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DRAGON SEED 2  作者: みーやん
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セネトの後悔


主な登場人物


ロナード(ユリアス)…召喚術(しょうかんじゅつ)と言う稀有(けう)な術を(あつか)えるが(ゆえ)に、その力を()が物にしようと(たくら)んだ、(かつ)ての師匠(ししょう)に『隷属(れいぞく)』の呪いを掛けられている。 その呪いを()(ため)、エレンツ帝国(ていこく)を目指している。 漆黒(しっこく)の髪に紫色の双眸(そうぼう)特徴的(とくちょうてき)な美青年。 十七歳。


セネト(セレンディーネ)…エレンツ帝国(ていこく)皇女(こうじょ)。 とある事情(じじょう)から(のが)れる(ため)、シリウスたちと行動(こうどう)を共にしている。 補助(ほじょ)魔術(まじゅつ)得意(とくい)とする魔術(まじゅつ)()。 フワリとした癖のある黒髪(くろかみ)に琥珀色の大きな(ひとみ)特徴的(とくちょうてき)な女性。 十九歳。


シリウス(レオフィリウス)…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在(じざい)(あやつ)る剣士だが、『封魔(ふうま)(がん)』と言う、見た相手(あいて)魔術(まじゅつ)の使用を(ふう)じる、特殊(とくしゅ)(ひとみ)を持っている。 長めの金髪(きんぱつ)に紫色の双眸(そうぼう)を持つ美丈夫(びじょうぶ)。 二二歳。


ハニエル…傭兵業(ようへいぎょう)をしているシリウスの相棒(あいぼう)鷺族(さぎぞく)と呼ばれている両翼人(りょうよくじん)。 治癒(ちゆ)魔術(まじゅつ)薬草学(やくそうがく)得意(とくい)としている。 白銀(はくぎん)長髪(ちょうはつ)と紫色の双眸(そうぼう)を有している。 物凄(ものすご)い美青年なのだが、笑顔(えがお)を浮かべながらサラリと(どく)()く。


ティティス…セネトの(はら)(ちが)いの妹。 とても傲慢(ごうまん)自分勝手(じぶんかって)な性格。 家族内で立場の弱いセネトの事を見下(みくだ)している。 十七歳。


カメリア…トロイア王国に拠点(きょてん)(かま)える、宝石の採掘(さいくつ)加工(かこう)販売(はんばい)を手広く手掛ける女性(じょせい)実業家(じつぎょうか)大富豪(だいふごう)。 トスカナの取引(とりひき)相手(あいて)。 三十歳


ルチル…帝国(ていこく)第三(だいさん)騎士団(きしだん)隊長(たいちょう)(つと)めている女性。 セネトと幼馴染(おさななじみ)。 今はティティスの護衛(ごえい)(にん)()いている。 二十歳(はたち)


ギベオン…セネト専属(せんぞく)護衛(ごえい)騎士(きし)。 温和(おんわ)生真面目(きまじめ)な性格の青年。 二十五歳。


ルフト…宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)サリアを母に持ち、魔術師(まじゅつし)の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟(いとこ)に当たる。 二十歳。


ナルル…サリアを(あるじ)とし、彼女とその家族を守っている『獅子族(シーズーぞく)』と人間の混血児(こんけつじ)。 とても社交的(しゃこうてき)な性格をしている。


ネフライト…第一側(だいいちそく)()息子(むすこ)でティティスの同腹(どうふく)の兄。 皇太子(こうたいし)地位(ちい)にあり、現在(げんざい)、次のエレンツ帝国(ていこく)皇帝(こうてい)の座に(もっと)も近い人物。


アイリッシュ(はく)…ロナードがイシュタル教会の孤児院(こじいん)在籍(ざいせき)していた(ころ)、彼に魔術(まじゅつ)師事(しじ)をしていた人物で、ロナードに呪詛(じゅそ)を掛けた張本人(ちょうほんにん)


セネリオ…ロナードがイシュタル教会の孤児院(こじいん)に居た時に親しくしていた青年。 アイリッシュ(はく)を師と(あお)ぎ、彼の研究(けんきゅう)に協力している魔術(まじゅつ)()


リリアーヌ…イシュタル教会で『聖女(せいじょ)』と呼ばれている召喚術(しょうかんじゅつ)を使えるシスター。 ロナードが教会の孤児院(こじいん)に居た(ころ)、親しくしていた。 ロナードに対する恋心(こいごころ)(こじ)らせている。


ラン…イシュタル教会に所属(しょぞく)している、槍術を得意(とくい)とする猫人族(マオぞく)の女性。


カリン…イシュタル教会に所属(しょぞく)する()獣使(じゅうつか)いの少女。 カリンの相棒(あいぼう)で、ロナードが持っている(げん)(じゅう)(ねら)っている。

 (つい)に、イシュタル教会の者たちを乗せた船が、シリウス達が残っている島に接岸(せつがん)し、彼等が(やと)ったと思われる海賊(かいぞく)たちと共に、黒いローブを着た魔術(まじゅつ)()たちが次々と島に上陸(じょうりく)して来た。

 安全(あんぜん)と思われていた島に、海賊(かいぞく)たちが上陸(じょうりく)して来た事に、島にいた人たちは(おどろ)き、島の中は(たちま)大混乱(だいこんらん)になった。

 駐在(ちゅうざい)している兵士(へいし)たちは、大混乱(だいこんらん)(おちい)って居る人々を船に乗せ、島から()がす事にすっかり手を取られ、乗り込んで来た海賊(かいぞく)たちとイシュタル教会の者たちと(たたか)うどころではなくなっていた。

「やれやれ……こんな所に()げ込んでいましたか。 通りで見付からない訳です」

アイリッシュ(はく)は、(てい)国軍(こくぐん)(ちゅう)屯所(とんじょ)がある島を見回しながら、苦笑(くしょう)()じりに(つぶや)く。

「思いの(ほか)(おそ)到着(とうちゃく)だったな?」

そこに彼等(かれら)の到着を待って居たシリウスが彼の前に立ち(ふさ)がり、不敵(ふてき)な笑みを浮かべながら言った。

「……また貴方(あなた)ですか」

アイリッシュ(はく)は、ウンザリした様な表情を浮かべ、シリウスに言ってから、

「悪い事は言いません。 大人しくユリアスを(わた)して下さい。 そうすれば、これまで(わたし)たちの邪魔(じゃま)をした事は、目を(つむ)ってあげますし、命も助けてあげますよ?」

何処(どこ)か勝ち(ほこ)った様な()みを浮かべながら、自分たちの前に(あらわ)れた、シリウス達に向かって言った。

「それは出来(でき)ない相談(そうだん)だと、前にも言った(はず)だが」

シリウスは大剣を手に身構(みがま)えつつ、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で答えた。

何故(なぜ)そこまで意地(いじ)になって、ユリアスを守ろうとするのです? そんな事をして、あなた方に一体、何のメリットがあると言うのですか? ランティアナ出身の貴方(あなた)なら、教会に(さか)らう事がどう言う事なのか、分からない訳では無いでしょう?」

アイリッシュ(はく)は、苦笑(にがわら)いを浮かべながら、シリウスに言うと、

「知っているとも。 お前等(まえら)が人を人と思わない、()()な集団だと言う事もな」

彼は、不敵(ふてき)な笑みを浮かべながら、アイリッシュ(はく)()にそう言い放った。

「やれやれ……我々(われわれ)不本意(ふほんい)にも手荒(てあら)い手段に出ているのは、あなた方の聞き分けがないからですよ」

アイリッシュ(はく)は、深々(ふかぶか)溜息(ためいき)を付くと、落ち着き払った口調(くちょう)で言ってから、

「ユリアス! 貴方(あなた)一人の所為(せい)で関係のない人が傷付(きずつ)くのは、貴方(あなた)(のぞ)まないでしょう? 良い子ですから大人しく出て来てくれませんか?」

ロナードが何処(どこ)か、近くにいると思っているのか、大声を()り上げて言った。

 だが、何の反応(はんのう)も無い。

 (おそ)らく、ロナードの仲間(なかま)が彼をこの島の何処(どこ)かに(かくま)っているのだと、アイリッシュ(はく)判断(はんだん)した。

 大きな島では無いが、それでも何処(どこ)かに身を(かく)しながら、()げ回るには十分すぎる広さだ。

(お、お、落ち着け。 落ち着け。 大丈夫(だいじょうぶ)。 だ、大丈夫(だいじょうぶ)。 相手(あいて)(ぼく)に気付いてない)

岩陰(いわかげ)(かく)れ、(てき)様子(ようす)(うかが)ているルフトは、今にも飛び出そうな(ほど)、バクバクと音を立てている心臓の辺りに片手(かたて)()え、緊張(きんちょう)で顔を引き()らせながら、心の中で(つぶや)く。

(ユリアスの時は、何か(いきお)いでいったカンジだったけど、アイツは、マジでヤバイだろ。 雰囲気(ふんいき)からしてもう普通(ふつう)じゃない。 何で普通(ふつう)にあんなヤバそうなのと話が出来(でき)るんだよ。 頭可笑(あたまおか)しんじゃないのか? レオンの(やつ))

ルフトは、アイリッシュ(はく)対峙(たいじ)し、彼と何やら言葉を交わしている、シリウスを見ながら、心の中で(つぶや)く。

「……ま」

ルフトの側に居た人物が、彼の肩を(つか)み、声を掛けて来るが、ルフトは少し(はな)れた場所に居る、アイリッシュ(はく)圧倒(あっとう)されてしまって、気付かない。

「ルフト様!」

不意(ふい)に、()ぐ近くで、割と大きな声で自分の名を呼ばれ、ルフトはビクッと身を強張(こわば)らせる。

合図(あいず)

彼の側に居たナルルが、ハニエルの方を指差(ゆびさ)しながら、ルフトに言う。

「えっ。 あ、ああ……」

ナルルの言葉に、ルフトはハッとして、(あわ)てて持っていた、ウエストポーチから(てのひら)ほどの大きさの球体(きゅうたい)を取り出す。

(う、上手(うま)くいけよ……)

ルフトは、心の中でそう(つぶや)きながら、アイリッシュ(はく)の方へ、それを思い切り()げたのだが、力み()ぎて自分たちの()ぐ近くに落ちた。

「あわわわわ~!」

それを見て、ルフトは青ざめて(なさ)けない声を上げる。

「何やってるんだゾ」

そんなルフトを横目に、ナルルが(あき)れた様子(ようす)でそう言うと、ルフトが()げた物をヒョイと(つか)むと、思い切り相手(あいて)に向かってそれを()げ付けた。

 ナルルが()げたそれは、見事(みごと)放物(ほうぶつ)(せん)()き、相手(あいて)の頭上で発光(はっこう)すると、中から(するど)(とが)った岩の(やいば)無数(むすう)()り掛かった。

 それには、アイリッシュ(はく)の近くに居た、イシュタル教会の魔術師(まじゅつし)と思われる者たちや、海賊(かいぞく)たちも(あわ)てふためく。

 ちょっとしたトラブルはあったものの、どうにか不意(ふい)打ちは成功(せいこう)した。

 頭からそれを真面(まとも)に食らったアイリッシュ(はく)は、血塗(ちまみ)れになって(たお)れている……(はず)であった。

「んなっ……無傷(むきず)?」

アイリッシュ(はく)は、まるで先程(さきほど)攻撃(こうげき)が無かったかのように、(かす)(きず)一つどころか、(まと)っているローブすら(やぶ)れておらず、平然(へいぜん)とした様子(ようす)(たたず)んでいる。

((ちが)う! これは幻術(げんじゅつ)だ!)

