向けられた悪意(下)
主な登場人物
ロナード(ユリアス)…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指している。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト…エレンツ帝国の皇子。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしている。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な可愛らしい少年。
シリウス…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
ティティス…セネトの腹違いの妹。 とても傲慢で自分勝手な性格。 家族内で立場の弱いセネトの事を見下している。 十七歳。
カメリア…トロイア王国に拠点を構える、宝石の採掘、加工、販売を手広く手掛ける、女性実業家で大富豪。 トスカナの取引相手。 三十歳
ルチル…帝国の第三騎士団の隊長を務めている女性。 セネトと幼馴染。 今はティティスの護衛の任に就いている。 二十歳。
トスカナ…ロナード達が護衛をしている、キャラバンの団長。 面倒見の良い中年男性。
「はあ……」
カメリアたちとの夕食を終えた後、貸し与えられた部屋へ戻り、近くにあったソファーに腰を下ろすと、セネトはゲンナリとした表情を浮かべ、特大の溜息を付いた。
「大丈夫か?」
そんな彼を見て、ロナードは心配そうに声を掛ける。
「あまり、大丈夫では無いかも知れない」
セネトは、ゲンナリとした表情を浮かべたまま、力なく答える。
「さっさ、言い争っていた令嬢は誰なんだ?」
ロナードは、廊下で自分とぶつかり、シリウスたちと派手に言い争っていた、セネトの妹ティティスの事を問い掛ける。
「そう言えばまだ、お前には、あのクソ皇女の事を教えていなかったな」
シリウスは、近くにあった椅子に腰を下ろしながら、淡々とした口調で言う。
(なんか、知っている人みんなに、『クソ』と言っている気がするんだが……)
自分の嘗ての師匠だけでなく、先程の娘に対しても、『クソ』と言う兄に対し、ロナードは戸惑いの表情を浮かべながら、心の中で呟いた。
「僕の腹違いの妹だ」
セネトは、ゲンナリとした表情を浮かべたまま、物凄く嫌そうな顔をして、ロナードの問い掛けに答えた。
(……仲が悪いんだな)
先程の様子を見た時点で、分かってはいたが、改めてセネトの言動を見て、ロナードは思った。
「僕ら家族も、色々と複雑なんだ」
セネトは、溜息混じりに言うと、
「それは、そうだろうな。 皇帝の一族なのだから」
ロナードは、複雑な表情を浮かべながら、セネトに言う。
「ティティスは、僕より二つ年下の妹で、今現在、一番力のある第一側妃が生んだ娘だ。 彼女の母は伯爵家の出で、身分はさほど高くは無いが、何分、母方の実家が帝国でも屈指の金山を抱えていて、 帝国の財源の一つを担っている、力のある一族なんだ」
セネトは、淡々とした口調で、この邸宅で会った妹の事について、簡単に説明する。
「成程。 国の財源を握っている一族の者には、皇帝も無下に扱う事は出来ないと言う訳か」
ロナードは、落ち着いた口調でそう返しながら、テーブルを挟んで向かいのソファーに腰を下ろす。
「本当に、金だけは無駄にあるからな。 第一側妃やその子供たちは、王宮内でも社交界でも、金に物を言わせて、やりたい放題している」
セネトは、特大の溜息を付いてから、『やるせない』と言った様子で語ってから、
「まあ、僕の方はと言うと、正妻の子供ではあるんだが、僕が幼い頃に母を含め、その後ろ盾となっていた、母方の家に相次いで不幸が続いて、僕も兄も、皇族とは名ばかりの存在なんだ」
セネトは、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で、自分が置かれている状況を説明する。
「一応、魔術師たちを束ねる肩書ではあるし、僕の部隊もあるものの、実際に宮廷の魔術師たちを束ねているのは魔術師長の『サリア』で、僕は只のお飾りに過ぎないんだ」
セネトは、複雑な表情を浮かべたまま、そう続ける。
「……」
ロナードは、何と返して良いのか分からず、黙って聞いていると、
「……まあ、腐っても皇族だから、お前の呪いを解く方法を探す事くらいは、僕にも出来るから、そう心配する必要は無い」
セネトは、苦笑いを浮かべながら言うと、
「あ、いや、俺は別に、そう言う事を気にしていた訳では……」
ロナードは、焦りの表情を浮かべながら、セネトにそう返す。
「それと一つ。 僕は、お前に隠していた事があるんだ」
セネトは、苦笑いを浮かべたまま、ロナードに言うと、彼はキョトンとした表情を浮かべ、小首を傾げる。
「実は……。 僕は女だ。 名前もセネトではなく、本当はセレンディーネと言うんだ」
セネトは、おずおずとそう告白すると、それを聞いたロナードは、あまりに予想を超えて来たセネト発言に目を点にしてその場に固まり、手にしていたティカップから、中身の紅茶がテーブルに零れ落ちている事に気付かない程に、驚いている。
「……茶が零れているぞ」
半ば、放心状態のロナードに、シリウスが淡々とした口調で指摘すると、自分が手にしているティカップに口を付け、紅茶を啜る。
「えっ。 ちょっ……。 ええっ!」
ロナードは、驚きのあまり叫ぶと、ソファーから立ち上がり、まじまじとセネトを見てから、暫くして、これまで自分が彼(彼女)に対して、してきた事の数々を思い出し、思わず焦りの表情を浮かべる。
(俺、この前、普通に抱きしめてたぞ)
ロナードは、数日前にセネリオたちが、海賊たちと共に乗っていた船に攻め込んで来た時の事を思い出し、心の中で呟くと、一瞬、彼の頭の中が真っ白になった。
「知らなかったとは言え、何か、色々と御免」
顔を真っ赤にし、アタフタとしながら、セネトにそう言って謝った。
「あれは仕方がない。 態とじゃないと分かっているし。 そう気にするな」
セネトは、自分が想像していた以上に、ロナードがアタフタしているのが可笑しくて、思わず吹き出し、笑いながらそう言った。
「私たちも、男の子として接していましたからね」
ハニエルは、ロナードが零した紅茶を拭きながら、落ち着いた口調で言う。
「まあ、僕が女だからと何か変わる訳でもない。 これまで通りに接してくれ」
セネトは、落ち着き払った口調で、戸惑っているロナードに言うと、ティカップに注がれた紅茶を啜る。
「いや、それは流石に色々とマズイだろ!」
ロナードは、焦りの表情を浮かべながら、セネトに言い返す。
「何が、そんなにマズイんだ? 変に女扱いする事の方が、色々とリスクが高いぞ。 セネトはそれを分かっていて、敢えて少年の振りをしているんだ」
シリウスは、落ち着き払った口調で、かなり動揺しているロナードに言う。
「女の子と言うだけで、襲って来るクズ野郎も沢山いますからね」
ハニエルは、落ち着き払った口調で言う。
「それに『皇女』と言うよりも、『皇子』と言った方が周りにも舐められない。 多分、皇子=次期皇帝と言うイメージが、世間にはあるのだろう。 それを利用しない手は無いだろう?」
セネトは、不敵な笑みを浮かべながら、戸惑っているロナードに言う。
「でも、そんな嘘、直ぐにバレるんじゃないのか?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら、セネトに指摘する。
「大丈夫だ。 『セネト』と言うのは、僕の兄のミドルネームだ。 僕が旅の間、そう名乗る事を兄も了解している。 兄はあまり人前には出ないから、顔を知らない奴の方が多い。 だから、何の問題も無い。 因みに、兄は僕の事を『セティ』と呼んでいる。 何方でも構わないぞ」
セネトは、優雅に紅茶を飲みながら、落ち着いた口調でロナードに言った。
「……」
ロナードは、何とも言えない、物凄く複雑な顔をしたまま、ポスッとソファーに腰を下ろした。
「まあ、年頃の男の子には、ちょっと刺激が強かったですかね?」
ロナードの反応に、ハニエルが可笑しそうに、クスクスと笑いながら言うと、
「そ、そう言う訳ではっ……」
ロナードは、ハニエルにからかわれて恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしてそう否定する。
「可愛いな? お前は。 そんなに可愛いと襲うぞ」
セネトは、ロナードの反応を面白がって、そう言ってからかうと、隣から物凄い圧が放たれ始めた。
「じょ、冗談だって……」
自分を今直ぐにでも、土に埋めそうな空気を漂わせているシリウスの圧に、セネトは顔を引きつらせ、苦笑いを浮かべながら言う。
「ユリアスに妙な事をしてみろ。 叩き切るぞ」
シリウスは、自分が座っているソファーに立掛けていた大剣の柄に手を掛けながら、物凄い形相と、ドスの利いた声でセネトにそう凄んだ。
「い、言われなくても、分かっているぞ」
セネトは、物凄い圧を放つシリウスに、両掌を向け、何時でも逃げられる様に、少しずつ距離を取りながら、苦笑いを浮かべて言い返す。
「そう、ピリピリしなくても。 恋愛なんて当人同士が良ければ、他がとやかく言う権利などありませんよ? シリウス。 ロナードが『セネトが良い』と言っても、そうやって反対するんですか?」
ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべながら、優しくシリウスに問い掛ける。
