セネトの後悔
主な登場人物
ロナード(ユリアス)…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指している。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト(セレンディーネ)…エレンツ帝国の皇女。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしている。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な女性。 十九歳。
シリウス(レオフィリウス)…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
ティティス…セネトの腹違いの妹。 とても傲慢で自分勝手な性格。 家族内で立場の弱いセネトの事を見下している。 十七歳。
カメリア…トロイア王国に拠点を構える、宝石の採掘、加工、販売を手広く手掛ける女性実業家で大富豪。 トスカナの取引相手。 三十歳
ルチル…帝国の第三騎士団の隊長を務めている女性。 セネトと幼馴染。 今はティティスの護衛の任に就いている。 二十歳。
ギベオン…セネト専属の護衛騎士。 温和で生真面目な性格の青年。 二十五歳。
ルフト…宮廷魔術師長サリアを母に持ち、魔術師の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟に当たる。 二十歳。
ナルル…サリアを主とし、彼女とその家族を守っている『獅子族』と人間の混血児。 とても社交的な性格をしている。
ネフライト…第一側妃の息子でティティスの同腹の兄。 皇太子の地位にあり、現在、次のエレンツ帝国皇帝の座に最も近い人物。
アイリッシュ伯…ロナードがイシュタル教会の孤児院に在籍していた頃、彼に魔術の師事をしていた人物で、ロナードに呪詛を掛けた張本人。
セネリオ…ロナードがイシュタル教会の孤児院に居た時に親しくしていた青年。 アイリッシュ伯を師と仰ぎ、彼の研究に協力している魔術師。
リリアーヌ…イシュタル教会で『聖女』と呼ばれている召喚術を使えるシスター。 ロナードが教会の孤児院に居た頃、親しくしていた。 ロナードに対する恋心を拗らせている。
ラン…イシュタル教会に所属している、槍術を得意とする猫人族の女性。
カリン…イシュタル教会に所属する魔獣使いの少女。 カリンの相棒で、ロナードが持っている幻獣を狙っている。
遂に、イシュタル教会の者たちを乗せた船が、シリウス達が残っている島に接岸し、彼等が雇ったと思われる海賊たちと共に、黒いローブを着た魔術師たちが次々と島に上陸して来た。
安全と思われていた島に、海賊たちが上陸して来た事に、島にいた人たちは驚き、島の中は忽ち大混乱になった。
駐在している兵士たちは、大混乱に陥って居る人々を船に乗せ、島から逃がす事にすっかり手を取られ、乗り込んで来た海賊たちとイシュタル教会の者たちと戦うどころではなくなっていた。
「やれやれ……こんな所に逃げ込んでいましたか。 通りで見付からない訳です」
アイリッシュ伯は、帝国軍の駐屯所がある島を見回しながら、苦笑混じりに呟く。
「思いの外、遅い到着だったな?」
そこに彼等の到着を待って居たシリウスが彼の前に立ち塞がり、不敵な笑みを浮かべながら言った。
「……また貴方ですか」
アイリッシュ伯は、ウンザリした様な表情を浮かべ、シリウスに言ってから、
「悪い事は言いません。 大人しくユリアスを渡して下さい。 そうすれば、これまで私たちの邪魔をした事は、目を瞑ってあげますし、命も助けてあげますよ?」
何処か勝ち誇った様な笑みを浮かべながら、自分たちの前に現れた、シリウス達に向かって言った。
「それは出来ない相談だと、前にも言った筈だが」
シリウスは大剣を手に身構えつつ、淡々とした口調で答えた。
「何故そこまで意地になって、ユリアスを守ろうとするのです? そんな事をして、あなた方に一体、何のメリットがあると言うのですか? ランティアナ出身の貴方なら、教会に逆らう事がどう言う事なのか、分からない訳では無いでしょう?」
アイリッシュ伯は、苦笑いを浮かべながら、シリウスに言うと、
「知っているとも。 お前等が人を人と思わない、下衆な集団だと言う事もな」
彼は、不敵な笑みを浮かべながら、アイリッシュ伯等にそう言い放った。
「やれやれ……我々が不本意にも手荒い手段に出ているのは、あなた方の聞き分けがないからですよ」
アイリッシュ伯は、深々と溜息を付くと、落ち着き払った口調で言ってから、
「ユリアス! 貴方一人の所為で関係のない人が傷付くのは、貴方も望まないでしょう? 良い子ですから大人しく出て来てくれませんか?」
ロナードが何処か、近くにいると思っているのか、大声を張り上げて言った。
だが、何の反応も無い。
恐らく、ロナードの仲間が彼をこの島の何処かに匿っているのだと、アイリッシュ伯は判断した。
大きな島では無いが、それでも何処かに身を隠しながら、逃げ回るには十分すぎる広さだ。
(お、お、落ち着け。 落ち着け。 大丈夫。 だ、大丈夫。 相手は僕に気付いてない)
岩陰に隠れ、敵の様子を伺ているルフトは、今にも飛び出そうな程、バクバクと音を立てている心臓の辺りに片手を添え、緊張で顔を引き攣らせながら、心の中で呟く。
(ユリアスの時は、何か勢いでいったカンジだったけど、アイツは、マジでヤバイだろ。 雰囲気からしてもう普通じゃない。 何で普通にあんなヤバそうなのと話が出来るんだよ。 頭可笑しんじゃないのか? レオンの奴)
ルフトは、アイリッシュ伯と対峙し、彼と何やら言葉を交わしている、シリウスを見ながら、心の中で呟く。
「……ま」
ルフトの側に居た人物が、彼の肩を掴み、声を掛けて来るが、ルフトは少し離れた場所に居る、アイリッシュ伯に圧倒されてしまって、気付かない。
「ルフト様!」
不意に、直ぐ近くで、割と大きな声で自分の名を呼ばれ、ルフトはビクッと身を強張らせる。
「合図」
彼の側に居たナルルが、ハニエルの方を指差しながら、ルフトに言う。
「えっ。 あ、ああ……」
ナルルの言葉に、ルフトはハッとして、慌てて持っていた、ウエストポーチから掌ほどの大きさの球体を取り出す。
(う、上手くいけよ……)
ルフトは、心の中でそう呟きながら、アイリッシュ伯の方へ、それを思い切り投げたのだが、力み過ぎて自分たちの直ぐ近くに落ちた。
「あわわわわ~!」
それを見て、ルフトは青ざめて情けない声を上げる。
「何やってるんだゾ」
そんなルフトを横目に、ナルルが呆れた様子でそう言うと、ルフトが投げた物をヒョイと掴むと、思い切り相手に向かってそれを投げ付けた。
ナルルが投げたそれは、見事に放物線を描き、相手の頭上で発光すると、中から鋭く尖った岩の刃が無数に降り掛かった。
それには、アイリッシュ伯の近くに居た、イシュタル教会の魔術師と思われる者たちや、海賊たちも慌てふためく。
ちょっとしたトラブルはあったものの、どうにか不意打ちは成功した。
頭からそれを真面に食らったアイリッシュ伯は、血塗れになって倒れている……筈であった。
「んなっ……無傷?」
アイリッシュ伯は、まるで先程の攻撃が無かったかのように、掠り傷一つどころか、纏っているローブすら破れておらず、平然とした様子で佇んでいる。
(違う! これは幻術だ!)
