向けられた悪意(上)
主な登場人物
ロナード…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指している。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト…エレンツ帝国の皇子。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしている。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な可愛らしい少年。
シリウス…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
トスカナ…ロナード達が護衛をしているキャラバン隊の責任者。 人当たりが良く、面倒見の良い中年男性。
ティティス…セネトの腹違いの妹。 王宮内で弱い立場にあるセネトの事を見下している。
カメリア…トロイア王国を拠点に、宝石関連の事業を手広くしている大富豪。 トスカナの商売の相手。
セネリオ…ロナードが嘗て、イシュタル教会の孤児院に居た時に親しくしていた、魔術師の少年でアイリッシュ伯の弟子。 強い力を得る事に固執している。
カリン…イシュタル教会に所属している、魔獣使いの少女。 ロナードが持っている幻獣を欲しがっている。
ラン…イシュタル教会に所属している、槍術を得意とする猫人族の女性。 カリンの相棒。
アイリッシュ伯…ロナードの嘗ての魔術の師匠で、ロナードに隷属の魔術を掛けた張本人。 イシュタル教会の術師。 強い魔力を持ち、召喚術を使えるロナードに対し、異様なまでの執着心を持っている。
アルシェラ…ロナードの祖父であるオルゲン将軍が面倒を見ていた少女で、嘗てはロナードと同じ組織に所属していた。
オリヴィア…イシュタル教会に所属するシスター。 アルシェラの身の回りの世話をしている。
メフィスト教皇…イシュタル教会の最高指導者。 アルシェラの実の父らしい。
ロナード達が、無事にイルネップ王国へ渡り、トスカナのキャラバンの護衛をしていた頃、北半球のランティアナ大陸では……。
イシュタル教会からの使者のオリヴィアに連れられ、マイル王国にあるイシュタル教会の総本部へ訪れたアルシェラは、自分の父だと言う、教会の最高指導者であるメフィスト教皇に会う為、控えの間に居た。
アルシェラは、従兄であるチェスターと共に、カタリナ王女と敵対関係にある、ベオルフ宰相に与していた事が明るみになり、新たにオルゲン侯爵の地位に就いた、チェスターの腹違いの弟で、カタリナ王女に与しているエルトシャンにより、屋敷から追放され、行き場を無くしてしまった為、実父である教皇に身の安全と生活を保障してもらおうと考えていた。
彼女の頭の中で当初描いた計画から大きく外れ、ベオルフ宰相とその一派は、クーデターを失敗し、次に、王女の従弟であるロナードを王位に推す事で、自分たちの正当性を示し、カタリナ王女を失脚させようと目論んだが、それも失敗してしまった。
ルオン王家に謀反を企み、王女の従弟であるロナードを不当に拉致し、宰相の孫娘との婚約式を強行し、集まった多くの貴族らを騙し、国内を著しく混乱させただけでなく、ロナードが逃亡を図った際、攻撃を加え、生死不明にしてしまった罪などで、ベオルフ宰相等は第一級重犯罪者として、ルオン王国全体に指名手配される身となり、宰相たちは止む無く、家族を連れて国外逃亡を図った。
逃げ遅れた従弟のチェスターは、謀反に加担した罪で捕らえられ、翌日には重犯罪人として処刑が言い渡され、断頭台の露と消えたのを目の当たりにし、身の危険を感じた彼女は、オリヴィアを頼って国外へと逃げる事を余儀なくされた。
途中までは本当に、面白い位に彼女が立てた計画通りに事が進んでいたと言うのに、セネトと言う少年が現れた辺りから、少しずつその歯車が狂いだした。
本来なら、既に墓標の下の人になっている筈の、養父のオルゲン将軍が生きているだけでなく、計画の要であったロナードが生死不明となった事は、大きな痛手であった。
まさかロナードが、真正面から飛んで来たボウガンの矢を真面に食い、崖から海へ落ちるなど、彼女は想像すらしていなかった。
魔術師の彼ならば、片手を翳せば一瞬で、自分を守る魔術の壁を作り出し、飛んで来た矢を全て弾くなど、朝飯前である筈だ。
なのに、あの時は何故か、彼はそうしなかった。
そうする事が出来なかったのか、態としなかったのか、当人が生死不明である以上、確かめ様も無いが……。
(揃いに揃って、無能な連中ばかりで嫌になるわ……)
アルシェラは、心の中でそう呟くと、深々と溜息を付いた。
控えの間は、恐ろしく広く、壁や床、中央に置かれた大きな円卓は大理石で作られており、その周囲に置かれたソファーも、如何にも高そうな革製だ。
アルシェラはここへ来る途中、オリヴィアに買ってもらった薄紫色のゆったりとした、裾の長いドレスに身を包み、落ち着かない様子でソファーに座ていた。
(もしも、教皇がアタシを認知しなかったら、どうしようかしら)
アルシェラは、ソファーに座ったまま、深刻な表情を浮かべながら、心の中でそう呟いた。
そんな事を考えて居ると、不意に部屋の入り口の扉が開いたので、アルシェラの緊張は一気に頂点に達し、緊張のあまり体に力が入り、硬直する。
「アリシア様。 猊下にお会いしてきました。 もう少し、お待ち下さいとの事です」
部屋に入って来た相手がオリヴィアだと知ると、アルシェラは緊張が解け、ふーと息を付く。
彼女が、物凄く緊張して居る様子を見て、オリヴィアはクスクスと笑いながら、
「そんなに緊張なさらなくても。 ご自分のお父様なのですから」
アルシェラにそう言うと、
「そうは言うけど、相手は教会の最高指導者よ? どんな人かも分からないのに、『緊張するな』と言う方が無理な話よ」
アルシェラは、ゲンナリとした表情を浮かべ、オリヴィアに言い返す。
オリヴィアが言うには、アルシェラは、メフィスト教皇の娘で、オリヴィアと共にクラレス公国へ視察に訪れた際、運悪くルオン王国の騎士たちが、市民たちの暴動の鎮圧と言う名目で、クラレス公国の首都マケドニアへ押し入り、そこに居合わせた市民を惨殺している現場に遭遇してしまったらしい。
連れの大人たちは、地獄絵図の様な街の様子を目の当たりにして、すっかり混乱してしまい、右往左往している間に、アルシェラは彼女らと逸れてしまった様なのだ。
そうして一人、街の中を当てもなく、煤けた格好で泣きじゃくりながら歩いていた彼女を、現場に居合わせたオルゲン将軍が保護し、そのまま彼女は、子供が居なかったオルゲン家の養女として迎えられ、今に至る訳である。
本来ならば、侯爵家の令嬢として、それ相応の相手と結婚し、何不自由ない暮らしが約束されていた筈であった。
その輝かしい未来が崩れ去る原因となったのは間違いなく、ロナードの登場であった。
アルシェラ自身、最初は見目麗しいロナードに心奪われ、彼は、養父であるオルゲン将軍が用意した、自分の結婚相手なのだと思い、彼に夢中になっていった。
けれど、それは自分の思い違いである事を、アルシェラは思い知らされる事となる。
ロナードは、養父であるオルゲン将軍の実の孫で、自分に明るい未来を齎す存在などではなく、これまで、当たり前の様に彼女が享受していたものを脅かす存在だったのだ。
しかも、ロナードは事もあろう事か、養女の彼女ではなく、彼女の従兄であるエルトシャンを、次のオルゲン家の当主として推す様になっていった。
傍から見れば、至極真っ当な判断であったが、その事が、アルシェラを次第に追い詰め、誤った方向へと向かわせていく事となる。
今思えば、ロナードが現れた時点で、賢く立ち振る舞っていれば、オルゲン家での自分の立場も、今よりもマシになっていたのかも知れない。
