1話
オラルカ王国の国王バシールが后ミリアムを娶ってから一年ほど経ち、とうとう懐妊の知らせが国中に響いた。
国中がお祝いの雰囲気の中、諫言を呈する家臣の様に渋い顔をする者が一人居た。
国王お抱えである星読みの老婆。国王は重要事項の日程を選定する材料にする程に、老婆の占いを重要視していた。
念願だった跡取りの見込みが出来て、ためでたい話を肴に私室でくつろいでいる国王のもとに、そんな渋い顔の老婆が訪れた。
老婆の渋い顔を見て、国王もまた表情を曇らせつつ、視線で老婆に発言を許可した。
「国王様。王妃様のご懐妊おめでとうございます。・・・しかし、星からの声はあまり良いものではありませんでした」
唐突な内容に更に表情を曇らせ、幾分かの苛立ちをにじませながら国王は答えた。
「どういうつもりだ。例え貴方とて、めでたい日にあまり迂闊な事は言うべきでは無いぞ」
「申し訳ありません。しかし、国王様も知っていらっしゃる通り、星からの声は耳を傾けるべきです」
老婆は食い下がり、国王に話を聞いて欲しいと懇願した。
国王もまた、これまでにこの星読みの老婆を通して星の声を聴き、それに従う事で色々な障害を乗り越えてきたという過去があった。
そのため、少しの間を置いてから発言の許可を与えた。
「・・・そこまで言うなら聞こう」
老婆は恭しく頭を下げた後、話し始めた。
「恐れ多くも申し上げます。
星の声はこう言っております。もし、生まれてくる御子が一人なら何も問題は無し、国王と御子の治世は安泰である、と。
しかし、生まれてくる御子が二人、つまり双子であれば、そのどちらかがこの国に暗雲をもたらす、と」
黙って聞いていた国王は聞き終わると静かに頷いた。
「なるほど。では生まれてくるのが一人であれば問題は無いのだな」
「その通りです」
「では、双子が生まれてこないように祈るしか無いな」
「ええ」
国王は相変わらず苦々しい顔のままだった。
その後、星読みの老婆の不吉な予言はごく少人数だけで共有された。
特に精神的な負担をかけるわけにはいかないという判断から、后に対しては秘匿するようにとの厳命が下された。
しばらくして后の腹の中の子は育ち、外目にも判るほどに后のお腹が大きくなる。
そのお腹の大きさと経過日数から、担当を任されていた医者は一つの診断を下した。
しかし、その診断が万が一にも外れていた時は一大事となる為、幾度となく多方面から確認をしてほぼ間違いが無い事を確かめた。
医者は国王の私室を訪ねると、挨拶もそこそこに緊張した声で国王に話しかけた。
「国王様。秘密裏に伝えたい事がございまして」
その医者の言葉を聞いて、国王は側近達に視線を送る。彼らは会釈をして退室していく。
残されたのは国王と医者のみ。
「それで、」
国王は医者に話を勧めた。
医者はかしこまりながら答えた。
「・・・御后様は双子を身籠っているようです」
報告する医者も、星読みの老婆の予言の内容は知っていた。だからこそ慎重に、間違えが無いように、何度となく確認をして、結論を導き出した。
「・・・そうか」
ともすれば無関心にも聞こえるほど、抑揚の無い返事だけが返ってきた。
「この事は一切の他言を禁じる。もし聞かれる事が有っても、腹の子は一人と答えるように」
「かしこまりました」
報告を終えると医者は退室した。その報告をもって国王がどのような考えを抱くか、どのような行動に出るかは医者の彼の埒外の話だった。
残された国王は身じろぎ一つせず、思案を巡らせる。
やがて椅子から立ち上がると自分の私室を出て、后のもとに向かった。
后はベッドに横になっていた。
国王は国王の肩書を横に置き、夫として妻に話しかけた。
「医者の言う事には元気に育っているそうじゃないか。よかった」
出来る限り笑顔で話しかけたが、妻は表情が暗かった。
「・・・お医者様は教えてくれませんでしたが、私には私自身の体の事ですからわかります。
お腹の中には二人の子がいるのですね」
「・・・それがどうした。素晴らしい事ではないか」
国王は表情を一瞬も歪める事無く、さらりと嘘を付いた。
心の内では、もしかしたら星読みの老婆の予言が后の耳に届いてしまっていた可能性を考え出していた。
そうだった場合どのような言葉を后にかけて、取り繕うかを考えながら、情報が漏れた経緯を予想し始めていた。
場合によっては極刑も視野に入ってくるかもしれない。
「・・・国王様、どうか心穏やかに私の話を聞いてください。
