誤解と婚約
主な登場人物
ロナード(ユリアス)…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指している。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト…エレンツ帝国の皇子。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしている。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な可愛らしい少年。
シリウス…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
ティティス…セネトの腹違いの妹。 とても傲慢で自分勝手な性格。 家族内で立場の弱いセネトの事を見下している。 十七歳。
カメリア…トロイア王国に拠点を構える、宝石の採掘、加工、販売を手広く手掛ける、女性実業家で大富豪。 トスカナの取引相手。 三十歳
ルチル…帝国の第三騎士団の隊長を務めている女性。 セネトと幼馴染。 今はティティスの護衛の任に就いている。 二十歳。
ギベオン…セネト専属の護衛騎士。 温和で生真面目な性格の青年。 二十五歳。
ルフト…宮廷魔術師長サリアを母に持ち、魔術師の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟に当たる。 二十歳。
ナルル…サリアを主とし、彼女とその家族を守っている『獅子族』と人間の混血児。 とても社交的な性格をしている。
ロナードに、カメリアが所有する船に無断で乗り込んでいた事が見付かった、セネトの妹のティティスとそのメイドは、真昼の厳しい日差しが照り付ける甲板の上を、デッキブラシを使って磨いていた。
「おい。 もっと力を入れて磨け! 全く落ちてねぇじゃねぇか!」
厳つい顔をした、大柄な男がへっぴり腰で甲板を磨いているティティスに向かって怒鳴り付ける。
「こんな事を何故、私がしなくてはならなくて? 貴方たちがなされば良いでしょう!」
ティティスは、不満に満ちた表情を浮かべ、口を尖らせながら、強い口調で言い返す。
「オメェ。 おれ達の町で何をやらかしたのか、もう忘れたのか? 思い出す様に、もう一度船首から吊るしてやろうか?」
厳つい顔をした、大柄な船員は、ジロリと彼女を睨み付け、唸る様な低い声でそう凄むと、ティティスは思わず怯む。
そこへ、愛人たちを数人連れ、カメリアがやって来るのが見えたので、ティティスは思わず彼女の方へと駆け寄り、
「もう十分でしょう? こんな所に居たら私、暑さで干乾びてしまいますわ!」
真剣な面持ちで、そう訴えた。
「少しは、綺麗になったの?」
カメリアは徐に、ティティスの側に居た厳つい顔をした、大柄な男に問い掛ける。
「いいえ。 全く」
彼は、特大の溜息を付いてから、カメリアにそう返すと、
「なっ……! 私はちゃんと磨きましたわ!」
ティティスはカチンと来て、彼の方へ振り返ると、強い口調でそう抗議する。
「掃除ってのは、綺麗にならなきゃ何の意味もねぇんだよ。 ぐだくだ言ってる暇があるなら、腕だけじゃなく腰を入れて、全身を使って力を込めて磨きな」
厳つい顔をした、大柄な男はジロリとティティスを睨み付けると、ドスの利いた低い声で言い返す。
「うふふふ。 姫様には重労働の様ね?」
カメリアは、かなり疲れている様子のティティスを見て、嫌味たっぷりに言うと、彼女と一緒に居た愛人たちが、クスクスと笑う。
「さあ姫様。 甲板をしっかり磨いて、ピカピカにして下さいね」
カメリアは、意地悪く笑みを浮かべながら言うと、
「覚えてなさい! 帝国本土に着いたら、貴方たちは全員、私に対する不敬罪で処刑よ!」
ティティスは、忌々し気にカメリアを睨み付け、彼女にそう怒鳴り付ける。
「罰を受けるのは、私たちではなく貴女の方ですわ。 貴女が私の町でした事は既に、本土の寺院に伝えらました。 貴女は本土に到着し次第、重大な罪を犯した者として、寺院に連行され、裁判を受ける事になるでしょう」
カメリアは、落ち着き払った口調で、憤っているティティスに言う。
「そんな事、お父様に言って取り消して頂くわ!」
ティティスは、勝ち誇った様な笑みを浮かべながら、カメリアに言うと、彼女は苦笑いを浮かべながら、
「寺院が決めた事に、幾ら皇帝陛下であろうとも、正当な理由なくして、取り消す事など出来ません。 貴女が無実であるのなら兎も角、貴方自身、既に自分が町の結界を壊すよう、メイドに命じたと、そう供述した事をセレンディーネ様をはじめ、多くの人達が聞いています。 裁判は逃れられないと思いますよ」
落ち着いた口調で言うと、ティティスはワナワナと怒りで身を震わせる。
「お母様に言って、お前の商会から何を買わない様に言ってやるわ!」
ティティスは、悔しそうに表情を歪めながら、カメリアに言うと、
「その様な事をなさらずとも、此方から願い下げです。 今後、私の商会と商会の傘下の商人、私共と取引のある商人たちは一切、あなた方親子に商品を売りませんので、ご安心下さい」
カメリアは、ニッコリと笑みを浮かべ、落ち着いた口調で返した。
「こんな商会、潰してやるわ!」
ティティスは懲りずに、カメリアに言い返す。
「どうぞ。 ご自由に」
カメリアは、不敵な笑みを浮かべながら、ティティスにそう言い返すと、愛人たちを連れてその場から立ち去って行く。
西へ進んで数日後、ロナードたちはカメリアの商船の水や食料の補給と、この地域で売買する商品の荷下ろしの為、南部の港に到着していた。
『珍しいわね。 検問かしら?』
甲板の上から港に兵士たちが集まり、これから船から降りようとしている船員や乗客たちを一人ずつチェックしているのを見て、カメリアはそう呟いた。
『何か、あったのでしょうか……』
ハニエルも、戸惑いの表情を浮かべながら言っていると、数人の兵士たちが船に駆け寄って来て、
『そこの船! 乗っている者は全員、今直ぐ船から降りろ!』
その中の一人が、大声で叫んで来た。
『何の騒ぎだ?』
部屋から出て来たシリウスが、戸惑いの表情を浮かべながら、カメリアたちにそう問い掛けると、
『これに乗ってたのかレオン! セレンディーネ様を何処へやった?』
深い緑色の双眸に、濃い灰色の髪を後ろで一つに束ねた、年の頃は二十歳くらい、日焼けなど無縁そうな薄い赤銅色、中肉中背の銀縁の眼鏡を掛けた、黒いローブに身を包んだ青年が、表情を険しくして、そう怒鳴って来た。
『ルフト様? 何故ここに?』
彼の姿を見るなり、ハニエルは戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
『? 船内に居るが?』
シリウスは、ルフトが何故そんなに怒っているのか、理解出来ないと言った様子で、そう答えた。
