどではない。
だからもう一度、同じように繰り返して部隊を再構築するだけだ」
ルネには私の言葉は届いていないのだろうか。彼には考え直すという選択肢は出てこないようだ。
頭の中が真っ白になった。
「あんたが、母さんを殺したんだ」
この辺りからもう自分が何を叫んでいたか覚えていない。ただ思いつくままに誹謗中傷を投げつけた。
いつもだったら、ここまでの口論は発生しない。
それはいつも母が私を制して、口論が悪化する前に止めてくれていたから。
しかし、もう母は居ない。私の暴言をいさめてくれる人は居なくなった。
私の言葉に対して彼は反論もせずにただ聞いていただけだった。
その態度に対してとうとう私は剣に手を伸ばした。その瞬間に周りで私たち二人の会話を聞いていた仲間達が私を取り押さえ止めに入った。
彼はただ一言だけ。
「話し合いにならんな。頭を冷やして出直してこい」
それだけを言って立ち去った。
悔しいやらやるせないやらで頭の中の収集がついていない私に、仲間たちは目の前のやるべきことを提示してくれた。
犠牲になった人達の墓穴を掘りながら、どうするかを考えた。
そして全員を安置した後、私は皆の見ている前で改めて声を上げた。
「ルネさん。あなたの考えが変えられない事は良くわかりました」
「・・・」
ルネは相変わらずの無表情で私の言葉を聞いていた。
「でしたら私が行動するだけです。
私はこの部隊を抜けます」
「・・・半日考えぬいた答えがそれか」
「ええ。私はこの部隊を抜けて、オラルカ王国国王ダヴィッドのもとに行きます。
これ以上あなたと行動を共にしていても近い将来負け戦で倒れるのが目に見えています」
「オラルカ王国に行けば生き残れると」
「ええ。そしてそれを更に確実にするために、私の部下達も連れていきます。
そうすればこの部隊の力は半減する。そうなってしまえばこの部隊が戦場であげる武功も減り、全体の士気も下がる。
そこに十分な戦力のオラルカ王国と私たちが攻めれば、簡単に落とせる。
一国が負ければ残りの国は連鎖的に負けるか降伏するか、どちらかになるでしょう。
「オラルカ王国が」という気持ちも有ることは有りますが、それでも一国が支配する事で平和が訪れる。
これが一番犠牲の少なくする方法です」
私の考えを聞いて、ルネは鼻先で笑った。
「机上論だな。それにまず部下を連れていく事を私が許可しなかったらどうするつもりだ」
「・・・その時は力ずくでも」
「もうボロが出てきたな。
まあいいさ。出ていきたいなら出ていくと良い。但し連れて行って良いかどうかは本人の意思しだいだ」
ルネは私の方から向きを変えて、私達の周りを取り囲むようにしている仲間に話しかける。
「反逆者エロアの意見に同意して、この部隊から出ていきたい者はそうすると良い。
私は止めはしない。私の部下の中でもそう思う奴はそうすれば良い。
その机上論が正しければ、彼に付いていった方が生き残れるだろう。
・・・ただし、今後の戦場で君達反逆者の姿を見かけたら一瞬の迷いも無く切り伏せる」
彼が鋭い眼光と共に発した最後の一言は、皆を射すくめさせた。
わずかな沈黙の後、私の部下の中でも若手の一人が私に賛同してくれた。それに続くように私の部下達の大部分が私に付いてくれた。
私は私に付いてきてくれた仲間達を連れて村を出た。
その間、ルネはまるで関心が無いように装い、私たちに別れの言葉の一つもくれなかった。
今まではただ最終的に攻め込むべき場所だと思っていたオラルカ王国の王宮、攻め落とすのではなく正式な客として中に入りその謁見の間で待たされた。
国王を待つ間にも、私たちがここにつくまでに告げた内容が噂となって広まったらしく、謁見の間には宮廷で働く様々な人が見物人として集まってきた。
そんな見物人達を気にも留めずに待つ。謁見の間に居るのにも関わらず、兜を被り続けているのも彼らの話題の的なのだろう。
昔、ルネに言われたことがある。
「エロア、お前の顔は特徴的だ。だからもしオラルカ王国に行く機会が有った時は、常に兜を被っておけ。
そうすれば、その特徴的な顔立ちは覚えられずに済む。まあ、常に兜を被ってる非常識人としては覚えられるだろうがな。