「それは……」
ハニエルの問いかけに、シリウスは困った様な表情を浮かべ、返す言葉を失う。
「全く。 お前はロナードの事となると、直ぐにムキになる。 そんな風では、ロナードからその内、呆れられて愛想を尽かされるぞ?」
セネトは、軽く溜息を付いてから、呆れた表情を浮かべながら、シリウスに言うと、
「余計な世話だ」
シリウスは、ムッとした表情を浮かべて、言い返す。
「た、た、大変です! 起きて下さい!」
バタバタと忙しく、廊下を走る足音が近づいて来ると、勢い良く部屋の入口の扉が開き、トスカナが血相を変えて、そう叫びながら部屋に駆け込んで来た。
「んん? 何だ? こんな朝っぱらから……」
入り口から一番手前のベッドに寝ていたシリウスは、眠そうに目を擦りながら、ゆっくりと身を起こし、五月蠅そうにトスカナに問い掛ける。
「大変なんです!」
トスカナは、青い顔をしてそう言いながら、ベッドの上に座っているシリウスの側に駆け寄ってくる。
「だから……。 何がそんなに大変なんだ?」
シリウスは、自分の額に片手を添え、五月蠅そうな顔をしながら、トスカナに問い返す。
「解けちゃったんですよ! 魔物から町を守る結界が!」
トスカナは、真っ青な顔をしたまま、シリウスに説明する。
「そうか」
シリウスは、淡々とした口調でそう返すと、コテンとベッドの上に転がる。
「眠っている場合じゃないですよ! 早く直さないと、魔物が町の中に入ってきます!」
トスカナは、焦りの表情を浮かべながら、再び夢の世界へ旅立とうと、ベッドの上に寝転がったシリウスの腕を掴みながら言う。
「そんな事は、寺院の仕事だろ」
五月蠅そうな顔をしたまま、片方の目を開けながら、トスカナに言い返す。
「昨日から聖女候補の試験で、寺院に居る僧侶の大半が、聖女候補たちの補佐として、町から離れた森へ魔物退治に行っていて、結界を修復出来る人が居ないんですよ!」
トスカナは、焦りの表情を浮かべたまま、必死にシリウスに説明する。
「その話、本当なのか?」
トスカナが騒ぐ声に目を覚ましたセネトが、ベッドから身を起こし、真剣な面持ちで彼に問い掛ける。
「はい! 今、町はその所為で大混乱です」
トスカナは、真剣な面持ちで答える。
「僧侶たちの殆どが、町に居ないタイミングで結界が解けるなんて、タイミング良すぎるだろ……」
ロナードは、一番の奥のベッドに寝ていたロナードが、モゾモゾと起き上がり、徐に目に掛って来た前髪を片手で掻き上げながら、まだ眠そうな様子で呟いた。
「それは、眠っている場合では無いですね」
ハニエルも、眠そうにしながらも、そう言ってベッドから出る。
「全く。 久しぶりに揺れない場所で、ゆっくり眠れると思ったのに……」
セネトは不服そうに呟きながら、ゆっくりとベッドから出る。
「迷惑な話だ」
シリウスは、物凄く不機嫌な顔をして、そう呟くと、仕方が無いと言った様子で、ベッドから出る。
「直ぐに支度をしますから、トスカナさんは、部屋の外で待って居て下さい」
ハニエルは、焦っている様子のトスカナに言うと、
「落ち着いては?」
ロナードはそう言うと、テーブルの上にあった水差しから、コップに水を注ぐと、すっかり動転しているトスカナに差し出した。
「すみません……」
トスカナは、ロナードが差し出したコップを受け取ると、此処まで思い切り走って来て、喉が渇いていた様で、物凄い勢いで水を一気に飲み干した。
そして、一息つけた事で、幾分か落ち着きを取り戻すと、
「外で待って居ます。 出来るだけ早く来て下さい」
トスカナは、真剣な面持ちで、ロナード達に言い残し部屋を後にした。
「私は魔術師ではないから、寝ても良いか?」
シリウスは、眠そうに頭を掻きながら、無責任にそう言い放った。
「駄目ですよ!」
「何を言っているんだ! お前はッ!」
ハニエルとセネトが、焦りの表情を浮かべながら、尽かさず、強い口調でそう言い返す。
「ふふふ……」
同じ頃、ロナード達が滞在している町から、離れた場所にある、聖女候補たちの試験の会場となっている森の近くに設けられた、天幕の一つの中に居たティティスは椅子に座り、メイドに髪を梳いてもらいながら、上機嫌で笑みを零す。
(今日はやけに機嫌が良いわね。 天幕に泊まる事も、魔物退治だって、あんなに嫌がっていたのに……どういう心境の変化? 気持ち悪っ)
長い黒髪を後ろに一つで三つ編みに束ね、両耳に銀のリングピアスをした、深緑色の双眸に赤銅色の肌を有した中肉中背、凛とした顔立ち、右の顎の下に黒子がある、騎士が着る青色のサーコート、白い鎧に身を包み、年の頃は二十代前半と思われる、別の女性の騎士が、妙に上機嫌なティティスを見ながら、戸惑いの表情を浮かべつつ、心の中で呟く。
彼女は、第三騎士団の隊長をしているルチルと言う人物で、代々将軍を輩出している名家の娘で、現当主である彼女の父親も将軍を務めている、騎士の家系の者だ。
セネトとは幼馴染で、彼女の事は勿論、セネトの妹であるティティスの事も良く知っている。
今回、ティティスが聖女候補の試験を受けるので、彼女の護衛として、部下数人と共にここに来ているのだが、ティティスの相変わらずの我が儘っ振りに、彼女たちは振り回されてばかりいる。
ティティスは当初、今回の魔物退治には参加しない事になっていた。
それなのに、昨日の夕方になって急に、彼女が参加すると言い出した所為で急遽、持っていなかった天幕を調達し、大急ぎで天幕を張り、ティティスが快適に過ごせる様にと、寺院の兵士たちに頼んで、ベッドなどは簡易的な物ではなく、室内用の物を態々運び込ませた。
他の受験者が、近くの川で汲んだ水で、簡単に体を清め、簡易ベッドで一夜を明かしたのに対し、ティティスはその川の水を沸かしたお湯を張った湯船に浸かり、香油が使われている高級石鹸を当たり前の様に使用し、高級な寝具に身を包み、フカフカのベッドで就寝した。
ティティスへの寺院の手厚過ぎる対応には、ルチルもドン引きし、当然の事ながら、他の聖女候補の受験者たちの間から、不平不満の声が聞こえて来た。
当のティティスは、それが当たり前と言わんばかりに、周囲の声などお構いなしだ。
こう言う横柄な態度が人々の反感を買い、ティティス当人は勿論、皇帝とその一族への不平不満に繋がるなどとは、彼女は考えもしないのだろう。
こんなのが、人の上に立つ者なのか思うと、ルチルは毎回、軽い眩暈を覚える。
兎に角、この我が儘な皇女のお守り係りの任務から、一刻も早く解放されたい。
ルチルは心の底から、そう切望していた。
(うふふ。 きっと今頃、町は大騒ぎになっているわ。 お姉さまと生意気な金髪が慌てふためく様を見られないのは、ちょっと残念だけど。 痛い目に遭うと良いのよ)
ティティスは、心の中で呟くと、ニヤリと笑みを浮かべた。
(あ~…こう言う顔をする時は大抵、何か企んで居る時だわぁ。 面倒臭っ)
ティティスの表情を見て、ルチルはそう直感した。
「た、た、大変です! 町の結界が解けて、魔物が!」
そう言いながら、寺院に仕えている兵士が、血相を変えて、断りも無く天幕へ駆け込んで来た。
「キャッ」
ティティスは驚いた表情を浮かべ、思わず声を上げる。
「貴様。 断りも無く、皇女様の天幕に入るとは何事だ!」
ルチルは表情を険しくし、強い口調で、駆け込んで来た寺院の兵士に一喝した。
ぶっちゃけ、この兵士がティティスの裸を見ようと、知った事では無いのだが、一応、任務上、そう言わねばならない立場なので、ルチルは言っただけに過ぎず、本気でティティスの事を心配した訳でも、怒っている訳でもない。
「す、すみません」
ルチルに叱られ、寺院の兵士は慌てて謝罪する。
「それで……。 そんなに慌てて、何があったと言うの?」
ルチルは、軽く溜息を付いてから、徐に駆け込んで来た寺院の兵士に問い掛ける。
「先程、町から火急の知らせがあって、どう言う訳か、町を魔物から守る結界が、解けてしまって、魔物が町に迫っているそうなのです」
寺院の兵士は、相当慌てて来た様で、息を切らせながら、ルチルにそう説明する。
次の瞬間、ティティスが一瞬だけ、ほくそ笑んだのをルチルは見逃さなかった。
(まさか……)
ルチルは、一抹の不安を覚え、心の中で呟く。
「まあ。 それは大変ですわ。 急いで戻って町の人達を助けないと」
ティティスは、全く心の籠っていない、ほぼ棒読みに近い口調で、そう言った。
「そう言う事ですので、試験は延期します。 皆さん、急いで町へ戻る準備を」
寺院の兵士は、真剣な表情を浮かべながら、話し合いで決まった事を告げた。
「はぁ~い」
ティティスは、面倒臭そうな様子で、そ気のない返事をした。
同じ頃、ロナード達はトスカナに連れられ、町の中心部に来ていた。
トスカナが言った通り、町を守る結界が解けたと知った人達が、家から貴重品などを持って飛び出したのは良いものの、何処へ逃げて良いのか分からず混乱し、右往左往しており、町の中は大騒ぎになっていた。
「思ったよりも、混乱しているな……」
町の様子を見て、セネトは苦々しい表情を浮かべながら呟く。
「何方か、町の結界について詳しい方は居ませんか?」
ハニエルが、臆する様子も無く、落ち着いた口調で、自分の前を行き交う人々に声を掛ける。
「知ってどうすんだよ?」
「馬鹿な事を言ってないで、アンタたちも早く逃げな!」
ハニエルの問い掛けに、人々がそう言い返す。
「え? 私たち、逃げちゃっても良いんですか? 結界、張れますけど?」
