呪詛
主な登場人物
ロナード(ユリアス)…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指していた。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト(セレンディーネ)…エレンツ帝国の皇女。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしていた。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な女性。 十九歳。
シリウス(レオフィリウス)…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
アイーシャ…マルフェント公爵家の令嬢。 『呪い食い』の能力を持つ呪術師。 十九歳。
ルチル…帝国の第三騎士団の隊長を務めている女性。 セネトと幼馴染。 二十歳。
ギベオン…セネト専属の護衛騎士。 温和で生真面目な性格の青年。 二十五歳。
ルフト… 宮廷魔術師長サリアを母に持ち、魔術師の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟に当たる。 二十歳。
リリアーヌ…イシュタル教会で『聖女』と呼ばれている召喚術を使えるシスター。 ロナードが教会の孤児院に居た頃、親しくしていた。 ロナードに対する恋心を拗らせ、彼への強い執着心を抱いている。 今はガイア神教の聖女になっている。
カルセドニ…エレンツ帝国の第一皇子でセネトの同腹の兄。 寺院の聖騎士をしている。 奴隷だったシリウスとハニエルを助け、自由の身にした人物。
アイク…ロナードの専属護衛をしている寺院の暗部に所属していた青年。 気さくな性格をしている。
アイリッシュ伯…ロナードがイシュタル教会の孤児院に在籍していた頃、彼に魔術の師事をしていた人物で、ロナードに呪詛を掛けた張本人。
セネリオ…ロナードがイシュタル教会の孤児院に居た時に親しくしていた青年。 アイリッシュ伯を師と仰ぎ、彼の研究に協力している魔術師。
帝都の地下でアイリッシュ伯らと遭遇したロナード達であったが、アイーシャとロナードが意識を失ってしまった為、地下の入口から一番近くにある、ロナードが所有しているリュディガー伯爵邸に引き上げ、意識を失った二人の回復を待っていた。
「……何で、いきなり、『呪い返し』なんてしたんだよ」
リュディガー伯爵邸に戻って暫くして、意識を取り戻したアイーシャに向かって、ルフトが少し怒ったような口調で彼女に問い掛けた。
「理由は言ったでしょ。 大体さぁ、目の前に呪いを掛けた張本人が居るのに、何もしないなんて馬鹿じゃない」
横たわっていたソファーから身を起こし、アイーシャは少し五月蠅そうな顔をしながら、ルフトの問いかけに答えた。
「だからって……」
ルフトは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
「気持ちは分かりますが、呪いを返すと言うのは、ロナードだけでなく、貴女自身も危険に晒す行為です。 今後はこの様に突発的に行う事は止めて下さい」
ハニエルも、アイーシャがした事に対し、かなり怒っている様で、何時も以上に真剣な顔をして彼女に言った。
「は~い」
アイーシャは、面倒臭そうな様子で返事を返した。
(この子、絶対に懲りてないわね)
彼女の言動を見て、ルチルは心の中でそう呟くと、呆れた表情を浮かべながら溜息を付いた。
「それより、ユリアスは大丈夫なのか?」
カルセドニ皇子は、屋敷にある自室で休んでいるロナードの事を気に掛け、彼の様子を見ていたハニエルに問い掛ける。
「強制的に呪いが体外に引きずり出されて、体に強い負荷が掛かった様ですが、それ以外は特段、異常は見受けられません。 一度、意識も取り戻しましたが、かなり疲弊したようで、今は良く眠っています」
ハニエルが、落ち着いた口調で答えると、ロナードが意識を取り戻したと聞いて、一同は安堵の表情を浮かべた。
「私が後遺症を残す様なヘマをする訳ないでしょ」
アイーシャが、ドヤ顔でそう言うが、冷ややかな視線を一斉に向けられ、彼女は思わずたじろいだ。
「ぶっ倒れたのにか?」
その中でも特に、刺す様な視線を向けているシリウスが、ややキレ気味で彼女に言った。
「それは……まあ……思いの外、身体に強く浸透していた所為だよ。 引き剥がすのにちょっと……言うか、かなり……苦痛を……」
アイーシャは、バツの悪そうな顔をし、時折、口籠らせながら返すと、
「結局、ユリアスを苦しめた事には、変わりは無いのだろうが!」
シリウスは表情を険しくし、テーブルが揺れるくらいに、ドンと強く拳を叩き付けながら、声を荒らげて彼女に言う。
「だから御免て言ってるじゃない」
明らかに怒っているシリウスに、アイーシャは困ったような表情を浮かべながら、そう返すが、彼はその程度では許す気は無さそうであった。
「君、絶対にユリアスから嫌われたと思うよ」
ルフトは、軽く溜息を付いてから、淡々とした口調でアイーシャに言うと、
「そ、そんな……」
彼女は酷くショックを受けた様子で呟く。
「それはでしょう。 苦しい目に遭わされた相手を良く思う訳がないです」
アイーシャの言動に、ギベオンが呆れた表情を浮かべながら言うと、ルチルも真剣な顔をして頷いている。
「しかし、貴方のお陰でハッキリした事もあります」
ハニエルは、落ち着いた口調でそう言うと、アイーシャはパァと表情を輝かせ、
「そうでしょ?」
声を弾ませながらそう言うので、その場に居た者たちの殆どが『現金な奴だな』と、心の中で呟いた。
「アイリッシュ伯は万が一、呪いが帰って来た時の為に自身を守る為に、自分の代わりに返って来た呪いを受ける人間を用意していると言う事です」
ハニエルは、落ち着き払った口調で語ると、一同はアイリッシュ伯の代わりに、呪いを返され、のた打ち回っていたランたちの姿を思い出し、物凄く複雑な顔をして押し黙る。
アイーシャとしても、アイリッシュ伯に返した筈なのに、彼の周囲に居た者たちが苦しみ悶えだしたので、自分たちと同様にさぞ驚いたに違いないと、ルフトたちは思った。
「まあ、呪術を掛ける上で、その対策は必須だけどね」
そんな彼らの思いとは裏腹に、アイーシャは実にあっけらかんとした様子でそう言った。
「それが、お前が呪いを返した時に、のた打ち回っていた連中と言う事か……」
カルセドニ皇子は、落ち着き払った口調で問い返すと、アイーシャは何食わぬ顔をして頷いている。
「自分の身近に居る人を使うなんて……」
ルチルは、かなりドン引きしている様子で、顔を青くしながら呟く。
「自分の周りに居るモノだと、呪いが返されたって一目で分かるからね」
アイーシャは、サラリとそう言って除けた。
彼女の言わんとする事は分かるが、これは人としての道徳心とか、仲間意識とか……そう言う範疇に触れる事である。
常人ならば、長い時間を自分と共に過ごして来た相手に対し、少なからず愛着や仲間意識というものを抱くもので、そう言った自分と親しい間柄の者を、自分を守る盾として使う事に、少なからず罪悪感を抱くものだが……。
生憎と、自分たちと違いアイリッシュ伯は、良心の呵責と言うものが無いのか、平然とそれをやって除けていた事に、彼らは多かれ少なかれ、ショックを受けていた。
「だからって……」
目の前で、返って来た呪いを受けて弟子と仲間たちが苦しんでいる様を、冷ややかに傍観していたアイリッシュ伯の何とも言い難い異様さに、恐怖心を覚え、ルチルは表情を引きつらせながらそう呟いた。
「まあ、あの様子だと、自分たちが伯爵の身代わりにされている事は、知らなかった様だけどね」
アイーシャは、肩を竦めながら、サラリとそう言って除けた。
「それはそうですよ。 普通、代わりに呪いを受けるなんて、誰もやりたがりません」
ギベオンは、物凄く複雑な表情を浮かべながら言うと、アイクやルチルも揃って頷いている。
