暗雲
主な登場人物
ロナード(ユリアス)…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指していた。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト(セレンディーネ)…エレンツ帝国の皇女。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしていた。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な女性。 十九歳。
シリウス(レオフィリウス)…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
ルチル…帝国の第三騎士団の隊長を務めている女性。 セネトと幼馴染。 二十歳。
ギベオン…セネト専属の護衛騎士。 温和で生真面目な性格の青年。 二十五歳。
ルフト… 宮廷魔術師長サリアを母に持ち、魔術師の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟に当たる。 二十歳。
リリアーヌ…イシュタル教会で『聖女』と呼ばれている召喚術を使えるシスター。 ロナードが教会の孤児院に居た頃、親しくしていた。 ロナードに対する恋心を拗らせ、彼への強い執着心を抱いている。
カルセドニ…エレンツ帝国の第一皇子でセネトの同腹の兄。 寺院の聖騎士をしている。 奴隷だったシリウスとハニエルを助け、自由の身にした人物。
アイク…ロナードの専属護衛をしている寺院の暗部に所属していた青年。 気さくな性格をしている。
アイリッシュ伯…ロナードがイシュタル教会の孤児院に在籍していた頃、彼に魔術の師事をしていた人物で、ロナードに呪詛を掛けた張本人。
エルフリーデ…宮廷魔術師をしている伯爵令嬢で、ルフトの婚約者。 ルフトの母であるサリアの事をとても慕っている。
ナルル…サリアを主とし、彼女とその家族を守っている『獅子族』と人間の混血児。 とても社交的な性格をしている。
ティティス…セネトの腹違いの妹。 とても傲慢で自分勝手な性格。 セネトに対して強い嫉妬心を抱いている。 十七歳。
サリア…アルスワット公爵の当主で、エレンツ帝国の宮廷魔術師長を務めているルフトの母親。 ロナードの後見人であり、魔術の師事をしている。
ロナードが徐に目を開けると、兄のシリウスをはじめ、セネトやアイクが一様に心配そうな顔をして、彼を見ていた。
「ユリアス。 私の事が分かるか?」
シリウスは、おずおずとロナードに問い掛ける。
ロナードは一瞬、『何故、その様な事を聞いているのだろう』と思ったが、彼らは自分が記憶を失っていないか確認したいのだと、直ぐに理解した。
「大丈夫。 ちゃんと分かるよ。 兄上」
ロナードは、穏やかな笑みを浮かべながら、シリウスにそう返すと、彼はホッとした表情を浮かべる。
「……った。 良かった……」
セネトがそう呟きながら、安堵からなのか、ポロポロと涙を流す。
「済まない……心配を掛けた」
ロナードは、申し訳なさそうに、セネトにそう声を掛けると、
「本当に……心配したんだぞ」
セネトは、頬を伝う涙を手の甲で拭いながら、そう言った。
「意識が戻って安心しました。 何処か違和感などはありませんか?」
ハニエルも、ホッとした表情を浮かべながら、優しい口調でロナードに問い掛ける。
「大丈夫だ。 それよりも、地下の調査はどうなった? あいつ等が邪魔をするような事は?」
ロナードは真剣な面持ちで、仲間たちに問い掛ける。
「安心しろ。 地下の調査は兄上がしっかり行っている。 彼等からの妨害に遭ったと言う報告も受けていない」
セネトは、『シード』がアイリッシュ伯らに渡る事を心配するロナードの手の上に両手を乗せ、落ち着いた口調でそう説明する。
彼女の説明に、ロナードは思わず安堵の表情を浮かべる。
「恐らく、貴方に術を掛ける事で手一杯で、地下にまで手が回らなかったのでしょう」
ハニエルが、落ち着いた口調でそう言うと、
「そうだろうな……。 あいつ等、ユリアスの記憶の中に勢揃いで現れた。 まあ、纏めて叩きのめしてやったが」
シリウスも、落ち着いた口調でそう付け加えた。
「それは、大変でしたね」
シリウスの話を聞いて、ギベオンは苦笑いを浮かべながら言った。
「全くですよ。 一時はどうなるかと冷や冷やしました」
アイクは、ゲンナリした表情を浮かべながら言うと、ルフトが何度も頷きながら、
「本当だよ。 幾ら待っても君たちが戻って来ないから、僕はこのまま、ユリアスの記憶の中に閉じ込められるんじゃないかと思って、物凄く焦ったよ」
「……戻って来なくても良かったのに……」
シリウスがボソリとそう呟くと、
「なんだって?」
彼の言葉が聞こえたルフトは、思わず眉を寄せ、ドスの利いた声で問い掛ける。
二人の間に、物凄く険悪な空気が漂い始める。
「ルフトも戻って来る事が出来て何よりだ」
そんな空気を打ち消そうと、ロナードが優しい口調でルフトにそう言うと、ニッコリと笑みを浮かべる。
「そう言ってくれたのは、君だけだよ」
ロナードの言葉に、険悪な空気を纏っていたルフトは、パアッと表情を輝かせ、嬉しそうにひそう返した。
「ルフトは数少ない俺たち兄弟の身内だ。 心配して当然だろ?」
ロナードは笑みを浮かべたまま、優しい口調でルフトにそう言うと、彼は酷く感激した様な表情を浮かべる。
「コイツは、好奇心でお前の記憶の中に入ったんだ。 戻れなくても自業自得だ」
二人の間に漂う仄々とした空気をぶち壊す様に、シリウスが冷たくそう言い放った。
「なっ……。 好奇心だけで、こんな危ない事をする訳ないだろう! 君程じゃないにしても、僕だってユリアスの事が心配だったんだぞ!」
シリウスの言葉にルフトはカチンと来て、思い切り彼を睨み付け、強い口調で言い返した。
「はいはい。 喧嘩なら他所でして下さい」
呆れた表情を浮かべながら、二人の間に割った入ったハニエルはそう言って、睨み合っている彼らにそう言って諫める。
「全く。 口を開けば憎まれ口しか言わないんだから……」
ルフトは、溜息混じりにシリウスに言うと、
「それはお前もだろう」
彼は、ムッとした表情を浮かべながら、ルフトにそう言い返すと、
「君に言われたくないな!」
ルフトもムッとした表情を浮かべ、強い口調で反論する。
「いい加減にしなさい! ユリアスが困っているでしょう?」
今にも相手に掴み掛りそうな雰囲気の二人に、見かねたサリアが思わず声を荒らげそう言うと、両者の間に割って入り、二人の耳をそれぞれ思い切り抓った。
「サリア……」
今にも喧嘩を始めそうな雰囲気だったシリウスとルフトの間に割って入ったサリアに、ロナードは苦笑いを浮かべる。
「もう大丈夫だから、何も心配せずに、今はゆっくり体を休めなさい」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべ、優しい口調でロナードにそう言うと、彼の頭を撫でようと手を伸ばした瞬間、ロナードはフッと意識を失う様に一瞬で眠ってしまった。
「さ、サリア?」
それを見て、セネトが焦りの表情を浮かべ、思わず彼女を見上げる。
「大丈夫よ。 彼等にユリアスの夢に干渉する程の力は残ってはないでしょうから」
サリアは、不意を突かれ、自分の魔術を真面に食らい、眠ってしまったロナードを静かに見下ろしながら、落ち着いた口調でそう言った。
「……」
セネトは、物凄く複雑な表情を浮かべ、眠っているロナードを見る。
「それよりも、外の五月蠅いのを片付けるのが先だ」
シリウスが、分厚いカーテンに閉ざされた窓の外の方へと目を向けながら、淡々とした口調でそう言うと、その場に居合わせた者たちは一様に複雑な表情を浮かべる。
「貴方たちは絶対に、ロナードを屋敷の外に出さない様にして下さい」
ハニエルが何時にも増して、真剣な面持ちで居合わせた侍女と使用人にそう言って念を押した。
「は、はい」
居合わせた彼女たちは、一様に不安そうな表情を浮かべながらも、そう返す他なかった。
「まあ、魔力が空だから、そんな元気も無いだろうけれど……」
ルフトが肩を竦めながらそう言うと、
「アイク。 ロナードを頼む」
セネトが真剣な面持ちで、眠っているロナードの傍らに立っているアイクに言うと、
「分かっています。 主の事は命に代えても守ります」
アイクは、真剣な面持ちでそう返した。
(可笑しい……。 幾ら夢と精神が密接に関係しているとは言え……。 それだけでは、この状態の説明がつかない……。 これはまるで、前に魔力欠乏症になった時と同じじゃないか……)
ロナードは、ベッドの上に横たわったまま、忙しく自分の身の回りの世話をしている侍女たちを見守りながら、心の中でそう呟いた。
リリアーヌたちが、夢を介して精神に干渉してきた所為とは言え、ほぼ魔力が空になっているは妙だ。
彼女たちは、自分の精神に干渉して、都合の悪い記憶を消し去ろうとしていた。
実際にその様に動いていたし、それを目的として居たのは事実だろうが……本当は、ついでだったのではないかと、ロナードは感じていた。
彼女たちの目的は、自分に備わっている膨大な魔力を奪う事だったのではないのか?
