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DRAGON SEED 2  作者: みーやん
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建国祝賀祭襲撃事件


主な登場人物


ロナード(ユリアス)…召喚術(しょうかんじゅつ)と言う稀有(けう)な術を(あつか)えるが(ゆえ)に、その力を()が物にしようと(たくら)んだ、(かつ)ての師匠(ししょう)に『隷属(れいぞく)』の呪いを掛けられている。 その呪いを()(ため)、エレンツ帝国(ていこく)を目指している。 漆黒(しっこく)の髪に紫色の双眸(そうぼう)特徴的(とくちょうてき)な美青年。 十七歳。


セネト(セレンディーネ)…エレンツ帝国(ていこく)皇女(こうじょ)。 とある事情(じじょう)から(のが)れる(ため)、シリウスたちと行動(こうどう)を共にしている。 補助(ほじょ)魔術(まじゅつ)得意(とくい)とする魔術(まじゅつ)()。 フワリとした癖のある黒髪(くろかみ)に琥珀色の大きな(ひとみ)特徴的(とくちょうてき)な女性。 十九歳。


シリウス(レオフィリウス)…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在(じざい)(あやつ)る剣士だが、『封魔(ふうま)(がん)』と言う、見た相手(あいて)魔術(まじゅつ)の使用を(ふう)じる、特殊(とくしゅ)(ひとみ)を持っている。 長めの金髪(きんぱつ)に紫色の双眸(そうぼう)を持つ美丈夫(びじょうぶ)。 二二歳。


ハニエル…傭兵業(ようへいぎょう)をしているシリウスの相棒(あいぼう)鷺族(さぎぞく)と呼ばれている両翼人(りょうよくじん)。 治癒(ちゆ)魔術(まじゅつ)薬草学(やくそうがく)得意(とくい)としている。 白銀(はくぎん)長髪(ちょうはつ)と紫色の双眸(そうぼう)を有している。 物凄(ものすご)い美青年なのだが、笑顔(えがお)を浮かべながらサラリと(どく)()く。


ティティス…セネトの(はら)(ちが)いの妹。 とても傲慢(ごうまん)自分勝手(じぶんかって)な性格。 家族内で立場の弱いセネトの事を見下(みくだ)している。 十七歳。


ルチル…帝国(ていこく)第三(だいさん)騎士団(きしだん)隊長(たいちょう)(つと)めている女性。 セネトと幼馴染(おさななじみ)。 今はティティスの護衛(ごえい)(にん)()いている。 二十歳(はたち)


ギベオン…セネト専属(せんぞく)護衛(ごえい)騎士(きし)。 温和(おんわ)生真面目(きまじめ)な性格の青年。 二十五歳。


ルフト…宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)サリアを母に持ち、魔術師(まじゅつし)の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟(いとこ)に当たる。 二十歳。


ナルル…サリアを(あるじ)とし、彼女とその家族を守っている『獅子族(シーズーぞく)』と人間の混血児(こんけつじ)。 とても社交的(しゃこうてき)な性格をしている。


ネフライト…第一側(だいいちそく)()息子(むすこ)でティティスの同腹(どうふく)の兄。 皇太子(こうたいし)地位(ちい)にあり、現在(げんざい)、次のエレンツ帝国(ていこく)皇帝(こうてい)の座に(もっと)も近い人物(じんぶつ)


エルフリーデ…宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)をしている伯爵(はくしゃく)令嬢(れいじょう)で、ルフトの婚約者(こんやくしゃ)。 ルフトの母であるサリアの事をとても(した)っている。


カルセドニ…エレンツ帝国の第一皇子でセネトの同腹の兄。 寺院の聖騎士をしている。 奴隷だったシリウスとハニエルを助け、自由の身にした人物。


 この日は、エレンツ帝国(ていこく)建国(けんこく)を祝う式典(しきてん)が行われる。

 式典(しきてん)には、アルマースに住まう多くの人々をはじめ、皇帝(こうてい)とその家族、政治(せいじ)軍部(ぐんぶ)幹部(かんぶ)()を中心に、この国を担う錚々(そうそう)たる顔ぶれが一同(いちどう)に会する。

流石(さすが)に、皇太子(こうたいし)とティティス皇女(こうじょ)は、式典(しきてん)には間に合わなかったみたいね」

黒を基調(きちょう)として、銀色の糸で(こま)やかな刺繍(ししゅう)(ほどこ)された、帝国(ていこく)(ぐん)軍服(ぐんぷく)に身を包み、何時(いつ)も以上に凛々(りり)しい姿のルチルが、周囲(しゅうい)を見回しながらセネトに告げる。

転送(てんそう)装置(そうち)(てい)()しているのもあって、本土(ほんど)(わた)れないのかもな」

セネトは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら言う。

「良い気味(きみ)

ルチルは、意地(いじ)の悪い笑みを浮かべながら、(うれ)しそうに言う。

 近くには、何の集まりなのか分かっていない、(おさな)皇子(おうじ)皇女(こうじょ)たちが声を上げて、楽しそうに、無邪気(むじゃき)に追いかけっこをしている……。

皇太子(こうたいし)皇女(こうじょ)(そろ)って欠席(けっせき)では、第一側(だいいちそく)()も大きな顔は出来(でき)ないだろう」

背後(はいご)から、若い男の声がしたので、セネトは(おもむろ)に振り返ると、そこには、黒色の短髪(たんぱつ)、灰色掛った青い双眸(そうぼう)、この国の者としては背も高く、ガッチリとした体付き、良く日に焼けた赤銅(しゃくどう)(しょく)の肌が特徴的(とくちょうてき)な、精悍(せいかん)な顔立ちをした、年の頃は二十代(にじゅうだい)(なか)ばと思われる、白を基調(きちょう)とした軍服(ぐんぷく)を着た人物が姿を現した。

「兄上!」

セネトは、(うれ)しそうな表情を浮かべつつ、同腹(どうふく)の兄を見る。

(ひさ)しいな。 セティ。 元気そうで何よりだ」

セネトの同腹(どうふく)の兄カルセドニ皇子(おうじ)は、(おだ)やかな笑みを浮かべ、セネトにそう挨拶(あいさつ)をして来た。

 寺院(じいん)(せい)騎士(きし)である兄カルセドニは多忙(たぼう)なため、新年の祝賀(しゅくが)(さい)で顔を合わせて以降(いこう)(おおやけ)の場で顔を合わせるのは本当に久しぶりだ。

「そちらこそ。 相変(あいか)わらず(いそが)しいと(うかが)っています。 無理(むり)などはなさっておられませんか?」

セネトは(おだ)やかな口調(くちょう)で、カルセドニ皇子(おうじ)に問い掛ける。

(いそが)しいのはお(たが)い様だ。 お前の方こそ無理(むり)をしてないだろうな?』

カルセドニ皇子(おうじ)は、苦笑(にがわら)いを浮かべながら問い返す。

「ご心配なく。 ご(らん)の通り、(いた)って健康(けんこう)ですよ」

セネトはニッコリと笑みを浮かべ、カルセドニ皇子(おうじ)に答えた。

「お久しゅう御座(ござ)います。カルセドニ殿下(でんか)

ルチルは(うやうや)しく(こうべ)()れながら、カルセドニ皇子(おうじ)挨拶(あいさつ)をする。

「ルチルか。 (ひさ)しいな。 妖光(ようこう)()被害(ひがい)()われた母君の具合(ぐあい)はどうか?」

カルセドニ皇子(おうじ)はニッと笑みを浮かべ、(おだ)やかな口調(くちょう)でルチルに問い掛ける。

周囲(しゅうい)の者たちが適切(てきせつ)対処(たいしょ)してくれたお(かげ)で、健康(けんこう)を取り戻しました。 その(せつ)は、、多くの方々にご迷惑(めいわく)とご心配をお掛けし、大変申し訳ございませんでした」

ルチルは(こうべ)を垂れたまま、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで、カルセドニ皇子(おうじ)に言った。

「気にするな。 普通(ふつう)(どく)(ばな)とは思わないだろうからな」

カルセドニ皇子(おうじ)は、(おだ)やかな口調(くちょう)でルチルに言う。

(おっしゃ)る通りです」

ルチルは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら返す。

「母君は、白粉(おしろい)にまで手を出していなかったから、回復(かいふく)が早かったのだろう。 花と白粉(おしろい)の両方ともだった第一側(だいいちそく)()(いま)だに体調(たいちょう)が思わしくないらしい。 今日も式典(しきてん)だけ参加して、夕方からの建国(けんこく)祝賀(しゅくが)バーディーには来ないそうだ」

カルセドニ皇子(おうじ)は、落ち着いた口調(くちょう)で語る。

第一側(だいいちそく)()人一倍(ひといちばい)、美に対して貪欲(どんよく)な人ですからね」

セネトが苦笑(にがわら)いしながら言うと、

(まった)くだ」

カルセドニ皇子(おうじ)は、(うなず)きながらそう答えてから、

「見て見ろ。 あんな(おさな)皇女(こうじょ)でさえ、自分を美しく(かざ)り立てる事に余念(よねん)がない。 第一側(だいいちそく)()ともなれば、(だれ)よりも人の目を気にするのは当然(とうぜん)だろう」

自分の近くで、(ほか)皇子(おうじ)たちと遊んで居る、(おさな)妹皇女(こうじょ)に目を向けながら、語った。

「そうですね」

セネトは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら言う。

「そう言えば、レオンの弟と婚約(こんやく)をするらしいな?」

カルセドニ皇子(おうじ)は、ふと思い出した様にセネトに言うと、

「まあ、お(たが)いの利害(りがい)一致(いっち)した結果(けっか)です」

セネトは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら、少し歯切れ悪く答える。

(わたし)はまだ、レオンの弟を知らないが、お前の意志(いし)で選んだ相手(あいて)ならば、とやかく言う気は無いのたが……何も婚約(こんやく)までしなくても良かったのではないか?」

カルセドニ皇子(おうじ)は、少し心配そうにセネトに言う。

「今回の婚約式(こんやくしき)一件(いっけん)もあります。 のんびり(かま)えていはまた、何処(どこ)(だれ)かも分からぬ、第一側(だいいちそく)()の息の掛かった者と婚約(こんやく)させられるかも知れません。 そうなった時、上手(うま)く逃げられる保証(ほしょう)はありませんから」

セネトは、真剣(しんけん)な表情を浮かべながら語る。

可哀想(かわいそう)なのは(むし)ろ、セティの都合(つごう)に付き合わされる羽目(はめ)になったロナードの方だわ」

ルチルは、チラリとセネトを見てから、意地(いじ)の悪い表情を浮かべながら言う。

「なっ……」

ルチルの言葉に、セネトは思わずたじろぐ。

「セティが困っていると知って、『(いや)だ』とは言えなかっただけかも知れないのに」

ルチルは相変(あいか)わらず、意地(いじ)(わる)な表情を浮かべたまま、戸惑(とまど)っているセネトに言うと、

「そんな事は……」

彼女は歯切れ悪く、口籠(くちごも)らせながら言う。

(確かに、そこまで考えもしなかった)

セネトは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら、心の中で(つぶや)く。

「『そんな事は』……なに?」

困っているセネトの様子(ようす)を見て、ルチルは益々、意地(いじ)の悪い表情を浮かべながら言う。

「そう言うルチルはどうなのだ?」

カルセドニ皇子(おうじ)は、ニッコリと笑みを浮かべながら言うと、それを聞いたセネトは思わず、表情を引き()らせ、その場に固まる。

 ルチルは男勝りな性格である(ため)、昔から『女らしくあれ』とか『美しくあれ』などと言うニアンスな言葉を向けられる事に抵抗(ていこう)を持って居た。

 騎士(きし)になってからは、ドレスなど似合(にあ)いそうも無い筋肉(きんにく)(しつ)な体付きであるが(ゆえ)に、益々そう言う言葉に反発心(はんぱつしん)を持つ様になって居た。

 カルセドニ皇子(おうじ)は今、ルチルにとっての地雷(じらい)()んだのだ。

「そう言うカルセドニ様は、どうなのですか?」

ルチルは、ピキピキと顔を引きつらせながらも、笑顔(えがお)を浮かべながら問い返す。

 相手(あいて)皇子(おうじ)だから我慢(がまん)しているだけで、部下の兵士(へいし)たちなどが、その様な事を言った途端(とたん)(たちま)ち怒りの形相(ぎょうそう)になり、(こぶし)で思い切り(なぐ)られる案件(あんけん)だ。

「ふむ。 (わたし)多忙(たぼう)を理由に、その辺りを(おろそ)かにして婚期(こんき)を逃しつつあることは認めよう。 しかし、こればかりは、相手(あいて)が居るからな。 (わたし)一人(ひとり)で決められる事では無い。 何処(どこ)かに良い相手(あいて)が居れば良いのだが」

カルセドニ皇子(おうじ)は、特大(とくだい)溜息(ためいき)を付くと、『やり切れない』と言った様子(ようす)愚痴(ぐち)る。

(あわ――ッ! 兄上っ! 『婚期(こんき)』とか『良い相手(あいて)』とか、そう言う事を、ルチルの前で言っちゃ駄目(だめ)だ!)

セネトは青い顔をして、アタフタしながら、心の中で(つぶや)くと、(おそ)る恐るチラリとルチルの方へと目を向けると、(あん)(じょう)、彼女は(さら)(いか)りのオーラを(みなぎ)らせて居た。

 カルセドニ皇子(おうじ)(わざと)と言っている訳では無い事は、彼女も分かって居るので、必死(ひっし)(こら)えている様だが、今にも爆発(ばくはつ)しそうな感じだ。

(ヤバイ。 ヤバイ! (だれ)か~!)