もしかしたら私の思い過ごしかもしれません。ええ、本当に只の夢でしかなかったかもしれません」
何かに怯えるように、所在なさげに視線をあちこちに向けながら、優雅とは程遠い早口で彼女は喋った。
国王は無言のまま頷いて、彼女の言葉を促した。
「あれは、忘れもしません。国王様に愛していただいた次の日の事です。
私は昨夜の充実感を思い出し味わいながら、眠りにつきました。
そして、夜中に起きました。いえ、正確には夢の中で起きたのかもしれません。
寝ていた私の上に覆いかぶさるように「何か」が居たのです。
その「何か」は異形をしており、人ではありませんでした。
私はその「何か」に対して恐怖も安堵も感じませんでした。そこに居る、ただそれだけを理解できました。
その内、その「何か」はうごめき私を辱めました。
信じてください。私はその「何か」に身も心も許したわけではありません。その時は体を動かして拒否する事が出来ませんでした。
心が動く事も無く、体を動かす事も出来ませんでした。
そのうちに私自身気が付かぬ内に、再び眠りに落ちていて、起きた時には朝になっていました。
飛び起きて慌てて確認しましたが、私の寝衣にもベッドにも一切乱れはありませんでした」
回想を話し終えて彼女は一息ついた。国王の方は流石に動揺の色を表情に出してしまっていた。
当初想定していた話とは全く別の話だったが、それでも驚くべき内容だった。
国王は自分にも言い聞かせるように感想を返した。
「なんと恐ろしい思いをした事だろうか。
だが、それは夢だったのだろう」
その一言に対して、彼女は暗い表情のまま答えた。
「私も夢であったと思うようにしています。しかし、あまりに現実味がありすぎて、夢だと割り切れないでいます。
もし、お腹の中の子が一人であれば、それは国王様に愛していただいた結果であり国王様の御子で間違いありません。
そうであればあの夢は夢として、私の心の内に生涯閉まっておくつもりでした。
しかし、お腹の中には二人の子が居ます。私には一人が国王様の御子で、もう一人があの「何か」の落とし子のような気がしてなりません」
国王はかける言葉を考えた。彼女の突拍子もない話を夢だと言いくるめて否定するにしても、物証は無く全て彼女が見聞きしたと思い込んでいる証言だけ。
それを他者が否定するのは、彼女の心を傷つけるだけだろう。
自らの心のうちの判断を隠して、同調の色を示した。
「そうか。お前がそんな事を心配しているとは今まで気が付かなかった。すまない。
だが、まずはゆっくり休みなさい。その心配事は二人の子が無事に生まれてから改めて考えよう。
もしかしたら、お前の思い過ごしで、生まれてくる二人とも普通の赤子かもしれないだろ」
国王の笑顔に合わせるように、彼女も少し笑顔に戻る。
「そ、そうですよね。こんな事すべて只の夢のはずですし」
彼女は自分を説得するように、夢なんだ、と繰り返した。
彼女の笑顔が戻ってきた事で国王も少し気が緩む。
そこで、自分の興味本位から心に浮かんできた質問を彼女に投げかけた。
「ところで、その「何か」を、今改めて考えて何だったと思っている」
彼女は中空を眺めながら考えてみるも答えは出なかったようだ。
「わかりません。今でもその時見た「何か」に対して恐怖を感じれば良いのか、安堵を感じれば良いのかわかりません。
「何か」の正体、まあ結論は只の夢だとは思いますが、あれが悪魔だったのか天使だったのか。
国王様はどう思います。私は私自身のその時の感情が分かりませんので、話をそっくりそのまま客観的に聞いた国王様のお考えを採用したく思います」
質問を質問で返される形となって、国王は少し考え込む。
結果口から出た答えは、必要以上に彼女を心配させるべきでは無いという配慮だった。
「ミリアムよ、お前がその「何か」を見た時に恐怖を感じなかったと言う事は、それは悪魔ではなかったのだろう。敬虔なお前が悪魔の小手先に惑わされる事はないだろう。
よって、その「何か」は私たち人間の遥か上の存在だったのだろう。きっとその天使もお前とそのお腹の子供たちを祝福しに来てくれたのだろう」
彼女の顔に希望の光が戻ってきた。
「そうですよね。あの夢は吉兆だったのです。そうに違いありません」
彼女は笑顔でそう繰り返した。
国王は彼女に挨拶をして彼女の傍を辞した。
自らの私室に戻りながら思案を巡らせる。