膨大な魔力を必要とする『何か』の為に……。
その目的が何なのか……。
体内の魔力が枯渇し、体に力が入らず、ベッドから動く事もままらならない今の彼では、その目的も確かめ様がない……。
ただ頻りに、嫌な予感がしてならない……。
彼の部屋のカーテンはもう何日も閉ざされ、部屋はランプの明かりを頼りにしている、奇妙な状態が続いている。
魔力を回復させる為、ロナードは度々、強い睡魔に見舞われ、何時間も深く眠っている事が多い為、たまたま目が覚める時間が夜中なのかと思っていたが……どうやら、そうでは無い様だ。
侍女や、見舞いに来るセネトたちに、時間を問うても、一様に目を泳がせて話をすり替え、はぐらかされてしまう。
何か……自分が見ては不味い事が、分厚く閉ざされたカーテンの向こうに広がっているのでは?
侍女やセネトたちの奇妙な言動を見ていて、ロナードはそう感じていた。
(とは言え……。 今の俺に窓まで歩いて、カーテンを開けるだけの気力も体力もないが……)
ロナードは熱っぽく、とても怠い体の向きをゆっくりと変えながら、心の中でそう呟いた。
「主。 具合はどうですか? 何か食べられそうですか?」
ベッドの側に置かれた椅子に座っていたアイクが、心配そうにそう声を掛けた。
「冷たい物……」
ロナードは、熱でぼ~とした表情を浮かべながら、徐にそう言った。
「駄目ですよ。 幾ら熱があるからって、そう冷たい物ばかり口にしていては……」
アイクが、困った様な表情を浮かべながら言っている間に、ロナードはまたスッと眠ってしまった。
(参ったな……。 微熱が続いている所為で少しずつ体力も落ちている……。 だからって、弱っているのに外から魔力をブチ込む訳にもいかないし……)
熱で微かに頬を紅潮させ、辛そうにしているロナードを見ながら、アイクは沈痛な表情を浮かべながら、心の中で呟く。
「解熱剤を服用させた方が、良いのでは……」
見かねた侍女が思わず、アイクにそう言った。
「一時的には良いでしょうが、無駄に熱を長引かせるだけなので、高い熱でも出さない限りは、使うのは良くないと、医者からも言われているじゃないですか」
アイクは苦笑いを浮かべながら、心配そうな顔をしている侍女にそう返した。
「でも……。 お辛そうですし……」
侍女は、熱の所為で頬が赤いロナードを見ながら、そう言った。
「何か、精がつく物でも手に入ると良いんですけど……。 帝都中の市場も店も閉まっている状況じゃあ、それも難しいですよね……」
アイクは、複雑な表情を浮かべながら言うと、
「ええ……。 軍が配給する食料に頼る生活になって、もう五日になります……」
すっかり温くなった、手洗に入った水を替えにやって来た執事長が、不安に満ちた表情を浮かべながら、アイクにそう語る。
「少しずつですが、配られる物の量も質も落ちています」
ロナードの事を心配して、様子を見に来た料理長が、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で語る。
ロナードが、リリアーヌたちが掛けた術から目を覚ます少し前、不気味な雲に空が覆われると突如として、次々と魔物が何処からか現れ、街は大混乱に落ち至った。
普段から、周囲に結界を張っている寺院本部の敷地と、皇帝たちが住まう宮廷の敷地を中心に、街の人々は自身の身命を守る為、避難を余儀なくされ、街は魔物を退治して回っている兵士たちと、食料等を配布する兵士たち以外は誰も居らず、不気味な程に静かだ。
無論、街中の人々が避難しているので、食料や生活必需品を扱う店や市などしている筈も無く、事態を知らずに帝都へやって来た商人たちは皆、帝都の入口で待機を余儀なくされ、街の中に入る事が出来ず、街の人々に代わり、兵士たちが帝都に訪れた商人たちから食料等を買い取り、避難している人々や、魔物に襲われる心配のない建物に居る人々に対し、日に二回ほど食料などを支給している。
「軍の方以外、外出が出来ないので、ストレスから体調を崩す方も出始めているようです」
別の侍女が、配給に来た兵士たちから聞いた話をアイク達にする。
「この不気味な空も、何時まで続くのでしょうか……。 何時もは憎らしいく思う強い日差しが、恋しいですよ」
カーテンを閉めながら、執事長が溜息混じりにそう呟いた。
「こればかりは、カルセドニ殿下たちを信じて待つ他ないですよ」
アイクは、複雑な表情を浮かべながら、そう言った。
「参ったわね……。 あいつ等、倒しても、倒しても、一向に減りもしない……」
ルチルは、ゲンナリした表情を浮かべながら呟く。
彼女が徐に視線を向けた窓の向こう側は、不気味な色合いの暗い紫色の雲が広がり、昼間だと言うのに街の中は暗く不気味な雰囲気を醸し出していた。
「部隊を三つに分けて、交代で休憩と睡眠を取らせてはいますが……。 連日の戦闘で兵士たちも消耗しています。 何時まで、兵士たちの士気を維持していられるか……」
ルチルと共に戻って来ていたギベオンは、複雑な表情を浮かべながら、皇帝に代わり帝国軍を指揮しているカルセドニ皇子にそう報告する。
「それに比べ、向こうは疲れ知らずの様だ」
カルセドニ皇子と行動を共にしているシリウスは、何処か疲れた様子で言った。
「……奴らの出所は、突き止められたか?」
どの様に兵を動かすかを、将軍たちをはじめ、軍の幹部たちと話し合った後、宮廷内にある自室に戻っていたカルセドニ皇子は真剣な面持ちで、自分の部屋に集った仲間たちに問い掛ける。
「どうやら、安価なアクセサリーや魔石などを扱う店、下級貴族の屋敷などが、主な発生源の様です」
ギベオンは、ルチルと共に兵士たちを街で集めて来た情報を報告する。
「なっ……」
それを聞いて、カルセドニ皇子の部屋で留守番をしていたセネトが、戸惑いの表情を浮かべ、思わず呟いた。
「そんな所から何故?」
サリアも不思議そうに問い掛ける。
「魔物が発生した際に店に居合わせ、逃げ出して助かった客話では、陳列されていたアクセサリーの石が一斉に急に光り出し、そこから化け物か次々と現れたそうです」
ギベオンは、紙に書き上げたメモを見ながら、事務的な口調で語る。
「魔石を宝石に擬態させていた?」
セネトは、『信じられない』と言った様子で呟く。
「そんな事が出来るのか?」
カルセドニ皇子も、俄かには信じられないと言った様子でそう呟いた。
「流石に宝石と魔石の見分けはつく筈だ。 そうでなければ、宝石商は皆、詐欺師と言う事になる」
シリウスは、両腕を自分の胸の前に組み、淡々とした口調で指摘する。
「最近は宝石の代用品として、下流貴族や比較的裕福な平民を中心に、特殊な技法で色を付けされた魔石が安価で出回るようになり、それ等を使ったアクセサリーなどを身に着ける人が増えて、そう言った層を客とする専門店も増えていると聞いた事がありますわ」
エルフリーデが以前、屋敷の侍女たちが話していた事を思い出し、戸惑っている仲間たちにそう語ると、
「成程」
彼女の説明に納得した様子で、カルセドニ皇子が呟く。
「犯人は、その流行を利用して、予め魔物を閉じ込めておいた召喚石を、魔石と偽ってアクセサリーに使われる石に紛れ込ませたと言う事か……」
セネトは、苦々しいを浮かべながら言うと、
「その召喚石の中に閉じ頃られたいた魔物を召喚する為に、ユリアスの魔力を使った……と言うか……」
ルフトは、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で呟く。
「大量の魔物が現れたと言うのに、現場に魔物を召喚する術式が無かったのは、その為か」
シリウスは、魔物が現れた場所に違和感を覚えた事を思い出し、そう呟いた。
「恐ろしい事を思いついたものね……」