『お前、セレンディーネ様を拐なんて、何を考えているんだ!』
ルフトは、険しい表情を浮かべたまま、強い口調で言う。
『ちょっと待て。 お前は何か誤解している』
シリウスは、『意味不明』という様な顔をして、ルフトに言い返す。
『五月蠅いゾ!』
燃える様な赤い髪を後ろでポニーテールにした、褐色の肌に、緑色の大きな瞳が特徴的な、見るからに活発そうな、フード付の白い外套を着た、年の頃は一〇代前半の小柄な少女が、苛立った様な口調で怒鳴り返して来た。
『今直ぐ、セレンディーネ様を此方へ渡して下さい!』
そう言いながら、黒色の短髪、目尻が少し釣り上がった切れ長の琥珀色の双眸、長身で如何にも騎士と言った風体でガッチリとした体付き、年の頃は二十代半ばと思われる黒い軍服の上から青いマントを羽織り、黒色の鎧に身を包んだ青年が叫ぶと、物凄い勢いで甲板へ駆け上がって来た。
『待て下さい! 此方の話を聞いて……』
ハニエルは戸惑いの表情を浮かべ、その青年に向かって言うが、
『問答無用! 賊の言う事など聞くだけ時間の無駄です!』
その青年そう言うと、タンと勢い良く地面を蹴り、ハニエルに向かって剣を振り下ろして来た。
『待てと言っている!』
シリウスは、ハニエルに振り下ろされようとした剣を、自分が持っていた大剣で受け止めながら、苛立った口調で、その青年に向かって言うが、
『黙れ!』
その青年はそう叫ぶと、素早くシリウスとの間合いを取る。
『カメリアさん。 中に居て下さい』
ハニエルは、少し遅れて乗り込んで来た兵士たちの動きに注意しつつ、近くに居たカメリアに言うと、彼女は焦りの表情を浮かべつつも頷き返し、急いで船内へと避難する為に駆け出した。
『ハニエル!』
ふと、カメリアは、何かに気が付いた様な表情を浮かべ、思わず声を上げる。
彼女の叫び声を聞いて、ハニエルはハッとした表情を浮かべ振り返ると、何者かが繰り出した岩の礫が直ぐ目の前に迫っていた。
「っ!」
ハニエルはとっさに両腕で自分の身を庇いつつも、両目を閉じ、礫を浴びる覚悟をした瞬間、ゴオッと言う音が直ぐ側でした。
ハニエルが恐る恐る目を開くと、ロナードが間一髪の所で、ハニエルとの間に風の魔術を繰り出し、彼に向かって来た岩の礫を相殺した。
『へぇ。 なかなかやるな。 お前』
ハニエルに石の礫を見舞おうとした、ルフトが不敵な笑みを浮かべながらも、少し苛立った様な口調でロナードに言った。
「ロナード!」
ロナードの登場に、カメリアはホッとした表情を浮かべる。
「早く中に」
ロナードは、カメリアを背で庇う様にしてルフト達の前に対峙しながら、落ち着いた口調でカメリアにそう言うと、船内へと促す。
『随分と綺麗な顔をしているけれど……お前、男だよな?』
ルフトは、不敵な笑みを浮かべながら、挑発する様にロナードに問い掛けるが、彼はあまり帝国の言語が理解出来ないので、無言で身構える。
『つれないな。 可愛い子ちゃん』
ルフトは、意地の悪い表情を浮かべ、更にそう言ってロナードを挑発する。
『ロナードが、帝国の言葉を良く分からなくて良かったですね。 ルフト様。 理解出来ていたら今頃、貴方の首と頭がお別れしていますよ』
ハニエルは、苦笑いを浮かべながら、ロナードを挑発するルフトに言った。
『成程。 皇女様を騙して、帝国外に売り飛ばそうとしていたんだな!』
ルフトはニヤリと笑みを浮かべ、確信した様な口調でハニエルに言う。
『……皇女殿下を連れて、帝国へ戻っている途中だったのですが』
ハニエルは苦笑いを浮かべつつ、ルフトに言う。
『嘘を付け! だったら何故、一緒に居ないんだ!』
ルフトは表情を険しくし、強い口調で言う。
『船内に居ると、先程シリウスが言いましたよ。 お呼びしましょうか?』
ハニエルは、ルフトに話が通じない事に、やや苛立ちを覚えつつ、苦笑混じりに言う。
『そう言って、僕の油断を誘う魂胆だろう! そうはいかないぞ!』
ルフトは表情を険しくし、強い口調でハニエルに言うと、再び魔術で岩の礫を繰り出し、それを彼に見舞おうとする。
「俺に防がれた事を、もう忘れたか!」
ロナードはそう叫ぶと、素早くハニエルの前に分厚い空気の壁を作り、至近距離からハニエルに目掛けてとんで来た岩の礫を弾く。
『なっ……』
ルフトは、自分が繰り出した岩の礫が先であったにも拘らず、ロナードが術の詠唱も無しに、空気の壁を作り出して防いでしまった事に驚く。
(……コイツ……何なんだ)
ルフトは、ロナードから放たれる、自分とは比較にならない程の強い魔力を感じ、背中が寒くなる感覚に見舞われ、表情を引き攣らせながら、心の中で呟いた。
『小公爵さま!』
『お下がり下さい!』
ルフトの分が悪いと思ったのか、一緒に居た兵士たちかそう言うと、武器を手に彼を庇う様にしてロナードの前へと歩み出る。
『お前の相手は我々だ』
『バラしてやんよ。 魔法使い!』
『流石に三人同時は無理だろ?』
ルフトの代わりに、ロナードの前に出て来た兵士はそう言うと、一斉にロナードに襲い掛かる。
「面倒な……」
ロナードは面倒臭そうな顔をして呟くと、腰に下げていた剣を素早く抜き、三方から次々と繰り出されてくる剣を受け流す。
「危ないロナード!」
船内の扉の側で様子を見ていたカメリアが、ロナードと対峙して居た兵士たちの背後に控えていたルフトが魔術を詠唱しているのを見て思わず、彼に向かって叫んだ。
彼女の叫び声を聞き、危険を察したロナードは、とっさに後ろに飛び退く。
そして、数秒遅れてルフトの繰り出した、無数の炎の玉を避けつつ、その幾つかを素早く剣で叩き落とした。
『避けたか。 でも、次はそうはいかないぞ!』
ルフトは、不敵な笑みを浮かべ、ロナードに言うと、再び無数の炎の玉を繰り出す。
(コイツ、何気に五月蠅いな!)
ロナードは、軽い苛立ちを覚えつつ、心の中で呟き、兵士たちからの攻撃を避けて居ると、先程と同様、熱気を側面から感じた。
「五月蠅いな!」
ロナードは苛立った口調で叫ぶと、彼の足元から勢い良く鎌鼬が巻き起こり、飛んで来た炎を弾き飛ばす。
『はあ? そんなのありか!』
それを見たルフトは、あまりの事に目を丸くし、思わず声を上げる。
ロナードの足元から何の前触れも無く、鎌鼬が巻き起こったので、切り掛ろうとして居た兵士たちは怯み、慌ててその場に踏み止まる。
(大体、コイツ等は何なんだ)
ロナードは、相手との距離を取り、その動きに注意をしつつ、心の中で呟く。
『お前、本当に何なんだ!』
ルフトは苛立った様な口調で、ロナードに向かって呟いてから、
『面倒臭そうなコイツを先に潰すぞ!』
彼は、近くに居た魔術師たちに向かって叫ぶ。
その後も、魔術が使えるルフトと魔術師たちの援護を受けつつ、彼の連れの兵士たちが、入れ代わり立ち代わり、ロナードに向かって来るが、ロナードはルフト達からの魔術を防ぎつつ、自分に向かって来る兵士たちの攻撃を避ける。
(本当に五月蠅いな!)
