セネトの変化
主な登場人物
ロナード(ユリアス)…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指している。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト(セレンディーネ)…エレンツ帝国の皇女。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしている。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な女性。 十九歳。
シリウス(レオフィリウス)…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
ティティス…セネトの腹違いの妹。 とても傲慢で自分勝手な性格。 家族内で立場の弱いセネトの事を見下している。 十七歳。
ルチル…帝国の第三騎士団の隊長を務めている女性。 セネトと幼馴染。 今はティティスの護衛の任に就いている。 二十歳。
ギベオン…セネト専属の護衛騎士。 温和で生真面目な性格の青年。 二十五歳。
ルフト…宮廷魔術師長サリアを母に持ち、魔術師の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟に当たる。 二十歳。
ナルル…サリアを主とし、彼女とその家族を守っている『獅子族』と人間の混血児。 とても社交的な性格をしている。
ネフライト…第一側妃の息子でティティスの同腹の兄。 皇太子の地位にあり、現在、次のエレンツ帝国皇帝の座に最も近い人物。
リリアーヌ…イシュタル教会で『聖女』と呼ばれている召喚術を使えるシスター。 ロナードが教会の孤児院に居た頃、親しくしていた。 ロナードに対する恋心を拗らせ、彼への強い執着心を抱いている。
エルフリーデ…宮廷魔術師をしている伯爵令嬢で、ルフトの婚約者。 ルフトの母であるサリアの事をとても慕っている
カルセドニ…エレンツ帝国の第一皇子でセネトの同腹の兄。 寺院の聖騎士をしている。 奴隷だったシリウスとハニエルを助け、自由の身にした人物。
アイク…ロナードの専属護衛をしている寺院の暗部に所属していた青年。 気さくな性格をしている。
カナデ…ロナードを当主とするリュディガー伯爵家の家令をしている青年。 元は、エレンツ帝国からの独立戦争に敗れた王国の王族。 ロナードの力に目を付け、祖国復興の為に利用しようと誘拐した事がある。
アイリッシュ伯…ロナードがイシュタル教会の孤児院に在籍していた頃、彼に魔術の師事をしていた人物で、ロナードに呪詛を掛けた張本人。
セネリオ…ロナードがイシュタル教会の孤児院に居た時に親しくしていた青年。 アイリッシュ伯を師と仰ぎ、彼の研究に協力している魔術師。
ラン…イシュタル教会に所属している、槍術を得意とする猫人族の女性。
カリン…イシュタル教会に所属する魔獣使いの少女。 カリンの相棒で、ロナードが持っている幻獣を狙っている。
ガイア神教の聖女選抜試験が終わり、老子と司祭たちの厳格な審査により、新たな聖女が決まり、そのお披露目がされるパーティーに参加したロナードであったが、そこには居る筈もないリリアーヌが、司祭たちと共に壇上に居た。
思いもしなかった状況に、ロナードは酷く混乱し、ギベオンとアイクの手を借り、セネトに付き添われ、会場を後にしたのだが……。
「落ち着いたか?」
控室のソファーの上に横になり、先程まで辛そうにしていたロナードの前に身を屈め、彼の手を握り、優しく声を掛ける。
「済まない……」
ロナードは、疲弊した様子で、力のない声で返す。
「顔色も随分と良くなりましたが、このままお屋敷に戻られて、休まれた方が良いと思います」
ロナードをここまで運んで来たギベオンは、落ち着いた口調でロナードに言う。
「でも……」
ロナードはそう言いながら、セネトの方を見る。
「機会なら、また作れば良いだけの話だ。 お前の方が大事だ」
セネトは、ロナードの手を握りしめたまま、優しく言うと、ロナードは役に立てなかった事に、情けない気持ちで一杯だったが、彼女の優しさに感謝し、複雑な表情を浮かべながらも頷き返した。
「もう少し休んだら、帰りましょう」
アイクも、心配そうな表情を浮かべながら、優しくそう声を掛けると、ロナードは頷き返した。
「しかし……。 何故あの様な所にリリアーヌが……」
セネトは、思い切り眉を顰めながら、近くにあった椅子に腰を下ろし、ドレスを着ていると言うのに片足を組み、両腕を自分の胸の前に組みながら呟く。
「リリアーヌって言うのは、主に隷属の呪いを掛けた奴の仲間で、主にストーカー紛いな事をしている、イシュタル教会の聖女ですよね?」
アイクが、予め聞いていた事を口にすると、セネトは真剣な面持ちで頷き返し、
「アイツ等は、ロナードの力に執着し、教会に連れ戻そうとしている」
「ですが、彼女たちは以前、ネフライト皇太子を謀り、ロナード様や殿下たちを襲撃した罪人として、帝国全土に第一級危険人物として、入国を拒否されていた筈では……」
ギベオンも、何故リリアーヌが堂々と、帝都に居るのか分からないと言った様子で語る。
「魅了眼の力を使ったのかもな……」
ロナードは、横になったまま、苦々しい表情を浮かべながら言った。
「魅了眼って……。 あの人『魔女の瞳』を持っているんですか?」
アイクは、戸惑いの表情を浮かべながら、ロナードに問い返すと、セネトとロナードは真剣な面持ちで頷き返す。
「マジですか。 しかも、よりによって魅了眼って……。 ヤバくないですか?」
アイクは、自分の口元に片手を添え、焦りの表情を浮かべながら言う。
「ああ。 彼女は何度かその力を使って、ロナードを操ろうとした事がある」
セネトは、神妙な表情を浮かべ、重々しい口調で語る。
「幸い、俺の方が彼女よりも魔力が強いお陰で、その影響を受けずに済んではいるが……。 魔力を増幅する様な物を持っていた場合は、どうなるか分からない」
ロナードも、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で語る。