ルフトがそう(さと)った瞬間(しゅんかん)、彼の頭上に大きな(かげ)(おお)(かぶ)さった。

 それに気付いて顔を上げた途端(とたん)、ナルルが横から物凄(ものすご)い勢いで体当たりをして来て、受け身を取り(そこ)ねたルフトは、そのまま彼女と一緒(いっしょ)に地面の上を何度かゴロゴロと(ころ)がる。

「いったぁ……」

ルフトは思い切りぶつけた(こし)の辺りを(さす)りながら、(いた)みに顔を(ゆが)めつつも、そう言ってゆっくりと身を起こそうとした瞬間(しゅんかん)、ザクッと物凄(ものすご)鋭利(えいり)(やいば)が、彼の鼻先(はなさき)すれすれで、地面に()()さった。

 ルフトは(たちま)ち、顔から血の気が()せ、全身から(たき)の様に冷たい(あせ)が流れ落ちた。

不意(ふい)(うち)やなんて、随分(ずいぶん)(きたな)真似(まね)するやないか」

独特(どくとく)口調(くちょう)の若い女の声が、ルフトの()ぐ頭の上からした。

 相手(あいて)は、地面の上に(ころ)がったルフトの背中を足蹴(あしげ)にし、彼の鼻先(はなさき)すれすれに、槍を()き立てていた。

 明るい茶色の髪に、深い緑色の双眸(そうぼう)(ねこ)の目の様で、両耳は(ねこ)の様な耳、(はだ)の色は褐色(かっしょく)両腕(りょううで)には刺青(いれずみ)の様な模様(もよう)があり、猫の様な長い尻尾(しっぽ)が生えた、筋肉質(きんにくしつ)で背の高い、(やり)を手にした二十代半ばくらいの女性の、彼を見据(みす)える双眸(そうぼう)抜身(ぬきみ)刃物(はもの)の様に(するど)く、そして無慈悲(むじひ)なまでに冷たい光を(たた)えていた……。

((ころ)され……)

ルフトは本能的に、そう感じた次の瞬間(しゅんかん)、赤い大きな(かたまり)弾丸(だんがん)の様に、ルフトを足蹴(あしげ)にしている女性に思い切りぶつかった。

「がっ!」

ルフトを足蹴(あしげ)にしていた女性は、短く声を上げると、思い切り後ろにスッ転んだ。

 その間に、ルフトは(あわ)てて身を起こし、先程(さきほど)まで自分を足蹴(あしげ)にしていた相手(あいて)へ目を向ける。

「何するんや! このクソガキ!」

ルフトを足蹴(あしげ)にしていた女性は、素早(すばや)く身を起こすと、自分の(あご)片手(かたて)(さす)りながら、憎々(にくにく)し気にルフトの後ろに立っている(だれ)かを(にら)みながら、(うな)る様な声で言う。

「ルフト様。 ()げて」

背後(はいご)から、物凄(ものすご)緊張(きんちょう)した声で、ナルルがそう言って来た。

「へぇ。 ウチとやり合おう言うんかいな? ちっさい嬢ちゃん」

ルフトを足蹴(あしげ)にしていた女性は、不敵(ふてき)な笑みを浮かべながら言うと、槍を手に身構(みがま)える。

「早く!」

戸惑(とまど)っているルフトに、ナルルは何時(いつ)もとは(ちが)い、鬼気(きき)(せま)る声で(さけ)ぶ。

 ナルルの声に、(はじ)かれた様にルフトは立ち上がり、(いそ)いでその場から駆け出した。

(なさ)けないなぁ。 こんな子供(こども)を置いて()げるやなんて」

ナルルを置いて、その場から(はな)れたルフトに、彼を足蹴(あしげ)にしていた女性が、軽蔑(けいべつ)した様に言う。

「ナルルっ!」

ルフトがその言葉に反応(はんのう)して、思わず足を止めて()り返り、ナルルの名を叫んだ時には、彼女は相手(あいて)(ふところ)に入り込み、その(こぶし)を思い切り下から上へ振り上げていた。

 その光景(こうけい)を見ていたルフトに次の瞬間(しゅんかん)、いきなり真横(まよこ)から、彼は物凄(ものすご)く強い力で押し(たお)された。

 何が起きたか理解(りかい)出来(でき)ず、頭を(もた)げるルフトに対し、

「バっカじゃない? ()がす訳ないでしょ?」

肩まであるクリーム色の()き毛、大きな琥珀(こはく)(いろ)双眸(そうぼう)胸元(むなもと)に大きなリボンの付いた、(たけ)膝上(ひざうえ)までのフリルに白のレース付きの、可愛(かわい)らしいピンクのワンピースに身を(つつ)み、頭にも、服とお(そろ)いのリボンを付けた、手にはピンクの短いステッキ型の(むち)を持った、一五歳くらいの、小柄(こがら)可愛(かわい)らしい女の子が、不敵(ふてき)()みを浮かべながら言う。

((いた)い。 痛い。 メチャクチャ痛い)

ルフトは、必死(ひっし)に自分の肩に食い付いている、大きな(おおかみ)の様な生き物を()(はら)おうと()()きながら、心の中で絶叫(ぜっきょう)し、(いた)みのあまり(なみだ)をボロボロと流す。

 彼は、エレンツ帝国(ていこく)建国(けんこく)以前(いぜん)から存在(そんざい)し、建国(けんこく)と国の平定(へいてい)に大きく貢献(こうけん)した、(さん)大公爵家(だいこうしゃくけ)の一つで、代々、宮廷(きゅうてい)魔術(まじゅつ)()(ちょう)やガイア神教(しんきょう)老子(ろうし)など、優れた魔術(まじゅつ)()輩出(はいしゅつ)している名門(めいもん)、アルスワット公爵家(こうしゃくけ)跡取(あとと)りとして生まれ、周囲(しゅうい)期待(きたい)一身(いっしん)に受けて育った。

 その(ため)次期(じき)公爵(こうしゃく)となる彼に()(へつら)い、(あお)ぎ見る者は多かった。

 ルフトは、自分よりも立場が弱い者などに対しては、とても高圧的(こうあつてき)態度(たいど)を取るが、自分よりも立場が強い相手(あいて)などを目の前にした途端(とたん)()(ごし)になってしまう。

 そして、無駄(むだ)な努力というものが、何よりも大嫌(だいきら)いだった。

 母の様な(すぐ)れた魔術(まじゅつ)才能(さいのう)も無く、()き父の様な膨大(ぼうだい)薬学(やくがく)知識(ちしき)も、また、それ()を学ぶ意欲(いよく)も二人ほど自分には無い。

 そう(さと)った時、ルフトは両親とは縁遠(えんどお)()道具(どうぐ)の世界へと()げ込んだ。

 ()道具(どうぐ)研究(けんきゅう)をしていれば、父や母と(くら)べられる事も、実戦(じっせん)()り出される事も無い。

 まだ研究員(けんきゅういん)だから、研究(けんきゅう)成果(せいか)をスポンサーとなっている王宮(おうきゅう)軍部(ぐんぶ)寺院(じいん)などに発表をしたり、報告(ほうこく)したりする必要(ひつよう)もない。

 先輩(せんぱい)たちのする事を適当(てきとう)に見ながら、適当(てきとう)に仕事をして定時(ていじ)に上がって、仕事場へは毎日馬車(ばしゃ)での(おく)(むか)え。

 家に帰れば豪華(ごうか)な食事、(あたた)かい風呂(ふろ)に、清潔(せいけつ)衣服(いふく)、フカフカなベッド。

 ちょっと面倒(めんどう)だが、たまに社交界(しゃこうかい)に顔を出して、皇帝(こうてい)陛下(へいか)とか、(えら)い人に挨拶(あいさつ)して、心にもない世辞(せじ)を言って、何かと五月蠅(うるさ)親戚(しんせき)適当(てきとう)にあしらっておけば良い。

 自分はまだ当主(とうしゅ)でも無いのだから、何の責任(せきにん)義務(ぎむ)(とみな)わない。

 面倒(めんどう)な事は、当主(とうしゅ)である母や周りの大人たちがしてくれる。

 (ぼく)は、そんなに頑張(がんば)らなくても、跡取(あとと)りは自分一人だけで、(いや)でも公爵(こうしゃく)になるのだから。

 そんな風に、世の中を()(くさ)っていて、母や周り大人たちの忠告(ちゅうこく)など聞く耳も持っていなかった。

 そんな状況(じょうきょう)一変(いっぺん)したのは、母の従妹(いとこ)息子(むすこ)だという、レオフィリウスが何処(どこ)からか(あらわ)れてからだ。

 彼は、魔力(まりょく)は無かったし、分家(ぶんけ)の人間であったが、ルフトと年が近い所為(せい)で、周りの人間から何かと(くら)べられるようになっていった。

 (すで)に長い間、傭兵(ようへい)として身を立てていたシリウスは、あっという間に周りから信用(しんよう)()て、あっという間に手柄(てがら)を立てて、あっという間に、自身の力で(はく)(しゃく)地位(ちい)を勝ち取った。

 その所為(せい)で、ルフトへの周りからの風当(かぜあ)たりが強くなり、シリウスは益々(ますます)(なま)意気(いき)になっていく一方(いっぽう)だ。

 だから、そのシリウスがしくじったと聞いた時、ルフトは物凄(ものすご)(うれ)しかった。

 そして、自らシリウスに引導(いんどう)(わた)してやろうと、母に断りも無く、意気揚々(いきようよう)とナルルを(ともな)って、帝国(ていこく)本土(ほんど)を出た。

 そこまでは良かった。

 何故(なぜ)、こうなった?

 何故(なぜ)、自分は今、イシュタル教会などと言う、北半球(きたはんきゅう)の訳の分からぬ宗教(しゅうきょう)団体(だんたい)(くみ)している連中(れんちゅう)とこんな事をしていているのか。

 何故(なぜ)、こんな馬鹿(ばか)デカイ(おおかみ)の化け物に肩を食い付かれ、メチャクチャ(いた)い想いをしているのか。

 (まった)()って、理解(りかい)不能(ふのう)だ。

 理不尽(りふじん)すぎる!

(こんなの(いや)だ! こんなの可笑(おか)しい! (いた)い。 イタイ! 痛い! (だれ)か、誰か助けてよ!)

ルフトは目からボロボロと(なみだ)を流しながら、心の中で絶叫(ぜっきょう)した。

 その時だった。

 ルフトの上に(おお)(かぶ)さり、彼の肩に食い付いていた、(おおかみ)の様な大きな化け物が『ギャン』と悲痛(ひつう)な声を上げ、頭を失った首から、勢い良く魔物(まもの)特有(とくゆう)の紫色の血を()()らしながら、横へ吹っ飛んだ。

「しっかりなさい!」

剣を手にしたルチルが、茫然(ぼうぜん)としているルフトに向かって(さけ)ぶ。

「る、ルチル……?」

ルフトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら(つぶや)く。

(何で……ルチルが?)

ルフトは、戸惑(とまど)いの表情浮かべたまま、自分を助けてくれたルチルを見上げる。

「ボサッとしてないで! 手を()して頂戴(ちょうだい)!」

ルチルは、(あせ)りの表情を浮かべながら、戸惑(とまど)っているルフトに言うと、彼の(うで)(つか)み、グイッと引き寄せる様にして立ち上がらせると、そう言った。

「どういう事?」

ルフトは、何故(なぜ)ルチルがこんなに(あせ)っているのか、理解(りかい)出来(でき)ず、思わずそう問い掛けた。

厄介(やっかい)な事になったわ」

苦虫(にがむし)()(つぶ)した様な表情を浮かべながら、ルチルは言う。

 そもそもルチルは、イシュタル教会からロナードを逃がす(ため)、セネト、ティティス、ギベオンと共にカメリアの船に乗り、この島から(だっ)した(はず)である。

 勿論(もちろん)、ロナードがシリウス達を(おとり)にして、()げる事に了承(りょうしょう)する訳も無く、シリウスとカメリアが結託(けったく)して、彼の食事に睡眠(すいみん)(やく)()ぜ、(ねむ)ってしまったところをカメリアの船に乗せ、そのまま出港(しゅっこう)したのだ。

 しかも、かれこれ半日近く前の話だ。

 何か問題があって(もど)って来た事は間違(まちが)いなさそうだが、それが一体何なのか……ルフトは気になって仕方(しかた)が無かった。

 何だかとても、(いや)予感(よかん)がしてならない。


 (さかのぼ)る事、数時間前……。

 セネトは、カメリアの船に乗り、(おき)に出ていた。

「ロナードの様子(ようす)はどうだ?」

甲板(かんぱん)に出て、外を(なが)めていたセネトは、自分の下へやって来たギベオンに、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで問い掛ける。

「良く(ねむ)っています」

ギベオンは、物凄(ものすご)微妙(びみょう)な表情を浮かべながら答える。

不満(ふまん)そうだな?」

ギベオンの表情を見て、セネトはそう言うと、

「後で、ロナード様が知ったらと思うと、こう言う表情にもなりますよ」

ギベオンは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべ、重々(おもおも)しい口調(くちょう)で返す。

「お前は、(ぼく)たちの命令に(したが)ったにすぎない。 だから、ロナードから何を言われようが、気にする必要(ひつよう)は無い。 (すべ)ては最悪(さいあく)未来(みらい)回避(かいひ)する(ため)だ」

セネトは、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で言う。

「はい……」

ギベオンは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら、(うなず)き返す。

 セネトは元々、この様な性格では無かった。

 正妻(せいさい)の娘であるにも関わらず、母親が()くなり、相次(あいつ)いで母の身内(みうち)()くなってしまった後、自身と妹のセネトの保身(ほしん)(ため)同腹(どうふく)の兄で、当時(とうじ)皇太子(こうたいし)であったカルセドニ皇子(おうじ)が、皇帝(こうてい)第一側妃(だいいちそくひ)たちと、どの様な取引(とりひき)をしたのかは分からないが、ガイア神教(しんきょう)(せい)騎士(きし)になる(ため)王宮(おうきゅう)()り、セネトは王宮(おうきゅう)に取り(のこ)された。

 王宮(おうきゅう)内で力を持たない彼女は、力を持つ第一側(だいいちそく)()や彼女の子供(こども)たちに、悪質(あくしつ)(いや)がらせを受ける事もしばしばで、その嫌がらせに只管(ひたすら)()えるしかなかった。