相手が、自分には内緒で、その様な事をしたと知ったら、物凄くショックを受けるし、その様な事をした相手に対し、強い憤りや恐怖を覚えるだろう。
幾ら、尤もらしい理由を説明されたとしても、受け入れ難い事であるのは間違いない。
その時点で、信頼関係は崩れ、両者の関係は破綻している筈だ。
「余程の変態でもない限りな」
シリウスが、冷ややかな口調で言うと、徐にアイーシャを見据える。
「もしかして、それ、私の事を言ってる?」
シリウスの言動を見て、アイーシャは苦笑いを浮かべながら、彼にそう問い掛けた。
「それ以外に聞こえたのなら、心外だな」
シリウスは、自分の胸の前に両腕を組んだまま、淡々とした口調で返した。
「私は基本的に、イケメンは好きだけど、君の事は好きになれそうにないかな」
アイーシャは苦笑いを浮かべながら、シリウスに言った。
「貴様にどう思われようと、私には取るに足りない事だ」
彼は、冷ややかな視線を彼女に向けたまま、淡々とした口調で返した。
「気を悪くされたのなら、すみません」
見かねたハニエルが、二人の間に割って入り、愛想笑いを浮かべながら、アイーシャにそう言って謝った。
「何故、お前が謝る?」
シリウスは、不満に満ちた表情を浮かべながら、ハニエルにそう言うと、
「はいはい。 これ以上言うと、収拾がつかなくなるので、私たちは退散しましょう」
ハニエルは、困ったような表情を浮かべながら、何かと波風を立ててしまうシリウスに言い返すと、不満そうにしている彼の背中を押し、部屋から押し出そうとする。
「ハニ……」
シリウスは、戸惑いの表情を浮かべ、抗議しようとするが、ハニエルは苦笑いを浮かべたまま、
「ほら。 行きますよ」
そう言って彼を部屋の外へと連れ出して行った。
「全く……。 レオンが済まないな」
カルセドニ皇子は、軽く溜息を付いてから、申し訳なさそうにアイーシャにそう言った。
「別に良いよ~。 そんな風に言われるのは、何時もの事だからね」
彼女は特に気にする様子もなく、あっけらかんとした口調で返した。
「……」
彼女のその言動に、ルフトが複雑な顔をしてみている。
「話は変わりますが、アイリッシュ伯たちは何故、地下に居たのでしょうか」
気まずい雰囲気を変えようと、アイクがそう切り出した。
「そうですよね。 彼らの反応を見た限り、待ち構えていた訳でも無さそうですし……」
ギベオンも真剣な面持ちで言うと、ルチルも何度も頷いている。
「確かに……」
カルセドニ皇子も、神妙な面持ちで呟く。
「『シード』と関係してるんじゃない?」
ルフトがふと、帝都の地下調査に参加する前に、ロナードと話した事を思い出し、そう言った。
それには、その場にいた誰もが戸惑いの表情を浮かべながら、彼を見ている。
「『シード』?」
ルチルが小首を傾げながら呟く。
「何でまた急に、シードなんて言い出したんだ?」
カルセドニ皇子も、いきなりルフトが脈絡のない事を言い出したので戸惑う。
「いや、これは僕じゃなくて、ユリアスが言っていた事なんだよ」
ルフトは、周りが戸惑っているのを見て、苦笑い混じりにそう補足した。
「ユリアスが?」
カルセドニ皇子は、戸惑いの表情を浮かべたまま呟く。
「うん。 彼は前に、何処かの地下洞窟でシードを見付けた事があるらしくて、そこで二体のドラゴンと遭遇したらしいんだよね」
ルフトは、苦笑いを浮かべながらそう説明すると、その場に居合わせた者たちが、面を食らったような顔をして、互いの顔を見合わせる。
「ドラゴンって……」
流石のアイーシャも、戸惑いの表情を浮かべながら、そう呟いている。
「良く、無事でいられましたね……」
ギベオンも、俄かには信じられないと言った様子で、ルフトにそう言った。
「まあ、その辺の詳しい話は省かせてもらうよ。 どうしても知りたいのなら当人に聞いて」
ルフトは、周囲の反応に苦笑いを浮かべながらそう言うと、
「いや、普通に気になるんですけど……」
アイクが、苦笑いを浮かべながら言うと、アイーシャも興味津々と言った様子で、真剣な面持ちで何度も頷いている。
「それ話してたら、本題に入れないじゃない」
ルフトは、困った様な表情を浮かべながら、アイクに言うと、
「まあ、そうなんですけど……」
彼も、その通りだと思ったので、そう返す他なかった。
「それで、その後にシードの事について、色々と調べてたらしいんだよね。 それで分かった事かがあって、シードにの周囲には必ず、それを守る『守護者』って言うのが居るらしいんだ。 で、シードを見付けた時に鉢合わせたドラゴン達が多分、その『守護者』じゃないかと、ロナードは考えているわけ」
ルフトは、ロナードから以前聞いた話を思い出しながら、簡潔に説明をする。
「ふむふむ……」
カルセドニ皇子は、神妙な表情を浮かべ、自分の顎の下に片手を添えながら、呟く。
「つまり、シードの近くには、ドラゴン級の魔物が絶対に居るって事ですよね?」
ギベオンが、戸惑いの表情を浮かべながら、ルフトにそう問い掛けると、
「そう。 これを聞いてさ、何かピンと来ない?」
彼は真剣な表情を浮かべ、その場に居合わせた者たちに問い掛けるが、彼らは一様にキョトンと顔をして、お互いに顔を見合わせている。
「何が?」
アイーシャも、不思議そうな顔をして、ルフトに問い返し、
「そう言われても……」
ルチルも困惑を増している様子で、そう呟く。
「……確か、私たちが獅子族の里で討伐した巨大な蛇の魔物も、最初に現れたのは、帝都近くだったな……」
その時、カルセドニ皇子が神妙な顔をして、そう呟くと、ルフトはパット表情を輝かせ、
「そう。 つまり?」
声を弾ませながら、仲間たちに回答を求める。
「今回、我々が倒したその魔物が、シードを守る魔物ではないかと、ロナード様は思ったと言う訳ですか……」
ギベオンは、おずおずとそう答えると、
「そう。 普通に考えて、あんなトンでも魔物なんて、まず自然発生するとは思えない。 誰かが何らかの目的があって、召喚した幻獣と呼ばれる魔物を、そこに縛り付けた……。 そう考えた訳だよ」
ルフトは、求めていた回答が得られ、嬉しそうにそう答えた後、真剣な顔をしてそう説明した。
「じゃあ、最初の幻獣じゃないかつて説は、合っていたと言う事ですよね?」
アイクは、戸惑いの表情を浮かべながら、そう指摘すると、
「そうだね。 けど、幻獣は普通、魔力供給が無くなると、割と直ぐに消えちゃうものらしい」
ルフトは、ロナードから聞いた事を思い出しながら、仲間たちに説明する。
「つまり、魔力を供給してくれる『何か』があれば、幻獣はこちらの世界に居続ける事が出来る……って事だよね?」
アイーシャは、戸惑いの表情を浮かべながら、ルフトにそう問い掛ける。
「そっ」
ルフトはにっこりと笑みを浮かべ、そう答えるが、皆、俄かには信じられないと言った様子ではあった。
「ふむ。 だがそれならば、色々と合点がいく。 あの巨大な蛇の魔物が、普通の魔物とも、幻獣とも異なったのは、それが原因だった……とするのならな」
カルセドニ皇子は、神妙な表情を浮かべながらそう呟いた。
「今、その仮説を裏付ける物が無いか、調べている最中ではあるんだけどね。 僕としては結構、的を射た事じゃないかと思っているんだ」
ルフトは、真剣な表情を浮かべながら答える。
「ふむ……。 教会はシードを集めている様だったと、セティも言っていたからな……。 事実、アイリッシュ伯たちも居た……。 可能性はゼロでは無いだろうな……」
カルセドニ皇子は、実に興味深いといった様子でそう呟いた。
「確かに。 私も小さい頃から、街灯をはじめ、この街には魔力を動力とする便利な物が溢れているけれど、それらを動かす源は何だろうとは思っていた」
アイーシャも、真剣な面持ちで呟く。
「その根源がシードならば、それを補えるだけの力がある……」
ギベオンも、神妙な面持ちで呟く。
「何にしても、早急にアイリッシュ伯らを帝都から排除せねばならないな……。 こう何度も接触して来ては、ユリアスの気も休まらないだろう」