「普通に、ヤバイ奴じゃないですか!」
二人の話を聞いて、アイクは焦りの表情を浮かべながら言う。
「彼女は、その魅了眼の力を使って、寺院の老子たちなどを操っていると言う事でしょうか」
ギベオンは、神妙な面持ちで呟く。
「彼女の魅了眼の力が、どの程度のものなのか把握出来てはいないが、あんな大勢を長い間、自分の術の影響下に置き続けると言うのは、如何に魔女の瞳でも厳しいと思う。 しかも魔力を持たない相手ならまだしも、それなりに魔力を保有している人たちをと言うのはな」
セネトは、自分の顎の下に片手を添え、真剣な面持ちでそう指摘すると、
「確かに。 そんな事をしていたら、彼女の身が持たないと思います」
アイクも、真剣な面持ちで言う。
「何か……。 それを可能とする絡繰りがあるのか、単純に寺院内に彼女の協力者が居て、それ相応の対価を支払って周囲の者たちを抱き込んだのか……。 或いは、その両方か……」
ロナードは、ゆっくりと身を起こしながら、真剣な面持ちで言う。
「何しても、リリアーヌがガイア神教の新たな聖女になったのならば、厄介だぞ」
セネトは、苦々しい表情を浮かべながら言うと、ギベオンとアイクも、真剣な面持ちで頷き返す。
「セティ。 レオンの弟は大丈夫か?」
そう言いながら、セネトの同腹の兄で、ガイア神教の聖騎士でもある、カルセドニ皇子が入って来た。
「兄上」
セネトは、老子たちの護衛をせねばならぬ筈なのに、兄が自分たちを訪ねて来た事に少し驚いていた。
「リリアーヌ……。 いえ、老子たちと一緒に壇上にいた女性ですが、彼女が新しい聖女なのですか?」
ロナードは、真剣な面持ちで、カルセドニ皇子に問い掛ける。
「もう体を起こしても、大丈夫なのか?」
カルセドニ皇子は、心配そうにロナードに問い掛けると、
「はい。 ご心配とご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
ロナードは、落ち着いた口調でそう答えると、自分を心配してくれるカルセドニ皇子に首を垂れた。
「迷惑などとは思ってはいない。 セティたちに心配を掛けまいと、無理をして居るのならば、気にせずに横になった方が良い」
カルセドニ皇子は、ロナードの事を本当に心配している様で、ロナードの肩に手を添えつつ、優しい口調でそう言った。
「大丈夫です。 お心配り、痛み入ります」
ロナードは、落ち着いた口調で返す。
「何を他人行儀な。 君は私の義理の弟になるのだから、家族を心配するのは当然だろう?」
カルセドニ皇子は、他人行儀な物言いをするロナードに対し、優しい口調で言うと、彼は思いがけぬ言葉に面を食らう。
「何なら、お兄様と呼んでくれても構わないぞ?」
カルセドニ皇子は、戸惑っているロナードにそう言うと、ニッと笑みを浮かべる。
「兄上。 ロナードが困っています。 からかうのも程々になさって下さい」
ロナードが困惑して居るのを見て、セネトは軽く溜息を付くと、呆れた表情を浮かべながら、カルセドニ皇子に言う。
「それは済まなかった。 何せ、義理とは言え、弟が出来るのが嬉しくてな」
カルセドニ皇子は、苦笑いを浮かべながら、困惑したままのロナードに言うと、その大きな手でロナードの頭をクシャクシャと撫でた。
「中の様子はどうですか?」
ギベオンは、真剣な面持ちで、カルセドニ皇子に問い掛ける。
「大老子様が人々の前で説教をした時と同等か、それ以上に人々が熱狂的に、聖女を歓迎している」
カルセドニ皇子は、淡々とした口調でそう返す。
「そんなにですか?」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら言う。
「ああ。 幾ら待ち望んていたとは言え……。 少し異様なくらいだ。 直ぐにでも彼女を大老子に
しそうな勢いだ」
カルセドニ皇子は、リリアーヌに対して不信感を抱いている様で、複雑な表情を浮かべながら語る。
「彼女は、『魅了眼』の持ち主です。 その力を使い、人々を魅了している可能性があります」
セネトが真剣な面持ちで説明すると、
「なっ……」
それを聞いたカルセドニ皇子は、酷く驚いた表情を浮かべたが、
「言われてみれば、彼女を前にすると、無条件に従わねばならないと言う気持ちにさせられる」
直ぐに、冷静になって、リリアーヌと対面した時の事を思い出し、そう呟いた。
「しっかりして下さい。 兄上! 彼女の言いなりになど、ならないで下さいよ?」
カルセドニ皇子の言葉を聞いて、セネトは焦りの表情を浮かべながら言う。
「精神系の術に耐性がある、私や老子さまたちに、影響を与えるとは何と恐ろしい力だ。 しかし、それが彼女の瞳の力の所為だと分かれば、気を付けようもあるというものだ」
カルセドニ皇子は、落ち着いた口調で、焦っているセネトにそう言い返す。
「気を付けて、どうにかなるものなんですか?」
アイクが戸惑いの表情を浮かべながら、カルセドニ皇子に問い掛ける。
「意識するのと、しないのとでは大違いだぞ。 まず、彼女と目を合わせない。 彼女と会う時は、予め魅了の影響を受けないように術を掛けておくなど、他にも対処のしようはある」
カルセドニ皇子は、落ち着き払った口調でアイクにそう説明する。
「成程……」
アイクは、真剣んな面持ちで呟く。
「勉強になります」
ギベオンも真剣な面持ちで、カルセドニ皇子にそう返す。
「一番手っ取り早いのは、精神系の術を無効化する魔道具を身に付ける事だな」
ロナードが、肩を竦めながらそう指摘すると、
「それを言っては、元も子も無い」
カルセドニ皇子は、苦笑いを浮かべながらそう答えた。
「自分やアイクが、彼女の力に影響を受けないのは、以前、ロナード様から頂いた『お守り』のお陰でしようか? 前にも、石化が効きませんでしたし……」
ギベオンは、自分が以前、ロナードから渡され、肌身離さず身に付けているペンダントの事を思い出し、神妙な面持ちで語ると、
「それは、あるかもな」
セネトも、神妙な面持ちで返す。
「ペンダントを作ったのはルフトだが、魔力を入れたのは俺だからな……」
ロナードも、複雑な表情を浮かべながら言うと、
「何だそのチートアイテムは! 羨まし過ぎるぞ!」