ロナードは心の中で呟くと、何やら小声で口走ると、彼の足元から突然、緑色の光を放つ魔法陣が浮かび上がり、背中に蜻蛉の羽を生やした幼女の姿を象った、全身が緑色の掌程の大きさの生き物が次々と飛び出し、甘い香りを漂わせ、ロナード達を攻撃して来た兵士たちの下へ向かって行くと、彼等は強烈な眠気に見舞われ、その場にバタバタ倒れて行く……。
『くそっ! 何だよコレっ!』
兵士たちは、自分に纏わり付いて来るそれを、両手で払いながら、苛立った口調で叫ぶ。
それには、ルフトもたじろぐ。
『あれはシルフ……。 成程。 召喚師か。 珍しいな』
ロナードが召喚したシルフを見た、如何にも騎士と言った風体の黒髪の青年は、淡々とした口調でそう呟いていると、
『何処を見ている! お前の相手は私だぞ!』
シリウスはそう言うと、振り上げた大剣を如何にも騎士と言った風体の黒髪の青年に向かって思い切り振り下ろすが、彼はそれを軽々と避けた。
そして次の瞬間、何時の間に詰め寄って居たのか、燃える様な赤い髪の少女が、シリウスの横っ面を思い切り殴り飛ばした。
意表を突かれたシリウスはそのまま、勢い良く横へ吹っ飛ばされる。
「シリウス!」
それを見たロナードとハニエルが焦りの表情を浮かべ、ロナードは咄嗟に如何にも騎士と言った風体の黒髪の青年に向かって風の魔術を繰り出すが、彼は軽々と剣でそれを弾き飛ばしてしまった。
「なっ……」
シリウスの下へ駆け付けようとしたロナードは、それを見て慌てて足を止めると、如何にも騎士と言った風体の黒髪の青年から、投げナイフが飛んで来たので、彼は持っていた剣でそれ等を叩き落とす。
だが、投げナイフに気を取られていた僅かな瞬間、さっきシリウスを殴り飛ばした、燃えるような赤い髪の少女が、自分に肉薄している事に気付き、ロナードは驚き、焦る。
『おネムの時間だゾ』
燃える様な赤い髪の少女はそう言うと、ロナードに向かって思い切り繰り出した。
「くっ!」
ロナードは後ろに少し引きながらも、持っていた剣で受け止めようとした次の瞬間、燃えるような赤い髪の少女はニヤリと笑みを浮かべ、ロナードの鳩尾を目掛けて思い切り蹴りを繰り出した。
「ぐふっ!」
鳩尾に蹴りをまともに食らったロナードは、短く呻き声を上げ、そのまま勢い良く後ろに吹っ飛び、遥か後方にあった壁に激突した。
ロナードはそのまま、力なくズルズルとその場に崩れ落ち、項垂れた格好のまま、ピクリとも動かなくなった。
「ロナード!」
それを見て、ハニエルとカメリアが思わず声を上げ、彼の下へと駆け出した。
「ロナード! しっかりして!」
カメリアはロナードの側に身を屈め甲板の上に両膝を付けると、項垂れたままピクリともしない彼の肩を掴み、何度も体を揺らしながら、焦りの表情を浮かべて声を掛ける。
「カメリアさん!」
後から来ていたハニエルが、カメリアの背後に燃える様な赤い髪の少女が立って居る事に気付き、思わず声を上げる。
ハニエルの声を聞いて、カメリアはハッとした表情を浮かべ、自分の背後に立って居た相手を見上げる。
『退いて。 トドメを刺すから』
燃える様な赤い髪の少女は、淡々とした口調でカメリアに言うので、彼女は恐怖に顔を引きつらせる。
『止めろ! ナルル!』
不意に船内からセネトの叫び声がして、彼女は勢い良く飛び出すと、ロナードの側に居たカメリアを押し退けて、ロナードの首に手を伸ばし、その首をへし折ろうとした、燃える様な赤い髪の少女の手を掴む。
『皇女様?』
『ナルル』と呼ばれた、燃える様な赤い髪の少女は、戸惑いの表情を浮かべながら、騒ぎを聞きつけて急いで駆け付けたのか、髪を振り乱し、息を弾ませ、自分の腕を掴んでいるセネトを見上げる。
『お前たち、何をしている! 今直ぐに攻撃を止めろ!』
セネトは、甲板の上でシリウスや船員たちと乱闘している、兵士と魔術師たちに向かって叫ぶ。
『こ、皇女さま……』
セネトの叫び声を聞いて、その場にいた兵士や魔術師たちは戸惑いの表情を浮かべ、攻撃の手を止める。
『何故、僕の連れを攻撃した!』
セネトは、ナルルからのキツイ一撃を見舞われ、気絶しているロナードの側に身を屈め、彼を抱き上げながら、戸惑っている兵士や魔術師たちに向かって、怒りに満ちた表情を浮かべ、怒鳴りつけた。
『えっ……』
『連れって……』
『どういう事だ?』
セネトの発言と表情を見て、兵士と魔術師たちは、戸惑いの表情を浮かべたまま、口々にそう呟く。
『アンタ達、何やっているの? 頭、大丈夫そう?』
遅れてやって来たルチルも、直ぐ側でセネトに抱き抱えられ、口元から血を流し気絶しているロナードと、自分たちから離れた甲板の上でシリウスも俯せになって倒れ、他の船員たちも攻撃を受け、負傷しているのを目の当たりにして、『信じられない』と言った様子で言う。
『る、ルチル様』
『ルチル隊長……』
ルチルの登場に、兵士と魔術師たちは、更に困惑した表情を浮かべる。
『ハニエル。 早くロナードに治癒魔術を』
セネトは、自分の腕の中で、グッタリして動かないロナードに目を向けながら、かなり焦った様子で、近くに居たハニエルに言う。
『退いて下さい』
ハニエルは、訳が分からず茫然と突っ立っているナルルにそう言うと、彼女を片手で押し退け、ロナードの側に来て身を屈めると、彼の状態を確認する。
『恐らく、肋骨が折れていますね』
ハニエルは身を屈め、ナルルに蹴られた時に吐血したのか口から血を流し、グッタリと項垂れているロナードを見ながら呟く。
『ナルル、お前ッ! 何て事を!』
それを聞いて、セネトは怒りに満ちた表情を浮かべ、ナルルを睨み付けながら、唸る様な声で言う。
『あわわわわ……』
セネトに睨み付けられ、ナルルは青い顔をして呟く。
『生きているのか?』
ナルルに殴り飛ばされ、甲板の上に体を強く打ち付け、暫く起き上がれずにいたシリウスは、近くに居た船員に体を支えて貰いつつ、ゆっくりと歩み寄りながら、淡々とした口調でハニエルに問い掛ける。
物言いこそ静かだが、シリウスが相当怒って居るのは、彼から放たれる空気から一発で分かった。
『重症ですが、命に別状はありません』
ハニエルは、落ち着いた口調でシリウスに答える。
『何で、こんな事をした!』
セネトも怒り心頭と言った様子で、青い顔をしているナルルに問い掛ける。
『だって……』
ナルルは、叱られた子犬の様に、シュンとした表情を浮かべながら口籠らせる。
『自分が説明致します』
如何にも騎士と言った風体の黒髪の青年が、落ち着いた口調でそう言って来た。
『ギベオン』
その青年を見て、セネトは戸惑いの表情を浮かべる。
彼は、セネトの身辺警護をしている専属騎士だ。
セネトは彼に何も言わずに、婚約式を回避したい一心で王宮から逃げ出し、シリアスとハニエルにくっ付いて、ルオンへの旅に同行していたのだ。
とは言え、兄と宮廷魔術師長のサリアには、定期的に連絡をしていたので、彼にもちゃんと説明がいっているとばかり、思って居た。
『……つまり、私がセネトを拐し、婚約式を滅茶苦茶にしたと?』
ギベオンから説明を受けたシリウスは、思い切り不愉快そうな表情を浮かべながら言った。
『何がどう手違いがあったのかは、分かりませんが……そう言う事になっています』
ギベオンは、落ち着いた口調で答える。
『貴方は昔から、敵を作り易いですからね。 大方、貴方の事を良く思わない輩が、貴方を陥れようと、偽りの話を広めたのでしょう』
ハニエルは、軽く溜息を付いてから、落ち着いた口調で言うと、シリウスは苦々しい表情を浮かべる。