だが、自分が体を乗っ取る以前の彼女は、自分の置かれている状況を正しく理解出来ない、我が儘で、愚かな娘であった。
体を乗っ取った後、オルゲン家の姫として生き残る為、色々と試みたが、全てが遅すぎた。
まあ、それを今更言ったところで、虚しいだけなのだが……。
暫くして、メフィスト教皇の時間の都合がつき、アルシェラの下へ訪れた。
「おお! 其方がアリシアか!」
そう言って控えの間に入って来たのは、五十近い、白髪混じりの茶色の長髪を後ろに一つに束ねた、緑色の双眸、聖職者らしく、ダルマティカと呼ばれる余裕のある袖口に、足元まで裾のある、白地に金の糸で刺繍の施されたローブ似た服に、半円型の金の糸で刺繍が施された赤いマントに身を包み、肩から、エトワールと呼ばれる、細やかな刺繍の施されたマフラー程の長さがある、長いハンカチの様な物を下げた、中肉中背で、温和な雰囲気の初老の男性で、アルシェラの姿を見て、とても嬉しそうであった。
「は、は、初めまして」
アルシェラは緊張した面持ちで、ソファーから立ち上がると、目の前に立つ、メフィスト教皇に深々と頭を下げた。
「そう嫁し込まずとも良い。 楽にしなさい」
メフィスト教皇は、穏やかな笑みを浮かべながら、アルシェラにそう言うと、テーブルを挟んで向かいのソファーに腰を下ろすので、彼女もそれに倣う。
「ふむ。 見れば見る程、死んだ妻に良く似ている。 クラレスの混乱の際に、行方知れずになってしまってからも、片時とて其方の事を忘れた事は無かった。 もっと早くに、見付け出せていれば、不自由な想いは、させなかったのだが……。 気付けば、こんなに月日が経ってしまっていた……。 本当に済まない事をした」
メフィスト教皇は沈痛な表情を浮かべ、アルシェラに言うと、彼女に深々と頭を下げた。
「そんな事言われても……別に、そんなに大変な事は無かったですし……」
アルシェラは、戸惑いの表情を浮かべつつ、メフィスト教皇にそう返した。
「そうか……。 嘘でもそう言ってくれると、少しは儂も救われると言うものだ」
メフィスト教皇はそう言うと、穏やかな笑みを浮かべる。
暫くの沈黙の後、メフィスト教皇は、改めて娘のアルシェラを見て、
「ルオンに居たと聞くが……。 何処で何をしていたのかね? これまで、とても世話になった方が必ず一人や二人居ろう? 儂は父親として、その者に礼をせねばならぬ。 教えてはくれぬか?」
メフィスト教皇が真剣な面持ちで、彼女に問うと、
「アタシは、オルゲン将軍に拾われて、娘として育てられました。 名前もアリシアでは無く、アルシェラと呼ばれていました」
彼女は素直に答えた。
「そうか。 ならばオルゲン将軍にも礼を言わねばならぬ。 会う事は可能であろうか?」
メフィスト教皇は穏やかな口調で、アルシェラにそう問い掛けると、彼女は俄かに表情を曇らせ、
「難しいかも知れません……」
アルシェラは沈痛な表情を浮かべ、重々しい口調で答えた。
「アリシア様は少し前に、ベオルフ宰相とカタリナ王女の権力闘争に巻き込まれ、その戦闘中に意図せず、オルゲン将軍のお孫様を……。 普段は温厚な人柄で知られているオルゲン将軍も、流石に自分の孫を生死不明にした相手とは、会いたいとは思わないでしょう」
沈痛な表情を浮かべながらオリヴィアは徐に、メフィスト教皇に簡潔に事情を説明した。
「その様な事が……」
メフィスト教皇は、何とも言い難い表情を浮かべながら呟く。
「ちょっと、彼が動くのを止めたかっただけで……。 でも、思ったよりも放った矢に勢いがあって……」
アルシェラは、今にも泣きそうな表情を浮かべながら、涙声でそう語った。
「可愛そうに」
メフィスト教皇は、沈痛な表情を浮かべながら、そう言った。
「ベオルフ宰相一派の件でルオン国内は勿論、オルゲン家も大変混乱しておりました。 アリシア様自身の安全も踏まえ、事が落ち着くまで、アリシア様はここに居られる事が最良ではないかと思い、お連れした次第でございます」
オリヴィアは、落ち着き払った口調で、メフィスト教皇に事情を説明する。
「……ルオンで、ベオルフ宰相がクーデターを起こしたと言う話は、人伝に儂も聞いておる。 その様な情況下のルオンでは何が起こるか分からぬ。 今後の事も踏まえて、其方はここに留まるべきだと儂も思う。 其方の身の安全と生活の一切は、この儂が保証しよう」
メフィスト教皇は、落ち着き払った口調で、アルシェラに自分の考えを述べる。
「マイルはルオンの干渉を受けぬ異国の地。 心細いかも知れませんが、アリシア様は、私達が全力でお守り致します」
オリヴィアは真剣な面持ちで、アルシェラに言うと、
「有難う御座います」
アルシェラは、ホッとした表情を浮かべると、メフィスト教皇に深々と頭を下げながら、礼を述べた。
一方、トスカナたちのキャラバンの護衛をしながら移動を続けているロナード達は、天候にも恵まれ、当初の予定よりも早く、南半球の中央に位置する、トロイア王国へと向う船に乗っていた。
「こんな所でなに黄昏ているんだ? ロナード」
セネトは、キャラバンの仲間たちから少し離れた、船尾近くでボンヤリと遠ざかるイルネップの大陸を眺めていたロナードにそう声を掛けた。
日もすっかり暮れて、町の明かりが仄かに海岸線を描いていて、月も星も出ていない、真っ暗で、静かな夜であった。
「そう心配しなくても、帝国にさえ着けば、呪いを解く方法など幾らでもある」
セネトは、ロナードの隣に来ると、彼を見上げながら、落ち着いた口調で言うと、彼は、物凄く驚いた顔をして見ている。
「『何で、俺の心の中が分かったんだ?』って顔だな? お前、自分で思って居るよりもずっと、思っている事が、顔に出るぞ」
ロナードの反応を見て、セネトは可笑しそうにクスッと笑うと、戸惑っている彼に言う。
「……」
ロナードは恥ずかしそうに、顔を赤らめる。
「大丈夫だ。 僕たちが居るだろ?」
セネトは、そっと船の縁の上に置いていたロナードの手の上に、自分の手を添えると、優しい口調で言い、ニッコリと笑みを浮かべた。
「セネト……」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら言うので、
「うん?」
セネトは、ニッコリと笑みを浮かべたまま問い返す。
「あれ……なんだ?」
ロナードは戸惑いの表情を浮かべたまま、徐に真っ暗な海の方を指差した。
「へ?」
ロナードの思いがけぬ言葉に、セネトは思わず間抜けな声を上げてから、彼が指差す方へと目を向ける。
良く目を凝らして見ないと分からないが、何か大きな物が海面をゆらゆらと揺れながら、徐々にこちらへ近付いて来ている。
「船?」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべ、呟く。
「様子が変だ。 セネトは急いで中に入れ」
ロナードは、真剣な面持ちでセネトに言うと、彼は戸惑いながらも頷き返した。
その時、ロナード達の背後、船の前方からドーンと船が何かに激しく衝突する音と共に、船体が大きく揺れ、ロナードはよろめきながらも、セネトの片腕を掴み、海へ投げ出されぬ様に船の淵を掴んだ。
「なっ……何が……?」
セネトが、戸惑いの表情を浮かべ、呟いて居ると……。
『大変だ!』
『海賊だ!』
何処からか、甲板に出ていた人々たちの間から、そう叫ぶ声が聞こえた。
「海賊?」
セネトは驚きのあまり、思わず声を上げてから、ハッとした表情を浮かべ、自分たちの前方から明りも付けずに迫って来ていた、謎の船の方へと目を向ける。
「明りを消し、夜陰に紛れて近付いて来ていたのか!」
ロナードは、自分たちの前方から迫って来る、明りを消した船を見ながら、険しい表情を浮かべて、呟いた。
「と言う事は、こちらの船も海賊……」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべつつ言うと、ロナードは頷き返し、
「その可能性が高い」