ルフトがそう悟った瞬間、彼の頭上に大きな影が覆い被さった。
それに気付いて顔を上げた途端、ナルルが横から物凄い勢いで体当たりをして来て、受け身を取り損ねたルフトは、そのまま彼女と一緒に地面の上を何度かゴロゴロと転がる。
「いったぁ……」
ルフトは思い切りぶつけた腰の辺りを摩りながら、痛みに顔を歪めつつも、そう言ってゆっくりと身を起こそうとした瞬間、ザクッと物凄く鋭利な刃が、彼の鼻先すれすれで、地面に突き刺さった。
ルフトは忽ち、顔から血の気が失せ、全身から滝の様に冷たい汗が流れ落ちた。
「不意打やなんて、随分と汚い真似するやないか」
独特な口調の若い女の声が、ルフトの直ぐ頭の上からした。
相手は、地面の上に転がったルフトの背中を足蹴にし、彼の鼻先すれすれに、槍を突き立てていた。
明るい茶色の髪に、深い緑色の双眸は猫の目の様で、両耳は猫の様な耳、肌の色は褐色、両腕には刺青の様な模様があり、猫の様な長い尻尾が生えた、筋肉質で背の高い、槍を手にした二十代半ばくらいの女性の、彼を見据える双眸が抜身の刃物の様に鋭く、そして無慈悲なまでに冷たい光を湛えていた……。
(殺され……)
ルフトは本能的に、そう感じた次の瞬間、赤い大きな塊が弾丸の様に、ルフトを足蹴にしている女性に思い切りぶつかった。
「がっ!」
ルフトを足蹴にしていた女性は、短く声を上げると、思い切り後ろにスッ転んだ。
その間に、ルフトは慌てて身を起こし、先程まで自分を足蹴にしていた相手へ目を向ける。
「何するんや! このクソガキ!」
ルフトを足蹴にしていた女性は、素早く身を起こすと、自分の顎を片手で摩りながら、憎々し気にルフトの後ろに立っている誰かを睨みながら、唸る様な声で言う。
「ルフト様。 逃げて」
背後から、物凄く緊張した声で、ナルルがそう言って来た。
「へぇ。 ウチとやり合おう言うんかいな? ちっさい嬢ちゃん」
ルフトを足蹴にしていた女性は、不敵な笑みを浮かべながら言うと、槍を手に身構える。
「早く!」
戸惑っているルフトに、ナルルは何時もとは違い、鬼気迫る声で叫ぶ。
ナルルの声に、弾かれた様にルフトは立ち上がり、急いでその場から駆け出した。
「情けないなぁ。 こんな子供を置いて逃げるやなんて」
ナルルを置いて、その場から離れたルフトに、彼を足蹴にしていた女性が、軽蔑した様に言う。
「ナルルっ!」
ルフトがその言葉に反応して、思わず足を止めて振り返り、ナルルの名を叫んだ時には、彼女は相手の懐に入り込み、その拳を思い切り下から上へ振り上げていた。
その光景を見ていたルフトに次の瞬間、いきなり真横から、彼は物凄く強い力で押し倒された。
何が起きたか理解出来ず、頭を擡げるルフトに対し、
「バっカじゃない? 逃がす訳ないでしょ?」
肩まであるクリーム色の巻き毛、大きな琥珀色の双眸、胸元に大きなリボンの付いた、丈は膝上までのフリルに白のレース付きの、可愛らしいピンクのワンピースに身を包み、頭にも、服とお揃いのリボンを付けた、手にはピンクの短いステッキ型の鞭を持った、一五歳くらいの、小柄で可愛らしい女の子が、不敵な笑みを浮かべながら言う。
(痛い。 痛い。 メチャクチャ痛い)
ルフトは、必死に自分の肩に食い付いている、大きな狼の様な生き物を振り払おうと藻掻きながら、心の中で絶叫し、痛みのあまり涙をボロボロと流す。
彼は、エレンツ帝国の建国以前から存在し、建国と国の平定に大きく貢献した、三大公爵家の一つで、代々、宮廷魔術師長やガイア神教の老子など、優れた魔術師を輩出している名門、アルスワット公爵家の跡取りとして生まれ、周囲の期待を一身に受けて育った。
その為、次期公爵となる彼に媚び諂い、仰ぎ見る者は多かった。
ルフトは、自分よりも立場が弱い者などに対しては、とても高圧的な態度を取るが、自分よりも立場が強い相手などを目の前にした途端、逃げ腰になってしまう。
そして、無駄な努力というものが、何よりも大嫌いだった。
母の様な優れた魔術の才能も無く、亡き父の様な膨大な薬学の知識も、また、それ等を学ぶ意欲も二人ほど自分には無い。
そう悟った時、ルフトは両親とは縁遠い魔道具の世界へと逃げ込んだ。
魔道具の研究をしていれば、父や母と比べられる事も、実戦に駆り出される事も無い。
まだ研究員だから、研究の成果をスポンサーとなっている王宮や軍部、寺院などに発表をしたり、報告したりする必要もない。
先輩たちのする事を適当に見ながら、適当に仕事をして定時に上がって、仕事場へは毎日馬車での送り迎え。
家に帰れば豪華な食事、温かい風呂に、清潔な衣服、フカフカなベッド。
ちょっと面倒だが、たまに社交界に顔を出して、皇帝陛下とか、偉い人に挨拶して、心にもない世辞を言って、何かと五月蠅い親戚は適当にあしらっておけば良い。
自分はまだ当主でも無いのだから、何の責任も義務も伴わない。
面倒な事は、当主である母や周りの大人たちがしてくれる。
僕は、そんなに頑張らなくても、跡取りは自分一人だけで、嫌でも公爵になるのだから。
そんな風に、世の中を舐め腐っていて、母や周り大人たちの忠告など聞く耳も持っていなかった。
そんな状況が一変したのは、母の従妹の息子だという、レオフィリウスが何処からか現れてからだ。
彼は、魔力は無かったし、分家の人間であったが、ルフトと年が近い所為で、周りの人間から何かと比べられるようになっていった。
既に長い間、傭兵として身を立てていたシリウスは、あっという間に周りから信用を得て、あっという間に手柄を立てて、あっという間に、自身の力で伯爵の地位を勝ち取った。
その所為で、ルフトへの周りからの風当たりが強くなり、シリウスは益々、生意気になっていく一方だ。
だから、そのシリウスがしくじったと聞いた時、ルフトは物凄く嬉しかった。
そして、自らシリウスに引導を渡してやろうと、母に断りも無く、意気揚々とナルルを伴って、帝国本土を出た。
そこまでは良かった。
何故、こうなった?
何故、自分は今、イシュタル教会などと言う、北半球の訳の分からぬ宗教団体に与している連中とこんな事をしていているのか。
何故、こんな馬鹿デカイ狼の化け物に肩を食い付かれ、メチャクチャ痛い想いをしているのか。
全く以って、理解不能だ。
理不尽すぎる!
(こんなの嫌だ! こんなの可笑しい! 痛い。 イタイ! 痛い! 誰か、誰か助けてよ!)
ルフトは目からボロボロと涙を流しながら、心の中で絶叫した。
その時だった。
ルフトの上に覆い被さり、彼の肩に食い付いていた、狼の様な大きな化け物が『ギャン』と悲痛な声を上げ、頭を失った首から、勢い良く魔物特有の紫色の血を撒き散らしながら、横へ吹っ飛んだ。
「しっかりなさい!」
剣を手にしたルチルが、茫然としているルフトに向かって叫ぶ。
「る、ルチル……?」
ルフトは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
(何で……ルチルが?)
ルフトは、戸惑いの表情浮かべたまま、自分を助けてくれたルチルを見上げる。
「ボサッとしてないで! 手を貸して頂戴!」
ルチルは、焦りの表情を浮かべながら、戸惑っているルフトに言うと、彼の腕を掴み、グイッと引き寄せる様にして立ち上がらせると、そう言った。
「どういう事?」
ルフトは、何故ルチルがこんなに焦っているのか、理解出来ず、思わずそう問い掛けた。
「厄介な事になったわ」
苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべながら、ルチルは言う。
そもそもルチルは、イシュタル教会からロナードを逃がす為、セネト、ティティス、ギベオンと共にカメリアの船に乗り、この島から脱した筈である。
勿論、ロナードがシリウス達を囮にして、逃げる事に了承する訳も無く、シリウスとカメリアが結託して、彼の食事に睡眠薬を混ぜ、眠ってしまったところをカメリアの船に乗せ、そのまま出港したのだ。
しかも、かれこれ半日近く前の話だ。
何か問題があって戻って来た事は間違いなさそうだが、それが一体何なのか……ルフトは気になって仕方が無かった。
何だかとても、嫌な予感がしてならない。
遡る事、数時間前……。
セネトは、カメリアの船に乗り、沖に出ていた。
「ロナードの様子はどうだ?」
甲板に出て、外を眺めていたセネトは、自分の下へやって来たギベオンに、真剣な面持ちで問い掛ける。
「良く眠っています」
ギベオンは、物凄く微妙な表情を浮かべながら答える。
「不満そうだな?」
ギベオンの表情を見て、セネトはそう言うと、
「後で、ロナード様が知ったらと思うと、こう言う表情にもなりますよ」
ギベオンは、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で返す。
「お前は、僕たちの命令に従ったにすぎない。 だから、ロナードから何を言われようが、気にする必要は無い。 全ては最悪な未来を回避する為だ」
セネトは、淡々とした口調で言う。
「はい……」
ギベオンは、複雑な表情を浮かべながら、頷き返す。
セネトは元々、この様な性格では無かった。
正妻の娘であるにも関わらず、母親が亡くなり、相次いで母の身内が亡くなってしまった後、自身と妹のセネトの保身の為に同腹の兄で、当時の皇太子であったカルセドニ皇子が、皇帝や第一側妃たちと、どの様な取引をしたのかは分からないが、ガイア神教の聖騎士になる為に王宮を去り、セネトは王宮に取り残された。
王宮内で力を持たない彼女は、力を持つ第一側妃や彼女の子供たちに、悪質な嫌がらせを受ける事もしばしばで、その嫌がらせに只管に耐えるしかなかった。
そんな彼女を他の側妃やその子供たち、使用人や兵士たちすらも冷遇し、父である皇帝も苦しい立場にある彼女を助ける訳も無く、彼女は一人自室のベッドの上で寂しく、悲しさと、苦しさと、やるせなさと……様々な感情を抱きながら、枕を涙で濡らす日々を送っていた。
