2話
月日が経てば当然年を取る。
生まれたての赤子も少年へと成長し、大人は老いる。
ダヴィッドと名付けられた王子も少年へと成長した。生まれ持っての顔つきの良さは更に磨きがかかり、その愛らしい顔貌は国王夫婦である両親だけでなく、側近や召使と言った周りの人たちも虜にした。
勉学も運動も両方とも得意で、どちらも他の同年代から頭一つ抜き出ていた。
そんな少年時代のある年の誕生日。
両親や国中が祝ってくれた。祝賀式典が終わると母はダヴィッドに言った。
「ダヴィッドの誕生日ですし、ここまであなたが無事に成長出来た事をご先祖様に報告に行きたいと思いますが、あなたはどうしますか」
「私も同行させてください」
「では、国王様はお忙しいでしょうし二人で参りましょう」
こうして母と共に王族の墓地を訪ねる事になった。
「こうやってあなたが無事に成長してくれて、私は本当にうれしいわ」
向かう馬車の中で母は何度となくそう口にした。
歴代の国王やそれに連なる王族達が眠る墓地。そこで母は静かに祈りを捧げた。
見よう見まねで同じように祈りを捧げた。
その時には一通りの文字は読めるようになっていた為、彼の中でいろいろ目に入った文章を読んでみるのが流行っていた。
そして墓碑を見つけ、そこに書かれている名前を一つずつ読んでいった。
一番真新しい所には「エーリア」と名が記されていた。その没した日はちょうど自分の誕生日であった。
落雷を受けたような衝撃が走った。この人はきっと何か自分に関係がある人のはずだ。そんな子供ならではのあいまいな憶測でしかない確信を得たダヴィッドは母に尋ねた。
「母上こちらの方はどなたですか」
少年の疑問に答えようと近づいてきた母は、その指し示す名前を見て表情を一変させ、悲しみを漂わせる表情で答えた。
「ダヴィッド。それはあなたの弟です」
「弟。初めて聞きました」
「あなたの双子の弟、エーリアはあなたと違い丈夫に生んであげる事が出来ませんでした。
一度の産声を上げる事も無く、そのまま息を引き取ってしまいました」
「・・・そう、だったのですね」
「ええ。ですからそんな可哀そうな弟の為に祈っておやりなさい。
そして、生きられなかった弟の分まで強く生きてちょうだいね」
「わかりました」
母は少年の返答に笑みを返した。そして、呟くように思い出を語り始めた。
「そういえば、あなたとエーリアの二人がまだ私のお腹の中に居る時に不思議な事が起こった事を思い出しました」
「それはどういった」
「夢の中で、あなたとエーリアの二人を天使様が祝福しに来てくれたのです」
「天使様の祝福ですか」
「ええ。残念な事に弟のエーリアは生きる事は叶いませんでしたが、あなたはこうして力強く成長していて、私は本当に嬉しいです。
そしてその天使様もきっとあなたの成長をお喜びになっているに違いありません」
「天使様が私の事を見ておいでになるのですね」
「ええ。もちろん」
そんな母との会話は少年の幼心に十二分に影響を与える事になった。
それから数か月後に、少年の母親たる王妃ミリアムがはやり病で病死した事もあり、少年の中で母の記憶はこの墓地での会話が一番大きく残った。
一方で同日に生まれたエロアもまた成長をした。
彼が成長するにあたりどのような環境で育ったかを知るには、その引き取り手であるルネの過去を少し知らなければならない。
ルネは小さい時から体格に恵まれていた。
喧嘩をすれば必ず勝つし、またその強さと性格から彼を慕う取り巻きも居た。
農家の子供だったが細々とした農業には見向きもしなかった。
彼は自らの力を一番に生かせる軍隊に入る事を考えた。しかし、彼には自らを過信する癖が有った。
「一つの国の軍隊に入って給金をもらうより、色々な国に自らの強さを売り込み、その時その時で一番高値を出した所に力を貸す方がより稼げるのでは」