ハニエルは、キョトンとした表情を浮かべながら、人々に向かってそう言うと、それまで、右往左往していた人々がピタッと足を止め、一斉に彼を見る。
「結界が張れるって話、本当か?」
近くに居た中年の男性が徐に、ハニエルに問い掛ける。
「ええ。 私を含めて三人、魔術師ですが」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべ、落ち着いた口調で答えた。
「有り難い!」
「寺院の人達が留守にしていて、困っていたんです!」
「早く、結界を直して下さい!」
それを聞いて、近くに居た人達は口々にハニエルに言う。
「皆さん。 取り合えず、落ち着きましょうか?」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら言うと、それまで、蜘蛛の子を散らした様に大騒ぎだったのが嘘の様に、町の中が静まり返った。
「まず、僕等が簡易的な結界を張る。 女性や子供、年寄りはその中に避難を。 男性たちは結界を張る手伝いと、人々の避難の誘導を頼みたい」
セネトは良く通る声で、町の人達にそう指示を出す。
「結界の基礎が何処にあるか、知っている者が居るのなら、教えて欲しいのですが」
ハニエルが、町の人達に言うと、
「儂が、知っています」
「私も」
「おれも」
と、お年寄りを中心に、結界の基礎がある場所を知っていると、次々と申し出る者が現れた。
「良し。 僕は簡易結界を張る。 ロナードとハニエルは結界の張り直しを頼む シリウスは、戦えそうな人たちを集めて、魔物の襲撃に備えろ」
セネトは、落ち着いた口調で言うと、三人は真剣な面持ちで頷き返す。
「シリウスの兄貴」
「おれ達も手伝いやす」
「何でも言って下せぇ」
そこへ、ロナード達と共に、キャラバンの護衛をしていた傭兵たちが、騒ぎを知って合流して来て、口々にそう言って来た。
他にも、町の自警団やカメリアの邸宅を警備している兵士なども、この騒ぎを知って駆け付けて来た。
彼等と、落ち着きを取り戻した町の人達は、セネトの指示の下で手分けをして、作業に取り掛かり始めた。
「ど、どう言う事?」
聖女候補の選別試験会場となっていた、町から離れた森から、他の受験者たちや、寺院の兵士、僧侶たちと共に戻って来たティティスは、自分の想像を超えて、町の人達が秩序を保ち、魔物の襲撃に備えているのを見て、戸惑いの声を上げる。
「ああ。 僧侶さま。 寺院長さま」
聖女候補の選別試験を延期して、大急ぎで戻って来た寺院の者たちの姿を見るなり、町の外で、魔物の襲撃に備えていた人たちが、安堵の表情を浮かべながら、声を掛けて来た。
「町は大丈夫ですか?」
僧侶たちを束ねる、この町の寺院長である、初老の白いローブを来た男性が、心配そうに町の人達に問い掛ける。
「はい。 居合わせた、傭兵の方たちのお陰で、大事にならずに済みそうです」
町の人の一人が、落ち着いた口調で答えていた矢先、ティティスやルチルは酷い耳鳴りに見舞われる。
この症状は、魔力を持っている者ならば、若干の個人差はあるが誰しも経験する事で、結界を張る瞬間に良く見られ、結界を張る者の魔力が強ければ強い程、耳鳴りの音は大きく、音域も高くなる。
頭が割れそうな程の大きな音共に、キーンと言う高音域の耳鳴りが、ティティスを含め、寺院の僧侶たちや、聖女候補の者たちの耳に響き、彼等は堪らず、両手で自分の両耳を塞いでしまった。
数分もしない内に、その耳鳴りはピタリと止まったが、次の瞬間、背中が凍り付きそうな程の、自分たちとは桁違いの強い魔力を感じ、ティティスやルチル、寺院の僧侶、聖女候補たちは思わず、表情を強張らせる。
「な、なに……。 この魔力……。 有り得ないんだけど……」
ティティスは、全身から冷や水を浴びた様に、背中に大量の冷や汗を流し、恐怖に表情を引きつらせながら、そう呟いた。
その時、森から町へと移動して来た彼等を追尾していたのか、鷲の翼と嘴、蜥蜴の様な胴体と顔、雄鶏の様な尾羽を持った、全身が緑色の、悠に二メートルはあろうかという程の、大きな鳥の化け物が十匹程、ティティス達に向かって一気に急降下してきた。
「うわあああっ!」
「魔物だ!」
「殺される!」
それに気が付いた、町の人達や僧侶たちの間から、次々と悲鳴が上がり、その場に居合わせた人たちは血相を変え、逃げ惑う。
あまりに突然の事に、ティティスは恐怖で足が竦み、動けずにいる所に、一匹の鳥の化け物が鋭い嘴を彼女に向け、突進して来る。
「ティティスさま!」
「姫っ!」
それを見て、彼女の護衛の騎士たちが、口々に悲鳴に近い声を上げる。
もう駄目だと、ティティスは思い、その場にへたり込んだ次の瞬間、彼女の目の前に炎の塊が過り、彼女に襲い掛かろうとした鳥の化け物に直撃すると、鳥の化け物は忽ち火達磨になり、焼き焦げて、そのままボトッと地面の上に力なく落ちてしまった。
「は……わ……」
恐怖に青ざめて顔を引きつらせ、腰が抜けて動けなくなったティティスは、恐ろしくて声すら出せない。
「何をしている! ボサッとするな!」
セネトがそう叫びながら駆け寄り、恐怖に青ざめ、腰を抜かし、動けなくなっているティティスを庇う様にして、鳥の様な化け物と対峙する。
「セティ……」
彼女を見て、ルチルは戸惑いの表情を浮かべながら呟いている目の前で、突然、風を巻き上げる轟音と共に、物凄い突風が吹き抜け、ティティス達を襲おうとしていた鳥の化け物たちは、あっという間に空の彼方へと舞い上がり、見えなくなってしまった。
「セネト!」
「大丈夫ですか!」
そう言いながら、若い男が二人、セネトの側に駆け寄ってきた。
一人は少し長めの黒髪の、目鼻立ちの整った長身な青年。
もう一人は、長い銀髪を有した長身で、目の覚める様な物凄い美人。
「二人とも。 もう結界を張ってしまうとは、流石だな」
セネトは、駆け寄って来た二人に向かってそう言うと、ニッと笑みを浮かべる。
「無茶をするな」
慌てて駆け付けたのか、黒髪の青年が息を切らせながら、セネトに言う。
「ホントですよ」
銀髪の長い髪の物凄い美人も、額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、疲れた様子で呟く。
間違いない。
町に、以前よりも強力な結界を張り直したのは、この二人だ。
ティティスを含め、聖女候補の者たち、寺院の僧侶たちは、二人から感じる魔力の雰囲気などから、直感的にそう感じた。
「状況は?」
セネトは、落ち着いた口調で二人に問い掛ける。
「町の東に、魔物の群れが詰め掛けた様ですが、其方はシリウスたちが対処しています」
銀髪の長い髪の物凄い美人が、落ち着いた口調で答える。
「よし。 僕等は他に魔物が居ないか、確認に行くぞ」
セネトは落ち着いた口調で言うと、
「人使いが荒いぞ」
「そうですよ。 私たち、結界を張ったばかりですよ? 少しは休ませて下さい」
二人は揃って、物凄く嫌そうな顔をして、セネトに言う。
「何を言ってる。 ほらほら動け」
セネトは意地悪な顔をしてそう言いながら、かなり疲れている様子の二人の背中を、バンバンと叩きながら言う。
「眠いのに……」
黒髪の青年は、ゲンナリした表情を浮かべながら言う。
『セティ。 残りの魔物の始末なら私たちがするわ。 彼等を休ませてあげて』
ルチルが徐に、セネトにそう声を掛けると、
『本当ですか?』
ルチルの言葉を聞いて、銀髪の物凄い美人が声を弾ませ、嬉しそうに言う。
『ええ。 だから、貴方たちは休んでいいわよ』
ルチルは、落ち着き払った口調で返す。
「何て?」
黒髪の青年は、帝国の公用語が分からないのか、不思議そうな表情を浮かべながら、銀髪の物凄い美人に問い掛ける。
「此方の騎士の方々が、残った魔物の始末をしてくれるので、私たちは休んで良いと仰っています」
銀髪の物凄い美人は、嬉々とした表情を浮かべながら、ランティアナ大陸の公用語で答える。
「それなら、遠慮なく休ませてもらおう」
黒髪の青年はそう言って、その場に腰を下ろそうとした時、ふと、腰が抜けて動けなくなってしまって居るティティスと目が合い、
「この子は放って置いて大丈夫なのか? 腰が抜けてしまっている様だが」
彼女を指差しながら、徐にセネトに問い掛ける。
「あ~……」
セネトは、ティティスの事をすっかり忘れていた様で、ポリポリと頬を掻きながらそう呟くと、彼女の方へと歩み寄り、徐に身を屈めると、
『ティティス。 大丈夫か?』
優しい口調で声を掛けると、スッと片手を差し出した。
『気安く触らないで!』
ティティスは、キッとセネトを睨み付けると、乱暴に彼女の手を払い退け、強い口調で言う。
彼女の言動に、セネトは戸惑っていると、
「面倒な奴だな」
黒髪の青年がそう呟くと、スクッと立ち上がり、ティティスの側に来る。
『な、な、何ですの!』
自分の前に歩み寄って来たロナードを見上げながら、ティティスは戸惑いの表情を浮かべながら言っていると、彼はスッと身を屈め、腰が抜けて動けない彼女を軽々と両手で抱え上げた。
『は?』
突然の事に、ティティスは身を強張らせ、恥ずかしさで顔を真っ赤にして、呟く。
「何処か、休ませられる場所は?」
そんな彼女に構わず、ロナードは落ち着いた口調で、側に居たセネトに問い掛ける。
「ん。 あ、ああ……。 あっち?」
セネトは、自分の視界に何となく入った宿屋の方を指差しながら答える。
チラリと、ロナードに抱き抱えられているティティスを見ると、彼女は顔を赤らめたまま、志雄らしくしているが、セネトが彼女と目が合った瞬間、プイと顔を背けた。
(コイツはッ!)