セネトは、(あせ)りの表情を浮かべ、心の中でそう絶叫(ぜっきょう)しながら、助けを求める様に周囲(しゅうい)を見回して居ると、ギベオンが此方(こちら)へ向かって駆け寄って来るのが見えた。

「お話中、失礼(しつれい)(いた)します」

ギベオンは、カルセドニ皇子(おうじ)らにそう声を掛けて来た。

「どうした?」

セネトは心なしかホッとした顔をして、ギベオンに問い掛けると、

皇帝(こうてい)陛下(へいか)第一側(だいいちそく)()(さま)がそろそろ、ご到着(とうちゃく)なされるそうです」

ギベオンは、事務的(じむてき)口調(くちょう)でそう報告する。

「そうか。 ならば父上を出迎(でむか)えねばなるまい」

ギベオンに、父である皇帝(こうてい)到着(とうちゃく)を教えられ、カルセドニは穏やかな口調(くちょう)でそう答えると、

「では。 セティ。 ルチル。 (わたし)はこれで失礼(しつれい)する」

セネトとルチルにそう挨拶(あいさつ)をすると、足早(あしばや)にその場から立ち去った。

 次の瞬間(しゅんかん)、ベキッという(にぶ)い音がして、近くに植えられていた木が大きく()れ、葉がハラハラと舞い落ちる。

 セネトは(おどろ)いて振り返ると、ルチルがものすごい形相(ぎょうそう)で木の(みき)(こぶし)(たた)き込んでおり、心なしか、木が(かたむ)いている様に思える。

 近くで遊んでいた、(おさな)皇子(おうじ)たちもそれに恐怖(きょうふ)し、顔を青くしてその場に固まってしまっている。

(み、見なかった事にしよう……)

セネトは、背中(せなか)得体(えたい)の知れぬ冷や汗を流しつつ、心の中でそう(つぶや)くと、カルセドニ皇子(おうじ)の方へと目を向けた。

 皇太子(こうたいし)である第一側(だいいちそく)()の実の息子(むすこ)である、ネフライト皇太子(こうたいし)では()が勝ちすぎると言う声は、以前(いぜん)から(いた)る所から聞こえて来ていたが、今回、勝手に皇帝(こうてい)の転送装置の鍵を持ち出し、帝国(ていこく)本土から()け出していた事に加え、アルスワット公爵家(こうしゃくけ)縁者(えんじゃ)危害(きがい)を加えたと事は、周囲(しゅうい)から大きな批判(ひはん)を受けている。

 (おさな)(ころ)帝位(ていい)継承権(けいしょうけん)破棄(はき)を、第一側(だいいちそく)()らに一方的(いっぽうてき)(せま)られ、それを飲まざるを得なかったカルセドニ皇子(おうじ)だが、彼を皇太子(こうたいし)()諸侯(しょこう)らの働きかけにより、無効(むこう)になる可能性(かのうせい)すら出て来た。

 そう言う世間(せけん)の流れを読み取り、カルセドニ皇子(おうじ)本来(ほんらい)地位(ちい)を取り戻そうと、以前(いぜん)以上に精力的(せいりょくてき)に動き回っている。

 こういう(おおやけ)行事(ぎょうじ)頻繁(ひんぱん)に顔を出す様になったのは、出来(でき)の悪いネフライト皇太子(こうたいし)よりも、年齢的(ねんれいてき)にも皇太子(こうたいし)相応(ふさわ)しい人物がここに居るのだと、周囲(しゅうい)に知らしめる(ため)でもあろう。

 そうこうして居る内に、一台の黒塗(くろぬ)りの馬車が会場に到着(とうちゃく)した。

 黒塗(くろぬ)りに金の彫刻(ちょうこく)があしらわれた馬車の横側には、頭上に王冠(おうかん)(いただ)いた、右手には(しゃく)、左手には本を持つ、黄金の双頭(そうとう)獅子(しし)が描かれている。

 これが、エレンツ皇家(こうけ)家紋(かもん)でもある。

 (ちな)みに、エレンツ帝国(ていこく)国旗(こっき)は、赤地に中央には世界樹(せかいじゅ)と呼ばれる木が配され、それを(はさ)む様に黒い獅子と白い竜が向かい合う構図(こうず)になっている。

 獅子(しし)は言わずと知れた、この大陸に古より住まう獅子族(シーズーぞく)を意味し、竜は魔法(まほう)帝国(ていこく)(とう)()していた皇族(こうぞく)家紋(かもん)由来(ゆらい)している。

 そして、世界樹(せかいじゅ)の様に力強く世界の大地に根を張り、世界を(おお)(ほど)に天に向かって枝葉(えだは)を広げている様に、末永(すえなが)国家(こっか)があり続ける事を願う事を意味している。

 馬車が壇上(だんじょう)の近くに横付けされると、馬車の扉が開き、中から白髪(しらが)()じりの黒髪、灰色掛った青い双眸(そうぼう)立派(りっぱ)な鼻髭を生やした、この国の者としては背も高く、元・軍人(ぐんじん)と言うだけの事はあり、ガッチリとした体付の赤銅(しゃくどう)(しょく)の肌が特徴的(とくちょうてき)な、精悍(せいかん)な顔立ちをした人物が姿を現した。

 この人物こそ、セネトたちの父、ランサイト・ヴァン・ルーカス・エレンツ皇帝(こうてい)である。

 その後に続いて、皇帝(こうてい)に手を差し伸べられて出て来たのが、ゼフィール第一側(だいいちそく)()である。

 ゼフィール第一側(だいいちそく)()は、長い少し癖のある黒色の髪、深い緑色の双眸(そうぼう)を有し、陶器(とうき)の様に白く(なめ)らかな肌に中肉(ちゅうにく)中背(ちゅうぜい)気品(きひん)(ただよ)う、御年(おんとし)四〇歳には見えぬほど若々しく、とても綺麗(きれい)な女性である。

 まだ、妖光(ようこう)()の毒の影響(えいきょう)が残っているのか、顔色は化粧(けしょう)誤魔化(ごまか)しているが、やつれている様に思える。

 皇帝(こうてい)が姿を現した途端(とたん)、会場からは割れんばかりの歓声(かんせい)と共に、『皇帝(こうてい)陛下(へいか)万歳(ばんざい)』『エレンツ帝国(ていこく)万歳(ばんざい)』『帝国(ていこく)栄光(えいこう)あれ』と、皇帝(こうてい)帝国(ていこく)を称える人々の声が(ひび)き渡る。

 皇帝(こうてい)は、民衆(みんしゅう)たちの歓声(かんせい)(こた)える様に、片手(かたて)()げる。

 (ほか)皇族(こうぞく)たちも、皇帝(こうてい)と第一側妃の後に続き、壇上(だんじょう)へと向かい、皇帝(こうてい)壇上(だんじょう)の上に上がってしまうかしまわないかと言う時……。

 何処(どこ)からか悲鳴(ひめい)が起き、(またた)く間に会場に緊張(きんちょう)が走った。


 会場は(またた)く間に(だい)混乱(こんらん)(おちい)り、集まった人々は悲鳴(ひめい)を上げながら、蜘蛛(くも)の子を()らしたかの(ごと)く、四方(しほう)八方(はっぽう)()(まど)う。

皇帝(こうてい)陛下(へいか)をお守りしろ!」

護衛(ごえい)の兵たちの緊迫(きんぱく)した声が、会場に(ひび)く。

「何が、どうなっている?」

波のように押し寄せて来る人々を押し退()けながら、少し離れた場所に居たギベオンは、必死(ひっし)壇上(だんじょう)の側に居たセネトを守ろうと進む。

「ギベオン!」

人々に()みくちゃにされつつ、ルチルが少しフラフラしながら、ギベオンに近付いて来た。

大丈夫(だいじょうぶ)か?」

ギベオンは、人々に押し流されそうになって居るルチルの腕を(つか)むと、彼女に向かってそう言った。

(わたし)大丈夫(だいじょうぶ)。 それより、セティや陛下(へいか)たちを守らないと……」

ルチルは(いき)(ととの)えながら、ギベオンにそう言った。

「と言われても……これでは身動(みうご)き取れない。 大体、何が起きたんだ?」

ギベオンは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、自分たちの前をまるで濁流(だくりゅう)の様になって()(まど)う人々を見ながら、ルチルに問い掛ける。

 セネト(とう)が居る壇上(だんじょう)は直ぐそこだと言うのに、とても近付ける様な情況(じょうきょう)ではなかった。

(わたし)も分からないわ。 (きゅう)何処(どこ)からか悲鳴(ひめい)が上がったと思ったら、こんな(さわ)ぎに」

ルチルは、戸惑(とまど)いを隠せない様子(ようす)で、ギベオンにそう答えた。

 今、この場で何が起きているのか、正確にそれを把握出来(でき)ている者は、(ほとん)ど居ないだろう。

 集まった聴衆(ちょうしゅう)たちは、(みな)()げるので、自分も逃げなければならないと言う集団(しゅうだん)心理(しんり)(おちい)り、訳が分らぬまま、ただ我武者羅(がむしゃら)に逃げ回っている様であった。

「ギベオン!」

不意(ふい)に、ルチルが何かに気付いて声を上げたので、ギベオンはとっさに彼女が指差(ゆびさ)した方向に目を向けた。

 どう言う事か、舗装(ほそう)されているレンガの下から、ボロボロな(よろい)(まと)った骸骨(がいこつ)兵士(へいし)たちが現れ、別の所からは人々に(まぎ)れ、獅子族(シーズーぞく)たちが雪崩(なだれ)れ込み、誰振(だれふ)(かま)わず片っ(ぱし)から(ころ)している!

 会場に集まった人たちは、それを見て悲鳴(ひめい)を上げ、()げ回っていのだ。

「何なのこれ!」

ルチルは驚愕(きょうがく)の表情を浮かべ、青い顔をして(つぶや)いた。

 そして、何処(どこ)からともなく、若い男の声が(ひび)いて来た。

「はっはっは! 今日でエレンツ帝国(ていこく)も終わりだ!」

そう(なぞ)の声が言い終わると、会場に集まった人々の頭上(ずじょう)巨大(きょだい)両翼(りょうよく)を有した、黒いドラゴンが旋回(せんかい)し、ゆっくりと、人々の中に降り立った。

 突如(とつじょ)降り立った黒いドラゴンのその巨大(きょだい)さと迫力(はくりょく)に、集まっていた人々は、ただ圧倒(あっとう)され、その場に立ち尽くしていた。

 その背の上には、赤いマントを(ひるがえ)し、ライオンの(たてがみ)の様な真っ赤な髪を有した、二メートル近い長身(ちょうしん)(きた)え抜かれた(はがね)の鎧の様に屈強(くっきょう)な体付き、ネコ科の動物の耳を生やし、髪と同色のライオンの尾を有した、顔や体に刺青がある大柄(おおがら)な男が、自分の胸の前に両腕(りょううで)を組み、仁王(におう)()ちして居た。

「あ、あれは獅子族(シーズーぞく)?」

「アイツは、前にクーデターを起こしたゲオネスでは?」

馬鹿(ばか)な! 獅子族(シーズーぞく)(われ)帝国(ていこく)(ふたた)(きば)を向けると言うのか!」

近くに居た兵士(へいし)たちが、戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、口々にその様な事を言っている。

「マズイ。 一番、(おそ)れていた事態(じたい)になってしまった」

ギベオンは、黒いドラゴンの背の上に居る人物を見ながら、(あせ)りの表情を浮かべ(つぶや)いた。


(やつ)がゲオネス……」

セネトは、突如(とつじょ)黒いドラゴンの背に乗り、自分たちの前に姿を現した獅子族(シーズーぞく)の男を見ながら、表情を(けわ)しくして(つぶや)く。

 このゲオネスと言う男は、獅子族(シーズーぞく)族長(ぞくちょう)息子(むすこ)の一人で、獅子族(シーズーぞく)の中でも血気(けっき)(さか)んな若者(わかもの)たちを(まと)める立場にあったが、彼等(かれら)(ぎょ)するどころか、(みずか)率先(そっせん)して人間の村や町で(おお)(あば)れをしたり、傷害(しょうがい)事件(じけん)など問題(もんだい)行動(こうどう)を起こしていた問題児(もんだいじ)で、見かねた族長(ぞくちょう)から一族を追放(ついほう)された後、血気(けっき)(さか)んな若い獅子族(シーズーぞく)(ひき)いて、帝都(ていと)謀反(むほん)を起こし、人々を混乱(こんらん)恐怖(きょうふ)に陥れた大罪人(たいざいにん)である。

「確か……国外の離島(りとう)収監(しゅうかん)されていたた(はず)では……」

近くに居た兵士(へいし)が、戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、(つぶや)く。

「事もあろうに、建国(けんこく)(さい)と言う祝いの式典(しきてん)で、この様な暴挙(ぼうきょ)を行うとは」

壇上(だんじょう)の近くに居たカルセドニ皇子(おうじ)が、憤慨(ふんがい)した様子(ようす)(つぶや)く。

「ゲオネスが脱獄(だつごく)したと言う知らせは聞いていたが、まさか、こうも早く、しかも前回と同じく、こうも堂々(どうどう)宣戦(せんせん)布告(ふこく)をしてくるとは……」

セネトは、ゲオネスたちを見据(みす)えたまま、忌々(いまいま)し気に(つぶや)く。

 集まった人々が物凄(ものすご)(いきお)いで()(まど)い、行く手を(はば)まれてしまっている(ため)護衛(ごえい)兵士(へいし)たちが皇族(こうぞく)たちや要人(ようじん)たちの下に来る事が出来(でき)な様だ。

 獅子族(シーズーぞく)はその名の通り、巨大(きょだい)獅子(しし)変化(へんげ)する能力(のうりょく)を持っており、その身体(しんたい)能力(のうりょく)は人間の比にならない(ほど)に高い。

 兵士(へいし)たちが右往左往(うおうさおう)している間に、人々の頭の上を飛び()え、皇帝(こうてい)皇族(こうぞく)たちの(のど)(ぶえ)に食らいつく事など、そう(むずか)しい事では無い。

 獅子族(シーズーぞく)たちに周囲(しゅうい)を取り囲まれてしまっては、逃げ様も無く、(ころ)されてしまう事は明らかだ。

 セネトとカルセドニ皇子(おうじ)は、近くに居た(おさな)皇族(こうぞく)たちや、その母親である(そく)()たち、護衛(ごえい)兵士(へいし)達に声を掛けながら、(いそ)いで会場から(だっ)する事にした。

()がすな! 皇族(こうぞく)は一人残らず(ころ)せ!」

セネト()の動きに気付いたゲオネスが、大声で近くに居た獅子族(シーズーぞく)たちにそう命じる。

「行け! セネト! 弟たちを(たの)む!」

カルセドニ皇子(おうじ)は、背中(せなか)()しにセネトに向かって叫んだ。

「すまない。 兄上」

セネトは沈痛(ちんつう)な表情を浮かべ、カルセドニ皇子(おうじ)に言うと、

弟妹(きょうだい)を守るのは兄たる(わたし)(つと)めだ。 私に気にせず行け!」

カルセドニ皇子(おうじ)は、不敵(ふてき)な笑みを浮かべながら、セネトに言った。

 カルセドニ皇子(おうじ)(うなが)され、セネトたちが会場からの脱出(だっしゅつ)(こころ)みて移動(いどう)していると……。

 宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)たちが控えていたテントの近くで、ガウンの様なゆったりとした服を羽織(はお)った、黒髪の背の高い若者(わかもの)が、呆然(ぼうぜん)とした様子(ようす)で立ち尽くして居るのがセネトの視界(しかい)に入った。

「ロナード?」

セネトは思わずその足を止め、そう(つぶや)いた。

「どうしたの?」

自分の前を行くセネトが不意(ふい)に足を止めたので、何とか人混(ひとご)みを抜け、ギベオンと共に彼の側に駆け付ける事が出来(でき)たルチルは戸惑(とまど)いの表情を浮かべ足を止め、彼にそう声を掛ける。

「あれ、ロナード……じゃない?」

セネトの視線(しせん)の先に、ロナードが居る事に気付いたルチルは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべたまま、(つぶや)く。

 ロナードも宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)のサリアに同行して、この会場に来ていた様だ。

 ロナードはどう言う訳か、石像(せきぞう)の様に虚空(こくう)を見つめたまま、突っ立って居る。

「ロナード!」

セネトは、一点を凝視(ぎょうし)したまま、恐怖(きょうふ)に顔を引き()らせ、石像(せきぞう)の様に動けなくなってしまって居るロナードを見て、苛立(いらだ)った口調(くちょう)で呟くと、とっさに彼の方へと駆け出す。