『サリア様やルフト様は本家として、分家のレオンハルト様が婚約式を滅茶苦茶にした責任を取る様にと、セレンディーネ様のお相手の家から迫られていた様です』
ギベオンは、気の毒そうな表情を浮かべつつ、そう付け加える。
『それで。 相手の言い分を信じて、お前たちは此処まで来たと?』
セネトは、呆れた表情を浮かべながら、ギベオンたちに言う。
『自分は、真偽を確かめてからと、申し上げたのですが……』
ギベオンは、何とも言い難い表情を浮かべながら言うと、
『大方、この馬鹿がお前の意見を聞かず、ナルル連れて私を探しに向おうとしていたので、お前は見過ごす事が出来ず、二人に付いて来たと言ったところか……』
シリウスは、部屋の隅に置かれているソファーに、所在無さ気にしているルフトへ目を向けながら、淡々とした口調で言う。
『そんな感じです』
ギベオンは、苦笑いを浮かべながら言う。
『この二人だけで国外に出すのは、駄犬を野に放つのと同じだからな』
シリウスは、俯いているルフトを見ながら、冷ややかな口調で言うと、
『何だと!』
それを聞いて、ルフトは勢い良くソファーから立ち上がると、怒りで顔を真っ赤にし、声を荒らげ、シリウスを睨む。
『馬鹿なお前の事だ。 失態を犯した私を捕まえて戻れば、自分の株を上げられると思い、喜び勇んで此処まで来たのだろう?』
シリウスは、怒りで顔を真っ赤にし、自分を睨んでいるルフトを、冷ややかに見据えながら、淡々とした口調で言うと、彼は苦々しい表情を浮かべ、シリウスから視線を逸らし、口を噤む。
『全く……。 何をするにしても、公爵家の跡取りとして、慎重に動けと、サリアも散々お前に言っている事だろうが』
シリウスは、特大の溜息を付くと、呆れた表情を浮かべながらルフトに言うと、
『五月蠅いッ! 分家の当主の分際で、偉そうに本家の人間に意見するな!』
ルフトは、不愉快さを露わにし、強い口調でシリウスに言い返す。
『シリウスが言っている事は至極真っ当だ。 それを自分を正当化しようと、本家だの、分家だのと持ち出して、耳を傾けないのは、己の器量の狭さを周囲に教えているのと同じだと思うぞ』
セネトは、呆れた表情を浮かべながら、シリウスに対して不愉快さを露わにしているルフトに言う。
『兎に角、まずはギベオンに謝るべきだろう?』
シリウスは、呆れた表情を浮かべながら、ルフトに言うと、
『そんな事、お前に言われなくとも分かっている!』
ルフトはカチンと来た様子で、声を荒らげて言い返す。
『お前は、またそうやって……シリウスに一々突っかからないと、気が済まないのか?』
セネトは、呆れた表情を浮かべたまま、ルフトに言う。
『自分の地位を脅かしそうな程、優秀な貴方に負けたく無くて、虚勢を張(Fハ)っているだけよ』
ルチルは、苦笑いを浮かべながらシリウスに言うと、
『そんな事は分かっている』
シリウスは、淡々とした口調で言い返す。
『ホント、アンタには謙遜って言葉は無いの?』
シリウスの発言を聞いて、ルチルは呆れた表情を浮かべながら言う。
『シリウスには魔力は無いのに、ご苦労様な事ですね』
ハニエルはニッコリと笑みを浮かべ、そう言ってルフトを煽る。
『お前が脅威としなければならないのは、魔力を持たないシリウスよりも、同じ魔術師のロナードだろ』
セネトは、呆れた表情を浮かべながら言う。
『それでは彼が、例の?』
ギベオンは、真剣な表情を浮かべながら、セネトにそう問い掛けると、
『そうだ』
セネトは、複雑な表情を浮かべながら言う。
『よもやとは思って居ましたが……』
ギベオンは、ハニエルに治癒魔術を施して貰ったものの、気絶したまま、ベッドの上に横たわっているロナードを見ながら言う。
『良かったわねぇ。 ルフト。 アンタよりも年下の、優秀な魔術師の従弟と会えて』
ルチルは、意地の悪い表情を浮かべ、ルフトに向かって言う。
『はあ?』
それを聞いて、ルフトは思わず立ち上がり、ロナードの方へと目を向ける。
『お前がブチのめしたのは、私の弟だ』
シリウスは、ムッとした表情を浮かべ、ナルルに向かって言うと、
『御免なさい。 伯爵様。 でも、ルフト様が……』
ナルルは、アタフタとしながら、シリウスにそう言うと、何度も何度も頭を下げる。
『……お前は何でもルフトに従ってばかりで、自分の頭で考えて判断しないから、こう言う事になるんだ』
シリウスは、特大の溜息を付いてから、呆れた表情を浮かべながらナルルに言う。
『御免なさい……』
ナルルは、叱られた子犬の様に、シュンとした表情を浮かべながら、シリウスに言う。
『大体、私ではなくロナードに謝れ。 目を覚ましてお前の顔を見た途端、顔面を殴られても、私は責任を取らんからな』
シリウスは、溜息混じりに言うと、それを聞いてナルルは表情を引きつらせる。
『大丈夫ですよ。 ロナードはシリウスと違って優しいので、ちゃんと謝れば許してくれますよ』
ハニエルが、優しい口調でそう言ったのを聞いて、表情を引きつらせているナルルは、ホッと胸を撫でおろそうとしたところを……
『どうだかな。 臨戦態勢だった場合は、やりかねんぞ』
シリウスは、淡々とした口調で言うので、それを聞いてナルルは焦りの表情を浮かべる。
『何にしても、誤解は解けたのだから、良かったじゃない』
カメリアは、苦笑いを浮かべながら、シリウスたちに言う。
『お前が、僕たちと一緒に居る事は、通信用の魔道具でサリアに伝えておこう』
セネトは、軽く溜息を付いてから、落ち着いた口調でルフトに言うと、それを聞いた彼はビクッと身を強張らせる。
『それとも、お前が直接、ママに会って泣き付くか?』
シリウスが、意地の悪い表情を浮かべ、皮肉たっぷりにルフトに言うと、彼はジロリとシリウスを睨み付けた。
『今、気が付いたのだけど………ティティス様は?』
カメリアは、ティティスの姿が無い事に気が付くと、おずおずとシリウスたちに問い掛けると、一同は『そう言えば』という様な顔をして、部屋の中を見回す。
『知った事か』
セネトやギベオンが、焦りの表情を浮かべている傍らで、シリウスは、どうでも良さそうな口調で言う。
『全く……駄犬がもう一匹いた事をすっかり忘れていたわ』
ルチルは、ボリボリと自分の頭を掻きながら、面倒臭そうに言う。
『殿下。 自分どもが探して参ります』
ギベオンが、真剣な面持ちでセネトに言うと、
『え~。 勝手に居なくなったんだから、良くない?』
ルチルは、面倒臭そうにギベオンに言うと、
『そう言う訳にもいかんだろ! 万が一、ティティス様の御身に何かあったらどうする!』
ギベオンは、真剣な面持ちでルチルに言い返す。
『あ~。 はいはい。 探しに行けば良いんでしょ? ったく』
ルチルは相変わらず、面倒臭そうにギベオンに言う。
『ルフト様。 ナルル嬢。 お二人にも協力をお願い出来ますか?』
ギベオンは、真剣な面持ちでルフトとナルルに言うと、
『分かった。 ウチの兵士たちにも言って、捜索に当たらせよう』
ルフトはそうギベオンに答えてから、チラリとシリウスの方へと目を向けると、彼は『さっさと行け』と言わんばかりに、片手で追い払う様な仕草をするので、ルフトはムッとした表情を浮かべながら、ナルルを伴って足早に部屋を後にする。
『……ルフトに冷た過ぎないか?』
部屋から立ち去るルフトの背中を見送りながら、シリウスに向かってセネトは言うと、
『自分を嫌っている奴に優しくできる程、私は人が出来ていないんでな』
シリウスは、淡々とした口調で言う。
『そうは言うが一応は従弟だろう? ロナードの三分の一くらいでも、情を掛けてやったらどうなんだ?』
セネトは、呆れた表情を浮かべながら、シリウスに言う。
『可愛い気も無いのにか?』