人並みの魔術の才能はあったが、第一側妃に目を付けられぬ様、何時も息を押し殺し、目立たぬ様にしてきた。
そんな彼女がある日を境に、急に人が変わる。
妹のティティス皇女から、二階のバルコニーから突き落とされ、全身を強く打ち、数日間、生死の狭間を彷徨った後、目を覚ましてからだった。
最初は、小さな違和感を覚えた程度だった。
それが、シリウスと出会ってから、違和感などではなく、セネトは人が変わったかのように積極的に活動する様になっていった。
ギベオンは最初、見目が良く、何処となく聖騎士をしている同腹の兄を彷彿とさせるシリウスに、セネトは好意を抱いて、アプローチする為だと思って居た。
だが、そうでは無い事を直ぐに理解する。
セネトの興味があったのは、シリウスではなく、彼の生き別れになっている弟の方だった。
シリウスに生き別れの弟が居る事を、どの様にして知ったのかは知らないが、何故か彼女はとても熱心に彼の所在を調べていた。
不思議に思ったギベオンは、その理由を問い掛けた事がある。
その時に彼女は一言、
『未来を見て来た』
と、言った。
どういう事なのか、ギベオンは理解出来なかったが、セネト曰く、ロナードは最悪な未来を回避する為に必要不可欠な人間なのだという。
セネトが見て来た未来と言うのは、ギベオンの想像を遥かに超えていた。
セネトか見た未来はこうだ。
そう遠く無い未来、イシュタル教会は、その影響力を北半球全土に広げると、その勢力を南半球にまで拡大しはじめた。
イシュタル教会が、南半球に仕掛けた戦争は月日を追う毎に拡大し、戦地となっていたイルネップ王国は勿論、その近隣諸国、そしてイシュタル教会を擁する北半球にも、戦争による大きな混乱と数多の犠牲者を生み出した。
戦火拡大を防ぐ為、エレンツ帝国は植民地のイルネップ王国に援軍を幾度となく派遣するが、悉く敗北。
イルネップ王国は戦に敗れ、その味方をしたエレンツ帝国も少なからず、敗戦の賠償をイシュタル教会に払わねばならなくなった。
帝国は戦争の賠償と停戦の為に当時、イシュタル教会が実効支配していたルオン王国の国王の下に第三皇女……つまりセネトを嫁がせた。
要は、人質として差し出された訳である。
そのルオン国王と言うのが他でもない、ロナードであった。
彼は、王位継承権第一位であった、従姉のカタリナ王女をその手で排除し、病床の伯父であるルオン国王も棺桶の中に押し込むと、自らが国王の地位に就いた。
彼が統治するルオン王国では、イシュタル教会の意向が強く反映され、教会の意向に従わぬ者は情け容赦なく粛清される。
ロナードは正に、教会の番犬の様な国王で、あまりの徹底ぶりは周辺諸国からも恐れられていた。
そんな彼に嫁いだセネトは、形だけの挙式をし、初夜はボイコットされ、無駄に広いベッドの上で一人朝を迎えた。
その後も、夫となった彼と一緒に食事を取る事も、夜を共にする事も無く、たまに廊下ですれ違っても、挨拶はおろか、目すら合わせてくれなかった。
何時も無表情で、朝目覚めて夜眠りに着くまで、国王としての仕事を淡々とこなす、まるで何の感情も持たない人形の様な男だった。
ただ、国王としては優秀で、自らが先頭に立って、各地で魔物の被害に苦しむ民を助け、先代国王の時代に、宰相であったベオルフが好き放題をした所為で傾きかけていた国を立て直していった。
それ故に、国民からの信望も厚く、軍部を中心に彼を崇拝する者も多く、そんな彼をルオンの諸侯たちも戦々恐々としていた。
そんな、人間的には問題だらけでも、君主としては完璧と言っても良い彼が、文字通りのイシュタル教会の操り人形である事を、セネトが知ったのは結婚して三年もしない頃だった。
ロナードは、その頃から何の前触れもなく体調を崩し、数日間ベッドの上で高熱に魘される事が増え、元々、人間味に欠いていたが、徐々に人格が破綻し始め、その言動が可笑しくなりだした。
最初は酷い不眠に苛まれていた様だった。
その内、夜中に城内を寝間着と裸足と言う格好で、何が訳の分からぬ事をブツブツと呟きながら、徘徊する様になった。
夜間の徘徊が落ち着いたと思ったのも束の間、今度は急に何かに怯える小さな子供の様に泣き叫ぶようになり、騒ぎに驚いて駆け付けたセネトに、泣いて縋る様になった。
その時に初めて、セネトはロナードの首筋などに、銀色の蔦の様な奇妙な模様が浮かんでいる事に気が付いた。
そして、それが呪詛である事を知るのは、日常的に魔術が使われていたエレンツ帝国の出身であった彼女には、そう時間を要さなかった。
事態を知って、彼女は勿論、重臣たちも当然の様に、イシュタル教会にロナードの呪詛の事を報告した。
報告を受けて、イシュタル教会は早急に動き、呪詛を掛けた相手を探り出した。
ロナードに呪詛を掛けたのは、彼がその手に掛けた、従姉のカタリナ王女であると言う見解に至った。
無論、イシュタル教会はロナードの呪詛を解く為、ありとあらゆる手を尽くしたし、セネトも帝国に居る少ない知人を頼りに、呪詛を解く方法を必死に探した。
それでも、ロナードの呪詛は一時的に落ち着く事はあっても、改善される事は無く、月日だけが無情に過ぎていき、彼は静かに、しかしながら着実に呪詛に心身を蝕まれていった。
そうして、セネトの悲痛な頼みを聞き届けたガイア神教の最高指導者、ティアマト大老子が彼女たち夫妻の下を訪れた頃には、ロナードはもう手の施しようが無い状態になっていた。
そしてセネトは、ティアマト大老子から、恐ろしい事実を告げられる。
ロナードはずっと昔から呪詛を掛けられていて、この様な状態になったのは、長年に渡り、呪詛に心身を縛られていた弊害によるものであると……。
つまりは、セネトがロナードの下に嫁ぐ遥か以前から、彼は呪詛によって操られていた状態で、その異様な状態にロナードの心身が耐えられなくなり、近い将来、彼は自分が誰なのか分からなくなっていき、やがて味覚などの五感を失い、食事も取る事が出来なくなり、少しずつ衰弱し、死へと向かっていくだろう……と。
そして、ロナードに呪詛を掛けていたのは他でもない、イシュタル教会に在籍する、彼の魔術の師匠であったアイリッシュ伯であった事も……。
セネトは最初、ロナードの事になど興味はなかった。
寧ろ、自分をまるで透明人間かの様に扱うロナードに対し、怒りすら覚えていた。
けれど、彼がほんの一瞬だけセネトに対し、とても申し訳なさそうな視線を向ける事が時折あった。
その時は見間違いだと決め込んで、知らぬ振りをしていたが、気の所為などでは無かったのだ。
ロナードとは表面的な夫婦関係ではあったが、彼はセネトの事をその程度とは思っては居なかったのだ。
彼が、自分に興味が無い、何の感情も抱いていないと決めつけて居たのは、他でもないセネト自身だったのだと、彼女はロナードの死後に知る事となる。
ロナードは、彼女が王妃としての立場が失われぬ様、ルオンでの生活で不自由な事が無いよう、彼女が寂しい思いをしないよう、陰で彼が色々と気を遣っていた。
ルオンで出来た気の良い友人たちも、彼女たちがプレゼントと称して、セネトに送られていた美しい装飾品や花束も全部、ロナードが手配したものだった。
彼は薄々、自分にはあまり時間が無い事に気付いていたのだろう。
自分が居なくなっても、セネトが淡々とその事実を受け入れて、すんなりと祖国へ帰る選択をして、帝国で新たな人生を歩むことが出来る様に……。
ルオンや自分に気持ちを残さない様に……。
彼は敢えて、セネトを突き放していたのだと。
けれど、彼のその想いすらも、イシュタル教会は簡単に打ち砕いてしまう。
国を挙げての葬儀が終えた後、埋葬しようとしていたロナードの亡骸が消えた事に、セネトは勿論、多くの人達が驚き戸惑い、ルオン王国は大騒ぎになった。
幸いにも、ティアマト大老子がセネトの身を心配して残してくれた、寺院の者たちのお陰で、ロナードの亡骸が隣国のマイル王国にある、イシュタル教会の本部にある事を知る事が出来た。
セネトは彼の亡骸を取り戻す為にそこへ向かった。
そこで彼女は、何故か動いている夫の亡骸と対面する事となる。
驚き戸惑っている彼女に、ロナードの亡骸は、今まで見た事も無い様な、とても優しい笑みを浮かべ、そして次の瞬間、その手が彼女の胸を貫いた。
何が起きたのか理解出来ぬまま、薄れゆく意識の中でセネトは、目の前のロナードが悲痛に満ちた表情を浮かべ、大粒の涙を流して、声にならぬ悲鳴を上げ、自分を抱きしめているのを見た。
そして、少しずつ暗くなっていく視界で彼女は、彼女を抱きしめたまま泣き叫ぶロナードの背後に壁の様に聳え立っていた、巨大な白い大理石で出来た重厚な扉が開いて、中から物凄い数の異形な姿をした何かが、這い出て来るのが見えた。
目を覚ました時には何故か、ルオンへ嫁ぐ以前、エレンツ帝国の王宮内にあった自分の部屋のベッドの上だった。
何が起きたのか分からず、ベッドの上に仰向けになったまま、暫し茫然としていた彼女であったが、最期に自分を抱きしめるロナードの肌の感覚も温もりも、ハッキリと覚えている。
そして何より、少しずつ体が冷たくなっていく感覚と共に力が抜けて、徐々に目の前が真っ黒になっていった時の状況も、つい数秒前の事の様にハッキリと思い出せた。
薄れゆく意識の中で、ロナードが自分の体を強く抱きしめながら、小さな子供の様に泣きじゃくり、何度も何度も『すまない。 すまない』と喉の奥からふり絞る様な、悲痛に満ちた声で言っていたのが、今でも耳に残っている。
まだ、頭の中に靄が掛かった様にボンヤリとしていて、体が酷く重く怠かったが、どうにかして身を起こすと、セネトは裸足のままペタペタと、鏡台の方へ向かった。
そこには、最期を迎えた時の自分よりも明らかに若い、自身の姿があった。
その後、自分の身に何が起きたのか、色々な文献を読み漁ったが、これといってハッキリとした結論に至る事は出来なかった。