彼は取り巻きの数人と共に傭兵部隊を組織した。
そして戦を始めようとしている各国に自分たちの強さを売り込んだ。
最初こそはした金しか貰えなかったが、その金額以上の働きをして戦をしている両国に印象付けた。
徐々にその強さが認知されていき、ある程度まとまった金額で雇おうとしてくれる国も現れ始めた。
しかし、彼はまだ若く驕り高ぶっていた。
彼らはお金に対してだけ忠誠を誓っていた。
武勲をあげてどんなに感謝されても、敵国の示した金額次第で刃を向ける。
そんな事を続けていたため当然敵は多かったが、それでも納得させるだけの強さを持ち合わせていた。
しまいには敵国に使われるぐらいならという消極的な理由から、大金を積む国まで出てくる始末だった。
そうして順風満帆だった彼の傭兵部隊はある時一つの国に雇われた。
雇い主は若かりし頃のバシール国王。
金払いも良く、ルネ達にとっては良いお得意さんだった。
その時の国王は若い事もありかなり好戦的だった。自ら戦場に赴き、部下たちを鼓舞してひたすらに勝利を重ねていた。
退却する敵国を追い詰める形で、どんどんと敵国内部に戦場を移していった。
味方はもちろん、もしかしたら敵兵すら国王の侵攻軍の勝利を予感していたはず。
国王は一つの指示を出した。それは特別変わった指示では無かった、その為国王の参謀を始め誰一人諫める事は無かった。
しかし、後になって振り返るとこの指示で潮目が変わった。
押していたはずの前線が崩され、敵の攻勢が始まってしまった。
すでに敵国の奥深くまで、戦線を細長く伸ばしてしまっていたため正面からだけでなく、反撃に出た敵に左右から挟まれる形となってしまった。
国王軍はしばらくは持ちこたえようと防戦するも、その勢いには耐えきれなかった。
国王は苦渋の表情で撤退を告げた。
状況が急変し、蜂の巣を突いたような騒ぎとなった国王軍の中で、未だ最前線で剣を振るい続けていたルネは国王から呼び出しを受けた。
いらだちを覚えつつその場を仲間に任せ、国王の陣に移動した。
「何用でしょうか」
「ずいぶんな言いようだな、雇われの分際で」
「雇われた以上はその報酬分の働きをしなければ、自分たちの信用にかかわります。して、動きを見るにどうやら撤退のようですな」
「致し方なく、そうするほか無いだろう。そこで君たちの部隊には最後尾を頼みたい」
「最後尾、ですか」
「そう、敵からの弓矢や剣を一身に受けて、他の者の移動の時間を稼ぐ大切な役目だ」
「つまりは私の部隊は大変傷つきますな」
「そうだろうな」
「その埋め合わせは」
「無事撤退に成功したあかつきには、予定していた報酬を倍額にして渡そう」
「倍額ですか。それだけではあなた方を逃がす為に亡くなっていく私の部下たちに墓の一つも建ててやれません」
「守銭奴め。では3倍額でどうだ」
「では、必ずや成功させてみせましょう」
国王に会釈をして自分たちの持ち場に急いだ。その間にも撤退を始めている部隊がいた。
目の前の敵と切り交わしながら、叫んだ。
「我々の次の仕事は国王様が悠々と凱旋出来るように、最後尾で追っ手を向かい打つ。
弱気に死にそうだと思った奴は死ね。そうすれば生き残った奴の、3倍に膨れ上がった報酬の山分け額がさらに膨らむ」
彼らの間で品のない笑いと共に歓声が上がる。彼の部隊には最後尾だからと言って弱気になるような者は一人も居なかった。
撤退戦は二日間に及んだ。その間彼らの部隊は追いすがる敵兵を返り討ちにし、本陣の移動の足が鈍れば、それ以上寄せ付けないようにその場に戦線を引いた。
彼らの不眠不休の働きにより、本陣への被害は最小限となった。
その代わり、彼の部隊の大半が帰り着く事が出来なかった。