 そんな彼女を(ほか)(そく)()やその子供(こども)たち、使用人(しようにん)兵士(へいし)たちすらも冷遇(れいぐう)し、父である皇帝(こうてい)も苦しい立場にある彼女を助ける訳も無く、彼女は一人(ひとり)自室(じしつ)のベッドの上で(さび)しく、(かな)しさと、苦しさと、やるせなさと……様々(さまざま)な感情を(いだ)きながら、(まくら)(なみだ)()らす日々を(おく)っていた。

 人並(ひとな)みの魔術(まじゅつ)才能(さいのう)はあったが、第一側(だいいちそく)()に目を付けられぬ様、何時(いつ)(いき)を押し(ころ)し、目立たぬ様にしてきた。

 そんな彼女がある日を(さかい)に、(きゅう)に人が変わる。

 妹のティティス皇女(こうじょ)から、二階のバルコニーから()き落とされ、全身を強く打ち、数日間、生死(せいし)狭間(はざま)彷徨(さまよ)った後、目を覚ましてからだった。

 最初は、小さな違和感(いわかん)を覚えた程度(ていど)だった。

 それが、シリウスと出会ってから、違和感(いわかん)などではなく、セネトは人が変わったかのように積極的(せっきょくてき)活動(かつどう)する様になっていった。

 ギベオンは最初、見目が良く、何処(どこ)となく(せい)騎士(きし)をしている同腹(どうふく)の兄を彷彿(ほうふつ)とさせるシリウスに、セネトは好意(こうい)(いだ)いて、アプローチする(ため)だと思って居た。

 だが、そうでは無い事を直ぐに理解(りかい)する。

 セネトの興味(きょうみ)があったのは、シリウスではなく、彼の生き別れになっている弟の方だった。

 シリウスに生き別れの弟が居る事を、どの様にして知ったのかは知らないが、何故(なぜ)か彼女はとても熱心に彼の所在(しょざい)を調べていた。

 不思議(ふしぎ)に思ったギベオンは、その理由を問い掛けた事がある。

 その時に彼女は一言、

未来(みらい)を見て来た』

と、言った。

 どういう事なのか、ギベオンは理解(りかい)出来(でき)なかったが、セネト(いわ)く、ロナードは最悪(さいあく)未来(みらい)回避(かいひ)する(ため)必要(ひつよう)不可欠(ふかけつ)な人間なのだという。

 セネトが見て来た未来(みらい)と言うのは、ギベオンの想像(そうぞう)(はる)かに()えていた。


 セネトか見た未来はこうだ。

 そう遠く無い未来、イシュタル教会は、その影響力(えいきょうりょく)北半球(きたはんきゅう)全土(ぜんど)に広げると、その勢力(せいりょく)南半球(みなみはんきゅう)にまで拡大(かくだい)しはじめた。

 イシュタル教会が、南半球(みなみはんきゅう)仕掛(しか)けた戦争(せんそう)は月日を追う毎に拡大(かくだい)し、戦地(せんち)となっていたイルネップ王国は勿論(もちろん)、その近隣(きんりん)諸国(しょこく)、そしてイシュタル教会を(よう)する北半球(きたはんきゅう)にも、戦争(せんそう)による大きな混乱(こんらん)数多(あまた)犠牲者(ぎせいしゃ)を生み出した。

 戦火(せんか)拡大(かくだい)(ふせ)(ため)、エレンツ帝国(ていこく)植民地(しょくみんち)のイルネップ王国に援軍(えんぐん)幾度(いくど)となく派遣(はけん)するが、(ことごと)敗北(はいぼく)

 イルネップ王国は(いくさ)(やぶ)れ、その味方(みかた)をしたエレンツ帝国(ていこく)も少なからず、敗戦(はいせん)賠償(ばいしょう)をイシュタル教会に払わねばならなくなった。

 帝国(ていこく)戦争(せんそう)賠償(ばいしょう)停戦(ていせん)(ため)当時(とうじ)、イシュタル教会が実効(じっこう)支配(しはい)していたルオン王国の国王の下に第三(だいさん)皇女(こうじょ)……つまりセネトを(とつ)がせた。

 (よう)は、人質(ひとじち)として()し出された訳である。

 そのルオン国王と言うのが(ほか)でもない、ロナードであった。

 彼は、王位(おうい)継承権(けいしょうけん)第一位(だいいちい)であった、従姉(いとこ)のカタリナ王女をその手で排除(はいじょ)し、病床(びょうしょう)()()であるルオン国王も棺桶(かんおけ)の中に押し込むと、(みずか)らが国王の地位(ちい)()いた。

 彼が統治(とうち)するルオン王国では、イシュタル教会の意向(いこう)が強く反映(はんえい)され、教会の意向(いこう)(したが)わぬ者は(なさ)容赦(なさけ)なく粛清(しゅくせい)される。

 ロナードは正に、教会の番犬(ばんけん)の様な国王で、あまりの徹底(てってい)ぶりは周辺(しゅうへん)諸国(しょこく)からも(おそ)れられていた。

 そんな彼に(とつ)いだセネトは、形だけの挙式(きょしき)をし、初夜(しょや)はボイコットされ、無駄(むだ)に広いベッドの上で一人朝を(むか)えた。

 その後も、(おっと)となった彼と一緒(いっしょ)に食事を取る事も、夜を共にする事も無く、たまに廊下(ろうか)ですれ(ちが)っても、挨拶(あいさつ)はおろか、目すら合わせてくれなかった。

 何時(いつ)無表情(むひょうじょう)で、朝目覚めて夜眠りに着くまで、国王としての仕事を淡々(たんたん)とこなす、まるで何の感情も持たない人形の様な男だった。

 ただ、国王としては優秀(ゆうしゅう)で、(みずか)らが先頭(せんとう)に立って、各地(かくち)魔物(まもの)被害(ひがい)に苦しむ(たみ)を助け、先代(せんだい)国王(こくおう)の時代に、宰相(さいしょう)であったベオルフが好き放題(ほうだい)をした所為(せい)(かたむ)きかけていた国を立て(なお)していった。

 それ(ゆえ)に、国民からの信望(しんぼう)(あつ)く、軍部(ぐんぶ)を中心に彼を崇拝(すうはい)する者も多く、そんな彼をルオンの諸侯(しょこう)たちも戦々恐々(せんせんきょうきょう)としていた。

 そんな、人間的には問題だらけでも、君主(くんしゅ)としては完璧(かんぺき)と言っても良い彼が、文字通(もじどお)りのイシュタル教会の(あやつ)り人形である事を、セネトが知ったのは結婚(けっこん)して三年もしない(ころ)だった。

 ロナードは、その(ころ)から何の前触(まえぶ)れもなく体調(たいちょう)(くず)し、数日間ベッドの上で高熱に(うな)される事が()え、元々、人間味に()いていたが、徐々(じょじょ)人格(じんかく)破綻(はたん)し始め、その言動が可笑(おか)しくなりだした。

 最初は(ひど)不眠(ふみん)(さいな)まれていた様だった。

 その内、夜中に城内(じょうない)()間着(まき)裸足(はだし)と言う格好(かっこう)で、何が訳の分からぬ事をブツブツと(つぶや)きながら、徘徊(はいかい)する様になった。

 夜間の徘徊(はいかい)が落ち着いたと思ったのも(つか)の間、今度は(きゅう)に何かに(おび)える小さな子供(こども)の様に泣き(さけ)ぶようになり、(さわ)ぎに(おどろ)いて駆け付けたセネトに、泣いて(すが)る様になった。

 その時に初めて、セネトはロナードの首筋(くびすじ)などに、銀色(ぎんいろ)(つた)の様な奇妙(きみょう)模様(もよう)が浮かんでいる事に気が付いた。

 そして、それが呪詛(じゅそ)である事を知るのは、日常的(にちじょうてき)魔術(まじゅつ)が使われていたエレンツ帝国(ていこく)の出身であった彼女には、そう時間を(よう)さなかった。

 事態(じたい)を知って、彼女は勿論(もちろん)重臣(じゅうしん)たちも当然(とうぜん)の様に、イシュタル教会にロナードの呪詛(じゅそ)の事を報告(ほうこく)した。

 報告(ほうこく)を受けて、イシュタル教会は早急(さっきゅう)に動き、呪詛(じゅそ)を掛けた相手(あいて)を探り出した。

 ロナードに呪詛(じゅそ)を掛けたのは、彼がその手に掛けた、従姉(いとこ)のカタリナ王女であると言う見解(けんかい)(いた)った。

 無論(むろん)、イシュタル教会はロナードの呪詛(じゅそ)()(ため)、ありとあらゆる手を()くしたし、セネトも帝国(ていこく)に居る少ない知人を(たよ)りに、呪詛(じゅそ)()く方法を必死(ひっし)(さが)した。

 それでも、ロナードの呪詛(じゅそ)は一時的に落ち着く事はあっても、改善(かいぜん)される事は無く、月日だけが無情(むじょう)に過ぎていき、彼は静かに、しかしながら着実(ちゃくじつ)呪詛(じゅそ)心身(しんしん)(むしば)まれていった。

 そうして、セネトの悲痛(ひつう)(たの)みを聞き(とど)けたガイア神教(しんきょう)最高(さいこう)指導者(しどうしゃ)、ティアマト(だい)老子(ろうし)が彼女たち夫妻(ふさい)の下を(おとず)れた(ころ)には、ロナードはもう手の(ほどこ)しようが無い状態(じょうたい)になっていた。

 そしてセネトは、ティアマト(だい)老子(ろうし)から、(おそ)ろしい事実(じじつ)()げられる。

 ロナードはずっと昔から呪詛(じゅそ)を掛けられていて、この様な状態(じょうたい)になったのは、長年に(わた)り、呪詛(じゅそ)心身(しんしん)(しば)られていた弊害(へいがい)によるものであると……。

 つまりは、セネトがロナードの下に(とつ)(はる)以前(いぜん)から、彼は呪詛(じゅそ)によって(あやつ)られていた状態(じょうたい)で、その異様(いよう)状態(じょうたい)にロナードの心身(しんしん)(たえ)えられなくなり、近い将来(しょうらい)、彼は自分が(だれ)なのか分からなくなっていき、やがて味覚(みかく)などの五感を(うしな)い、食事も取る事が出来(でき)なくなり、少しずつ衰弱(すいじゃく)し、死へと向かっていくだろう……と。

 そして、ロナードに呪詛(じゅそ)を掛けていたのは(ほか)でもない、イシュタル教会に在籍(ざいせき)する、彼の魔術(まじゅつ)師匠(ししょう)であったアイリッシュ(はく)であった事も……。


 セネトは最初、ロナードの事になど興味(きょうみ)はなかった。

 (むし)ろ、自分をまるで透明(とうめい)人間(にんげん)かの様に(あつか)うロナードに対し、(いか)りすら(おぼ)えていた。

 けれど、彼がほんの一瞬(いっしゅん)だけセネトに対し、とても申し訳なさそうな視線(しせん)を向ける事が時折(ときおり)あった。

 その時は()間違(まちが)いだと決め込んで、知らぬ()りをしていたが、気の所為(せい)などでは無かったのだ。

 ロナードとは表面的(ひょうめんてき)夫婦(ふうふ)関係(かんけい)ではあったが、彼はセネトの事をその程度(ていど)とは思っては居なかったのだ。

 彼が、自分に興味(きょうみ)が無い、何の感情も(いだ)いていないと決めつけて居たのは、(ほか)でもないセネト自身だったのだと、彼女はロナードの死後(しご)に知る事となる。

 ロナードは、彼女が王妃(おうひ)としての立場が(うしな)われぬ様、ルオンでの生活で不自由な事が無いよう、彼女が(さび)しい思いをしないよう、(かげ)で彼が色々と気を(つか)っていた。

 ルオンで出来(でき)た気の良い友人たちも、彼女たちがプレゼントと(しょう)して、セネトに(おく)られていた美しい装飾品(そうしょくひん)花束(はなたば)全部(ぜんぶ)、ロナードが手配(てはい)したものだった。

 彼は薄々(うすうす)、自分にはあまり時間が無い事に気付いていたのだろう。

 自分が居なくなっても、セネトが淡々(たんたん)とその事実(じじつ)を受け入れて、すんなりと祖国(そこく)へ帰る選択(せんたく)をして、帝国(ていこく)で新たな人生を歩むことが出来(でき)る様に……。

 ルオンや自分に気持ちを残さない様に……。

 彼は(あえ)えて、セネトを突き放していたのだと。

 けれど、彼のその(おも)いすらも、イシュタル教会は簡単(かんたん)に打ち(くだ)いてしまう。

 国を()げての葬儀(そうぎ)が終えた後、埋葬(まいそう)しようとしていたロナードの亡骸(なきがら)が消えた事に、セネトは勿論(もちろん)、多くの人達が(おどろ)戸惑(とまど)い、ルオン王国は大騒(おおさわ)ぎになった。