話を聞いたカルセドニ皇子が思わず身を乗り出し、そう言って食い付いて来た。
「か、カルセドニ殿下にも、早急に用意します……」
物凄く欲しそうにしているカルセドニ皇子を見て、ロナードは苦笑いを浮かべながら彼に言った。
そんな事を話して居ると、廊下側から静かに扉が開き、白いローブを纏った美青年が、周囲を警戒しながら中へと入って来た。
「殿下……」
複雑な表情を浮かべながら、部屋に入って来たのはハニエルであった。
「ハニエル……」
セネトは、ハニエルが居る事に少し驚きながらも、そう声を掛けると、
「おや。 あなた方もいらしていたのですね?」
ハニエルも、セネトたちが来ていた事を知らなかった様で、驚いた様子でそう返した。
「どうかしたのか?」
ハニエルが、神妙な顔をして入ってたのを見て、カルセドニ皇子は真剣な面持ちで問い掛ける。
「これを見て下さい」
ハニエルはそう言いながら、自分の懐から何やら、銀の装飾が施された、虹色に光る掌程の石を差し出してきた。
「魔石? いや、魔道具か?」
それを見たセネトは、思い切り眉を顰めながら、そう呟いた。
「はい。 会場の至る場所にこの様な物が置かれていて、どうやら、壇上に居る聖女の力と連動している様です」
ハニエルは、自分が手にしている、怪し気な魔道具を見ながら、落ち着いた口調でそう説明をすると、それを聞いて、その場に居た者たちは忽ち、その表情を険しくした。
「良く見せろ」
ロナードは思わずそう言って、ハニエルに手を差し出して、彼が持っている魔道具を自分に見せる様に促すので、彼はロナードにそれを手渡した。
ロナードは、縁者に『烏族』と呼ばれる亜人が居る為、物心つく以前から、古代文字や古代語に触れる事が多く、加えて、傭兵をしていた頃は、カナン王国で『魔法帝国』の時代の遺跡調査をする考古学者やとレジャーハンターの護衛をしていた関係もあり、ルフト並みに、古代文字や魔道具に関しての知識がある。
ただ、ルフトの様に自らの手で、魔道具を作り出す技量は持ち合わせていない。
そもそも、古代文字は創世の時代、魔族や竜族が使っていた。
一部の亜人の間では未だに用いられているが、古代文字は『魔法帝国』が崩壊し、イシュタル教会が主導して『魔人狩り』や『魔法帝国』の時代の遺跡や遺物を破壊した影響により、ランティアナ大陸では失われたの言語と言っても良い。
『魔法帝国』末期に多くの魔術師と亜人たちが逃れて来た、このアルバスタ大陸も例外ではなく、魔術師や亜人を排しようとする世界的な動きに危機感を覚え、古代文字と古代語の使用を禁じていた期間があった。
その所為で、古い時代の魔術に関する知識が失われる結果となり、複雑な言語構成の古代文字の中で、辛うじて意味が分かる言葉を文字や言語にしたものが、今の魔術文字や呪文と呼ばれるものだ。
ただ、古代語を理解出来る者が、殆ど居なくなってしまった所為で、魔術の全盛期とも言える『魔法帝国』の時代の魔術師に比べ、現代の魔術師は衰退は著しい。
それは、亜人たちの間でも同じだ。
ただ、魔道具を作るには、どうしても古代文字による術式の構成が必要になる。
魔術文字では、術式が膨大になって、大きさが限られる魔道具に収まり切れない事に加え、どう言う理屈か分からないのだが、魔術文字では上手く作動しないのだ。
故に、魔術師も一般人も、その術式の意味を理解しないまま、魔道具を使っている者が殆どと言うのが現状だ。
その点を考えると、ルフトは間違いなく、魔道具に関しては天才と言って良いだろう。
「これは……。 魔力増幅装置か?…」
ハニエルから、怪し気な魔道具を受け取り、それを注意深く観察していたロナードは、裏側に刻まれた文字を見て、真剣な面持ちでそう呟く。
「聖女の力って……。 まさか魅了の力をって事ですか?」
アイクが、戸惑いの表情を浮かべながら言うと、
「集団催眠術でも掛けるつもりか?」
セネトは表情を険しくし、そう呟いた。
「彼女がお前たちの言う様に、魅了眼の持ち主ならば、その可能性は十分に考えられるな……」
カルセドニ皇子は、苦々しい表情を浮かべながら言う。
「ええ……。 私もその可能性を疑っています」
ハニエルも、深刻そうな表情を浮かべながら言う。
「レオンは何をしている? まだ、会場に残っているのか?」
カルセドニ皇子は、真剣な面持ちでハニエルにそう問い掛ける。
「ええ。 会場に残り、彼女がこれを使って何をしようとしているのか、突き止めるつもりで居るようです」
ハニエルは、落ち着いた口調で、カルセドニ皇子の問い掛けに答えた。
「危険過ぎないか?」
カルセドニ皇子は、戸惑いの表情を浮かべながらハニエルに言う。
「恐らく、同じ魔女の瞳を持つシリウスには、聖女の力は効かないかと……」
ハニエルは、落ち着いた口調で答えると。
「ふむ。 ならばレオンの『封魔眼』の力で、聖女の力を無効化する事は出来ないのか?」
カルセドニ皇子は、自分の顎の下に片手を添え、真剣な面持ちでハニエルにそう問い掛ける。
「瞳の力は魔術とは少し異なりますし、相手の方が魔力は上ですから、それは難しいかと……」
ハニエルは、残念そうな表情を浮かべながら、落ち着いた口調でカルセドニ皇子の問い掛けに答えた。
「そうか……」
カルセドニ皇子は、溜息混じりにそう言った。
暫くして、会場の人達はリリアーヌの話を聞いていたのか、静かだったのだが、やがて人々が楽しく談笑する声や、楽し気な音楽がこの控室にも届いて来ると、会場の様子を見ていたシリウスが、神妙な顔をして入って来て、
「最早、聖女のお披露目会と言うより、洗脳大会と言う方が相応しいな。 勘の良い奴は気付いた時点で会場を出たが、残っている連中の大半は、この事実に気付いていないだろうな」
部屋に居るカルセドニ皇子に対して、そう言った。
「兄上……」
部屋の隅に居たロナードは、徐に部屋に入って来たシリウスに声を掛けると、彼は弾かれた様に彼の方へと目を向け、
「お前たちも来ていたのか」
ロナードともにセネトやギベオンが居る事に気付き、戸惑いの表情を浮かべながら言うと、慌てた様子でロナードの側に駆け寄り、彼の前に身を屈めると、徐に両肩に手を添え、
「お前、体の方は何とも無いのか?」
心配そうにそう問い掛けて来た。