そんなちょっとした事でその後の仕事がやり易くなるんだったら安い物だろう」
自分の顔が美醜の点から見た時、あまり良くない事は理解していた。
しかし、それを直球で指摘された事はさすがに驚いた。それでも、その言っている内容自体は道理が通っている。
今の状況として、確かにオラルカ王国に攻め込みに来たわけでは無い。その逆でその傘下に入ろうと考えてやって来た。
しかしそれはこちらの願望であって、快諾の握手の代わりに決裂の矢が飛んでくる可能性もないわけでは無い。
もしそうなった時、この場を逃げ延びても顔を覚えられているのはかなりの失点になるだろう。
ルネの言葉通りに行動する事も生理的に嫌ではあるが、その方が後に有効ならその選択肢を取らない理由にはならない。
しばらくして、若き国王が入ってきて中央に置かれた玉座に腰を掛けた。
「君が、あの悪名高き傭兵部隊で副隊長をしていたエロア。そしてその部下たちだね」
事前に国王の耳に入っていたのであろう内容をそのまま口にした感じで確認をされる。
「いかにも。ですがルネや彼の率いる傭兵部隊とは袂を分けまして、今は私を隊長とする別の部隊です」
兜の中から若干くぐもりながらも答える。
しかし、私の言葉により反応したのは目の前の国王では無く、周りの見物人達だった。
その様子を笑みを浮かべながら見ていた国王が口を開く。
「いや、すまない。実は君の事はまた別の事情から噂に上がっていてね。
私の部下、それも最前線で君たちと刃を交えているような一般兵達から上がった噂でね。
なんでも敵の傭兵部隊の中に、私とうり二つの声をした武将が居るとか。
そうはいっても一般兵達が私の声を直接聞く機会はあまり無いからね、ただの思い違いだろうと思われていた。
その答え合わせが、こうして私と君の声を直に聴き比べている見物人達さ。
話している私自身はそこまでとは思わないが、第三者からすると驚きに値するほどは似ているようだ」
「そう、ですか。私自身も全く気が付きませんでした」
「まあ、ただの戯言さ。では本題に入ろう」
国王の顔つきが変わる。
「君たちはこの国の軍隊に入りたい、そういう願いでよかったかな」
「はい。この国の軍隊に私達が入る事で末席が汚れるというのであれば、私達が今まで行ってきたように雇い入れていただく形でもかまいません」
「しかし、君たちがついこの間まで私に剣を向けていた。違うかね」
「・・・その通りです」
「そうした状態にあったにもかかわらず、君たちは「何かしらの」心変わりするきっかけでもあった為に、私のもとを訪れたと」
「・・・その通りです」
「君たちは私とこの国に忠誠が誓えるかい」
「ダヴィッド国王とオラルカ王国に忠誠を誓います」
「その態度は良い。しかし、言葉というのは軽い。心から思っていようが思っていまいが同じ言葉を口にする事が出来る。
君たちには次の戦での最前線をお願いしたい、それが条件だ」
「そのような条件でよければ、喜んでお受けします」
「だが、戦となれば君たちが元居た傭兵部隊も出て来るだろう。配置次第では彼らとぶつかることもあるだろう。
そうなったらどうする」
「敵軍として現れる以上、倒す以外の選択肢はありません」
「ほう、しかし、君たちにとって親しい人も居るのではないのか」
「その程度の覚悟はすでにできております」
「ふむ。ではひとまずはその言葉を信じよう。あとはそれを行動で示してもらえれば十分だ」
「ありがとうございます」
こうして大した波乱もなく、私たちはオラルカ王国の軍に入隊した。
エロアが半数を連れて行ってしまい、半減した自らの部隊を引き連れ次の戦場へと赴く。
敵陣にはエロア達の姿も見えたが、陣の配置的にこちらから何かができる場所では無かった。
それを確認して胸をなでおろす。
流石にあのような別れ方をしたとはいえ、できうる限り彼らとは戦いたくない。だからと言って戦に負けてやるわけにもいかない。
雑念を捨てて戦いに集中する。ただただ目の前の敵を倒し続ける。
そこそこ名の知れた私の部隊でも、出来る活躍には限界がある。更に人数が半減したこともその制限になる。