「ロナード! 何をして居る! 死にたいのか!」

セネトは、ロナードの元へ歩み寄ると、彼の腕を(つか)み、怒鳴(どな)り付けるが無反応(むはんのう)だ。

 ロナードは一点を見つめている様だが、その視点(してん)は定まっておらず、顔からはすっかり血の気が()せ、恐怖(きょうふ)に顔を引き()らせ、(かす)かに身を(ふる)わせ、立ち尽くしてしまっていた。

「おいっ!」

セネトは堪らず、ロナードを怒鳴(どな)り付ける様に声を掛けると、ガッと彼の肩を(つか)んだ。

 すると、彼はハッとした表情を浮かべると、(あわ)てた様子(ようす)でセネトの方へと顔を向け、

「セネト……」

(かす)かに声を(ふる)わせながら、(かす)れた声でそう(つぶや)いた。

大丈夫(だいじょうぶ)ですか?」

ロナードの様子(ようす)を見てギベオンは直ぐに、彼が普通(ふつう)状態(じょうたい)では無いと(さっ)して、心配そうに彼に声を掛ける。

「あ、ああ……。 だいじょう……」

ロナードは顔を青くしたまま、ギベオンにそう言い返そうとした瞬間(しゅんかん)(きゅう)に体の力が抜けた様にフッと足元から(くず)れ落ちた。

「ロナード!」

近くに居たセネトが(あわ)てて、倒れそうになったロナードの腕を(つか)み、何とか顔から地面にぶつかるのを阻止(そし)した。

「済まない……(おさな)(ころ)の事を思い出してしまって……。 体が動かないんだ」

自分を支えているセネトの腕を(つか)み、弱々しく語るロナードの手は(ひど)(ふる)えており、呼吸(こきゅう)も浅く、早い……。

「行きましょう。 ここは危険(きけん)です」

ギベオンは周囲(しゅうい)警戒(けいかい)しつつも、すっかり腰が抜けて立たなくなってしまって居るロナードを支えたまま、戸惑(とまど)って居るセネトに声を掛ける。

(いや)かも知れませんが、緊急(きんきゅう)事態(じたい)ですのでご容赦(ようしゃ)(くだ)さい」

ギベオンは、ロナードが自力(じりき)で歩く事が(むずか)しいと判断(はんだん)すると、そう言うや(いな)やヒョイと彼を軽々と(かか)え上げた。

 お姫さま()っこをされたロナードは、一瞬(いっしゅん)だけ(おどろ)きはしたものの、その事に対して文句(もんく)を言う訳でも無く、自分を(かか)えて居るギベオンに小さな子供の様に(すが)りつき、相変(あいか)わらず、(ひど)く何かに(おび)え、顔からはすっかり血の気が()せ、身を(ふる)わせている。


 獅子族(シーズーぞく)と、何処(どこ)からか現れた骸骨(がいこつ)兵士(へいし)たちは手当(てあた)たり次第(しだい)に人々を(ころ)し、会場は凄惨(せいさん)(きわ)めた。

 何とかして、会場から少し(はな)れた場所まで逃げる事が出来(でき)たセネトたちは、近くの馬小屋(うまごや)の中に身を(かく)し、やり過ごす事にした。

 今、下手(へた)に馬車などを出せば、それこそ、獅子族(シーズーぞく)たちの恰好(かっこう)標的(ひょうてき)にされてしまい、(たちま)ち取り囲まれて(ころ)されてしまう……。

 実際(じっさい)判断(はんだん)(あや)って軍の高官(こうかん)が近くに停めていた馬車に乗ってその場から逃げようとしたところ、(たちま)獅子族(シーズーぞく)たちに取り囲まれ、馬車を破壊(はかい)され、中に居た人物は引き()り出され、無残(むざん)(ころ)される光景(こうけい)を目の当たりにしたばかりだ。

大丈夫(だいじょうぶ)ですか?」

ギベオンはロナードの体を近くにあった積藁(つみわら)(もた)れ掛けさせる様にして、彼をゆっくりと座らせながら、心配そうに声を掛ける。

 ギベオンが、ここまで運んで来る間、ロナードは物凄(ものすご)(ふる)えていて、目の前の光景(こうけい)を見たくないのか、彼の胸元(むなもと)に顔を(うず)めて、(ふる)える手で(すが)り付いていた。

 (こわ)くて、怖くて、(たま)らない……。

 そんな彼の気持ちが、(ほか)の者にも手に取る様に伝わって来ていた……。

「ああ……」

力なく答えるロナードは、先程(さきほど)よりは幾分(いくぶん)か顔色が良くなっている様に思えるが、まだ、恐怖(きょうふ)心があるのか、その手は(かす)かに(ふる)えている。

「……思い出したのは、『血の粛清(しゅくせい)』の時の事か?」

セネトは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべつつも、落ち着いた口調(くちょう)でロナードに問い掛けると、彼はとても(つら)そうな表情を浮かべ、(うなず)き返した。

 以前(いぜん)、ロナードの所在(しょざい)を探していた時、彼が(おさな)い頃に『血の粛清(しゅくせい)』を経験(けいけん)した事を、セネトは知っていた。

 『血の粛清(しゅくせい)』とは、クラレス公国(こうこく)で起きた、ルオン王国軍による市民(しみん)への大虐殺(だいぎゃくさつ)事件(じけん)で、その凄惨(せいさん)さは遠く(はな)れた帝国(ていこく)にも知れ渡っている。

 事の発端(ほったん)は、国民主権(こくみんしゅけん)体制(たいせい)を変えようと(こころ)みていた、()きクラレス公国の領主(りょうしゅ)レヴァール大公(たいこう)意志(いし)()ぐ、大公(たいこう)の妻や友人、若手の政治(せいじ)()諸侯(しょこう)らが、主国(しゅこく)であるルオン王国からの再三(さいさん)現状体制(げんじょうたいせい)維持(いじ)の通知を無視(むし)し、国民主権(こくみんしゅけん)への移行(いこう)を続けていた事に(おこ)ったルオン国王が、大公(たいこう)夫人(ふじん)を、国家転覆(こっかてんぷく)(たくら)罪人(ざいにん)として逮捕(たいほ)しようとした事であった。

 それに怒ったクラレス市民(しみん)が、ルオン国王を批判(ひはん)する大規模(だいきぼ)なデモを起こし、デモ隊の規模(きぼ)は日に日に大きくなり、やがて彼等(かれら)はルオン王国へ向かって行進(こうしん)をはじめた。

 デモ隊は、隣国(りんごく)のマイル王国に(せま)る勢いであった(ため)、ルオン国王は止む無く、自国の軍をクラレス公国(こうこく)に送り、暴動(ぼうどう)鎮圧(ちんあつ)を命じた。

 これが、惨劇(さんげき)の始まりである。

 自国民(じこくみん)であるデモ隊を守ろうと、クラレス公国(こうこく)軍隊(ぐんたい)がマイル王国との国境近(こっきょうちか)くで軍を展開(てんかい)

 隣国(りんごく)のマイル王国の軍隊(ぐんたい)一触即発(いっしょくそくはつ)事態(じたい)になり、事態(じたい)を重く見たイシュタル教会がクラレス公国(こうこく)首都(しゅと)(せい)騎士(きし)(だん)派遣(はけん)したが、首都(しゅと)へ入る事を(こば)むクラレスの兵たちと衝突(しょうとつ)

 聖騎士団(せいきしだん)はそのまま、クラレス公国の首都マケドニアへ雪崩(なだれ)れ込み、大罪人(たいざいにん)である大公(たいこう)夫人(ふじん)拘束(こうそく)と言う大義名分(たいぎめいぶん)(かか)げ、それを阻止(そし)しようとした市民(しみん)たちを虐殺(ぎゃくさつ)

 事態(じたい)を知り、首都(しゅと)へ舞い戻ろうとしたクラレス軍を、マイル王国の許可(きょか)を得てルオン軍が、デモ隊と共に攻撃(こうげき)

 僅かに戻ったクラレス軍を、待ち(かま)えていた教会の(せい)騎士(きし)(だん)が壊滅させてしまう。

 その後、統制(とうせい)が取れなくなった、(せい)騎士(きし)(だん)とルオン王国の兵士(へいし)達は、首都(しゅと)マケドニアで略奪(りゃくだつ)殺戮(さつりく)の限りを尽くし、(つみ)のない多くの市民(しみん)犠牲(ぎせい)となり、その混乱(こんらん)下で大公(たいこう)夫人(ふじん)死亡(しぼう)

 首都のマケドニアは大火により、壊滅的(かいめつてき)被害(ひがい)を受けた。

 ……と言うのが、十数年前にクラレス公国(こうこく)で起きた、後に『血の粛清(しゅくせい)』と呼ばれる、ルオン王国軍と教会の聖騎士団(せいきしだん)による、マケドニア市民(しみん)大虐殺(だいぎゃくさつ)事件(じけん)である。

 『血の粛清(しゅくせい)』の凄惨(せいさん)さは、人伝(ひとづた)いに伝え聞いているが、実際(じっさい)にそれを経験(けいけん)した人たちにとっては、今も(なお)、心の奥深(おくふか)くに(きざ)まれた、決して忘れる事の出来(でき)ない惨劇(さんげき)であろう事は、セネトらも容易(ようい)想像(ようい)出来(でき)る。

 ましてや、当時(とうじ)五歳くらいの幼い子供が、その時に受けた衝撃(しょうげき)は計り知れない……。

 当時見(とうじみ)光景(こうけい)、受けた衝撃(しょうげき)は、幼かった彼の心を深く傷付(きずつ)け、心の奥底(おくそこ)で決して消えない深い傷としてあり続け、何かの拍子(ひょうし)にそれを思い出させては、彼の心を(むしば)んでいるのだろう。

大丈夫(だいじょうぶ)だ。 僕たちが付いて居る。 ゆっくり深呼吸(しんこきゅう)をして、心を落ち着かせるんだ」

セネトはロナードの前に来ると身を(かが)め、優しく彼を抱きしめながら、とても優しい口調(くちょう)でそう言うと、まだ(かす)かに体が(ふる)えている彼の頭を優しく()でる。

 その直ぐ側で、ルチルも心配そうな顔をして、ロナードの側に身を(かが)め、震えている彼の手を優しく包み込む様に握っている。

 ロナードのその尋常(じんじょう)になく怯えている様子(ようす)から(さっ)するに、人から伝え聞いている通り、正にこの世の地獄(じごく)を見て来たのだろう……。

 セネトに優しく抱きしめられ、その温もりに安堵したのか、徐々(じょじょ)にロナードの体の震えが収まり、(ひど)く乱れて居た呼吸も少しずつ収まって来た。

 彼の表情も安堵(あんど)した様子(ようす)に代わり、恐怖(きょうふ)の余り、目元に溜めていた涙が、静かに(ほお)を伝った。

 ルチルも心配そうな顔をしながら、ロナードの背中(せなか)を優しく(さす)っている。

 当時、目の前の光景に身を震わせ、死の不安に駆られ、(すす)けた匂に混ざり、血の匂いが漂い、(けむり)や炎が(いた)る所で挙がる街の中を、ただ必死(ひっし)に逃げ惑う事しか出来(でき)なかった幼い彼を、こんな風に優しく抱きしめてくれる人は、居なかったのだろう……。

 その後も……惨劇(さんげき)を目の当たりにして傷付(きずつ)いた彼の心に寄り添い、支えてくれる人も……。

 彼はずっと、消えない心の傷を抱え、教会の影に(おび)えつつも、周りに求められるがまま、必死(ひっし)に強い自分を(えん)じ続けて居たのだろう……。

何時(いつ)も言って居るだろう? 無理(むり)をする必要は無い。 そのままのお前で居ろ。 (ぼく)はどんなお前でも見限(みかぎ)ったりはしない」

セネトは、ロナードに向かって優しく言うと、

殿下(でんか)(おっしゃ)る通りです。 大丈夫(だいじょうぶ)ですよ。 ロナード様。 自分たちが居ます」

ギベオンも、優しい口調(くちょう)で彼に声を掛けると、彼は小さな子供の様に(うなず)き返した。


「さて……。 この事態(じたい)をどうしたモノか……」

セネトは、座って居るロナードの(かたわ)らに積まれた藁の束の上に腰を下ろし、呟く。

「私達が王宮(おうきゅう)へ戻るだろうという事は、相手(あいて)予測済(よそくず)みの筈よ」

ルチルは相変(あいか)わらず、ロナードが落ち着く様、彼の隣に座り、優しく彼の背中(せなか)(さす)りつつも、王宮(おうきゅう)が有る方へ目を向け、神妙な面持(おもも)ちで呟く。

「ですが、ここも何時(いつ)見付かるか分かりません」

ギベオンは不安に満ちた表情を浮かべ、セネトに言い返した。

「なら一層の事、全て蹴散(けちら)らしてしまっては如何(いかが)ですの?」

セネトとは反対側に積み上げられた(わら)の上に座り、退屈(たいくつ)そうに(わら)穂先(ほさき)(わず)かに残っていた実を取って遊んで居たエルフリーデが言った。

「なっ……お前、何時(いつ)の間に?」

セネトは、(おどろ)きと戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、彼女を見る。

「私たちも、ロナードの近くに居ましてよ?」

そう言ったエルフリーデの側には、宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)のサリアと、その息子(むすこ)のルフトが居た。

「そうなのか?」

セネトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべたまま、ギベオンに問い掛けると、

「はい」

彼は間髪置(かんぱつお)かずに答えた。

「気付いて無かったのは、セティくらいよ」

ルチルは呆れた表情を浮かべ、セネトに言った。

「すまない。 ロナードの事が心配で、周りに目を配る余裕(よゆう)が無かった」

セネトは、申し訳なさそうな表情を浮かべ、サリア達に向かってそう言った。

「そうでしょうね」

サリアは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら言い返した。

「だが、お前たちが居るならば話が変って来る。 具体的に反撃(はんげき)する(さく)()るぞ」

セネトは、嬉々(きき)とした表情を浮かべ、サリアとルフトに向かって言うと、

「はい」

サリアは真剣(しんけん)面持(おもも)ちで(うなず)き返す一方で、

「自信はないですが、まあ、出来(でき)る限りの事はしますよ」

ルフトは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら、ちょっと自信なさそうな様子(ようす)で答えた。


(だれ)かが、(やつ)らを退(しりぞ)けねば大惨事(だいさんじ)になる事は明らかだが……相手(あいて)獅子族(シーズーぞく)。 会場に残った兄上たちも今は、(かろ)うじて()えている様だが、それも何時(いつ)まで持つか……。 だが、獅子族(シーズーぞく)たちが街へ放たれる様な事だけは、何としても()けねばならない。 だが、それに対抗(たいこう)しうるだけの装備(そうび)兵力(へいりょく)を整えるだけの時間は、我々(われわれ)にはない」

セネトは両腕(りょううで)を自分の胸の前に組み、落ち着いた口調(くちょう)でそう語る。

「言わんとする事は分かりますが……。 具体的(ぐたいてき)にはどうするのですか? 我々は必要(ひつよう)最低限(さいていげん)の武器しか持って居ないのですよ? 普通(ふつう)の剣で獅子族(シーズーぞく)(はがね)の体を(つらぬ)く事は出来(でき)ないのに……」