どうやらシリウスは、リリアーヌが何らかの形で、ロナードに掛けられた隷属の呪いに影響を与えていないか心配した様だ。
「今の所は……」
ロナードは、落ち着いた口調で答えると、シリウスはホッとした表情を浮かべた後、
「あのエセ聖女が居ると言う事は、変態クソ眼鏡も帝都に居る可能性が高い」
表情を険しくし、そう指摘をすると、ロナードの表情は俄かに強張る。
彼としても、その可能性を考えては無かった筈だが、こうして誰かに口に出された事により、嘗ての師匠であるアイリッシュ伯に対する恐怖が湧き上がってきた様だ。
「そうだな……」
セネトも、不安に満ちた顔をして呟く。
「問題なのは何故、今、このタイミングでリリアーヌさんが聖女として、人々の前に姿を現したのかと言う事です」
ハニエルが、神妙な面持ちで言うと、
「確かに。 大老子様が大陸中の寺院の支部を訪問する為に昨日、帝都を離れられた。 彼女が現れたのが単なる偶然とは思えないな……」
カルセドニ皇子は、神妙な表情を浮かべながら呟く。
「その訪問は、何時くらいに終わるのですか?」
ギベオンは、戸惑いの表情を浮かべながら、カルセドニ皇子に問い掛ける。
「最低でも半年は掛かる」
カルセドニ皇子は、苦々しい表情を浮かべながら言うと、
「そんなに?」
セネトは、焦りの表情を浮かべながら言う。
「成程。 その間にあの女は、寺院を乗っ取るつもりで居るのかもな……」
シリウスが、自分の顎の下に片手を添えつつ、淡々とした口調で言うと、
「まさかぁ~」
アイクは、苦笑いを浮かべながら言う。
「老子様たちが、そんな事を許すとは思えません」
ギベオンも、真剣な面持ちでそう返す。
「普通ならば、有り得ない話だろうが、今、帝都に残っている老子たちが、大老子様に成り代わって寺院の権力を自分たちのモノにする為、リリアーヌとか言う娘を招き入れたとしたら?」
カルセドニ皇子が、真剣な面持ちでそう言うと、ギベオンやアイクはその表情を引きつらせる。
「そんな事……有り得るのですか?」
セネトは、『信じられない』と言った様子で、カルセドニ皇子に問い掛ける。
「今、帝都に残っている老子たちは、聖職者としての本分を忘れ、俗世に染まり切った、欲望塗れの腐った連中ばかりだ。 良識のある方々は皆、大老子様の旅に同行している。 残っている連中は常々、質素倹約を聖職者の美徳と考える、大老子様の考えに反感を抱き、ご高齢である事を理由に、大老子の地位から退くように言っている」
カルセドニ皇子は、苦々しい表情を浮かべながら、理由を簡潔に説明する。
「成程。 邪魔な大老子たちが居ない間に、リリアーヌの力を利用して、寺院の権力を自分たちが握ってしまおうという魂胆か」
ロナードは表情を険しくし、唸る様な声で呟く。
「最悪、旅の間に事故に見せ掛け、大老子様を屠るつもりかも知れん」
カルセドニ皇子は、苦々しい表情を浮かべながら言う。
「呆れるくらい、自分本位で分かり易い動機だな」
セネトは、呆れた表情を浮かべながら呟く。
「全くです。 聖職者の風上にも置けない輩ですね」
ギベオンも、不愉快さを露わにしながら言う。
「とは言え、寺院の関係者だけ操れば良いと言う単純な話ではない。 皇帝をはじめ、外部からの信頼もそれなりに得なければ、ティアマト大老子と取って代わる事は難しいだろう」
シリウスは、自分の顎の下に片手を添えたまま、淡々とした口調で言うと、
「確かに……」
セネトは、神妙な表情を浮かべながら言う。
「自分が次の大老子に相応しい事を、寺院の内外に示す為にも、リリアーヌは次の行動を起こす筈だ」
シリウスが、淡々とした口調で語ると、ロナードやカルセドニ皇子は真剣な面持ちで頷く。
「彼女や老子たちの動きに、注視する必要があると言う事ですね?」
ギベオンが、真剣な面持ちで返すと、
「そう言う事だ」
シリウスは、淡々とした口調で言う。
「それに、彼女が居ると言う事は、ロナードに呪詛を掛けた、彼女の師匠であるアイリッシュ伯爵も、帝都に潜んでいる可能性が高いです。 直接的、または間接的にロナードと接触を図るかも知れません。 ですから、あなた方は何時も以上にロナードの身の回りに気を配って下さい」
ハニエルは、真剣な表情を浮かべ、落ち着いた口調で、アイクとギベオンに言った。
『アイリッシュ伯爵』と言う名が出た途端、ロナードの表情が俄かに強張り、その顔からみるみる血の気が引く。
「大丈夫か?」
真っ青な顔をして、不安そうにしているロナードに、セネトは堪らず声を掛けた。
「あ、ああ……」
ロナードは、青い顔をしながらも、気丈にそう返した。
(主にこんな顔をさせるなんて、呪いを掛ける以外にアイリッシュ伯爵、何したんだよ)
真っ青な顔をして、不安に満ちた様子で、微かに身を震わせているロナードを見て、アイクは心の中でそう呟くと、沸々と怒りが込み上がって来た。
「見つけ次第、問答無用でボコボコにして、帝都の外に居るハイエナたちの餌にしてもらって構いませんので」
ハニエルはニッコリと笑みを浮かべながらも、アイリッシュ伯爵の顔を思い出しているのか、額に青筋を浮かべながら、サラリとそう言って退けた。
「そうは言うが、私もアイクたちも奴の顔を知らん。 そのアイリッシュ伯爵とやらの特徴を良く教えて貰えるか?」
ハニエルの言動に、ドン引きしているアイクを他所に、カルセドニ皇子が落ち着き払った口調でハニエルに言う。
「ええ。 喜んで」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら言う。
「驚いた」
カルセドニ皇子は、ソファーに座り、テーブルの上に置かれた紙と向かい合っているギベオンの後ろから、感嘆の声を上げる。
「ギベオン。 お前にこんな才能があったとは……」
セネトも、驚きと戸惑いを隠せない様子で呟く。
「素晴らしいです。 憎ったらしい雰囲気までそっくりです」
ハニエルも、ギベオンが描いたアイリッシュ伯爵の似顔絵を見て、そう言って絶賛する。
「ふむ。 無性にこの顔に、ナイフで大穴を空けたい衝動に駆られるな」
ハニエルの隣に立ち、ギベオンが描いた似顔絵を見て、シリウスが嫌悪感を露わにして思わずそう言ってしまう程の完成度の高さだ。
(どんだけ嫌いよ?)