ティティスの態度に、セネトはカチンと来て、心の中で呟くと額に青筋を浮かべる。
(それにしても……セティってあんなに、魔術の扱いが上手かったかしら? まあ、ティティス様を助けて貰ったから、彼女を護衛している手前、お礼も言わなきゃいけないわよね)
ルチルは、騒ぎが収まり、ティティスが動ける様になると、カメリアの邸宅へ戻り、ティティスを貸し与えられた部屋に休ませると、心の中でそう呟きながら、セネトの部屋へと向かう為、廊下を歩いていると、向こうからセネトが来ている事に気が付いた。
「あら。 こっちに何か用なの?」
ルチルは徐に、セネトにそう声を掛けると、
「ティティスが宿屋から、此方へ戻って来たと聞いて……。 魔物に襲われて、随分と動揺していた様だから、気になって……」
セネトは、複雑な表情を浮かべながら、ルチルの問い掛けに答える。
「普段、アンタの事を虚仮下ろしてる奴の事を心配するなんて、ホント、お人好しね? 私だったら、そんな奴、どうなろうと知った事じゃないって思うし、寧ろ、良い気味だと思うけど?」
ルチルは、呆れた表情を浮かべながら、セネトに言う。
「一応、妹だからな」
セネトは、複雑な表情を浮かべたまま返すと、
「アンタがそんな風に甘い顔をするから、あの馬鹿がつけあがるのよ」
ルチルは、はぁ……と溜息を付いてから、呆れた表情を浮かべたまま、そう指摘する。
「……」
セネトは、複雑な表情を浮かべ、押し黙る。
「アンタが行ったところで、ティティス様が喜ぶ訳ないって分かってるでしょ? 心配するだけ無駄だから、部屋に戻ったら?」
ルチルは、淡々とした口調で、複雑な表情を浮かべているセネトに言う。
「……分かった」
セネトは少し悲しそうにそう返し、徐に踵を返そうとすると、
「待って。 セティ。 色々と話したい事があるから、今から部屋に行っても良い?」
ルチルがそう問い掛けると、
「え。 あ、ああ。 構わないけれど……」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら返す。
「まあ。 今のは殆ど、ティティスと部屋に居ない為の方便みたいなものだけどね」
ルチルは、セネトの隣に並ぶと、彼女と並んで歩きだし、両腕を自分の頭の後ろに組み、苦笑混じりにそう漏らすと、
「何か……ティティスが色々と御免……」
セネトは、申し訳なさそうにルチルに言う。
「ティティスがああなのは、今に始まった事じゃないでしょ? ティティスの事でアンタが気に病む必要も、謝る必要も無いわ。 ティティス本人の問題よ」
ルチルは、軽く溜息を付いてから、優しい口調でそう返すと、クシャクシャとセネトの頭を撫で回す。
「……その……ティティスは聖女候補になれそうか?」
セネトは、心配そうな表情を浮かべながら、ルチルに問い掛ける。
「普通に考えたら、無理でしょうね」
ルチルは、間髪置かずに即答したので、それにはセネトは驚く。
「何で、そんな顔してるのよ? アンタまさか、あんなのが聖女候補になれるって、本気で思ってるの?」
セネトの反応を見て、ルチルは戸惑いの表情を浮かべながら問い掛ける。
「そう言う訳じゃないけど……」
セネトは、複雑な表情を浮かべながら返す。
「幾ら、力のある第一側妃の実の娘だからって、流石にあんなのを聖女にしてしまう程、寺院も馬鹿じゃ無いわよ。 せいぜい、聖女候補止まりね。 上手い具合に聖女候補の人集めに利用されて、用が済んだら左様ならされるに決まってるわ。 私ならそうする」
ルチルは、両腕を自分の頭の後ろに回したまま、淡々とした口調で自分の見解を語る。
「ルチル……そう言う事は、あまり大声で言う物では……。 もし、ティティスや寺院の関係者が聞いていたらどうする?」
セネトは、焦りの表情を浮かべながら、ルチルに言うと、
「別に、どうもならないわよ。 私は事実を言っているだけだもの」
ルチルは、平然と言い返していると、何故か、セネトたちに貸し与えられた部屋の前に、人集りが出来ているので、
「どうしたのかしら」
ルチルは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
セネトは戸惑いながらも、部屋の方へと向かい、
「部屋に入りたいんだが……」
部屋の前に居た人達に声を掛ける。
集まっている人々は様々で、カメリアの邸宅の使用人や彼女の護衛をしている兵士たち、トスカナのキャラバンの商人や、護衛の傭兵たち、それに、何故か寺院の僧侶たちまでいた。
『殿下! 良い所に!』
セネトが部屋に戻って来た事に気付き、部屋の中に居たこの町の寺院長である、初老のローブを着た男性が、嬉々とした表情を浮かべながら、そう声を掛けて来た。
『な、何なんだ? 一体』
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
『殿下からも、寺院の素晴らしさを、彼等に説明して下さい』
寺院長は、かなり必死な形相で、戸惑っているセネトに言う。
『彼等?』
セネトは、戸惑いの表情を浮かべたまま、チラリと寺院長の後ろを見ると、物凄く困った表情を浮かべているハニエルと、言葉が分からないので事態が良く分からず、戸惑っているロナードが居た。
『この爺は、ハニエルとユリアスの力を目の当たりにして、是非とも寺院に来て欲しいと、断っているにも関わらず、しつこく言っているんだ』
事情が分からないセネトに、シリウスが落ち着いた口調で説明する。
(あ~。 成程な……)
シリウスの説明を聞いて、セネトは物凄く面倒臭そうな表情を浮かべ、心の中で呟く。
『殿下。 助けて下さい。 どうやら寺院長は勘違いをなさっている様なのです』
ハニエルが、困り果てた表情を浮かべ、セネトにそう言った。
『勘違い?』
セネトは、戸惑い表情を浮かべつつ、ハニエルに問い掛ける。
『私たちだけで、結界を張り直す事が出来たのは偏に、殿下の付与魔術のお陰だと言うのに、寺院長は、付与魔術で底上げされた魔力を、私たちの本来の力だと勘違いなさっているのです』
ハニエルは、物凄く必死にそう語り、その隣でロナードが何度もウンウンと頷いている。
セネトは一瞬、ハニエルが何を言って居るのか理解出来ず、『何を言っているんだ』と危うく言い掛けたが、彼と目が合った瞬間、その意図を理解した。
(コイツ等、僕に丸投げする気だな……)
ハニエルの表情を見て、セネトは彼の意図を理解し、思わず心の中で呟いた。
『確かに彼の言う通り、僕は付与魔術を使って、二人の能力を底上げをした』
セネトは、落ち着き払った口調で言う。
本当は、その様な事は一切していないのだが、寺院長たちの関心をロナードとハニエルから逸らす為には、ハニエルの話に合わせる他無いとセネトは判断し、話を合わせる事にした。
『殿下の付与魔術は本当に素晴らしいのです。 殿下の付与魔術により、私とロナードは本来の能力の倍以上の力を発揮する事が出来、そのお陰で、私たち二人だけで、町を覆う結界を張り直す事が出来ました。 私たちの本来の能力では到底、出来る事ではありません』
ハニエルは、落ち着き払った口調で、寺院長にそう説明する。
『彼の話が本当ならば殿下。 貴方は、とても優れた付与魔術の技能をお持ちです。 もし、殿下さえ良ければ、私が聖女候補に推薦致します』
寺院長は、感激した様子で目を輝かせ、セネトの両手を握りしめると、物凄く真剣に言って来た。
『あ、えっ……』
寺院長の思いがけぬ反応に、セネトは戸惑う。
『それはとても素晴らしいです! 私は以前から、殿下の付与魔術の凄さを何故、誰も評価しないのかと不思議に思っておりました。 寺院長が聖女候補に推薦して下されば、殿下も正当な評価が得られる様になりますね』
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら、そうセネトに言うと、ロナードもウンウンと頷く。
(コイツ……ハニエルから、自分が何を言っても、只頷いて居れば良いとでも言われたな)
帝国の言葉がまだ良く分からないのに、ロナードが頷いているを見て、セネトはその様に判断し、ちょっと恨めしそうに彼を睨んだ。
『でも、僕は治癒魔術は使えません。 聖女候補には治癒魔術を使える事が、必須な条件である筈……』
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら、寺院長にそう言うと、
『確かに、治癒魔術を使える方が、聖女候補に選ばれ易いのは事実ですが、治癒魔術が使える事が絶対条件ではありません。 付与魔術はどうしても、治癒魔術や攻撃魔術に比べれば、地味で目立たないですが、その重要性は寺院でもしっかり認識されています。 ですから、付与魔術を得意としている事を、もっと誇って良いと思います』
寺院長は、自信なさそうにしているセネトを見て、ニッコリと笑みを浮かべると、優しい口調でそう言った。
『寺院長……』
寺院長の温かい言葉に、セネトは胸が熱くなるのを感じた。
『今日はこれで失礼致しますが、どうかこの話、良く考えておいて下さい』
寺院長は、穏やかな笑みを浮かべ、優しい口調でセネトにそう言うと、首を垂れて、一緒に来ていた寺院の僧侶たちと共に部屋を後にした。
『寺院長から、直接お声が掛かるなんて!』
『物凄い事なのに……』
様子を見ていた野次馬たちが、口々にその様な事を呟いている。
『貴様らには関係の無い事だ。 さっさと散れ』
シリウスが、物凄く五月蠅そうな顔をして、冷ややかな口調で、野次馬たちに言い放つと、彼の何とも言えぬ冷ややかな雰囲気に圧倒され、野次馬たちはたじろぎ、その場から立ち去って行った。