 (さいわ)いにも、ティアマト(だい)老子(ろうし)がセネトの身を心配して残してくれた、寺院(じいん)の者たちのお(かげ)で、ロナードの亡骸(なきがら)隣国(りんごく)のマイル王国にある、イシュタル教会の本部にある事を知る事が出来(でき)た。

 セネトは彼の亡骸(なきがら)を取り戻す(ため)にそこへ向かった。

 そこで彼女は、()()か動いている(おっと)亡骸(なきがら)対面(たいめん)する事となる。

 (おどろ)戸惑(とまど)っている彼女に、ロナードの亡骸(なきがら)は、今まで見た事も無い様な、とても(やさ)しい()みを浮かべ、そして次の瞬間(しゅんかん)、その手が彼女の胸を(つらぬ)いた。

 何が起きたのか理解(りかい)出来(でき)ぬまま、(うす)れゆく意識(いしき)の中でセネトは、目の前のロナードが悲痛(ひつう)に満ちた表情を浮かべ、大粒(おおつぶ)(なみだ)を流して、声にならぬ悲鳴(ひめい)を上げ、自分を()きしめているのを見た。

 そして、少しずつ暗くなっていく視界(しかい)で彼女は、彼女を()きしめたまま泣き叫ぶロナードの背後(はいご)(かべ)の様に(そび)え立っていた、巨大(きょだい)な白い大理石(だいりせき)出来(でき)重厚(じゅうこう)な扉が開いて、中から物凄(ものすご)い数の異形(いぎょう)姿(すがた)をした何かが、()い出て来るのが見えた。

 

 目を覚ました時には何故(なぜ)か、ルオンへ(とつ)以前(いぜん)、エレンツ帝国(ていこく)王宮(おうきゅう)(ない)にあった自分の部屋のベッドの上だった。

 何が起きたのか分からず、ベッドの上に(あお)向けになったまま、(しば)茫然(ぼうぜん)としていた彼女であったが、最期(さいご)に自分を()きしめるロナードの(はだ)感覚(かんかく)(ぬく)もりも、ハッキリと覚えている。

 そして何より、少しずつ体が冷たくなっていく感覚(かんかく)と共に力が抜けて、徐々(じょじょ)に目の前が真っ黒になっていった時の状況(じょうきょう)も、つい数秒前の事の様にハッキリと思い出せた。

 (うす)れゆく意識(いしき)の中で、ロナードが自分の体を強く()きしめながら、小さな子供(こども)の様に泣きじゃくり、何度も何度も『すまない。 すまない』と(のど)(おく)からふり(しぼ)る様な、悲痛(ひつう)に満ちた声で言っていたのが、今でも耳に(のこ)っている。

 まだ、頭の中に(もや)が掛かった様にボンヤリとしていて、体が(ひど)く重く(だる)かったが、どうにかして身を起こすと、セネトは裸足(はだし)のままペタペタと、鏡台(きょうだい)の方へ向かった。

 そこには、最期(さいご)(むか)えた時の自分よりも明らかに若い、自身の姿があった。


 その後、自分の身に何が起きたのか、色々な文献(ぶんけん)を読み(あさ)ったが、これといってハッキリとした結論(けつろん)(いた)る事は出来(でき)なかった。

 だが、少なくともこの先、どう言う事が起きるのかは途切(とぎ)れ途切れではあったが、記憶(きおく)があった。

 何より、あの時、イシュタル教会は何をしていたのか。

 何故(なぜ)呪詛(じゅそ)により命を落とした(はず)(おっと)が生きていたのか。

 そして、彼の背後(はいご)にあった大理石(だいりせき)で作られた、何かの術式(じゅつしき)の様なモノがびっしりと(きざ)まれた扉は一体、何であったのか……。

 その扉の向こう側から、()い出て来ていた異形(いぎょう)の生き物は何なのか……。

 自分は何故(なぜ)あの時、ロナードの手で(ころ)されねばならなかったのか……。

 セネトはそれ()について、何としてでも調べる必要(ひつよう)があるという、強い想いに()られると同時(どうじ)に、無性(むしょう)にロナードが何処(どこ)に居るのかも知りたくなった。

 もしかすると、ロナードが呪詛(じゅそ)により、若くして命を落とすと言う未来(みらい)を、そして、自分がロナードに(ころ)される未来(みらい)も、今ならば変えられるかも知れないと思った。

 だから早急(さっきゅう)に、ロナードに会う必要(ひつよう)があると、セネトは思った。


 とは言え、夫婦(ふうふ)であったにも(かか)わらず、ロナードに(かん)しての情報(じょうほう)最低限(さいていげん)しか知らなかった。

 現・ルオン国王の弟で、クラレス公国(こうこく)(かつ)ての領主(りょうしゅ)であったレヴァール大公(たいこう)の第二子。

 ルオン王国のカタリナ王女の従弟(いとこ)

 漆黒(しっこく)の髪に紫色の双眸(そうぼう)を有する魔術(まじゅつ)()で、名前はユースティリアス。

 その位であった。

(こんな事なら()系図(けいず)とか、ロナードの人間(にんげん)関係(かんけい)などをもっと良く、知っておくべきだった……)

セネトは、王宮(おうきゅう)(ない)の図書館で大量の()導書(どうしょ)と、魔術(まじゅつ)に関する書籍(しょせき)に囲まれた状態(じょうたい)で、壮大(そうだい)溜息(ためいき)を付いた。

 (いく)ら、仮初(かりそめ)夫婦(ふうふ)であったとは言え、あまりに(おっと)無関心過(むかんしんす)ぎた。

 もう少し、自分がロナードに関心(かんしん)を向けていれば、手遅(ておく)れになってしまう前に、ロナードを助けられたかも知れない……。

 (いま)(さら)ながらに、そう思う。

(今更(いまさら)だけど、ユースティリアスって性格はあれだったけど、顔は(すご)く良かったよな……。 声も好きだった。 何で、(ぼく)はあんなに意地(いじ)になっていたんだろう。 また結婚(けっこん)するかどうかは別として、今度は仲良(なかよ)くなれる様に頑張(がんば)ってみよう)

セネトは何となく、(まど)から外を(なが)めながらふと、そう思った。

 そうして月日が流れ、セネトは同腹(どうふく)の兄カルセドニの紹介(しょうかい)で、シリウスと出会う。

 彼と出会った時、セネトは全身を(かみなり)に打たれた様な衝撃(しょうげき)を受けた。

 彼は、ルオン国王だったロナードの腹心(ふくしん)だった。

 見た目こそ、今よりも()けていて、片目(かため)怪我(けが)(つぶ)れて、黒い眼帯(がんたい)をしていたが……。

 間違(まちが)いなく、彼女が知るレオンハルト将軍(しょうぐん)だった。

 シリウスの事を兄から聞いてみると、クラレス公国(こうこく)の出身で、『血の粛清(しゅくせい)』で母と弟を(うしな)った事などが判明(はんめい)した。

 そう言えば、ロナードが呪詛(じゅそ)(むしば)まれている事を知って、真っ先にイシュタル教会にロナードを助ける様に(たの)み込んだのは、レオンハルト将軍(しょうぐん)だった。

 ロナードが死んだ時も、自分以上にその死を(かな)しみ、そして、彼の亡骸(なきがら)を取り(もど)(ため)に自分と一緒(いっしょ)にマイル王国にある教会(きょうかい)本部(ほんぶ)(おもむ)く事を、真っ先に志願(しがん)してくれたのも……。

 残念(ざんねん)ながら、自分が死んだ後、あの場に一緒(いっしょ)に居た彼がどうなったのかは分からないが、少なくとも将軍(しょうぐん)とロナードは(あさ)からぬ関係(かんけい)だ。

 そうして、シリウスの事を調べていく内に、ロナードの実の兄である事が判明(はんめい)した。

 その(ころ)に、彼女の最近の行動(こうどう)不思議(ふしぎ)に思ったギベオンに問われ、その理由を簡潔(かんけつ)には説明したが、彼が何処(どこ)まで理解(りかい)をしてくれたのかは不明(ふめい)だ。

 もしかしたら、頭が可笑(おか)しくなったと思って居るかも知れない。

 何にしても、未来(みらい)でロナードの下に(とつ)いだ事実(じじつ)があるセネトは、シリウスに、ロナードが生きているかも知れないと教えると、彼は血眼(ちまなこ)になって、ロナードの事を(さが)し始めた。

 そうして彼が、ルオン王国に居る祖父(そふ)、オルゲン将軍(しょうぐん)の下に身を寄せている事を知る。

 今ならまだ、ロナードがカタリナ王女を手に掛ける事を(ふせ)ぐ事が、出来(でき)るんじゃないか?

 王女が存命(ぞんめい)であれば、ロナードはルオンの国王になる必要(ひつよう)も無い。

 そうしたら、未来(みらい)が変わるかも知れない。

 (すが)る様な気持ちを胸に、セネトはシリウスとハニエルと共に、ルオン王国に(わた)り、今に(いた)る訳である。


 こうして、(やく)一年振(いちねんぶ)りに再会(さいかい)した(おっと)は、やはり、セネトの最後の記憶(きおく)の時よりも(おさな)く、自分が知っている(おっと)と同じ人間なのかと思ってしまう(ほど)に、コロコロと表情を変え、時折(ときおり)無理(むり)して大人(おとな)()る所も、何とも可愛(かわい)らしかった。

 そして、セネトが思った通り、ロナードは既に呪詛(じゅそ)を掛けられており、(じゅつ)に落ちてしまう寸前(すんぜん)状態(じょうたい)であった。

 当初(とうしょ)の計画とは、(こと)なった部分もあったが、何とかルオンの事はカタリナ王女に(まか)せて、呪詛(じゅそ)()(ため)にロナードをエレンツ帝国(ていこく)へ連れ出す事が出来(でき)た。

(今ならまだ間に合う。 絶対(ぜったい)にロナードをイシュタル教会に(わた)しては駄目(だめ)だ。 どんな手を使っても、ロナードを帝国(ていこく)へ連れて行かなければ……)

カメリアが睡眠(すいみん)(やく)()った食事を口にして、ぐっすりと(ねむ)っているロナードの手を(にぎ)りしめながら、セネトは心の中で強く(つぶや)いた。

 セネトがロナードの下に(とつ)いでから、ずっと彼はセネトの事を守って来た。

 ルオンの諸侯(しょこう)らや国民(こくみん)からの批判(ひはん)勿論(もちろん)魔術(まじゅつ)()(ほっ)するイシュタル教会の手からも。

 だから今となって、ロナードが自分を手に掛けてしまった(さい)何故(なぜ)ずっと(あやま)っていたのか、その理由が何となく分かった気がした。

 ロナードは、自分が思っていたよりも(はる)かに(やさ)しくて、思いやりのある人間だったのだ。

 なのに、(とつ)いで来てから自分は、ロナードが何故(なぜ)、自分を突き放す様に冷たく(せっ)しているのか、その理由を知ろうともせず、彼と同じか、それ以上に冷たく彼に(せっ)して来た。

 (われ)ながら、自分の幼稚(ようち)さに(あき)れてしまう。

 もしかしたら、あの(ころ)の自分の素っ気ない態度(たいど)や、心無(こころな)い言葉でロナードを(きず)つけていたのではないかと思うと、とてもいた(たま)れない気持ちになる。

 ロナードが呪詛(じゅそ)心身(しんしん)(むしば)まれ、(とこ)()せりがちになり、少しずつ可笑(おか)しくなってきて初めて、彼の事を気に掛ける様になった時にはもう、(おそ)かったのだ。

「今度は(ぼく)が、お前を守るから」

セネトは、(ねむ)っているロナードの手を(にぎ)りしめたまま、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで(つぶや)いた。


殿下(でんか)。 少し(よろ)しいでしょうか」

不意(ふい)に、部屋の入口の扉を(たた)く音がして、返事(へんじ)をすると、ギベオンが困った様な表情を浮かべながら声を掛けて来た。

「どうした?」

ロナードが(ねむ)っているベッドの(そば)椅子(いす)を置き、彼の事を気に掛けていたセネトは(おもむろ)に、そう問い掛ける。

「少々、問題が起きました。 (いそ)ぎ、甲板(かんぱん)までお()し下さい」

ギベオンは事務的(じむてき)口調(くちょう)で、セネトにそう()げた。

「分かった」

セネトはそう言うと、椅子(いす)から立ち上がり、部屋へと出ていく。

(これではまるで、姫が目を覚めるのを待つ、王子だな)

セネトの背中(せなか)見送(みおく)りながら、ギベオンは心の中でそう(つぶや)くと、チラリとロナードの方へと目を向ける。

 正直(しょうじき)()うと、将来(しょうらい)セネトの命を(うば)相手(あいて)であるロナードが、彼女の(そば)に居るこの状況(じょうきょう)は好ましくないと、ギベオンは思って居る。