シリウスの反応を見て、アイクは苦笑いを浮かべながら、心の中でそう呟く。
「どうだ? 似ているか?」
カルセドニ皇子は徐に、ギベオンが描いた似顔絵を手にし、部屋の隅でその様子を見ていたロナードに向って、そう言いながら見せた。
「うわーっ! 何をしてるんですか! 兄上!」
それにはセネトが焦り、慌てて、カルセドニ皇子の手から似顔絵を奪い取ろうとし、
「駄目ですよ! 見せては!」
ハニエルも、焦りの表情を浮かべながら、カルセドニ皇子に言った。
当のロナードは、カルセドニ皇子が似顔絵を自分に向けて来た瞬間、殆ど反射的に顔を背けた。
(早ッ!)
それを見たアイクは思わず、心の中で叫ぶ。
「この写しをリュディガー伯爵家の屋敷の者にも見せて、厳戒態勢を敷かせましょう」
ギベオンは、落ち着いた口調でそう言うと、セネトは真剣な面持ちで頷く。
「ああ。 私も部下や街を巡回している警備兵たちに見せて、注意を促そう」
カルセドニ皇子は、似顔絵をしげしげと見ながら、そう言った。
「って訳で、コイツが主に呪詛を掛けた、下種野郎です」
アイクは、リュディガー伯爵家の屋敷に戻ると、庭に集めた兵士たちに向かって、木の幹に刺したアイリッシュ伯爵の似顔絵を見せながら、彼等にそう言った。
(いや、ナイフが顔の真ん中にブッ刺さってて、良く分からないし)
(何で、目玉の部分が刳り抜かれてんの?)
(いや、もう、怖いんだけど……)
アイクに、アイリッシュ伯爵の似顔絵を見せられた兵士たちは、気の毒なくらいに酷い状況になっている似顔絵を目の当たりにして、心の中でそう呟いた。
「コイツを見掛けたら、ブッた斬って良いんで」
アイクは、ニッコリと笑みを浮かべながら、集まった兵士たちに言う。
(いやいや。 流石にいきなりそれはマズイって)
(それもう、通り魔な)
兵士たちの中の何人かが、心の中でそう呟く。
しかしながら、ロナードに呪詛を掛けたと言うそ似顔絵の男は、凡そ、その様な事をしそうに程、虫も殺しそうに無さそうな、優しそうな雰囲気なので、兵士たちはたじろぐ。
「見た目に騙されないで下さい! コイツは、主を連れ戻そうとルオンから追い駆けて来た、変態クソ野郎です! 主と面会なんて間違ってもさせないで下さい! 絶対です! 絶対にですよ! そんな事したら、主が秒で卒倒します!」
アイクは、戸惑っている兵士たちに向かって、似顔絵を指差しながらそう力説する。
(オレたちが束になっても敵わない人なのに、コイツを見ただけで、秒で卒倒って……)
(どんだけヤバイ奴だよ)
アイクの話を聞いて、兵士たちは戸惑いの表情を浮かべながら心の中で呟く。
「ま、まあ、オレたちでも分かるくらい、魔力の強いユリアス様に呪詛を掛けるくらいだから、相当ヤバイ奴ってのは、間違いないよな……」
「そもそも、オレたちで、どうにか出来る相手なのか?」
「見掛けたら速攻、ユリアス様を逃がすしかないだろ」
「だな」
集まった兵士たちは、アイリッシュ伯爵の似顔絵を見ながら、口々に言う。
「……何をしているんだ? アイツ等……」
何も知らないロナードは、アイクが中庭に兵士たちを集め、何やらしている様子を執務室の窓から見ながら、一緒に居た執事長のモリスに言う。
「さあ……」
屋敷の中の誰よりも真っ先に、アイクからアイリッシュ伯爵の似顔絵を見せられた彼は、アイクが何をしているのか見当がついたが、敢えてそれをロナードに言う様な事はしなかった。
パーティー会場で何があったのか、アイクから話は聞いたが、それでも自分たちの前では平静を装い、リュディガー伯爵家の当主としての仕事を淡々とこなすロナードを見て、モリスは複雑な気持ちになる。
「レオン様とハニエル様も、暫くは此方に滞在なさると伺っております。 夕食はお二人とご一緒で宜しいでしょうか?」
モリスは、書類と睨めっこをしているロナードに向って、事務的な口調で問い掛ける。
「ああ」
ロナードは、書類に視線を落としたまま、そう返した。
「主! 何で仕事をしているんです? 寝てなきゃ駄目ですよ!」
ロナードが、執務室で仕事をしていると知り、アイクが慌てた様子で部屋に入って来て、ロナードに向ってそう言った。
「そうもいかないだろ。 只でさえ、兄上から引き継いだ屋敷の事や、使用人たちの事ととか、色々とする事があるんだから」
ロナードは、書類に目を向けたまま、アイクにそう返す。
「モリスも見て無いで止めて下さい! 会場でぶっ倒れたんですよ?」
アイクは、不満に満ちた表情を浮かべながら、執事長のモリスに抗議する。
その傍らで、ロナードが何食わぬ顔をして、用意されていた紅茶を飲もうとした瞬間、アイクは表情を険しくし、彼が手にしていたティカップを払いのけた。
ロナードの手から離れたティカップは、そのまま勢い良く床の上に砕け散り、紅茶の香りが仄かに辺りに漂う。
ロナードは驚いた顔をして、険しい表情をしているアイクを見ている。
「アイク卿?」
アイクの行動に、執事長のモリスが戸惑いの表情を浮かべ、声を掛ける。
「ベタ過ぎますよ。 主を眠らせて、その間にオレを排除ですか? 変態クソ眼鏡さん」
アイクは、表情を険しくしたまま、唸る様な声で戸惑っているモリスに言う。
「何を言って……」
モリスは、戸惑いの表情を浮かべたまま、アイクに問い返す。
「臭い芝居は結構です。 こんなに堂々と入り込んでくるなんて、一体、何方が貴方をこの屋敷に招き入れたんですか? アイリッシュ伯爵」
そう言いながら、何処かに控えていたのか、ハニエルがそう言いながら姿を現した。
「……私の心の中を、その瞳の力を使って読んだのですか?」
モリス……いやアイリッシュ伯は、不敵な笑みを浮かべながら、険しい表情を浮かべているハニエルに言う。
「その様な事をしなくても、貴方の様な輩がやりそうな事など想像がつきます。 遅かれ早かれ、貴方が現れるだろうと言う事は想定済みです。 今、問題としているのは、一体、何方が貴方をこの屋敷に招き入れたかと言う事です」