方や星読みの老婆の占い、方や母体たる后の夢とも現ともつかない体験。それらから一つの決定を下した。
臨月ともなると、そのお腹ははちきれそうに大きくなる。それが双子ともなればより一層の大きさとなる。
明日にでも生まれてもおかしくないという段階で、万全を期すためとの医者からの提案に従い后は病院へと移送された。
この国で最大の病院は修道院に併設された病院だったので、そこの特別室が后へとあてがわれた。
国王は后を見送りがてら主治医を自室に呼び寄せた。
そこで一つの決定事項を伝えた。
主治医は驚愕しながらも反対はできなかった。たかが医者程度には国王の決定に反論すら許されない。
「仔細は任せる。万事滞り無いように」
具体的な部分は主治医に一任された。しかし事の重大さから主治医は確認の声を上げた。
「では選定については」
「お前たちに任せよう。・・・ただし、后には気づかれぬように。これは絶対だ」
国王の声が一段と低くなる。それに対して主治医は頭を下げるだけしか出来なかった。
翌日にはその瞬間が訪れた。
当初想定していた双子特有の危険な状況もほとんど起こらず、二人の赤子が続けて生まれた。
主治医は一つ深呼吸をしてから、その二人の赤子を観察した。
どちらかを選ばなければならない。
どちらも同程度の大きさで、ばらつきは無い。なめまわすようにその全身をくまなく観察するも二人ともこれといった異常を示す物は無い。また産声にしても同じような大きさで泣いている。
医者としての立場からはこの二人の赤子は同程度であり、優劣はつけられなかった。
しかし唯一決定的に異なる場所があった。
先に生まれ落ちた兄の方は、赤子とは思えないほど整った麗しい顔つきをしていた。赤子の天使が居るとしたらきっとこの子のような顔をしていただろう。
それに対して弟の方は醜く感じた。顔のそれぞれの素材が歪んでいるわけではないはずなのに、その配置のせいか大きさのせいなのか、醜いという印象をその場にいた全員に与えた。隣にならんで泣いている兄がいるせいで、その醜さはより一層引き立てられた。
国王の密命を把握しているその場にいた主治医や助手たちが、お互いに視線を送りあいながら無言のまま採決された。
出産を終えたばかりで、息を切らしている后が声を上げた。
「私の、かわいい、子供たちは、」
その声を聞いて主治医が振り返り、后に説明する。
「お兄様は大変元気で問題ありません。すぐにその手にお渡しいたします。
しかし、弟様に関しては、少々お待ち下さい」
そう言っている横から、助手の一人が綺麗に洗った兄を后の腕の中に渡した。
「ああ、なんてかわいらしい、素敵な子、でしょう」
后が兄に見とれている間に、年配の助手から新人の助手に鋭い視線と共に弟が手渡された。
新人の助手は弟を抱えたまま、扉を出て行った。
「あれ、弟は」
目ざとく気が付いた后に主治医が言葉をかける。
「少々お待ちください」
それしか主治医は言えなかった。その言葉をかき消すように兄の泣き声が響く。后の意識はまたも兄に向けられた。
新人の助手は部屋を出て、隣の機材が置かれている人気のない薄暗い部屋に移動した。
その視線は鋭かった。彼女は今から自分が行わなければならない行為に対しておののいていた。
国王からの密命は簡単だった。
双子のうち、王子として相応しくない方を処理せよ。
医者の所見では優劣が付かなかったが、その後の視線だけによる無言の投票が勝敗を決めてしまった。
王子として相応しい兄は生き残り、相応しくない弟は処理される。
後は、その赤子の首を軽く押さえつけるだけ。それで国王の密命は終わる。
しかし彼女にはその踏ん切りがつかなかった。
何度深呼吸をして気持ちを切り替えようとしても、なかなかその決心がつかない。
そもそも彼女は、このようなかよわい存在を救いたくてこの仕事に就いたという過去があった。
そんな彼女に今回の国王の密命はあまりに酷な話だった。
要領が良かったり気持ちの割り切り方を心得ていたりする諸先輩方なら恐らく難なく事をこなすのだろう。しかし彼女には出来なかった。
そうして右往左往しているうちに、その純粋無垢な瞳が自分をとらえている事に気が付いてしまった。
吸い込まれそうなその瞳を見返しているうちに、彼女の中に一つの考えが浮かんだ。
この子に外を見させてあげよう。
生まれたばかりで失われていく哀れなこの子に、最後ぐらい綺麗な物を見せてあげたい。