 そもそも、セネトがロナードに(かか)わらなければ()むだけの話で、態々(わざわざ)ロナードの未来(みらい)まで変える必要(ひつよう)などない。

 それなのに、遠く(はな)れた北半球(きたはんきゅう)の大陸に居る相手(あいて)(さが)し出し、わざわざ会いに行くなど、狂気(きょうき)沙汰(さた)だ。

 彼に(ころ)されて()しくて、会いに行ったのかとすら思ってしまった。

 まあ、それは(たん)にギベオンの杞憂(きゆう)で、セネトはその様な願望(がんぼう)を持ち合わせていなかった訳だが。

 それ以上に、数カ月ぶりに会ったセネトが、ロナードとの距離(きょり)(みょう)に近い事の方が、ギベオンは気になった。

 セネトの記憶(きおく)の中では、(かつ)てロナードとは仮初(かりそめ)夫婦(ふうふ)だった様で、彼の苦しみに気付く事が出来(でき)ず、そんな彼に寄り()う事が出来(でき)なかった事に対して、セネトは(ひど)く負い目を感じていた事は知っているが……。

 そんな事情(じじょう)を知らない者から見たら、セネトがロナードに()れ込んで、彼に()くしている様にしか見えないし、一方的(いっぽうてき)に思いを向けられているロナードも、戸惑(とまど)っているに(ちが)いない。

 下手(へた)をすれば、ロナードから変な(やつ)認定(にんてい)されても可笑(おか)しく無いが、どうやら、その心配はなさそうで、これまでの経緯(けいい)もあってか、彼がセネトの事をある程度(ていど)信頼(しんらい)している事は見て取れた。

 双方(そうほう)の関係は、悪くはなさそうだ。

 しかしながら、セネトがロナードに微笑(ほほえ)み掛け、彼に寄り()おうとする姿勢(しせい)を見せる(たび)に、ギベオンの心の中にそれが大きな波紋(はもん)を生み出して、彼の心を()さぶった。

(まさか、十歳近くも年下の相手(あいて)に、嫉妬(しっと)をするとは)

ギベオンは、片手(かたて)を自分の額に()え、深々(ふかぶか)溜息(ためいき)を付きながら、心の中で(つぶや)いた。

 しかし、これでハッキリした。

 セネトは自分だけでなく、ロナードも(すく)われる未来(みらい)(のぞ)んでいる。

 その(ため)に、どんな手も()くす覚悟(さと)でいる。

 (たと)え、その(ため)に取った行動(こうどう)原因(げんいん)で、周りから後ろ指をさされ、ロナードから(きら)われても(かま)わないとまで思って居る。

 今まで、何事(なにごと)(かん)しても受け身で、事なかれ主義(しゅぎ)だったセネトが、初めて自らの意志(いし)決断(けつだん)し、行動(こうどう)を起こした。

 臣下(しんか)として、(あるじ)の気持ちを最大限(さいだいげん)尊重(そんちょう)したいと言う気持ちがある一方(いっぽう)で、不確(ふたし)かな未来(みらい)(ため)に、一つ間違(まちが)えれば、命すらも(うしな)いかねない様な、そんな(あや)うい事はして()しくは無いと思う自分も居る。

 けれど、自分が言ったところで、走り出してしまったセネトは止まる事はしないだろう。

(今更(いまさら)だが、どうやら自分も、色々と覚悟(さと)を決める必要(ひつよう)がありそうだ)

ギベオンは、心の中でそう(つぶや)くと、静かに部屋を後にした。


何故(なぜ)、この様な真似(まね)をなさるのです? 兄上」

甲板(かんぱん)を出たギベオンの耳に、セネトの戸惑(とまど)いに満ちた声が(ひび)いた。

 見れば、黒地に金の刺繍(ししゅう)(ほどこ)された、エレンツ帝国(ていこく)軍の軍服(ぐんぷく)に身を包んだ、(いか)つい顔をした屈強(くっきょう)な男たちが、セネトを後ろ手にして、甲板(かんぱん)の上に(ひざまず)かせていた。

 そのセネトの前に、長めの黒髪に、灰色(はいいろ)()じりの青い瞳、褐色(かっしょく)の肌、涼しそうな白い衣を(まと)い、サンダルという、ラフな(よそお)いの年の頃は二十歳くらい、少し目尻(めじり)が上がった、目鼻立(めはなだ)ちの(ととの)った青年が静かに見下ろし、その青年の腕に手を回し、ティティス皇女(こうじょ)が勝ち(ほこ)ったように、(うす)()みを浮かべていた。

(ネフライト皇太子(こうたいし)!)

ギベオンは、ティティス皇女(こうじょ)(となり)に立つ青年を一目(ひとめ)()て、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら、心の中で叫ぶ。

 何故(なぜ)皇太子(こうたいし)である彼が、帝都(ていと)から遠く(はな)れたこのような場所に居るのか……。

 セネトの(となり)には、彼と同じ様に後ろ手にされ、甲板(かんぱん)の上に(ひざまず)かされたカメリアと、彼女の愛人たち、そして、この船の船員(せんいん)たちが居た。

「オレが、何も知らないとでも?」

ネフライト皇太子(こうたいし)は、まるで汚物(おぶつ)でも見るかの様な視線(しせん)をカメリアたちに向けながら、静かにそう言った。

「何か、誤解(ごかい)をしていらっしゃいます!」

セネトは、真っ直ぐにネフライト皇太子(こうたいし)を見上げながら、そう言った。

(だま)れ」

ネフライト皇太子(こうたいし)は、セネトの前に身を(かが)めると、何の躊躇(ちゅうちょ)も無く彼女の胸ぐらを(つか)み、彼女の(ほお)に思い切り平手(ひらて)()ちをして、そう言って(すご)んだ。

殿下(でんか)!」

それを見たギベオンは、(いきどお)りを覚え、そう叫びながらセネトの(そば)へと駆け出した。

 そんな彼の前に、帝国(ていこく)軍の軍服(ぐんぷく)に身を(つつ)んだ、(いか)つい顔をした屈強(くっきょう)な男たちが立ち(ふさ)がる。

「良くも、オレの可愛(かわい)いティティスを虚仮(こけ)にしてくれたな! 今から貴様(きさま)たちに、ティーが味わった以上の屈辱(くつじょく)(あた)えてやる」

ネフライト皇太子(こうたいし)は、(いか)心頭(しんとう)と言った様子(ようす)で、セネトを思い切り蹴飛(けと)ばすと、忌々(いまいま)し気に、戸惑(とまど)っているカメリアたちそう言った。

 その様子(ようす)を見て、ネフライト皇太子(こうたいし)(かたわ)らに居るティティス皇女(こうじょ)がニヤニヤと、勝ち(ほこ)った様な()みを浮かべている。

 どうやら、ティティス皇女(こうじょ)が、同腹(どうふく)の兄であるネフライト皇太子(こうたいし)に、ある事ない事を吹き込んで、セネトとカメリアたちを悪者にした様だ。

「お待ちください! どうか、此方(こちら)からも説明をする機会(きかい)を!」

帝国(ていこく)軍の軍服(ぐんぷく)に身を包んだ、(いか)つい顔をした、屈強(くっきょう)な男たちに行く手を(はば)まれながら、ギベオンが必死(ひっし)にネフライト皇太子(こうたいし)にそう(うった)える。

「待ってお兄様。 一人、足りないわ」

ティティス皇女(こうじょ)は、ロナードがこの場に居ない事に気付いたのか、ネフライト皇太子(こうたいし)にそう言った途端(とたん)、ギベオンは背後(はいご)から気配(けはい)を感じ、その人物が思い切り、ギベオンの行く手を(はば)んでいた男たちの一人に向かって、思い切り飛び蹴りを見舞(みま)った。

 ロナードは、兵士(へいし)の一人の顔面(がんめん)に飛び()りを見舞(みま)った後、まるで(はね)でも生えているかの様に甲板(かんぱん)の上に綺麗(きれい)着地(ちゃくち)する。

「それは、(おれ)の事か?」

白の長袖(ながそで)のシャツに紺色(こんいろ)のスラックス、黒革(くろかわ)のブーツと言う出で立ちで、先程(さきほど)までベッドの上で()て居た所為(せい)で、少し寝癖(ねぐせ)が付いてはいるが、明らかに殺気立(さっきだ)っているロナードが、ドスの利いた声でティティス皇女(こうじょ)に言うと、彼女はロナードと目が合った瞬間(しゅんかん)、思わずたじろいで、二、三歩ほど後退(あとずさ)りをした。

馬鹿(ばか)! 何で出て来た!」

ロナードの姿(すがた)を見るなり、セネトは(あせ)りの表情を浮かべながら、彼に言うと、

「セネト。 後で、お前には色々と聞きたい事があるから、覚悟(さと)して居ろ」

ロナードは、周囲にいる兵士(へいし)たちの動きに注意しながら、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)ながらも、明らかに怒っている様子(ようす)でセネトに言い返す。

「わ、わ、分かったから、ちょっと落ち……」

セネトが(あせ)りの表情を浮かべながら、ロナードを(なだ)めようと声を掛けて居ると、

()らえろ!』

その声に(かぶ)さる様に、ネフライト皇太子(こうたいし)の声が(ひび)いた。

 それを合図(あいず)に、周囲に居た兵士(へいし)たちが一斉(いっせい)にロナードに襲い掛かるが、彼は(あわ)てる様子(ようす)も無く、ヒラリと自分を(つか)まえようとする兵士(へいし)の手を()けると、容赦(なさけ)なくその中の一人に鳩尾(みぞおち)膝蹴(ひざげ)りを見舞(みま)う。

 ロナードから、鳩尾(みぞおち)膝蹴(ひざげ)りを見舞(みま)われた兵士(へいし)は、そのまま白目を()いてその場に(くず)れ込む。

「ギベオン!」

兵士(へいし)たちの手をすり()けながら、ロナードが近くに居たギベオンに向かって叫ぶ。

(ああもう! どうなっても知らないぞ!)

ギベオンは、泣きたい気持ちになりながらも、心の中でそう呟くと、自分の側に居た兵士(へいし)顔面(がんめん)(こぶし)見舞(みま)い、(なぐ)り倒した。

 そうして、ロナードとギベオンは、甲板(かんぱん)の上に居る兵士(へいし)たちと乱闘(らんとう)を開始し、向かってくる相手(あいて)を次々に返り()ちにしていった。

『な、なんて奴等(やつら)だ』

『たった二人で……』

仲間(なかま)たちが、ロナードとギベオンに次々と()されるのを見て、兵士(へいし)たちはたじろぎ、そう(つぶや)く。

 ネフライト皇太子(こうたいし)を守っている兵士(へいし)(ほとん)どは、士官(しかん)学校(がっこう)を出ただけの、実戦(じっせん)経験(けいけん)などほぼ無い貴族(きぞく)子弟(してい)たちで、見掛(みか)けこそゴッツイが、実力はその辺のチンピラ以下だ。

(お(ゆる)しください。 殿下(でんか)。 お(しか)りは後でお受けします)

兵士(へいし)たち相手(あいて)に、派手(はで)(あば)れまわる自分たちの様子(ようす)を、茫然(ぼうぜん)と見守っているセネトを見て、ギベオンは泣きたい気持ちになりながらも、心の中で(あやま)る。

 その時、辺りに(かわ)いた音が(ひび)(わた)り、ロナード達を捕えようとしていた兵士(へいし)たちは勿論(もちろん)、その音を聞いたロナードとギベオンも、ピタリとその動きを止めた。

 ネフライト皇太子(こうたいし)が手にしている拳銃(けんじゅう)が、銃口(じゅうこう)を空に向け、紫煙(しえん)()き出していた。

『いい加減(かげん)にしろよ』

拳銃(けんじゅう)を手にしたネフライト皇太子(こうたいし)は、苛立(いらだ)った口調(くちょう)でそう(つぶや)くと、その銃口(じゅうこう)を近くに居たセネトに向ける。

殿下(でんか)!」

「セネト!」

それを見て、ギベオンとロナードが(そろ)って、(あせ)りの表情を浮かべる。

『何をしている。 さっさと取り押さえろ』

ネフライト皇太子(こうたいし)は、セネトに銃口(じゅうこう)を向けたまま、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)兵士(へいし)たちにそう命じると、動きを止めていた兵士(へいし)たちはハッとして、(あわ)てて、近くに居たロナードとギベオンに(おそ)い掛かり、数人掛(すうにんかか)りで二人を甲板(かんぱん)の上にねじ()せた。

手荒(てあら)真似(まね)はしないで下さい! 兄上!』

ロナードとギベオンが、兵士(へいし)たちに手荒(てあら)くねじ()せられたのを見て、セネトが(あせ)りの表情を浮かべながら叫ぶ。

先程(さきほど)から五月蠅(うるさ)いぞ。 お前』

ネフライト皇太子(こうたいし)は、苛立(いらだ)った口調(くちょう)でそう言うと、(じゅう)の取っ手の(かど)を思い切りセネトの頭部に向かって振り下ろした。

 (いた)そうな(にぶ)い音と共に、セネトが(いきお)い良く甲板(かんぱん)の上に倒れ込んだ。

殿下(でんか)!』

それを見て、側に居たカメリアが悲鳴(ひめい)に近い声を上げる。

 ネフライト皇太子(こうたいし)(なぐ)られたセネトの頭部から、()っすらと血が(にじ)む。

『お前、最近、(なま)意気(いき)だぞ』

ネフライト皇太子(こうたいし)は、倒れているセネトの頭を片方の足で()み付けながら、忌々(いまいま)し気に言う。

「セネト!」

それを見たロナードが思わず、頭を(もた)げて叫ぶが、ガッと彼の背の上に(うま)()りになっていた兵士(へいし)が思い切り、甲板(かんぱん)の上に頭を押さえ付ける。