カルセドニ皇子が、真剣な表情を浮かべながら言うと、一同も真剣な面持ちで頷き返す。
「アイーシャ。 少し……良いか?」
ロナードの側にいたセネトは応接間に来ると、談笑していたアイーシャにそう声を掛けた。
「ん? なに?」
アイーシャはニッコリと笑みを浮かべ、そう返して来た。
「いや……。 此処では話せない事なんだ。 二人きりで話せないだろうか」
セネトは、複雑な表情を浮かべながら言うと、
「良いけど?」
アイーシャはキョトンとした表情を浮かべつつ、そう言うと席を立ち、セネトの側へとやって来る。
「空いている部屋を借りても?」
セネトは、近くに居た若い使用人に問い掛けると、
「あ、はい。 奥の客間が空いています」
彼はそう返した。
「行こうか」
セネトは、少し緊張した面持ちでアイーシャに声を掛けると、彼女はセネトの後に続く。
「ねぇ。 セティ。 彼の側に居なくて良いの?」
アイーシャは、自分の前を緊張した面持ちで歩くセネトにそう問い掛けた。
「ロナードなら、アイクが付いているから大丈夫だ」
セネトは、落ち着いた口調で答えた。
「話って何? 悪いけど、恋愛相談だったら力になれないよ?」
アイーシャは、苦笑いを浮かべながら言うと、
「そう言うのじゃない」
セネトは、複雑な表情を浮かべながら返す。
「ふ~ん」
アイーシャは、ちょっと意地の悪い表情を浮かべながら呟く。
二人は、空いている客間に来ると、セネトはアイーシャが部屋の中に入ると、徐に扉を閉めた。
「本当に、二人きりで話したいんだね?」
アイーシャは、部屋の扉を閉めたのを見て、苦笑いを浮かべながらセネトに言った。
「そう言ったはずだ」
セネトは、ムッとした表情を浮かべつつ、アイーシャにそう返すと、部屋の中央に置かれたテーブルを左右に挟むように配されたソファーの片方に腰を下ろした。
「ユリアスにした事、怒っているの?」
アイーシャは、セネトが神妙な顔をしている理由を知ろうと、苦笑い混じりに問い掛ける。
「急にあの様な事をしたのは、褒められた事ではないが、お前が迅速に対応してくれたお陰で、此方に被害が出なかった。 だから、それ程怒ってはいない。 ロナードも多分、お前が思っている程、怒っては無いと思う」
セネトは、落ち着き払った口調で答えると、
「じゃあ何で、そんなに難しい顔をしているの?」
アイーシャは、戸惑いの表情を浮かべながら問い掛ける。
「これを……見て欲しくて……」
セネトはそう言うと、徐にシャツの裾をたくし上げ始めたので、アイーシャは焦る。
だが、セネトの脇腹辺りに広がっている、銀色の蔦の様な物を見た瞬間、その表情を険しくした。
「……誰にやられたの?」
それまでの、暢気な雰囲気とは打って変わり、アイーシャは真剣な表情を浮かべ、唸る様な低い声でセネトに問い掛けた。
セネトは、自分の脇腹にある、銀色の蔦の様な模様を見た途端、表情を険しくしたアイーシャに、この模様が現れる切っ掛けとなったと思われる出来事と、自分の見解を語った。
「……その推測は違うと思うよ」
ソファーに座っていたアイーシャは、組んでいた足を替えながら、実にアッサリとした口調でそう言った。
「何故、そう言い切れる?」
セネトは、怪訝そうな表情を浮かべながら問い掛けると、
「誰かを自分の眷属にするって、そんな簡単な事じゃないと思うよ。 ましてや、その知識も無いのに、出来てしまう方が可笑しいよ。 だからユリアスはちゃんと治癒魔術で君を治療したと思うよ」
アイーシャは肩を竦めながら、淡々とそう言い放った。
「だったら……この模様は……」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら、徐に自分の脇腹辺りに目を向ける。
「その模様は、君たちが推測した通り、ユリアスに掛けられている呪いの一部だろうね。 けれど、これはユリウスから貰ったと言うより、君がユリアスから吸い取ったんじゃないかな?」
アイーシャは落ち着いた口調で、自分の見解を語ると、
「吸い取った?」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
「多分、坑道に閉じ込められて、大怪我をした君を助けようと、ユリアスが咄嗟に自分の血を君に飲ませた時、君は無意識の内にユリアスの呪いも取り込んだ」
アイーシャは、落ち着き払った口調で、自分の見解を更に語る。
「何で……そんな事が?」
セネトは益々混乱した様子で、そう呟く。
「君の母上は私の父上の妹だよ? 直系ではないにしろ、君が、呪いを食べる能力を引き継いでいても何ら不思議じゃない」
アイーシャは、落ち着き払った口調でそう指摘する。
アイーシャの父親であるマルフェント公爵は、妹であるセネト達の母が皇帝の正妻になる事を頑なに反対し、皇帝の妻になるのならば離縁する言い、彼女を脅していた程であった。
優秀な術師である彼は、何処に一番呪いが集まり、生み出されるのかを良く知っていた。
帝国内で最も愛憎渦巻く宮廷は、正に魔窟そのものだ。
ましてや、多くの女性たちの嫉妬や羨望の念を誰よりも受ける事となる皇帝の妻など、なっては欲しくなかったのだ。
結局、彼の願いは聞き届けられる事は無く、妹は皇帝の正妻となり、そして、若くして亡くなった。
マルフェント公爵は、妹を守る事が出来なかった皇帝の事を強く憎んでいるが、その子供たちであるセネト兄妹の事は、妹と離縁した手前、表立って手を貸す事は無かったが、人を介してずっと彼女たちを呪詛から守ってきた。
愛する妹と同じ様な事にならない様に……。
(確かに。 公には母上は毒殺と言われているが、それでは説明がつかないような亡くなり方をしたと聞く。 皇帝である父上の身代わりになって呪いを受けたとも、この国に蔓延る呪いを食べた所為だと言う噂もある……)
セネトは、神妙な表情を浮かべながら、心の中で呟く。
「つまり、僕がマルフェント公爵の『呪い食い』の能力を発現した……と言う事か?」
セネトはおずおずと、アイーシャに問い掛けると、
「そうじゃなきゃあ普通、呪いを移されて何とも無い筈がないよ」
アイーシャは、苦笑いを浮かべながらそう指摘すると、
「確かに……」
セネトは、アイーシャの言葉に妙に納得してしまった。
アイーシャの言う通り、誰かから呪いを移されたとするのならば普通、心身に支障が出そうなものなのだが、どういう訳か、その銀色の蔦の様な模様が現れても、彼女は至って元気なのだ。
それどころか、体内が魔力で満ちている感覚すらある。
「君が無詠唱で風の魔術を使えたのは、ユリアスから吸い取った呪いを自身の魔力に還元して、君の魔力が一時的に上がっていた所為だと思うよ」
アイーシャは、落ち着いた口調でそう補足した。
「成程……」
セネトは、納得がいったと言う様な顔をして、そう呟いた。
「その模様が少しずつ薄れているのは、呪いが少しずつ、君の魔力として還元されているからじゃないかな」
アイーシャは、セネトの脇腹辺りを指差しながら、落ち着いた口調で語る。
「だったら、僕がロナードの呪いを少しずつ食べれば……」
セネトは、ふと頭に過った事を思わず呟くと、それを聞いたアイーシャの表情が俄かに険しくなり、
「そう言う付け焼刃的な事は、止めた方が良いと思うよ。 今回はたまたま、君の体に無理のない範囲内だったと言うだけの話で、許容量を超える呪いを吸い込んだら、全身から血を吹き出しながら死ぬよ? 君」
何時になく真剣な様子で、そう警告してきた。
「なっ……」
それを聞いて、セネトは思わず絶句した。
「本来、『呪い食い』と言うのは、それだけ危険な能力なんだ。 これまでも、本家の者以外でその能力に目覚め、その能力の事を正しく理解しない内に、能力を使ってしまったが為に、無残に命を散らした者は何人も居る」
アイーシャは、真剣な表情を浮かべ、重々しい口調でそう語る。
「そうなのか……」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