ルチルは、思い切り眉間にしわを寄せ、嫌悪に満ちた口調で言った。
「元から魔石に閉じ込められているものを呼び出すだけならば、魔術使いが魔道具に封じていた魔物を呼び出すのとそう変わらない……」
セネトは、神妙な表情を浮かべながら言うと、サリアは真剣な面持ちで頷き、
「ましてや、異界のものを召喚する特殊な能力と、膨大な魔力を有する召喚師なら、並みの魔獣使いの比ではないわ」
「犯人は言うまでも無く、アイリッシュ伯たちだろうが……」
シリウスは、嫌悪に満ちた表情を浮かべながら言うと、セネトやルフトは頷く。
「完全に一杯食わされましたね……」
ハニエルは、苦々しい表情を浮かべながら呟く。
「ああ。 てっきり、ユリアスの記憶を消し去る事が、奴らの目的だとばかり思っていた」
カルセドニ皇子も、悔しそうな表情を浮かべながら言った。
「それも、目的の一つであったのかも知れないけれど、真の目的はユリアスの魔力を奪う事……だったと言う訳ね……」
ルチルも複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で言う。
「お陰で、ユリアスは魔力欠乏症でベッドから起き上がれない……」
シリウスは、苦々しい表情を浮かべながら言うと、
「それと同時に我々は、一度に大量の魔物を始末する術を失ったと言う訳だ……」
カルセドニ皇子は、ゲンナリとした表情を浮かべ、特大の溜息を付きながら言った。
「狡猾ですわね……」
エルフリーデは、憤りを隠せない様子で呟く。
「起こってしまった事をとやかく言っても仕方がない。 今、我々が出来る事を最大限する他ない」
カルセドニ皇子は、溜息を付いてから、落ち着き払た口調で何とも言い難い表情を浮かべている仲間たちにそう言った。
「そうね」
サリアは軽く溜息を付くと、片手で頭を掻きながら言った。
「兎に角、この事実をロナードにだけは知られない様に……」
セネトが真剣な面持ちで言うと、シリウスは頷き、
「アイツの事だ。 今の元凶が自分の魔力だと知れば責任を感じ、自分が魔力欠乏症だろうが、何が何でもどうにかしようとする筈だ」
「そうだね」
ルフトは、溜息混じりにそう返した。
「ああ……何て快適なのかしら」
誰も居ない街の中を疾走する馬車の中で、ティティス皇女はうっとりとした表情を浮かべながら呟く。
「普段は、卑しい者たちがひしめき合い、騒々しくて足の踏み場もないと言うのに。 今は誰一人、私の行く手を阻む者は居ませんわ」
窓から、人気が無くガランとした街を見ながら、ティティス皇女は、嬉々とした表情を浮かべながら言う。
(僕も大概だけど、彼女も大分だね……)
そんなティティス皇女と向かい合わせに座っているアイリッシュ伯は、心の中でそう呟くと、思わず苦笑いを浮かべる。
「うふふふ。 せいぜい頑張りなさいな」
ティティス皇女は、擦れ違いざまに魔物退治の為に馬を駆る兵士たちを見送り、不敵な笑みを浮かべながら言う。
「魔力の痕跡を辿れば、魔物たちを召喚した者がユリアスである事が直ぐに判明します。 そうなれば、帝都に大混乱と恐怖を齎した大罪人として、彼は極刑を言い渡されるか帝国から追放されるでしょう。 そして、そんな危険な人物を帝国に招き入れたとして、セレンディーネ皇女とカルセドニ皇子も罪に問われるでしょうね」
アイリッシュ伯は、事務的な口調でティティス皇女に説明をする。
「うふふ。 どんなに足掻いても、もう詰んでいるのよ」
ティティス皇女は、勝ち誇った様な笑みを浮かべながらそう呟く。
「そうですね」
アイリッシュ伯は、ニッコリと笑みを浮かべながら返す。
「帝都の地下で、カルセドニたちを打ち損じた時は、どうなるかと思ったけれど、こんな隠し玉を持っていたなんてやるじゃない」
ティティス皇女は、不敵な笑みを浮かべたまま、アイリッシュ伯にそう言った。
「恐れ入ります」
アイリッシュ伯は、ニッコリと笑みを浮かべて答えた。
「大罪人としてユリアスを捕えて、お姉さまの目の前で、ギロチン台で首を落としてやるのも面白いけれど、ここまでしてくれたあなた達には報いなければね。 約束通り、ユリアスの刑が確定したらあなた達の好きにしたら良いわ」
ティティス皇女は、不敵な笑みを浮かべたまま、上機嫌な様子でそう語る。
「有難う御座います」
アイリッシュ伯は笑みを浮かべたまま、彼女にそう礼を述べたが、それは上辺だけで、全く心は籠って居なかった。
普段の彼女ならば、その様な言動は見逃さないのだが、物事が上手くいってとても気分が良いので、見逃してやる事にした。
「ああ……。 自分の魔力で魔物たちが召喚されたと知ったら、ユリアスは一体、どんな顔をするのかしら……。 想像しただけでもゾクゾクするわ」
ティティス皇女は、少し興奮した様な様子で、声を弾ませながら言うと、
「僕も、楽しみで堪りません」
アイリッシュ伯は笑みを浮かべたまま、そう返した。
「絶望に満ちた顔が目に浮かぶわ」
ティティス皇女は両眼を閉じ、ウットリとした表情を浮かべながらそう言っていると、不意に馬車がゆっくりと停車した。
「殿下。 到着致しました」
馬車の外から御者が、そう声を掛けて来た。
「あら。 もう?」
ティティス皇女は、驚きを隠せない様子でそう呟く。
「人が居ないので、何時もよりも早く着いた様ですね」
アイリッシュ伯は、穏やかな笑みを浮かべたまま、そう言った。
そもそも、リュディガー伯爵家は宮廷からは、割と近い好立地の上流貴族たちが主に住まう貴族の邸宅が立ち並ぶ一角にある。
「さて。 お仕事をしなくてはね」
ティティス皇女は、上機嫌な様子でそう言うと、
「ええ」
アイリッシュ伯は、穏やかな表情を浮かべながらそう返すと、外から兵士が扉を開け、彼が先に馬車から降りると、後から降りて来たティティス皇女に手を差し伸べ、彼女をエスコートする。
「さあ。 お前たち。 私の前に大罪人を連れて来なさい」
ティティス皇女がそう命じると、武装した兵士たちが勢い良く、リュディガー伯爵家の屋敷へと雪崩れ込む。
先触れも無く突然、武装した兵士たちが屋敷に乗り込んで来たので、屋敷の使用人や侍女たちは驚き、中には悲鳴を上げる者も居た。
「街に魔物を召喚した疑いで、リュディガー伯爵に拘束命令が出ている。 逆らう者は同罪と見做し、その場で処断する! 速やかにリュディガー伯爵の身柄を我々に引き渡せ!」
断りも無く屋敷に雪崩れ込んだ兵士たちの一人が、何が起きているのか理解出来ずにいた侍女や使用人たちに向かってそう言った。
「な、何を突然……」
「伯爵さまは、その様な事をなさる方ではありません!」
「何かの間違いです!」
兵士の言葉を聞いて、彼らは一様に動揺しながらも、そう言い返してきた。
「間違いですって? 皇女であるこの私が言い掛を言っていると言うのかしら?」
少し遅れてやって来たティティス皇女は、不敵な笑みを浮かべながら、戸惑っている侍女や使用人たちに向かって言う。
「てぃ、ティティス皇女殿下……」
「ま、まさか、殿下が直々に……」
ティティス皇女の登場に、使用人たちの間に動揺が広がり、彼らは口々にそう呟いた。
「伯爵は何処? 案内なさい」
ティティス皇女は、物凄く上から目線で使用人たちにそう命じる。
「……」
使用人たちは、一様に戸惑いの表情を浮かべ、お互いの顔を見合わせる。
「嫌だと言うのなら、片っ端から探すだけの事だけれど?」
ティティス皇女は苛立った口調で、戸惑っている使用人たちに向かって、そう言って脅した。
「……分かりました。 ご案内致します」
動揺の色を隠せない使用人たちの中で、唯一、落ち着き払っている燕尾服に身を包んだ中年の男性が、そう言ってきた。
「し、執事長?」
「何を言って……」