ルフトは戸惑(とまど)いの表情を浮かべつつ、セネトに問い掛ける。

(たと)えばの話ですが、結界(けっかい)獅子族(シーズーぞく)たちを一カ所に閉じ込めて、(わたし)たちの魔術(まじゅつ)一網打尽(いちもうだじん)にする……と言うのは如何(いかが)でしようか?」

サリアは、真剣(しんけん)な表情を浮かべ、セネトにそう提案(ていあん)する。

「案としては悪くありません。 ですが結界(けっかい)を作るには時間が掛りますし、獅子族(シーズーぞく)たちに見付からずにそれをするとなると、かなり無理(むり)がある様に思えます」

サリアの意見を聞いて、ギベオンは苦々(にがにが)しい表情を浮かべ、彼女にそう指摘(してき)する。

「そういうのならギベオン(きょう)は、この(さく)(ほか)に何か妙案(みょうあん)でもあるの?」

サリアは、ムッとした表情を浮かべ、強い口調(くちょう)でギベオンに問い掛ける。

「それは……」

ギベオンは、困った様な表情を浮かべ、思わず口籠(くちごも)らせる。

「確かに獅子族(シーズーぞく)厄介(やっかい)ですが、骸骨(がいこつ)兵士(へいし)召喚(しょうかん)して居ると思われる、あの黒いドラゴンもどうにかしなければないでしょう?」

ルフトは、真剣(しんけん)な表情を浮かべ、そう指摘(してき)する。

「確かにそうね」

ルチルも、何とも言い(がた)禍々(まがまが)しい空気を(まと)い、恐怖(きょうふ)()き散らして居る黒いドラゴンの姿を思い出しながら(つぶや)く。

 (ただ)(たん)に、兵力(へいりょく)不足(ぶそく)(おぎな)(ため)骸骨(がいこつ)兵士(へいし)召喚(しょうかん)するだけが役目(やくめ)では無い(はず)だ。

「あれを倒すのはある意味、獅子族(シーズーぞく)たちを相手(あいて)取るよりも厄介(やっかい)だぞ」

セネトは、苦々しい表情を浮かべながら言った。

 ドラゴンは古の時代から人々に畏怖(いふ)されている事は、小さい子供でも知って居る。

 『神の代弁者(だいべんしゃ)』、『世界の管理(かんり)(にん)』……。

 その呼び名の通りに、(りゅう)(しゅ)はこの世界の生物の中で最強(さいきょう)種族(しゅぞく)だ。

 これまでの歴史上、彼等(かれら)(いか)りをかい、世界地図から一夜にして消え去った国は(かず)()れない。

 その爪痕(つめあと)は今も、世界中の各地(かくち)に見られ、特に、南半球の中央の島々も元は、西の大陸と(りく)(つづ)きの一つの大きな大陸であったのだが、(いにしえ)(たたか)いの(さい)に、(りゅう)(しゅ)たちの力によって大地を(けず)られ、現代の姿になったと言われている。

 ただ元々、種として少なかった事に加え、同族間(どうぞくかん)(いくさ)疫病(えきびょう)など様々な事情(じじょう)からみるみる数を減らし、現在、人々が存在(そんざい)確認(かくにん)出来(でき)ている(りゅう)(しゅ)は、世界中で両手に収まる程度(ていど)だ。

 それでも、その存在(そんざい)脅威(きょうい)である事には変わりない。

 今、帝都(ていと)に現れている黒いドラゴンは、古のドラゴンたちの(たましい)異界(いかい)へと渡り、(げん)(じゅう)と言う(ちが)う生き物である可能性(かのうせい)が高いが、それでも元はドラゴンである。

 (げん)(じゅう)と呼ばれる異界(いかい)(けもの)たちの中でも、最上(さいじょう)()(しゅ)である事は(うたが)いようも無い。

 (げん)(じゅう)に何をさせるかにもよるが、最上位の(げん)(じゅう)召喚(しょうかん)するとなると、(わず)かな時間であっても、相当(そうとう)量の魔力(まりょく)と高い技術、召喚(しょうかん)するに(さい)しての対価(たいか)供物(くもつ))など、普通(ふつう)術師(じゅつし)が一人で召喚(しょうかん)出来(でき)代物(しろもの)では無い。

 ただ、例外(れいがい)として召喚(しょうかん)()が居るのだが……。

 彼等(かれら)もまた、(りゅう)種並(しゅな)みに稀有(けう)存在(そんざい)であり、その力のメカニズムは明らかにはされていない。

 普通(ふつう)に考えれば、複数(ふくすう)人が召喚(しょうかん)に関わっている事は明らかで、魔術(まじゅつ)を使えぬ獅子族(シーズーぞく)がそれをやるのは不可能(ふかのう)で、獅子族(シーズーぞく)たち以外の、別の種族(しゅぞく)協力者(きょうりょくしゃ)が居ると見るべきだ。

 この場合は、人間の魔術師(まじゅつし)である可能性(かのうせい)が高いだろうが……。

一番(いちばん)確実(かくじつ)なのは、術師(じゅつし)(ころ)してしまう事です」

サリアは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら語る。

「それはあまり、現実的(げんじつてき)じゃない」

セネトは、気乗(きの)りしない様子(ようす)でサリアに言うと、

「セネトの言う通りだわ。 現状(げんじょう)からして、術師(じゅつし)を探している時間なんてないわよ」

ルチルも、神妙(しんみょう)な表情を浮かべ、重々しい口調(くちょう)で言った。

「でしたら、どうしろと(おっしゃ)るのです!」

エルフリーデが戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、ルチル達に言うと、

「さっきの……サリアの案を獅子族(シーズーぞく)に対してではなく、黒いドラゴンに使ったらどうだ?」

落ち着きを取り戻し、顔色も幾分(いくぶん)か良くなったロナードが、落ち着いた口調(くちょう)で言った。

獅子族(シーズーぞく)結界(けっかい)に閉じ込めるのでは無くて、ドラゴンを結界(けっかい)にって事?」

ルフトは戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、ロナードに問い掛ける。

「そうは言いますけれど、私(わたhし)たちの攻撃(こうげき)()くかも分からないですし、だからと言って、あんなのずっと結界(けっかい)の中に閉じ込めておくのは無理(むり)なのではなくって?」

話を聞いて、エルフリーデは戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、ロナードに言い返す。

「……結界(けっかい)(ない)に閉じ込めた後、強制的(きょうせいてき)(げん)(じゅう)異界(いかい)へ帰らせれば良い」

ロナードは、落ち着いた口調(くちょう)で言うと、

「は?」

ルフトは戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、思わず間抜(まぬ)けな声を上げる。

「なにを(おっしゃ)って居まして? 貴方(あなた)

エルフリーデも思い切り眉を(ひそ)め、怪訝(けげん)そうな顔をしてロナードに言った。

(なる)(ほど)。 召喚(しょうかん)する事が出来(でき)るのだから、逆送り返す事も可能だろうと言う事か……」

セネトは、両腕(りょううで)を自分の胸の前に組み、落ち着いた口調(くちょう)で言うと、

理屈(りくつ)は分かるけれど、召喚(しょうかん)者でも無い者がそんな事が出来(でき)るの?」

ルチルは戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、ロナードに問い掛ける。

召喚(しょうかん)(じゅつ)と言うのは、異界(いかい)此方(こちら)の世界を行き来する門を開いて、(げん)(じゅう)を招き入れる作業だ。 門が開いて居る間は、(げん)(じゅう)異界(いかい)から魔力(まりょく)供給(きょうきゅう)され、此方(こちら)に居る事が出来(でき)るが、門を閉めると異界(いかい)からの魔力(まりょく)供給(きょうきゅう)途切(とぎ)れ、幻獣は此方(こちら)の世界で形を保つ事が出来(でき)なくなる。 それは(すなわ)ち、此方(こちら)の世界に居る(げん)(じゅう)たちにとっては死と同じ事だ。 大抵(たいてい)(げん)(じゅう)は閉門に合わせて自分達の世界に帰る」

ロナードは落ち着いた口調(くちょう)で、自分の提案(ていあん)戸惑(とまど)って居る様子(ようす)のルチル達に説明する。

「なるほど……。 そう言う(から)()りだったんだ……」

ロナードの話を聞いて、ルフトがしみじみとした口調(くちょう)で呟く。

「お前なら、それが出来(でき)るのか?」

セネトが真剣(しんけん)な表情を浮かべ、(おもむろ)にロナードに問い掛けると、

「は? 何を(おっしゃ)って居るの? そんな事、召喚(しょうかん)()でも無い限り、一人で出来(でき)る訳が無いですわ!」

それを聞いたエルフリーデが(おどろ)いて思わず、セネトに言い返したが、

「やった事は一度も無いが、理屈(りくつ)(てき)には多分(たぶん)……出来(でき)る」

当のロナードは、落ち着いた口調(くちょう)でセネトにそう答えた。

「はあ? 貴方(あなた)、私の話聞いていまして? その辺の術師(じゅつし)では出来(でき)ませんのよ! 召喚(しょうかん)()でなくては!」

ロナードの言葉を聞いて、エルフリーデは思い切り顔を(ひそ)め、彼に向かって強い口調(くちょう)で説明をする。

「その召喚(しょうかん)()なら、出来(でき)るんだろう?」

ロナードは、苛立(いらだ)って居る様子(ようす)のエルフリーデに、落ち着いた口調(くちょう)で言うと、

「へ?」

彼女は、キョトンとした表情を浮かべ、理解(りかい)が追い付いて居ないのか、目をパチクリする。

無理(むり)をしない方が……」

ロナードの言葉を聞いて、ギベオンが心配そうな表情を浮かべ、言った。

「そうよ。 強制(きょうせい)閉門(へいもん)なんて、どんなリスクがあるか分からないのに!」

サリアも心配そうな表情を浮かべ、ロナードの腕を(つか)むと、強い口調(くちょう)で言う。

(おそ)らく、あのドラゴンはあれはニーズヘッグだ。 冥府(めいふ)に住まう血肉(けつにく)を好む、(げん)(じゅう)の中でも異質(いしつ)存在(そんざい)だ。 もし、召喚(しょうかん)に応じた対価(たいか)が、この街に居る(すべ)ての人間の血肉(けつにく)だったら、アイツはここに居る人達を(ころ)し尽くすまで消えないぞ」

ロナードは、真剣(しんけん)な表情を浮かべながら、重々しい口調(くちょう)でサリア達に語ると、

「なっ……」

「わ、笑えない冗談(じょうだん)ですわ」

ルフトとエルフリーデが恐怖(きょうふ)に顔を引き()らせ、思わずそう(つぶや)くと、言葉を失った。

召喚(しょうかん)者も全員、(すで)にアイツに食われた後かも知れない」

ロナードは、苦々(にがにが)しい表情を浮かべ、そう続ける。

「それは、つまり……アイツは今、野放(のばな)状態(じょうたい)って事……なのか?」

ロナードの言葉を聞いて、セネトは戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、彼に問い掛ける。

「その可能性(かのうせい)は十分に考えられる」

ロナードは、神妙(しんみょう)な表情を浮かべ、重々しい口調(くちょう)で答えた。

 彼のあままりに突拍子(とっぴょうし)の無い言葉に、その場に居合(いあ)わせた者たちは(おどろ)き、一様(いちよう)絶句(ぜっく)する。

 ロナードの雰囲気(ふんいき)などからして、これが冗談(じょうだん)などでは無く、真剣(しんけん)に言って居るのだと言うのは、皆、直ぐに理解(りかい)出来(でき)た。

「そんな事が有り得えまして?」

(しばら)くの沈黙(ちんもく)ののち、エルフリーデがおずおずと、妙に思い詰めている様子(ようす)のロナードに問い掛けた。

「……有り得るから、(おれ)が生まれ育った街は、召喚(しょうかん)された(げん)(じゅう)によって(ほろ)んだんだ」

ロナードは重々(おもおも)しい口調(くちょう)で語ると、沈痛な表情を浮かべ、俯いた。

「は? なにを……(おっしゃ)って居るの?」

エルフリーデは(ひたい)に冷や汗を浮かべ、『理解(りかい)不能(ふのう)』と言った様子(ようす)で、ロナードに向かって言う。

「それは……クラレス公国(こうこく)であった『血の粛清(しゅくせい)』のことを言っているの?」

サリアが、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら、おずおずとロナードに問い掛けると、彼は(うつむ)いたままであったが、ハッキリと(うなず)き返して来た。

「……『血の粛清(しゅくせい)』は、イシュタル教会の(せい)騎士団(きしだん)たちとルオン軍による、市民(しみん)大量(たいりょう)虐殺(ぎゃくさつ)とされていますが……真実(しんじつ)(こと)なると言う事ですか?」

ギベオンは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべつつ、ロナードに問い掛ける。

「ああ……。 市民(しみん)も教会の(せい)騎士(きし)たちも、ルオン軍も関係なく、建物(たてもの)も何もかも(みな)……、突然(とつぜん)現れた青白い炎の(おおかみ)たちに(おそ)われて、その炎に包まれて一瞬(いっしゅん)(はい)になって消えた」

ロナードは、当時(とうじ)光景(こうけい)を思い出したのか、(うつむ)いたまま、両手を自分の前でギュッと握りしめ、声を(ふる)わせながら答えた。

 ロナードの話に、その場に居合(いあ)わせた者達の(ほとん)どは、それがどう言う事なのか、想像(そうぞう)する事が(むずか)しかったが、ただ……自分たちの想像(そうぞう)を超える様な出来事(できごと)により、多くの何の(つみ)も無い人たちの命が一瞬(いっしゅん)の内に(うしな)われ、ロナードはそんな惨状(さんじょう)を目の当たりにしながらも、運よく助かったと言う事だけは理解(りかい)出来(でき)た。

 当時(とうじ)(おさな)い子供であったであろうロナードからしてみれば、この世の恐怖(きょうふ)以外の何ものでも無かっただろう。

「青い炎……」

サリアは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら、呟く。

「本当に……あの炎に包まれたものは何も残らない。 だから(みな)(おおかみ)の形をした青い炎に(つか)まらない様に、城門(じょうもん)が閉ざされ、出口の無い街の中を只管(ひたすら)、足を休める事無く逃げ回るしかなかった。 ただ只管(ひたすら)に……(おおかみ)たちが消えてしまうまで……」

ロナードは(うつむ)いたまま、声を(ふる)わせながら語ると、両腕(りょううで)で自分の(ひざ)を抱える様にすると、顔を膝元(ひざもと)(うず)めた。

 その両肩が、(かす)かに震えていた……。

「なんで……そんな事を……」

ロナードの話を聞いて、ルチルは(なか)呆然(ぼうぜん)とした様子(ようす)(つぶや)く。

「……」

ロナードは、自分の(ひざ)に顔を(うず)めたまま、何も答えずに居る。

「ロナード。 お前は少し休め」

セネトは(おもむろ)に、ロナードの前に来ると身を(かが)め、優しい口調(くちょう)でそう言うと、そっと彼を自分の胸元(むなもと)に抱き寄せ、ポンポンと彼の背中(せなか)を叩いた。