そう言って居る矢先、その問題の船から無数の弓矢が飛んで来た。
「身を低くしろ!」
ロナードはそう言いながら、船の縁に張り付く様にして身を低くしながら、セネトを自分の胸元へと引き寄せた。
弓矢による攻撃が止むまでの間、ロナードに抱き寄せられ、彼の胸元に顔を押し付けられていたセネトは、ロナードの心音と呼吸が直ぐ側で聞こえて来て、身に付けている衣服の上から伝わる、彼の肌の温もりに、自分でも知らぬ間に鼓動が早くなるのを感じていた。
「こちらの海賊が乗り込んで来るのも、時間の問題だな……。 どうにかして、こちらへ乗り込んで来るのを阻止しないと……」
ロナードは、顔を真っ赤にしているセネトを抱きしめたまま、表情を険しくし、そう呟く。
(こんな近くで、無駄に良い声で言うな)
ロナードの声が、自分の頭の上のすぐ近くで聞こえて来るので、セネトは気が気では無かった。
(シルフで迫って来ている海賊たちを眠らせるか? いや、海賊たちが皆眠ってしまうと、奴等が乗って居る船が、この船に衝突してしまう……)
ロナードは、苦々しい表情を浮かべつつ、心の中であれこれ思慮する。
彼に抱きしめられたままのセネトは、顔を赤らめたまま、ぽーと呆けた顔で、真剣な顔をして、考え込んで居るロナードに思わず見惚れていた。
その時、ロナードはハッとした表情を浮かべ、セネトを抱きしめたまま、素早く横へ転がる様に飛んだ。
先程まで彼等が居た場所目掛けて、ミサイルの様に何かが物凄い勢いで落下してきた。
そして、物凄い音を立てて、甲板に衝突すると、甲板に敷き詰められていた板が木片と化し、四方に勢い良く飛び散った。
「くっ……」
ロナードは咄嗟にセネトを庇うに、其方へ背を向け、彼等を目掛けて、容赦なく飛んで来る木片から彼を守る。
「相変わらず、ええ勘しとるやないか」
癖のある口調で、ロナード達が先程まで立っていた場所に、頭上から突っ込んで来た人物はそう言いながら、甲板に深々と突き刺さった槍を引き抜き、不敵な笑みを浮かべる。
明るい茶色の髪に、深い緑色の双眸は猫の目の様で、両耳は猫の様な耳、肌の色は褐色、両腕には刺青の様な模様があり、猫の様な長い尻尾が生えた、筋肉質で背の高い、槍を手にした二十代半ばくらいの女性……。
「お前は……クラレスの時の……」
彼女を見て、ロナードは戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
「久しぶりやなぁ。 何や、死んだ聞いとったんやけど、えらい元気やん」
その女性は、不敵な笑みを浮かべたまま、戸惑っているロナードに言う。
「カリンが言った通りでしょ? ラン。 ユリアスちゃんがそんな簡単に死ぬが訳ないって」
肩まであるクリーム色の巻き毛、大きな琥珀色の双眸、胸元に大きなリボンの付いた、丈は膝上までのフリルに白のレース付きの、可愛らしいピンクのワンピースに身を包み、頭にも、服とお揃いのリボンを付けた、手にはピンクの短いステッキ型の鞭を持った、一五歳くらいの、小柄で可愛らしい女の子が、船同士の間に掛けられた梯子をゆっくりと渡り、不敵な笑みを浮かべ、そう言いながらロナード達の下へとやって来た。
彼女を見て、ロナードは更に表情を険しくする。
「こんな海の上で何してるの? ユリアス。 少しは探す方の身にもなってよ」
そう言いながら、肩まであるクリーム色の巻き毛の少女の後に続いて、フード付きの黒いローブに身を包んだ、真冬の空を連想させる灰色の髪、褐色の肌、年の頃は十代前半だろうか、あまり背は高くなく中肉、血の様に真っ赤な瞳を持つ少年が現れた。
「セネリオ……」
その少年を見て、ロナードは苦々しい表情を浮かべる。
「相変わらず、逃げるのだけは上手いよね。 君」
ロナードから『セネリオ』と呼ばれた、灰色の髪に赤い瞳の少年は、苦笑いを浮かべながらロナードに言う。
「断崖絶壁から落ちたって聞いたんやけど、ホンマ、悪運だけは人一倍やな?」
『ラン』と呼ばれた、猫人族の女性は苦笑いを浮かべながら、ロナードに言う。
「お前たち、ロナードの居場所をどうやって……」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
「君たち、先生を嘗め過ぎだよ。 先生がその気になれば、ユリアスの居場所なんて直ぐに分かるんだから」
セネリオは、不敵な笑みを浮かべながら答えると、それを聞いてロナードは背筋が凍り付く様な感覚に見舞われ、その表情を引きつらせる。
「ストーカー共め!」
セネトは、嫌悪に満ちた表情を浮かべながら呟く。
「ウチ等まで、あの陰険眼鏡と一緒にせんで欲しいわ」
ランは、物凄く嫌そうな表情を浮かべながら言い返す。
「ランの言う通りよ。 カリン達は嫌々ここへ来たんだから」
カリンも、物凄く嫌そうな顔をして言う。
「無駄な努力は止めて、大人しく僕たちと帰ろう? ユリアス」
セネリオは、ニッコリと笑みを浮かべながら、表情を強張らせているロナードに言うと、彼に向かって片手を差し出した。
「ユリアス!」
「ロナード!」
シリウスとハニエルが、只ならぬ雰囲気を察し、乗り込んで来た海賊たちを蹴散らしながら、ロナードの下へと駆け寄って来た。
「兄……上……」
ロナードは顔面蒼白で、恐怖心から微かに震えながら、駆け寄って来たシリウスに、助けを求める様に振り返った。
「大丈夫ですか?」
ロナードが真っ青な顔をして、震えている事に気付くと、ハニエルは慌ててロナードの側に来て、恐怖に満ちた表情を浮かべている彼の肩に優しく触れ、そう声を掛ける。
「ロナード……」
ロナードの傍らに居るセネトも、心配そうな表情を浮かべ、微かに震えている彼の手をそっと両手で包み込む。
「お前は……変態クソ眼鏡の弟子……」
セネリオを見るなり、シリウスは嫌悪に満ちた表情を浮かべながら呟く。
「プッ……変態クソ眼鏡やて」
シリウスの言葉を聞いて、ランは思わず可笑しくて吹き出してから、
「良かったなぁ? セネリオ。 アンタの師匠に新しい呼び方が増えて」
ケタケタと笑いながら、セネリオに言うと、彼はジロリとランを無言で睨み付ける。
「セネト。 ユリアスを連れて部屋に戻れ」
シリウスは、ロナード達を背で庇う様にして、セネリオたちと対峙しながら、自分が背負っている大剣の柄に片手を掛け、背後に居るセネトに向かって言う。
「ロナード」
セネトは、ロナードを気遣う様に彼の腰の辺りに手を回し、そう声を掛けると、自分と一緒にその場から離れる様に促した。
「逃がさないよ」
セネリオが冷たくそう言い放つと、彼の足元に、白銀色の魔法陣が浮かび上がり、そこから勢い良く冷気が放たれる。
やがて、全身が氷の様に白い、氷で出来たドレスに身を包んだ、髪の長い、氷の杖を手にした美しい女が姿を現した。
“久しいな。 小僧。 あの時は良くも妾を……”
現れたそれは、ロナードを見るなり、忌々し気な声で頭の中に直接言って来た。
「シヴァ……」
セネトは、セネリオが呼び出した物を見て、苦々しい表情を浮かべながら呟くと、素早くロナードを背で庇う様にして立つ。
「気を付けて下さい。 殿下。 シリウス。 あれは、氷の力を自在に操る幻獣です」
ハニエルは、自分たちの目の前に立ち塞がるシヴァを見ながら、表情を険しくして、二人に警告する。
「幻獣だろうと、何だろうと、私たちに向かって来ると言うのなら、叩き切るだけだ」
シリウスは、淡々とし口調で言うと、背中に下げていた大剣を引き抜いた。
「氷の幻獣なんて、僕とロナードの炎の魔術で一瞬だろ。 相手が悪すぎたな」
セネトは、不敵な笑みを浮かべながら、シヴァを挑発する。
“生意気な!”
シヴァは、怒りに満ちた表情を浮かべてそう言うと、片方の掌をセネトに向け、掌から無数の氷の刃を繰り出したが、一瞬のうちに、ロナードとセネトを守る様に炎の柱が舞い上がり、二人に目掛けて飛んで来た、無数の氷の刃をあっという間に蒸発させてしまった。
“何だと?”