それは彼女のわずかばかりの優しさからの考えなのか、それともその後に待ち受ける凶行からひたすらに目をそらし続けているだけなのか、彼女は理解しようとしなかった。
彼女は赤子を腕に抱いて、病院の中庭へと移動した。
修道院に併設された病院らしく、この病院を王族も利用すれば明日の食料にすら困っている貧困層も利用する事が出来る。
そんな彼らに無償で提供されるのは最低限の治療行為のみとはいえ、それが多くの人を救っていた。
そんな最低限の治療行為のみを受けている一人の女性が居た。
彼女は妊婦だった。しかし、お腹の中の子を十分に育て上げられるほどの栄養は取れていなかった。
衰弱の為、母体すら危ないという事でこの病院に入院し、そして出産を終えた。
生まれてきた子が呼吸をする事は無かった。
子どもを抱き嘆き悲しむ彼女を憐れんで、出産に立ち会った助手の一人が声をかけた。
「その子を丁寧に弔ってあげましょう。ちゃんと司祭様もお呼びして祈祷をしていただき、神様のみもとに送り届けてもらいましょう」
その言葉に同意も否定もせず、焦点の合わない顔で答えた。
「この子に、せっかく地上に降り立ったこの子に、また天へと戻る前に、この世界を、この地上を、見せてあげたいです」
母親のそんな言葉を否定するわけにもいかず、ただやろうとしている事を手伝うため、無言でうなずいて、中庭へと続く扉を開けてあげた。
母親はよろよろとその亡くなった子を抱えたまま、中庭へと出て行った。
助手はそのまま病院の中で待っていたが、なかなかその母親が帰ってこない。
おおよそ中庭で泣き崩れているのだろうと思い、十分に時間が経ってから中庭へ出た。
しかしそこにはその母親の姿も亡くなった子の姿も無かった。
しばらく探したが見つからなかった。自分の他の仕事にも支障が出るのである程度で捜索を切り上げた。
きっと、亡くなった赤子を家まで連れ帰ったのだろうと思う事にした。書類上の面倒は増えるかもしれないが、そんな事があの悲しみに暮れた母親の行動を抑止する事は出来るわけもないだろうと割り切った。
翌日国王から国民に向けた発表がされた。
国王は城の見晴らしの良い場所に設置された台から、城前の広場に詰めかけた国民に対して話し始めた。
国王は話の最初に「大変喜ばしい事と、心苦しい悲しむべき事が一つずつ有る」と断りを入れてから、演説を始めた。
大変喜ばしい事、それは后が無事に出産をして、王子を授かった事。
その正式発表にその場に居合わせた国民は、拍手や歓声で応えた。
一通り歓声が止んだ後、声の質を落として国王は続けた。
「さて、もう一つの悲しい出来事についてだが、
昨日生まれた王子には弟が居た。しかしその弟は妊娠の当初から、健康状態があまり良くない事が解っていた。
王子に続いて生まれてきた弟は、地上の空気を吸うことなく、色とりどりのこの世界を見ることなく、すぐに神のみもとに戻って行ってしまった」
悲しみを表現するように言葉を詰まらせ、目元を拭いて言葉を続けた。
「だから、日中は王子の誕生を十分に祝ってもらいたい。そして、日没後には生まれると同時に亡くなった次男のために喪に服してほしい」
国王の演説は拍手をもって国民に受け入れられた。
そう国民に説明してから国王は裏に戻った。そこには神妙な顔つきのままの后が長男を抱え立っていた。
「ミリアムよ、元気を出しておくれ。次男については本当に残念だったが、長男はこんなにも元気に丈夫に生まれてきたのだから」
優しい夫を演じて、妻を慰めようと声をかける。
「わかっています。どうしようも無かった事なのですよね。あれだけたくさんのお医者様達がいらしても、亡くなった子を生き返らせる事は出来ませんから」
今にも泣きだしそうな表情の妻に対して、手に抱えた長男ごと優しく抱きしめた。
「辛かっただろうが、もう気持ちを切り替えなさい。いつまでも悲しんでいては、その気持ちがこの子にまで伝わってしまう」
そういいながら愛おしい後継者の我が子を優しくなでた。
「あの時、私にはこの子の他に、そう次男の泣き声も聞こえた様な気がしていました」
「そんなはずは無いだろう。医者の言う事では、生まれ落ちた時には既に息をしていなかったそうだからな」
「そう、みたいですね。・・・ではあの声はいったい何だったのでしょうか」
「この子の声を聞き間違いしただけではないのか」
「・・・聞いた気がしただけ、なのでしょうか」