シリウスは、ウンザリした表情を浮かべながら問い掛ける。
『貴方に突っ掛かるのは、構って欲しいと言う気持ちの裏返しよ。 きっと。 実際、ずっと貴方の事を気にしていたし。 本当は仲良くしたいと思っているんじゃないかしら?』
カメリアが、呆れた表情を浮かべながら、シリウスにそう言うと、
『知った事か』
シリウスは、興味無さそうに、淡々とした口調で言う。
「う……ん……」
ロナードは微かに眉を顰め、ランプだろうか……微かに明りがある方へと顔を向けつつ、ゆっくりと目を開けた。
「気が付いたか?」
ロナードが眠って居るベッドの直ぐ脇で、椅子に座って居たセネトが、ホッとした表情を浮かべ、優しい口調で声を掛けた。
「あれ? 俺、何時の間に眠って……」
ロナードは戸惑いの表情を浮かべながら呟くと、徐に身を起こそうとしたが、鳩尾辺りに激痛が走り、思わずその痛みに表情を歪め、片手を鳩尾に添え、前のめりになる。
「急に動くな。 肋骨が折れているんだぞ」
セネトは慌てて、思い切り痛そうな顔をして、前のめりに蹲っている彼に、そう声を掛ける。
「っつ……」
ロナードは激痛のあまり青い顔をし、背中から冷や汗を流しながら、呻き声を上げる。
「ナルルの奴……本当に手加減なしだな」
セネトは、呆れた表情を浮かべながら呟く。
「薬、飲めそうか?」
セネトは、心配そうな顔をしながらも、ロナードの背中を優しく摩りつつ、そう問い掛けると、彼は表情を歪めたまま、頷き返した。
「ちょっと待っていろ」
セネトはそう言うと、近くにあったクッションなどをロナードの背後に積み上げると、彼をゆっくりとそれに凭れ掛けさせる。
「この方が楽だろう?」
セネトはロナードの体を支える様にして、ゆっくりとクッションの方へ体を倒させながら、心配そうに問い掛ける。
「済まない」
しっかりとクッションに身を預け、何とか上半身を起こした格好になると、ロナードは申し訳なさそうに、セネトに言った。
セネトは近くにある小さな丸テーブルの上に置いて居た、カップにハニエルが作った粉薬を入れ、自分がお茶を飲もうと用意してた、お湯が入ったティポットからお湯を注ぎ入れると、ティスプーンでカップに入った粉薬を良く掻き混ぜる。
「ゆっくり飲め」
セネト皇子は、少し冷ました物を、そう言いながらロナードに差し出した。
ロナードは、手渡された薬湯がまだ熱そうなので、火傷をしない様、何度か息を吹き掛け冷ましてから、少しずつ口に運んだ。
「うっ……にがっ……」
薬湯を口に含んで飲み込んだ後、ロナードは思い切り顔を顰めながら呟いた。
「だ、大丈夫か? 水、要るか?」
ロナードが、物凄く不味そうな顔をして言うので、セネトは焦りの表情を浮かべながら問う。
(薬をお湯で溶かしている時に漂って来た臭いからして、不味そうだとは思って居たが……)
セネトは、ロナードが思い切り顔を顰めているのを見ながら、心の中で呟いた。
「大丈夫……。 酷い味だが……。 頑張って……飲む……」
ロナードは、不味そうな顔をしつつも、セネトにそう言うと、意を決し、一気に薬湯を流し込んだ。
口に含んだ瞬間は無味だが、後から何とも表現し難い苦味が広がり、終わりの方にシナモンだろうか、ビリッとした刺激があり、その後に鼻に抜ける様な、強いハッカの味もしてくる。
「うえっ……。 マズっ……。 この味、何とかならなかったのか……」
ロナードは、久々に恐ろしくマズイ薬に支配されている口の中をどうにかしたいと言う強い気持ちに駆られつつ、思い切り顔を顰めながら呟いた。
良薬口に苦しとは、良く言ったモノである。
「ちょっと待って……。 確かこの辺りに……」
ロナードが、とてつもなく不味そうな顔をしているのを見て、セネトはそう言いながら、自分が着ていた上着のポケットを手で漁る。
「あった」
暫くして、何かを見付けたのか、嬉しそうにそう言うと、それを徐に取り出した。
それは、それぞれに淡い赤、緑、黄、そして白の四色に色が付けられ、見た目からして、とても可愛らしい、指先程の大きさの球体が入った小瓶だった。
「済まない。 今はこんな物しか持って無い。 口直しになると良いが……」
セネトはそう言いながら、小瓶の蓋を開けると、自分の掌の上に中の物を数個、転がす様に出すと、それをロナードに差し出した。
「セネト。 また、こんな物をこっそり持って……。 ハニエルに見付かったら叱られるぞ」
ロナードは、飴玉と思われそれを見て、呆れた表情を浮かべながら言う。
「良いから食え。 コンペイトウと言う、帝国本土の北にあるスバル王国の菓子だ。 味は飴玉に似ている」
セネトはそう言うと、ロナードは興味深そうにマジマジとそれを眺めた後、セネトの掌の上から、淡い緑色のそれを手に取る。
「星みたいな形だ。 面白いな」
球体かと思われたそれは、凹凸が有り、その形が夜空に浮かぶ星を連想されたので、ロナードは徐にそう呟いた。
「そうだろう?。 僕もこの形と色が昔から好きで、幼い頃(Bコロ)は良く兄上に強請っていた」
セネトは何処か、懐かしそうな表情を浮かべつつロナードに言うと、
「星を食べるみたいで、ちょっと楽しいな。」
ロナードはそう言うと、徐にそれを口の中に放り込んだ。
「子供の頃の僕も、そう思いながら食べてた」
セネトは、ロナードが幼い頃の自分と似た感想を持った事に嬉しくなり、口元を綻ばせ、そう言って笑った。
二人の間に、仄々とした空気が漂う。
(少しずつ、口の中に仄かな甘みが広がってくる……。 けれど、嫌な甘さじゃない)
ロナードは、口の中に入れたコンペイトウを味わいながら、心の中で呟いた。
「それより、お前は甘い物を程々にしないと」
甘ったるい物は苦手なロナードだが、超絶マズイ薬湯を飲んだ後だったからか、そんなに甘さは気にならなかったが、徐にセネトに言う。
「分かっている。 たまにだ」
セネトは、ムッとした表情を浮かべ、口を尖らせながらロナードに言い返す。
「まあ、そのお陰で今回は助かったけどな。 有難う」
ロナードは、穏やかな口調でセネトに礼を述べた後、ニッコリと笑みを浮かべた。
「そうだろう?」
セネトは、ドヤ顔でそう言い返すと、ロナードは可笑しくなって、クスッと笑うと、その表情を見て、セネトも笑みを浮かべる。
「そう言えば、兄上たちは大丈夫だったのか?」
ロナードは、口の中のコンペイトウが無くなると、徐にセネトに問い掛ける。
「ああ。 シリウスがナルルに殴られた所為で顔に痣と、甲板に体を強く打ち付けて、打撲をした程度だ。 船員も何人か怪我はした様だが、お前が一番重傷だ」
セネトは、落ち着いた口調でロナードに答えると、
「そうか」
ロナードは、自分以外の者に、大きな怪我は無いと分かり、安堵の表情を浮かべつつ、胸を撫で下ろした。
「今は夜中だ。 眠れるようなら眠った方が良い」
セネトがそう言うと、
「そうする」
ロナードはそう答えると、セネトの手を借りながら、ゆっくりと身を横たえる。
翌日、ロナードを見舞いに来たギベオンたちは……。
『本当に申し訳ない……。 とんだ早とちりを……』
ギベオンは、沈痛な表情を浮かべ、―ロナードに対し深々と頭を下げ、謝罪する。
『ぶっ飛ばして御免なさい』
ナルルも、シュンとした表情を浮かべ、ロナードに深々と頭を下げながら、謝る。
『……お前が手向かいして来るのが悪いんだ』
ルフトは、そっぽを向き、不満そうな表情を浮かべながら、ロナードに言う。
「大丈夫だから」
帝国の言葉が良く分からないながらも、三人が謝って居る事は何となく分かったので、ロナードは苦笑いを浮かべながら言う。
『?』