「でも……」

ロナードは、セネト皇子(おうじ)に抱きしめられた格好(かっこう)のまま(つぶや)くと、

「良いから! 少し寝ろ!」

セネトは、ロナードを抱きしめたまま、彼に言い聞かせる様に強い口調(くちょう)で言う。

「……分かった」

ロナードはそう答えると、積藁(つみわら)の上に静かに身を預け、ゆっくりと目を閉じた。


「……ス。 ユリアス」

自分の頭の上から、聞き覚えのある若い男の声がして、優しく肩を()らされたので、ロナードはゆっくりと目を開けた。

気分(きぶん)はどうですか? 少しは、楽になりましたか?」

ハニエルが身を(かが)めつつ、まだ少しボンヤリとして居る様子(ようす)のロナードを覗き込みながら、優しい口調(くちょう)で問い掛けると、持って居た(かわ)(みず)(ぶくろ)を彼に差し出した。

「ハニエル?」

ロナードは、自分が眠ってしまうまでは、此処(ここ)にはいなかった(はず)のハニエルの姿がある事に驚き、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら(つぶや)く。

大丈夫(だいじょうぶ)か?」

頭の上から、聞き覚えのある声でそう声を掛けられ、ロナードは其方(そちら)の方へと目を向ける。

「兄上……」

ハニエルと同様(どうよう)、いなかった(はず)の兄シリウスの顔を見て、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら呟く。

「落ち着いたか?」

シリウスは優しい口調(くちょう)で、ロナードに問い掛ける。

「どうして此処(ここ)に? いや、それ以前(いぜん)にどうして此処(ここ)が?」

ロナードは、ゆっくりと体を起こしながら、戸惑(とまど)いに満ちた表情を浮かべながら、シリウスに問い掛ける。

「サリアの魔法(まほう)(ちょう)で、この事態(じたい)を知って、(ちょう)に案内をさせてここへ来たのです」

ハニエルは落ち着いた口調(くちょう)で、ロナードの疑問に答えた。

「そうだったか……」

ハニエルの説明を聞いて、()に落ちたロナードはそう(つぶや)いてから、

(おれ)は、どのくらい(ねむ)っていた?」

近くに居たルチルに問い掛けると、

「そんなに(ねむ)って無いわ。 二、三〇分ってところかしら」

ルチルはニッコリと笑みを浮かべ、優しい口調(くちょう)で答えた。

「起きたばかりのところを悪いが、時間が()しいから、決まった作戦(さくせん)の内容を話しても良い?」

背中(せなか)や尻に付いた穂屑(ほくず)などをハニエルから取って(もら)っているロナードに、サリアは真剣(しんけん)面持(おもも)ちで声を掛ける。

「えっ。 あ、うん。 はい」

ロナードは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべつつも、彼女に返事をする。

「……(わら)が付いている」

セネトがそう言うと、ロナードの髪に付いて居た藁屑(わらくず)を取る。

「通りで、何かムズムズすると思った」

ロナードは、セネトが取り払った(わら)が付いて居た辺りを片手で抑えつつ、苦笑(くしょう)()じりに言った。

「良く眠ったようですから、しっかり、貴方(あなた)にも働いて(いただ)きますわよ!」

その様子(ようす)面白(おもしろ)く無さそうに見ていたエルフリーデが、ムッとした表情を浮かべつつ、何処(どこ)(けん)のある口調(くちょう)でロナードに言った。

「……(おに)だね。 エフィ」

ロナードに対するエルフリーデの態度を見て、ルフトは苦笑(にがわら)いを浮かべながら言うと、

五月蠅(うるさ)いですわ!」

彼女は両腕(りょううで)を自分の胸の前に組み、ギロッと、座って居たルフトを彼の視線(しせん)の上から思い切り(にら)み付けながら、強い口調(くちょう)で言い返す。

「……説明したいのだけど?」

サリアは、ちょっとイラッとした様子(ようす)で、(ひたい)青筋(あおすじ)を浮かべつつ、ルフトとエルフリーデに言った。

「あ、はい。済みません……」

御免(ごめん)なさい……」

サリアの迫力に、ルフトとエルフリーデはビクッと身を強張(こわば)らせ、オドオドした口調(くちょう)で返した。

「あのドラゴンは貴方(あなた)一任(いちにん)する事になったから。 要領(ようりょう)はさっき貴方(あなた)自身(じしん)提案(ていあん)した通り、結界(けっかい)の中に閉じ込めたら、貴方(あなた)が送り返すって方法ね」

サリアは、事務的(じむてき)口調(くちょう)で、ロナードに物凄(ものすご)簡潔(かんけつ)に説明すると、

「分かった」

ロナードは、落ち着いた口調(くちょう)で返事を返した。

 何と言うか、その様に言われる事を予想(よそう)はして居たとしても、『あ、いいよ~』みたいに軽く答えたロナードに、ルフトやエルフリーデは戸惑(とまど)う。

 そんなあっさり、引き受けて良い様な内容でも無いと言うのに……。

「済まない。 お前に無理(むり)はさせたく無かったんだが……」

セネトは、申し訳なさそうにロナードに言うが、

(かま)わない。 結局(けっきょく)(おれ)適任(てきにん)と言う事になったのだろう?」

ロナードは、実にサラッとそう言って退けた。

「その通りなのだが……」

セネトは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら答える。

「セレンディーネ様が気遣(きづか)う必要などありませんわ。 言い出したのは(ほか)でもない、(かれ)自身(じしん)なのですから!」

(おそ)ろしく落ち着いているのロナードを見て、エルフリーデは軽い苛立(いらだ)ちを覚え、思わず、セネトに抗議(こうぎ)する。

「そうは言うけどね……。 かなり(あぶ)ない事をさせるんだぞ?」

それには思わすルフトが、困った様な表情を浮かべながら、エルフリーデに言い返すと、彼女は複雑(ふくざつ)な表情を浮かべ、(だま)ってしまった。

()(かく)無茶(むちゃ)な事だけはするなよ?」

セネトは、心配そうな表情を浮かべたまま、ロナードにそう言って念を押す。

「そんなに心配しなくても、あんな薄気味悪(うすきみわる)いドラゴンと心中(しんじゅう)する気は更々(さらさら)無い」

ロナードは、自分の事を心配して居るセネトに向かって、(おだ)やかな口調(くちょう)でそう言うと、ニッコリと笑みを浮かべた。

(わたし)たちがそんな事はさせないが」

シリウスが、不敵(ふてき)な笑みを浮かべながら言うと、ハニエルも真剣(しんけん)な表情で頷くと、

獅子族(シーズーぞく)の方は、(わたし)たちに任せて下さい。 貴方(あなた)がドラゴンを相手(あいて)取って居る間、絶対(ぜったい)に近付けさせはしません」

ロナードに言った。

了解(りょうかい)した。 (たよ)りにしている」

何時(いつ)もより増して、真剣(しんけん)な顔をして自分を見ているハニエルとシリウスに対し、ロナードはフッと笑みを浮かべ、(おだ)やかな口調(くちょう)で返した。

(まか)せろ」

シリウスはそう答えると、不敵(ふてき)な笑みを浮かべる。

獅子族(シーズーぞく)は、サリアの(かみなり)の術を付与(ふよ)した武器で攻撃(こうげき)するわ」

ルチルが、事務的(じむてき)口調(くちょう)で説明すると、

(なる)(ほど)。 (いく)(はがね)の様な体の獅子族(シーズーぞく)と言えど、生物である事には変わりない。 (おれ)たちと同じ様に汗はかくし、血も流れている……。 (かみなり)耐性(たいせい)では無い限り、内部へのダメージは与えられるだろうと言う魂胆(こんたん)か」

ロナードは、落ち着いた口調(くちょう)でそう言うと、

流石(さすが)。 理解(りかい)が早くて助かるわ」

サリアは、ニッコリと笑みを浮かべながらロナードに言ってから、

「どう? 名案(めいあん)だと思わない?」

嬉々(きき)とした表情を浮かべ、(さら)に彼にそう問い掛けた。

「ええ……あ、はい」

彼は、(みょう)にテンションの高いサリアに少し戸惑(とまど)いつつ、返事をするが、

「何よ。 もう少し称賛(しょうさん)してくれても良くない? 『流石(さすが)師匠(ししょう)! ()えていますね!』とか」

サリアは不満(ふまん)そうな表情を浮かべ、口を()らせてロナードに言い返す。

()ねるから、言ってあげた方が良いと思う」

側に居たルフトがボソッと小声で、ロナードの耳元でそう言った。

「さ、流石(さすが)師匠(ししょう)。 ()えていますね (すご)いです」

ロナードは、何とか笑顔(えがお)を作ろうと顔を引き()らせつつ、棒読(ぼうよ)みでサリアに言った。

「うふふふ。 そうでしょ? そうでしょ? まあ、魔術(まじゅつ)の中でも高位(こうくらい)の光の魔術(まじゅつ)を使える(わたし)ならではの発想(はっそう)よねぇ?」

サリアは満足げな様子(ようす)でそう言った。

「いや……お前が無理(むり)矢理(やり)、言わせたんだろ……」

「完全に棒読(ぼうよ)みだったじゃない……」

ロナードが、()感情(かんじょう)で言い放つのを見て、セネトとルチルが、(あき)れた表情を浮かべながら(つぶや)く。

(おれ)も、少しは使えるけど……)

ロナードは、ドヤ顔をしているサリアを見ながら、心の中で(つぶや)いた。

「何にしても、こんな場当(ばあ)たり的な作戦(さくせん)で、上手(うま)く行くかどうか云々(うんぬん)すら、言って居る場合では無い。 申し訳ないが、(みんな)、頼む」

セネトは、軽く溜息(ためいき)を付いてから、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべ、ロナード達にそう言った。

「必ずや、勝利を御手(おて)に」

ギベオンは、片手を自分の胸の前に()え、セネトにそう言うと、にこやかに笑みを浮かべる。

大丈夫(だいじょうぶ)ですわ! セネト様が立てた作戦(さくせん)ですもの。 上手(うま)く行きますわ!」

エルフリーデはやる気満々と言った様子(ようす)で、セネトに言う。

「まあ、(わたし)たちが居れば、問題(もんだい)()いだろう」

シリウスは、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で言うと、その物言(ものい)いに対し、ハニエルとロナードは思わず苦笑(にがわら)いを浮かべるが、今は、その発言が心強(こころづ)い。


 一方(いっぽう)皇帝(こうてい)と兄弟たちを(のが)(ため)襲撃(しゅうげき)して来た獅子族(シーズーぞく)たちを兵士(へいし)たちと共に引き付けていたカルセドニ皇子(おうじ)窮地(きゅうち)(おちい)っていた。

「くそっ……キリがない……」

獅子族(シーズーぞく)だけでも厄介(やっかい)だと言うのに、あの骸骨(がいこつ)共、何とかならないのか?」

カルセドニ皇子(おうじ)を守る様にしながら、兵士(へいし)たちが口々に呟く。

皇子(おうじ)。 これ以上は危険(きけん)です! 退却(たいきゃく)を」

カルセドニ皇子(おうじ)の側に居た兵士(へいし)が、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで言うと、

退却(たいきゃく)だと?」

彼は(にわ)かに表情を(けわ)しくし、その兵士(へいし)をギロリと(にら)み付けながら、ドスの利いた声で(すご)む。

「この状況(じょうきょう)不利(ふり)です。 このまま一方的(いっぽうてき)にジワジワと戦力(せんりょく)()がれていくだけです」

皇帝(こうてい)陛下(へいか)(ふく)め、(ほか)皇子(おうじ)や国の要人(ようじん)たちも大方(おおかた)、会場から逃げる事が出来(でき)ました。 後は我々(われわれ)が引き受けます(ゆえ)皇子(おうじ)もお逃げ下さい」

カルセドニ皇子(おうじ)(すご)まれ、兵士(へいし)たちは一瞬(いっしゅん)ひるんだが、直ぐに真剣(しんけん)な表情で彼にそう(さと)す。

「止むを得ぬか……」

カルセドニ皇子(おうじ)は、周囲(しゅうい)に目を向けながら、苦々(にがにが)しい表情を浮かべる。

「兄上っ!」

そこへ、(ほか)の兄弟たちと共に逃げた(はず)のセネトが、自分の部下と宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)のサリア、その部下たちを引き連れ、(もど)って来た。

「なっ……セティ? なぜ(もど)って来た?」

カルセドニ皇子(おうじ)は、(もど)って来たセネトに、戸惑(とまど)いの表情を浮かべ問い掛ける。

(ほか)の兄弟たちは、無事(ぶじ)に逃がしました」

セネトは、落ち着き払った口調(くちょう)で、戸惑(とまど)っているカルセドニ皇子(おうじ)に告げた。

「いや……そう言う事では無く!」

カルセドニ皇子(おうじ)は、戸惑(とまど)いの表情を浮かべつつ言い返す。

(ぼく)たちに妙案(みょうあん)があります。 手伝ってくれますか? 兄上」

セネトは、不敵(ふてき)な笑みを浮かべながら、戸惑(とまど)っているカルセドニ皇子(おうじ)に言った。

「なっ……」

彼女の言葉に、カルセドニ皇子(おうじ)は、戸惑(とまど)いの表情を浮かべる。

殿下(でんか)たちの協力(きょうりょく)不可欠(ふかけつ)です。 お願いします」

サリアが、真剣(しんけん)な表情を浮かべ、カルセドニ皇子(おうじ)に言うと、

「……分かった。 お前たちの作戦(さくせん)に乗ろう」

カルセドニ皇子(おうじ)は、真剣(しんけん)な表情を浮かべ、セネトたちに言った。

()けろ!」

何処(どこ)からか、そう叫び声が(ひび)き、(なか)ば、カルセドニ皇子(おうじ)(だれ)かが体当(たいあ)たりする様に、して、思い切り彼を横へと押し飛ばす。

 カルセドニ皇子(おうじ)は訳も分からず、自分を突き飛ばした相手(あいて)と共に横へと転がった次の瞬間(しゅんかん)、黒いドラゴンの口から黒い(きり)の様なプレスが吐かれた。

 とっさの判断(はんだん)出来(でき)ず、そのプレスに包まれ兵士(へいし)たちが、次々とバタバタとその場に倒れ、水から引き上げられた魚の様に苦しそうに、口をパクパクとさせ、次々と絶命(ぜつめい)していく……。

「やはり、ニーズヘッグか……」

間一髪(かんいっぱつ)のところで、カルセドニ皇子(おうじ)を助けたロナードは、身を起こしつつ、表情を(けわ)しくして(つぶや)いた。

 『ニーズヘッグ』と言うドラゴンは、死者の()(にく)を食らい、その血を(すす)ると言われる、冥府(めいふ)……『(やみ)』に属する幻獣(げんじゅう)で、そのプレスには一瞬(いっしゅん)にして、人間を死に追いやる(のろ)いが込められていると言われている。

 ガイア神教(しんきょう)神話(しんわ)では男神ガイアが、人々を恐怖(きょうふ)(おとしい)れ、世界を死者(ししゃ)の国と化そうとしたニーズヘッグを倒し、冥府(めいふ)の世界に送り返したと言われている。

ニーズヘッグは、『死霊使い(ネクロマンサー)』や『(よう)術師(じゅつし)』、闇落(やみお)ちしてしまった魔術師(まじゅつし)たちにとって、『闇』の象徴(しょうちょう)であり、自分たちの力を誇示(こじ)する上で、欠かせない存在(そんざい)だ。

 同じ様に、死者(ししゃ)の国の住人(じゅうにん)である、ケルベロスやデュラハンと言った、モンスターよりも格上(かくうえ)で、召喚(しょうかん)する事はかなり(むずか)しい相手(あいて)だ。

 それだけで、相手(あいて)術師(じゅつし)がどれ(ほど)の使い手か、同じ召喚師(しょうかんし)であれば、(いや)でも分る。

 だが、獅子族(シーズーぞく)はその(はがね)の様に強靭(きょうじん)肉体(にくたい)を得た代わりに、(ほか)亜人(あじん)の様に魔術(まじゅつ)(あつか)う事が出来(でき)ない。

(これは、時間との勝負だな……)

ロナードは素早(すばや)周囲(しゅうい)を見回しながら、心の中で(つぶや)く。

大丈夫(だいじょうぶ)ですか?」

とっさに近くに居たセネトとルチルを(かば)う様にして覆い被さり、先程(さきほど)のブレスから(なん)を逃れたギベオンが、ゆっくりと身を起こしつつ、セネト()に声を掛ける。

「あ、ああ……」

(おん)に着るわ」

セネトとルチルはそう言うと、彼の下から()い出る。

 そんな事をして居る間にも、ニーズヘッグの手下と思われる、骸骨(がいこつ)兵士(へいし)たちと獅子族(シーズーぞく)たちが、彼等(かれら)にジリジリと詰め寄って来ている。

手筈(てはず)(どお)り、まずはシルフを召喚(しょうかん)だ!)