『でも、皆の言う通りだと思うわよ』
野次馬たちが居なくなり、部屋に入る事が出来る様になると、ルチルが部屋の中に入って来ながら、セネトに言った。
『僕は別に聖女候補になりたい訳では無いし、何より、今、必死に聖女候補になろうと試験を受けている人達を差し置いて、僕が寺院長推薦を受けるのは可笑しいだろ』
セネトは、苦笑いを浮かべながら、ルチルにそう言い返した。
『ホント。 アンタって昔から欲が無いわね……』
ルチルは、軽く溜息を付いてから、呆れた表情を浮かべながら言った。
『殿下。 此方の方は?』
ハニエルは、戸惑いの表情を浮かべながら、セネトにルチルの事を問い掛ける。
「彼女は、第三騎士団の隊長をしているルチルだ。 僕の幼馴染で、今は妹のティティスの護衛の任に就いている。 僕等と話したい事があるらしくて、部屋に来てもらったんだ」
セネトは、ロナードにも分かる様に、ランティアナ大陸の公用語で説明する。
『何で、ランティアナの言葉で喋っているの?』
ルチルは、不思議そうな顔をして、セネトに問い掛ける。
『ロナードがまだ、帝国の言葉を良く理解出来ないんだ』
セネトが簡潔に、理由を説明すると、
「貴方、ランティアナの人?」
ルチルは徐に、ランティアナの言葉でロナードに問い掛ける。
「はい」
ロナードは、真っ直ぐにルチルを見据え、落ち着いた口調で答えた。
「ふぅん」
ルチルはそう呟きながら、注意深くロナードの事を観察しながら、
(黒髪だから、帝国本土の生まれかと思ったけど、確かに肌の色は私たちより薄いし、背が高くて、スラッとしている感じとか、顔立ちとかは、北の大陸の人間の特徴ね)
心の中でそう呟く。
「こっちは、明らかに北の大陸の人間って感じだけど……。 貴方は帝国と北の大陸の人間との混血なの?」
ルチルは、チラリとシリウスの方を見てから、徐にロナードに問い掛ける。
「此方は俺の兄だ。 父はランティアナ大陸の者だが、母は帝国本土の出身だ」
ロナードは、落ち着いた口調でルチルの質問に答えた。
「ふぅん。 兄弟……。 言われてみれば、目元とか雰囲気とか、似てるわね」
ルチルは、ロナードとシリウスを見比べながら、落ち着いた口調で言う。
「弟とは、小さい頃から似ていると言われた事は、あまり無いのだが」
シリウスは、苦笑いを浮かべながら、ルチルにそう言うと、
「そう? 確かに髪の色とか、顔立ちとかは違うけれど、でも、纏っている雰囲気とか、ちょっとした表情とか、似ていると思うわよ」
ルチルは、キョトンとした表情を浮かべながら、シリウスに言った。
「良く見ていますね?」
ハニエルは、苦笑いを浮かべながら言うと、
「まあ、私たち第三騎士団は主に、皇族の護衛を任務としているから、相手の表情を良く観察する事を求められるの。 そうする事で、相手のちょっとした表情の変化に気付く事で、襲撃に備えられる様になるって訳」
ルチルは、ちょっと得意気に説明をする。
「なかなか、優秀な方の様ですね?」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら言うと、
「まぁねぇ」
ルチルは、ドヤ顔でそう返す。
「それでルチル。 僕たちに話しておきたい事って?」
セネトは、徐にソファーに腰を下ろしながら、ルチルに問い掛ける。
「今日の結界が解けた事だけど……。 それって、人為的なんじゃない?」
ルチルは、真剣な表情を浮かべ、セネトにそう問い掛ける。
「何故それを?」
ハニエルは微かに眉を顰め、真剣な面持ちでルチルに問い掛ける。
「何となく……ね」
ルチルは、何とも言い難い表情を浮かべ、少し言葉を濁して答えてから、
「それで、結界を壊した犯人は見付かったの?」
真剣な面持ちで、そう問い掛ける。
「ああ。 数日前に町の外から来たゴロツキ共だ」
セネトが、真剣な面持ちで答えると、
「彼等は、身なりの良いメイドぽい女性から、結界の基礎となっている石柱の一部を壊す様に彼等に言い、かなりの大金を手渡して来たので、引き受けだけだと言って居ますが……」
ハニエルが、神妙な面持ちでそう付け加える。
「奴らの言う事が何処まで事実なのか、今の段階では何とも言えない。 それに、奴らの言う『身なりの良いメイドぽい女性』というも、あまりに漠然とし過ぎて、誰なのか突き止められるかどうか……」
セネトは、苦々しい表情を浮かべながら語る。
「成程ね」
ルチルは、軽く溜息を付きながら、そう呟く。
「その人たちは、寺院に引き渡しましたので、彼等の処遇については、寺院に一任しようと言う事で、私たちも町の人達も落ち着きました」
ハニエルが、落ち着いた口調で説明する。
「まあ、町を守る結界を壊したのだから、重罪は免れないでしょうね」
ルチルは、淡々とした口調で言うと、セネトやシリウスは、真剣な面持ちで頷く。
「ルチル……。 今回の事、もしかして、ティティスが関わっているんじゃないのか?」
セネトが徐に、ルチルにそう問い掛けると、彼女は弾かれた様に彼女を見る。
「……やはりそうか……」
ルチルの表情を見て、セネトは悟った様に、溜息混じりに呟いた。
「何故……分かったの?」
ルチルは、戸惑いの表情を浮かべながら、セネトに問い掛ける。
「最初は、この町に恨みを持っている者の仕業かと思ったが、それにしては雑過ぎる。 僕ならもっと確実に沢山の魔物が町に侵入して、大きな被害や死人が出るよう、結界を破壊するだけでなく、他にも細工する。 だが、ただ結界を破壊しただけで終わっている……。 逆に言えば、その程度で構わない。 寧ろ、人々が混乱している様を見たいだけかも知れない……。 そう思ったんだ」
セネトは、落ち着いた口調で、ルチルに自分の見解を語った。
「……」
ルチルは、複雑な表情を浮かべたまま、彼女の話に耳を傾ける。
「そんな、誰の得にもならない質の悪い悪戯を態々、大金を叩いてまでさせる様な奴は誰か……。 そう考えた時、真っ先にティティスの顔が浮かんだ……と言う訳だ」
セネトは、落ち着いた口調で語る。
「恐れ入ったわ」
ルチルは、苦笑いを浮かべながら言うと、
「ハニエルやロナード達と話をしていく内に、そう言う考えに至っただけで、僕一人の考えじゃない」
セネトは、淡々とした口調で言う。
「私も、ティティス様が関与したと言う、確実な証拠がある訳じゃないの。 でも、ティティス様の様子を見た限り、少なからず何か知っている。 それは確かよ」
ルチルは、真剣な表情を浮かべ、セネトにそう語った。
「町の結界を破壊する事は、そこに住む多くの人達の身命と財産を危険に晒すに等しい行為だ。 幾ら皇族だからと言って、許される事では無い。 ティティスのした事は、皇帝陛下と皇族の威信を著しく貶める行為で、厳罰に処させるべき愚行だ」
セネトは、表情を険しくし、不愉快さを露わにしながら、強い口調でティティスを批判する。
「そうは言っても、確たる証拠が無い以上、彼女を摘発する事は難しいわ。 私たちが問い質したところで、『知らぬ 存ぜぬ』で押し通すでしょうし……。 何よりも私は、同じ町に居たばかりに、アンタにまで、その責任が及ばないかが心配よ」
ルチルは、真剣な面持ちで、セネトに言うと、
「それは、護衛を担当していたお前にも、当て嵌まる事だろう?」
セネトは、落ち着いた口調で言い返した。
「だからと言って、事件を揉み消すのは悪手だわ。 そんな事をしたら、より一層、民からの批判を受ける事になるもの」
ルチルは、真剣な面持ちで言う。
「証拠がない以上、憶測だけで物事を言うのもどうかと思います。 万が一、誰かの耳に入ったら大変な事になりますよ」
ハニエルか、落ち着いた口調で言ってから、チラリとセネトたちの背後へ視線を向けるので、二人は徐に振り返ると、そこには、この邸宅の主であるカメリアが立っていた。
『必要な商品が届いたので、帝国本土へ船を出すついでに、殿下もご一緒に如何かと思い、お声がけしようと参った次第なのですが……』
カメリアは、ニッコリと笑みを浮かべながら、焦りの表情を浮かべているセネトに言う。
『か、カメリア。 今の話は、あくまで憶測であって……』
セネトは、焦りの表情を浮かべ、カメリアにそう説明をする。
『ティティス様の破天荒さは、私も良く存じ上げておりますので、今更、驚きもしませんが……。 もしも、その憶測が事実であった場合は、私、ティティス様には今後一切、商品を売らない事に致します』
カメリアは、笑みを浮かべたまま、落ち着いた口調で言うが、その目は笑っていない。
『そ、そう。 好きにしたら良いんじゃない?』
ルチルは、苦笑いを浮かべながら言う。
『ルチル様。 今、『私一人が商品を売らなくなったところで』と、お思いになったでしょう?』
彼女の言動にカメリアは、ニッコリと笑みを浮かべたまま、淡々とした口調でそう指摘する。
『えっ……』
カメリアの只ならぬ雰囲気に、ルチルは嫌な予感がして、思わず顔を引きつらせる。
『私が商品を売らないと言う事は、私と取引のある商人、私の傘下にある商会の全てが、商品を売らないと言う事です。 そうなった場合、ティティス様はドレス一着新調するのも、ままならない状況に陥るかと』
カメリアは、ニッコリと笑みを浮かべたまま、ルチルたちにそう説明する。
(こわッ……)
彼女の言葉を聞いて、ルチルは思わず顔を引きつらせ、心の中で呟いた。
『一歩間違えば、大惨事になっていたのですから、この位の仕返しは当然かと思います。 私の愛する故郷を傷つける者は、誰であろうと容赦はしません。 その事をどうか、お忘れなきよう』
カメリアは、ニッコリと笑みを浮かべたまま、セネトたちに言い放った。
『あ、ああ……』