それを見て、シヴァは思わずたじろいだ。
「だから、『一瞬だ』と言っただろう?」
セネトは、不敵な笑みを浮かべながら、戸惑っているシヴァに言う。
「しっかりしろ」
セネリオたちが、自分を追って来た事に動揺を隠せないロナードに対し、シリウスはそう言うと、少し強めに彼の背中を片手で叩く。
「兄上……」
ロナードは、ハッとした表情を浮かべ、シリウスを見る。
「さっさと片付けるぞ」
シリウスは、相手の動きに注意をしながら、ロナードにそう言うと、彼は頷き返した。
「腕力付与」
セネトは落ち着いた口調で呟くと、シリウスの体が一瞬、紅蓮の炎に包まれる。
「さっきもやけど、詠唱なしで術を使えるとか、コイツ色々と面倒やで」
一瞬で、付与魔術を発動させたセネトを見て、ランはセネトを見ながら、嫌そうな顔をして呟く。
「おや。 其方は詠唱しないと、術を使えない人たちばかりなのですか?」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべ、そう言いながら、シリウスに魔術に対する防御力を上げる土の魔術を付与する。
「何や! アンタ等! そんなん狡いやろ!」
それを見て、ランは焦りの表情を浮かべながら言う。
ロナードも中級クラスまでの風の魔術ならば、詠唱無しで次々と繰り出せるレベルである事は、既に前の戦闘でランは知っていた。
(向こうの術師のレベルが、こっちとは段違いや。 これはヤバイで)
ランは、自分の連れであるカリンとセネリオをチラリ見ながら、心の中で呟くと、焦りに満ちた表情を浮かべる。
「帝国では、初歩的な魔術を詠唱する奴など、子供でもいないぞ」
セネトは肩を竦めながら、焦っている様子のラン達に言う。
「術師の力の差は歴然ですね」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべ、ワナワナと身を震わせているセネリオとカリンに向かって言う。
「退場の時間だ」
セネトが不敵な笑みを浮かべながらそう言うと、彼の足元から紅蓮の炎が舞い上がり、無数の炎の球となって、セネリオたちに襲い掛かる。
「じょ、冗談やないで!」
自分たちに向かって来る炎の球を避けながら、ランは焦りの表情を浮かべながら叫ぶ。
「ちょっと! カリンのお洋服が、燃えちゃったじゃない!」
慌てて魔術を詠唱して、自分の前に水の壁を作り出したカリンは、少し焼き焦げている、自分の服の裾を見て、思わずセネトに向かって怒鳴る。
「ほら。 急いで消さないと、船が燃えてしまいますよ?」
ハニエルが、慌てふためいているラン達に向かって、ニッコリと笑みを浮かべながら言う。
ラン達が避けた炎の球は、そのまま彼女たちの背後にあった、彼女たちが乗って来た船に被弾し、燃え広がりつつあった。
(コイツ、最初からウチ等やなくて船を狙って!)
自分たちの背後で、甲板に燃え広がっている炎を見て、ランは忌々し気な表情を浮かべ、心の中で呟いた。
「マジで、何してくれてんのよ!」
マストなどに、セネトが繰り出した炎の球が直撃して、燃えているのを見て、カリンが焦りの表情を浮かべながら叫ぶと、大慌てでその炎を消そうと、水の魔術を詠唱し始めた。
「ちょっ……。 アンタ、ボサッとしてないで何とかしいや!」
ランも、焦りの表情を浮かべながら、セネリオに言っていると、彼女たちの目の前を、大きな緑色の風の刃が過って行き、そのままスパッと、彼女たちが乗って来た船の中央にあった、一番大きなマストの柱を上下に真っ二つにした。
「は?」
真っ二つになったマストの柱が、彼女たちが乗って来た船の甲板の上に落ちるのを見て、ランはあまりの事に目を点にして、茫然とした様子で呟いてから、
「アンタ、何て事してくれてるんや! これじゃ、船が進まへんやん!」
自分たちが乗って来た船のマストを折った、ロナードに向って怒鳴り付けた。
「分かっていて、やったに決まっているだろう」
焦っているランに向かって、シリウスが冷ややかな口調で言い返す。
「急いで、小舟に乗って逃げた方が良いと思いますよ? これからその船、沈みますから」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら、ランたちにそう言ってから、無数の岩の礫を繰り出す。
「えっ……ちょ……待ちぃや……。 アンタまさか……」
それを見て、嫌な予感を覚えたランは、顔を引きつらせながらハニエルに言う。
「その『まさか』ですよ♪」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら言うと、情け容赦なく、自分が魔術で繰り出した無数の岩の礫を、ラン達が乗って来た船に向かってぶつけた。
「ぎゃ~っ!」
ハニエルが繰り出した、岩の礫が雨の様に、自分たちが乗って来た船に、音を立ててぶつかるのを見て、ランは両手で頭を抱えながら、思わず悲鳴を上げる。
彼女たちが乗って来た船は、船底近くに見事な大きな穴が開いてしまい、船に打ち付ける波が次々と、その大穴に入り込んでいくのが見えた。
(コイツら悪魔や)
ハニエルたちの無慈悲な攻撃を目の当たりにして、ランは心の中で思わずそう呟いた。
茫然としているラン達の目の前で、セネリオが召喚したシヴァが、無残に炎を纏ったシリウスの大剣で胴体を真っ二つにされ、そのまま下半身を彼に蹴飛ばされ、為す統べなく、海の中に音を立てて落ちたのを目の当たりにして、ランは表情を強張らせ、思わず、シリウスを見上げる。
「こんなものか」
シリウスは、下半身を失い、そのまま甲板の上に落ちて、砕け散ったシヴァの無残な姿を見下ろしつつ、淡々とした口調で呟く。
(なんなんや! コイツ等!)
それを見て、ランはみるみる顔から血の気が引き、心の中で悲鳴を上げる。
(どうなってるのよ! 闇討ちして、カリンたちがユリアスちゃんを捕まえるんじゃなかったの? なのに、何でカリンたちが乗って来た船が沈み掛けてるのよ!)
自分たちの目論みから大きく外れ、相手を追い込むどころか、逆に自分たちが追い込まれている状況に、カリンは動揺の色を浮かべ、心の中で呟く。
「大体、何でカリンのペットちゃん達が、呼べないのよ!」
カリンは、自分が持っていたピンク色のステッキを甲板に思い切り叩きつけながら、苛立った様子で叫ぶ。
「グダグダ言ってないで、さっさと鮫の餌になれ」
すっかり動転しているカリンに、大剣の刃先を突き付けながら、シリウスが冷ややかな口調で言う。
「カリン!」
それを見て、ランが槍を握りしめ、カリンを助けようと動いた瞬間、剣を手にしたロナードが彼女の側面から切り掛かる。
「邪魔すんな!」
ランは咄嗟に、持っていた槍の柄で、自分に向かって振り下ろされた剣を受け止めながら、ロナードに向って怒鳴る。
「邪魔をしているのは、お前たちの方だ!」
ロナードはそう言いながら、素早く手首を返し、別の角度からランに向かって剣を振るう。
「面倒……やな!」
ランは、次々と繰り出されるロナードの剣技を、持っていた槍で受け流しつつ、苛立った口調で呟く。
「そうですね」
ハニエルがニッコリと笑みを浮かべながらそう言うと、ランの背後から思い切り、持っていたゴツゴツとした堅そうな杖で、彼女の頭をド突いた。
ハニエルから思い切り頭をド突かれたランは、そのままドタッと音を立てて、甲板の上に倒れた。
「……」
ハニエルの、ランへの思いがけない攻撃を目の当たりにして、ロナードは物凄く驚いた様子で、ハニエルを見る。
「使える物は、何でも使わないとですね」
ハニエルは、ランの頭をド突いた自分の杖を手で摩りながら、ニッコリと笑みを浮かべ、戸惑い立ち尽くしているロナードに言う。
「ラン! 何やってんのよ!」
ハニエルに後ろからド突かれ、甲板の上に倒れてしまったランに向かって、カリンは思わず叫ぶ。
「ったぁ……。 後ろから卑怯やで……」
ランは、ハニエルからド突かれた辺りを、片手で摩りながら、そう呟きつつ、ゆっくりと身を起こす。
「良かったら、もう一撃、お見舞いしましょうか?」
ハニエルは、ギュッと自分が手にしている杖を握りしめながら、ニッコリと笑みを浮かべて、ランに言う。
「冗談やない。 そんなゴッツイ長いのを振り回したらアカンって、オカンから言われんかったんか?」
ランは、片手で頭を摩り、ハニエルを睨み上げながら、そう怒鳴り返した。
「何百年も昔の話なので、その様な事を言われたかどうかなど、覚えていませんね」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべたまま、ランに言う。
「そもそも、杖は人をド突く道具とちゃうやろ!」
ランはムッとした表情を浮かべ、ハニエルが持っている杖を指差しながら、口を尖らせ、そう抗議する。
「時と場合によりますね」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべたまま、実に清々しい口調で言う。
「アンタもそんな物騒なモン、突き付けんでも降参するて。 そんなけったいな顔しとると、折角の男前が台無しやで?」
表情を険しくし、自分に向かって剣を突き付けているロナードを見上げながら、ランは苦笑い混じりに言うと、槍から手を放し、高々と両手を上げ、降参する意思を示した。
「残りは、お前だけだ!」
セネトは、自分と対峙しているセネリオに向かって、不敵な笑みを浮かべながら言うと、彼は、苦々しい表情を浮かべ、
「二人揃って使えないね」
そう呟いた。
「降参しろ。 セネリオ」
ロナードは、セネリオの側に歩み寄りながら、真剣な面持ちで言う。
「君が、僕たちと一緒に来てくれたら、僕が降参する必要なんてないでしょ?」
セネリオは、肩を竦めながらロナードに言い返す。
「有り得ない話だ」
ロナードは、冷ややかな口調でセネリオに言う。
「本当にそう?」
セネリオは、不敵な笑みを浮かべて言うと、何やら懐から、掌程の大きさの水晶玉を取り出した。