国境を越えて安心できる所まで退くと、彼らはその二日間の疲労をしばしの休息で癒した。
そして、血と泥で汚れた鎧姿のまま、国王の謁見の間に足を向けた。
国王はすでに鎧を脱ぎ、普段の服へと着替えていた。
まるで場違いな者が現れたとでも言いそうな、怪訝な顔をして口を開いた。
「あの激しい追手からよくぞ戻って来た」
「多くの仲間を失いました」
「そのようだな」
「彼らの弔いの為にも、お約束の方を」
ルネが急いで国王に謁見を求めたのもこの為だった。下手に日を置いてから訪れていたら、あの火急の現場での口約束が有耶無耶にされかねない。
言った言わないの水かけ論で、雇われ側が勝てる訳が無い。
国王は一つ溜息を付いた。
「しかしだ、ルネ隊長。君と約束をした報酬は何に対しての報酬だったかね」
国王がごね出したと思いながらも、ルネは丁寧に答えた。
「私の傭兵部隊はあなた様に雇われ、あなた様の刃の一太刀として尽力いたしました。その労力に対するご報酬だったと記憶しております。
そして、私の記憶に違いが無ければ、撤退をするにあたり私たちに最後尾をお申し付けました。その更なる労力に対して報酬を3倍にするとお約束していただけました」
「そうだ。しかし、君たちは確かに随分と人数は減らしたようだが、帰ってこられた」
「それこそ我々の力の証明だと思いますが」
「本当にそうかね」
国王は布ずれの音をさせながら座りなおした。
「どういった意味でしょうか」
どんな事を言われても言い返せるように、気を張りなおして聞き返す。
「本当はあいつらに逃がしてもらったのでないのかね。そうであれば本来なら君たちの部隊が全滅してもおかしくないあの撤退戦で、少数とはいえ君たちが生き残った事も理解できる。
君は積まれた報酬の額でころころと主を変える。今回も私の下に居るように見せかけて、あいつらと繋がっていたのではないのか。
そうだとすれば、あそこで突如状況が急変したのも納得できる」
「何を根拠にそんな戯言を」
「君たちがこうしてここに居る事がその根拠だよ。金に汚い君たちの事だ、私からそしてあいつらからもたらふく巻き上げようという魂胆だろう」
突然の言いがかりに驚きながら、それを発した国王を見た。そして、その表情から察した。
国王は自分が発したそんな事は全く信じていない。ただ我々に罪を擦り付けようとしているだけだ。
そうすれば、我々を罪人として糾弾でき3倍額どころかその元の額ですら報酬を払わずに済む。
国王は我々に最後尾を任せた時から、そう算段していたのだろう。全滅すればそれで良し、そうならなくても一つ言いがかりを付けるだけで全て済む。
国王は声色を変えた。
「内通者を捕らえよ」
今まで謁見の間の飾りのように存在感の無かった衛兵達が、一斉に襲い掛かってきた。
突然だった事や、未だ疲れの取り切れていない体、そのような十分でない状況で数多の衛兵に打ち勝てる訳がなかった。
数名の仲間が何とか抵抗しようとするも、切り伏せられる。
床に押さえつけられたルネ達を正に見下しながら国王は口を開いた。
「我が軍を敗走せざるを得ない状況に陥らせた罪は大きい。
本来であれば全員処刑するべき所だが、先の戦いでの君たちの功績はそこそこ認められるべきだろう。
そこで、寛大な処置として国外追放を言い渡す。即刻立ち去るように。
なに、そんな悪い話ではあるまい。君たちが裏でつながっていた国に返してあげるというのだから。
君たちがあの国の内通者であれば、きっと助けてくれるだろう。
もし、違うのであれば、まあ、そうだな、敵兵を一人でも多く倒せるようになるべく長く生き延びてくれ」
いやらしい笑みを浮かべて国王はそう言い放った。
反論する暇もないまま、ルネ達は兵士に引っ張られて謁見の間から締め出される。