今度は三人が、キョトンとした表情を浮かべながら、揃ってロナードを見る。
『ロナードは、ランティアナで生まれ育っているので、帝国の言葉は勉強中なのです』
三人が戸惑っているのを見て、ハニエルは苦笑いを浮かべながら説明する。
「自分はセレンディーネさま付の騎士、ギベオンと申します。 今回の事は心からお詫び致します」
ギベオンは、ランティアナ大陸の言葉を用い、丁寧な口調でそうロナードに言うと、深々と頭を下げた。
「ご丁寧に有難う御座います。 間違いは誰にでもありますし、何より、自分が仕えている主の事ですから、気が気ではなかったであろう事は、俺にも想像がつきます。 どうか気にしないで下さい」
ロナードはニッコリと笑みを浮かべ、優しい口調でギベオンに言う。
『誰だよ。 殴って来るかもとか言っていた奴』
ロナードの言葉を聞いて、ルフトが不満そうな表情を浮かべながら言うと、部屋の隅にあるソファーで寛いでいたシリウスを、恨めしそうに睨む。
『ボクは、ナルルだゾ』
ナルルは、自分を指差しながら、ニコニコと愛想良く笑みを浮かべながらロナードに言う。
『だから………帝国の言葉は、まだ良く分からないと、ハニエルが言ったじゃないか』
ナルルの発言を聞いて、ルフトは呆れた表情を浮かべながら言う。
『あ、そっか』
ナルルはそう言うと、
【ボクはナルルだゾ。 宜しくね】
何を思ったのか、亜人たちが用いる古代語でロナードに語り掛けた。
『余計に分かんないだろ!』
ルフトがそう言って、ナルルに突っ込むと、彼女の後頭部を軽く叩く。
【俺はロナードだ。 宜しく】
ロナードは、ニッコリと笑みを浮かべ、ルフト達の予想を超えて、物凄く流暢に古代語で返して来たので、彼等は度肝を抜かれる。
【凄い! 凄い! ボクたちの言葉が分かるの?】
ナルルは感激した様子で、声を弾ませ、ぴょんぴょんと跳ねながらロナードに言う。
【大体は】
ロナードは、苦笑いを浮かべながら答える。
『驚いた』
『自分もです』
ルフトとギベオンは、鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしながら、思わずそう呟いた。
エレンツ帝国にも、『獅子族』と呼ばれる亜人をはじめ、他にも少数ながらも亜人が住んで居るのだが、ランティアナ大陸と同様に、人間たちの多くが彼等の言葉を理解する事も、喋る事も出来ない。
それは偏に、嘗て、亜人たちが北半球の全土を支配していた時代、魔力を持たない人間たちが家畜の様に虐げられていたからだ。
亜人たちが支配していた国『魔法帝国』が滅亡してからは、人間たちは亜人たちを迫害、虐殺し、彼らの言葉を用いる事を禁止した。
魔法帝国が崩壊した後、亜人たちの多くが逃れた、エレンツ帝国でも同様の状況が続き、長い間、亜人たちは圧倒的多数の人間たちから虐げられ、争いも絶えなかった。
特に、『獅子族』は戦闘に長けた種族で、何百年もの間、人間たちと争っていた。
それが、先の皇帝の時代になり、他国へ侵略戦争をする様になると、人間よりも遥かに膨大な魔力と身体能力が優れ、大きな獣に変化出来る持つ亜人たちは重宝される様になり、長年、争って来た『獅子族』とも和平が結ばれ、彼等は帝国の兵士として、戦地へと駆り出されるようになっていった。
皇帝が変わった今は、侵略戦争こそしなくなったが、先の戦いで得た植民地の平定の為に、獅子族の力は欠かす事は出来ない。
獅子族の方も、狩猟採集という原始的な生活を送って来たので、人間たちから齎される知識や魔道具などは、とても魅力的なものであった。
今では、里の若者たちを傭兵として各地に派遣する代価として、食料、生活用品、医療などを受ける為に金を受け取ると言う、関係が成立している。
ナルルは、父は獅子族、母は人間という混血児で、父が生まれた獅子族の里ではなく、人間の社会で父母と共に生きて来た。
それでも、獅子族としての誇りを失わぬ様、父からは亜人が用いる言語と、獅子に変化する能力の扱い方を習った。
そんな彼女の転機が訪れたのは、父が何者かによって呪いに掛けられ、その呪いを解いたのが、ルフトの母親である、宮廷魔術師長のサリアだった。
ナルルは、父の命を救ってくれたサリアに恩義を感じ、それ以降、サリアを主と仰ぎ、彼女と彼女の家族を拳一つで守って来た。
見た目こそ幼いが、ルフトよりもずっと年上だ。
だが、彼女が今まで生きて来た中で、亜人たちが用いる言語を理解し、喋る事が出来る人間は今まで一人も居なかった。
【もしかして君は、ボクと同じ人間との混血?】
ナルルは、興味津々と言った様子で、ロナードに問い掛ける。
【さあ。 ただ、身内に烏族が居て、彼等の里へ、幼い頃から行き来していた関係で、彼等の言葉が分かる様になっていっただけだ】
ロナードは、穏やかな口調で答えた。
【凄いや。 ボク、獅子族たち以外で、古代語を話せる人に初めて会ったゾ】
ナルルは何時の間にか、ロナードが横になっていたベッドの端に座り、ベッドの淵に身を凭れ掛けていたロナードに向き合う様な形で語っている。
【例え話せても、人間の町や村で、わざわざ古代語を話す奴は居ないからな】
ロナードは、苦笑いを浮かべながら言う。
『近すぎだ!』
セネトは、ナルルの襟首を掴むと、乱暴にロナードが横になっているベッドの上から引き摺り下ろした。
「長々と済まない。 ずっとその格好も辛いだろう? もう横になれ」
セネトは、申し訳なさそうにロナードに言う。
「自分たちもこれで失礼します。 お大事になさって下さい」
ギベオンは、穏やかな笑みを浮かべ、優しくロナードにそう声を掛けると、
『ほら。 怪我人に無理をさせるものじゃない。 行くぞ。 ナルル』
ルフトが淡々とした口調で、ナルルにそう声を掛ける。
『はぁい』
ナルルは、渋々と言った様子でルフトに返事をすると、彼の側へ駆け寄る。
【じゃあね。 ロナード。 元気になったら、沢山お話ししようね】
ナルルは、ロナードに手を振りながら、満面の笑みを浮かべそう言うと、ルフト達と共に部屋を後にした。
「随分と、ナルルに気に入られたようですね」
ハニエルは、苦笑い混じりにロナードに言うと、
「自分が半殺しにした相手だと言うのに、呑気なものだ」
シリウスは、呆れた表情を浮かべながら言う。
「変に引き摺らないのが、ナルルの良い所だろう?」
セネトは、苦笑いを浮かべながら言うと、
「只単に、鶏の様に直ぐに忘れてしまうだけだ」
シリウスは、肩を竦めながら、皮肉たっぷりに言う。
「しかし、シリウスが殿下を拐した犯罪者にされているとは……驚きましたね」
ハニエルは、複雑な表情を浮かべながら言う。
「少し考えれば、シリウスに何のメリットも無いと分かる筈だ。 こんな馬鹿げた話、信じる奴の方が少ないだろう」
セネトは、落ち着いた口調でそう言うと、ロナードが使っているベッドの脇にある椅子に腰を下ろす。
「発生源は、ティティスの同腹の兄、ネフライトと見て良いだろうな」
シリウスは、真剣な面持ちで呟く。
「昨年、御前試合で貴方にボコボコにされた事を相当、根に持っている様ですしね」
ハニエルは、苦笑いを浮かべながら言うと、セネトも苦笑いを浮かべ、頷き返すと、
「皇帝と大勢の観衆の前で、皇太子である自分が良い所を一つも見せらせず、お前に一方的にボコボコにされた事、かなり怒っていたからな」
そう言った。
「普通、皇太子に手心を加えるのが暗黙の了解ですが、貴方はそんな事はお構いなしに、無慈悲に叩きのめして差し上げましたからね」
ハニエルは、苦笑いを浮かべながら続ける。
「最初から、自分が優勝する様に仕組まれた試合に勝って、何が楽しいのやら……」