セネトは、焦りの表情を浮かべながらも、そう返事を返した。
(彼女を、敵に回す事だけは止めよう)
セネトは、カメリアの雰囲気から、決して冗談で言ったのではない事を感じ取ると、心の中でそう呟き、恐怖に顔を引きつらせた。
『でも、町を守って下さったセレンディーネ様にそれを申し上げるのは、お門違いですわね。 私、受けた恩も必ず返す主義ですの。 それで、私の商船で良ければ、帝国までご一緒なさらないかと思い、お伺いに参った次第です』
カメリアは、ニッコリと笑み浮かべ、かなのドン引きしているセネトに言う。
『良いんじゃない? 彼女の船は、その辺の旅客船よりも立派よ。 私たちも帝国からトロイアまで、乗せてもらったけれど、揺れが少なくて、とても快適な船旅たっだわよ』
カメリアの言葉を聞いて、ルチルがセネトに言う。
『それは有り難い。 是非、乗せて貰えないだろうか』
船酔いをするセネトは、嬉々とした表情を浮かべ、カメリアに言うと、
『喜んで』
カメリアは、ニッコリと笑みを浮かべて、セネトにそう答えてから、チラリとロナードの方を見て、
『それともう一つ……』
カメリアはそう言うと、何やら懐から、一枚のあまり質の良くない紙切れを取り出し、セネトの前に広げて、置く。
彼女が出した、その紙切れを見た瞬間、セネトは勿論、他の四人の表情も強張る。
『これを……何処で?』
セネトは、表情を強張らせ、おずおずとカメリアに問い掛ける。
『先程、イルネップ王国から戻って来たウチの商団員から、報告を兼ねて渡されたものです。 これに描かれている似顔絵……。 お連れ様ではございませんか?』
カメリアは、真剣な面持ちでセネトにそう言ってから、徐にロナードの方へと目を向ける。
彼は、表情を強張らせたまま、カメリアが差し出した紙切れを見つめている。
それは、ロナードの似顔絵と共に、彼の特徴を記した手配書だった。
「イシュタル教会め……」
「ここまでするとは……」
それを見て、シリウスとハニエルは、表情を険しくして呟く。
「居場所を教えた者には……。 て、帝国金貨、ご、五十枚ぃ(百万円相当)!? 捕縛して教会の支部に引き渡したら……二百五十枚(五百万円相当)って……何をしたのよ? アンタ」
紙に書かれていた内容を読んで、ルチルは驚きのあまり、目を白黒させながらロナードに言う。
『幸いと言うべきか、この南半球ではガイア神教の信者が殆どで、女神イシュタルを崇める人はほんの一握りです。 ですが、この高額な賞金に目が眩み、彼の事を教会に通報したり、捕らえようとする者が、少なからず現れると思われます』
カメリアは、真剣な表情を浮かべながら、セネトに言うと、彼も頷き返し、
『その可能性は否定出来ない。 何より、数で来られたら僕たちだけでは、太刀打ち出来ないだろう』
神妙な表情を浮かべ、重々しい口調で返す。
『急ぎ、帝国へ立つ準備を』
カメリアは、真剣な面持ちで言う。
『待て。 セネト。 コイツやその仲間が、ユリアスの事を通報しないと言う保証はない』
シリウスが、真剣な表情を浮かべ、セネトにそう指摘する。
『シリウスの言う通りです。 私たちの味方の振りをして沖に船を出し、教会の者が乗った船と落ち合い、ロナードを引き渡す可能性は十分に有り得ます。 海の上では逃げ場が無いですからね』
ハニエルも、真剣な表情を浮かべ、セネトにそう警告する。
『貴方たちが、知り合って間もない私を警戒するのは無理も無い事だわ。 でももし、貴方たちが言う様な事を私が考えていたとしたら態々、この手配書の事を貴方たちに教えるかしら?』
『確かに……』
セネトは、神妙な面持ちで呟く。
『味方だと思わせて、油断させるつもりなのでは?』
シリウスが、淡々とした口調でカメリアにそう言い返すと、真剣な面持ちで彼女を見据える。
『そう考えるのね』
カメリアは、溜息を軽くついてから、落ち着いた口調で言い返してから、
『私共は、殿下たちを乗せるつもりで、急いで準備を進めます。 私の協力が必要な場合は、遠慮なくお申し付けください』
カメリアは、真剣な面持ちでセネトにそう言い残すと、クルリと踵を返し、足早に部屋を後にした。
『……』
セネトは、複雑な表情を浮かべながら、カメリアの背中を見送った。
「カメリアは、信用して良いと思うわ」
暫くの沈黙の後、ルチルが徐にそう言った。
「そう思う根拠は?」
シリウスが、真剣な面持ちで問い掛けると、
「もし、彼を教会に差し出すつもりなら、彼女一人で部屋に来るわけが無いもの。 自分の所の兵士を伴って来ていた筈」
ルチルは、落ち着いた口調でそう指摘する。
「それは一理ありますね……」
ハニエルは、神妙な面持ちで呟く。
「それに、カメリアからしてみれば、金貨二百五十枚って、そこまで大金では無いと思うの。 それよりも、皇族からの信用の方が大事な筈よ。 彼を教会に引き渡したら間違いなく、セティからの信用は失ってしまう。 それは、彼女にとって金貨二百五十枚よりも、重い事じゃないかしら」
ルチルは、落ち着いた口調で、そう説明する。
「成程……」
シリウスは、片手を自分の顎の下に添え、神妙な面持ちで呟く。
「それに旅客船だと、教会の者が乗り込んでいる可能性があるわ。 カメリアの船なら、その心配をする必要は無いし」
ルチルは、落ち着いた口調でそう続ける。
「それは、そうだが……」
セネトは、神妙な面持ちで呟く。
「貴方は、どう思いますか? ロナード」
ハニエルは、真剣な面持ちで、先程から深刻な表情を浮かべ、黙り込んでいるロナードに問い掛ける。
「えっ……」
急にハニエルに話を振られ、ロナードは戸惑いの表情を浮かべる。
「他ならぬ、貴方自身の安全に関わる事です。 貴方の意見を聞かせて下さい」
ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべながら、優しい口調でロナードに言う。
「俺は……」
ロナードは、どう返事をしたら良いのか分からなくなり、返事に窮する。
「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
セネトは、テーブルを挟んで向かいのソファーに座っていたロナードの顔から血の気が失せ、膝の上に組んでいる両手が微かに震えている事に気付き、心配そうに声を掛ける。
「今日は、色々とあり過ぎましたね。 少し横になっては?」
隣に座っていたハニエルが、ロナードの肩に手を添え、優しい口調で言う。
「あ、いや……大丈夫……」
ロナードはそう言い掛けて、急に隣に座っているハニエルの肩に凭れ掛かる様にして、スウッと眠ってしまった。
ロナードが眠りに落ちたと同時に、何の花の香なのかは分からないが、微かに甘い匂いが部屋を通り抜けた。
「おい」
シリウスは、表情を険しくして、セネトに声を掛ける。
「御免……。 何だか見ていて、居た堪れなくなって……」
セネトは、申し訳なさそうに、自分を睨んでいるシリウスに言う。
「だからって、当人に断りも無く、いきなり魔術で眠らせるのはどうなの?」
ルチルは、呆れた表情を浮かべ、セネトに言う。
「手配書を見てかなり、動揺していましたからね。 このまま話をしても恐らく、上の空だったと思います。 それに、教会からの追手と会ってから、あまり良く眠れていない様でしたから……。 丁度良いですよ」
ハニエルは徐に、自分に凭れ掛かって眠ってしまったロナードの頭を、自分の膝の上に倒す様に、二人掛けのソファーの上に横にしながら、穏やかな口調で言う。
「もう一日くらい滞在して、体調を整える時間をやりたがったが……」
シリウスは、眠っているロナードの側に来て腰を下ろすと、沈痛な表情を浮かべながらそう言って、ロナードの目元に掛かって来ていた彼の髪を、片手で優しく払う。
「……カメリアに先程の発言を詫びて、彼女の商船に乗せて貰おう」
セネトは、真剣な面持ちで言うと、
「そうだな」
シリウスは、ロナードの頭を優しく撫でながら、そう言った。
翌日……。
「こ、これが商船だって?」
セネトは、港の片隅に停泊している、カメリアが所有する船を一目見て、思わず驚きの声を上げる。
「……大砲が幾つもあるんだが」
ロナードも、自分が想像していた商船とは大きくかけ離れた、もはや軍艦と言って良いほど大きく、武装している船を見て圧倒され、思わずそう呟く。
「もう、これは軍艦ですね」
ハニエルも、苦笑いを浮かべながら言う。
「ようこそ。 我が商船へ」
カメリアが船から降りて来ながら、満面の笑みを浮かべ、戸惑っているロナード達にそう声を掛けて来た。
「……これを商船と言い張るか」
流石のシリウスもシリウスも、呆れた表情を浮かべながら、カメリアに言う。
「うふふ。 備えあれば憂いなしと言うでしょう? 海賊船なんて、この大砲であっという間に海の藻屑ですわ♪」
カメリアはニッコリと笑みを浮かべ、そう返す。
「ヤバイだろ。 この船」
ロナードは、甲板の上に武装している、最早、船員と呼んで良いのかも分からない、如何にも腕っぷしの強そうな男たちを見て、ドン引きしながら呟いた。
「正確には、トロイア国王に武装を認められている、武装商船団です」
カメリアは、満面の笑みを浮かべながら、ロナード達に言う。
「頼もしい限りですね」
ハニエルは、ニッコリ笑みを浮かべ、ドン引きしている他の三人にそう言った。
「頼もしいを通り越してるぞ。 これは」
セネトは、ゲンナリした表情を浮かべながら呟く。
「一度この船に乗ると、皆さん、他の船では物足りないと仰います」
カメリアは、ニコニコと笑みを浮かべ、そう語る。
「それはそうだろ……」