「私たち、本家の人間は幼い頃から、『呪い食い』についての知識や、それに耐えうるだけの修練を日々積んでいる。 そうやって長い時間を掛けて、やっと扱える様になる。 大きな力を使うには、それ相応の対価が伴うものだよ。 魔術師である君なら、それは良く分かっていると思うけど?」
アイーシャは、真剣な面持ちと、重々しい口調でそう続けると、それを聞いたセネトは思わずゴクリと息を呑んでから、
「……済まない。 アイーシャ……」
バツの悪そうな表情を浮かべ、そう言ってアイーシャに謝罪した。
「別に、君を責める気はないよ。 それだけ君にとってユリアスが大事だって事でしょう?」
アイーシャはニッコリと笑みを浮かべ、セネトにそう言うと、彼女は忽ち顔を真っ赤にし、
「そ、それは……」
返す言葉に詰まらせる。
「私は嬉しいよ。 セティ。 私たちは立場上、親や周囲が決めた相手と婚姻する定めにあるけれど、出来れば愛し愛される相手と出会って欲しいと思っていたからね」
アイーシャは、ニッコリと笑みを浮かべ、優しい口調でセネトにそう言った。
「アイーシャ……」
彼女の思いがけぬ言葉に、セネトは胸が熱くなるのを感じた。
「それにしても、君たちは随分と奥手なんだね? 私はてっきり、やる事をやっちゃって、呪いを移されたのかと思ったよ」
アイーシャはニヤリと笑みを浮かべ、意地悪くそう言ってセネトをからかうと、
「なっ……」
彼女は、みるみる顔を茹蛸のように真っ赤にする。
「たま~にあるんだよ。 呪い付きとは知らずにヤって、相手から呪いを貰ったって、泣き付いてくる娼婦が。 まあ、その場合は十中八九、相手は最初から呪いを移す事が目的でヤったんだけどね」
アイーシャは、両腕を自分の頭の後ろに組み、苦笑いを浮かべながらそう語る。
「……」
セネトは顔を真っ赤にしたまま、何とも言えない様な複雑な表情を浮かべている。
「それに比べてユリアスは可愛いね。 あんな事やそんな事をして、万が一でも君に呪いを移ったらど~しようって思って、怖くて出来ずにいる訳でしょ?」
アイーシャは、ニコニコと笑みを浮かべながら、そう言ってセネトをからかう。
「……」
セネトは益々、顔を真っ赤にして、益々なんと言って良いのか分からなくなる。
「そんな真面目で健気な君に、呪いを相手に移す方法を教えてあげよう♪」
アイーシャは、セネトの反応が面白いのか、楽しそうに声を弾ませながら、その様な事を言い放った。
「は?」
セネトは、彼女の思いがけぬ発言に、思わず目を点にして呟く。
「要はその条件を満たさなければ、相手から呪いを移される心配はないって事でしょ? 安心してユリアスとの愛を育んでよ♪」
アイーシャはニヤリと笑みを浮かべ、そう言ってからかうと、
「アイーシャっ!」
セネトは顔を真っ赤にして、思わず声を荒らげると、彼女は可笑しそうにケタケタと声を上げて笑った。
白いペンキの色が所々剥がれた木の柵に囲まれた、あまり大きくない、白い二階建ての古びた建物……。
その中庭には、あまり手入れがされてなくて、雑草なのか花なのか良く分からない植物が一面に生えていて、木で作られた草臥れたベンチやテーブルが無造作に置かれていて、洗濯物を掛けるロープが近くの木々の間に渡されていて、昼間はこの孤児院の子供たちが使うシーツや衣服などが無造作に掛けられていて、それが風に揺らめいている。
人里から離れた高台にポツンとある為、この孤児院を訪ねる者は殆ど居ない。
この孤児院に集められた子供たちは、下は乳飲み子から上は十五歳くらいまでで、主にイシュタル教会の兵士として戦えるようも実践形式の戦闘訓練を学び、その合間にイシュタル教会の教えと、簡単な字の読み書きなどを習う。
幼い頃は、木造の模造剣などで訓練を行うが、年齢が上がるにつれ、本物の武器が渡される。
その為、子供たちは切り傷などが絶えず、訓練中に命を落とす事も珍しくなかった。
それでも、厳しい訓練が終わり、夕食までの僅かな時間は、子供たちが子供らしく居られる時間だった。
傾き出した夕日に照らされて、白い孤児院の建物は赤く染まり、子供たちが無邪気に遊び、近くの村の女たちが夕食の支度をする傍らで、孤児院の裏に切り立つ崖の上から、谷底に向かって孤児院の大人たちが、病気や怪我などで命を落とした子供たちの亡骸をゴミの様に投げ捨てていく。
それが、彼が居た孤児院では、ごく普通の日常だった。
「ユリアス。 ユリアス」
何処からか、可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。
彼は何時もの様に、仲の良い女の子が花冠を作る為に使う花を摘むのに夢中になっていた。
「なぁに? リリア」
彼は、自分が摘んだ花を握りしめたまま、自分を呼んでいる彼女の元へと駆け寄った。
今日も何時もの様に、自分が摘んで来た花を嬉しそうに受け取って、その花で花冠を器用に作る様子を傍らで眺める……筈だった。
自分を呼んだ彼女は、血の様に真っ赤な夕日に照らされていて、逆光でその表情までは分からなかったが、何だか何時もと様子が違っていた。
どうしたのか尋ねようと、一歩踏み出した時、地面とは異なる、水溜まりの様な、それでいて何だかヌルっとした感触に、思わず自分の足元に視線を落とした。
そこには、血の様に真っ赤に染まった地面があって、そこに咲いていた白い花が赤く染まっていた。
良く見ると、人間の物と思われる手足などが、そこら中に転がっていて、地面が赤く染まっていたのは、夕日の所為ではなく、それらから流れる血の所為である事を知った。
「ひっ……」
彼は恐怖に顔を引きつらせ、思わず二、三歩ほど後ずさりをしたが、急に何かに足を取られ、それ以上後ろに下がる事が出来なくなった。
見れば、先程まで真っ赤な地面の上に咲いていた白い花が、蔦の様に彼の足に絡まっていて、蔦から突き出している鋭く尖った棘が、彼の足に刺さっていて、流れ出た血を吸う様に白い花が赤く染まっていく……。
彼は咄嗟に、その棘が付いた蔦を足から外そうと身を屈めた時、ふと、すぐ目の前に誰かが立っている事に気付き、恐る恐る顔を上げた。
「ねぇ、ユリアス。 何で私たちを置いて行ったの?」
自分の目の前に立つ幼いリリアーヌは、血の様に真っ赤な双眸を彼に向けながら、恨みに満ちた声でそう言ってきた。
自分を静かに見下ろすリリアーヌの異常な雰囲気に、彼は恐ろしくなって動けずにいた。
「ねぇ。 ユリアス。 私の事が大好きだって、言ってくれたでしょう? 私、凄く嬉しかった」
幼いリリアーヌは、恐怖で動けない彼の頬に手を伸ばしながら、とても優しく、それでいて切なそうな顔をしてそう言ってきた。
確かに、孤児院に居た頃、彼は自分よりも一つ年上で、優しいリリアーヌの事が大好きだった。
「だから私は貴方が居なくなった後も、ずっと、ずっと……。 貴方のお嫁さんになる事を信じて待って居たの……。 それなのにどうして、私の事を避けるの?」
幼かったリリアーヌは少しずつ、今の姿に変わっていき、その声は憎しみと共に怒りが含まれ、彼の頬に優しく触れていた彼女の手は、頬の肉に食い込みそうな程に強く爪を立てる。
「ねぇ。 ユリアス。 貴方は私のものでしょ?」
リリアーヌはゆっくりと身を屈めると、動けずにいるロナードの肩にもう片方の手の爪を思い切り突き立てた。
「ぐっ……」
彼は思わず、痛みに顔を歪める。
「痛いでしょう? ユリアス。 でも、私の方がずっと、ずっと、ずっと……痛かった。 貴方に冷たくされる度、貴方が他の女の名前を呼ぶ度、私は地獄の底に叩き落された。 何度も。 何度も。 何度も!」
リリアーヌは、激しい憎しみと怒りに満ちた目を向け、強い口調でそう叫ぶ。
その頃には彼も、これが呪詛である事に気付いていた。
何とかして、ここから抜け出せないか、リリアーヌから視線を外す事は出来ないか、色々と試してみるが、体が全く動かせない。
(このままだとヤバイ)
彼は、心の中でそう呟き、更に焦りだす。
「ねぇ。 ユリアス。 聞いているの?」
リリアーヌがそう言うと、彼の顎の下に片手を添え、グイッと彼を自分の方へと力任せに向かせる。
(駄目だ! 目を合わせるな!)