 そこに、(こし)まである(くせ)の無い美しい紫の長い髪、陶器(とうき)の様な白く(なめ)らかな肌、()い込まれそうな(ほど)、美しい紫色の双眸(そうぼう)を有した、年の(ころ)は一八、九くらい、白いロープを着た、とても美しい小柄(こがら)な娘が、拳銃(けんじゅう)を手にしているネフライト皇太子(こうたいし)(となり)に立つと、スッと彼の腕に手を回した。

『……何で……お前が……』

彼女の姿(すがた)を見た瞬間(しゅんかん)、セネトはみるみる顔を青くし、表情を強張(こわば)らせ、そう(つぶや)いた。

「リリアーヌ……」

それはロナードも一緒(いっしょ)で、(おどろ)きと戸惑(とまど)いに満ちた表情を浮かべ、彼女の事を見上げている。

「久しぶりですね。 ユリアス。 婚約式(こんやくしき)以来(いらい)ですか?」

リリアーヌは、ネフライトの腕に手を回したまま、ニッコリと()みを浮かべながら言った。

「どう……なっている? 何で……お前がここに……」

ロナードはすっかり動揺(どうよう)し、声を(ふる)わせながら(つぶや)く。

貴方(あなた)(こん)約式(やくしき)滅茶苦茶(めちゃくちゃ)にして、失踪(しっそう)してしまった後は、本当に大変だったのですよ?」

リリアーヌは(おだ)やかな口調(くちょう)で、動揺(どうよう)しているロナードに言ってから、

「でも、生きていると思って居ました」

ニッコリと笑みを浮かべ、そう付け加えると、ネフライト皇太子(こうたいし)の腕から手を放し、兵士(へいし)たちに甲板(かんぱん)の上に押さえ付けられているロナードの前に静かに歩み寄ると、(おもむろ)に彼の前に身を(かが)め、

「元気そうで何よりです。 ユリアス。 さあ、ルオンへ帰りましょう? 婚約式(こんやくしき)をやり(なお)さなくては」

リリアーヌは満面(まんめん)の笑みを浮かべ、青ざめているロナードに(やさ)しく声を掛けた。

(最悪(さいあく)だ)

その様子(ようす)を見て、セネトは背中(せなか)から大量の冷や(あせ)を流しながら、心の中で(つぶや)いた。

 (おそ)らく、(はら)(ちが)いの兄であるネフライト皇太子(こうたいし)は、リリアーヌの『魅了(みりょう)(がん)』の力で、彼女に魅了(みりょう)されている状態(じょうたい)なのだろう。

 そうでなければ、プライドが高い彼が、リリアーヌが自分以外の男と婚約式(こんやくしき)をすると言われて、腹を立てる事も、不快(ふかい)さを(あら)わにする事も無く、ただボンヤリと彼女の事を見て居られる訳がない。

 今、自分たちはネフライト皇太子(こうたいし)処遇(しょぐう)(にぎ)られている状態(じょうたい)だが、そのネフライト皇太子(こうたいし)(あやつ)っているのはリリアーヌだ。

 彼女の機嫌(きげん)(そこ)ねれば、ネフライト皇太子(こうたいし)(かん)(たん)に、自分たちの内の(だれ)かの首を()ねるように兵士(へいし)たちに命じるだろう。

 セネトの言葉に、ネフライト皇太子(こうたいし)が耳を()さない以上、下手(へた)な事は出来(でき)ない。

 ロナードも同じ様に判断(はんだん)したのだろう。

 とても苦々(にがにが)しい表情を浮かべながら、リリアーヌを(にら)み付けている。

(わたくし)(さそ)いを(ことわ)れば、どう言う事になるのか分かっていて、そんな目をしているのでしょうか?」

リリアーヌは、ニッコリと笑みを浮かべながら、自分を(にら)み付けているロナードに言う。

「……この船の船員(せんいん)たちや(おれ)の連れに、手を出さないでくれ」

ロナードは、(くや)しそうに(くちびる)()みしめてから、真剣(しんけん)面持(おもも)ちでリリアーヌに言うと、

貴方(あなた)(わたくし)の言う事に、素直(すなお)(したが)ってくれさえすれば、此方(こちら)の方々に危害(きがい)を加えたりはしません」

リリアーヌはニッコリと笑みを浮かべたまま、(やさ)しい口調(くちょう)でロナードに言う。

(聖女(せいじょ)と聞いていたが、とんでもない! 殿下(でんか)たちを人質(ひとじち)にして、ロナード様を(おど)すなど!)

リリアーヌの言動(げんどう)を見ていたギベオンは、苦々(にがにが)しい表情を浮かべながら、心の中で(つぶや)くと、ジロリとリリアーヌを(にら)み付ける。

()せ』

ギベオンがリリアーヌを(にら)んでいる事に気付いたロナードは、帝国(ていこく)の言葉で彼を(たしな)める。

『セネトたちの事を(たの)む』

自分の方を見ているギベオンに、ロナードは真剣(しんけん)面持(おもも)ちで言うと、

『分かっています』

ギベオンは、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで答える。


「どう言う事だ? 厄介(やっかい)な事って……」

ルフトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら、自分の窮地(きゅうち)(すく)ってくれたルチルに問い掛ける。

 ルチルは、(けわ)しい表情を浮かべながら、(みなと)の方を見ているので、ルフトは(おもむろ)に目を向けると、どう言う訳かセネトが、ネフライト皇太子(こうたいし)が持っている銃口(じゅうこう)を頭に突き付けられ、後ろ手にされた格好(かっこう)で真っ青な顔をして此方(こちら)へ来ているのが見えた。

皇太子(こうたいし)殿下(でんか)?」

何が起きているのか理解(りかい)出来(でき)ないルフトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら(つぶや)く。

(だれ)? アイツ」

ルフト達と対峙(たいじ)していたカリンもそう言って、思わず手を止める。

「お(さが)し物を(とど)けに来たぞ」

ネフライト皇太子(こうたいし)は、セネトの後頭部(こうとうぶ)銃口(じゅうこう)を突き付けたまま、彼等(かれら)突然(とつぜん)の登場に戸惑(とまど)っている、その場に居合(いあ)わせた者たちに向かって静かに言う。

(さが)し物?」

ルフトがそう(つぶや)いていると、左右を兵士(へいし)たちに(はさ)まれる様な状態(じょうたい)で、ロナードが静々と歩み出て来た。

「ユリアス?」

ロナードの登場に、シリウスが(ひど)(あせ)った様子(ようす)(つぶや)く。

(つか)まったのか……」

ルフトは、特大(とくだい)溜息(ためいき)を付くと、(あき)れた表情を浮かべながら(つぶや)く。

 大方(おおかた)、ネフライト皇太子(こうたいし)(ひき)いていた軍に、ロナードたちが乗っていた船が何らかの理由で拿捕(だほ)され、彼等(かれら)尋問(じんもん)した結果(けっか)、この島でイシュタル教会と自分たちが(たたか)っていると知り、事態(じたい)収拾(しゅうしゅう)する(ため)に、教会が(さが)しているロナードを引き(わた)すと言う事になったのだろう。

 しかし、どうもロナードの様子(ようす)が変だ。

 表情が(うつ)ろで、足元もフラフラしている……。

「ユリアス!」

異変(いへん)に気付いたシリウスが、(あわ)てて彼の下へと駆け寄った次の瞬間(しゅんかん)、ロナードが目にも止まらぬ(はや)さで、自分の腰に下げていた剣を引き()くと、そのまま(やいば)をシリウスに向かって振り下ろした。

「シリウス!」

それと同時(どうじ)に、ハニエルの()りつめた声が響き、間一髪(かんいっぱつ)のところで、彼の叫び声を聞いたシリウスは()み止まり、ロナードが振り下ろした剣を()けた。

『シリウス()げろ!』

セネトが、鬼気(きき)(せま)る表情を浮かべながら叫ぶ。

「ユリアスお前……(あやつ)られているのか?」

シリウスは、ロナードの(ほお)()っすらと銀色(ぎんいろ)(つた)の様な模様(もよう)がある事に気付き、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら(つぶや)いた。

「兄……上……」

ロナードは(かす)れた声で(つぶや)くと、苦しそうに表情を(ゆが)め、両手で頭を抱えながら、フラフラと後ろへ二、三歩ほど後退(あとずさ)りをすると、その場に(ひざ)から(くず)れ落ちそうになる。

「しっかりしろ!」

シリウスが咄嗟(とっさ)に、(くず)れ込んだロナードに手を伸ばして()き止めると、(あせ)りの表情を浮かべながら声を掛ける。

「にげ……て」

シリウスに()き止められているロナードは、声を振り(しぼ)り、シリウスに言う。

 彼の腕を(にぎ)るその手の(こう)にも、銀色(ぎんいろ)(つた)の様な模様(もよう)が広がっていた。

(何でこんなに急に? 呪詛(じゅそ)(じい)(さま)の両足を代償(だいしょう)に、その影響(えいきょう)を大きく()いだ(はず)だ)

ロナードの顔や手の甲などにある銀色(ぎんいろ)(つた)の様な模様(もよう)を見て、シリウスは(あせ)りの表情を浮かべ、心の中で(つぶや)く。

 何より前回、呪詛(じゅそ)が体に広がった時とは様子(ようす)(ちが)う。

 前は、ロナードは味覚(みかく)聴覚(ちょうかく)喪失(そうしつ)していっていた。

 たが今回は、聴覚(ちょうかく)正常(せいじょう)な様だし、(あやつ)られてはいるが、ボンヤリとだろうが意識(いしき)はある。

「まだ、抵抗(ていこう)をするのですか?」

そう言ってネフライト皇太子(こうたいし)たちの背後(はいご)から姿(すがた)を現したのは、リリアーヌだった。

「お前……」

彼女を見た瞬間(しゅんかん)、シリウスの表情が強張(こわば)る。

抵抗(ていこう)するから苦しいのだと、クリフも前に言っていたでしょう? (じゅつ)()ちれば楽になれますよ」

リリアーヌは、(ひど)(やさ)しい口調(くちょう)でロナードに言うが、彼は両手で頭を(かか)えたまま、(はげ)しく首を左右に振る。

貴様(きさま)か。 (わたし)の弟にこんな真似(まね)をしたのは」

シリウスは、全身から殺意(さつい)(みなぎ)らせ、ドスの利いた低い声でリリアーヌに言う。

「そう言う取引(とりひき)だったと言う事を(わす)れたのですか? ユリアス」

リリアーヌがそう言うと、彼女の背後(はいご)から兵士(へいし)たちが来て、それぞれ左右の(わき)(かか)えていた何かを思い切り地面の上へ放り出した。

「ギベオン!」

地面に放り出されたモノを見た瞬間(しゅんかん)、ルチルの顔から一気に血の気が引き、悲鳴(ひめい)に近い声を上げる。

 ギベオンは拷問(ごうもん)を受けたのか、顔には(なぐ)られた(あと)があり、肩からは血を流し、着ていた衣服(いふく)(いた)る所が裂け、逃げない様に足が折られているのか、奇妙(きみょう)な方向に()がり、意識(いしき)はなく、ただそこに死体(したい)の様に転がっていた。

「――ッ!」

ボロ雑巾(ぞうきん)の様な姿になったギベオンを見て、セネトはみるみる顔から血の気が失せ、声にならぬ声を出し、その場に(くず)れ込み、ロナードも真っ青な顔をして、(ひど)動揺(どうよう)した様子(ようす)で、シリウスに()(ささ)えられているその体が小刻(こきざ)みに(ふる)えている。

()めろ……」

ロナードは悲痛(ひつう)に満ちた表情を浮かべ、(かす)れた声でリリアーヌにそう懇願(こんがん)する。

「でしたら、自分が何をするべきか、分かるでしょう?」

リリアーヌは、とても残酷(ざんこく)な笑みを浮かべ、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)でロナードに言う。

「……い。 出来(でき)……ない……」

ロナードは、自分を()(ささ)えているシリウスの腕をギュッと(にぎ)りしめ、苦しそうな表情を浮かべながら、声を震わせ、両目から(なみだ)を流しながら言う。

「やりなさい! 早く! さもないと、次はこの人を()ちます!」

リリアーヌは、苛立(いらだ)った口調(くちょう)でロナードに言うと、セネトの背後(はいご)に立っているネフライト皇太子(こうたいし)が、リリアーヌの声に連動(れんどう)しているかの様に、ボロ雑巾(ぞうきん)の様になり、虫の息のギベオンを目の当たりにして、地面の上に(くず)れ落ち、悲痛(ひつう)に満ちた表情を浮かべ、泣いているセネトの後頭部に銃口(じゅうこう)を突き付ける。