ロナードは、苦笑いを浮かべながら呟いてから、ふと、カメリアが自分を見ている事に気付き、彼女の方へと視線を向けると、彼女はニッコリと笑みを浮かべ、
「良かった。 今日は顔色も良いみたいね。 昨日は死にそうな顔だったわよ」
ランティアに大陸の言葉で、そう言って来た。
「気を揉ませた様で、済まない」
ロナードは、申し訳なさそうに、カメリアに言うと、
「良いのよぉ。 貴方みたいに可愛い顔の子、私大好きだから、幾らでも気を揉んであげるわ」
カメリアはニッコリと笑みを浮かべ、猫なで声で言う。
「可愛い……?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
「カメリアさん位の年代の方から見れば、貴方の様に中性的な顔立ちの青年は、そう思えるのかも知れませんね」
ハニエルは、苦笑いを浮かべながら、戸惑っているロナードに言う。
「ちょっとぉ。 私がオバサンみたいな言い方、止めてくれないかしら? 私まだ三十になったばかりなのよ?」
カメリアは、ムッとした表情を浮かべながら言うと、
「……十代のユリアスから見れば、十分にオバサンだろ」
シリウスが、冷ややかな口調で言い返す。
「酷い! そんな事を言うと、貴方の食事にだけ、嫌いな物を沢山入れちゃおうかしら」
カメリアは、ムッとした表情を浮かべ、口を尖らせながらシリウスに言う。
「生憎、私は食べ物の好き嫌いは無い」
シリウスは、フンと鼻で笑い飛ばす様に、カメリアにそう言い返す。
「面白くないわね」
カメリアはつまらなさうに言うと、
「因みにロナードは、トマトにピーマンに、魚卵に……。 ああ、あと鶏肉も食べませんよね?」
ハニエルは、ニコニコと笑みを浮かべながら、ロナードの嫌いな食べ物を挙げていく。
「……鶏肉は食べれない訳じゃない。 ただ、烏族が身内に居るからで……」
ロナードは、ムッとした表情を浮かべながら、ハニエルにそう言い返す。
「ちゃんと食べないと駄目よ? 只てさえ細いんだから」
そう言いながら、ルチルが何食わぬ顔をして船に乗り込んで来た。
「ルチル?」
「ルチルさん?」
彼女がトランクを片手に、船に乗って来たので、ロナードとハニエルは戸惑いの表情を浮かべながら、彼女を見る。
「何だ? お前も一緒なのか?」
シリウスが、どうでも良さそうな口調でルチルに問い掛ける。
「ティティス様の面倒なんて、懲り懲りだから、適当な理由を付けて来たの」
ルチルは、ウンザリした表情を浮かべ、片手で頭を掻きながら言う。
「そんな事をして、大丈夫なのですか?」
ハニエルは、戸惑いの表情を浮かべたまま、問い掛ける。
「ティティス様は、昨日の結界を壊した実行犯が捕まったと知って、気が気ではないみたいよ。 私の話なんて適当に聞き流して、適当に返事をしていたわ」
ルチルは、どうでも良さそうな口調で答えると、
「それ……後で文句を言われるんじゃあ……」
セネトも、戸惑いの表情を浮かべながら言う。
「知らないわよ」
ルチルは、本当にどうでも良さそうに言い放つ。
「まあ、私たち三人は魔術師ですから。 前衛がシリウス一人だったので、ルチルさんが加わるなら、心強です」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら、ルチルに言う。
「騎士って言っても、魔法騎士だから、そこまで前衛向きでも無いけど?」
ルチルは、ポリポリと頭を掻きながら言うと、
「問題ありません。 ロナードも魔法剣士ですから。 丁度良いです」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら言うと、
「貴方、剣も使えたの?」
ルチルは、ちょっと意外そうにロナードに問い掛ける。
「一応、竜騎士の家系の出だから、武芸は一通りは……」
ロナードは、ちょっと戸惑いながら答えると、
「良いわね! 本土に着いて行くところが無いなら、私の所に来なさいよ。 あ、採用試験は受けて貰うけど、ウチの第三騎士団ってあんまり、魔術が得意な奴が居ないのよ」
ルチルは、ギュッとロナードの両手を握りしめると、嬉々とした表情を浮かべながら言う。
「あ、ああ……。 考えてはおくけれど……」
ロナードは、ルチルの雰囲気に圧倒され、戸惑いの表情を浮かべたまま、そう答えた。
「まあ。 この私が加われば、百人力よ」
ルチルは、自信に満ちた表情を浮かべ、胸を反らしながら言った。
ところが……。
「うええええっ」
ルチルが船酔いをして、船の縁に凭れ掛かる様にして、派手に胃の内容物を海にぶちまける声がする……。
「誰だ? ついさっき、自分が居れば百人力だとか言って、粋がっていた奴は」
シリウスは、呆れた表情を浮かべながら呟く。
「仕方がありませんよ。 幾ら大きな船とは言え、今日は波が高いですから」
ハニエルは苦笑いを浮かべながら、ルチルと同じく、船酔いに苛まれ、甲板の隅で青い顔をして、蹲っているセネトの背中を摩りながら言う。
「ユリアスは?」
シリウスは、ロナードの姿が無いので、徐にハニエルに問い掛ける。
「可笑しいですね。 先程まで側に居たのですが」
ハニエルは、忙しく周囲を見回しながら、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
(さっき、この辺から事の声がした気が……)
ロナードは先程、カメリアの案内で船内を見て回った時、食料が備蓄してある倉庫の中から人の声がした事が気になり、一人で船底近くにある、倉庫の前に佇んでいた。
(やはり、此処まで来ると暗いな……)
ロナードは、心の中でそう呟くと、何やら呪文を口遊む。
すると、彼の掌からポウと、炎の球が現れ、そのままフワフワと浮かび上がると、辺りを照らす。
(ハニエルに教えてもらったこの術、便利だな)
ロナードは、フワフワと浮かんでいる炎の球を見ながら、心の中でそう呟くと、徐に倉庫の扉の取っ手に手を掛けた時、ふと、中の奥の方から微かに人の声が聞こえて来た。
『何時まで、こんな所に居なくちゃならないのよ!』
ティティスは苛立った口調で、一緒に逃げて来たメイドに問い掛ける。
『皆が寝静まるまで、お待ち下さい』
メイドは、慌てふためきながら、今にもここから出ていきそうな雰囲気のティティスを、必死に宥めようとする。
『何でよ?』
ティティスは、不満に満ちた表情を浮かべ、口を尖らせながら問い掛ける。
『食事係り下女に扮して厨房に紛れ込むのです。 厨房ならば、食べる事にも困りませんし、限られた人間しか立ち入りませんので』
メイドは、真剣な面持ちで説明する。
『はあ? この私に下女の真似事をしろと言うの?』
ティティスは、物凄く嫌そうな表情を浮かべながら言う。
『でしたら、帝国本土に着くまで、ここに居るおつもりですか?』
メイドは、ティティスの物言いにカチンと来て、強い口調で言い返す。
このメイドは、ティティスに言われて、結界の基礎を破壊するよう、ゴロツキ達に依頼し、金を手渡した張本人なのだ。
町中の人達が、今回の騒ぎを引き起こした、男たちに金を渡したメイドを探していると知り、ティティスは身の危険を感じ、彼女と共にこの船に忍び込んで、帝国本土へ逃げる事にしたのだ。
今頃、ティティが居なくなた事に気付いた、騎士や使用人たちが大騒ぎしているだろうが、そんな事は、彼女には知った事では無かった。
『そもそも、あの様な事は止めましょうと……』
メイドが不満を露わにして、ティティスにそう言いしていると……。
「そこに、誰かいるのか?」
不意に、倉庫の入口の方から、若い男の声がしてきた。
『ひっ……』
ティティスは、表情を引きつらせ、思わず声を上げた時、積み上げられていた木の箱に肩が当たり、木の箱が音を立てて崩れ、中に入っていたヤシの実が床に転げる。
明かりが、自分たちの頭上を照らし、ティティス達は眩しさで目を細める。
「こんな所で、何をしている?」
彼女たちを発見した相手は、帝国の言葉ではない言語で、何やら言って居る。
『あっ……えっと……私たちは、決して怪しい者では……』
メイドは、慌てふためきながら、とっさにそう言った。
その人物は、うす暗い為、顔までは良く分からなかったが、倉庫の暗さに溶け込むような、漆黒の髪、背の高い、雰囲気などから察するに若い男の様だった。
『出て来い』
その若い男は、少したどたどしい口調で、そう言って来たので、二人は仕方なく、隠れていた場所から、通路の方へと出ていく。
(えっ……炎が浮いて……)
ふと、頭上を見上げた時、炎の球がフワフワと浮いて、辺りを照らしている事に気付き、ティティスは戸惑いの表情を浮かべながら、心の中て呟く。
瞬間的ではなく、一定の形を保ったまま、持続的に術を使う事は、かなり高度な事で、それを難なくやって退ける、この人物は何者だろうかと、ティティスは思った時、相手の目と合った。
紫水晶を丹念に磨き込んだ様な、深い紫色の双眸……。
『貴方、お姉さまの!』
ティティスは、表情を険しくし、そう呟くと思わず、その場から逃げようとするが、それよりも先に、相手が彼女の腕を掴み、逃亡を阻止する。
『姫様!』
一緒に居たメイドは、焦りの表情を浮かべ、思わず声を上げる。
「逃げると言う事は、何か疚しい事があるからだろう? 違うか?」
ロナードは、冷ややかな視線を彼女に向けながら、淡々とした口調で言っていると、
「ロナード! 中に居ますか?」
ふと、倉庫の入口の方から、別の若い男の声が響いて来た。
「ここだ。 勝手に船に乗り込んだ不届き者を見付けた」
ロナードは、落ち着いた口調で、入り口近くに居る仲間に向かって言う。
バタバタと忙しく、複数の足音ともに、明かりが近付いて来た。
「お前、こんな所で何を……」