彼は、必死に心の中で叫ぶ。
「ねぇ。 ユリアス」
「私を見て」
「私の事、好きよね?」
「ねぇ」
「答えてよ」
血の様に真っ赤な地面の下から、そう言いながら次々と、様々な年代のリリアーヌが姿を現し、彼を取り囲んでくる。
「くそっ!」
ロナードは必死にリリアーヌたちと目を合わせぬ様に顔を背け、両眼をグッと閉じた。
「ユ~リ~ア~スぅ~」
リリアーヌたちが、物凄い勢いで彼の体を掴み、地面の上に引き摺り倒そうとして来る。
(このままだと、術に捕まる!)
彼は必死に足掻きながら、縋る様に手を天に向かって伸ばす。
誰か!
そう思った瞬間、暗闇に覆われていた空に一筋の光が差してきた。
「ロナードっ!」
聞き馴染みのある若い女性の声が、空から響き渡って来た。
「セネトっ!」
ロナードは咄嗟に、自分に向かって差し伸べられてきた、黄金に輝く手を取った。
「はっ……」
ロナードは、思わず声を上げ、目を開いた。
全員から滝の様に冷や汗が流れていて、心臓がバクバクと忙しく音を立てて、呼吸は荒く浅く繰り返される。
朝日だろうか、夕日だろうか、開け放たれた窓から入り込む風に揺れるレースカーテンの隙間から、微かに差し込んで来て、窓から少し離れた場所に配置されているベッドの上で眠っていたロナードの顔に当たって、その感覚が現実に戻って来た事を伝えてきた。
「大丈夫か?」
直ぐ側で自分の手を握っている誰かが、そう声を掛けて来た。
ロナードは徐に声の主の方を見上げると、物凄く心配そうな顔をして見ているセネトの瞳に、自分の姿が写り込んでいるのが見えた。
「セネト……」
彼女の手の温もりと声に、ロナードに安堵に満ちた表情を浮かべ、彼女の名を呟いた。
「凄い汗だな。 何か拭く物を貰って来る」
セネトは、ロナードが魘されて、ぐっしょりと汗を掻いている事に気付くと、そう言って彼から手を放そうとすると、
「行かないで!」
ロナードは、ギュッと彼女の手を握り、縋る様な表情を浮かべながら言った。
自分の手を握りしめているロナードの手が、微かに震えている事にセネトは気付くと、何も言わず、彼の手を握り返し、ベッドの側に身を屈めた。
「はいはいはい。 ご馳走様」
その様子を見て、アイーシャがムッとした表情を浮かべながら言うと、セネトはハッとした表情を浮かべ、忽ち顔を真っ赤にする。
「呪いの気配を感じて、急いで来たんだけど……」
アイーシャは、落ち着いた口調でそう言うと、酷く疲弊した様子のロナードの目を指でこじ開けたり、首筋や、手の甲などを一頻り調べてから……。
「どうやら、セティのお陰で免れたみたいだね」
安堵の表情を浮かべながら、アイーシャがそう言うと、異変に気付いて駆け付けたハニエルと、彼の只ならぬ様子を見て一緒について来たシリウスも、ホッと胸を撫で下ろした。
「あ、ちょっと背中良い?」
アイーシャはそう言うなり、半ば強引に両手でロナードを横向きにする。
「あ~。 コイツの所為だったんだね」
アイーシャはそう言うと、ロナードの首の後ろにくっ付いていた何かを拾った。
「な、なんだ……それ……」
血を吸ったダニの様な生き物を見て、セネトは思わず顔を引き攣らせながら呟く。
「呪詛を媒介する、呪いで作られた虫だよ」
アイーシャは、嫌悪に満ちた表情を浮かべながらそう言うと、その虫の様な物を片手で握り潰すと、砂の様に砕けて散ってしまった。
「術者の血を使って相手を呪うんだ。 最初は本当に米粒程度だけど、呪詛が完成に近づくと次第に大きくなって、やがて弾けて、血で呪印を刻むんだよ。 幸い、破裂する前に術が解けたから、死んじゃったけどね」
アイーシャは、戸惑っているセネト達に、淡々とした口調で説明する。
「ひええっ。 オレ、付いてないですか?」
少し遅れて様子を見に来たアイクが、青い顔をしながら、自分の全身を両手で叩く様な仕草をしながら言う。
「心配ないよ。 そう簡単に作れる代物じゃあないから、大量生産は無理だよ」
アイーシャは、焦っているアイクを見て、可笑しそうに笑いながらそう答えた。
「そうは言っても、相手の血が入り込んでいるから、体から出てしまうまでは暫くは安静だね」
アイーシャはそう言うと、ポンポンと酷く疲れている様子のロナードの頭を軽く撫でる。
「呪詛を掛けて来た相手は、やっぱりアイリッシュ伯?」
用事を済ませ、少し遅れてやって来て後で話を聞いたルフトは、真剣な面持ちで仲間たちに問い掛ける。
「いいや、リリアーヌだった様だ」
セネトは、呪いに抵抗して疲弊し、再び眠りに落ちようとしたロナードから、何とか相手の事を聞き出しており、神妙な面持ちでそう答えた。
「呪詛を使うなど……。 いよいよ聖女とは程遠い存在になったな。 あの女」
シリウスは、嫌悪に満ちた表情を浮かべながら言うと、ギベオンやルチルも真剣な顔をして頷く。
「あの人形は、呪詛を媒介する為の道具だったのかも知れませんね……」
ハニエルはふと、リリアーヌを模した人形の事を思い出し、徐にそう呟いた。
「それは、否定出来ないね。 私たちに飛び掛かった時に、ユリアスに呪いで出来た虫を放った可能性が高いからね」
アイーシャも頷き、真剣な顔をしてそう返した。
「何にしても、面倒な事をしてくれる」
カルセドニ皇子が、ウンザリした様な表情を浮かべ、溜息混じりにそう呟いた。
寺院の聖騎士でもある彼としては、聖女と名乗っていた者が、寺院の教えでは禁忌とされる呪術を使った事は、物凄くマズイ事だと思っている様だ。
「あのさぁ。 一つ、気になる事があるんだけど……良いかな?」
何とも言い難い、重苦しい空気の中、ルフトが徐に仲間たちに問い掛ける。
「何だ?」
シリウスは、ちょっと五月蠅そうな顔をしながら問い返した。
「帝都の地下って、誰でも簡単に入れるものなの?」
ルフトはふと、疑問に思っていた事を問い掛けた。
「いいや。 普段は入れない様に、入り口には結界が張られ、扉で厳重に閉ざされている。 そのカギも宮廷で厳重に管理されている」
カルセドニ皇子が、落ち着いた口調でそう答えると、ルフトは何やら真剣な顔をして、考え込んだ後、
「つまり、入り口は幾つかあって、鍵も幾つかあるって事だよね?」
そう問い掛けた。
「そうだが」
カルセドニ皇子は、『何故そのような事を聞くのだろう』と言う様な顔をしつつ、そう答えた。
「殿下に今回、渡された鍵は一つだけ?」
ルフトは更に、真剣な顔をして、戸惑っているカルセドニ皇子に問い掛ける。
「そうだ」
カルセドニ皇子は、戸惑いながらもルフトの問い掛けに素直に答えた。
「じゃあ、アイリッシュ伯たちは一体、どうやって地下に入ったのかな?」
ルフトは、真剣な表情を浮かべながら、徐にそう言うと、それを聞いた仲間たちは一様に『確かに!』と言う表情を浮かべた。
「言われてみれば、確かにそうですね……」
ギベオンは、神妙な面持ちで言うと、ルチルやセネトも頷いている。
「結界を破る事は出来ても、扉は宮廷の宝物庫の扉にも使われている、魔力を含んだ特殊な金属で作られている。 鍵もそれに準じた特殊な物だと聞く。 寧ろ、結界よりも扉の方が厄介かもしれない」
カルセドニ皇子は、真剣な面持ちでそう説明すると、
「そんな物を簡単に壊して入れる物なのかな?」
ルフトは徐に問い掛けると、
「そうね……誰かが鍵を渡さなければ、入る事は難しいかも知れないわね……」
ルチルが神妙な顔をしてそう答えてから、直ぐにハッとした表情を浮かべ、