戦の結果は好意的に見れば引き分けだった。
実際は受けた被害などを考えれば圧倒的敗北だったが、敵も補給のために退却してくれた。
私達のような小さな部隊が少し頑張った程度では、人数と物量で勝る敵軍に勝利を収める事は出来なかった。
傷の手当てをしてから、今回の雇い主のもとを訪ねた。
「勝利をお渡しすることが出来ずすみませんでした、領主様」
「いやいや。君達が居なければこんな小国攻め落とされていただろう。それを押しとどめただけでも十分な働きだ」
「そう言っていただけると幸いです」
「しかし、次はそうはいかないだろうな。私の兵士達も随分と痛めつけられ、次の侵攻には手も足もでまい」
領主の表情は暗い。その頭の中ではすでに降伏を考えているのかもしれない。
私は一つ深呼吸をしてから提案を投げかけた。
「領主様。一つ加わっていただきたい事柄がありまして」
怪訝な顔をする領主に懐から出した書類を見せる。
領主はそれを手に取ると書かれた文章を読み始める。
表情を変えずに最後の署名まで入念に目を通した後に、顔を上げた。
「こんな事をしようとしていたのか。全く知らなかった」
「内容が内容だけに情報を漏洩させるわけにはいかなかったので、それを知っているのはそこに署名をしてくださった方々の外はごく少数です」
「この署名の感じただと、私が最後かな」
「結果的にそうなってしまいました。なにぶん秘密裏が最優先だったので、なかなか良い機会を見つけるのも大変で」
「この通りに行けば、確かにオラルカ王国に勝てるかもしれないな」
「少なくとも私はそう確信しておりますし、そちらに署名してくださった方々も私の意見に同意していただけました」
唸りながら考えを巡らせる領主。しばらくしてから口を開いた。
「懸念点が二つ」
「お伺いします」
「本質的には同じ問題なのだが、一つ目は実際に決行する時に彼らは本当に行動をしてくれるのか。確かに彼らが全員行動すれば間違いなく思惑通りに行くだろう。逆に言えば一人ぐらいは行動しなくてもまあ成功するという事になる。彼らは皆、オラルカ王国の国王の様に戦狂いではない。できうる事なら自分達の所に被害が来ないようにする事を考えるだろう。そうするとその決行の時に誰も来ない可能性もある」
「おっしゃる通りです。しかし、この機会を生かさなければいずれオラルカ王国に攻め滅ぼされる危機感もお持ちだと思っています。ですので乗ってくれる可能性は十分にあると思っています」
「確証はないわけか」
「それには返す言葉がありません」
「そうか。もう一つは誰が先陣を切るか。意気揚々と先陣を切って振り返ったら誰も付いてきていなければ、その先には敗北があるだけた」
「その点にはちゃんとお答え出来ます。私達がその先駆けになりましょう」
「君たちが。しかし、君たちはただの一部隊だ。それにどうやらその人数が半減したのだろう。そのような状況で先駆けとなっても、それこそすりつぶされて終わりじゃないか」
「少ない時は少ないなりの戦い方があります。それに予定ではそこに署名をしてくださった方々が十分に気が付く程度の号砲を鳴らせると思っています」
「なるほど。君たちがどのような方法を考えているかは知らないが、それ相応に期待できるのだろう。
いいだろう。これに署名しよう。
とはいってもこんな裏でこっそり回っているような署名にどれほどの効力があるのかはわからんがな」
「そこを突かれると痛いですね」
「仮に全てが成功したとして、どの国がどの程度持っていくかは全く記載されていないしな」
「そこら辺は、是非ともその署名されている皆様で机を囲んでもらう事を希望するのみです」
「そこまで先の事は考えていないと」
「私と私の傭兵部隊の目的はオラルカ王国を亡ぼす事だけですから。それさえ達成できればそれ以外は皆様にお任せします」
領主が署名を終えるとその紙をうやうやしく受け取る。
実際自分自身もこの紙に効果が有るとは思っていない。それでも、この紙きれ一枚がきっかけで周辺各国が一斉に攻め込めば、いかにオラルカ王国でも崩れるだろう。
領主と固い握手をして会談を終えた。