だが、少なくともこの先、どう言う事が起きるのかは途切れ途切れではあったが、記憶があった。
何より、あの時、イシュタル教会は何をしていたのか。
何故、呪詛により命を落とした筈の夫が生きていたのか。
そして、彼の背後にあった大理石で作られた、何かの術式の様なモノがびっしりと刻まれた扉は一体、何であったのか……。
その扉の向こう側から、這い出て来ていた異形の生き物は何なのか……。
自分は何故あの時、ロナードの手で殺されねばならなかったのか……。
セネトはそれ等について、何としてでも調べる必要があるという、強い想いに駆られると同時に、無性にロナードが何処に居るのかも知りたくなった。
もしかすると、ロナードが呪詛により、若くして命を落とすと言う未来を、そして、自分がロナードに殺される未来も、今ならば変えられるかも知れないと思った。
だから早急に、ロナードに会う必要があると、セネトは思った。
とは言え、夫婦であったにも関わらず、ロナードに関しての情報は最低限しか知らなかった。
現・ルオン国王の弟で、クラレス公国の嘗ての領主であったレヴァール大公の第二子。
ルオン王国のカタリナ王女の従弟。
漆黒の髪に紫色の双眸を有する魔術師で、名前はユースティリアス。
その位であった。
(こんな事なら家系図とか、ロナードの人間関係などをもっと良く、知っておくべきだった……)
セネトは、王宮内の図書館で大量の魔導書と、魔術に関する書籍に囲まれた状態で、壮大な溜息を付いた。
幾ら、仮初の夫婦であったとは言え、あまりに夫に無関心過ぎた。
もう少し、自分がロナードに関心を向けていれば、手遅れになってしまう前に、ロナードを助けられたかも知れない……。
今更ながらに、そう思う。
(今更だけど、ユースティリアスって性格はあれだったけど、顔は凄く良かったよな……。 声も好きだった。 何で、僕はあんなに意地になっていたんだろう。 また結婚するかどうかは別として、今度は仲良くなれる様に頑張ってみよう)
セネトは何となく、窓から外を眺めながらふと、そう思った。
そうして月日が流れ、セネトは同腹の兄カルセドニの紹介で、シリウスと出会う。
彼と出会った時、セネトは全身を雷に打たれた様な衝撃を受けた。
彼は、ルオン国王だったロナードの腹心だった。
見た目こそ、今よりも老けていて、片目は怪我で潰れて、黒い眼帯をしていたが……。
間違いなく、彼女が知るレオンハルト将軍だった。
シリウスの事を兄から聞いてみると、クラレス公国の出身で、『血の粛清』で母と弟を失った事などが判明した。
そう言えば、ロナードが呪詛に蝕まれている事を知って、真っ先にイシュタル教会にロナードを助ける様に頼み込んだのは、レオンハルト将軍だった。
ロナードが死んだ時も、自分以上にその死を悲しみ、そして、彼の亡骸を取り戻す為に自分と一緒にマイル王国にある教会本部へ赴く事を、真っ先に志願してくれたのも……。
残念ながら、自分が死んだ後、あの場に一緒に居た彼がどうなったのかは分からないが、少なくとも将軍とロナードは浅からぬ関係だ。
そうして、シリウスの事を調べていく内に、ロナードの実の兄である事が判明した。
その頃に、彼女の最近の行動を不思議に思ったギベオンに問われ、その理由を簡潔には説明したが、彼が何処まで理解をしてくれたのかは不明だ。
もしかしたら、頭が可笑しくなったと思って居るかも知れない。
何にしても、未来でロナードの下に嫁いだ事実があるセネトは、シリウスに、ロナードが生きているかも知れないと教えると、彼は血眼になって、ロナードの事を探し始めた。
そうして彼が、ルオン王国に居る祖父、オルゲン将軍の下に身を寄せている事を知る。
今ならまだ、ロナードがカタリナ王女を手に掛ける事を防ぐ事が、出来るんじゃないか?
王女が存命であれば、ロナードはルオンの国王になる必要も無い。
そうしたら、未来が変わるかも知れない。
縋る様な気持ちを胸に、セネトはシリウスとハニエルと共に、ルオン王国に渡り、今に至る訳である。
こうして、約一年振りに再会した夫は、やはり、セネトの最後の記憶の時よりも幼く、自分が知っている夫と同じ人間なのかと思ってしまう程に、コロコロと表情を変え、時折無理して大人振る所も、何とも可愛らしかった。
そして、セネトが思った通り、ロナードは既に呪詛を掛けられており、術に落ちてしまう寸前の状態であった。
当初の計画とは、異なった部分もあったが、何とかルオンの事はカタリナ王女に任せて、呪詛を解く為にロナードをエレンツ帝国へ連れ出す事が出来た。
(今ならまだ間に合う。 絶対にロナードをイシュタル教会に渡しては駄目だ。 どんな手を使っても、ロナードを帝国へ連れて行かなければ……)
カメリアが睡眠薬を盛った食事を口にして、ぐっすりと眠っているロナードの手を握りしめながら、セネトは心の中で強く呟いた。
セネトがロナードの下に嫁いでから、ずっと彼はセネトの事を守って来た。
ルオンの諸侯らや国民からの批判は勿論、魔術師を欲するイシュタル教会の手からも。
だから今となって、ロナードが自分を手に掛けてしまった際、何故ずっと謝っていたのか、その理由が何となく分かった気がした。
ロナードは、自分が思っていたよりも遥かに優しくて、思いやりのある人間だったのだ。
なのに、嫁いで来てから自分は、ロナードが何故、自分を突き放す様に冷たく接しているのか、その理由を知ろうともせず、彼と同じか、それ以上に冷たく彼に接して来た。
我ながら、自分の幼稚さに呆れてしまう。
もしかしたら、あの頃の自分の素っ気ない態度や、心無い言葉でロナードを傷つけていたのではないかと思うと、とてもいた堪れない気持ちになる。
ロナードが呪詛に心身を蝕まれ、床に臥せりがちになり、少しずつ可笑しくなってきて初めて、彼の事を気に掛ける様になった時にはもう、遅かったのだ。
「今度は僕が、お前を守るから」
セネトは、眠っているロナードの手を握りしめたまま、真剣な面持ちで呟いた。
「殿下。 少し宜しいでしょうか」
不意に、部屋の入口の扉を叩く音がして、返事をすると、ギベオンが困った様な表情を浮かべながら声を掛けて来た。
「どうした?」
ロナードが眠っているベッドの側に椅子を置き、彼の事を気に掛けていたセネトは徐に、そう問い掛ける。
「少々、問題が起きました。 急ぎ、甲板までお越し下さい」
ギベオンは事務的な口調で、セネトにそう告げた。
「分かった」
セネトはそう言うと、椅子から立ち上がり、部屋へと出ていく。
(これではまるで、姫が目を覚めるのを待つ、王子だな)
セネトの背中を見送りながら、ギベオンは心の中でそう呟くと、チラリとロナードの方へと目を向ける。
正直言うと、将来セネトの命を奪う相手であるロナードが、彼女の側に居るこの状況は好ましくないと、ギベオンは思って居る。
そもそも、セネトがロナードに関わらなければ済むだけの話で、態々ロナードの未来まで変える必要などない。
それなのに、遠く離れた北半球の大陸に居る相手を探し出し、わざわざ会いに行くなど、狂気の沙汰だ。
彼に殺されて欲しくて、会いに行ったのかとすら思ってしまった。
まあ、それは単にギベオンの杞憂で、セネトはその様な願望を持ち合わせていなかった訳だが。
それ以上に、数カ月ぶりに会ったセネトが、ロナードとの距離が妙に近い事の方が、ギベオンは気になった。
セネトの記憶の中では、嘗てロナードとは仮初の夫婦だった様で、彼の苦しみに気付く事が出来ず、そんな彼に寄り添う事が出来なかった事に対して、セネトは酷く負い目を感じていた事は知っているが……。
そんな事情を知らない者から見たら、セネトがロナードに惚れ込んで、彼に尽くしている様にしか見えないし、一方的に思いを向けられているロナードも、戸惑っているに違いない。
下手をすれば、ロナードから変な奴認定されても可笑しく無いが、どうやら、その心配はなさそうで、これまでの経緯もあってか、彼がセネトの事をある程度、信頼している事は見て取れた。
双方の関係は、悪くはなさそうだ。
しかしながら、セネトがロナードに微笑み掛け、彼に寄り添おうとする姿勢を見せる度に、ギベオンの心の中にそれが大きな波紋を生み出して、彼の心を揺さぶった。
(まさか、十歳近くも年下の相手に、嫉妬をするとは)
ギベオンは、片手を自分の額に添え、深々と溜息を付きながら、心の中で呟いた。
しかし、これでハッキリした。
セネトは自分だけでなく、ロナードも救われる未来を望んでいる。
その為に、どんな手も尽くす覚悟でいる。
例え、その為に取った行動が原因で、周りから後ろ指をさされ、ロナードから嫌われても構わないとまで思って居る。
今まで、何事に関しても受け身で、事なかれ主義だったセネトが、初めて自らの意志で決断し、行動を起こした。
臣下として、主の気持ちを最大限尊重したいと言う気持ちがある一方で、不確かな未来の為に、一つ間違えれば、命すらも失いかねない様な、そんな危うい事はして欲しくは無いと思う自分も居る。
けれど、自分が言ったところで、走り出してしまったセネトは止まる事はしないだろう。
(今更だが、どうやら自分も、色々と覚悟を決める必要がありそうだ)
ギベオンは、心の中でそう呟くと、静かに部屋を後にした。
「何故、この様な真似をなさるのです? 兄上」
甲板を出たギベオンの耳に、セネトの戸惑いに満ちた声が響いた。
見れば、黒地に金の刺繍が施された、エレンツ帝国軍の軍服に身を包んだ、厳つい顔をした屈強な男たちが、セネトを後ろ手にして、甲板の上に跪かせていた。
そのセネトの前に、長めの黒髪に、灰色混じりの青い瞳、褐色の肌、涼しそうな白い衣を纏い、サンダルという、ラフな装いの年の頃は二十歳くらい、少し目尻が上がった、目鼻立ちの整った青年が静かに見下ろし、その青年の腕に手を回し、ティティス皇女が勝ち誇ったように、薄ら笑みを浮かべていた。
(ネフライト皇太子!)