「出産という一大事は大変な労力がかかるそうだからな。その直後で疲れ果てていては聞き間違いもするだろう」
「・・・」
「ではこうしよう。私たちの次男は本当は生きて生まれてきたが、その直後に医者達の中に居た裏切り者に命を絶たれた。
そうすれば、お前の中の悲しみは怒りへと変わるだろう」
「まあ、なんて事を。あの方々は本当に充分尽くしてくれました」
后は国王のとんでもない思い付きを驚きながら聞いた。それは彼女にはとうてい信じる事が出来ない荒唐無稽な話だった。
「今から医者達に尋問を行い、次男に最後に触れた者を特定する。そして、その者を処刑すれば、おまえの怒りも少しは落ち着くだろう」
「そんな、無茶苦茶です」
后の抗議も聞き入れず、国王は側近を呼びつけその耳元でつぶやく。側近は聞き終わると一礼をして去っていった。
「あ、ああ」
后に新たな悲しみが訪れた。ちょっとした、ほんのちょっとした事から簡単に人の命が刈り取られようとしている。それも自分が原因で。
そんな彼女を放ったまま、国王は自らの部屋へと歩き始めていた。
その日の日中は国中がお祭り騒ぎだった。折しもその日は聖人の生誕祭の日であり、そこに輪をかけて王子の誕生祝いが執り行われた形となったため、盛大に盛り上がった。
しかし、騒げるのは休みの人達だけ。
医者のようにいつ何時、必要としている人が現れるかわからない職業では、全員が全員そう浮かれ騒ぐわけにはいかない。
いつ来るともわからない患者の為に、誰かが病院に詰めている必要がある。
昨日の王妃の出産とその後の国王からの密命で、神経をすり減らした医者はとても表に出て騒ぐ気分になれそうになかったので、自分から病院に残る事を言い出した。
「どうせ、外はお祭り騒ぎだから、こんな日に病院に来る人も少ないだろう」
そんな彼の予感は的中し、基本暇に一日を過ごしていた。
1人の患者の診療を終えた後、どうやらまだ待っている人が居る事を知らされる。
助手に入ってくるように伝えてもらい、少し経つと一人の男が入ってきた。
その男の顔に見覚えがあるような気がするが、思い出せない。
そんな事を考えながら問診を始めた。
「今日はどうされました」
男はどこかを痛がる様子も無く、それどころか無表情のまま答えた。
「いえ、私は体調不良でここに訪れたわけではないのです。
まずは、昨日の王妃様の出産が滞りなく無事に終わりました事を、国王様に代わりまして感謝致します」
その一言で医者は思い出した。この目の前の男は国王の側近として常に国王の傍に立っていた人物だ。
「ご丁寧にありがとうございます」
「ですが、今日は感謝の言葉を伝えに来たわけでは無いのです」
男の顔が凄みを増したように感じた。
「ご存じの通り、国王様のご次男様が生まれてすぐに亡くなられました。
この痛ましい事実に対して、国王様はお医者様方の中に紛れた国家転覆を目論む反逆者の仕業と断定しました」
「そんな、だって、あれは・・・」
狼狽しながら否定する。国王の密命により行われたはずの蛮行を、まさかその国王から糾弾されるとは思っていなかった。
それによくよく思い返せば、私がその国王からの密命を受けた時に、この男もその場に居たはずだ。
つまり、この男がその事を知らないというはずが無い。
考えをまとめて反論しようとする前に、更に男から追及の一手が飛んでくる。
「一度しか聞きません。国王様のご次男様の命を絶った方は誰ですか。
お答えいただけない場合、あの時王妃様の出産に関わっていた全員を共犯として連行しなければならなくなります。
あの場に誰が居たかはこちらで把握しておりますので」
男のその一言で理解できた。これは国王からの口止めと口封じだろう。
国王は密命を他言されたくない。その為に口封じをしたい。だからといってその場にいた全員を処刑するわけにもいかない。
その為、我々から一人を生贄としてささげさせる。それをもってその一人以外の生存を許す代わりに口止めをするつもりなのだ。
仮に交渉が決裂しても全員を処刑する事すら厭わないのだろう。
一人の生贄か、全員か。
「・・・」
顔を青ざめさせ鼓動が早まるのを感じながら、必死に考える。
・・・否、正確には考えるふりをしただけ心の奥底ではとうに答えは出ていた。
「どうですか。教えていただけませんか」
男からの最後の通告が来る。
「・・・わかりました。お答えします」