“やあ。 ユリアス”
その水晶玉から、若い男の声が響いた途端、ロナードの顔からみるみる血の気が引き、凍り付いた。
「変態クソ眼鏡!」
水晶玉から響いてきた男の声を聞いて、シリウスは表情を険しくし、側に居たカリンを突き飛ばし、大急ぎでロナードの下へと駆け出した。
“帰っておいで。 邪魔な奴等を消してさぁ”
水晶玉からそう男の声が響くと、ロナードはガクンと力が抜けた様に、甲板の上に両膝から崩れ落ちる。
「ユリアス!」
それを見て、シリウスが焦りの表情を浮かべながら、声を上げ、ロナードの下に駆け寄ろうとする。
「駄目だッ!」
ロナードは、両膝を甲板の上に付け、片手を突いて体を支える様に、もう片方の手を額に添え、苦しそうに呼吸を繰り返しながらも、自分に駆け寄ろうとするシリウスに向かって叫ぶ。
「ユリアス?」
ロナードの言葉に、シリウスはたじろぎ、その足を止めて呟く。
「来ては……駄目だ……」
ロナードは、苦しそうに呼吸を繰り返し、両目からポロポロと涙を流しながら、必死にシリウスに訴える。
“ほらユリアス。 早く”
水晶玉から、酷く甘い男の声が響く。
「いや……だ」
ロナードは、咄嗟に両手で自分の両耳を塞ぎ、両目から涙を流し、苦しそうに呼吸を繰り返しながら、そう呟く。
“やるんだ”
水晶玉から、淡々とした男の声が響く。
「いや……」
ロナードは、両手で両耳を塞いだまま、フルフルと頭を振りながら、必死に抵抗する。
「セネト! 奴が持っている水晶玉を砕け!」
シリウスは咄嗟に、セネリオが持っている水晶玉を指差しながら、彼の近くに居たセネトに向かって叫ぶ。
シリウスの叫び声を聞いて、セネトはハッとした表情を浮かべ、自分と対峙しているセネリオに向かって、無数の風の刃を繰り出した。
「おっと……危ないな」
セネリオはそう言いながら、セネトが繰り出した、無数の風の刃を避ける。
そこへ、別の角度からハニエルが繰り出した岩の礫が、セネリオの手元に向かって飛んで来た。
「見え見えだよ」
セネリオが不敵な笑みを浮かべながら、自分と自分が手にしている水晶玉を守ろうと、魔術で土の壁をするが、どう言う訳か術が発動しない。
(そうだった!)
セネリオはハッとした表情を浮かべ、思わずシリウスの方へと目を向けると、彼の両目が赤く光っているのが見えた。
「クソがぁぁぁっ!」
ハニエルが繰り出した、岩の礫を横から真面に食らいながら、セネリオは忌々し気に叫ぶ。
そして、彼が手にしていた水晶玉がゴトリと音を立てて、甲板の上に転がり落ちると、ハニエルが繰り出した礫が当たっていたのか、ヒシッと音を立てて真っ二つに割れた。
「ユリアス!」
それと同時にロナードがフッ意識を失い、糸が切れた操り人形の様に、力が抜けて頭から甲板の上に倒れ込みそうになっているのを見て、シリウスが叫びながら大急ぎで彼の下に駆け出した。
「危ない!」
それを見て、ハニエルが思わず声を上げる。
間一髪のところで、シリウスが伸ばした両腕が、頭から倒れ込みそうになったロナードを受け止めたのを見て、ハニエルとセネトは、ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、真っ二つに割れ、甲板の上に転がっていた水晶玉から、どす黒い煙の様な物が吹き出してきた。
シリウスは咄嗟に、気絶しているロナードを自分の胸元に抱き寄せ、もう片方の手で自分の口元を覆うる
それを見たハニエルとセネトも本能的に、吹き出した煙を吸わない様に、着ていた服を使って、片手で自分たちの口元を押さえる。
みるみる水晶玉から噴き出した、不気味な黒い煙の様な物は辺りを覆い尽し、僅か一メートル先すらも見えなくなってしまった。
どの位の時間が経過しただろうか……。
次第に煙の様な物の濃さが薄くなって、辺りの様子が見える様になると、シリウス達が乗っていた船を襲って来た海賊たちや、セネリオたちの姿が消えており、彼等が乗って来た船も消えてしまっていた。
「二人とも、無事か?」
シリウスは表情を険しくし、忙しく周囲を見回しながら、近くに居るであろう、ハニエルとセネトに声を掛ける。
「ええ……まあ……」
ハニエルがそう言いながら、シリウスの下に歩み寄ってくる。
「どうやら、奴らが逃げる為の煙幕だった様だな」
セネトも歩み寄りつつ、姿を消した海賊船があったた場所を見ながら、シリウスに言う。
「ロナードは大丈夫ですか?」
ハニエルは、シリウスにそう問い掛けると、
「意識を失っているが、特段、変わった様子は見られない」
シリウスは、自分の胸元に抱き寄せていたロナードを見ながら、落ち着いた口調で返す。
「兎に角、部屋へ戻ってロナードを休ませよう」
セネトは落ち着いた口調で、二人に言うと、二人とも頷き返した。
「う……ん」
ふと目を覚ますと、誰かが側に居る気配がしたので、徐にそちらの方へと目を向けると、セネトの顔が直ぐ側にあったので、ロナードは焦って慌てて飛び起きた。
(な、な、なっ……どうなって……)
ロナードはすっかり動揺し、頭の中でそう叫びながら、慌てふためく。
ベッドの側の椅子に座り、ロナードの傍らで自分の両手を枕代わりにして、俯せでセネトが眠って居た。
「ううん……」
セネトがそう呟きながら、徐に目を覚まし、ふと顔を上げた途端、ロナードの顔が直ぐ目の前にある事に気が付くと、
「はわわわわ……。 済まない。 何時の間にか寝入ってしまった様だ」
顔を赤らめながら、慌ててロナードに言った。
「あ、ああ……」
ロナードも何故か慌てふためきながら、思わずそう言い返し、セネトから少し離れる。
「体は大丈夫か?。」
セネトは、心配そうな表情を浮かべ、ロナードに問い掛ける。
「えっ?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべ、セネトを見る。
「覚えていないのか? お前、意識を失って倒れたんだぞ」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら言うと、ロナードはボンヤリとその時の状況を思い出し、
「セネリオたちが……」
表情を強張らせ、そう呟いた。
「安心しろ。 アイツ等なら追い払った」
セネトは、不安に満ちた表情を浮かべているロナードの手にそっと手を添え、落ち着いた口調で言う。
「そうか……」
ロナードは、ホッとした表情を浮かべながら呟く。
「シリウスとハニエル、トスカナ達も無事だ」
セネトは、落ち着いた口調でそう付け加える。
「それなら、良かった」
ロナードは、安堵に満ちた表情を浮かべながら言う。
「それより、気分が悪いとか、頭が痛いとか、そう言う事は無いのか?」
セネトは、心配そうにロナードに問い掛ける。
「少し……頭痛はするが……」
ロナードは、片手で自分の額に手を添えつつ、そう答える。
「もう少し、横になっていろ」
セネトはそう言うと、ロナードの背中に腕を回し、横になる様に促す。
「そうする」
ロナードはそう言うと、セネトに促され、ベッドの上に身を横たえる。
「僕は、お前が目を覚ました事を、二人に伝えて来る」
セネトはそう言って、椅子から立ち上がろうとすると、咄嗟にロナードは彼の手を掴んだ。
「どうした?」
急にロナードに手を掴まれ、セネトは驚いて振り返ると、自分の腕を掴んでいるロナードの手が、微かに震えている事に気が付いた。
「御免……。 アイツの声を思い出したら……急に怖くなって……」
ロナードは、片方の腕で目元を覆いながら、震える声でそう言って来た。
「大丈夫だ。 側に居る」
セネトは身を屈め、ベッドの上に横になったまま、震えているロナードの手を両手で包み込む様に握りしめると、優しく声を掛ける。
(アイリッシュ伯の声を聞いて、押さえていた恐怖が溢れ出たみたいだな……)
セネトは、片腕で自分の目元を隠し、身を震わせながらも、何とかして恐怖心に討ち勝とうとしているロナードを見て、複雑な表情を浮かべながら心の中で呟いた。
「ううっ……」
ロナードは、片腕で目元を隠したまま、必死に嗚咽を押さえつつも、ポロポロと涙を流している。
(只でさえ、呪詛に心身が蝕まれていっているのに、自分に呪いを掛けた奴の仲間が居場所を突き止めて来て、自分を連れ戻そうとしていると分かったら、凄く怖いよな……)
セネトは、両手でロナードの手を握りしめたまま、沈痛な表情を浮かべ、心の中で呟くと、思わず、声を押し殺して泣いているロナードの頭を優しく撫でる。
何時もは気丈に振舞っている彼が、こんな風に不安を口にし、嗚咽を押し殺して泣いている姿を見て、セネトは胸が締め付けられた。
それと同時に、隷属の呪いなどという、外道な術を当時まだ幼かったロナードに施した、彼の魔術の師匠であったアイリッシュ伯に、強い憤りを覚えた。
「セネト。 どうしよう。 帝国に着く前にまたアイツが来たら……。 俺が……俺では無くなってしまって、この手で……セネトやシリウスたちを……」
ロナードは、片腕で自分の目元を隠したまま、嗚咽混じりの声で、そう言って来た。
「大丈夫だ。 そうならない為に僕らが居る」
セネトは、沈痛な表情を浮かべたまま、不安と恐怖に押し潰されそうになり、泣いているロナードの頭を優しく撫でながら、そう言うしか出来なかった。
「……」
その様子を、ロナードの事が気になって見に来ていたハニエルが、部屋の入口の扉の隙間から、複雑な表情を浮かべながら見ていた。
「そこで突っ立って、何をしている?」
ハニエルが、なかなか戻って来ないので気になって来たのか、シリウスが背後から、淡々とした口調で声を掛けて来た。
「今は……殿下に任せた方が良いと思います」
ハニエルは、複雑な表情を浮かべながら言うと、
「ユリアスは、目を覚ましたのか?」
シリウスは真剣な面持ちで問い掛けると、ハニエルが覗き込んでいた扉の隙間から、中の様子を伺う。
(ユリアス……。 泣いて……いるのか?)