ギベオンは、ティティス皇女の隣に立つ青年を一目見て、戸惑いの表情を浮かべながら、心の中で叫ぶ。
何故、皇太子である彼が、帝都から遠く離れたこのような場所に居るのか……。
セネトの隣には、彼と同じ様に後ろ手にされ、甲板の上に跪かされたカメリアと、彼女の愛人たち、そして、この船の船員たちが居た。
「オレが、何も知らないとでも?」
ネフライト皇太子は、まるで汚物でも見るかの様な視線をカメリアたちに向けながら、静かにそう言った。
「何か、誤解をしていらっしゃいます!」
セネトは、真っ直ぐにネフライト皇太子を見上げながら、そう言った。
「黙れ」
ネフライト皇太子は、セネトの前に身を屈めると、何の躊躇も無く彼女の胸ぐらを掴み、彼女の頬に思い切り平手打ちをして、そう言って凄んだ。
「殿下!」
それを見たギベオンは、憤りを覚え、そう叫びながらセネトの側へと駆け出した。
そんな彼の前に、帝国軍の軍服に身を包んだ、厳つい顔をした屈強な男たちが立ち塞がる。
「良くも、オレの可愛いティティスを虚仮にしてくれたな! 今から貴様たちに、ティーが味わった以上の屈辱を与えてやる」
ネフライト皇太子は、怒り心頭と言った様子で、セネトを思い切り蹴飛ばすと、忌々し気に、戸惑っているカメリアたちそう言った。
その様子を見て、ネフライト皇太子の傍らに居るティティス皇女がニヤニヤと、勝ち誇った様な笑みを浮かべている。
どうやら、ティティス皇女が、同腹の兄であるネフライト皇太子に、ある事ない事を吹き込んで、セネトとカメリアたちを悪者にした様だ。
「お待ちください! どうか、此方からも説明をする機会を!」
帝国軍の軍服に身を包んだ、厳つい顔をした、屈強な男たちに行く手を阻まれながら、ギベオンが必死にネフライト皇太子にそう訴える。
「待ってお兄様。 一人、足りないわ」
ティティス皇女は、ロナードがこの場に居ない事に気付いたのか、ネフライト皇太子にそう言った途端、ギベオンは背後から気配を感じ、その人物が思い切り、ギベオンの行く手を阻んでいた男たちの一人に向かって、思い切り飛び蹴りを見舞った。
ロナードは、兵士の一人の顔面に飛び蹴りを見舞った後、まるで羽でも生えているかの様に甲板の上に綺麗に着地する。
「それは、俺の事か?」
白の長袖のシャツに紺色のスラックス、黒革のブーツと言う出で立ちで、先程までベッドの上で寝て居た所為で、少し寝癖が付いてはいるが、明らかに殺気立っているロナードが、ドスの利いた声でティティス皇女に言うと、彼女はロナードと目が合った瞬間、思わずたじろいで、二、三歩ほど後退りをした。
「馬鹿! 何で出て来た!」
ロナードの姿を見るなり、セネトは焦りの表情を浮かべながら、彼に言うと、
「セネト。 後で、お前には色々と聞きたい事があるから、覚悟して居ろ」
ロナードは、周囲にいる兵士たちの動きに注意しながら、淡々とした口調ながらも、明らかに怒っている様子でセネトに言い返す。
「わ、わ、分かったから、ちょっと落ち……」
セネトが焦りの表情を浮かべながら、ロナードを宥めようと声を掛けて居ると、
『捕らえろ!』
その声に被さる様に、ネフライト皇太子の声が響いた。
それを合図に、周囲に居た兵士たちが一斉にロナードに襲い掛かるが、彼は慌てる様子も無く、ヒラリと自分を捕まえようとする兵士の手を避けると、容赦なくその中の一人に鳩尾に膝蹴りを見舞う。
ロナードから、鳩尾に膝蹴りを見舞われた兵士は、そのまま白目を剥いてその場に崩れ込む。
「ギベオン!」
兵士たちの手をすり抜けながら、ロナードが近くに居たギベオンに向かって叫ぶ。
(ああもう! どうなっても知らないぞ!)
ギベオンは、泣きたい気持ちになりながらも、心の中でそう呟くと、自分の側に居た兵士の顔面に拳を見舞い、殴り倒した。
そうして、ロナードとギベオンは、甲板の上に居る兵士たちと乱闘を開始し、向かってくる相手を次々に返り討ちにしていった。
『な、なんて奴等だ』
『たった二人で……』
仲間たちが、ロナードとギベオンに次々と熨されるのを見て、兵士たちはたじろぎ、そう呟く。
ネフライト皇太子を守っている兵士の殆どは、士官学校を出ただけの、実戦経験などほぼ無い貴族の子弟たちで、見掛けこそゴッツイが、実力はその辺のチンピラ以下だ。
(お許しください。 殿下。 お叱りは後でお受けします)
兵士たち相手に、派手に暴れまわる自分たちの様子を、茫然と見守っているセネトを見て、ギベオンは泣きたい気持ちになりながらも、心の中で謝る。
その時、辺りに乾いた音が響き渡り、ロナード達を捕えようとしていた兵士たちは勿論、その音を聞いたロナードとギベオンも、ピタリとその動きを止めた。
ネフライト皇太子が手にしている拳銃が、銃口を空に向け、紫煙を吐き出していた。
『いい加減にしろよ』
拳銃を手にしたネフライト皇太子は、苛立った口調でそう呟くと、その銃口を近くに居たセネトに向ける。
「殿下!」
「セネト!」
それを見て、ギベオンとロナードが揃って、焦りの表情を浮かべる。
『何をしている。 さっさと取り押さえろ』
ネフライト皇太子は、セネトに銃口を向けたまま、淡々とした口調で兵士たちにそう命じると、動きを止めていた兵士たちはハッとして、慌てて、近くに居たロナードとギベオンに襲い掛かり、数人掛りで二人を甲板の上にねじ伏せた。
『手荒な真似はしないで下さい! 兄上!』
ロナードとギベオンが、兵士たちに手荒くねじ伏せられたのを見て、セネトが焦りの表情を浮かべながら叫ぶ。
『先程から五月蠅いぞ。 お前』
ネフライト皇太子は、苛立った口調でそう言うと、銃の取っ手の角を思い切りセネトの頭部に向かって振り下ろした。
痛そうな鈍い音と共に、セネトが勢い良く甲板の上に倒れ込んだ。
『殿下!』
それを見て、側に居たカメリアが悲鳴に近い声を上げる。
ネフライト皇太子に殴られたセネトの頭部から、薄っすらと血が滲む。
『お前、最近、生意気だぞ』
ネフライト皇太子は、倒れているセネトの頭を片方の足で踏み付けながら、忌々し気に言う。
「セネト!」
それを見たロナードが思わず、頭を擡げて叫ぶが、ガッと彼の背の上に馬乗りになっていた兵士が思い切り、甲板の上に頭を押さえ付ける。
そこに、腰まである癖の無い美しい紫の長い髪、陶器の様な白く滑らかな肌、吸い込まれそうな程、美しい紫色の双眸を有した、年の頃は一八、九くらい、白いロープを着た、とても美しい小柄な娘が、拳銃を手にしているネフライト皇太子の隣に立つと、スッと彼の腕に手を回した。
『……何で……お前が……』
彼女の姿を見た瞬間、セネトはみるみる顔を青くし、表情を強張らせ、そう呟いた。
「リリアーヌ……」
それはロナードも一緒で、驚きと戸惑いに満ちた表情を浮かべ、彼女の事を見上げている。
「久しぶりですね。 ユリアス。 婚約式以来ですか?」
リリアーヌは、ネフライトの腕に手を回したまま、ニッコリと笑みを浮かべながら言った。
「どう……なっている? 何で……お前がここに……」
ロナードはすっかり動揺し、声を震わせながら呟く。
「貴方が婚約式を滅茶苦茶にして、失踪してしまった後は、本当に大変だったのですよ?」
リリアーヌは穏やかな口調で、動揺しているロナードに言ってから、
「でも、生きていると思って居ました」
ニッコリと笑みを浮かべ、そう付け加えると、ネフライト皇太子の腕から手を放し、兵士たちに甲板の上に押さえ付けられているロナードの前に静かに歩み寄ると、徐に彼の前に身を屈め、
「元気そうで何よりです。 ユリアス。 さあ、ルオンへ帰りましょう? 婚約式をやり直さなくては」
リリアーヌは満面の笑みを浮かべ、青ざめているロナードに優しく声を掛けた。
(最悪だ)
その様子を見て、セネトは背中から大量の冷や汗を流しながら、心の中で呟いた。
恐らく、腹違いの兄であるネフライト皇太子は、リリアーヌの『魅了眼』の力で、彼女に魅了されている状態なのだろう。
そうでなければ、プライドが高い彼が、リリアーヌが自分以外の男と婚約式をすると言われて、腹を立てる事も、不快さを露わにする事も無く、ただボンヤリと彼女の事を見て居られる訳がない。
今、自分たちはネフライト皇太子に処遇を握られている状態だが、そのネフライト皇太子を操っているのはリリアーヌだ。
彼女の機嫌を損ねれば、ネフライト皇太子は簡単に、自分たちの内の誰かの首を跳ねるように兵士たちに命じるだろう。
セネトの言葉に、ネフライト皇太子が耳を貸さない以上、下手な事は出来ない。
ロナードも同じ様に判断したのだろう。
とても苦々しい表情を浮かべながら、リリアーヌを睨み付けている。
「私の誘いを断れば、どう言う事になるのか分かっていて、そんな目をしているのでしょうか?」
リリアーヌは、ニッコリと笑みを浮かべながら、自分を睨み付けているロナードに言う。
「……この船の船員たちや俺の連れに、手を出さないでくれ」
ロナードは、悔しそうに唇を噛みしめてから、真剣な面持ちでリリアーヌに言うと、
「貴方が私の言う事に、素直に従ってくれさえすれば、此方の方々に危害を加えたりはしません」
リリアーヌはニッコリと笑みを浮かべたまま、優しい口調でロナードに言う。
(聖女と聞いていたが、とんでもない! 殿下たちを人質にして、ロナード様を脅すなど!)