震えながら一人の助手の名前を告げる。私は自分の命惜しさに同僚を売ってしまった。
「なるほど。その方は今ここに居ますか」
続けての質問に答える。
「ええ、では呼んできましょう」
一度同僚を売ってしまった私には、もう戸惑いは無かった。一旦奥に戻り件の助手を呼び出す。
診察室に顔を出した助手に対して、男は笑顔で会釈をした。
「お仕事中申し訳ございません。実は国王様からの使いでして。
国王様がご次男様の最後を聞いておきたいと仰られまして、出来ればご一緒に来ていただけますか」
男はどこまでも丁寧に助手に語り掛けた。
突然の事に驚きながらも、どうするべきかを尋ねるような視線がこちらに向けられた。
「国王様直々だ。断れるはずもない。病院のほうは残った者でどうにかするから行ってきなさい」
声が震えるのを必死に抑えながら、さも無関心を装って平然と言う。
男と助手は連れ立って診察室を出て行った。
自分が生贄にしたあの哀れな助手の事を考えると、心が押しつぶされそうになる。
頭を抱えて唸っている私の姿を見た他の助手が声をかけてきた。
「先生大丈夫ですか」
「いや、少し疲れを感じただけだ。ところで、患者はまだ居るのかい」
「いえ、今のところ先ほどの方で最後です」
「そうか。では、次の患者が来るまで少し休ませてもらおう」
そういって私は診察室を出たが、足取りは重かった。
日が暮れた後は国王が示したように、先ほどまでのお祭り騒ぎが嘘のように静まりかえった。
喪に服する街中を、一つの小さな棺を中心にした一行がゆっくりと横切った。
王家の墓はその新たな小さい棺をその中に飲み込んだ。
墓碑には后が子供たちの名前の候補として考えていた中から選ばれた一つ、「エーリア」と彫られた。
同じ頃、城の地下にある牢の最深部。
声が決して外に漏れないその場所で、一人の女性が処刑された。
彼女は最後まで自分の身の潔白を口にし続けたが、処刑の執行人は努めて自らの耳に聞き入れないようにして、その手に持った剣を振り下ろした。
城下の中心街から離れれば離れるほど、建物は簡素で古くなっていく。
その外端辺りには貧困街があった。
一軒の家。より正確には家のような建物。
その中にメラニーは居た。
昨日一日の事がまるで夢だったように感じるが、まだ痛む自身の体と目の前の我が子がそれを現実だったと教えてくれる。
私はこの子を死産した、はずだった。
しかしその後、あの病院の中庭で奇跡が起きた。
お医者様から死亡を言い渡された我が子は、あの中庭で生き返った。
私はそのまま生き返った我が子を抱えたまま、この自分の家まで帰って来た。
あのまま病院の方に我が子が生き返った事を伝えても、決して信じてくれないだろう。
そう判断して、何も言わずに病院を立ち去った。
そして母乳を与えながら、ただただ我が子を愛でていた。
この子の名前は決まっていた。
夫が生前に考えてくれた名前「エロワ」。
他の事を何一つする気も起きず、ただただエロワとの時間を過ごしていた。
本当はこんなにのんびりする暇は無い。仕事もお金も無く、この家にはパンの一欠片すら落ちていない。
このままではこの子を生かす事が出来ない。そうわかっていても出産で体は痛く、また、この子が居るため働く事もままならない。
まとまらない考えが堂々巡りを繰り返し、結果、何も思いつかずただただエロワの世話だけに時間を持っていかれていた。
唐突にドアをノックする音が家の中に鳴り響く。
それに対していぶかしがる。そのノックはとても丁寧だったからだ。
取り立てであればあんな丁寧なノックはしないだろう、ご近所さんならノックなんかせずに入って来るだろう。
そうすると誰だろう。
そう思いながら、返事をしてドアを開ける。
「どちら様でしょうか」
そういいながら見るとそこには、見知らぬ人が立っていた。
肩幅の広い歴戦の武将と言った風格のある男。そんな雰囲気を持つ男がこざっぱりとまとまった服装でそこに立っていた。
「クレールさんのお宅はここで間違い無いでしょうか」
こんな貧困街では中々聞く事が無い、丁寧な物言いに少し驚きながら答えた。
「そうですが」
「ああ、良かった。クレールさんはご在宅ですか。あ、申し遅れました私はルネと言います」
その質問にどう答えようかやや戸惑ったが、隠した所で意味が無いので正直に伝える事にした。
「・・・夫は少し前に病死しました」
二人の間にこの子を授かった事を知ってから、夫は今まで以上に仕事を張り切った。