ここからは良く見えなかったが、ロナードの声が震えているのを聞いて、シリウスは心の中で呟く。
「私たちが思って居た以上に、彼等と遭遇した事が、ロナードの恐怖心を駆り立てた様です」
ハニエルは、沈痛な表情を浮かべながら、険しい表情を浮かべているシリウスに語る。
「あの、変態クソ眼鏡っ……」
シリウスは、忌々し気に呟くと、ギリッと自分の唇を噛み、ダンと思い切り、扉の側の壁に自分の拳を叩きつける。
「何故、私は魔力を持って生まれなかったのだ。 幾ら剣の腕が立っても、こんな時には何の役にも立たないじゃないか」
シリウスは、呪いに苦しむ弟に、何一つしてやれない自分に対し、不甲斐なさを感じ、悔しそうに呟く。
「シリウス……」
悔しさに満ちた表情を浮かべているシリウスを見て、ハニエルは沈痛な表情を浮かべながら呟く。
「静かにしろ。 折角、落ち着いて眠ったと言うのに、ロナードが起きるだろう」
セネトが五月蠅そうな顔をし、部屋の入口の扉を開きながら、扉を挟んで廊下側に居たシリウスに向かって言う。
「すまん……」
セネトに叱られ、シリウスは叱られた犬の様に、シュンとした表情を浮かべながら謝る。
「全く……」
セネトは、軽く溜息を付くと、そう呟いた。
(何時もは冷静沈着のシリウスも、流石に実の弟の事となると、冷静では居られない様だな……)
シリウスの様子を見て、セネトは心の中で呟いた。
その後、ロナード達はトスカナ達との取引き相手が住まうトロイア王国に無事に到着すると、彼等が着いた港町から少し西にある町に到着した。
そうしてロナード達は、夕刻近くにトスカナ達の取引の相手の屋敷の前に訪れる事が出来た。
まるで白亜の神殿の様な、町の中でも一際大きな建物に、初めて訪れたロナードたちは勿論、他の者たちも思わず息を呑んだ。
『随分と立派なお屋敷ですね』
ハニエルは、自分達の前に聳え立つ、シーモア家の邸宅を見上げながら言った。
『シーモア家は、元々は鉱山主だったらしいのですが、先代の頃から宝石の採掘事業だけでなく、独自に宝石を加工し、販売を手掛ける様になっていったそうです。 今では南半球の商人たちの間では、知らぬ者が居ない程の実業家です』
トスカナは落ち着き払った口調で、ハニエル達にそう説明する。
「無駄に金を持っている輩は好かないが……止むを得んな」
シリウスは、屋敷に入る事にあまり気乗りしない様子で言った。
トスカナは徐に、屋敷の入り口の前に立って居る、武装した見張りの男たちの前に歩み寄ると、
『毎度どうも。 トスカナ商会です。 カメリア様に頼まれていた物を持って参りました。 カメリア様は御在宅ですか?』
愛想良く笑みを浮かべながら、そう声を掛けると、
『ああ。 アンタか。 ちょっと待っててくれ』
トスカナは顔が利くのか、見張りの男は、彼の顔を見るなりそう言うと、直ぐに屋敷の中へと入って行った。
暫くすると、見張りの兵士は、この屋敷の執事と思われる、白髪に白い鼻髭を生やした、物腰の柔らかそうな老紳士を伴って戻って来た。
『お話は伺って居ります。 中へどうぞ』
執事と思われる老紳士は、軽く会釈をすると、頭を垂れたまま、トスカナ達に言った。
ロナード達はトスカナを先頭にして、老紳士に案内されるがまま、屋敷の中に踏み込んだ。
無駄に広くて長い廊下は大理石で出来ており、歩く自分達が写り込む程、ピカピカに磨き上げられており、廊下の至る所に、上半身裸の美青年をモデルにした彫刻が並べられている。
大富豪の屋敷と言う事で、金ピカでもっと仰々しいモノをロナード達は想像していたのだが、嫌みの無い意外とシンプルな装飾だった。
『全員が詰めかけては、ご主人様も困るでしょうから、会うのはトスカナさんと数名でお願いします。 他の皆さまは、お部屋をご用意しております。 そちらでお待ち下さい』
執事は、トスカナ達にそう言うと、
「ロナード。 お前は、他の連中と部屋で休んで居ろ」
シリウスは、自分の後ろから付いて来ていたロナードに、そう声を掛ける。
「兄上たちは?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら問い掛ける。
「僕は、トスカナと一緒にここの主に挨拶をして来る。 ちょっと借りたい魔道具もあるからな」
セネトは、落ち着いた口調で返すと、
「私とハニエルは、セネトとトスカナの護衛として同行する」
シリウスは、落ち着いた口調でそう付け加える。
「疲れたでしょう? 皆さんも休んで良いですからね」
ハニエルはニッコリと笑みを浮かべ、優しい口調でロナードと、一緒にキャラバンの護衛をしていた傭兵たちに言うと、彼等は何かを察した様に、
「わりぃな」
「トスカナ事、頼んだぜ」
「お前等の荷物も運んどくからな」
一緒にキャラバンの護衛をしていた傭兵たちは、口々に彼等にそう言ってから、
「ほら。 行こうぜ」
「商人たちの話なんて聞いてたって、つまんねーぞ」
戸惑っているロナードにそう声を掛けると、別の執事に部屋を案内させ、ロナードをちょっと強引に連れて行ってしまった。
『このところ、良く眠れていない様ですね。 前の町からここへ移動している間、随分と辛そうでした』
トスカナは、傭兵たちに連れられて、自分たちから遠ざかっていくロナードを見送りながら言った。
『慣れない気候と船旅で、疲れも溜まっている頃だろうからな……』
シリウスは、心配そうな表情を浮かべながら呟く。
『大丈夫ですよ。 彼等が上手い事言って、休ませてくれる筈ですよ』
トスカナは、ロナードの事を心配しているシリウスに、優しい口調で言った。
廊下の突き当りの、一際大きな観音開きの扉の前に来ると、強面の武装した警護の男たちが数人立っており、中から楽しそうな男女の笑い声が聞こえて来た。
『此方です』
老紳士がそう言うと、扉の両側に立って居た男たちが、重そうな扉を開けると、とても開かれた空間が目の前に広がった。
廊下と同様に、床は大理石で出来ており、神殿の様な白い石の柱が立ち並ぶ、壁の無い、とても開放的な空間で、至る所に植木や美しい花々が飾られ、天井一面に美しい青年たちに囲まれ、女神の様な笑みを浮かべる、とても綺麗な女性の絵が描かれている。
部屋の中央には、赤い絨毯の上にとても大きなローテーブルが置かれていて、その周囲に美しい細やかな刺繍が施された、寝そべるのに気持ち良さそうな、脚の無いソファーが配置され、その一番奥の銀色の生地に、美しい刺繍が施されたソファーの上に、胸元が大きく開いた白くゆったりとしたドレスに身を包んだ、深い緑色の癖のある長い髪に、ごく薄い赤銅色の肌を有した、年の頃は三〇代半ばと思われる、中肉中背の女性が座っており、周囲に見目の良い美青年たちを数人、侍らせていた。
『お待たせして申し訳ありません。 カメリア様。 ご注文の荷物はもう暫くすれば、連れたちがここへ持って参ります』
トスカナは、愛想良く笑みを浮かべながら、目の前の女性に言うと、
『そう急がなくて良いわ。 荷物は丁寧に扱って頂戴』
彼女は落ち着き払った口調で、トスカナにそう返すと、葡萄酒の入ったワイングラスを傾ける。
(コイツがその、大富豪か)
シリウスは、自分たちの前に居る女性を注意深く観察しながら、心の中で呟いていると……。
『あら。 セレンディーネお姉さまじゃない』
ふと背後から、聞き覚えのある若い娘の声がしたので、セネトは驚いて振り返る。
そこには、癖のない、背中まである、艶やかな黒髪に、団栗の様に大きく、パッチリとした琥珀色の双眸、形の良い小さな鼻に、桜色の唇。