彼の思いがけぬ言葉に、使用人たちは一様に戸惑いの表情を浮かべ、口々にそう呟いた。
「ですが、伯爵さまは病床にあられますので、どうか、手荒な事はご遠慮下さい」
執事長は、落ち着いた口調で、ティティス皇女たちにそう言って念を押した。
「それは、伯爵の態度次第だわ」
ティティス皇女は、淡々とした口調でそう返した。
長い廊下を抜け、階段を上がり、二階の突き当りの扉の前に来ると、執事長は警護の為に扉の前に控えていた兵士に、
「伯爵さまに、ティティス皇女殿下がお見えだと伝えて下さい」
ティティス皇女たちを案内して来た執事長は、彼らの登場に戸惑っている兵士に向かって、落ち着き払った口調でそう言った。
「えっ……。 わ、分かりました」
兵士は一瞬たじろいだが、執事長の背後に居るティティス皇女を見て、暫く間を置いてからそう返すと、急いで部屋の中へ入った。
暫くして、その兵士が困った様な顔をして戻って来ると、
「お館様は、お休みになられておられます。 日を改めて頂く事は出来ませんでしょうか?」
「何を言っているの? そんな事をしたら逃げるに決まっているわ」
ティティス皇女は、微かに眉を潜め、苛立った口調でそう返した。
「に、逃げる? 何故、お館様が逃げる必要が?」
兵士は何の事だか理解出来ず、戸惑いの表情を浮かべながら言う。
「構わないわ。 突撃なさい」
ティティス皇女は、淡々とした口調で、連れて来た兵士たちにそう命じると、彼らは止めようとするリュディガー伯爵家の兵士たちを他所に、ロナードが居る寝室へと雪崩んだ。
「な、何ですか? 貴方たちは!」
護衛の為に側にいたアイクが、戸惑いの表情を浮かべ、強い口調で雪崩れ込んで来た兵士たちに向かって言う。
(あら。 本当に眠っていたのね)
てっきり、兵士が咄嗟に嘘を言ったのかと思ったが、焦っているアイクの傍らで、ロナードが小さな寝息を立てて眠っているのを見て、ティティス皇女は拍子抜けした様子で、心の中で呟いた。
「伯爵を起こして」
ティティス皇女は、淡々とした口調でアイクにそう命じた。
「あ、主。 主。 起きて下さい」
一瞬、起こす事を躊躇った彼だが、非常事態である事に変わりはないので、眠っているロナードの体を揺らしながら、そう声を掛けた。
「ん……」
アイクに揺すり起こされ、ロナードは五月蠅そうに顔を顰めながらも、ゆっくりと目を開けた。
そして直ぐに、アイク以外の見知らぬ、しかも武装している兵士たちの姿を見て、その表情を険しくする。
「ご機嫌よう。 伯爵。 休んでいた所を悪いけれど、貴方を拘束させて貰うわ」
ティティス皇女は、不敵な笑みを浮かべながら、テイクの手を借り、ゆつくりと身を起こすロナードにそう言った。
「……罪状は?」
ロナードは、取り乱す様子も無く、声を荒らげる事もせず、ティティス皇女を真っ直ぐ見据え、落ち着いた口調でそう問い掛ける。
「罪状? これだけの騒ぎを起こしておいて、良くもまあ、そんな事が言えるわね?」
ティティス皇女は、呆れた表情を浮かべ、肩を竦めながらそう言った。
「騒ぎ?」
そう言われたロナードは、何の事を言っているのかサッパリ分からないので、戸惑いの表情を浮かべながら問い返す。
「あら。 貴方、外が今、どういう事になっているのか知らないの?」
ティティス皇女は、苦笑いを浮かべながら言った。
「アイク」
彼女の言葉を聞いて、自分の傍らに控えているアイクに、ロナードは徐に声を掛けた。
「は、はい……」
ロナードに声を掛けられ、彼は表情を引きつらせながらも、返事をした。
「説明を」
ロナードは、真っ直ぐにアイクを見据え、落ち着いた口調でそう言った。
「えっ……。 あの……」
ロナードに真っ直ぐに見据えられ、アイクは思わずたじろぎ、口籠らせる。
「外は今、貴方が召喚した魔物で溢れているわ。 人々は突然現れた魔物に命の危険を感じて、結界に守られている寺院や宮廷に避難しているの」
どう説明しようかと、困っているアイクに代わって、ティティス皇女が意地の悪い表情を浮かべながら、ロナードに簡潔に説明をすると、彼女の話を聞いて彼は、俄かに表情を険しくし、
「魔物を俺が召喚した……だと?」
「ええ」
ティティス皇女は、不敵な笑みを浮かべながら、そう言って頷く。
「何かの間違いでは?」
ロナードにしてみれば、全く身に覚えのない事なので、戸惑いの表情を浮かべながら、ティティス皇女にそう言った。
彼のこの反応は、至極普通の事であった。
「いいえ。 召喚者の魔力の痕跡を調べたところ、貴方に辿り着いたのよ」
ティティス皇女は、確信に満ちた表情を浮かべ、ハッキリとそう言い放った。
「……」
彼女の言葉に、ロナードは素直に信じる事が出来ない様で、物凄く複雑な表情を浮かべている。
「それは、アイリッシュ伯が主の魔力を奪い取って、それを使って魔物を召喚したからです!」
堪らずアイクが、ティティス皇女にそう説明をすると、
「なっ……」
それを聞いたロナードは驚きに満ちた顔をして、思わず彼を見る。
「あっ……」
アイクは直ぐにハッとなり、『しまった』という様な表情を浮かべた。
「何時からだ? 何時からこんな状況に?」
ロナードは真剣な顔をして、焦りの表情を浮かべているアイクに問い掛ける。
「そ、それは……」
アイクはたじろぎながら、口籠らせた。
「一週間ほど前からよ」
たじろぐアイクを他所に、ティティス皇女はハッキリとそう言い放った。
「……つまり、俺が魔力欠乏症に陥っているのは、リリアーヌたちが掛けた呪いの所為では無く、精神干渉を受けた際に、奴らに魔力を根こそぎ持って行かれたからと言う事だな?」
ロナードは、落ち着き払った口調で、アイクにそう問い掛けた。
ロナードが今まで感じていた違和感が、妙に腑に落ちた気分であった。
「……」
アイクは、バツの悪そうな顔をして、思わずロナードから視線を逸らした。
「アイク」
ロナードは、そんな彼を真っ直ぐに見据え、何時になく真剣な声で彼に声を掛けると、彼はビクッと身を強張らせる。
「正直に言え」
真剣な表情を浮かべ、たじろいでいるアイクに言うと、
「その……通りです」
彼は、観念した様な顔をして、ロナードにそう答えた。
「何て事だ……」
ロナードは思わず、両手で頭を抱えながら、呻く様な声でそう呟いた。
「呆れた。 被害者ぶるなんて、なんて図太いのかしら」
ティティス皇女は、呆れた表情を浮かべながら、ロナードに向かってそう言った。
「誤解です! 主は本当に魔力を奪われ、悪用されただけです!」
アイクは思わず語気を強め、ロナードを庇う発言をするが、ティティス皇女は冷ややかな視線を彼に向けると、
「それを証明するモノはあるのかしら?」
淡々とした口調でそう問い掛けた。
「そ、それは……」
アイクはたじろぎ、口籠らせる。
「そんなふざけた言い分が、通と思って?」
ティティス皇女は、怪訝そうな表情を浮かべながら、アイクにそう言い返した。
「確かに証拠は無いです! でも、主は本当に魔物なんて召喚していません!」
アイクはたじろぎながらも、真剣な面持ちでティティス皇女にそう言って反論する。
「五月蠅いわね。 貴方に意見など求めていないわ」
ティティス皇女は、五月蠅そうな表情を浮かべながら、どうにかして主の無実を証明しようとしているアイクに、冷たくそう言い放った後、
「連れて行きなさい」
一緒に居た兵士たちにそう命じた。
彼女の命令を受け、ベッドに身を起こしていたロナードを兵士たちが数人掛かりで、乱暴に取り押さえる。
「主!」
乱暴に扱われ、ロナードが痛そうに顔を歪めるのを見て、アイクが思わずそう言って踏み出そうとすると、彼の首元に兵士が抜き身の剣を突き付けて来た。
「落ち着け。 アイク。 お前はこの事を兄上たちに伝えるんだ」