シリウスは、軽く溜息を付くと、そう言って肩を竦める。
「ネフライト皇子も話と違っていたので、さぞ驚いたでしょうね」
ハニエルは、その時に狼狽えていたネフライト皇子の様子を思い出し、クスッと笑いながら言った。
「見たかったな。 それ」
彼等の話を聞いて、ベッドの上で横になっていたロナードは、羨ましそうに言った。
「毎年あるので、チケットさえ手に入れれば見られますよ」
ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべながらロナードに言う。
「ロナードの場合、参加する側じゃないのか?」
セネトがそう言うと、
「それって、どう言った趣旨の大会なんだ?」
ロナードは、興味深そうにセネトたちに問い掛ける。
「なぁに。 皇帝の即位を祝う祭りのイベントの一つだ」
シリウスは、淡々とした口調で言うと、
「試合に優勝すると高額な賞金と、皇帝陛下から直接、ご褒美の品も頂けるのですよ」
ハニエルが、ニッコリと笑みを浮かべながら、そう付け加える。
「おや。 あまり興味が無いようですね?」
ハニエルは、ちょっと意外そうに言う。
「褒美の品が、希少な魔導書なら話は別だろう」
シリウスが、淡々とした口調で言うと、
「それなら、魔術大会があるぞ」
セネトがそう言うと、
「魔術大会?」
ロナードは思わず身を乗り出し、目をキラキラさせながら言ったが、次の瞬間、鳩尾辺りに激痛が走った。
「……お前、自分が怪我をしている事を、すっかり忘れていただろう」
シリウスは、鳩尾に両手を添え、悶絶しているロナードに対し、冷ややかな口調で言った。
『何も言わず、出て行って悪かったな。 ギベオン。 だが、王宮内では何処で誰が聞き耳を立てているか、分からないからな……』
セネトは、自分に貸し与えられた部屋に訪れたギベオンに対し、そう言って謝罪し、彼に座る様に促す。
『分かっております。 ご自分の部屋であろうと、油断は出来ませんからね』
ギベオンは、落ち着いた口調で答えると、テーブルを挟んで向かいのソファーに腰を下ろす。
『でも良く、あのシリウスが了承してくれたわね?』
少し先に部屋に来ていたルチルは、紅茶を一口飲んでから、意外そうに言う。
『僕が強引に押しかけて、付いて行ったんだ』
セネトは、苦笑いを浮かべながら言う。
『ですが、少年の振りをする為とは言え、御髪をこうも短く切られてしまうとは……綺麗な御髪でしたのに勿体ないです』
ギベオンは、悲しそうな表情を浮かべながら言うと、ルチルもウンウンと頷いている。
『なに。 髪など直ぐに伸びる。 それに、僕がこんな髪の間は、婚約式も出来ないだろう?』
セネトは苦笑いを浮かべながら言う。
『だからって、やり過ぎよ』
ルチルは、呆れた表情を浮かべながら言う。
『だが、この短い髪のお陰で旅の間、女と思われた事は無い』
セネトは、苦笑いを穿たまま言うと、
『それはそうでしょうよ。 男三人の中に女が一人居て、旅をしているなんて普通は思わないわよ』
ルチルは、呆れた表情を浮かべながら言い返す。
『問題は、帝国本土に帰ってからだな……時間稼ぎをするにも、限界がある』
セネトは、苦々しい表情を浮かべながら言うと、
『仰る通りです。 当初は婚約式をボイコットされて、先方も怒り狂っていましたが、今は時間が経って冷静になった様で、まだ殿下との婚約をする気で居ます』
ギベオンも、困り果てた表情を浮かべながら言う。
『全く。 権力欲しさにセネトを嫁に迎えるって態度が、益々腹立つわ』
ルチルは、嫌悪に満ちた表情を浮かべながら言う。
『一層の事、何方かと婚約しては如何ですか? 勿論、本当にではなく、偽装ですが……』
ギベオンが真剣な面持ちで言うと、
『そんな事を都合良く、了承してくれる奴が居ると思うか?』
セネトは軽く溜息を付くと、呆れた表情を浮かべながらギベオンに言い返す。
『居るじゃない』
ルチルがポツリとそう言うと、
『お前、何を言って……』
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら言う。
『ロナードよ。 ロナード! あの子なら、アンタの事情も承知してるし、頼んだら案外、引き受けてくれるかも知れないわよ?』
ルチルは、嬉々とした表情を浮かべながら言うと、
『あのな……ロナードはそれどころじゃあ……』
セネトが呆れた表情を浮かべながら言うが、
『でも、アンタはこれからも、ロナードの呪いを解くのを手伝うつもりなんでしょ?』
ルチルが真剣な面持ちで問い掛けると、
『それはまあ……そう約束しているし……。 僕も心配だし……』
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら言う。
『婚約者でもない年頃の若い男女が、行動を共にしているって事の方が、普通に考えたら可笑しな話よ』
ルチルがそう指摘すると、ギベオンも頷き、
『確かに。 何も知らない人たちからは、如何わしい目を向けられるでしょうね』
真剣な面持ちで言う。
『でしょ? 婚約者だって言う事にしとけば、アンタ達の関係を五月蠅く言う輩も居ないし、それに王宮になんて連れて行って御覧なさいよ。 あの見た目よ? 周りが放って置くわけがないでしょ』
ルチルが真剣な面持ちで言うと、ギベオンも頷き、
『お茶に痺れ薬でも盛られて、襲われるのがオチです』
淡々とした口調で言うと、彼の発言を聞いて、セネトは表情を引きつらせる。
『彼を守る為にも、そう言う事にした方が、何かと都合が良いと思うわよ』
ルチルが、真剣な面持ちで言うと、
『悪くない案だと思います。 余程の馬鹿でもない限り、皇族の婚約者に手を出す様な真似はしませんからね』
ギベオンも、落ち着き払った口調で言う。
『待て待て。 先走り過ぎだ』
セネトは、焦りの表情を浮かべながら、ギベオンとルチルに言う。
『そうは言いますが時間は有限です。 そう言って判断を先延ばしにしていては、帝国本土に着いてしまいますよ?』
ギベオンが、真剣な面持ちでセネトに言うと、彼は沈痛な表情を浮かべる。
『断られるかもだけど、言うだけ言ってみましょうよ』
ルチルは他人事の様に言うが、
『それで、ロナードと気まずくなったら、どうするんだ?』
セネトは慌てて、ルチルにそう言い返すと、
『その時は、その時よ』
彼女はニッコリと笑みを浮かべ、無責任にそう言い放った。
『話が、あるんだが……』
セネトは、半ば強引にルチルに連れられ、昼食を終えて寛いでいるロナード達の部屋を訪れた。
『どうした? 改まって』
床の上に胡坐をかき、自分の愛剣の手入れをしていたシリウスが、不思議そうに問い掛ける。
『お、怒らないで聞いてくれ』
セネトは、シリウスたちにそう念を押しながら、近くにあった椅子に腰を下ろす。
『……それは、私たちが怒る様な事を、これから言うという事だな?』
シリウスは微かに眉を顰め、ドスの利いた低い声で言い返す。
(ううう……怖すぎる)
自分を睨んでいるシリウスに、セネトは今直ぐにでも、逃げ出したい気持ちに駆られた。
「お願いしたい事があるのよ。 貴方たちが怒るかどうかは、分からないわ」
ルチルが、シリウスの迫力に押され、怯えているセネトに代わり、落ち着いた口調で言う。
「それは、私たち三人にでしょうか?」
ハニエルは、穏やかな口調で問い掛ける。
「いや、ロナードにだ。 二人には聞いていて欲しい」
セネトはギュッと拳を握りしめ、覚悟を決めてそう切り出した。
「眠っていますが?」
ハニエルは、苦笑いを浮かべながら言うと、セネトは緊張のあまり、ロナードがベッドの上で気持ちよさそうに眠っている事に、全く気が付かなかった。