そのまま兵士達に剣を向けられたまま来た道を歩かされる。
国境まで連れてこられると、解放され兵士から激しい口調で命令が飛んできた。
「さあ、さっさと向こうに帰れ。いつまでもここに残っていたり、こちらに戻ってこようとする気配を感じたりしたら即刻射掛けるからな」
彼らはしぶしぶ国境を越えて、ちょっと前に必死な思いで撤退戦を繰り広げた道を戻った。
森の中を慎重に進み、いまだに殺気立っているであろう敵兵に見つからないようにするのがやっとだった。
そんな逃亡を数日続けた。
ここまでついてきてくれた仲間の中には、先の戦いで深い傷を負った者も居た。
彼はそれ以上の逃亡には付いていけないからと、自らを置いていくように勧めた。
彼の傷口は彼をここに放置すればどうなるか、否が応でも語っていた。
ルネは苦しみの表情で、彼に別れを告げた。
彼らは国境付近の廃村に目を付けて、そこを拠点とした。
彼らは拠点とした村の外れに一つの墓を建てた。
葬られている人のいない、ただ土を盛り墓石代わりに木をさしただけの簡素な墓。
彼らはその墓を先の戦いから撤退戦、そしてこの逃走までの間に倒れた仲間達の為の場所と定め、彼らに祈りをささげた。
ルネは祈りと共に彼らに誓いを建てた。
必ずバシール国王に復讐すると。
廃村を直して拠点として腰を据えた。
ルネはもう一度、傭兵部隊を作った。結局、彼らには剣を振るう以外の生き方が見つけられなかった。
しかし、前の時とは決定的に違う部分が有った。
彼らは決してオラルカ王国とは契約しなかった。それどころか侵攻戦や防衛戦にかかわらず、オラルカ王国と一戦交えようとする国に自分たちを売り込んだ。
たとえそれが、自分たちの拠点からどれだけ離れていようとも、どれだけ連戦になろうとも、彼らはそれらの国に雇われて戦いに明け暮れた。
戦場では兵士達やまれに一武将としか切り結ぶ事は出来ないが、それでも、そうして戦を続けていればいつの日か、バシール国王に刃を向けられる日が来ることを信じて。
一つの戦を勝利で終えて、拠点への帰路の最中に通りかかった町で一泊した。
防衛戦での勝利とはいえ嬉しい事には変わりなく、夜には集団で酒場に行き祝杯を挙げた。
一盛り上がりして、自分のジョッキが空になった為、ルネはカウンターに移動し店主に話しかけた。
「すみませんね。うちの奴らが大騒ぎして」
そんな謝罪に店主は笑顔で答えた。
「いや、いいんですよ。話を聞いている限り、この国の為に戦ってくださった方々なんでしょう。むしろ感謝するぐらいです」
「そう言ってもらえるとありがたいです」
会話をしながらジョッキを店主に差し出す。店主はそれを受け取りそこに酒を注ぎ始める。
その様子を見ながらふと、横に目を動かすとカウンターの隅の席に一人の老婆が座っていた。ちびちびと酒をなめるように飲んでいる。
旅の途中なのだろうか、老婆の脇には大荷物が置かれている。
酒で満たされたジョッキを渡してきた店主に対して視線を老婆に向けながら尋ねた。
「あの人は」
「なんでも、流れ者の占い師だそうです。最近この街に現れまして、失せ物探しから未来の事まで何でも占ってくれるそうですよ」
「へえ、でもその感じだとあなたは信じていないと」
店主は笑って答える。
「商売人は自分の目で見たものしか信じちゃ駄目ですよ。」
「それもそうですね」
少し店主と談笑してから、それでも興味が失せて無かった老婆に近づき話しかけた。
「すみませんね。うちの奴らが大騒ぎして」
老婆は酒をなめながら答えた。
「構いやせんよ。こうして客を捕まえられたわけだし」
笑いながら老婆はこちらを見た。
「客、ですか」
「そうさ、私は占いを生業にしていてね。なに、一つあんたの事を占ってやろう」