ロナードは、兵士たちにうつ伏せに押し倒され、顔をベッドに押し付けられる様な格好で、両手に枷を付けられながらも、落ち着いた口調でそう言った。
「し、しかし……」
ロナードを手荒く扱う兵士を見ながら、アイクは戸惑いの表情を浮かべ呟く。
「抵抗すれば、こいつ等の思うツボだ」
ロナードは落ち着き払った口調で、今にも自分を助ける為に動こうとしているアイクにそう言って諫める。
「ぐっ……」
ロナードの言葉に、アイクは苦々しい表情を浮かべる。
「こんにちは。 ユリアス。 幾ら嘗帝国が侵攻して来た所為で、祖国ルオンが戦火に焼かれた恨みがあるからと言って、君も随分と大胆な事をしますね?」
両腕を後ろ手にされ、両脇を兵士たちに抱えられ、半ば引き摺る様にして、ティティス皇女らを乗せて来た馬車の前に現れたロナードに対し、待機していたアイリッシュ伯がニッコリと笑みを浮かべながら、そう声を掛けて来た。
「クリストファー……」
ロナードは、ギリッと唇を噛み、思い切り彼を睨み見付け、嫌悪に満ちた表情を浮かべながら呟く、
「言い逃れが出来ると思わないで下さい。 証拠は嫌と言うほど残っていますからね」
アイリッシュ伯は、嫌悪に満ちた目で自分を睨んでいるロナードに対し、勝ち誇った笑みを浮かべながら言う。
「貴様っ……。 此処までするか!」
ロナードは、彼を睨み付けたまま、唸る様な声で言う。
「おやおや。 まさか無関係の僕を犯人だなんて言いませんよね?」
アイリッシュ伯は、不敵な笑みを浮かべたまま、ロナードを挑発する様な口調でそう言った。
「くっ……」
ロナードは、苦々しい表情を浮かべ、彼を睨む。
「嘗て君を師事した者として、この様な事になってとても残念です。 どうか潔く、己が犯した罪を償って下さい」
アイリッシュ伯は、更にロナードを煽る様な口調でそう言うと、ニッコリと笑みを浮かべた。
「貴様ッ!」
彼のその言動に、ロナードは怒りを露にし、声を荒らげ、両腕を後ろ手にされているにも関わらず、アイリッシュ伯に掴み掛りそうな勢いで向かっていく。
「おおっと……」
アイリッシュ伯は素早く、自分に突進して来たロナードを避けると、
「大人しくしろ!」
それを見た兵士たちが直ぐに、彼を地面の上に押さえつける。
「放せ! 殺してやる!」
地面の上にうつ伏せの状態で、兵士たちの手を振り解こうと暴れながら、ロナードは怒りに満ちた声でそう叫んだ。
「殺すだなんて、物騒ですねぇ……」
そんな彼を静かに見下ろしながら、アイリッシュ伯は不敵な笑みを浮かべそう言うと、片手でロナードに突進されそうになって、思わず避けた際にずれた眼鏡をクイッと元の高さに上げる。
「クリストファーっ!」
ロナードは、兵士たちに乱暴に立ち上がらせられ、ティティス皇女たちが乗って来た馬車の後ろから来ていた、罪人を護送する為の頑丈な鉄格子で作られた馬車へ、引き摺られるようにして連れていかれる。
「なに! ユリアスがティティスに捕まっただと?」
血相を変え、自分たちが居る場所へ駈け込んで来たアイクの報告を聞いて、シリウスは忽ち表情を険しくし、そう呟いた。
「どう言う事だ?」
セネトも、動揺を隠せない様子で、アイクに更なる説明を求める。
「突然、ティティス皇女が兵士を引き連れて乗り込んできて、魔物を召喚した疑いで主を……」
アイク自身、動揺している様子で、シリウス達にそう語ると、
「なっ……」
彼の言葉を聞いて、カルセドニ皇子は思わず言葉を失う。
「そう来たか……」
ルフトはそう呟くと、表情を険しくした。
「ロナードは無事なの?」
ルチルは、心配そうにアイクに問い掛けると、
「空から後を追ったジェドが、ティティス皇女が主を、宮廷の地下牢に閉じ込めたのを確認しています」
アイクは、侍女が差し出したコップに入っていた水を一気に飲み干してから、彼女の問い掛けにそう答えた。
「何て事だ……」
彼の報告に、カルセドニ皇子は思わず両手で頭を抱え、力なくそう呟くと、近くにあったソファーに崩れる様に座り込んだ。
「オレが付いていながら……。 申し訳ありません!」
アイクは、今にも泣きそうな表情を浮かべ、悔しさに声を震わせながら、シリウス達にそう言った。
「顔を上げろ。 アイク」
俯き、必死に嗚咽を押し殺そうとしているアイクに、シリウスは落ち着いた口調でそう声を掛ける。
「お前の事だ。 武力で抵抗する事をユリアスに止められたのだろう?」
セネトは、複雑な表情を浮かべながら、落ち着いた口調でアイクにそう問い掛ける。
「はい……。 レオン様たちに伝えろと……」
アイクは、鼻を啜り、手の甲で目元に浮かんだ涙を拭いながら、そう答えた。
「良く……堪えたな」
アイクの悔しい気持ちが、痛いほど理解出来るギベオンは、沈痛な表情を浮かべると、そう言って彼の肩に手を添えた。
「お願いです! 今直ぐにでも、主を救出する命令をオレに下さい!」
アイクは顔を上げると、自分の胸元に片手を添え、強い口調でカルセドニ皇子にそう懇願する。
「落ち着け!」
アイクのその様子を見て、ギベオンが思わず彼の肩を掴み、強い口調で窘める。
「今、そんな事をしたら、ロナードがやったと認める様なものよ!」
ルチルが、落ち着いた口調でアイクにそう言った。
「でも!」
アイクは『納得がいかない』といった様子で言い返す。
「気持ちは分かるが、こんな時だからこそ、賢く立ち回らねばならん」
カルセドニ皇子は、落ち着いた口調でアイクにそう言うと、ハニエルも真剣な面持ちで頷きながら、
「殿下の仰る通りです。 ぐれぐれも一人で先走らない様に」
「……」
アイクは、二人の言い分に納得が出来ない様な顔をして、押し黙っている。
「アイク。 返事は?」
シリウスが、そんな彼を見て、落ち着き払った口調でそう声を掛けた。
「はい……」
アイクは相変わらず、納得はしていない様であったが、渋々と言った様子でそう返した。
「にゃーん」
地下の牢獄に、何処からか入って来た猫が、固く粗末なベッドの上に横たわってたロナードの側に来ると、可愛らしい鳴き声で、スリスリとロナードの腕に体を摺り寄せる。
「……相変わらず、猫の真似が下手だな。 ナルル」
ロナードはフッと笑みを浮かべると、自分にすり寄る猫を撫でながら、そう言った。
「助けに来たのに酷いゾ」
猫は、ムッとした声で、自分の頭を撫でているロナードに言い返す。
「助けに来たでは無く、様子を見に来たの間違いだろう?」
ロナードは苦笑いを浮かべながら言うと、
「そうとも言う」
猫は、苦笑いを浮かべながら答える。
「外の様子は?」
ロナードは直ぐに真剣な表情を浮かべ、随分と大きな猫に変化しているナルルに問い掛ける。
「相変わらず、魔物がウヨウヨだゾ」
ナルルは、ゲンナリした表情を浮かべ、溜息混じりにそう答えた。
「そうか……」
ロナードもやるせないと言った様子でそう呟くと、溜息を付いてから、
「皆、無事か? 怪我をしたりしては居ないか?」
続けざまにナルルにそう問い掛けた。
「はあ……。 ロナードはさぁ……。 こんな時でも人の事を心配するの? ボクたちの中で今一番、危ないのはロナードだゾ?」
ナルルは、呆れたような声でロナードにそう言い返すと、
「それは……そうかも知れないが……」
ロナードは思わず、困った様な顔をしながらそう答えた。
「大体、ちゃんとご飯は食べてる? 眠れてるの? 体の具合だって良くないのに……」
ナルルは、思い切り眉間に皺を寄せながら、まるで母親が息子を心配する様に、ロナードにそう問い掛けた。
「……」
ナルルの問い掛けに、ロナードは思わず苦笑いを浮かべ、誤魔化そうとする。
「ロナード。 くれぐれも危ない事はしないでよ? そんな事をしたらグーで殴るゾ?」
そんな彼を見て、ナルルは物凄く真剣な様子でそう言うと、プニプニとした可愛らしい肉球で、ロナードの鼻を何度もツンツンする。