ごく薄い赤銅色の肌を有した、小柄で、白いローブを纏った、とても愛らしい少女が佇んでいた。
『ティティス……』
彼女を見て、セネトは戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
彼女の背後には、護衛と思われる、鎧に身を包んだ男女が数人いて、セネトを見るなり、自分の胸元に片手を添え、恭しく首を垂れる。
『お知り合いで御座いますか? 皇女様』
ここの主であるカメリアが、戸惑いの表情を浮かべながら、セネトに声を掛けて来た少女に問い掛ける。
『知り合いも何も……。 セレンディーネお姉さまですわ。 ついこの間、婚約式の前日に逃げ出した、皇族の面汚しの』
その少女は、物凄く意地の悪い表情を浮かべ、セネトを嘲笑う様に、カメリアの問い掛けに答えた。
『こ、これは……大変、ご無礼を』
それを聞いたカメリアはそう言うと、慌ててセネトの前に来ると、彼の前に跪き、深々と首を垂れる。
『あ、いや……。 お忍びだから、そんな真似をする必要は……』
自分の前に跪き、首を垂れているカメリアに向かって、セネトは戸惑いの表情を浮かべながら言う。
『何処に逃げたかと思えば、こんな所に居たのね? お姉さま。 それにその髪……何それ。 プププッ』
セネトの妹ティティスは、何処かセネトの事を見下した様な態度で、そう言ってから、可笑しそうに口元を押さえる。
『其方こそ、こんな所で何を……』
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら、ティティスに問い掛ける。
『『聖女候補』の試験中に決まってるでしょ?』
ティティスは、自分の髪を片手で払いつつ、小馬鹿にした様な口調で答える。
『えっ。 いや……聖女候補の試験は寺院でするものでは……』
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら言うと、
『そうですわよ』
ティティスは、キョトンとした表情を浮かべながら答える。
『いや、ここはどう見ても、寺院の施設では……』
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら言うと、
『馬鹿なの? お姉さま。 私は皇女よ? あんな小汚い所で、他の何処の馬の骨かも分からない様な、薄汚い輩と寝食を共にする訳が無いでしょう? 大体、あんな豚の餌の様な寺院の食事を見ただけでも吐き気がするわ』
ティティスは、プッと吹き出すと、ケタケタと笑いながら、セネトにそう言い返す。
『何を勝手な事を! 他の聖女候補たちと共に、寺院に住み込み、俗世との接触を断ち、寺院や人々奉仕する事が、聖女候補たちに課せられる課題だろう!』
セネトは、思い切り眉を顰め、強い口調で妹を叱ると、
『知らないんですかぁ? お金を積めば、奉仕は免除されるのですよ』
ティティスはクスクスと笑いながら、セネトを馬鹿にした様な口調で言う。
『なっ……』
それを聞いたセネトは、あまりの事に絶句する。
『金持ちの商家の娘や、貴族の令嬢たちなら皆、やっている事ですわ』
ティティスは、『当然』と言わんばかりに、戸惑っているセネトに言った。
『とは言え、期限までは寺院がある町からは出られないので、こうして、シーモア家に滞在して、暇を潰していると言う訳です』
ティティスは、あまりの事に呆気に取られているセネトに、そう説明を付け加える。
『完全に、神と世間を舐めきった言動だな』
これまでの話を聞いて、セネトから少し離れた場所に居たシリウスは、不快に満ちた表情を浮かべ、ボソリとそう呟いた。
『同感です。 こんな人が聖女になれる筈がありません』
ハニエルも、嫌悪感を露わにしながら、小声でそう言った。
その場にいたトスカナも、シリウスやハニエルと同じ事を思って居る様で、不快さと憤りに満ちた表情を浮かべ、ティティスを見ている。
『尤もぉ。 私と同じ魔術師なのに、私と違って聖女候補に名前すら挙がらなかったお姉さまにはぁ、関係の無い事ですわねぇ』
ティティスは、シリウス達から白い目で見られている事に気が付かず、セネトの事をそう言って馬鹿にする。
セネトは炎と風と言う、治癒魔術がほぼ存在しない系統の属性を生まれ持った為、水の属性を持ち、治癒魔術が使える妹のティティスとは違い、聖女候補になる事が出来なかったのだ。
『生まれ持った属性は、当人では選ぶ事が出来ないと言うのに……』
ハニエルは益々、不快に満ちた表情を浮かべ、彼にしては珍しく、唸る様な声で呟いた。
『少し治癒魔術を使える程度で粋がるなよ。 大方、聖女候補の試験を受ける権利も、強欲な貴様の母親が寺院に大金を叩いて得たんだろう?』
シリウスは、自分の胸の前に両腕を組み、冷ややかな口調で、先程からずっとセネトの事を見下し、馬鹿にする発言をしているティティスに言った。
『なっ……。 この私に向かって、何て無礼な!』
シリウスに辛らつな言葉を浴びせられ、ティティスは怒りでみるみる顔を真っ赤にし、声を荒らげて言い返してから、
『お前たち! この無礼者を即刻、切り捨ててしまいなさい!』
怒りが収まらないのか、側に居た護衛の兵士たちにそう命じる。
『ほう。 私の剣の錆になりたいと?』
シリウスは、ドスの利いた声でそう凄むと、背中に下げていた大剣の柄に手を掛ける。
シリウスの有無も言わせぬ迫力に、ティティスの護衛の兵士たちはたじろぐ。
『お、お戯れは、その位になさって、お食事に致しませんか?』
険悪なムードを感じ取ったカメリアは、慌てた様子で両者の間に割って入ると、愛想笑いを浮かべながらティティスに言う。
『私は結構よ。 お姉さまなどと一緒に食事なんて、冗談じゃないわ』
ティティスは、腹の虫が収まらないのか、苛立った口調でカメリアにそう言い返してから、
『行くわよ』
自分の護衛の兵士たちに言い放つと、踵を返し、部屋を後にした。
『……』
ティティスの態度に、カメリアは呆気に取られていると、
『妹が済まない』
セネトが申し訳なさそうに声を掛ける。
『いいえ。 何時もの事ですので……』
カメリアは、苦笑いを浮かべながら返す。
(世話になっている相手に、あの態度は如何なものか……)
カメリアの言葉を聞いて、セネトは自分の額に片手を添え、ゲンナリした表情を浮かべながら、心の中で呟く。
『今日はホント、最悪な日だわ』
ティティスは、ブツブツと文句を言いながら、履いている靴の踵の音を態と大きく響かせ、ドスドスと大股で歩いている。
彼女の護衛をしている兵士たちも、物凄く機嫌の悪い彼女に、困った表情を浮かべている。
『聖女候補にもなれない、皇族の恥であるお姉さまの肩を持つなんて、頭が可笑しいんじゃないの? あの金髪。 絶対に、只じゃ置かないんだから!』
ティティスはそう言いながら、ズカズカと廊下を歩いていると、右手から歩いて来た誰かと、出会い頭にぶつかり、その弾みで後ろに尻餅を付く様な格好で扱けてしまった。
『姫様!』
『ティティス様!』
それを見て、後ろから付いて来ていた、彼女の護衛の兵士たちが慌てて駆け寄る。
『何処を見て歩いていたのよ!』
ティティスは、怒りに満ちた表情を浮かべ、自分とぶつかった相手を見上げながら、怒鳴りつけた。
「大丈夫か?」
ぶつかった相手は、聞き慣れない言葉を発しながら、尻餅を付く様な格好で、廊下に座り込んでいる彼女の前に身を屈めると、スッと片手を差し出してきた。
『この私を誰だと……』