リリアーヌの言動を見ていたギベオンは、苦々しい表情を浮かべながら、心の中で呟くと、ジロリとリリアーヌを睨み付ける。
『止せ』
ギベオンがリリアーヌを睨んでいる事に気付いたロナードは、帝国の言葉で彼を窘める。
『セネトたちの事を頼む』
自分の方を見ているギベオンに、ロナードは真剣な面持ちで言うと、
『分かっています』
ギベオンは、真剣な面持ちで答える。
「どう言う事だ? 厄介な事って……」
ルフトは、戸惑いの表情を浮かべながら、自分の窮地を救ってくれたルチルに問い掛ける。
ルチルは、険しい表情を浮かべながら、港の方を見ているので、ルフトは徐に目を向けると、どう言う訳かセネトが、ネフライト皇太子が持っている銃口を頭に突き付けられ、後ろ手にされた格好で真っ青な顔をして此方へ来ているのが見えた。
「皇太子殿下?」
何が起きているのか理解出来ないルフトは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
「誰? アイツ」
ルフト達と対峙していたカリンもそう言って、思わず手を止める。
「お探し物を届けに来たぞ」
ネフライト皇太子は、セネトの後頭部に銃口を突き付けたまま、彼等の突然の登場に戸惑っている、その場に居合わせた者たちに向かって静かに言う。
「探し物?」
ルフトがそう呟いていると、左右を兵士たちに挟まれる様な状態で、ロナードが静々と歩み出て来た。
「ユリアス?」
ロナードの登場に、シリウスが酷く焦った様子で呟く。
「捕まったのか……」
ルフトは、特大の溜息を付くと、呆れた表情を浮かべながら呟く。
大方、ネフライト皇太子が率いていた軍に、ロナードたちが乗っていた船が何らかの理由で拿捕され、彼等を尋問した結果、この島でイシュタル教会と自分たちが戦っていると知り、事態を収拾する為に、教会が探しているロナードを引き渡すと言う事になったのだろう。
しかし、どうもロナードの様子が変だ。
表情が虚ろで、足元もフラフラしている……。
「ユリアス!」
異変に気付いたシリウスが、慌てて彼の下へと駆け寄った次の瞬間、ロナードが目にも止まらぬ速さで、自分の腰に下げていた剣を引き抜くと、そのまま刃をシリウスに向かって振り下ろした。
「シリウス!」
それと同時に、ハニエルの張りつめた声が響き、間一髪のところで、彼の叫び声を聞いたシリウスは踏み止まり、ロナードが振り下ろした剣を避けた。
『シリウス逃げろ!』
セネトが、鬼気迫る表情を浮かべながら叫ぶ。
「ユリアスお前……操られているのか?」
シリウスは、ロナードの頬に薄っすらと銀色の蔦の様な模様がある事に気付き、戸惑いの表情を浮かべながら呟いた。
「兄……上……」
ロナードは掠れた声で呟くと、苦しそうに表情を歪め、両手で頭を抱えながら、フラフラと後ろへ二、三歩ほど後退りをすると、その場に膝から崩れ落ちそうになる。
「しっかりしろ!」
シリウスが咄嗟に、崩れ込んだロナードに手を伸ばして抱き止めると、焦りの表情を浮かべながら声を掛ける。
「にげ……て」
シリウスに抱き止められているロナードは、声を振り絞り、シリウスに言う。
彼の腕を握るその手の甲にも、銀色の蔦の様な模様が広がっていた。
(何でこんなに急に? 呪詛は爺様の両足を代償に、その影響を大きく削いだ筈だ)
ロナードの顔や手の甲などにある銀色の蔦の様な模様を見て、シリウスは焦りの表情を浮かべ、心の中で呟く。
何より前回、呪詛が体に広がった時とは様子が違う。
前は、ロナードは味覚や聴覚を喪失していっていた。
たが今回は、聴覚は正常な様だし、操られてはいるが、ボンヤリとだろうが意識はある。
「まだ、抵抗をするのですか?」
そう言ってネフライト皇太子たちの背後から姿を現したのは、リリアーヌだった。
「お前……」
彼女を見た瞬間、シリウスの表情が強張る。
「抵抗するから苦しいのだと、クリフも前に言っていたでしょう? 術に堕ちれば楽になれますよ」
リリアーヌは、酷く優しい口調でロナードに言うが、彼は両手で頭を抱えたまま、激しく首を左右に振る。
「貴様か。 私の弟にこんな真似をしたのは」
シリウスは、全身から殺意を漲らせ、ドスの利いた低い声でリリアーヌに言う。
「そう言う取引だったと言う事を忘れたのですか? ユリアス」
リリアーヌがそう言うと、彼女の背後から兵士たちが来て、それぞれ左右の脇に抱えていた何かを思い切り地面の上へ放り出した。
「ギベオン!」
地面に放り出されたモノを見た瞬間、ルチルの顔から一気に血の気が引き、悲鳴に近い声を上げる。
ギベオンは拷問を受けたのか、顔には殴られた跡があり、肩からは血を流し、着ていた衣服も至る所が裂け、逃げない様に足が折られているのか、奇妙な方向に曲がり、意識はなく、ただそこに死体の様に転がっていた。
「――ッ!」
ボロ雑巾の様な姿になったギベオンを見て、セネトはみるみる顔から血の気が失せ、声にならぬ声を出し、その場に崩れ込み、ロナードも真っ青な顔をして、酷く動揺した様子で、シリウスに抱き支えられているその体が小刻みに震えている。
「止めろ……」
ロナードは悲痛に満ちた表情を浮かべ、掠れた声でリリアーヌにそう懇願する。
「でしたら、自分が何をするべきか、分かるでしょう?」
リリアーヌは、とても残酷な笑みを浮かべ、淡々とした口調でロナードに言う。
「……い。 出来……ない……」
ロナードは、自分を抱き支えているシリウスの腕をギュッと握りしめ、苦しそうな表情を浮かべながら、声を震わせ、両目から涙を流しながら言う。
「やりなさい! 早く! さもないと、次はこの人を撃ちます!」
リリアーヌは、苛立った口調でロナードに言うと、セネトの背後に立っているネフライト皇太子が、リリアーヌの声に連動しているかの様に、ボロ雑巾の様になり、虫の息のギベオンを目の当たりにして、地面の上に崩れ落ち、悲痛に満ちた表情を浮かべ、泣いているセネトの後頭部に銃口を突き付ける。
それを見て、ロナードは苦々しい表情を浮かべ、グッと唇を噛みしめると、ドンと自分を抱き止めていたシリウスを両手で思い切り突き飛ばした。
シリウスは大きく後ろに、二、三歩程よろめくと、酷く驚いた顔をして、自分を突き飛ばしたロナードを見る。
「剣を……抜いて。 兄上」
ロナードは相変わらず、フラフラとした危なっかしい足取りながらも、シリウスにそう言うと、取り落としていた剣を拾い、素早く身構える。
「何を言って……」
シリウスは、戸惑いの表情を浮かべながら、ロナードに言う。
「剣を抜いて、俺と戦え!」
ロナードは身構えたまま、今度は周囲にもハッキリと聞き取れる程の大きな声で、シリウスに向かって叫ぶ。
「正気か?」
シリウスは、戸惑いの表情を浮かべながら、ロナードに問い掛ける。
「来ないのなら、俺から行くぞ!」
ロナードは、グッと剣を握りしめている手に力を込め、シリウスに言う。
「どうやらリリアーヌでは、僕が掛けた呪詛を完成させる事が、出来なかった様だね」
少し離れた場所から、ロナード達の様子を見ていたアイリッシュ伯は、静かにそう言った。
「どうするの? リリアに助太刀する?」
彼の隣に居たセネリオは、戸惑いの表情を浮かべながら問い掛ける。
「これはこれで、面白いから暫く見て居ましょう」
アイリッシュ伯は、落ち着いた口調でそう言うと、ニッコリと笑みを浮かべる。
「何で、受け流してばかりなんだ!」
ロナードは、怒りに満ちた表情を浮かべ、シリウスに強い口調で言いながらも剣を振るう。
「無茶を言うな!」
シリウスは困惑した表情を浮かべながら、ロナードにそう言い返すと、彼の攻撃を大剣で受け流す。
「死にたいのか!」
ロナードは半歩ほど後ろに下がり、シリウスとの間合いを取りながら、素早く身構えつつ、息を整えながら、真剣な面持ちで言う。
「泣いている奴が、何を言っている」
シリウスは、苦笑いを浮かべながら言い返す。
「俺が?」
シリウスの指摘に、ロナードは戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
ロナードは、シリウスに向かって剣を振るっていてはいるが、その動きに冴えはなく、一撃の重みも無い。
シリウスならば簡単にいなして、反撃出来るようなものだった。
そして、シリウスの言う通り、ロナードの顔は半泣きの状態で剣を振るっていた。
(ある意味、その泣き顔が一番の凶器だ)