それまでだって十分に重労働をしていたのに、そこに更に無茶を重ねた。
結果、体を壊しあっという間に亡くなってしまった。
「それは、知らずとはいえ申し訳ない事を。」
「いえ、お気になさらず。所で夫にどういったご用だったのでしょうか」
「はるか昔ですが、私はクレールさんに命を救っていただきました。よくある川で溺れそうになったところを救ってもらった、というやつです。
その時は私も気が動転しており、クレールさんのお名前はお聞きできましたがどこの方かは聞きそびれました。
その後は、私はいつかクレールさんに会ってちゃんとお礼をしたいと思っていました。
長年かけて方々聞き込みまして、やっとこちらのクレールさんが私を助けてくれた方とわかりました。
しかし、私の仕事場が隣の国なのでそこを拠点としている為、なかなかこちらの国に来る機会に恵まれませんでした。
それが今回ようやくその機会が巡ってきたので、こうして訪ねてまいったわけです」
「そうでしたか。そんな話、夫は一度も話してくれませんでした」
「そうなんですか。自分の英雄譚を喧伝しないなんて、とても謙虚な素晴らしいお方だったのですね。
ああ、本当に一目ちゃんとお会いして、あの時の感謝を伝えたかったのに、非常に残念です」
「そういっていただけると、夫も嬉しく思うと思います」
そんな会話を玄関口でしていると、ベッドに寝かせていたエロワが泣き始めた。
「あ、すみません」
そう言ってからエロワを抱きかかえる。
その様子をみていたルネが口を開いた。
「お子様ですか。それも多分生まれて間もない感じに見えますが」
「ええ、昨日生まれたばっかりで。夫の残してくれた大切な宝物です」
「なんと可愛らしい」
しばらく二人でエロワの一挙手一投足を眺めていた。
不意にルネが若干声を沈めて言った。
「無礼を承知で一言よろしいでしょうか。見たところ大変生活に苦労なさっているとお見受けいたします。
このままではこの子もあなた自身もどうなるかわかりません。
ですので、こちらをお受け取りいただけますか」
ルネはそう言って紙幣の束を渡して来た。驚いて叫ぶように答えた。
「こんな大金いただけません」
「もともとクレールさんにお渡ししようと思って持ってきた物です。感謝の気持ちをお金で表すのは若干品が無いですが、これでも足りないぐらいだと思っております」
「しかし」
「では、こちらのお金でパンを買ってきます。相手にとって一番必要な物を贈るのが一番喜ばれる贈り物ですから」
ルネは会釈をすると飛び出すような速さで居なくなった。
しばらく呆然としていると、ルネは手にパンと赤子用にと布を数枚持って帰ってきた。
「どうぞ」
焼きたてのパンの匂いが辺りに立ち込める。
昨日からエロワの事ばかりを考えていて、すっかり忘れていた自分自身の空腹を思い出す。
一度空腹を思い出すと、そのパンの匂いはまさに暴力的だった。
「で、ではお言葉に甘えて」
このルネという人物を今この状況でこの場所に連れてきてくれたのも、きっと夫が遺してくれた物の一つなのだろう。
夫と当然ルネに感謝を述べて、そのパンをいただいた。
「私はこの国に後数日は居る予定です。
もしご迷惑でなければその間に何度かお邪魔してもよろしいですか。
生まれたばかりの子を抱えていては、色々な事が不自由でしょう。そこでお役に立ちたいのです」
「しかし、そこまでしてもらうわけにも。こうしてパンと布を貰った事ですし」
「それぐらいでは私の感謝の気持ちを伝えるには足らないのです。
いえ、お子様との時間を邪魔するような事は致しませんので」
「は、はあ」
「では、また明日」
生返事に納得をしたのか、ルネは笑顔で去っていった。
手元にはパンと布が残され、これによりもう数日は生き延びる事が出来そうだ。
翌日もまたルネは訪ねて来た。今回は前日以上の量の食料を調達してきていた。
「お子様の為にも、まずは母親が体力をつけませんと」
そう言いながらルネは食事を準備し、すっかり出来上がるとその日もまた帰って行ってしまった。
昨日既にパンをいただいてしまった以上今更断るわけにもいかず、料理をいただいた。そして、余った時間をエロワにつぎ込んだ。
そうして数日が過ぎた。毎日ルネは訪ねて来て、食事やらエロワ用の布やらを持ってきてくれた。
毎日の十分な食事によって、出産によって痛みに襲われていたメラニーの体調も良くなっていた。