ティティスは憤慨したまま、そう文句を言いながら、ぶつかった相手を見上げたが、相手の顔を見た瞬間、思わず言葉を失ってしまった。
サラリとした、少し長めの黒髪、丹念に磨き込んだ紫水晶を嵌め込んだ様な、深い紫色の双眸、異国人と思われる、眉目秀麗な青年……。
(ヤバイ。 凄いイケメン……)
ティティスは思わず、目の前の青年に顔に見惚れてしまい、心の中でそう呟く。
「頭を、強く打ったのか?」
相手は相変わらず、訳の分からぬ言語を発しながらも、自分の顔を見据えたままボーッとしているティティスの身を心配している様子であった。
『姫様』
『大丈夫ですか?』
駆け付けた兵士たちが、口々にティティスに声を掛けるが、彼女は目の前の青年に心奪われ、彼らの声など、耳には届いていなかった。
「おい! 大丈夫か?」
ボーッとしているティティスに、ぶつかった青年は焦りの表情を浮かべながら、彼女の肩を掴み、聞き慣れぬ言語で声を掛ける。
『姫様!』
『姫様?』
駆け寄った兵士たちも、焦りの表情を浮かべ、彼女の肩を掴み、軽く体を揺らしながら声を掛けていると、彼女はハッとして、
『だ、大事はなくってよ』
焦りの表情を浮かべている兵士たちに、ニッコリと笑みを浮かべながら言うと、自分に差し出されていた青年の手を掴み、
『御免なさい。 少し、驚いただけですわ』
物凄く愛想良く笑みを浮かべながら言う。
「良かった……。 何とも無い様だな」
ぶつかった青年は、ホッとした表情を浮かべながら、相変わらず、聞き慣れぬ言語でティティスにそう声を掛けながら、物凄く丁重に自分も立ち上がりながら、彼女の手を引き、立ち上がらせた。
『気を付けろ!』
『此方のお方は、ティティス皇女さまだぞ!』
『今直ぐ、土下座をして許しを請え!』
ティティスの護衛の兵士たちが、殺気立った様子で、彼女とぶつかった青年に向かって強い口調で言うが、どうやら、彼等が言っている言葉が分からない様で、青年は物凄く困惑した表情を浮かべている。
『これは、どう言う状況だ?』
廊下が騒がしいので様子を見に来たのか、セネトが一緒に居た二人の連れを伴って、小走りに駆け寄って来て、その場にいた者たちに問い掛ける。
『セレンディーネ様……』
セネトの登場に、兵士たちは戸惑いの表情を浮かべる。
『何で僕の連れに、お前たちが、ちょっかいを出している?』
セネトは表情を険しくし、戸惑っている兵士たちに問い掛ける。
「大丈夫ですか?」
「コイツ等に、何かされたのか?」
セネトの連れの二人が、ティティスとぶつかった青年に、聞き慣れぬ言葉を掛けながら、彼の側に来る。
「あ、いや……。 そこの女性とぶつかっただけだ」
ティティスとぶつかった相手は、聞き慣れぬ言語で、自分の事を心配して声を掛けて来た二人に答える。
『なんだ……』
ティティスとぶつかった相手の言葉を聞いて、セネトはホッとした表情を浮かべながら呟いてから、
『ティティスとぶつかった程度で、大袈裟な』
呆れた表情を浮かべ、先程まで興奮していた兵士たちに向かって言った。
『なっ……。 何ですって?』
それを聞いて、ティティスは忽ち表情を険しくし、声を荒らげるが、セネトはそれを無視し、
「食事の用意が出来たから、丁度、呼びに行くところだったんだ。 行こうかロナード」
ロナードにそう声を掛け、踵を返し、ティティスに背を向け、その場から立ち去ろうとした。
『この私を無視するなんて、何カ月も王宮に居なかった所為で、自分がどう言う立場なのかすっかり忘れてしまった様ですね? お姉さま』
ティティスは、怒りに満ちた表情を浮かべ、セネトにそう言った後、物凄く意地の悪い笑みを浮かべる。
彼女の物言いに、セネトはピクリと反応し、振り返った。
『私にこんな態度を取って良いのですか? お母様が今のお姉さまの態度を知ったら、どうなさるかしらね?』
ティティスは、意地の悪い笑みを浮かべたまま、険しい表情を浮かべ、自分を見据えているセネトに言う。
ティティスの言動に、シリウスとハニエルが、怪訝そうな表情を浮かべる。
『お姉さまは、何の取り柄も無い皇族の恥。 後ろ盾も何もない窓際の皇女らしく、私や他の兄弟、お母様の機嫌を損ねない様に媚び諂っているのが……』
ティティスは更に、セネトを見下して言って居たのだが……。
彼女はふと、セネトがどんな顔をしているのか見ようと顔を上げた時、まるで研ぎ澄ました刃の様に、冷たく、鋭い視線が自分に向けられている事に気付いた瞬間、全身に冷や水を浴びて、心臓がキュッとなる様な、とても寒々しい感覚に見舞われた。
ティティスが見下すセネトの背後に立ち、まるで彼女からの心無い言葉から、セネトを守る様に、両手で彼女の耳を塞ぎ、公然と姉を卑下する言葉を吐き付けるティティスに対し、ロナードと呼ばれた黒髪の青年は、とても冷ややかな視線を向けていた。
「ロナード?」
何の前触れもなく、急に自分の両耳を、その大きな手でフワリと覆って来たロナードに驚き、セネトは戸惑いの表情を浮かべ、自分の背後に立っている彼を見上げる。
「……幾ら、言葉が理解出来なくても、コイツの雰囲気やアンタの表情、周りに居る連中の様子を見れば、コイツが、アンタに酷い言葉を浴びせている事くらい、俺にだって分かる」
ロナードは、彼に睨まれて震え上がっているティティスを見ながら、静かに戸惑っているセネトにそう言った。
『貴女の様に、嬉々とした表情を浮かべながら、平然と相手を傷付ける言葉を放つ様な人が、聖女になれるとは思えません。 聖女候補としての課題をこなす前にまず、その歪んだ心根を正す事の方が先だと思いますよ』
ハニエルは、ティティスを真っ直ぐ見据え、彼にしては珍しく、とても冷ややかな口調で、戸惑っている彼女にそう言った。
『何なのよ! 貴方たち! 皇女であるこの私に対して、その様な言動が許されると思って居るの?』
ティティスは自分に対して、不愉快さを露わにし、冷たい視線を向けているロナード達に対し、そう怒鳴りつけた。
『どの口が、その様な事を言って居る? 先に不敬を働いたのは貴様だろう?』
シリウスが、物凄く冷ややかな視線をティティスに向けたまま、淡々とした口調で言い返した。
『黙りなさい! お姉さまに金で雇われた傭兵の分際で、この私を愚弄するなど、許される事では無くってよ!』
ティティスはカッとなって、怒りに顔を真っ赤にし、シリウスに怒鳴り返すと、
『親の威を借る事しか能が無い小娘が、粋がるな』
シリウスは、抜身の刃物の様な視線をティティスに向け、ドスの利いた低い声でそう凄むと、彼に凄まれたティティスの顔から、みるみる血の気が引き、腰を抜かし、ペタンとその場にヘタリ込んだ。
『ひ、姫様!』
『大丈夫ですか?』
それを見て、ティティスの護衛の兵士たちが慌てて、腰を抜かした彼女の側に駆け寄る。
『私たちが、貴様らを締め上げて、纏めて森に居る魔物の餌にしてしまう前に、さっさと寺院に戻り、聖女様ごっこの続きでもするんだな』
シリウスは、腰が抜けてしまい、青ざめてしまつているティティスに対し、冷ややかな口調でそう言い放ってから、
『行くぞ』
連れの三人にそう言い、彼等を連れてその場から立ち去って行った。
ティティスの護衛の兵士たちは、シリウスたちの何とも言い難い迫力に押され、言い返す事すら出来ず、ただ彼等がこの場から立ち去るのを見送るしかなかった。
『……い。 許さない! この私をここまで愚弄するなんて! 必ず、後悔させてやるんだから!』
ティティスは、怒りに身を震わせながら、自分たちに背を向け、遠ざかっていく彼等に向かって叫んだ。