「いや……殴るのは普通、グーじゃないか?」
ロナードは、苦笑いを浮かべながらそう指摘すると、
「わ、分かってるんだゾ! 態々そう言ったのは、思い切り、勢いを付けて、殴るって意味だゾ」
ナルルは、恥ずかしそうにしながらも、何処か怒った様な口調でそう返した。
「……それをしたら俺、間違いなく即死だよな?」
ロナードは苦笑いを浮かべたまま、更にそう言って突っ込むと、
「し、死なない程度に、思い切り殴るって事だゾ」
ナルルはたじろぎながらも、そう言い返した。
彼女の馬鹿怪力を身をもって味わった事があるロナードは、苦笑いを浮かべたまま、
「……お前に思い切り殴られて、生きている奴がこれまでいるのか?」
「い、居ないケド……」
ロナードの問い掛けに、ナルルは目を泳がせながら答えた。
「成程。 お前に思い切り殴られる時は、俺が死ぬ時だと記憶しておこう」
ロナードは苦笑いを浮かべたまま、ナルルにそう言うと、
「そんなしょうもない事、覚えなくて良いゾ!」
ナルルは、ちょっと腹を立てた様な口調でそう言うと、何度もロナードの額を肉球でペチペチと叩いていると、ロナードは咄嗟にその手を軽く掴み、
「しっ……。 誰か来る」
表情を険しくして、そう言ったので、ナルルは慌ててベッドの下に潜り込んだ。
「ユリアス……」
鉄格子越しに声を掛けて来たのは、フード付きの黒いローブに身を包んだリリアーヌだった。
「……」
何日か振りに会った彼女は、酷く疲れた顔をしていて、ロナードは何とも言い難い表情を浮かべた。
「ああ……。 こんな所に閉じ込められて、可愛そうなユリアス」
リリアーヌは、沈痛な表情を浮かながら、鉄格子を両手で握りしめながらそう言ってきた。
彼女の声は疲れ切っていて、清廉とした雰囲気を纏っていた事が嘘だったかの様に、生気のない昏い瞳に、あまり手入れのされていない、艶が無くボサボサな髪、物凄く淀んだ空気を漂わせていた。
「アンタに同情される義理はない」
恐らくは、自分に掛けた術を返され、その報いを受け、藻掻き苦しんだで後、どうにかして起き上がって来たであろうリリアーヌに対し、ロナードは淡々とした口調でそう言った。
「何故、そんな悲しい事を言うのです? ユリアス。 私は真剣に貴方の力になれないかと思って来たのに……」
リリアーヌは、沈痛な表情を浮かべながらそう言った。
「生憎、アンタに助けを求める様な事は、死んでも無い」
ロナードは、冷たく突き放す様な口調で、リリアーヌにそう返した。
少し前ならば、彼女の言葉に少しは揺らいでいたのに、ボロ雑巾の様になっている今の彼女に対して、何も感じなかった。
そもそも、その様な姿になったのも、自業自得なのだから、同情する余地すらない。
「そんな風に意地を張らないで。 私たちの元へ戻って来てさえすれば、私たちは今までの事は何も言いません」
リリアーヌは、沈痛な表情を浮かべながらそう言うが、彼女が自分に呪詛を掛けて来た直後だからか、ロナードに全く刺さらなかった。
「それはそうだろうな。 酷い事をしたのは俺ではなく、アンタたちの方だからな」
ロナードは、淡々とした口調でそう返した。
「そんな……」
リリアーヌは、今にも泣きそうな顔をしてそう呟く。
「済まないが、アンタと長々とお喋りをしていられる程、俺は元気じゃないんだ。 少し、休ませてくれないだろうか。 誰かの所為で魔力欠乏症なんでな」
ロナードはこれ以上、彼女とやり取りするのは時間の無駄だと思い、淡々とした口調でそう言った。
「あっ……。 御免なさい」
力なくベッドの上に横たわったまま、視線だけを自分に向けていた彼に対し、リリアーヌはバツの悪そうな表情を浮かべ、そう言った。
(皮肉も通じないのか……)
リリアーヌの反応を見て、ロナードは心の中でそう呟くと、軽く溜息を付いてから、
「もう良い。 行ってくれ」
ロナードは、淡々とした口調でそう言うと、
「うん……」
リリアーヌは名残惜しそうな様子であったが、そう答えると、静かに立ち上がり、ゆっくりとその場から立ち去って行った。
そんな彼女に、黒い何かが付き纏っている様に見えたのは、ここが薄暗いからだろうか……。
(リリアーヌが纏う、ドス黒い気配が前にも増して濃くなっている……。 今の彼女に暗に近付くのは止めた方が良いな……)
この短い時間でも、彼女の纏う不気味な空気を感じ取ったロナードは、心の中でそう呟くと、体を休める為に静かに目を閉じた。
数日前、宮廷内にある自室で寛いでいたティティス皇女の元に、彼女に仕えている侍女が歩み寄って来て、
「皇女様。 セレンディーネ皇女さまが、面会を希望なさっておられますが、如何なさいますか?」
優雅に紅茶を啜っていたティティス皇女に問い掛ける。
(やっと来たわね)
ティティス皇女は、不敵な笑みを浮かべながら、心の中でそう呟いてから、
「いいわ。 会って差し上げようじゃない」
不敵な笑みを浮かべながらそう返すと、侍女は恭しく首を垂れると、部屋の入口の方へと向かって言った。
(さあ。 どんな顔をして来るかしら?)
ティティス皇女は、不敵な笑みを浮かべながら、部屋の入口の方へと目を向ける。
姉であるセレンディーネ皇女こと、セネトは何時もの男装姿でやって来た。
ティティス皇女の母親である、第一側妃が選んだ相手との婚約式をボイコットする為に、少年の格好をして逃げ出した際、長かった髪を短く切っていたのだか、その髪も後ろで一つに結べる位の長さにはなったようだ。
「ご機嫌よう。 お姉さま」
ティティス皇女は、自分の元に訪れた姉に、余裕に満ちた笑みを浮かべながらそう声を掛けた。
「急な訪問にも関わらず、会ってくれた事を感謝する」
セネトは、落ち着いた口調で、ティティス皇女にそう返した。
化粧で誤魔化しているものの、眠れていないのか、セネトは酷く疲れた顔をしていた。
「大変な事になっている様ですわね? お姉さま」
ティティス皇女は、セネトを挑発するかのように、不敵な笑みを浮かべながら言った。
「単刀直入に言う。 ロナードは無実だ。 僕が嫌いだからと言って、関係のない者まで巻き込むのは止めてくれ」
セネトは、何時になく真剣な面持ちで、ティティス皇女にそう言った。
「一体、何の事を仰っているのか、私には分からないわ」
彼女は、何処か馬鹿にした様な態度で、苦笑いを浮かべながら、セネトにそう言い返した。
「今回の魔物騒ぎ、僕と兄上を失脚させる為に、お前が企んだ事だろう?」
セネトは、表情を険しくし、唸るような声で言った。
「妙な言い掛は止めて下らないかしら? どうして私の所為になるのかしら?」
ティティス皇女は肩を竦め、苦笑いを浮かべながら言い返す。
「お前が、ロナードの嘗ての魔術の師である、アイリッシュ伯と繋がっている事は調べがついている。 彼らはどの様な手を使っても、ロナードをランティアナへ連れ戻そうと考えている。 お前は、私の婚約者であるロナードが目障りで仕方がない。 双方の利害が一致した結果、この様な事を引き起こしたのだろう?」
セネトは、淡々とした口調でそう指摘すると、ティティス皇女の表情が俄かに強張る。
「それは、お姉さまの想像でしょう?」
彼女は直ぐに、苦笑いを浮かべながら、そう言ってごまかした。
「私の想像かどうかは何れハッキリする事だ。 ロナードが無実であると証明された場合、無実の者を不当に捉え、罰しようとした咎は、お前だけでなく、兄のネフライトや母親の第一側妃も受ける事になるだろう」
セネトは、相変わらず落ち着き払った様子で、淡々とした口調で返した。
「脅迫するつもり?」
ティティス皇女は表情を険しくし、強い口調で言った。
(何時もの様に私に泣いて頼めば良いのに、私を脅すなんて生意気だわ!)