そしてここ数日の定例となっていた、いつも通りの時間にドアがノックされルネが入って来た。
その日は手ぶらだった。
「私のこの国での用事が済みまして、自分の拠点に戻らなければなりません」
「そうですか。ここ数日色々とありがとうございました」
「いえ、礼には及びません。何度も言っているように全てはクレールさんへの恩返しの気持ちですから。
ところで、」
そう言ってルネは一息ついてから言葉を続けた。
「私はこの後のあなたとあなたのお子様の事が心配です。
ここに用意してきたお金を残り全部置いていく事は簡単ですが、それではそう遠くない将来に最悪の事態を先延ばしにしたに過ぎません。
お子様が居てはメラニーさんも働きに出るというわけにもいかないでしょう」
「・・・」
まさに図星だった。ここ数日はルネのお陰で考えずに済んでいたが、彼からの援助が無くなればあっという間に明日の食料も無い生活に戻るだろう。
「そこで、どうでしょうか。私と一緒に来てくれませんか、もちろんお子様も一緒に」
「え、そんな、急に」
「もともと私の仕事場は男所帯でひどい有様なので、家事全般を頼める人を探していました。
お子様が居る以上そちらが最優先で問題ありません。少し空いた時間に家事をやってもらう程度で大丈夫です」
唐突な要望だが、これを呑めば日々の食料ぐらいはどうにかなるだろう。それもここまでの好待遇で求められている。
しかし、彼に付いていけば、夫との思い出の残るこの家を離れる事になる。
それはそれで寂しいが、そうやって思い出だけに浸っていても生きていく事は出来ない。
何よりも彼が来るようになってからの数日で胃が満たされる幸福を知ってしまった。今更あのつらい生活に戻れる気がしない。
きっと前以上に空腹がつらく感じる事だろう。
「・・・私なんかで良ければ是非おねがいします」
私の返事を聞いてルネは顔色を明るくさせた。
「ありがとうございます。・・・では、早速で申し訳ないのですが、出発の準備をお願いします。
色々と調整する関係上、今日中に出発しないといけないので」
少し困ったような顔でそう言う彼を見て、改めて状況を考えた。
ルネは隣の国からやってきたと言った。と言う事はこの国と交戦中の国からやってきたと言う事になる。
女である自分は今までの生涯で一度たりとも戦場に行った事は無いが、それでも多少の予想は出来る。
そんな交戦中の国同士の国境を一般人がどのようにして越えようというのだろうか。
そんな疑問を抱いていると、それを察したのかルネが話を付け足す。
「出産直後のお体には少々過酷にはなってしまうかもしれませんが、できる限りゆっくり行けるように配慮します。
ここから国境付近まで馬車で移動して、そこから徒歩で国境を越えます。越えた先に馬車を用意していますのでそこから先はまた馬車での移動となります」
「その肝心の国境は大丈夫なんですか」
「今日戻る為に調整をしてきましたから大丈夫でしょう。もし駄目だったら引き返してくる予定です」
ここまで来たら笑顔で語るルネを信じるほか無かった。
最低限の荷物をまとめそれをルネにお願いし、自分はエロアを抱きかかえ移動を始めた。
出発が遅かった事もあって、馬車が国境付近で止まった時には既に辺りは闇に包まれていた。
ルネは鳥の鳴き声の真似をした。きっとどこかにいる仲間への合図なのだろう。
ちょっとの間の後、闇の向こうからも鳥の鳴き声が響く。
それを聞いたルネは笑顔でこちらに向き直った。
「どうやら万事想定通りのようです。のんびりと歩いて行きましょう」
そう言って堂々と歩いて国境に向かう。国境に敷かれた砦の柵は、その一部に作られた出入り用の扉が開けられていた。
そこをくぐり抜けて国境を越える。扉の近くには一人の男が立っており、ルネに挨拶をした。
ルネはその男の労をねぎらい、ついでに待機させている馬車の場所を確認する。
馬車に乗ったところで緊張が解けた。
「本当に緊張しました。もしかしたらどちらかの兵士に見つかって、大変な目に合うんじゃ無いかと」
「今回は先ほどの彼が尽力してくれましたから」
「しかし、あの方がどれほどすごい方だとしても、こうも簡単に国境が越えられるものなのですね」
「そこに関しては、我々の得意分野の一つですから」
「はあ」
いまいち要領を得ない返答だが、それでもここまできてしまった以上、ルネを頼る他ないだろう。
私とエロアとルネを乗せた馬車は暗闇の中を進み続けた。