「ってまさか……」
そう呟き、徐にルフトを見ると、彼はニッと笑みを浮かべた。
「あいつ等に、鍵を渡した奴が居るとでも言うのか?」
シリウスが、戸惑いの表情を浮かべながら、ルフトに問い掛けると、
「そう考えるのが自然じゃない?」
ルフトは不敵な笑みを浮かべながら言うと、仲間たちは一様に複雑な表情を浮かべる。
「そうだとして……一体誰がそんな事を?」
セネトは、動揺を隠せない様子で、ルフトに問い掛ける。
「居るでしょ? カルセドニ殿下とセレンディーネ殿下を、纏めて消したいって思っている人たちがさぁ」
ルフトは不敵な笑みを浮かべながら、そう返した。
「ネフライトか?」
カルセドニ皇子は、俄かに表情を険しくしてそう言うと、
「そっ」
ルフトは不敵な笑みを浮かべたまま、そう返した。
「確かにアイツならば、尤もらしい理由を付けて、鍵を持ち出せるかも知れないが……」
シリウスは、苦々しい表情を浮かべながら、そう呟く。
「でも、ネフライトは点数稼ぎのために、ティアマト大老子の旅に同行している筈よ。 この時期に宮廷に居るのは、周りから不自然と思われるわよ」
ルチルは、ふと思い出した様にそう言うと、それを聞いたルフトは『えっ。 そうなの?』と言う顔をする。
「だったら、ネフライトの名前を出して、妹のティティスが……って事でしょうか?」
ハニエルが、神妙な面持ちでそう言うと、
「あの馬鹿なら、やりかねん」
カルセドニ皇子は両手で頭を抱え、特大の溜息を付き、ゲンナリとした表情を浮かべながら言った。
「同感だ」
シリウスも、溜息混じりにそう呟いた。
ティティスは、兄のネフライト皇太子と違い、妙な所で思い切りが良い。
そして大体、思い立ったが吉日と言わんばかりに、後先考えずに突発的にそれをする。
「アイリッシュ伯たちそのものを叩く事も大事だけど、奴らに協力している連中も抑えるべきだと思わない?」
ルフトは不敵な笑みを浮かべながら言うと、
「確かにそうだな」
セネトは、真剣な面持ちで答える。
アイリッシュ伯たちは、ネフライト皇太子や、その妹のティティスにとっては、何時でも替えの利く使い捨ての駒だろう。
彼等が使えなくなる、或いは、自分たちに被害が及ぶとなれば、彼女たちは容赦なく、アイリッシュ伯らを切り捨てるだろう。
そうやって彼女たちは今まで、手を替え、品を変え、駒を替えながら、カルセドニ皇子とセネト兄妹に悪意を向けて来た。
何時までも、こんな手が使える訳ではない事を、そろそろ彼等に分からせる必要がありそうだと、カルセドニ皇子もセネトも思った。
「少し……揺さぶりをかけてみるか……」
カルセドニ皇子は、何時になく真剣な面持ちでそう呟いた。
「面白そうだね。 私も混ぜてよ」
カルセドニ皇子の言葉を聞いて、アイーシャが一緒に悪戯をする子供の様な顔をして言うと、
「勿論、僕たちも混ざって良いですよね?」
ルフトもニッコリと笑みを浮かべながら言う。
「全く……。 悪戯好きな連中ばかりで困る」
カルセドニ皇子は、軽く溜息を付いてから、何処か嬉しそうな様子でそう言った。
「ふう……」
話し合いを終え、ロナードの様子を見に戻って来たセネトは、部屋の扉を閉じると、少し疲れた表情を浮かべながら、溜息を付いた。
「お疲れ様です。 随分とお疲れの様ですが、何か良くない事でも?」
ロナードの護衛をしているアイクが出迎え、徐にそう問い掛けて来た。
「良くない……と言えば、そうなるのだろうな……」
セネトは、額に片手を添えながら、ゲンナリとした表情を浮かべながら呟く。
兄のカルセドニ皇子が、皇太子に返り咲く事を切望している以上、現・皇太子であるネフライトと、その地位を巡って全面対決は避けられないとは分かっているが……。
こうも、争いが激化してくると正直、気が休まらない。
「ロナードは?」
セネトは気を取り直し、ロナードの様子をアイクに問う。
「良く眠っておいでです」
アイクは、落ち着き払った口調で答える。
少し前に、ロナードの側から離れる時は、リリアーヌからの呪いを見舞われ、呪いに抵抗した事で心身共に疲弊し、半ば気絶する様に眠りに落ちて、深く眠ってしまっている様だった。
(ロナードが、地下捜索の要だと踏んで、攻撃して来たのだろうが……)
セネトは、心の中でそう呟きながら、奥の続き間に居るロナードの元へと足を運ぶ。
「誰?」
続き間の扉を開く音で目が覚めたのか、ロナードが徐にそう問い掛けて来た。
すっかり日が沈んで辺りが暗くなっており、ロナードの眠りを妨げない為か、部屋は隅に置かれたランプの仄かな明かりだけが灯されている状態だった。
「僕だ」
セネトはそう返すと、ゆっくりとロナードの側に歩み寄る。
「調子はどうだ?」
セネトはそう言いながら、ベッドの脇に置かれている、小さな丸テーブルの側にある椅子に腰を下ろし、丸テーブルの上に置かれているランプの抓みを捻って、明かりを点けた。
ベッドの上に横たわったまま、自分の方を見ているロナードはまだ、怠そうな様であった。
セネトは、テーブルの上に置かれている水差しを手に取り、側に遭ったコップに水を注ぐと、それをロナードに差し出した。
彼は身を起こし、差し出されたコップを受け取ると、喉が渇いていたのか、一気に中の水を飲み干した。
「なあ。 セネト」
ロナードは、自分の傍らに居るセネトに、徐に声を掛ける。
「ん?」
セネトは、ロナードの方へと振り返ると、
「もしも……リリアーヌが今の様な状態になったのが……俺の所為だとしたら……。 俺はどうするのが正解なんだろう」
ロナードは、酷く思い詰めた表情を浮かべ、重々しい口調でそう語りだした。
「なっ……?」
思いがけぬ彼の言葉に、セネトは驚き、絶句する。
「今の彼女は、俺が知って居る嘗ての彼女からは、あまりに懸け離れてしまっているんだ……」
ロナードは、沈痛な表情を浮かべながら、そう語る。
(確かに、会う度に人格が破綻していっている気はするが……)
セネトは、複雑な表情を浮かべながら、心の中でそう呟く。
最初の頃はそれなりに、リリアーヌは筋の通った事をしていた筈なのだが、何時の間にか、彼女の言葉に行動が伴わず、支離滅裂な事をしている。
何をしたいのか?と、問い掛けたくなる様な事が増えた。
「……確かに、彼女が会う度に可笑しくなっているとは、僕も感じてはいる。 けれど、その理由がお前に対する執着心だけとは、言い難いと思うぞ。 他にも要因があると考えるべきだろう」
セネトは、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で語る。
「そうかも知れないが……。 でも……」
ロナードは、沈痛な表情を浮かべながら、何処か駄々を言う子供の様な口調で返す。
(少しでも、自分に原因があるとするのなら……か)
ロナードの表情を見て、セネトは複雑な表情を浮かべながら、心の中で呟く。
「はあ……」
セネトは、何と返して良いのか分からず、片手を額に添え、特大の溜息を付く。
(アイリッシュ伯たちは、ロナードの性格を熟知している。 会う度に狂った様に自分の名を呼び、少しずつ人格が破綻していくリリアーヌを目の当たりにして、何も感じない様な人間ではないと言う事も……)
セネトは、すっかり困り果てた様子のロナードを見ながら、心の中で呟く。
「どうするべきだと思う?」
ロナードは、助けを求める様な表情を浮かべ、セネトにそう問い掛ける。