ハニエルは、表情を険しくしたまま、落ち着き払った口調で返す。
「答えは簡単です。 今、此処に居ない者の仕業ですよ」
モリスの姿を下アイリッシュ伯は、ニッコリと笑みを浮かべながら言う。
「本物のモリスは、無事なのでしょうね?」
ハニエルは、表情を険しくしたまま、アイリッシュ伯に問い掛ける。
「さあ?」
アイリッシュ伯は、不敵な笑みを浮かべ、挑発する様にそう言って肩を竦める。
その態度を見て、アイクは益々表情を険しくし、隠し持っていた短剣を手に身構え、
「あんな良い人を手に掛けるなんて、アンタ、本当に最悪だな」
唸る様な声で言う。
「誤解しないで下さい。 私は、この執事に化けただけで、その後、彼がどうなったかなど、興味が無いので答えようが無かっただけです」
アイリッシュ伯は、苦笑いを浮かべながら、憤っているアイクに言った。
「本当にクズだな」
ロナードは、軽く溜息を付くと、嫌悪感を露わにしながら徐に立ち上がる。
「……僕の愛弟子は何処ですか?」
アイリッシュ伯は、何か気が付いた様子で、苦笑いを浮かべながらロナードに問い掛ける。
「居るだろう? 目の前に」
ロナードは、不敵な笑みを浮かべながら答える。
「貴方は、ユリアスではありません」
アイリッシュ伯は、淡々とした口調で返すと、ロナードは不敵な笑みを浮かべ、肩を竦めると、
「腐っても、何年かの間、弟の師匠をしていただけの事はあると言う訳か」
落ち着いた口調で返す。
「まさか、私と同じ手を使って来るとは……」
アイリッシュ伯は、苦笑いを浮かべながら言うと、
「それは、此方の台詞だ」
ロナードの姿をした誰かは、不愉快そうな表情を浮かべながら言う。
「ユリアスは何処に?」
アイリッシュ伯は、落ち着いた口調で問い掛ける。
「聞かれて、答える馬鹿が何処にいる? 知りたければ、力尽でもぎ取るんだな」
ロナードの姿をした誰かは、落ち着いた口調でそう言うと、執務室の机の下に隠していた武器を手にする。
「その大剣……。 やはり貴方でしたか……」
アイリッシュ伯は、ロナードの身体には不釣り合いな大剣を一目見て、ロナードの振りをしている者が誰なのかを悟った。
「弟を、貴様の様な変態に渡す訳が無いだろう」
ロナードの振りをしている誰かは、大剣を手に、不敵な笑みを浮かべながら言う。
「折角、ロナードを訪ねて来て下さったところを恐縮ですが、二度とロナードの前に現れる事が出来ない様、貴方を今日此処で、地獄へ送って差し上げますよ」
ハニエルは、不敵な笑みを浮かべながら言う。
「覚悟は良いですか?」
アイクも短剣を手にそう言うと、素早く身構える。
「あなた方の素早い判断と行動は、素直に称賛しますが、生憎、私はまだ死ぬ予定はありません」
アイリッシュ伯は、ニッコリと笑みを浮かべ、落ち着いた口調で答えた。
「成程。 また幻影ですか」
ハニエルは、アイリッシュ伯の体が微かに透けている事に気付き、苦々しい表情を浮かべながら呟く。
「アイク。 部屋の外にコイツの仲間が待機している。 急いでそいつを始末しろ」
ロナードの姿をした誰かは、落ち着いた口調でアイクにそう命じた。
「了解です」
アイクはそう返すと、素早く扉から部屋の外に出た。
「い、一体、何の騒ぎですか?」
廊下に出るとカナデが、戸惑いの表情を浮かべながら、部屋から飛び出して来たアイクに問い掛ける。
「カナデ」
アイクは、彼を見るなり、何故かニッコリと笑みを浮かべた。
「な、な、何ですか?」
何時も顔を突き合わせれば、憎まれ口しか叩かないアイクが、自分を前にして笑みを浮かべている事に、カナデは戸惑いの表情を浮かべ、思わず後退りをした。
「貴方だったんですね? ここに主に付き纏うゴキブリ野郎を招き入れたのは」
アイクは、抜身の刃の様な鋭い視線をカナデに向けながら、ニッコリと笑みを浮かべつつ、ドスの利いた低い声でそう言った。
「な、何の事ですか?」
笑みを浮かべつつも、殺気を放っているアイクを前にして、カナデは焦りの表情を浮かべながら問い掛ける。
「惚けないで下さいよ。 オレが主と一緒にパーティー会場へ行っている間に、モリスさんを屋敷の外へ連れ出して、モリスさんに化けたアイリッシュ伯爵を招き入れて、主が帰って来るのを待っていたんでしょう?」
アイクは、ニッコリと笑みを浮かべたまま、ドスの利いた低い声でそう返した。
カナデはアイクに凄まれて、表情を強張らせ、その背中からは、滝の様に冷や汗が流れ落ちる。
「如何にも、蝙蝠野郎がしそうな事ですね。 幾ら貰ったんです? それとも、祖国を再興する手助けでもしてくれるとでも言われたんですか?」
アイクは、手にしていた短剣を握りしめ、ニッコリと笑みを浮かべたまま、ドスの利いた低い声でカナデに問い掛ける。
「……」
カナデは、複雑な表情を浮かべて押し黙る。
「……貴方には、同情出来る点は多いですが、だからと言って今、貴方がしている事を黙って見過ごす理由にはなりません。 残念ながらね」
アイクは、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で語る。
「そうやって、また点数稼ぎをしようと言う訳ですか。 私と同じ様に寝返って、此処に流れ着いた身だと言うのに」
カナデは、嫌悪に満ちた表情を浮かべながら、アイクに言い返す。
「一緒にしないで欲しいですね。 少なくともオレは、自分の意志で此処に居ます。 それに主の事も好きですし、忠誠心もちゃんとあります。 蝙蝠野郎の貴方と違って」
アイクは、何処か悲しそうな、寂しそうな表情を浮かべながら言った。
「……私だって、ロナード様やこの屋敷の人達の事は嫌いではありませんよ。 でも、私にはどうしても、やらなくてはならない事があるのです。 その目的の為には、手段など選んではいられないのです!」
カナデは、キッとアイクを睨み付け、強い口調で言い返した。
「はぁ……。 もしかしたら、仲良くなれるかと思いましたが、どうやら、それは永遠に叶わない様ですね」