ここで断るのはさすがに無粋だと思い、苦笑を浮かべた。
「ではお願いします」
「いいとも」
老婆は大荷物を広げて、使い込まれた本を数冊と何やら図形が書かれた紙を引っ張り出す。
そうして準備をしているうちにルネから名前や年、生まれた場所や時間を聞き出す。
それを元に広げた紙の上に小石を配置していく。
「ちょっと待っておれ」そう言って、見慣れぬ道具を片手に酒屋を出ると、その道具を通して星空を観察し始めた。
折しもその夜の星空は、オラルカ王国の王宮から星読みが星を読んだ夜空だった。
同じ星空から星を読んでも、占う相手が違ければ結果は異なってくる。
カウンターの自分の席に戻ってきた老婆は、使い込まれた本を開きながら口を開いた。
「あんたには憎くてたまらない奴がいるだろう」
「・・・さあて、戦場に出ては敵を打ち倒すような事を商売にしていますから、俺の事を憎んでいる奴は数多いるとは思いますけど、自分からは、まあ、いなくは無いですね」
今日会ったばかりの人物に、自分の復讐の誓いを話す必要もないだろうと、適当にごまかす事にした。
「まあ、それが誰でもいいさ。そいつが今重要な状況に陥っているぞ。どうなるかは決まっていないが上手くいけば、あんたの喜ぶ方向に物事が進むかもしれない」
「ふうん。そうなれば嬉しいですが、それは決断を迫られているとかそんな感じですか」
「正しくはそれに出会うといった感じかの。赤の他人と知り合うとか、もしくは新しい命が生まれてくるとか」
「なるほど」
言われてバシール国王の事を考える。あの男は少し前に后を娶った、あの男の子供が后の腹の中に居てもおかしくないだろう。
「まあそこに関してはまだ決まっていないとしか言えんな。
いや、あんたの事を占おうと思っていたのに、あんたが憎んでいる奴の事の方が面白そうな事になっていたのでそっちを優先してしまった。
改めて、あんたの事だが正直に言おう、
あんたは夢の成就をその目で見る事は無い」
「・・・結構な言い草ですね」
「まてまて、そう苛立つな。あくまであんた自身が見る事が出来ないと言うだけだ。
あんたの生涯はまさに土台だ。あんたが自分の夢の為にしっかりと土台を固めれば、あんたの後を誰かが継いでくれるだろう。
その時に土台がしっかりしていればそれは成就するだろうし、あんたがこれを聞いて夢の為の歩みを止めるようなら、後に続く者も居ないだろう」
「なるほど。まあ、そういう事なら、」
老婆の言い分に溜飲を下げていると、後ろから声がかかる。
どうやら仲間達が老婆の占いを盗み聞きしていたらしい。
「大丈夫ですよ、隊長。隊長が居なくなったら俺が部隊を率いて、あいつの首を取ってやりますから」
仲間の1人の声を他の仲間が遮る。
「馬鹿言うな。お前が率いたらあっという間に全滅しちまう。隊長、その時はこの俺に託して下さい」
喧嘩が勃発しそうな二人をなだめてから、老婆に向きなおる。
「いや、信じるかどうかは置いておいて、十分に今後の行動指針になりそうな助言でした。
代金の代わりにそちらの酒代をおごりますよ」
「ほう、そりゃあありがたい。マスター追加で」
「わかりました」
店主は笑いながら老婆の酒を注ぎ足した。
自分たちの拠点に戻り、彼らに戦がない時の日常が戻る。
ルネの所には数か月おきにオラルカ王国に忍び込んでいる密偵が定期報告に戻って来る。
彼らの報告からあの国が考えている次の戦を事前に知る事が出来る。そのおかげで戦が始まる前にその敵対する国に自分たちを売り込む事が出来ていた。
密偵の報告ではすぐに発生しそうな戦は無いとの事。
「そうか、ではしばらくは農作業に集中出来そうだ」
自嘲気味に笑いながら答えた。
戦が無い間は、廃村から作り上げた拠点の周りの畑で農作業をして生活していた。