シリウスが、戸惑いの表情を浮かべながら、ロナードに問い掛けつつ、ふと、彼が誰かの腕を掴んでいる事に気付き、其方の方へと目を向ける。
「カメリアさんの邸宅で見掛けないと思っていましたが、こんな所に隠れて居のですね。 ティティス姫」
駆け付けたシリウスたちを前にして、たじろいでいるティティスを見ながら、ハニエルは落ち着いた口調で言う。
『ティティス。 こんな所でなにをしている?』
彼等より少し遅れてやって来たセネトが、表情を険しくし、船の所有者であるカメリアの断りも無く、勝手に船に乗り込み、この様な場所に身を隠していた妹に問い掛ける。
『わ、私は……』
ティティスは、バツの悪そうな表情を浮かべ、しどろもどろに呟いていたが、ふと、何か思いついた様な表情を浮かべると、
『そう。 私は、前にこの船に乗った時に、落とし物をしましたの。 それで、それをこのメイドと一緒に探していただけですわ』
そう言った。
『それは、カメリアさんに言って、探してもらえば済む話しではないのですか? それに、貴方が前にこの船に乗って、この町に到着してから随分と経ちます。 何故、それまでの間に失くした事に気が付かなかったのでしょうか』
ハニエルは、冷ややかな視線をティティスに向けながら、淡々とした口調でそう指摘する。
『そ、それは……』
ティティスは、焦りの表情を浮かべ、返す言葉に窮していると、
『それは、結界を壊すよう命じたのが貴様で、実行犯が捕まったと聞き、自分に寺院の捜査の手が及ぶ前に、逃げようと考えたからだろう』
シリウスが、淡々とした口調で、ティティスに指摘すると、彼女はギクリと身を強張らせる。
『一緒に居るのが実行犯の男たちに、金を渡したメイドだな?』
セネトは、表情を険しくしたまま、冷ややかな口調で言う。
『ち、違います! 私はたた、姫様に命じられてご一緒しているだけです!』
セネトに睨まれ、メイドは焦りの表情を浮かべつつ、そう苦しい言い訳をする。
『何にせよ、こんな所に隠れていたと言う事は、何か疚しい事があると言う事だろう?』
セネトは、冷ややかな視線をメイドに向けつつ、淡々とした口調で言う。
『大袈裟なのよ! たかが、結界をちょっと壊した程度で!』
ティティスは忽ち開き直り、苛立った様な口調で、そう言い放った。
『『たかが』?』
彼女の発言を聞いて、セネトは益々その表情を険しくする。
『貴女は、ご自分がした事の重さを、理解していないようですね?』
ハニエルは、表情を険しくし、怒りに満ちた声でティティスに言う。
『結界は、町に住む人たちを魔物から守る最後の砦だ。 それが壊れてしまえば、魔物が町を襲うのは明らかだ。 多くの魔物が町に雪崩れ込めば、多くの人達がその犠牲になり、建物は破壊され、町は甚大な被害を受ける。 その位の事、小さな子供にでも想像が出来るぞ』
シリウスは、両腕を自分の胸の前に組み、抜身の刃のような鋭い視線をティティスに向けつつ、氷の様に冷たい声でそう言った。
『お姉さまが悪いのよ! お姉さまのくせに、私に生意気な態度をとるから!』
ティティスは、不満に満ちた表情を浮かべ、セネトに向かってそう怒鳴る。
『そんな下らない理由で、町を恐怖と混乱に陥れたというのですか?』
ハニエルは、思い切り眉を顰め、軽蔑に満ちた表情を浮かべながら、唸る様な声で言う。
『只の悪戯よ』
ティティスは、反省する様子も無く、開き直り、彼等にそう言い放った。
『コイツ、今直ぐ船の縁からロープで吊るして、生きたまま鮫の餌にしてやろうか?』
シリウスは、怒りに満ちた表情を浮かべ、恐ろしく落ち着いた声で、ティティスに言う。
『僕も同じ気持ちだが、こんなのでも一応、皇女だ。 それをしてしまうと、僕等の方が立場が悪くなるから、止めた方が良い』
セネトは、冷ややかにティティスを見据えたまま、落ち着いた口調でシリウスに言う。
『なに。 船から落ちた事にすれば良い。 さっきのコイツの台詞を聞けば皆、私たちに口裏を合わせてくれるぞ』
シリウスは、冷ややかにティティスを見据え、冷ややかにそう言った。
『良いですね。 やりましょう』
ハニエルはニッコリと笑みを浮かべ、シリウスに言う。
『正気なの? 私は皇女なのよ?』
ティティスは、顔を真っ青にして、声を震わせながら言う。
『皇女だろうと、何だろうと、町の人達を恐怖と混乱に陥れた罪人である事には、変わりは無いだろう?』
シリウスは、冷ややかに彼女を見据えたまま、淡々とした口調で言う。
『……カメリアも、自分が生まれ育った町を、恐怖と混乱に陥れた事には、かなり怒っているからな。 僕たちが彼女を生きたまま鮫の餌にしようとしても、止はしないだろう』
セネトは、軽く溜息を付いてから、落ち着いた口調で言う。
『決まりだな』
シリウスは、落ち着いた口調で言うと、
「ユリアス。 お前はこのクズ皇女を連れて行け。 私はメイドを連れて行く」
ロナードに向ってそう言うと、彼はコクッと頷き返すと、ギャアギャア喚き散らしているティティスを、軽々と小脇に抱え上げた。
『お助け下さい! お助け下さい! おたす……』
メイドは、自分に迫るシリウスに、両目に涙を浮かべ、恐怖に満ちた表情を浮かべながら、必死にそう懇願するが、シリウスはそんな彼女を軽々と肩の上に抱え上げる。
『あら。 お見掛けしないと思って居りましたが、私の船に、私の断りも無く、乗り込んでおいででしたのね?』
報告を受け、甲板の上に来たカメリアは、既にロープで体をグルグル巻きにされている、ティティスとメイドを静かに見下ろしながら、冷ややかな口調で言った。
『か、カメリア! 私をこの頭が可笑しい輩から助けなさい!』
ティティスは、ロープにグルグル巻きにされ、蓑虫の様な姿になっているにも関わらず、自分を冷ややかに見下ろしているカメリアを見上げ、そう言い放った。
『ここは海上。 通常の法は適応されません。 船上では罪人をどの様にするかは、船長かその船の所有者に判断が委ねられるのです。 ご存じないのですか?』
カメリアは、冷ややかにティティスを見下ろし、冷ややかにそう言い放ってから、ニッコリと笑みを浮かべると、彼女の顔からみるみる血の気が引く。
『お、お金なら、幾らでも払うわ! だから、私を自由の身にしなさい!』
ティティスは、焦りの表情を浮かべながら、カメリアに言う。
『あら。 皇女様のお命は、お金で買える様な安っぽい物でしたの?』
カメリアは、意地の悪い笑みを浮かべながら言うと、
『黙りなさい! 私は帝国の皇女よ! 本来ならば、貴方たちの様な下賤な者が、口を利く事も許されないのよ!』
ティティスは、怒りに満ちた表情を浮かべ、カメリアに言い放つ。
『でしたら、何も話す事は御座いませんわよね? 私たちの様な者とは、口を利かないのでしょう?』
カメリアは、不敵な笑みを浮かべながら、ティティスに言うと、彼女は自分の失言に気付くと、顔を青くする。
『さっきの言葉は取り消すわ! 話し合いを! 私を助けなさい!』
ティティスは、焦りの表情を浮かべながら、カメリアに言う。
『私はね。 皇女様。 自分が生まれ育った町を何よりも大事に思っておのますの。 その愛する町を蹂躙する者は、誰であろうと容赦はしません。 法で裁く相手であれば、私のやり方で裁きます。 お覚悟を』
カメリアは、ニッコリと笑みを浮かべながら、物凄く冷ややかな口調で言い放った。
(この女、とんでもないな……)
黙って彼女たちのやり取りを見ていたシリウスは、心の中でそう呟くと、苦笑いを浮かべる。
『貴女たち。 皇女さまを特等席にご案内なさい』
カメリアは、近くに居た船員たちにそう命じると、彼等は返事をすると、ロープでぐるぐる巻きにされている、ティティスと彼女のメイドを抱え上げ、船首へと運ぶ。
『放しなさい! この無礼者ッ!』
ティティスは、ジタバタと暴れながら、自分を担ぎ上げている大柄な船員に向かって叫ぶ。
『お慈悲を! どうかお慈悲を!』
メイドも恐怖に顔を引きつらせ、顔面を涙と鼻水でグチャグチャにしながら、必死にそう懇願する。
そんな彼女たちを他所に、船員たちは思い切り、船の先端から彼女たちを海へと投げ込む。
『きゃあああッ!』
『ひぃぃぃいッ!』
ティテイスとメイドの情けない声が辺りに響き渡る。
このまま、海に落ちるかと思った瞬間、水面ギリギリのところで、彼女たちの落下が止まったので、二人は恐る恐る、頭上を見上げると、厳つい顔をした男たちが、彼女たちを縛っているロープから伸びたロープの先を、船の舳先に括り付け、彼女たちを海面ギリギリで宙吊りにしている。
『あわわわ……』
隣のメイドが青い顔をして、海面を見下ろしながら、情けない声を上げている。
これでは、鮫がジャンプしたら、彼女たちは簡単に鮫に食われてしまう様な高さだ。
そんな事を思っていると、彼女たちの足元に何やら、黒い影が蠢いているのが見えた。
(さ、鮫?)
ティティスは、その黒い影を見て、心の中でそう呟くと、恐怖に顔を引きつらせる。
その影がどんどん大きくなって、自分たちに迫って来ている事に気が付くと、ティティスとメイドは、悲鳴を上げ、藻掻き、暴れまわる。
そうこうしている内に、海面から三角の背鰭が幾つか見えた。
(いやぁああーーッ!)
(食べられるぅーーッ)
ティティスとメイドは、心の中で絶叫すとる、恐怖のあまり口から泡を吹いて、そのまま気絶してしまった。
「あ。 イルカだ」
船の脇を、イルカの群れが海面から跳ねているのを見て、ロナードが声を弾ませて言う。
「この辺りはイルカの餌場なの。 鮫なんて居ないわ」
カメリアは、嬉しそうにイルカを見ているロナードにそう言ったが、気絶しているティティスとメイドの耳には届いていなかった。