ロナードは心の中でそう(つぶや)くと、両目を静かに閉じ、召喚(しょうかん)(ため)の言葉を口遊(くちずさ)む。

 いつの間にか、ロナード達を守る様にして、サリアが繰り出した光の(かべ)が現れており、骸骨(がいこつ)兵士(へいし)たちの攻撃(こうげき)(ふせ)いでいる。

「来い! シルフ!」

ロナードがそう叫ぶと、彼の近くの地面に巨大(きょだい)な緑色の魔法陣(まほうじん)が浮かび上がり、物凄(ものすご)い勢いで風が巻き起こり、蜻蛉(とんぼ)の様な跳ねを生やした、全身が緑色に光る、小さな人型の生き物が無数(むすう)に現れ、無邪気(むじゃき)に笑う幼女(ようじょ)たちの声と、フワリ甘い香りが(ただよ)ったかた思った瞬間(しゅんかん)周囲(しゅうい)に居た獅子族(シーズーぞく)たちが強烈(きょうれつ)睡魔(すいま)見舞(みま)われ、バタバタと倒れてしまった。

「んなっ……」

それを目の当たりにしたカルセドニ皇子(おうじ)(おどろ)き、思わずロナードに見惚(みと)れててしまう。

 (きゅう)に仲間がバタバタと倒れたので、(ほか)獅子族(シーズーぞく)たちは(おどろ)き、戸惑(とまど)う。

守備力(しゅびりょく)攻撃(こうげき)力の増強(ぞうきょう)オッケーだ! 補助(ほじょ)(ぼく)(まか)せろ!」

遅れてやって来たセネトが、不敵(ふてき)な笑みを浮かべながら、ロナードに言う。

準備(じゅんび)万端(ばんたん)です! これで、先程(さきほど)のプレスを(ふせ)げます! 何時(いつ)でもどうぞ!」

宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)のサリアが、光の魔術(まじゅつ)でロナードたち一人一人を虹色(にじいろ)の光の(まく)(おお)うとそう言った。

「あなた達は、これでも食らってなさい!」

エルフリーデは、汚物(おぶつ)でも見るかの様な、嫌悪(けんお)に満ちた目で骸骨(がいこつ)兵士(へいし)達たちを見て、そう叫びながら、次から次へと、骸骨(がいこつ)兵士(へいし)達に向かって氷の(つぶて)見舞(みま)っている。

「何だか楽しそうだね。 エフィ……」

この際と言わんばかり、情け容赦(ようしゃ)のない攻撃(こうげき)をしているエルフリーデを見て、ルフトは呆気(あっけ)に取られつつ、呟く。

 ロナードも、エルフリーデが何だか楽しそうに、骸骨(がいこつ)兵士(へいし)たちの頭を目掛(めが)け、氷の礫を見舞(みま)っているのを見て、ドン引きしてしまっている。

「あなた達は、(わたし)たち宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)とカルセドニ皇太子(こうたいし)殿下(でんか)たちの死守(ししゅ)よ!」

サリアは、浮足立(うきあしだ)って居る、味方の兵士(へいし)たちに向かって命じる。

「よし! 反撃(はんげき)だ!」

セネトは腰に下げていた剣を()き、自分の側に居たロナードとルチル、ギベオンにそう声を掛けると、三人は真剣(しんけん)面持(おもも)ちで(うなず)き返し、少し離れた場所に居たシリウスとハニエルも、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで頷き返す。


 ロナード達の予想(よそう)通り、ニーズヘッグは現れたシルフを相手(あいて)取り、派手(はで)(あば)れている。

 シルフは小さくて素早(すばや)(ため)、ニーズヘッグはすっかり翻弄(ほんろう)されてしまっている。

 流石(さすが)に振り落とされては敵わないと思ったのか、ニーズヘッグの背に乗って居た獅子族(シーズーぞく)のゲオネスは、そこから離れた場所に数人の同族の部下たちと共に居た。

 まず、当初(とうしょ)の計画通り、ニーズヘッグとゲオネスを引き(はな)す事には成功(せいこう)した。

五月蠅(うるさ)い蠅どもめ! 蹴散(けち)らせ!」

ゲオネスは、ロナード達が武器を手にして自分に(せま)って来ている事に気付くと、ニーズヘッグにそう命じるとニーズヘッグはセネト達に向かって、口から黒い(きり)のプレスを吐いた。

「セネト!」

それを見たカルセドニ皇子(おうじ)は青い顔をして、は思わず、大声を上げて叫ぶ。

 だが、ニーズヘッグのプレスが直撃(ちょくげき)した(はず)のセネトたちの前に、虹色(にじいろ)の光の(まく)が現れ、黒い(きり)のプレスを(はば)むと、彼等(かれら)はその場で絶命(ぜつめい)する様子(ようす)も無く、戸惑(とまど)っている獅子族(シーズーぞく)たちに一斉(いっせい)に切り掛った。

「なっ……。 どうなっている?」

ニーズヘッグのブレスが利かないと分かり、ゲオネスは戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、(おどろ)きの声を上げる。

 そこに、彼の死角(しかく)から、シリウスが勢い良く(おど)り掛る。

 ゲオネスは、(あわ)ててそれを()けるが、直ぐ側でバチバチッと言う、電気(でんき)が走る様な嫌な音が聞こえたので、(おどろ)いて自分の左腕を見ると、シリウスの攻撃(こうげき)()けた(はず)なのに、左腕が(かす)かに()げ、手が痺れて居る事に気付いた。

貴様(きさま)っ!」

ゲオネスは(はげ)しく怒り、思い切り(こぶし)をシリウスに突き出すが、彼はそれを(なん)なく()ける。

 良く見ると、シリウスが手にしている大剣は(かみなり)()びている。

「ま、魔法(まほう)(けん)だと?」

ゲオネスは戸惑(とまど)いながら(つぶや)いていると、シリウスがダンッと勢い良く地面を()り、彼に(おど)り掛かる。

「くそっ!」

ゲオネスは(あわ)てふためき、()三歩(さんほ)後退(あとずさ)りし、()()いを取ろうとするが、シリウスは冷やかな表情を浮かべたまま、ゲオネスが()()いを取るよりも早く地面を()り、あっという間に()()いを詰めると、思いっ切り大剣を振り下ろす。

 (おそ)ろしい事に、(はがね)の様に強靭(きょうじん)である(はず)の彼の右腕が、まるで鋭利(えいり)包丁(ほうちょう)大根(だいこん)を切る様に、ザックリと切り落としてしまった。

流石(さすが)っ!」

ルフトたちの護衛(ごえい)をして居た兵士(へいし)が、嬉々とした表情を浮かべ、そう(つぶや)(となり)で、カルセドニ皇子(おうじ)は、シリウスの立ち振る舞いに見惚(みと)れてしまっている。

「よしっ!」

シリウスに強化(きょうか)(けい)魔術(まじゅつ)(ほどこ)したセネトもそう言って、思わずガッツポーズを取る。

「すげぇ……」

「あの獅子族(シーズーぞく)の腕をバッサリと……」

遠目(とおめ)からその様子(ようす)を見た兵士(へいし)唖然(あぜん)とし、思わずそう(つぶや)くと、ゴクリと息をのんだ。

 セネトは、シリウス自身に腕力(うでりょく)強化(きょうか)(じゅつ)(ほどこ)し、サリアは大剣に(かみなり)(じゅつ)(まと)わせ、剣の強度(きょうど)も上げる事で、期待(きたい)(どお)りの攻撃(こうげき)(りょく)発揮(はっき)した。

 そうで無くともシリウスの強さは化け(もの)()みており、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くして居た、周囲(しゅうい)獅子族(シーズーぞく)たちもバッサバッサと切り倒していく……。

素晴(すば)らしい! 流石(さすが)はレオン!」

その様子(ようす)を見て、サリアは嬉々(きき)とした表情を浮かべ、声を(はず)ませる。

「ちょっと、ちょっとぉ……。 私達(わたしたち)出番(でばん)、ないじゃない!」

シリウスがゲオネスだけでなく、近くに居た獅子族(シーズーぞく)たちを切り倒してしまったので、ルチルは不満(ふまん)に満ちた表情を浮かべ、(つぶや)きつつ、近くに居た獅子族(シーズーぞく)を切り倒す。

「その様だな」

側に居たギベオンは苦笑(にがわら)いを浮かべつつ、ルチルにそう言い返す。

「三人とも、後ろに退()いて!」

宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)のサリアが叫ぶと、シリウス達はとっさに素早(すばや)く後ろに飛び退()くと、(かみなり)(おび)彼等(かれら)の横を(かす)め、片腕(かたうで)(うしな)い、発狂(はっきょう)寸前(すんぜん)のゲオネスに直撃(ちょくげき)した。

(かみなり)(おび)直撃(ちょくげき)したゲオネスは、全身(ぜんしん)から(けむり)を上げ、その場に立ち尽くしたまま動かない……。

「やったか?」

それを見て、セネトが戸惑(とまど)いの表情を浮かべ(つぶや)いて居ると、シリウスはゆっくりとゲオネスの前に来ると、何の躊躇(ちゅうちょ)も無く彼の首を持っていた大剣で(たた)き落とした。

 獅子族(シーズーぞく)たちは、自分たちを先導(せんどう)していたゲオネスたちが、(ほとん)ど何も出来(でき)ずにシリウスに(たた)き切られたのを見て、すっかり戦意(せんい)喪失(そうしつ)している。

「ゲオネスの首を()ち取ったぞ!」

セネトが、獅子族(シーズーぞく)たちを先導(せんどう)していたゲオネスの首を叩き切った事を見届(みとど)けると、右手に(にぎ)っていた剣を振り(かざ)し、周囲(しゅうい)に居た(てき)味方(みかた)に聞こえる様に大声で叫んだ。

 シリウスが大立ち回りをしてくれたお(かげ)で、周囲(しゅうい)の注意はすっかり彼の方に向き、結界(けっかい)を作る(ため)魔力(まりょく)(こも)った石を、ロナードとエルフリーデは気付かれる事無く、ニーズヘッグの周囲(しゅうい)に置く事が出来(でき)た。

 準備(じゅんび)が整うと、ロナードが静かに歩み寄り、(てのひら)をニーズヘッグに向けると、集中する(ため)に両目を閉じ、(じゅつ)詠唱(えいしょう)を始めた。

 それを見て、ロナードの意図(いと)理解(りかい)したのか、シルフたちが全力(ぜんりょく)でニーズヘッグの動きを(ふう)じようと(こころ)みる。

上手(うま)くいって」

それを見て、サポート役にまわっているハニエルは、(いの)る様にそう(つぶや)く。

「ロナード。 頼むぞ」

セネトも、(いの)る様な気持ちでロナードを見守(みまも)る。

「だ、だ、(だれ)か早く、ロナードの側に行って! あんな無防備(むぼうび)状態(じょうたい)では、攻撃(こうげき)されたら終わりだわ!」

サリアは、ロナードが(じゅつ)詠唱(えいしょう)に集中してしまっているのを見て、(あせ)りの表情を浮かべ、自分の周囲(しゅうい)に居た兵士(へいし)たちに向かって叫ぶ。

 だが、流石(さすが)兵士(へいし)たちも、巨大(きょだい)凶暴(きょうぼう)(きわ)まりないドラゴンに近付く事は(おそ)ろしい様で、(みな)、サリアの声は聞こえているが、一様(いちよう)に青い顔をして立ち尽くしたままで、(だれ)もロナードのフォローに向かう様子(ようす)が無い。

 ギベオンとルチルは、ロナードに近付かない様に、残った獅子族(シーズーぞく)(けん)(せい)しているが、心許(こころもと)ない。

 見かねたカルセドニ皇子(おうじ)とシリウスが思わず、ロナードの元へと駆け出した。

 そうこうしている内に、銀色の(かがや)巨大(きょだい)魔法陣(まほうじん)が浮かび上がり、シルフ達に完全に翻弄(ほんろう)され、身動(みうご)きが取れないニーズヘッグは、シルフ達と共にズルズルと、その魔法陣(まほうじん)の中にゆっくりと身を(しず)め始めた……。

「ルフト! (いそ)いで風の壁でユリアスを(おお)って!」

宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)のサリアは、とっさに側に居たルフトにそう声を掛ける。

「う、うん!」

ルフトは(うなが)されるまま、魔術(まじゅつ)詠唱(えいしょう)を始める。

「セレンディーネ様も!』

宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)のサリアは、真剣(しんけん)面持(おもも)ちでセネトにもそう言った。

「分かった」

セネトは(うなず)き返し、魔術(まじゅつ)詠唱(えいしょう)を始めた。

 ロナードの周囲(しゅうい)を二重の風の(かべ)(おお)い、物理的(ぶつりてき)攻撃(こうげき)からも、魔術(まじゅつ)(てき)攻撃(こうげき)からも彼を守ろうと言う手に出たのだ。

 やがてサリアの思惑(おもわく)(どお)り、セネトとルフトが作った、二重の風の(かべ)がロナードを(おお)った。

「よ、よし……。 これで大丈夫(だいじょうぶ)だ!」

それを見て、セネトはホッとした表情を浮かべ(つぶや)く。

 ロナードの元へ駆け出したカルセドニ皇子(おうじ)とシリウスも、彼の下へ辿(たど)り付くと、彼の背後(はいご)に立ち、剣を手に身構(みがま)え、(いそが)しく周囲(しゅうい)を見回し、警戒(けいかい)する。