内心ではすぐにでもあの国と戦をして、国王を戦場に引きずり出してやりたいのに。
「後はただの雑多な話で、ちょっと妙な事が一件ありまして」
密偵は珍しく当惑している感じで話を続けた。
「既に知っている事だとは思いますが、后ミリアムが身ごもっています。
しかし、その子供に関して表向き一人と発表していますが、確かな情報として双子である事が分かっています」
それが何を意味するか、いまいち理解できず、考察のため質問を返す。
「それは明確に一人を隠している、と言う事か」
「おそらくは」
「何のために」
「そこまではわかりません。ちなみに出産予定日も把握はしています」
少し前に酒場で出会った占い師の老婆の言葉を思い出す。その事とこの子供の件がなぜか頭の中で結びついた。
「出産までは戦はなさそうなんだな」
「ええ。それはたしかです」
「では少し気になるから、そこを監視しておいてほしい。・・・いや、興味が湧いた。たまには俺も行こう」
「では、準備を整えます」
密偵はそう言って下がった。
何か面白いものが見られるかもしれない。それこそバシール国王を詰める時に有用になるかもしれない一幕を目の当たりに出来るかもしれない。
そんな淡い期待を持って、久しぶりのオラルカ王国への密入国をすることを決めた。
出産予定日が近づいてくるとミリアム王妃が修道院に併設された病院に入院することになった。
患者や事務員に成りすます事で、中に入ることが出来た。
密偵の報告にもあったように、正式な発表としては双子である事を明記されたものは無かった。
それどころかかなり厳重にかん口令を敷かれているらしく、その事実を知っているのはごく少数だった。
そんな事を病院内で探っているうちに、王妃が入っている特別室付近がにわかにあわただしくなった。
中庭で日光浴をする病人のふりをして、かすかに聞こえてくる音を聞いていた。
出産が終わった後、双子のうち一人が別室に連れていかれた。
直感がこれだと告げた。
その別室をのぞき込むと一人の助手が生まれたばかりの赤子を前に蒼白な面持ちで、必死に何かを決断しようとしていた。
やがてその助手はその赤子を抱えて、中庭に出てきた。
その表情は未だに悲痛なままだった。
助手のうつろな目は別方向から中庭に入ってきた一人の女性、正確にはその女性が抱えていた赤子に向けられた。
その赤子は泣き声一つ上げず、ただ泣き続ける女性に抱えられていた。
ルネはそこから先に見た光景について、夢か幻でも見ているのかと思った。
彼女たちはほとんど無口のまま、身振りだけで交渉が成立した。
二人は取引が済むとすぐに赤の他人に戻り、助手は病院内に向かい、女性は中庭から直接外に出て行った。
こうなればこれ以上ミリアム王妃の周りを探っていても仕方が無い。追いかける対象はその女性に変更してその後をつけた。
貧困街の一軒の家に入るのを確認して、その周りの酒場に入りその女性のうわべだけでも調べた。
未亡人であることとその亡くなった旦那の名前。これさえあれば後はどうにかなるだろう。
メラニーと言う名前だったその女性を数日掛けて説得して、自分と共に国外に出た。
説得の都合上、自分の恩人の奥さんという尊敬を向けるべき対象にはなってしまったが、それ以上の収穫が有った。
生まれてすぐに亡くなるはずだった、バシール国王の息子。
この子を育て上げれば、バシール国王に対するこの上ない武器になるだろう。
ルネは野望の実現の為に「エロア」と名付けられた子供をわが子のように育てた。
彼の半生からわかるように、教えられるのはもっぱら剣の振り方などばかりだったが、エロアはそれらをすぐに自分のものとした。
素直なエロア村の誰からも好かれ、そんな一風変わった村の中ですくすくと育っていった。