アイクは軽く溜息を付くと、とても無念そうな表情を浮かべながらも、淡々とした口調で言うと、それを聞いたカナデが可笑しそうに吹き出した。
「可笑しな事を言いますね? 屋敷で大切に育てられた血統書付きの猫と、下水道の片隅で育ったドブネズミが、どうやったら、分かり合えると言うのです?」
そして、鼻の先で笑いながら、何処かアイクを馬鹿にした様な口調で言った。
「悲しいですね。 貴方はオレの事を、そんな風に見ていたなんて」
アイクは、沈痛な表情を浮かべながら言う。
「だってそうでしょう? 貴方と私とでは生まれ持った物が違い過ぎる。 こうして、貴方が私に口を利く事すら、本来ならば許される事ではないのですから」
カナデは、鼻で笑いながら、アイクを馬鹿にした様に言う。
何とも言い難い雰囲気の中、二人の間に暫く沈黙が流れた。
「……止めましょう。 カナデ。 そうやって必要以上に自分を悪人にしようとするのは」
アイクは、沈痛な表情を浮かべ、重々しい口調でそう言うと、カナデを見た。
「なっ……」
カナデは、戸惑いの表情を浮かべ、アイクを見る。
「オレが、貴方を殺した事に対して罪悪感を抱かない様に、自分がした事が正しかったと思えるように……。 殺されて当然の悪人であるかの様に振舞う貴方だからこそ、オレは仲良くしたいと思ったのです」
アイクは、沈痛な表情を浮かべながら、戸惑いの表情を浮かべているカナデに言った。
「何を言って……」
カナデは、アイクの言葉に酷く動揺し、そう呟いた。
(何時から……その事に気付いていた? まさか、最初から?)
カナデは、動揺の色を浮かべながら、アイクを見ながら、心の中でそう呟く。
「ちゃんと分かってます。 貴方は本当は他人を思いやれる、とても優しい人だって。 だからって、こんな時にまで、自分を偽らないで下さい」
アイクは、そんなカナデの心中を見透かしたかの様に、とても寂しそうな笑みを浮かべ、優しい口用で言った。
「……勘が良いのも考え物ですね。 こんな事、気が付かなければ、もっと気楽に私を殺せたのに」
アイクのその言葉に、カナデは全てを諦めた様な顔をして、淡々とした口調でそう言うと、消え入るような笑みを浮かべた。
「そうですね。 今回ばかりは、オレもそう思いますよ」
アイクは、沈痛な表情を浮かべながらそう言うと、自分が手にしていた短剣を握りしめた。
「殿下。 そろそろお休みください」
ルチルと交代で、セネトの護衛をしているギベオンは、セネトの部屋にまだ明かりが灯っているのを見て、部屋の扉を静かに開け、中に居る彼女に向かってそう言った。
セネトは寝付けないのか、ソファーの上に座り、本を読んでいた。
「ギベオン……」
部屋に入って来たギベオンを見ながら、彼女はちょっと不安そうな顔をして彼の名を呟いてから、
「ロナードやシリウス達は、大丈夫だろうか」
そう彼に問い掛けた。
「心配要りませんよ。 皆さん、お強いですから。 アイリッシュ伯爵などに引けを取る筈がありません」
ギベオンは、不安そうにしているセネトを慰める様に、優しい口調でそう返した。
「そうだな……」
セネトは、複雑な表情を浮かべながら言うと、徐に読んでいた本を閉じた。
「ご心配でしたら、明日にでも会いに行かれては如何でしょうか」
ギベオンは、優しい口調でセネトに言うと、
「ああ……」
セネトはそう返すと、続き間になっている寝室に行こうと、ソファーから立ち上がった。
「あの……殿下」
ギベオンはふと、セネトにそう声を掛けて、彼女を呼び止めた。
「何だ?」
セネトは、ギベオンの方へ振り返ると、不思議そうな顔をして彼に問い掛ける。
「最近、何か悩み事でもおありですか?」
ギベオンは、おずおずとそう切り出すと、彼女は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をして、
「何故、そう思う?」
「時々、思い悩んでいる様だと、ルチルが言っていましたので……」
戸惑いを隠せないセネトに、ギベオンはその理由を語った。
「お前たちには、隠し事は出来ないな……」
ギベオンの言葉を聞いて、セネトは苦笑いを浮かべながら呟いた。
「何年の付き合いだと思うのです?」
ギベオンも苦笑いを浮かべながら言うと、
「確かに」
彼女は、苦笑いを浮かべながら言った。
「それで、何をそんなにお悩みなのですか?」
ギベオンは、落ち着いた口調でセネトに問い掛けると、
「……最近、変なんだ」
彼女は、神妙な表情を浮かべながら、そう切り出してきた。
「どの様にですか?」
ギベオンは、心配そうな表情を浮かべながら、セネトに問い掛ける。
「以前よりも、魔力の感知が敏感になって、相手の魔力の強弱が良く分かる様になった。 それに、少しだが、僕自身の魔力も強くなった気がするんだ」
セネトは、グッと自分の腕を片手で掴み、何処か不安そうな、戸惑って居る様な表情を浮かべながら、ギベオンに語った。
「何故、急に……」
ギベオンも、戸惑いを隠せない様子で、セネトに言う。
「分からない。 何となくだがロナードの側に居ると、自分の能力が底上げされる様な感覚があって、時々、人ではない何かの声まで聞こえる始末だ」
セネトは、複雑な表情を浮かべながら答える。
「……」
ギベオンは、心配そうな顔をして、セネトを見ていると、
「極めつけは、これだ」
セネトはそう言うと、寝具の袖を捲り上げた。
彼女の腕には、ロナードがアイリッシュ伯から受けた呪詛が、体中に広がっていた時に浮かんでいた、銀色の蔦の様な模様があった。
「殿下! これはロナードの様の体にあった……」
それを見たギベオンは、焦りの表情を浮かべ、思わずセネトの肩を掴み、強い口調で言った。
「ああ……。 隷属の呪い……だろうな。 帰って来て腕が異常に熱いと思って見たら現れていた」
セネトは、自分の腕に浮かび上がっている、銀色の蔦の様な模様を見ながら、淡々とした口調で語る。