「ちょっと! 起きなさいよ!」
それを見て、ルチルはちょっとイラッとした様子で、ロナードの肩を掴み、ちょっと乱暴に彼の肩を揺らす。
「お、おい。 怪我をしているんだぞ」
それを見て、セネトは焦りの表情を浮かべ、ルチルに言う。
「んん?」
ロナードは、眠たそうな顔をしながらも、目を開け、自分を揺さぶり起こしたルチルを見る。
「御免。 ちょっと話があるんだ」
セネトは、申し訳なさそうに、寝起きでぼーとしているロナードに言うと、
「それって、今、どうしても話さないといけない事なのか?」
ロナードは、眠そうに手で瞼を擦りながら、セネトに問い掛ける。
「えっと……今じゃなくても、良いかも知れない」
セネトは、困った様な表情を浮かべながら答えると、
「なに言ってるのよ! 折角、覚悟を決めて来たって言うのに、ズルズルと先延ばしするつものなの?」
それを聞いたルチルは表情を険しくし、強い口調でセネトに言う。
ルチルに怒鳴られ、たじろいでいるセネトを見て、シリウスとハニエルは戸惑いの表情を浮かべ、お互いの顔を見合わせる。
「良いよ。 ルチルの怒鳴り声で目が覚めたし」
ロナードは、穏やかな口調でそう言うと、ゆっくりとベッドから身を起こす。
「アンタね!」
ロナードの言い様にカチンと来て、ルチルは思わずそう言い返す。
「気持ち良く眠っていたのに、済まない」
セネトは、申し訳なさそうに言うと、ロナードが居るベッドの側に置いてあった椅子に腰を下ろす。
「それで話って?」
ロナードは、気分を害する様子も無く、優しくセネトに問い掛ける。
「僕が、婚約式が嫌で逃げ出したって話は、前にしたよな?」
セネトは、おずおずとそう切り出すと、
「ああ。 そうなったのをシリウスの所為にされて、何でかルフト達の家の方にも、お前の相手側が文句を言って来ているという話も聞いている」
ロナードは、落ち着き払った口調で言う。
「連中は、どうも僕との婚約を諦めていない様なんだ」
セネトは、困り果てた表情を浮かべながら、ロナードに語る。
「うわぁ……」
「相手が嫌がっているのに、ゴリ押しして来るとは、最悪だな」
話を聞いて、ハニエルとシリウスはドン引きし、揃ってその様な事を言う。
「帝国本土に帰ったら、絶対、間違いなく、婚約式を強行する筈だ!」
セネトは、自分の胸元に片手を添え、必死な形相でロナードに訴える。
「まあ、話を聞いた限りでは、そうなるだろうな」
シリウスが、淡々とした口調で言うと、ハニエルも頷く。
「だから、僕の婚約者になってくれないか? ロナード」
セネトは、今にも泣きそうな顔をして、ロナードの両手を掴み、そう言った。
「へ?」
セネトの思いがけぬ発言に、ロナードは目を点にし、思わず間抜けな声を上げる。
「突拍子も無い事を言っているのは分かっている! でも、どうか、僕を助けると思って……頼む! この通りだ!」
セネトは、戸惑っていロナードの手を掴んだまま、必死にそう訴えると、深々と頭を下げるる。
「アンタ、色々と説明を省き過ぎよ。 見てみなさいよ。 みんな呆気に取られて、固まっちゃってるじゃない」
ルチルは、呆れた表情を浮かべながら、セネトにそう言うと、彼女はハッと我に返り、徐に周囲を見回すと、ルチルの言う通り、目の前のロナードは勿論、シリウスとハニエルも驚きのあまり、口をポカンと開けたまま、固まってしまっている。
「ええっと……つまり、俺がセネトの婚約者になれば、望まない相手と婚約式をしなくて済む……そう言う事だな?」
ロナードは、困惑を隠せないながらも、セネトにそう問い掛ける。
「簡潔に言えばそうだ」
セネトは、真剣な面持ちで言うと、ルチルが思い切りセネトの後頭部を平手で叩くと、
「だ・か・ら! 簡潔過ぎるって、さっきから言ってるでしょ!」
強い口調で、急に叩かれて驚いた顔をして、自分を見ているセネトに言う。
「だからって、何も頭を叩かなくても……」
何故か、物凄く苛立っているルチルに、ロナードは苦笑いを浮かべながら、そう言って宥めようとする。
「もう良いわ! 私がちゃんと説明してあげる!」
ルチルは、じれったい気持ちに我慢が出来なくなり、そう切り出すと、先程、セネトの部屋でギベオンを交えて三人で話した事を、ロナードに説明し始めた。
「……まあ、あなた方の言い分も尤もですね」
ルチルから話を聞き終え、ハニエルが落ち着いた口調で言う。
「でしょ?」
ルチルがドヤ顔でそう言い返す。
「いや、それ以前に、あんな風にセネトを叩いて大丈夫なのか? 不敬罪に当たるのでは?」
ロナードが、戸惑いの表情を浮かべながら、ルチルにそう指摘する。
「……結構、痛かった」
セネトは、ムッとした表情を浮かべ、ルチルに叩かれた後頭部を摩りながら、そう呟く。
「全く。 大袈裟ね」
ルチルは、呆れた表情を浮かべ、肩を竦めながらセネトに言うと
「いや、謝れよ。 結構、痛そうな音しただろ」
ロナードは思わず、そう言ってルチルに突っ込む。
「五月蠅いわね。 後で謝るわよ」
ルチルは、五月蠅そうな顔をしながら、素っ気ない口調でロナードに言う。
(謝る気なんて無いだろ)
ルチルの言動に、ロナードは心の中でそう呟いた。
「それよりも今、重要なのは、貴方がセネトの偽りの婚約者になるか否かよ!」
ルチルは、真剣な面持ちでロナードに言うと、
「良いけど」
ロナードは実にあっさりと、そう言って退けた。
「そうだよなぁ……嫌だよなぁ。 こんなの、僕の都合でしか無いよな」
セネトは、特大の溜息を付いて、思わずそう言うと、ロナードはキョトンとした顔をして彼を見る。
「え? なに?」
ロナードの表情を見て、セネトは戸惑いの表情を浮かべながら、彼に問い掛ける。
「え。 いや、俺、構わないって言ったんだけど?」
ロナードも、戸惑いの表情を浮かべながら、セネトにそう言い返す。
「へ?」
自分の予想に反した返答に、理解が追い付かないのか、セネトは思わず間抜けな声を上げる。
「うん。 だから婚約者になっても良いけど? 俺」
ロナードは、戸惑っているセネトに対し、ニッコリと笑みを浮かべ、そう言うと、
「ほ、本当か?」
セネトは思わず、勢い良く椅子から立ち上がり、そのままの勢いでロナードの両肩を掴むと、そう言った。
「痛い……」
ロナードは思わず、顔を顰めながら呟くと、セネトはハッとして、
「す、済まない!」
そう言って、慌ててロナードの肩から手を放す。
「……此方から話を持ち掛けいて何だけど、どうして、そんなにあっさりと、引き受けてくれたの? 引き受けるにしろ、断るにしろ、何て言うか……普通はもう少し、考えそうなものなのに」
ルチルは、驚きを隠せない様子で、ロナードに問い掛けると、セネトも真剣な面持ちで頷いている。
「普通がどうなのか、俺には良く分からないが……セネトには今まで、何度も助けられて来たし、これからも多分、助けられる事があると思う。 だから、俺がセネトに何か出来る事があるのなら、協力しようと前から決めていたんだ」
ロナードは、穏やかな口調でそう答えると、ニッコリと笑みを浮かべる。
「ロナード……」
ロナードの言葉を聞いて、セネトは感激した様子で呟く。
「メッチャ良い子じゃない! もう婚約と言わず、結婚しちゃいなさいよ!」
ルチルは物凄く嬉しそうに、声を弾ませながらセネトに言うと、彼女の背中を平手でバンバンと叩く。
「る、ルチル……痛い」
セネトは、物凄く迷惑そうな表情を浮かべながら、自分の背中を叩くルチルに言う。
そんな二人を、ロナードとハニエルは、苦笑いを浮かべながら見守り、シリウスは呆れた顔をしている。