 それを見て、ロナードは苦々(にがにが)しい表情を浮かべ、グッと(くちびる)()みしめると、ドンと自分を()き止めていたシリウスを両手で思い切り()き飛ばした。

 シリウスは大きく後ろに、二、三歩程よろめくと、(ひど)(おどろ)いた顔をして、自分を突き飛ばしたロナードを見る。

「剣を……()いて。 兄上」

ロナードは相変(あいか)わらず、フラフラとした(あぶ)なっかしい(あし)()りながらも、シリウスにそう言うと、取り落としていた剣を拾い、素早(すばや)身構(みがま)える。

「何を言って……」

シリウスは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら、ロナードに言う。

「剣を()いて、(おれ)(たたか)え!」

ロナードは身構(みがま)えたまま、今度は周囲(しゅうい)にもハッキリと聞き取れる(ほど)の大きな声で、シリウスに向かって叫ぶ。

正気(しょうき)か?」

シリウスは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら、ロナードに問い掛ける。

「来ないのなら、(おれ)から行くぞ!」

ロナードは、グッと剣を(にぎ)りしめている手に力を込め、シリウスに言う。

「どうやらリリアーヌでは、(ぼく)が掛けた呪詛(じゅそ)を完成させる事が、出来(でき)なかった様だね」

少し(はな)れた場所から、ロナード達の様子(ようす)を見ていたアイリッシュ(はく)は、静かにそう言った。

「どうするの? リリアに助太刀(すけだち)する?」

彼の(となり)に居たセネリオは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら問い掛ける。

「これはこれで、面白(おもしろ)いから(しばら)く見て居ましょう」

アイリッシュ(はく)は、落ち着いた口調(くちょう)でそう言うと、ニッコリと笑みを浮かべる。


「何で、受け流してばかりなんだ!」

ロナードは、(いか)りに満ちた表情を浮かべ、シリウスに強い口調(くちょう)で言いながらも剣を()るう。

無茶(むちゃ)を言うな!」

シリウスは困惑(こんわく)した表情を浮かべながら、ロナードにそう言い返すと、彼の攻撃(こうげき)を大剣で受け流す。

「死にたいのか!」

ロナードは半歩(はんぽ)ほど後ろに下がり、シリウスとの()()いを取りながら、素早(すばや)身構(みがま)えつつ、(いき)(ととの)えながら、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで言う。

()いている(やつ)が、何を言っている」

シリウスは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら言い返す。

(おれ)が?」

シリウスの指摘(してき)に、ロナードは戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら(つぶや)く。

 ロナードは、シリウスに向かって剣を振るっていてはいるが、その動きに()えはなく、一撃(いちげき)の重みも無い。

 シリウスならば簡単(かんたん)にいなして、反撃(はんげき)出来(でき)るようなものだった。

 そして、シリウスの言う通り、ロナードの顔は(はん)()きの状態(じょうたい)で剣を振るっていた。

(ある意味、その泣き顔が一番の凶器(きょうき)だ)

苦々(にがにが)しい表情を浮かべながら、心の中で(つぶや)くシリウスの脳裏(のうり)に、(おさな)(ころ)光景(こうけい)(よみがえ)る……。


 何処(どこ)からか、小さな子供(こども)が啜り泣く声が聞こえて来た。

 (おさな)いシリウスは、(ねむ)っていたベッドから身を起こし、声がする方へ目を向ける。

 ()(となり)のベッドで眠っていた(はず)(おさな)い弟が、何故(なぜ)か泣いていた。

「どうした?」

シリウスはベッドから()り、泣いている弟の下へ歩み寄ると、(やさ)しく声を掛ける。

「にーしゃま!」

弟は(そば)に来たシリウスに、思い切りしがみ付いて来た。

(こわ)いよぅ」

(おさな)い弟は、ギューッとシリウスの背中に両腕(りょううで)を回し、泣きながらそう言って来た。

 どうやら、(こわ)(ゆめ)でも見て目が()め、周りが暗かったので、(こわ)くて泣いていた様だ。

大丈夫(だいじょうぶ)だよ」

(おさな)いシリウスはそう言うと、母親譲(ははおやゆず)りの黒髪を有する、弟の頭を(やさ)しく()でる。

 (おび)えている(おさな)い弟にそう言っても、母親と同じ、(みが)()かれたアメジストの様な綺麗(きれい)双眸(そうぼう)から、ポロポロと大粒(おおつぶ)(なみだ)が流れる。

 その時の弟の顔と、今のロナードは同じ顔をして居た……。

反撃(はんげき)しろ!」

ロナードは表情を(けわ)しくし、(するど)くシリウスに斬り込む。

馬鹿(ばか)を言うな! 今のお前にそんな事をしてみろ! 大怪我(おおけが)をするぞ!」

シリウスは、ロナードの一撃(いちげき)を大剣で受け流しながら、真剣(しんけん)面持(おもも)ちでロナードに怒鳴(どな)り返す。

 その様子(ようす)をアイリッシュ(はく)は、少し(はな)れた場所から面白(おもしろ)そうに見守(みまも)って居るが、リリアーヌは苛立(いらだ)った様子(ようす)だ。

 (ほか)の者たちも、手を出して良いのか戸惑(とまど)っている。

貴方(あなた)と言う人は!」

ハニエルは表情を(けわ)しくし、リリアーヌに向かって水の魔術(まじゅつ)で氷の弾丸(だんがん)を繰り出す。

 だが次の瞬間(しゅんかん)、ロナードがシリウスの土手っ腹を(いきお)い良く()ると、彼が後ろにのけ()ったその(すき)に、振り向きざまに、ハニエルに向かってロナードは炎の魔術(まじゅつ)を繰り出す。

 ハニエルはとっさに、リリアーヌに向かって()り出そうとした水の魔術(まじゅつ)をロナードに向けた。

 双方(そうほう)魔術(まじゅつ)相殺(そうさい)されて水蒸気(すいじょうき)を上げ、相殺(そうさい)された衝撃(しょうげき)でハニエルが後ろに(はじ)かれる。

「ハニエル!」

ロナードは思わず悲鳴(ひめい)に近い声を上げるが、その体は、(はじ)かれて倒れて居るハニエルに、切り込もうとしている。

「させるか!」

シリウスがとっさに叫び、大剣を後ろからロナードに振り下ろすが、ロナードはシリウスに背を向けたまま、身を(かが)めて素早(すばや)()ける。

 ロナードは、その瞬発力(しゅんぱつりょく)を生かし、あっという間にハニエルに()め寄る。

「ハニエル逃げろ!」

シリウスは、思わず叫ぶ。

 ハニエルは(あわ)てて、立ち上がって()げようとするが、それよりも早く、ロナードが剣を振りかぶる。

 ハニエルはとっさに、片手(かたて)で顔を(おお)う様にしながら、()けようとして後ろに倒れ込んだ。

 灼熱(しゃくねつ)の太陽の光を受け、ロナードが振り下ろす剣が、無慈悲(むじひ)な光を放ち、ハニエルに振り下ろされる。

 (だれ)もが、駄目(だめ)かと思った次の瞬間(しゅんかん)……。

「え……」

ハニエルを助けようと、ロナードの前に間に割って入ろうとしていたナルルは、思わず、驚愕(きょうがく)の表情を浮かべて立ち尽くす……。

 ロナードは、ハニエルに切り付けるほんの(わず)かな瞬間(しゅんかん)刃先(はさき)を自分の方へ返し、自分の体に()き立てた。

 ロナードは、右の脇腹(わきばら)付近(ふきん)に剣を突き刺したまま、その場に倒れ込んだ。

「いやあぁぁぁっ!」

それを見たリリアーヌが、顔面(がんめん)蒼白(そうはく)になって悲鳴(ひめい)を上げる。

「ユリアス!」

それを見たシリウスは、持っていた大剣を放り出し、目の前で血を流しながら、地面の上に力なく(くず)れ落ちるロナードの側へ駆け寄る。

「ぐっ……ハニエルは……?」

ロナードは、苦しそうに呼吸(こきゅう)を繰り返しながらも、ハニエルが無事(ぶじ)かどうかを問い掛ける。

(わたし)大丈夫(だいじょうぶ)です」

ハニエルはロナードの下に(あわ)てて駆け寄ると、自分の胸元(むなもと)片手(かたて)()え、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで答えると、その声を聞いて、ロナードは安堵(あんど)の表情を浮かべる。

何故(なぜ)、こんな事を!」

シリウスは(いか)りに満ちた表情を浮かべ、強い口調(くちょう)でそう言うと、ロナードを()き起しながら、彼の脇腹(わきばら)()()さった剣を引き抜くと、(おびただ)しい量の血が(あふ)れ出す……。

 遠くでその様子(ようす)を見て居たリリアーヌは、顔を青くして、自分の口元に両手を()えたまま言葉を(うしな)い、呆然(ぼうぜん)と立ち()くして居る。

 彼女の近くに居たセネトも、何が起きたのか理解(りかい)出来(でき)ず、ロナードを凝視(ぎょうし)したまま、その場に固まってしまっている。

御免(ごめん)なさい……。 こうするしか……思い付かなくて……」

ロナードは顔面(がんめん)蒼白(そうはく)で、シリウスに上半身(じょうはんしん)()(かか)えられたまま、傷口に手を添え、苦笑(にがわら)()じりに(いき)を切らせながら言った。

 ロナードの脇腹(わきばら)から、みるみる血が広がり、彼の傷口(きずぐち)片手(かたて)(ふさ)いでいたシリウスの手もあっという間に真っ赤に()まる。

(しゃべ)らないで下さい!」

ハニエルはそう言うと、(あわ)てて、光の魔術(まじゅつ)でロナードの(きず)治癒(ちゆ)を始める。

「リリア! 何してるんだ!」

その様子(ようす)を遠くから見ていたセネリオが、鬼気(きき)(せま)る表情を浮かべて、自分から(はな)れた場所に居たリリアーヌに向かって叫ぶ。

「あ……」

茫然(ぼうぜん)としていたリリアーヌは、セネリオが自分を呼ぶ声を聞いて、(はじ)かれた様にハッとすると、

「ユリアスっ!。」

リリアーヌは(あわ)てふためき、そう叫びながらロナードの下へと駆け出すが、彼女の前に(けわ)しい面持(おもも)ちのルチルとルフトが立ち(ふさ)がる。

「その前に、ギベオンを助けなさい」

ルチルは、表情を(けわ)しくしたまま、(うな)る様な声でリリアーヌに(すご)む。

「ってか、何をするか分からない君を、彼等に近付ける訳が無いでしょ?」

ルフトも、持っている(つえ)身構(みがま)えながら、表情を(けわ)しくしたまま、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で言う。

 二人がリリアーヌにそう言っている間にも、ロナードは(ちから)()(あお)()けになったまま、苦しそうに呼吸(こきゅう)を繰り返している。

 その顔は、完全に血の気が失せて蒼白(そうはく)で、目も(ひど)(うつ)ろで、意識(いしき)朦朧(もうろう)としている様だ。

「気をしっかり持て下さい!」

側に居るハニエルが表情を(けわ)しくして、ロナードに声を掛ける。

 それを見て、アイリッシュ(はく)(くや)しそうに舌打(したう)ちし、身を(ひるがえ)す。

「え? 良いの?」

それを見たセネリオが、ロナードとアイリッシュ(はく)見比(みくら)べながら、戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、アイリッシュ(はく)に問い掛ける。

「とんだ計算(けいさん)(ちが)いです。 こんな(はず)では無かったのですが……」

アイリッシュ(はく)背中(せなか)()しに、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で返す。

貴様(きさま)っ! このまま生きて帰られると思って居るのか!」

大剣を手に(いか)りの形相(ぎょうそう)シリウスが、アイリッシュ(はく)たちに()め寄りながら、ドスの利いた低い声で言う。

僕等(ぼくら)(かま)うよりも、ユリアスを心配したらどうですか?」

アイリッシュ(はく)が、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)でそう言うと、シリウスはギュッと、大剣の()(にぎ)(なお)し、

貴様(きさま)達だけは、(ゆる)さん!」

そう言って、シリウスがアイリッシュ(はく)に向かって、勢い良く大剣を振り下ろそうとした次の瞬間(しゅんかん)金属(きんぞく)同士(どうし)がぶつかり合う音が(ひび)く。

 いつの間にか、ランがアイリッシュ(はく)とシリウスの間に()って入り、シリウスの一撃(いちげき)を、槍で受け止めていた。

邪魔(じゃま)をするな!」

シリウスは、(いか)りに満ちた表情を浮かべながら、ランに向かって怒鳴(どな)る。

伯爵(はくしゃく)。 はよ行きや。 (じゅつ)を使えん魔術(まじゅつ)()なんて、居ても邪魔(じゃま)になるだけやから」

ランは、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で、シリウスと対峙(たいじ)したまま、アイリッシュ(はく)背中(せなか)()しに言った。