苦々しい表情を浮かべながら、心の中で呟くシリウスの脳裏に、幼い頃の光景が蘇る……。
何処からか、小さな子供が啜り泣く声が聞こえて来た。
幼いシリウスは、眠っていたベッドから身を起こし、声がする方へ目を向ける。
直ぐ隣のベッドで眠っていた筈の幼い弟が、何故か泣いていた。
「どうした?」
シリウスはベッドから降り、泣いている弟の下へ歩み寄ると、優しく声を掛ける。
「にーしゃま!」
弟は側に来たシリウスに、思い切りしがみ付いて来た。
「怖いよぅ」
幼い弟は、ギューッとシリウスの背中に両腕を回し、泣きながらそう言って来た。
どうやら、怖い夢でも見て目が覚め、周りが暗かったので、怖くて泣いていた様だ。
「大丈夫だよ」
幼いシリウスはそう言うと、母親譲りの黒髪を有する、弟の頭を優しく撫でる。
怯えている幼い弟にそう言っても、母親と同じ、磨き抜かれたアメジストの様な綺麗な双眸から、ポロポロと大粒の涙が流れる。
その時の弟の顔と、今のロナードは同じ顔をして居た……。
「反撃しろ!」
ロナードは表情を険しくし、鋭くシリウスに斬り込む。
「馬鹿を言うな! 今のお前にそんな事をしてみろ! 大怪我をするぞ!」
シリウスは、ロナードの一撃を大剣で受け流しながら、真剣な面持ちでロナードに怒鳴り返す。
その様子をアイリッシュ伯は、少し離れた場所から面白そうに見守って居るが、リリアーヌは苛立った様子だ。
他の者たちも、手を出して良いのか戸惑っている。
「貴方と言う人は!」
ハニエルは表情を険しくし、リリアーヌに向かって水の魔術で氷の弾丸を繰り出す。
だが次の瞬間、ロナードがシリウスの土手っ腹を勢い良く蹴ると、彼が後ろにのけ反ったその隙に、振り向きざまに、ハニエルに向かってロナードは炎の魔術を繰り出す。
ハニエルはとっさに、リリアーヌに向かって繰り出そうとした水の魔術をロナードに向けた。
双方の魔術が相殺されて水蒸気を上げ、相殺された衝撃でハニエルが後ろに弾かれる。
「ハニエル!」
ロナードは思わず悲鳴に近い声を上げるが、その体は、弾かれて倒れて居るハニエルに、切り込もうとしている。
「させるか!」
シリウスがとっさに叫び、大剣を後ろからロナードに振り下ろすが、ロナードはシリウスに背を向けたまま、身を屈めて素早く避ける。
ロナードは、その瞬発力を生かし、あっという間にハニエルに詰め寄る。
「ハニエル逃げろ!」
シリウスは、思わず叫ぶ。
ハニエルは慌てて、立ち上がって逃げようとするが、それよりも早く、ロナードが剣を振りかぶる。
ハニエルはとっさに、片手で顔を覆う様にしながら、避けようとして後ろに倒れ込んだ。
灼熱の太陽の光を受け、ロナードが振り下ろす剣が、無慈悲な光を放ち、ハニエルに振り下ろされる。
誰もが、駄目かと思った次の瞬間……。
「え……」
ハニエルを助けようと、ロナードの前に間に割って入ろうとしていたナルルは、思わず、驚愕の表情を浮かべて立ち尽くす……。
ロナードは、ハニエルに切り付けるほんの僅かな瞬間、刃先を自分の方へ返し、自分の体に突き立てた。
ロナードは、右の脇腹付近に剣を突き刺したまま、その場に倒れ込んだ。
「いやあぁぁぁっ!」
それを見たリリアーヌが、顔面蒼白になって悲鳴を上げる。
「ユリアス!」
それを見たシリウスは、持っていた大剣を放り出し、目の前で血を流しながら、地面の上に力なく崩れ落ちるロナードの側へ駆け寄る。
「ぐっ……ハニエルは……?」
ロナードは、苦しそうに呼吸を繰り返しながらも、ハニエルが無事かどうかを問い掛ける。
「私は大丈夫です」
ハニエルはロナードの下に慌てて駆け寄ると、自分の胸元に片手を添え、真剣な面持ちで答えると、その声を聞いて、ロナードは安堵の表情を浮かべる。
「何故、こんな事を!」
シリウスは怒りに満ちた表情を浮かべ、強い口調でそう言うと、ロナードを抱き起しながら、彼の脇腹に突き刺さった剣を引き抜くと、夥しい量の血が溢れ出す……。
遠くでその様子を見て居たリリアーヌは、顔を青くして、自分の口元に両手を添えたまま言葉を失い、呆然と立ち尽くして居る。
彼女の近くに居たセネトも、何が起きたのか理解出来ず、ロナードを凝視したまま、その場に固まってしまっている。
「御免なさい……。 こうするしか……思い付かなくて……」
ロナードは顔面蒼白で、シリウスに上半身を抱き抱えられたまま、傷口に手を添え、苦笑い混じりに息を切らせながら言った。
ロナードの脇腹から、みるみる血が広がり、彼の傷口を片手で塞いでいたシリウスの手もあっという間に真っ赤に染まる。
「喋らないで下さい!」
ハニエルはそう言うと、慌てて、光の魔術でロナードの傷の治癒を始める。
「リリア! 何してるんだ!」
その様子を遠くから見ていたセネリオが、鬼気迫る表情を浮かべて、自分から離れた場所に居たリリアーヌに向かって叫ぶ。
「あ……」
茫然としていたリリアーヌは、セネリオが自分を呼ぶ声を聞いて、弾かれた様にハッとすると、
「ユリアスっ!。」
リリアーヌは慌てふためき、そう叫びながらロナードの下へと駆け出すが、彼女の前に険しい面持ちのルチルとルフトが立ち塞がる。
「その前に、ギベオンを助けなさい」
ルチルは、表情を険しくしたまま、唸る様な声でリリアーヌに凄む。
「ってか、何をするか分からない君を、彼等に近付ける訳が無いでしょ?」
ルフトも、持っている杖を身構えながら、表情を険しくしたまま、淡々とした口調で言う。
二人がリリアーヌにそう言っている間にも、ロナードは力無く仰向けになったまま、苦しそうに呼吸を繰り返している。
その顔は、完全に血の気が失せて蒼白で、目も酷く虚ろで、意識が朦朧としている様だ。
「気をしっかり持て下さい!」
側に居るハニエルが表情を険しくして、ロナードに声を掛ける。
それを見て、アイリッシュ伯は悔しそうに舌打ちし、身を翻す。
「え? 良いの?」
それを見たセネリオが、ロナードとアイリッシュ伯を見比べながら、戸惑いの表情を浮かべ、アイリッシュ伯に問い掛ける。
「とんだ計算違いです。 こんな筈では無かったのですが……」
アイリッシュ伯は背中越しに、淡々とした口調で返す。
「貴様っ! このまま生きて帰られると思って居るのか!」
大剣を手に怒りの形相シリウスが、アイリッシュ伯たちに詰め寄りながら、ドスの利いた低い声で言う。
「僕等に構うよりも、ユリアスを心配したらどうですか?」
アイリッシュ伯が、淡々とした口調でそう言うと、シリウスはギュッと、大剣の柄を握り直し、
「貴様達だけは、許さん!」
そう言って、シリウスがアイリッシュ伯に向かって、勢い良く大剣を振り下ろそうとした次の瞬間、金属同士がぶつかり合う音が響く。
いつの間にか、ランがアイリッシュ伯とシリウスの間に割って入り、シリウスの一撃を、槍で受け止めていた。
「邪魔をするな!」
シリウスは、怒りに満ちた表情を浮かべながら、ランに向かって怒鳴る。
「伯爵。 はよ行きや。 術を使えん魔術師なんて、居ても邪魔になるだけやから」
ランは、淡々とした口調で、シリウスと対峙したまま、アイリッシュ伯に背中越しに言った。
「済みませんね」
アイリッシュ伯はそう言うと、遠慮なく、身を翻して逃げ出そうとするので、
「待て!」
シリウスは慌てて、アイリッシュ伯を追い駆けようとするが、その前に槍を手にしているランが立ち塞がる。
「退け!」
シリウスは、苛立った様子で、ランに向かって怒鳴る。
「アンタこそ深追いしとる場合やないやろ? 早よぅちゃんとした所で手当てせんと、ユリアスが死ぬで」
ランは、落ち着いた口調で、シリウスに言い返す。
シリウスは一瞬、ロナードの方へと目を向ける。
その隙をついて、近くに居たイシュタル教会の兵士が、持って居た掌くらいの大きさの黒い球に火を付け、地面に投げつけると、その黒い球から勢い良く、目晦ましの煙が出て来た。
「くそっ……」
シリウスは、その煙を吸い込んでしまい、思いっきり咳込みながら、アイリッシュ伯の姿を探すが、濃い煙に阻まれて、見失ってしまった。
『伯爵さま!』
煙が晴れた頃、ナルルが表情を険しくして、シリウスの下に駆け寄って来た。
『大丈夫?』
ナルルは心配そうに、シリウスに声を掛ける。
『大丈夫だ。 それより、ユリアスの方はどうだ?』
シリウスはナルルにそう言いながら、大剣を背負う。
『血は止まったみたい。 でも……何とも言えないゾ』
ナルルは、複雑な表情を浮かべながら言うと、シリウスは拳を強く握りしめ、表情を歪め、悔しそうに唇を噛む。