彼女は、テーブルの下で握り拳を作り、ワナワナとその手を震わせながら、今までとは打って変わり、毅然とした態度をとり続けるセネトに苛立ちを覚える。
「脅迫ではない。 警告だ」
セネトは、淡々とした口調でティティス皇女に言う。
「お姉さまのくせに、随分と生意気ね?」
ティティス皇女は、セネトを挑発する様に、不敵な笑みを浮かべながら言う。
「大切な者を守る為なら、お前たち兄弟と争う事も厭わない」
セネトは、落ち着き払った口調でそう返すと、ティティス皇女の表情が益々険しくなる。
(そう。 僕は今度こそロナードを守ると誓った)
セネトは、自分を睨んでいるティティス皇女を真っ直ぐ見据えたまま、心の中でそう呟いた。
「少しくらい、自分たちの味方が増えたからって、調子に乗るんじゃないわよ! 貴方たち兄弟なんて、お母さまがその気になれば、簡単に消せるんだから!」
ティティス皇女は、苛立ちを隠せない様子で、強い口調でセネトに言い返した。
「……そう言う割には、第一側妃さまは最近、公の場にも出ていらっしゃらない気がするが? ああ……。 使用を禁じられたにも関わらず、妖光花の白粉を使っていた所為で顔が爛れて、人前に出られなくなっているのか」
セネトは、淡々とした口調でそう指摘すると、ティティス皇女はビクッとその表情を強張らせる。
「黙りなさいよ! そんなの只の噂よ!」
そして、思わず声を荒らげ、そう反論した。
「ならば、第一側妃様にお目通りを。 ロナードが公平な裁きを受けられる様に、働き掛けて頂く」
セネトは、怒りを露にしているティティス皇女に対し、落ち着き払った口調でそう言い放った。
「何故、お母さまがそんな事に協力する必要があるの?」
ティティス皇女は、戸惑いの表情を浮かべながら、セネトに問い掛ける。
「知らないのか? 妖光花と呼ばれる毒花から、第一側妃さまをはじめ、宮廷に勤めていた多くの女性の命を救ったのは、ロナードだと言う事を。 第一側妃さまは、自分だけでなく、宮廷に勤める女性たちを助けてくれた事に、自らがしたためた礼状を彼に送る程、感謝していた」
セネトは、淡々とした口調で、動揺の色を隠せないティティス皇女にそう語った。
「ふん。 それも今回の一件を起こす為に、貴方の婚約者が予め仕込んでいた事だったのよ。 きっと。 そうやって『自分は味方です』って顔をして、周りを油断させていたのよ」
ティティス皇女は、挑発するような笑みを浮かべながら、セネトにそう言い返した。
「どうやって? ロナードが帝国に来る以前から、既に妖光花は宮廷で毒花とは知らずに栽培されていたんだぞ」
セネトは、ティティス皇女の挑発に乗る事も無く、落ち着き払った口調で問い掛けた。
「そ、そんなの……予め誰かに命じて、宮廷にその毒花を持ち込ませたに決まっているわ」
ティティス皇女は、冷静に問い掛けて来るセネトに戸惑いながらも、そう言い返した。
「……僕がルオンへ渡り、彼と出会う以前からか? それは少し無理があるんじゃないか?」
セネトは、咄嗟に思いついた事を言ったとしか思えないティティス皇女に対し、苦笑いを浮かべながら、そう指摘した。
「そ、そこまで知らないわよ!」
ティティス皇女は、目を泳がせ、セネトから視線を逸らし、口籠らせながら苦し紛れにそう言った。
「……今回もその程度の認識で、お前はロナードを犯人と決めつけて、不当に拘束し、投獄したんだろう?」
セネトは、呆れた表情を浮かべながら、ティティス皇女にそう指摘すると、彼女は一瞬、ギクリと身を強張らせた。
(やっぱり、そうなんだな……。 僕や兄上を陥れたいばかりに、無実のロナードを犯罪者に仕立て上げるなんて……)
ティティス皇女の反応を見て、セネトは心の中でそう呟くと、彼女は自分の中で沸々と怒りが湧きあがって来るのを感じた。
「五月蠅いわね! 大体、お姉さまの婚約者が怪しいと言っているのは、私だけじゃないのよ」
ティティス皇女は、セネトの鋭い指摘に苛立ちを隠せない様子で、強い口調でそう言い返した。
大方、ティティス皇女の兄で皇太子でもある、ネフライトを支持する輩の事を言っているのだろう。
「……そうか。 彼の無実が証明された暁には、お前も含め、彼を罪人と決めつけた者たちに、それ相応の責任を取って貰わねばないな」
セネトは、落ち着き払った口調でそう言うと、
「ぐっ……」
ティティス皇女は思わず、表情を歪め、たじろいだ。
「悪い事は言わない。 今直ぐに貴族裁判を取り消せ。 そうすれば、お前たちの傷も浅くて済むぞ」
セネトは、動揺の色を隠せないティティス皇女に、淡々とした口調で言った。
「誰がっ!」
ティティス皇女は表情を険しくし、強い口調で反論する。
「聞き入れて貰えそうにない様だな……」
セネトは、深々と溜息を付くと、とても残念そうにそう言った。
「ゴチャゴチャ五月蠅いわ! 言いたい事はそれだけなら、さっさと出て行きなさいよ!」
ティティス皇女は、これ以上、セネトの相手をするのは分が悪いと判断し、強い口調でそう言って彼女を部屋から追い出そうとする。
「分かった。 時間を取らせて悪かったな」
セネトは、落ち着いた口調でそう言うと、静かにティティス皇女の私室から立ち去って行った。
ティティス皇女は思わず、自分の前に置かれていたティカップを手に取ると、セネトが立ち去った部屋の入口に向かって、それを思い切り投げつけた。
辺りに、ティカップが割れる音が響き渡り、部屋に居合わせた侍女たちが恐怖に顔を引きつらせ、身を小さくする。
「何なのよ……。 何なのよ! ちょっと前まで、私やお兄様たちの顔色を窺ってばかりだったくせに!」
ティティス皇女は、不愉快さを露にし、そう言いながら近くにあった物に当たり散らす。
テーブルの上にあったティセットが勢い良く倒れ、ティポットに入っていたお湯がテーブルを伝い、高級な絨毯が敷き詰められた床の上に零れ落ちる。
「何がなんでも、あの婚約者を有罪にして、私たちに楯突いた事を後悔させてやるわ!」
ティティス皇女は、悔しそうに自分の親指の爪を噛みながら、唸るような声でそう呟いた。
「如何でしたか?」
ティティス皇女の私室から出て来たセネトに、ギベオンが複雑な表情を浮かべながら問い掛ける。
「カマを掛けてみたが、どうやら、僕たちの推測通りの様だ」
セネトは、足早に廊下を移動しながら、落ち着き払った口調で答えた。
「つまり、アイリッシュ伯とティティス皇女は、繋がっているって事?」
セネトの後に続いていたルチルが、戸惑いの表情を浮かべながら問い掛けると、
「その様だ」
セネトは、淡々とした口調で答える。
だが、彼女の素の双眸には、明らかに怒りの色が浮かんでいた。
「あんなのと手を組むなんて、ティティス皇女たちもいよいよ形振り構っていられない様ね……」
ルチルは、真剣な面持ちでそう呟く。
「建国祝賀祭で獅子族の暴動を鎮圧した事も勿論ですが、寺院すら手を焼いていた、獅子族の里で暴れていた魔物を、カルセドニ殿下が率いた討伐隊が見事に討った功績は無視出来ないでしょうからね。 世間では、ネフライト皇太子よりも、カルセドニ殿下の方が皇太子に相応しいと言う声が強くなっていますし……」
ギベオンは、落ち着き払った口調で語ると、ルチルも頷きながら、
「ネフライト皇太子を支持する事を止める者も出て来ていると聞くわ。 彼等としては、自分たちにとって不利な現状をどうにかして、ひっくり返したいでしょうね」
「それで、僕の婚約者であり、兄上の懐刀であるシリウスの弟でもあるロナードに狙いを定めた……と言う訳か……」
セネトは、神妙な面持ちで呟く。
「まあ、狙う相手としては悪くないけれど……。 彼を陥れるにしたって、もう少し良く作戦を立ててからの方が良かったんじゃないかしら? 中身がスッカスカじゃない」
ルチルは苦笑いを浮かべ、肩を竦めながら言った。
「そのお陰で、僕たちも様々な策を講じる事も、ティティスたちを追い詰める事も出来る訳だ」
セネトは、不敵な笑みを浮かべながらそう言った。
「ロナード様には気の毒ですが……」