 風の(かべ)でロナードを覆ったのは良いものの、ニーズヘッグを魔法陣(まほうじん)の中に完全に(しず)めて、異界(いかい)強制的(きょうせいてき)に送り返してしまうまでは、セネトとルフトは、ロナードを守る(かべ)維持(いじ)し続けなければならない。

 徐々(じょじょ)にではあるが、二人の魔力(まりょく)と体力を奪い取って行く……。

「ロナード……頑張(がんば)ってくれ……」

セネトは歯を食いしばり、(いの)る様な気持ちで、ロナードが完全にニーズヘッグを異界(いかい)へ送り返すのを見守(みまも)る。

 どの位の時間を(よう)したか分からないが、セネトや兵士(へいし)たちが固唾(かたず)を飲んで見守(みまも)って居る中、ニーズヘッグは完全にシルフ達と共に、魔法陣(まほうじん)の中に体を(しず)め、最後は(なか)ば、シルフ達に押し込まれる様にして、何とか無事(ぶじ)異界(いかい)強制的(きょうせいてき)に送り返す事に成功(せいこう)すると、流石(さすが)(げん)(じゅう)を二体も送り返したからか、ロナードはフッと糸が切れた様に、その場に(くず)れる様に倒れた。

「ユリアス!」

獅子族(シーズーぞく)たちを牽制(けんせい)して居たシリウスが声を上げ、力なく地面の上に倒れ込んだロナードを(あわ)てて(だき)き止める。

流石(さすが)にちょっと……無理(むり)をし過ぎたかも……」

シリウスに上半身(じょうはんしん)(だき)き支えられたままロナードは、(つか)()てた顔をして、力なくそう(つぶや)く。

「お(かげ)上手(うま)くいったぞ」

シリウスは、穏やかな口調(くちょう)でロナードに言い返す。

大丈夫(だいじょうぶ)か?」

その様子(ようす)を見てカルセドニ皇子(おうじ)が駆け寄り、ロナードに声を掛ける。

「悪い……あと……頼む……ねむ……い……」

ロナードは、意識(いしき)朦朧(もうろう)としている様子(ようす)で、側に居たシリウス等に力なく言うと、そのままスッと両目を閉じた。

「お、おい!」

それを見て、カルセドニ皇子(おうじ)(あせ)り、思わずロナードの肩を()らしながら、強い口調(くちょう)で声を掛ける。

「落ち着け。 魔力(まりょく)消耗(しょうもう)し過ぎて(ねむ)っただけだ」

シリウスは、ロナードを抱き支えたまま、(あせ)るカルセドニ皇子(おうじ)に落ち着いた口調(くちょう)で説明すると、

「そ、そうか……」

シリウスの言葉を聞いて、カルセドニ皇子(おうじ)安堵(あんど)の表情を浮かべ、そう(つぶや)いた。

「だ、だ、大丈夫(だいじょうぶ)でして?」

エルフリーデが心配そうな顔をして駆け寄って来て、シリウス達に問い掛ける。

「心配ない。 魔力(まりょく)を一度に大量に使った所為(せい)(ねむ)っただけだ」

シリウスは、死んだ様に眠って居るロナードを見下ろしつつ、落ち着いた口調(くちょう)で答えた。

「よ、良かったぁ……」

その言葉を聞いて、遅れて駆け寄って来たセネトは気が抜けたのか、ヘナヘナとその場に(くず)れ込んだ。

「残りは我々(われわれ)が引き受ける。 セティ。 お前は彼と仲間を連れ、先に王宮(おうきゅう)に戻れ」

カルセドニ皇子(おうじ)は、真剣(しんけん)面持(おもも)ちでセネトに言うと、

「分かりました。 後はお願いします。 兄上」

セネトは落ち着き払った口調(くちょう)で答えると、シリウスは軽々と眠っているロナードを肩に(かつ)ぎ上げる。

「持ち方!」

ロナードを(ざつ)に扱うシリウスを見て、セネトは(おこ)って声を(あら)らげ、そう抗議(こうぎ)する。

「両手が(ふさ)がれては(たたか)えんだろ」

シリウスは、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で返すと、

「いや、だからって、それは可哀想(かわいそう)だろ。 頭に血が上るぞ」

ルフトは(あき)れた表情を浮かべながら言う。

「その位のフォローはする。 もう少し丁寧(ていねい)(あつか)ったらどうだ?」

カルセドニ皇子(おうじ)も、苦笑(にがわら)いを浮かべながらシリウスに言うと、彼は渋々と言った様子(ようす)で、ロナードを両腕(りょううで)で抱える。

 そんなやり取りをしている周囲(しゅうい)では、先程(さきほど)までの勢いが(うそ)だったかの様に、獅子族(シーズーぞく)たちはガックリと肩を落として、地面の上に座り込み、項垂(うなだ)れている。


 その日の夜、昼間の襲撃(しゅうげき)事件(じけん)(うそ)だったかの様に、多くの貴族(きぞく)軍人(ぐんじん)植民地(しょくみんち)から要人(ようじん)たちなどが、宮廷内(きゅうていない)にある大ホールに(つど)った。

 ホールの中央には(きら)びやかに光り(かがや)く大きく立派(りっぱ)なシャンデリア。

 その下に、色とりどりのドレスに身を包んだ、様々な年代の女性たちは、美しさを(きそ)い合う花々の様に見える。

 豪勢(ごうせい)な食事に、高価(こうか)な酒、会場の雰囲気(ふんいき)を盛り上げる(ため)楽団(がくだん)……。

 様々な話に花を咲かせる人々であったが、突然(とつぜん)、高らかにファンファーレが()(ひび)くと、会場は水を打った様に静まり返った。

「エレンツ帝国(ていこく)第一皇子(おうじ)カルセドニ・ヴァン・アレス・エレンツさま(なら)びに、第三皇女(こうじょ)セレンディーネ・ヴァン・リアン・エレンツ様。 ご入場(にゅうじょう)です」

会場の入り口に居た執事(しつじ)が、声高(こえたか)らかに告げると、カルセドニ皇子(おうじ)がセネトをエスコートしながら会場に姿を現した。

 やがて、皇帝(こうてい)夫妻(ふさい)が座る椅子の側に二人が来ると、それを待って居たかのように、貴族(きぞく)令嬢(れいじょう)令息(れいそく)たちが(あま)菓子(かし)(たか)(あり)の様に、二人に押し寄せる。

 二人とも、令嬢(れいじょう)令息(れいそく)たちに()みくちゃにされていたのだが、楽団(がくだん)演奏(えんそう)が止み、高々と皇帝(こうてい)の入場を知らせるファンファーレが鳴り(ひび)くと、周囲(しゅうい)は水を打った様に静まり返り、集まった人々は、会場に入って来た皇帝(こうてい)が通れる様に、まるで竹を真っ二つに割った様に左右に()ける。

 皇帝(こうてい)は今回、第一側(だいいちそく)()体調(たいちょう)不良(ふりょう)を理由に欠席(けっせき)したため、第二側(だいにそく)()をエスコートしながら周囲(しゅうい)よりも少し高くなっている、赤い絨毯(じゅうたん)()き詰められた壇上(だんじょう)に立つと、ゆっくりと周囲(しゅうい)を見回し、

「昼間の一件(いっけん)、一時はどうなるかと思ったが、世の自慢(じまん)息子(むすこ)たちが見事(みごと)獅子族(シーズーぞく)たちの襲撃(しゅうげき)(ちん)(あつ)してくれた。 建国(けんこく)祝賀(しゅくが)(うたげ)に先立ち、混乱(こんらん)を収めた息子(むすこ)たちに感謝を述べたいと思う」

皇帝(こうてい)は、会場に集まった人々にそう告げると、

「その様な事が?」

「知らなかったわ」

「広場が(さわ)がしかったのは、その所為(せい)だったのか……」

事件(じけん)を知らない、貴族(きぞく)令嬢(れいじょう)たちを中心に口々にしながらざわめく。

「まあ、(わたし)たちだけの功績(こうせき)では無いが、レオン兄弟が陛下(へいか)直々(じきじき)表彰(ひょうしょう)される事を辞退(じたい)したのだから止むを得まい……。 弟の方はまだ、目が覚めないのか?」

カルセドニ皇子(おうじ)は、苦笑(にがわら)いを浮かべながら、セネトに問い掛けると、

「いや、()一時間(いちじかん)ほどで目を覚ましました。 その辺に居る(はず)です」

セネトは、落ち着き払った口調(くちょう)で答えると、ロナードの姿を探す。

「それを聞いて安心した。 後で(あらた)めて(れい)を言いに行く事にしよう」

カルセドニ皇子(おうじ)は、ホッとした表情を浮かべ、そう言った。

「おっと……乾杯(かんぱい)の様ですよ。 兄上」

セネトは、シャンパンが入ったグラスをお(ぼん)に乗せた使用人や侍女(じじょ)たちが、次々と出席者にそれを配って居るのを見て、カルセドニ皇子(おうじ)に言った。

 皇帝(こうてい)乾杯(かんぱい)音頭(おんど)を取り、人々が想い想いに近くに居た相手(あいて)とグラスを軽く打ち合わせ、(そそ)がれていたシャンパンを飲み干すと、会場は一気に(はな)やかな雰囲気(ふんいき)になる。

「カルセドニ殿下(でんか)。 (わたくし)一曲(いっきょく)(おど)って(いただ)けませんか?」

「何をおっしゃるの! (わたし)が先ですわ!」

「いいえ。 (わたくし)が!」

あっという間に、(ふたた)びカルセドニ皇子(おうじ)の下に、彼等(かれら)とダンスを踊ろうと、年頃(としごろ)貴族(きぞく)令嬢(れいじょう)たちが(すご)い勢いで集る。

 令嬢(れいじょう)たちは我先(われさき)にと、色々とやらかしてしまい、皇太子(こうたいし)の座も危ぶまれている、この場に居ないネフライト皇太子(こうたいし)ではなく、皇太子(こうたいし)として名前が急浮上(きゅうふじょう)しているカルセドニ皇子(おうじ)をダンスに(さそ)い、皇子(おうじ)に気に入られ、皇太子(こうたいし)()の座を得ようと必死(ひっし)だ。

「やれやれ……。 兄上、頑張(がんば)って下さいね」

セネトは苦笑(にがわら)いを浮かべながら、令嬢(れいじょう)たちに()みくちゃにされ、戸惑(とまど)っているカルセドニ皇子(おうじ)に言うと、自分が小柄(こがら)である事を利用して、上手い具合(ぐあい)令息(れいそく)たちの波を(くぐ)り抜け、そそくさとその輪から(はな)れる。

「おい! セティ!」

自分を貴族(きぞく)令嬢(れいじょう)たちの輪の中に置き去りにし、自分だけ逃げ出した妹に対し、カルセドニ皇子(おうじ)抗議(こうぎ)の声を上げるが、彼女は聞こえない振りを決め込む。

(みな)節操(せっそう)が無いですわ。 少し前まではネフライト皇太子(こうたいし)殿下(でんか)に取り入ろうと必死(ひっし)だったのに、彼が落ち目になった途端(とたん)、カルセドニ皇子(おうじ)に取り入ろうとするなんて……」

その様子(ようす)を遠くから見ていたエルフリーデは、冷ややかな視線(しせん)令嬢(れいじょう)たちに向けながら、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)(つぶや)く。

仕方(しかた)が無いよ。 彼女たちは君と(ちが)って、婚約者(こんやくしゃ)がいないのだから」

ルフトは苦笑いを浮かべながら、エルフリーデに言い返すと、

「頼りない婚約者(こんやくしゃ)が何を言っているのかしら」

エルフリーデは、冷ややかにルフトを見据(みす)え、氷の様に冷たい口調(くちょう)容赦(ようしゃ)なくそう言い放った。

 彼女の容赦(ようしゃ)ない一言に、ルフトは今にも泣き出したい気持ちになる。

「そう言うな。 今はサリアが当主(とうしゅ)をしているから、甘えているだけの話で、その時が来れば(いや)でも、しっかりする様になる」

エルフリーデの愚痴(ぐち)を聞いて、セネトが苦笑(にがわら)いを浮かべながら言う。

殿下(でんか)……」

セネトの登場に、ルフトは(あわ)てて(こうべ)()れる。

 セネトは、髪が短いので(かつら)(かぶ)って髪を結いあげたスタイルになっており、何時(いつ)もの男装(だんそう)姿(すがた)ではなく、ドレスに身を包んでいるので、何だか見慣(みな)れず、ルフトは変な気分(きぶん)になる。

 何時(いつ)もは、可愛(かわい)らしい青年と言った雰囲気(ふんいき)だが、こうして化粧(けしょう)をして、美しく着飾(きかざ)ると、この辺の令嬢(れいじょう)に引けを取らぬ、かなりの美女である事を思い知らされる。

「あら。 あはユリアスではなくって?」

エルフリーデは、会場の片隅(かたすみ)(だれ)かを探して居る様子(ようす)のロナードを見付け、そう(つぶや)いた。

何処(どこ)に?」

セネトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべそう言うと、エルフリーデは指差(ゆびさ)すと、ルフトが見付け(やす)い様に手を()げると、それにロナードが気が付いて、こちらへ小走(こばし)りに駆け寄って来た。

 黒を基調(きちょう)とした銀色の刺繍(ししゅう)(ほどこ)された衣装(いしょう)で、前髪(まえがみ)を軽く掻き上げ、良く似合(にあ)っていた。

 そもそも、出席する予定(よてい)など無かったのに、急遽(きゅうきょ)、カルセドニ皇子(おうじ)がロナードを招待(しょうたい)したので、衣装(いしょう)準備(じゅんび)やらで時間が掛り、入場が遅れてしまったのだ。

無駄(むだ)に広いな。 何処(どこ)に居るか探すのが大変だった」

ロナードは、ホッとした表情を浮かべ、ルフトたちに向かって言った。

似合(にあ)っているじゃないか。 見違(みちが)えたぞ」

セネトは、意地(いじ)悪な笑みを浮かべながら、ロナードに言うと、彼はキョトンとした顔をして、彼女を見ている。

「どうした?」

ロナードの反応(はんのう)を見て、セネトは戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、彼に問い掛ける。