ロナードはそれから丸一日、生死の境を彷徨い、意識を取り戻したのは、二日後だった。
「とっさの判断とは言え、無茶な事をする。 死ぬ気だったのか?」
シリウスは呆れた表情を浮かべ、一命を取り留め、ベッドの上に横たわっている、ロナードに言った。
「済まない……。 でも、仲間の誰かを傷付けるくらいならば、死んだ方がマシだと思ったんだ」
ロナードは、複雑な表情を浮かべながら言った。
「その気持ちは分らなくもないが、それでも褒められる事では無い。 皆、どれほど心配したのか、分って居るのか?」
シリウスは表情を険しくし、ロナードを叱り付ける様に言うと、近くに居たセネトやハニエルもウンウンと頷く。
「御免……」
ロナードは沈痛な表情を浮かべ、一同を見回して言った。
「こんな馬鹿な真似、二度とするな!」
セネトが不愉快さを顕わにして、口調を強めてロナードに言った。
「分った。 でも、もしまたクリフたちに操られ、誰かを傷付けそうになった時は……」
ロナードは、沈痛な表情を浮かべながら言ってから、徐に側に居たシリウスを見る。
「ふざけるな。 私を弟殺しの大罪人にするつもりか?」
シリウスは、表情を険しくし、唸る様な声で言い返すと、ロナードは叱られた犬の様にシュンとなる。
「ホント。 アンタがこんな馬鹿だとは、思わなかったわ」
ルチルは、呆れた表情を浮かべながら、溜め息混じりにロナードに言うと、ルフトも頷いている。
「自分がどうなろうと、言う事を聞いては駄目だと、言った筈ですが」
ロナードの隣のベッドの上で、顔に湿布、肩などに包帯を巻いたギベオンが、怒った様な口調でロナードに言う。
「済まない……。 アンタが痛めつけられているのを見て、助けなければと、思ってしまったんだ」
ロナードは、済まなそうな表情を浮かべ、ギベオンに言う。
「相手は、それが狙いなのですから、従っては駄目ですよ」
ギベオンは、呆れた表情を浮かべながら、落ち込んでいるロナードに言う。
「頭では、分かっているんだが……」
ロナードは、複雑な表情を浮かべながら答える。
「全く……。 貴方は優し過ぎます。 時には非情な選択をするという事を覚えた方が良いですよ」
ギベオンは、特大の溜息を付いてから、落ち着いた口調でロナードに言った。
「まあ、その優しさのお陰で、お前の命があるのだから、そう責めるな」
セネトは、苦笑いを浮かべながら、ギベオンにそう言うと、彼は物凄く不満そうな表情を浮かべ、何やら言いた気な様子であったが、そのまま口を噤んだ。
「ところで、イシュタル教会やネフライト皇太子たちは、どうなった?」
ロナードは、真剣な面持ちでシリウスたちに問い掛ける。
「教会は、今お前を回収するのは難しいと思ったのか、島から離れて行った。 まあ、時間が経てば手段を変えて接触を試みて来るだろうが」
セネトは、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で答える。
「ネフライト皇太子殿下たちの方は、近くにある、別の帝国海軍の基地に引き上げました。 リリアーヌさんも一緒の様でしたので、油断は出来ません」
ハニエルは、神妙な面持ちでロナードに説明する。
「……」
話を聞いたロナードは、複雑な表情を浮かべ、押し黙る。
「どうにかして、リリアーヌって女を、ネフライト皇太子から引き剥がさないと、帝国本土に着いてからも、付き纏われる事になるわよ」
ルチルは、自分の胸の前に両腕を組み、淡々とした口調で言う。
「大体、何でネフライト皇太子は、あの女の言いなりになっているんだ?」
ルフトは不思議そうに言うと、
「リリアーヌさんは、『魅了眼』と呼ばれる、相手を魅了する力を持った瞳を持っているのです。 その効力の程は個人差がありますが、大抵、彼女よりも魔力が無い相手には、かなりの効果を発揮する様です」
ハニエルは、落ち着いた口調で、リリアーヌの事について説明する。
「それって、どのくらいの時間?」
ルチルは、自分の胸元に両腕を組んだまま、真剣な面持ちでハニエルに問う。
「さあ……。 私たちの中で、彼女の力を真面に受けた人は居ないので……」
ハニエルが、困った様に言うと、
「いや、コイツ、操られていただろう!」
ルフトは、ロナードを指差しながら言うと、
「ロナードが操られていたのは、彼女の瞳の力ではなく、呪いの所為だと思います」
ハニエルは、落ち着き払った口調で返すと、ロナードも頷き返し、
「多少の干渉は受けたが、操られる程では無かった。 俺には、彼女の力は通用しない事は、既に証明済みだからな」
「何らかの方法で、瞳の力を強化してきた様だが、ロナードには大して効果が無かった様だ」
セネトも、落ち着いた口調で指摘する。
「お前たち、さっきサラッと『呪い』とか言っていたが、何の話だ?」
ルフトは、戸惑いの表情を浮かべながら、ハニエルたちに問い掛ける。
「おや。 まだ話していませんでしたかね?」
ハニエルは、キョトンとした表情を浮かべながら言うと、
「聞いて無いわ」
ルチルは、自分の胸の前に腕を組んだまま、淡々とした口調で言う。
ハニエルは、苦笑いを浮かべると、ルチルたちにロナードの呪いの事について、簡潔に説明をする。
「成程。 そのアイリッシュ伯っていう、ユリアスの嘗ての師匠が、とんでもないクズ野郎だと言う事は、良く分かった」
ルフトは、幼かったロナードに対して、『隷属』の呪いを掛けたアイリッシュ伯に対し、強い憤りを覚えた様で、怒りに満ちた表情を浮かべながら言う。
「貴方も良く、今の今まで耐えて居られたわね?」
ルチルは、何とも言えない、複雑な表情を浮かべながら、ロナードに言う。
「単純に、アイリッシュ伯の魔力が、ロナードの魔力よりも下回っていたから、術の進行が遅かったのだろう」
セネトが、落ち着いた口調で返すと、
「だとしても……何とも無い訳が無い」
ルフトは、沈痛な表情を浮かべながら言うと、ガッとベッドの上に横になっているロナードの腕を掴み、
「僕は、呪詛なんて掛けられた事が無いから、その辛さを分かってやれないが、ここまで良く、一人で耐えたな。 もう心配要らないぞ。 この僕が助けてやるからな!」
すっかりロナードに同情してしまった様で、涙を浮かべながら、真剣な面持ちで言う。
「あ、有難う……?」
ルフトの自分に対する態度の変り様に、ロナードはドン引きしながらも、顔を引きつらせながら、そう返すと笑みを浮かべる。
「今度、アイツ等に会ったら、私が、ギッタギッタのボッコボコにしてやるから!」
ルチルも、ロナードの側に来て身を屈めると、彼の腕を握っているルフトの手の上から、両手を重ねると、物凄く真剣な顔をして、戸惑っているロナードに言う。
「えっ……あ、はあ……どうも」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら、ルチルに気の抜けた返事を返す。
(え。 なに。 この状況……)
二人の様子を見て、ロナードはドン引きしながら、心の中でそう呟いた。
「まあ、お前たちがアイツ等をどうにかする前に、僕たちがボコボコにしているけどな」
セネトが、淡々とした口調でそう言うと、シリウスとハニエルが、真剣な面持ちで頷く。
「じゃあ、私たちがもう一回、殺してやるわ」
ルチルが真顔でそう言うと、ルフトも真剣な面持ちで頷くと、
「そうだとも! 一回死ぬ程度では生温い!」
(は? もう一回殺すって、どうやってだよ……。 いや、それ以前に普通に言っている事がヤバイだろ。 コイツ等)
彼等のやり取りを聞いて、ロナードはドン引きしながら、心の中でそう呟く。
「その辺にしないと、ロナード様がドン引きしてしまっていますよ。 ルチル。 ルフトさま」
ロナードの様子を見て、ギベオンが苦笑いを浮かべながら二人に言う。
「大丈夫。 ボクが全員纏めて、生きたままバラバラに引き千切って、鮫の餌にしてやるゾ」
ナルルが、両手を組んで、指をボキボキといわせながら、不敵な笑みを浮かべながら言った。
(お前が一番、言っている事が怖いぞ)
ナルルの言葉を聞いて、ロナードは顔を青くしながら、心の中で呟いた。
「皆さん、頼もしい限りですね」
ハニエルが、ニッコリと笑みを浮かべながら言う。
(いや、そんな良い笑顔をしながら言う様な事を、コイツ等誰一人、言ってないだろ!)
ロナードは思わず、ハニエルに対し、心の中で突っ込んだ。