()みませんね」

アイリッシュ(はく)はそう言うと、遠慮(えんりょ)なく、身を(ひるがえ)して()げ出そうとするので、

「待て!」

シリウスは(あわ)てて、アイリッシュ(はく)を追い駆けようとするが、その前に槍を手にしているランが立ち(ふさ)がる。

退()け!」

シリウスは、苛立(いらだ)った様子(ようす)で、ランに向かって怒鳴(どな)る。

「アンタこそ深追(ふかお)いしとる場合やないやろ? 早よぅちゃんとした所で手当(てあ)てせんと、ユリアスが死ぬで」

ランは、落ち着いた口調(くちょう)で、シリウスに言い返す。

 シリウスは一瞬(いっしゅん)、ロナードの方へと目を向ける。

 その(すき)をついて、近くに居たイシュタル教会の兵士(へいし)が、持って居た(てのひら)くらいの大きさの黒い(たま)に火を付け、地面に()げつけると、その黒い(たま)から勢い良く、()(くら)ましの(けむり)が出て来た。

「くそっ……」

シリウスは、その(けむり)を吸い込んでしまい、思いっきり咳込(せきこ)みながら、アイリッシュ伯の姿(すがた)(さが)すが、()(けむり)(はば)まれて、見失(みうしな)ってしまった。

(はく)(しゃく)さま!』

(けむり)()れた(ころ)、ナルルが表情を(けわ)しくして、シリウスの下に駆け寄って来た。

大丈夫(だいじょうぶ)?』

ナルルは心配そうに、シリウスに声を掛ける。

大丈夫(だいじょうぶ)だ。 それより、ユリアスの方はどうだ?』

シリウスはナルルにそう言いながら、大剣を背負(せお)う。

『血は止まったみたい。 でも……何とも言えないゾ』

ナルルは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら言うと、シリウスは(こぶし)を強く(にぎ)りしめ、表情を(ゆが)め、(くや)しそうに(くちびる)()む。


 ロナードはそれから丸一日、生死(せいし)(さかい)彷徨(さまよ)い、意識(いしき)を取り(もど)したのは、二日後だった。

「とっさの判断(はんだん)とは言え、無茶(むちゃ)な事をする。 死ぬ気だったのか?」

シリウスは(あき)れた表情を浮かべ、一命を取り()め、ベッドの上に横たわっている、ロナードに言った。

()まない……。 でも、仲間(なかま)(だれ)かを傷付(きずつ)けるくらいならば、死んだ方がマシだと思ったんだ」

ロナードは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら言った。

「その気持ちは分らなくもないが、それでも()められる事では無い。 (みんな)、どれほど心配したのか、分って居るのか?」

シリウスは表情を(けわ)しくし、ロナードを(しか)り付ける様に言うと、近くに居たセネトやハニエルもウンウンと(うなず)く。

御免(ごめん)……」

ロナードは沈痛(ちんつう)な表情を浮かべ、一同(いちどう)を見回して言った。

「こんな馬鹿(ばか)真似(まね)、二度とするな!」

セネトが不愉快(ふゆかい)さを(あら)わにして、口調(くちょう)を強めてロナードに言った。

「分った。 でも、もしまたクリフたちに(あやつ)られ、(だれ)かを傷付(きずつ)けそうになった時は……」

ロナードは、沈痛(ちんつう)な表情を浮かべながら言ってから、(おもむろ)に側に居たシリウスを見る。

「ふざけるな。 (わたし)(おとうと)(ごろ)しの大罪人(たいざいにん)にするつもりか?」

シリウスは、表情を(けわ)しくし、(うな)る様な声で言い返すと、ロナードは(しか)られた犬の様にシュンとなる。

「ホント。 アンタがこんな馬鹿(ばか)だとは、思わなかったわ」

ルチルは、(あき)れた表情を浮かべながら、()(いき)()じりにロナードに言うと、ルフトも(うなず)いている。

「自分がどうなろうと、言う事を聞いては駄目(だめ)だと、言った(はず)ですが」

ロナードの(となり)のベッドの上で、顔に湿布(しっぷ)、肩などに包帯(ほうたい)を巻いたギベオンが、(おこ)った様な口調(くちょう)でロナードに言う。

()まない……。 アンタが(いた)めつけられているのを見て、助けなければと、思ってしまったんだ」

ロナードは、()まなそうな表情を浮かべ、ギベオンに言う。

相手(あいて)は、それが(ねら)いなのですから、(したが)っては駄目(だめ)ですよ」

ギベオンは、(あき)れた表情を浮かべながら、落ち込んでいるロナードに言う。

「頭では、分かっているんだが……」

ロナードは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら答える。

(まった)く……。 貴方(あなた)(やさ)し過ぎます。 時には非情(ひじょう)選択(せんたく)をするという事を(おぼ)えた方が良いですよ」

ギベオンは、特大(とくだい)溜息(ためいき)を付いてから、落ち着いた口調(くちょう)でロナードに言った。

「まあ、その(やさ)しさのお(かげ)で、お前の命があるのだから、そう()めるな」

セネトは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら、ギベオンにそう言うと、彼は物凄(ものすご)不満(ふまん)そうな表情を浮かべ、何やら言いた気な様子(ようす)であったが、そのまま口を(つぐ)んだ。

「ところで、イシュタル教会やネフライト皇太子(こうたいし)たちは、どうなった?」

ロナードは、真剣(しんけん)面持(おもも)ちでシリウスたちに問い掛ける。

「教会は、今お前を回収(かいしゅう)するのは(むずか)しいと思ったのか、島から(はな)れて行った。 まあ、時間が()てば手段を変えて接触(せっしょく)(こころ)みて来るだろうが」

セネトは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべ、重々(おもおも)しい口調(くちょう)で答える。

「ネフライト皇太子(こうたいし)殿下(でんか)たちの方は、近くにある、別の帝国(ていこく)海軍の基地(きち)に引き上げました。 リリアーヌさんも一緒(いっしょ)の様でしたので、油断(ゆだん)出来(でき)ません」

ハニエルは、神妙(しんみょう)面持(おもも)ちでロナードに説明する。

「……」

話を聞いたロナードは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべ、押し(だま)る。

「どうにかして、リリアーヌって女を、ネフライト皇太子(こうたいし)から引き(はが)がさないと、帝国(ていこく)本土(ほんど)に着いてからも、付き(まと)われる事になるわよ」

ルチルは、自分の胸の前に両腕を組み、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で言う。

「大体、何でネフライト皇太子(こうたいし)は、あの女の言いなりになっているんだ?」

ルフトは不思議(ふしぎ)そうに言うと、

「リリアーヌさんは、『魅了(みりょう)(がん)』と呼ばれる、相手(あいて)魅了(みりょう)する力を持った(ひとみ)を持っているのです。 その効力(こうりょく)(ほど)個人差(こじんさ)がありますが、大抵(たいてい)、彼女よりも魔力(まりょく)が無い相手(あいて)には、かなりの効果(こうか)発揮(はっき)する様です」

ハニエルは、落ち着いた口調(くちょう)で、リリアーヌの事について説明する。

「それって、どのくらいの時間?」

ルチルは、自分の胸元(むなもと)に両腕を組んだまま、真剣(しんけん)面持(おもも)ちでハニエルに問う。

「さあ……。 (わたし)たちの中で、彼女の力を真面(まとも)に受けた人は居ないので……」

ハニエルが、困った様に言うと、

「いや、コイツ、(あやつ)られていただろう!」

ルフトは、ロナードを指差(ゆびさ)しながら言うと、

「ロナードが(あやつ)られていたのは、彼女の(ひとみ)の力ではなく、(のろ)いの所為(せい)だと思います」

ハニエルは、落ち着き払った口調(くちょう)で返すと、ロナードも(うなず)き返し、

「多少の干渉(かんしょう)は受けたが、(あやつ)られる(ほど)では無かった。 (おれ)には、彼女の力は通用(つうよう)しない事は、(すで)証明済(しょうめいず)みだからな」

「何らかの方法で、(ひとみ)の力を強化(きょうか)してきた様だが、ロナードには大して効果(こうか)が無かった様だ」

セネトも、落ち着いた口調(くちょう)指摘(してき)する。

「お前たち、さっきサラッと『(のろ)い』とか言っていたが、何の話だ?」

ルフトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら、ハニエルたちに問い掛ける。

「おや。 まだ話していませんでしたかね?」

ハニエルは、キョトンとした表情を浮かべながら言うと、

「聞いて無いわ」

ルチルは、自分の胸の前に腕を組んだまま、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で言う。

 ハニエルは、苦笑(にがわら)いを浮かべると、ルチルたちにロナードの(のろ)いの事について、簡潔(かんけつ)に説明をする。


(なる)(ほど)。 そのアイリッシュ(はく)っていう、ユリアスの(かつ)ての師匠(ししょう)が、とんでもないクズ野郎(やろう)だと言う事は、良く分かった」

ルフトは、(おさな)かったロナードに対して、『隷属(れいぞく)』の(のろ)いを掛けたアイリッシュ(はく)に対し、強い(いきどお)りを覚えた様で、(いか)りに満ちた表情を浮かべながら言う。

貴方(あなた)も良く、今の今まで()えて居られたわね?」

ルチルは、何とも言えない、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら、ロナードに言う。

単純(たんじゅん)に、アイリッシュ(はく)魔力(まりょく)が、ロナードの魔力(まりょく)よりも下回っていたから、(じゅつ)の進行が(おそ)かったのだろう」

セネトが、落ち着いた口調(くちょう)で返すと、

「だとしても……何とも無い訳が無い」

ルフトは、沈痛(ちんつう)な表情を浮かべながら言うと、ガッとベッドの上に横になっているロナードの(うで)(つか)み、

(ぼく)は、呪詛(じゅそ)なんて掛けられた事が無いから、その(つら)さを分かってやれないが、ここまで良く、一人で()えたな。 もう心配(しんぱい)()らないぞ。 この(ぼく)が助けてやるからな!」

すっかりロナードに同情(どうじょう)してしまった様で、(なみだ)を浮かべながら、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで言う。

「あ、有難(ありがと)う……?」

ルフトの自分に対する態度(たいど)の変り様に、ロナードはドン引きしながらも、顔を引きつらせながら、そう返すと笑みを浮かべる。

「今度、アイツ等に会ったら、(わたし)が、ギッタギッタのボッコボコにしてやるから!」

ルチルも、ロナードの(そば)に来て身を(かが)めると、彼の腕を(にぎ)っているルフトの手の上から、両手を重ねると、物凄(ものすご)真剣(しんけん)な顔をして、戸惑(とまど)っているロナードに言う。

「えっ……あ、はあ……どうも」

ロナードは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら、ルチルに気の抜けた返事(へんじ)を返す。

(え。 なに。 この状況(じょうきょう)……)

二人の様子(ようす)を見て、ロナードはドン引きしながら、心の中でそう(つぶや)いた。

「まあ、お前たちがアイツ()をどうにかする前に、(ぼく)たちがボコボコにしているけどな」

セネトが、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)でそう言うと、シリウスとハニエルが、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで(うなず)く。

「じゃあ、(わたし)たちがもう一回、(ころ)してやるわ」

ルチルが真顔(まがお)でそう言うと、ルフトも真剣(しんけん)面持(おもも)ちで(うなず)くと、

「そうだとも! 一回死ぬ程度(ていど)では(なま)(ぬる)い!」

(は? もう一回(いっかい)(ころ)すって、どうやってだよ……。 いや、それ以前(いぜん)普通(ふつう)に言っている事がヤバイだろ。 コイツ())

彼等(かれら)のやり取りを聞いて、ロナードはドン引きしながら、心の中でそう(つぶや)く。

「その辺にしないと、ロナード様がドン引きしてしまっていますよ。 ルチル。 ルフトさま」

ロナードの様子(ようす)を見て、ギベオンが苦笑(にがわら)いを浮かべながら二人に言う。

大丈夫(だいじょうぶ)。 ボクが全員(ぜんいん)(まと)めて、生きたままバラバラに引き千切(ちぎ)って、(さめ)(えさ)にしてやるゾ」

ナルルが、両手を組んで、指をボキボキといわせながら、不敵(ふてき)な笑みを浮かべながら言った。

(お前が一番、言っている事が(こわ)いぞ)

ナルルの言葉を聞いて、ロナードは顔を青くしながら、心の中で(つぶや)いた。

(みな)さん、(たの)もしい(かぎ)りですね」

ハニエルが、ニッコリと笑みを浮かべながら言う。

(いや、そんな良い笑顔(えがお)をしながら言う様な事を、コイツ()(だれ)一人(ひとり)、言ってないだろ!)

ロナードは思わず、ハニエルに対し、心の中で突っ込んだ。

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