(嘗て、家族も同然の様に親しくしていた相手から、憎しみの塊とも言える呪いを受けた事が余程、堪えたんだろうな……)
ロナードの表情を見ながら、セネトは心の中でそう呟くと、溜息を付き、
「相手の事をとやかく考えても、当人では無いのだから答えなんて出る筈がない。 そうやって、あれこれ悩んでも仕方のない事だ。 それよりも今は、ゆっくり休むべきだと思うぞ」
落ち着き払った口調で、かなり落ち込んでいる様子のロナードにそう言った。
「でも……」
ロナードは、複雑な表情を浮かべながら呟く。
「お前は今、正常な判断が出来る状況とは言い難い。 相手はそうやって、お前にあれこれ悩ませて、神経をすり減らすのが狙いだ」
セネトは、真剣な表情を浮かべ、落ち着いた口調でそう諫める。
「幾ら何でも、そんな言い方は無いだろう! こうしている間にも、リリアーヌは苦しんでいて、助けを求めているかも知れないのに!」
ロナードは表情を険しくし、声を荒らげて反論する。
「冷静になれ! お前が、そう言う風に考える事自体が、あいつ等の狙いだと言う事が何故、分からないんだ?」
セネトも思わず感情的になり、声を荒らげて言い返した。
「―っ!」
セネトの言葉に、ロナードは物凄く痛そうな表情を浮かべる。
「苦しんでいるのは、リリアーヌではなくて、お前の方だろう! お前が他人を思いやれる性格だと知って居て、リリアーヌの事で思い悩むだろうと分かっていて、あいつ等は、お前に態と呪いを飛ばしたんだ!」
セネトは、抑えが聞かなくなり、強い口調でそう続けた。
「怒鳴り声が聞こえましたが、どうかしたのですか?」
アイクが慌てた様子で、そう言いながら部屋に駆け込んできた。
「……何でもない」
セネトは、アイクから視線を逸らしながら、ぶっきら棒にそう言い返す。
「主? 泣いているんですか?」
セネトの傍らで、ロナードが抱えていた枕に顔を埋め、微かに肩を震わせているのを見て、アイクは戸惑いの表情を浮かべながら、ロナードにそう声を掛ける。
「嘗ての友人に、呪いを掛けられた事に動揺している」
セネトは、大きな溜息を付いてから、淡々とした口調で言った。
「主……」
アイクは、とても居た堪れない表情を浮かべ、そう呟く。
「気持ちを落ち着かせる様な飲み物を作るよう、ハニエルに言って貰えないか? ロナードの側には、僕が居るから……」
セネトは、落ち着き払った口調でアイクにそう言うと、
「分かりました……」
アイクは、真剣な面持ちで頷き返し、そう答えた。
「この手は、使いたくなかったのですが……」
アイリッシュ伯は、溜息混じりにそう呟くと、並んだベッドの上に、それぞれ横たわっているリリアーヌ達を見る。
「今度は何をするつもりや?」
ランは、怪訝そうな表情を浮かべながら、アイリッシュ伯に問い掛ける。
先日、アイーシャにロナードに掛けられていた呪いを返され、呪いを掛けたアイリッシュ伯の代わりに彼女たちが返って来た呪いを受けた所為で、激痛に苛まれ、体がまだよく動かない。
「リリアーヌが放った術が成功したので、次の段階に進むのです」
アイリッシュ伯は、ニッコリと笑みを浮かべながら、戸惑っているラン達にそう言った。
「次の段階?」
カリンも、不信感に満ちた表情を浮かべ、そう呟く。
「あなた方はまず、ユリアスの夢の中に入り込み、中にある『一番古い記憶』まで遡って貰います。 ですが残念な事に、私たちの中で、その頃の彼と記憶を共有している者が居ません。故に、何処の記憶に辿り付くかは分りません」
アイリッシュ伯が淡々とした口調でそう言うと、それを聞いて、カリンとランが不安そうな表情を浮かべる。
「ですので、貴女たち自身で、彼の記憶を遡る扉を見付けねばならないのですか……。 その際、君たちが知っている人と会う事もあるかも知れないけれど、『ジークの記憶の中』だからね。 彼の記憶と関係無い事をし過ぎると、弾き出される危険性があるから気を付けて欲しい」
アイリッシュ伯は、真剣な面持ちで、ラン達にそう忠告する。
「んで、このビンゴブックはなんやねん?」
ランは、自分たちに手渡された紙を見ながら、アイリッシュ伯に問い掛ける。
「消して貰いたい人たちです。 その方法は恐らく、実力行使となります。 その際、彼と結び付きが強い者ほど、強い抵抗を受ける事となるでしょう。 心して下さい」
アイリッシュ伯は、穏やかな口調で、とんでもない事を言い放った。
「つまり、ウチ等はユリアスの記憶の中で、人殺しをして来いっちゅう事やな?」
ランは、怪訝そうな表情を浮かべながら言うと、
「まあ、簡単に言ってしまえば、そうですね」
アイリッシュ伯は、苦笑いを浮かべながら答える。
「なんちゅう事を言いよるねん。 アンタ」
ランは、思わず表情を引き攣らせながら呟く。
「今現代のユリアスも、記憶中の何処かに居るので、見付からない様に気を付けて下さいね。 見付かれば、君たちは多分、彼から追い出されてしまうでしょうから」
アイリッシュ伯は、苦笑い混じりにそう言うと、
「そりゃ、そうやろな……」
ランは、苦笑いを浮かべながら返す。
「その他の事は、まあ、入ってみれば分るでしょう」
アイリッシュ伯は、ちょっと無責任ともとれる発言をするので、ラン達は、不安を覚える。
「兎に角、この睡眠薬を飲んで」
アイリッシュ伯はそう言うと、一緒に居た侍女が、薬を溶かした水が入ったグラスをラン達に差し出す。
「貴方たちが眠って居る間に、貴方たちの精神をユリアスの記憶の中に送るからね」
アイリッシュ伯は、簡単にラン達に説明すると、彼女たちはそれぞれの表情を浮かべつつ、差し出されたグラスの中の水を飲み、ベッドの上に横になる。
やがてラン達は、強い眠気に見舞われた……。
そして、目を覚ました時には、先程まで自分たちが居た部屋の中では無く、何処かの街の中だった……。
「ここは……?」
カリンは、何処かで見覚えのある街並みに、戸惑いの表情を浮かべつつ、辺りを見回す。
「どうやら、マイル王国の王都、アナハイムの様ですね。 教会本部の建物が見えます」
リリアーヌが、落ち着き払った口調でそう言うと、街の中央に聳え立つ、一際大きな白亜の建物を指差す。
迷路の様に、細い路地が複雑に入り組んだ街並み。
白いロープに身を包んだ修道士たちの姿が、街の至る所にある。
リリアーヌは、戸惑いながらも、何かに導かれる様に、目の前の路地裏へと歩みを進めた。
暫く歩くと、少し広さはあるが、昼までも薄暗い場所にロナードが佇んでいたので、リリアーヌ達は思わず物陰に身を隠し、様子を伺った。
彼は、彼女たちの記憶にある、今のロナードとさほど変わらない姿であった。
ただ、纏う雰囲気が全く違っていた……。
「ま、ま、待ってくれ! オレ達の味方じゃなかったのか?」
ロナードと対峙して居るスキンヘッドの大男が、戸惑いの表情を浮かべ、彼にそう言っている。
二人の周囲には、ゴロツキと思われる、身なりもあまり良く無い男たちが数人、夥しい量の血を流し路上に転がっていた。
微動だにしない所を見る限り、恐らく、何者かに害され、絶命していると思われる。
ロナードは、相手の問い掛けに応える様子も見せず、手にして居た剣を握り直すと、その場から逃げ出そうとしたスキンヘッドの男を、背中から容赦なく切り付けた。
ロナードが斬り付けた相手は、そのまま、前のめりになって、路上に転がった。
(うわー。 ええっ……。 いきなりこれは、キツっ!)