ギベオンが、気の毒そうにそう呟くと、
「今が、攻勢に打って出るチャンスだって事が分からなほど馬鹿じゃないわよ。 あの子も」
ルチルが、苦笑いを浮かべながら言った。
複数の足音が、幾つもの牢屋が並んでいる地下に響き渡る。
その足音が、自分が閉じ込められている牢屋の前で止まったので、粗末なベッドの上に座り、差し入れに持ってきて貰った本を読んでいたロナードは徐に通路の方へと目を向けた。
「あら。 思っていたよりも元気そうね」
顔が見えない程、深々とフードを被っている女性が、皮肉たっぷりな口調でそう声を掛けて来た。
その女性の左右には、筋肉隆々の如何にも強そうな騎士が二人、これと言った表情も無く立っている。
「誰だ? 顔くらい見せたらどうだ?」
ロナードは徐に読んでいた本を閉じると、落ち着いた口調で、自分に声を掛けて来た相手に言った。
「それもそうね」
女性はそう言うと、徐にフードを払うと、ロナードはその顔を見て思わず表情を険しくした。
フードを払ったその女性は、セネトの腹違いの妹、ティティス皇女であった。
「こんな汚らしい場所、私などがわざわざ足を運ぶ様な所では無いのだけれど……」
彼女は、不敵な笑みを浮かべながら、嫌みたっぷりにそう言った。
「だったら、来なければ良い」
ロナードは物凄く冷たい口調で言い返すと、
「なっ……」
ティティス皇女は思わずカチンと来て、その表情を険しくした後、
「貴方、自分が今どう言う状況か分かっていて、私にその様な口を叩いているの?」
徐にロナードにそう問い掛けた。
「勿論だ。 そもそも俺が、自分をこんな所に放り込んだ奴を歓迎するとでも?」
ロナードは、落ち着き払った口調でそう返した。
「貴様! 口の利き方に気を付けろ!」
「皇女殿下に対して無礼だぞ!」
ロナードの物言いが気に入らなかったのか、ティティス皇女は苛立った様な表情を険しくし、彼女のその様子を見て、護衛の兵士は強い口調でロナードにそう言って食って掛かった。
「無礼を働いているのはどちらだ? いきなり屋敷に押し入って来て、身に覚えのない事で捕らえられた挙句、この様な場所に閉じ込める事が、お前たちの言う礼儀なのか?」
兵士たちに凄まれたロナードだが、至って落ち着いた口調でそう返すと、
「お姉さまの婚約者なだけあって、ホント生意気ね」
ティティス皇女は不愉快そうな顔をして、ロナードに言った。
「誉め言葉と受け取っておこう」
ロナードは、不敵な笑みを浮かべながら、挑発する様にそう言うと、
「ふざけないで!」
ティティス皇女は思わず声を荒らげ、そう言ってから、
「貴方は今、私に命を握られているのよ! それを分かっていて、そんな態度をとっているの?」
『信じられない』と言った様子で、ロナードにそう問い掛けた。
「それはお互い様だろ。 俺が無実だと証明されれば、詰むのはアンタだぞ。 こんな仕打ちをしておいて、『間違いました。 御免なさい』で済まされるとでも?」
ロナードは変わらず、落ち着いた口調で答える。
「黙りなさい!」
ティティス皇女はイラッとした様子で、益々声を荒らげた。
「そうやって声を荒らげるのは、自分に後ろめたい事がある何よりの証拠じゃないのか?」
ロナードは、静かに彼女を見据えなずら、落ち着いた口調でそう指摘した。
(何なのよ! お姉さまと言い、この男と言い……全く堪えてないじゃない!)
投獄されて数日が経つと言うのに、疲れた様子も無く、恐ろしく落ち着いているロナードを見て、ティティス皇女は焦りながら心の中でそう呟く。
「そんな態度をとって良いの? 私なら、貴方を今直ぐここから出してあげる事も出来るのよ?」
気を取り直し、本来の目的を果たす為に、ティティス皇女は不敵な笑みを浮かべながらそう切り出した。
そう。
今、優位にあるのは自分たちの方で、ロナードは自分に助けを求めなければならない立場なのだ。
少なくとも、ティティス皇女はそう思っていた。
「その対価は、セネトを裏切る事か?」
ロナードは、落ち着き払った口調でそう言ってきた。
多くを語らぬ内に、自分が何の為にここへ来たのかを悟ったロナードに、ティティス皇女は一瞬たじろいだが、
「あら。 話が早くて助かるわ。 勿論、私の取引に応じるわよね?」
勝ち誇った様な笑みを浮かべながら、ロナードにそう言った。
「何故、俺がアンタとの取引に応じると思うのか、理解に苦しむな」
だが、ロナードは彼女の予想に反して、物凄く冷ややかな視線と、冷めた口調でティティス皇女にそう言い返した。
「は?」
自分が想像した事から遥か彼方の言葉をロナードが発したので、ティティス皇女は一瞬、頭の中が真っ白になって、思わずそう呟いていた。
「お前の話には、乗らないと言っているんだ。 俺はセネトを裏切る事はしない」
ロナードは、落ち着いた口調で、想定外の返答に動揺しているティティス皇女に言った。
「馬鹿なの? 私の誘いに乗らなければ、貴方は断頭台に行く事になるのよ?」
ティティス皇女は、戸惑いの表情を浮かべながら、ロナードにそう言った。
「仮にその様な事になっても、我が身可愛さに恋人を裏切る様なクズになる気はない」
ロナードは、淡々とした口調でそう返すと、
「は? なに? 貴方……本気でお姉さまの事が好きなの?」
ティティス皇女は、自分の想像していた事とは異なる反応を示し続けるロナードに、すっかり翻弄されている様で、驚きと戸惑いを隠せない様子で、思わず彼にそう問い掛けた。
「そうだが」
ロナードは、何の躊躇も無く、落ち着き払った口調で答えた。
「あはははは! 貴方、目が悪いんじゃない? あんなのの何処が良いのよ?」
ロナードの返答に、ティティス皇女は馬鹿にした様に笑いながら、そう言うと、彼女の物言いにロナードは一瞬、イラッとした表情を浮かべ、彼女を睨み付けた。
「アンタの方こそ、人を見る目を養った方が良い。 大方、クリストファーから、セネトやカルセドニ皇子の評価を地に落とす良い作戦があると言われて、アンタは深く考えないで、今回の事件を引き起こしたのではないのか?」
不愉快さを隠せない様子ではあったが、落ち着いた口調でティティス皇女にそう言い返すと、
「なっ……。 何故それを……」
彼女は酷く動揺た様子て、思わずそう呟いた。
(え……。 それ本気で言っているのか?)
彼女の反応に、ロナードは戸惑いの表情を浮かべながら、心の中でそう呟いた。
「「何故も何も……。 リリアーヌを通じて、クリストファーがアンタの事を知っていた筈だ。 アンタが皇女である事や、セネトと対立関係にある事などを知った上で、アンタを利用する為にクリストファーが近付く事は、十分に有り得る話だと思っただけだ」
何故、ティティス皇女がこんなに驚いているのか、ロナードには理解出来なかったが、落ち着いた口調で、何故その様に思い至ったのかを簡潔に説明した。
「……」
ロナードに、自分の考えが筒抜けである事に、ティティス皇女は酷く動揺した。
「クリストファーは、アンタが思う以上に危険な男だ。 悪い事は言わない。 奴等とは金輪際、関わるな。 そうしなければ、骨の髄までしゃぶり尽されるぞ」
ロナードは、落ち着き払った口調で、ティティス皇女にそう忠告する。
ロナードに言われるまでも無く、アイリッシュ伯の異常さと、危険な空気は、ティティス皇女も感じていた。
「よ、余計な世話だわ!」
ただ、ここで素直に聞く事が出来ない彼女は、ロナードにそう言って強がる他なかった。
「折角、情けを掛けてあげようとしたのに、私の誘いを断るなんて馬鹿な男ね」
ものの見事に返り討ちに遭ったティティス皇女は、負け惜しみの様にロナードにそう言った。
「……」
もはや、強がっているとしか思えないティティス皇女に、ロナードは何とも言い難い表情を浮かべる。
「せいぜい、断頭台に立つ事が無い様に頑張る事ね」
ティティス皇女は、負け犬の遠吠えの様に、ロナードにそう言い返すと、踵を返し、兵士たちを連れて立ち去って行った。
「何だったんだ? あれ」
ロナードは、ティティス皇女が立ち去った後、ポツリとそう呟いた。