「えっと……何方(どちら)(さま)?」

ロナードが戸惑(とまど)いの表情を浮かべながらそう言うので、それを聞いてルフトとエルフリーデは思わず吹き出す。

 ロナードの発言を聞いて、セネトは(ひたい)青筋(あおすじ)を浮かべ、(いか)りで身をプルプルと(ふる)わせながら、

(ぼく)だ」

そう言い返すと、ロナードは(はと)豆鉄砲(まめでっぽう)を食らった様な顔をして、

「えっ……セネト?」

おずおずと、そう問い返してきた。

「そうだ」

セネトは、両腕(りょううで)を自分の胸の前に組み、ムッとした表情を浮かべながら答える。

「えっ……」

ロナードは、(おどろ)きと戸惑(とまど)いを(かく)せない様子(ようす)で、じっとセネトを見ている。

「何だ? そんなに似合(にあ)わないか?」

セネトは、ムッとした表情を浮かべながら言うと、

「あ、いや……。 そういう訳ではなく……」

ロナードは、思わずセネトから目を()らし、(かす)かに顔を赤らめ、片手(かたて)で口元を(おお)い、ゴニョゴニョと言っているので、

「何だ? 聞こえないぞ!」

セネトは苛立(いらだ)ち、口元を(おお)っていた彼の腕を(つか)み、それを乱暴(らんぼう)に取り払うと、ズイッと顔を近付け、強い口調(くちょう)で言う。

「せ、セネト……。 顔、近い……」

ロナードは顔を真っ赤にし、アタフタしながらセネトに言い返す。

 鼻先(はなさき)と鼻先が、()れてしまいそうな距離(きょり)なので、ロナードは(あわ)てて彼女から少し身を(はな)した。

「何だお前。 そんなに顔を赤くして……熱でもあるのか?」

セネトは、ロナードの反応(はんのう)にキョトンとした表情を浮かべながら、不思議(ふしぎ)そうに問い掛ける。

(鈍感過(どんかんす)ぎ) 

セネトの言動(げんどう)に、エルフリーデは思わず心の中で(つぶや)き、気の毒そうな視線(しせん)をロナードに向ける。

「ユリアスは、殿下(でんか)があまりにお綺麗(きれい)なので、戸惑(とまど)っていらっしゃるのです」

ルフトがニッコリと笑みを浮かべながら、さりげなくフォローをすると、ロナードは顔を真っ赤にしたまま、コクコクと(うなず)いている。

「へっ?」

ルフトの言葉と、ロナードの態度(たいど)を見て、今度はセネトが()頓狂(とんきょう)な声を上げ、顔を真っ赤にする。

(あ~。 ご馳走(ちそう)(さま)……)

エルフリーデが、少し冷めた視線(しせん)をセネトとロナードに向けながら、それぞれに心の中で(つぶや)いた。

式典(しきてん)の時は、どうなるかと()や冷やしましたが、大事にならずに済んで何よりでしたね。 殿下(でんか)

お互いに顔を真っ赤にし、次にどうしたら良いのか分からず、固まっているロナードと横目に、ルフトは実に(さわ)やかな笑みを浮かべながら、顔を真っ赤にしたまま、戸惑(とまど)っている様子(ようす)のセネトに言う。

「え、ああ……」

ルフトに話を振られ、セネトは少し焦りながらも、苦笑(くしょう)()じりにそう返していると、前を見ていなかったのか飲み物をお(ぼん)に乗せた侍女(じじょ)が、ルフトの側に居たエルフリーデの肩がぶつかり、侍女(じじょ)はお(ぼん)に乗せていた飲み物を床の上に落とし、グラスが割れる音と共に、高価な絨毯(じゅうたん)が敷き詰められた床の上に、グラスに入っていた液体が(こぼ)れる。

「あら……大丈夫(だいじょうぶ)てして?」

エルフリーデは(おどろ)いた様な表情を浮かべ、自分とぶつかってグラスを落としてしまった侍女(じじょ)に声を掛ける。

「も、も、申し訳ございません! ご無礼(ぶれい)を!」

侍女(じじょ)は慌てた様子(ようす)でバッと頭を深々と下げ、声を(ふる)わせながらエルフリーデに(あやま)る。

 そんなやり取りをしている側で、ロナードが身を(かが)め、割れたグラスを回収(かいしゅう)し始めたのを見て、

「いけません!。 若様(わかさま)。 御召(おめ)し物が(よご)れてしまいます! どうか、この様な事は無さいませんよう……」

侍女(じじょ)(あわ)てた様子(ようす)で身を(かが)め、ロナードに向かってそう言うと、

「良いからさっさと(ひろ)え。 (だれ)かが()み付けたら大変だ」

ロナードは淡々とした口調(くちょう)で、アタフタして居る侍女(じじょ)に言うと、(ひろ)い集めたグラスの破片(はへん)を床に(ころ)がって居たお(ぼん)の上に乗せる。

「済みません。 申し訳ございません」

侍女(じじょ)はアタフタとしながらも、ロナードに礼を()べると、(いそ)いで落ちたグラスを拾い集める。

「……申し訳ございません

その様子(ようす)を近くで見ていた、中年の執事(しつじ)が側に来てそう言って、ペコペコとセネトたちに謝ってから、(あわ)てて割れたグラスを拾う(ため)、身を(かが)める。

 周囲(しゅうい)戸惑(とまど)って見守(みまも)っている中、ロナードを含めて、執事(しつじ)侍女(じじょ)の三人は黙々と割れたグラスを片付(かたづ)けていたのだが……。

「いたっ……」

硝子(がらす)の切り口で指を切ったのか、不意(ふい)侍女(じじょ)がそう(つぶや)くのが聞こえたので、ロナードが不意(ふい)に顔を上げた次の瞬間(しゅんかん)、彼と向かい合う様に身を(かが)めて居た執事(しつじ)がとっさに、割れたグラスを手に取り、欠けて(するど)(とが)った方をロナードの目を目掛(めが)けて突き出して来た。

「ロナードっ!」

それを見て、近くに居たセネトが悲鳴(ひめい)に近い声を上げ、遠巻(とおま)きにその様子(ようす)見守(みまも)って居た人々の間からも悲鳴(ひめい)が起きる。

 ロナードがとっさに()けようとした際、近くのテーブルの脚にぶつかり、ガシャンと音を立て、上に乗って居た食器などが次々と床の上に落ちる。

何事(なにごと)だ!」

(さわ)ぎを聞き付け、カルセドニ皇子(おうじ)が駆け付けると、割れたグラスを手にした執事(しつじ)が、仰向(あおむ)けになって後ろに倒れたロナードの上に馬乗(うまの)りになり、欠けて(するど)(とが)ったグラスを彼の目に向けており、ロナードがその手首を(つか)み、必死(ひっし)(てい)(こう)していた。

 彼は、最初に襲われた(さい)()(そこ)ねたのか、左目を怪我(けが)したのか片目を閉じており、そこから血を流している。

 ロナードは(しばら)く、自分の上に馬乗(うまの)りになっている執事(しつじ)の手首を掴んで抵抗(ていこう)していたが、駆け付けたカルセドニ皇子(おうじ)が、ロナードの上に馬乗(うまの)りになっていた執事(しつじ)の肩を(つか)み、ロナードから引き離すと、目にも止まらぬ速さで片方(かたほう)の手で執事(しつじ)がグラスを手にしている方の腕を()じり上げ、床の上にねじ伏せた。

大丈夫(だいじょうぶ)か?」

「目から血が!」

近くに居て、(おどろ)きのあまり、その場に立ち尽くして居たセネトとエルフリーデが、(そろ)ってハッとした表情を浮かべると、(あわ)てた様子(ようす)でそう声を掛けながらロナードの側に来ると、彼は切り付けられた目元を片手(かたて)(おお)いつつ、ゆっくりと立ち上がった。

「こ、これ! 使って頂戴(ちょうだい)。 血が出ていますわ!」

エルフリーデはとっさに、自分が持って居たハンカチをロナードに差し出すと、

「済まない」

ロナードは、差し出されたハンカチを受け取りつつ、出血する自分の左目にそれを押し当たる。

「早く手当(てあて)を!」

セネトはすっかり動転(どうてん)しているのか、青い顔をしてロナードの元に来て、彼を(かば)う様に手を回しつつ、そう声を掛ける。

「この不届(ふとど)き者め!」

(いきどお)るカルセドニ皇子(おうじ)は、自分が押さえつけている執事(しつじ)に対し、怒りの形相(ぎょうそう)でそう言うと、持っていたサーベルの()に手を掛ける。

「待ってくれ! コイツは(あやつ)られていただけだ」

ロナードは(あわ)てて、カルセドニ皇子(おうじ)の肩を(つか)み、そう言って止める。

「何だと?」

自分の肩を掴み、引き留めたロナードの方を見ながら、カルセドニ皇子(おうじ)戸惑(とまど)いの表情を浮かべて、そう(つぶや)く。

主犯(しゅはん)は別にいる」

ロナードは、真剣(しんけん)面持(おもも)ちでカルセドニ皇子(おうじ)に告げる。

「わ、分かった。 ()(かく)、お前は(いそ)いで傷の手当(てあ)てを。 後は(わたし)たちに任せろ」

カルセドニ皇子(おうじ)は、落ち着いた口調(くちょう)でロナードに言うと、彼は(うなず)き返した。

「行こう」

セネトが(やさ)しい口調(くちょう)でロナードにそう言うと、会場の外へと彼を連れて行く。

「わ、(わたくし)同行(どうこう)(いた)します!」

エルフリーデが、そう言って後に続く。


(まぶた)とその周辺(しゅうへん)を軽く切っている程度(ていど)で、傷はそんなに深く無い。 目の中にガラス片も入っても無いし……」

(さわ)ぎを聞いて、会場に居合(いあ)わせた宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)のサリアが、続き間になっている控室(ひかえしつ)に連れて来られたロナードの手当(てあ)てをしながら、落ち着いた口調(くちょう)で説明しながら、(いそ)いで持ち込まれた救急箱(きゅうきゅうばこ)の中からガーゼを取り出し、それを怪我(けが)したロナードの左目に()える。

「良かった……」

(きも)を冷やしましたわ」

サリアの言葉を聞いて、ロナードに付き()ったセネトとエルフリーデは、ホッとした表情を浮かべ、口々にそう呟いた。

「傷口は(じゅつ)で軽く(ふさ)いだので、傷跡(きずあと)が残る事も無いとは思うけれど……(ねん)(ため)に、()り薬を出すから、それをちゃんと塗って、(しばら)養生(ようじょう)することね」

サリアは、慣れた手つきで包帯(ほうたい)を巻きながら、ロナードに言った。

「すみません……」

ロナードは、申し訳なさそうに言った。

貴方(あなた)もとんだ災難(さいなん)ね。 目を(つぶ)されなくて良かったわ」

サリアは、苦笑(にがわら)いを浮かべつつも、ロナードの傷が浅かった事にホッとしている様で、(やさ)しい口調(くちょう)でそう言った。

「ですが何故(なぜ)、ユリアスが?」

エルフリーデは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、自分の中に渦巻いて居る疑問を口にした。

「確かに。 (ねら)うのなら兄上や(ぼく)たちか、父上だろうに……」

セネトも、()に落ちないと言った様子(ようす)で呟く。

「……セネト殿下(でんか)やカルセドニ殿下(でんか)皇帝(こうてい)陛下(へいか)は狙われるかも知れないと常に周囲(しゅうい)の者も、当人(とうにん)たちも思っているので警戒(けいかい)をしているでしょうけれど、ロナードはそうでは無いから……。 私達(わたしたち)心理(しんり)逆手(さかて)に取っての事かも知れません」

救急セットを片付(かたづ)けながら、サリアは、落ち着き払った口調(くちょう)で言った。

 すると(きゅう)に外側から扉からノックをする音がして、セネトが返事をすると扉が開き、(うたげ)の会場から騒然(そうぜん)としている雰囲気(ふんいき)(ただよ)ってきた。

 そこへカルセドニ皇子(おうじ)が入って来て、落ち着いた口調(くちょう)で言ってから、(おもむろ)にロナードの方へと目を向け、

「目は、大事(だいじ)ないか?」

心配そうにそう声を掛ける。

「お(かげ)(さま)で……」

ロナードは、落ち着いた口調(くちょう)で答えると、

「そうか。 それを聞いて安心した。 だが、お前が昼間のドラゴンを退(しりぞ)けた術師(じゅつし)である事は、世間(せけん)に広まりつつある。 これから様々な思惑(おもわく)を抱いた(やから)がお前と接触(せっしょく)しようと(こころ)みて来るだろう。 中には今回の様に、お前を(がい)そうとする者も現れる。 十分に気を付ける事だ」

カルセドニ皇子(おうじ)は、落ち着いた口調(くちょう)でロナードにそう忠告(ちゅうこく)する。

忠告(ちゅうこく)(いた)み入ります。 これからは、その様に心掛(こころが)けます」

ロナードは、落ち着いた口調(くちょう)で、カルセドニ皇子(おうじ)に答えると、

「そうしてくれ。 さっきのは流石(さすが)(わたし)(きも)を冷やしたぞ」

カルセドニ皇子(おうじ)はそう言うと、苦笑(にがわら)いを浮かべる。

「わざわざ、それを言うだけの(ため)に、ここへ来たのでは無いですよね? 兄上」

セネトが真剣(しんけん)面持(おもも)ちで、カルセドニ皇子(おうじ)に言うと、

先程(さきほど)(さわ)ぎで(うたげ)はお開きになった。 落ち着いた(ころ)見計(みはか)らって自分の宮に帰る様にと、陛下(へいか)からのお達しだ」

落ち着いた口調(くちょう)で語る。

(おれ)所為(せい)(うたげ)台無(だいな)しにして、申し訳ない……」

カルセドニ皇子(おうじ)の言葉を聞いて、ロナードは申し訳なさそうに言うと、

「気にするな。 昼間、あの様な事があったにも(かか)わらず、(うたげ)強行(きょうこう)したのが悪い。 お開きは当然(とうぜん)だろう」

セネトが、落ち着いた口調(くちょう)でロナードに言うと、カルセドニ皇子(おうじ)も頷きながら、

同感(どうかん)だ。 被害(ひがい)()ったお前には悪いが、この程度(ていど)で済んで(むし)ろ良かったと言うべきだろう」

落ち着いた口調(くちょう)で言った。

「確かに……」

ロナードは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべつつ、(つぶや)いた。

 あのまま、昼間の様な惨劇(さんげき)が起きても可笑(おか)しく無かったが、どうやら、執事(しつじ)操作術(そうさじゅつ)を掛けた相手(あいて)は、ロナードを仕留(しと)(そこ)なった事で(あきら)めた様だ。

「何にしても、今日は良く休め。 (わたし)も色々とあり過ぎて(つか)れた」

カルセドニ皇子(おうじ)は、(おだ)やかな口調(くちょう)でロナード達に言うと、

「そうですね……」

セネトも溜息(ためいき)()じりに答えた。

(わたし)で役に立てる事がるのならば、遠慮(えんりょ)なく言ってくれ。 お前たちへの()りは返さねばならぬからな」

カルセドニ皇子(おうじ)真剣(しんけん)面持(おもも)ちで、セネトたちにそう言った。

(たよ)りにさせて(もら)います」

セネトは、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで返すと、

()(かく)今後(こんご)(しばら)くは用心する事だ」

カルセドニ皇子(おうじ)は、落ち着いた口調(くちょう)でロナードに言うと、彼は神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで頷き返した。

(わたし)は先に出るが、お前達は人が少なくなるのを待った方が良いだろう」

カルセドニ皇子(おうじ)は、落ち着いた口調(くちょう)でそう言うと、(きびす)を返し、部屋を後にした。

 セネトは複雑(ふくざつ)な表情を浮かべ、立ち去る兄の背中(せなか)見送(みおく)った後、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながらロナードを見る。

 彼も、何とも言い(がた)複雑(ふくざつ)な表情を浮かべていた。

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