その光景を見て、カリンは青い顔をして、心の中で悲鳴を上げる。
ロナードは無表情のまま、何事も無かったかのように、剣に付いた血糊を払うと、剣を鞘に収めた。
「御苦労だったな」
何処からか、貴族に仕えている騎士らしき男が現れて、ロナードに向かってそう言った。
ロナードは何も言わず、男に向かって、スッと片手を差し出す。
『さっさと金を出せ』と、言っているのだ。
「チッ。 テメーは金さえ払えば、何だってするのかよ」
騎士らしき男の連れの青年が、嫌悪に満ちた表情を浮かべつつ、懐から金が入った布袋をロナードに差し出すと、彼は何も言わず、半ば奪い取る様に金が入った袋を手にすると、何も言わず、彼等に背を向け、その場から立ち去る。
「この薄汚いドブネズミが!」
騎士と思われる男の連れが、自分たちの前から立ち去ろうとするロナードの背中に向かって、そう罵倒した。
しかし、ロナードは無視を決め込み、その場から立ち去った。
ロナードは、路地裏から表の大通りに出ると、強い太陽の日差しに彼は思わず目を細め、その足を止めた。
黒いシャツの上から黒いロングコートを羽織、黒のジーンズに、黒革のブーツ……彼女たちが良く知る彼の出で立ちなのに、何故か異質な感じがした。
羽織って居たロングコートは、返り血が付いたのか、ドス黒いシミが点々と付いており、彼の頬には、返り血が付いている。
ロナードは無表情で、頬に付いた返り血を服の裾で拭うと、何事も無かったのかの様に、人々が行き交う大きな通りに向かって歩きだした。
リリアーヌ達は、今、自分たちが、どの位前のロナードの記憶の中に居るのかを確かめる為、その後を付ける。
自分たちが知るロナードとは違い、何だかとても禍々しくて嫌な雰囲気を纏っていた。
「何だか、怖いんだけど……」
カリンが思わず、表情を引きつらせながらそう呟いた。
ロナードの目はとても暗く淀んでおり、暗殺者などに良く見られる、他人も自分の命にも執着の無い様な、冷たい目をしていた。
ロナードは暫く歩いた後、一階は酒場、二階は宿屋を営んで居る、小さな店の前に来ると、吸い込まれる様に、その中に入って行った。
リリアーヌ達もその後に続くと、まず、店の中に充満して居る、タバコの臭いが、彼女たちの鼻に付いた。
昼間だと言うのに、柄の悪そうな男たちが、ビールジョッキを片手にテーブルを囲んでおり、必要以上に肌を露出した娼婦が、強烈な香水の臭いを漂わせながら、自分たちの店に入ったロナードの側へと歩み寄り、誘う様な視線で彼を見上げ、その腕を掴む。
ロナードは五月蠅そうな顔をして、娼婦の手を振り払うと、淡々とした様子で、店の奥にあるカウンターの前に座ると、別の席で酒を飲んでいたと思われる、顔を赤らめた男が隣に座った。
灰色のボサボサな髪を後ろで一つに束ね、右目は刃物で切り付けられた跡が生々しく残っている、左目は焦げ茶色、肌の色は、良く日に焼けた赤銅色、背が高くガッチリとした、大柄な中年の男で、腹が少し出っ張っている、如何にも怪しげな男だ。
「殺しか?」
彼は、ロナードにそう声を掛けると、
「アンタには、関係無いだろ」
ロナードは、素っ気ない口調で、男にそう言い返した。
「血の臭いがするぜ」
男は、苦笑いを浮かべながら、ロナードにそう言うと、
「……そうだろうな」
ロナードは、淡々とした口調で、そう言い返すと、バーテンダーが差し出した、水の入ったグラスを手にし、水を飲み干す。
「ヤバイで。 あの目は。 人を殺す事に慣れて、何も感じなくなってる奴の目や。 んで、ある日突然、自分をも簡単に殺してしまうんや。 そう言う奴を今まで何人も見て来たから分かるで」
ランが、表情を引き攣らせながらそう呟いた。
「確かに。 目がイッてるね……」
セネリオは、苦笑いを浮かべながらそう返す。
「無意識に心がそうするんや。 そうでもしないと、真面じゃ居れんからな。 まあ、防衛本能ちゃうヤツやな」
ランは、淡々とした口調でそう言うと、セネリオが肩を竦め、
「この状態を『まとも』と言えるかどうか、実に怪しいけどね」
「それでも、人を斬る事に快感を覚えて、狂人になるよりはマシやろ。 ある意味、そっちの方が楽かもしれんけどな」
ランは、淡々とした口調でそう言った。
「何にしても、この記憶には用はないわ。 もっと前の記憶へ行けると良いのだけれど……」
リリアーヌが、淡々とした口調でそう呟く。
「って、別の記憶へ行くには、どうしたら良いわけ?」
カリンが、困った様な表情を浮かべ、仲間たちに問い掛ける。
「さあね」
セネリオは、肩を竦めながらそう言った。
「見事なまでに、精神干渉を受けているね……」
アイクから、ロナードの異常を知らされ、シリウス達と共に駆け付けたアイーシャが、額に片手を添え、ゲンナリとした表情を浮かべながら、そう呟いた。
ロナードはどういう訳か、深い眠りに落ちていて、何をしても起きない状態になっている。
「何時の間に……」
ルチルは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
「ユリアス……」
シリウスは沈痛な表情を浮かべ、ベッドの前に身を屈め、嗚咽を押し殺し、小さな子供の様にポロポロと大粒の涙を流しているロナードを、自分の胸元に抱き寄せる。
そんなシリウスの胸元に顔を埋め、ロナードはすすり泣いている。
「……迂闊でした。 夢は、その人の精神と深く繋がっていますから、夢を介して精神に干渉している可能性がありますね……」
ハニエルは、沈痛な表情を浮かべながら呟く。
「どうしたら、助けられる?」
セネトは、真剣な面持ちでハニエルに問い掛ける。
「危険ですが、私たちもロナードの精神に入る他ないですね……」
ハニエルは、苦々しい表情を浮かべ、重々しい口調で語る。
「そんな事が出来るのか?」
カルセドニ皇子は、戸惑いの表情を浮かべながら問い掛ける。
「私の『読心眼』の能力を使えば恐らく……。 ですが、ロナードの精神世界に入るのは、誰でも良いと言う訳ではありません。 ロナードと結び付きの強い人でなくては……」
ハニエルは、複雑な表情を浮かべながら語る。
「ならば、私が行こう」
シリウスが、自分の胸に片手を添え、真剣な面持ちで名乗り出た。
「まあ、腐っても兄弟だからね。 君程の適任者は他に居ないよ」
ルフトが苦笑いを浮かべ、肩を竦めながら言う。
「僕も行く!」
セネトも真剣な面持ちで名乗り出る。
「大勢を送り込むのは、ロナードに大きな負担となります。 人員は厳選しましょう」
ハニエルは、真剣な面持ちでそう言うと、仲間たちは一様に真剣な面持ちで頷き返す。