「何故、直ぐに仰らなかったのですか?」
ギベオンは、真剣な表情を浮かべ、彼女に言う。
「済まない」
セネトは、申し訳なさそうにそう言うと、
「直ちに、サリア様に連絡をします」
ギベオンは、真剣な表情を浮かべ、複雑な顔をしているセネトに言った。
「ふむ……。 殿下は鉱山の崩落事故の際に、瀕死の重傷を負われたのですよね?」
翌日の朝、昨晩の内にギベオンから連絡を受けたサリアは、何時もよりも早い時間に出勤し、宮廷内にあるセネトの部屋を訪れていた。
「ああ」
セネトは何故、その様な事を聞くのだろうと思いながらも、素直に頷き返した。
「……ルチル様の話では、鉱山に閉じ込められている間、殿下を助ける為に、ユリアスが自分の手首に傷を付けて、水の代わりに自分の血を飲ませて凌いでいたと聞いています」
サリアは、セネトの腕に浮かんでいる、銀色の蔦の様な模様を見つめたまま、落ち着いた口調でそう語ると、
「なっ……」
そこまで詳しくは聞かされていていなかったセネトが、驚きの表情を浮かべる。
「確かに。 助け出された時に、ロナードさまの腕に不自然な切り傷が、幾つかあったのを覚えています」
ギベオンも、ロナードが坑道内に閉じ込められていた際に、そこまでしていたとは知らなかったものの、当時の様子を思い出しながら、落ち着いた口調で語った。
「これは……推測に過ぎないのですが、殿下はユリアスの眷属になってのかも知れません」
サリアは、ゆっくりとテーブルをは挟んで、セネトの向かいのソファーに腰を下ろしながら、神妙な面持ちでそう言った。
「何を言って……」
思いがけぬ言葉に、セネトは戸惑いの表情を浮かべ、そう呟く。
「ユリアス自身は殿下を助けたい一心で、無意識にしたのでしょうが、瀕死の殿下を助けた際、用いたのは治癒魔術ではなく、自身の血肉と魔力を媒体とした、自己再生に近いものだったの可能性があります」
サリアは、真剣な面持ちでそう語るので、これが冗談で言っているのではないと、セネトもギベオンも直ぐに理解した。
「自己再生……」
セネトは、複雑な表情を浮かべながら呟く。
「自己再生は魔族や竜族が持つ能力です。 亜人の中にも獅子族などの一部の種に備わってはいますが……」
セネトは、動揺しているセネトに向かって、淡々とした口調で説明をする。
「いや、しかし……自己再生と言うのは、その名の通り、自分の体を再生させる能力なのでは……」
ギベオンは、戸惑いの表情を浮かべながら、サリアにそう指摘すると、
「ええ。 殿下はユリアスの血を、それななりの量を飲んでいた事が起因だと思われます。 つまり、ユリアスの眷属と等しい状態になっているのでしょう」
サリアは、落ち着いた口調で、ギベオンが指摘した事について回答する。
「そんな事が……あるのですか?」
ギベオンは、信じられないと言った様子で、サリアに問い掛ける。
「他人を自分の眷属にするのは、魔族の亜種である吸血鬼が得意としていますが、ご存知の通り、ユリアスは吸血鬼では無いので、魔族に近しいと考えるのが普通でしょう」
サリアは、落ち着いた口調でそう語る。
「ユリアスが……魔族……」
サリアの言葉に、セネトは動揺の色を浮かべながら、そう呟いた。
「ですが、魔族も竜族も元は同じですので、ユリアスの場合は後者の可能性が極めて高いでしょうね」
サリアは、相変わらず落ち着いた口調で、自分の見解を語る。
「何故、そう言い切れる?」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべたまま、サリアに問い掛ける。
「簡単な根拠です。 ルオン王国の始祖は、『魔法帝国』を統治していた皇族の生き残り。 竜族の血を引いている可能性が高い」
サリアは、落ち着いた口調で、近くにあった紙に簡単な説明図を書きながら、説明をし始めた。
「そして、彼の祖母であるマチルダ様は、ティアマト大老子の妹君で、竜族の血を引くティルミット公爵家の出です。 そして、祖父であるリャハルト様は、私たちアルスワット公爵家の人間。 私たち一門も少なからず、竜族の血を引いています」
サリアは、紙に自分たちの家名などをそれぞれ書き入れながら、落ち着いた口調で説明をする。
「ガイア神が竜族であったと言う話は、有名な話だが、只のお伽噺とばかり……」
セネトは、子供の頃に聞かされた、この国の黎明期の物語の内容を思い出しながら、信じられないと言った様子で、そう言った。
「自分も、そう思って居ました」
ギベオンも、セネトと同様の事を思って居たらしく、驚きを隠せない様子で言う。
「長い歳月により、竜族の血は薄まってはいるでしょうが、ユリアスの場合、引き算ではなく、足し算となった可能性があります。 つまり、三つの竜族の血が混ざり合った事で、ユリアスやレオンは私たちよりも、竜族の血が濃い可能性があります」
サリアは、落ち着いた口調でそう説明をしながら、紙に書いていたそれぞれの家名から線を引き、ユリアスの名前の所に集めた。
「成程……」
サリアの説明と、簡単な図を見ながら、セネトは神妙な面持ちで呟く。
これまで意識をした事は無かったが、彼女の言う通り、ロナードはこの三つの家門の血をどれも引いている。
「眷属となった事で殿下は、ユリアスと能力などを共有している可能性があります。 ですから、本来はユリアスの体に現れる筈の隷属の呪いの模様が、眷属である殿下の体に現れた……と言う事ではないでしょうか」
サリアは、落ち着いた口調で、セネトにそう説明を続けた。
「……この話は、ロナードには黙っていてくれ。 知らずにした事とは言え、その行為の所為で僕に呪いの一部が移ったと知ったら、きっと酷くショックを受けるだろうから……」
セネトは、複雑な表情を浮かべながら、重々しい口調でサリアに言った。
「ですが、これはユリアスにとっては、吉報でもあります。 この事でアイリッシュ伯は、ユリアスを隷属させる事が不可能に近い状態になった訳ですから」
サリアは、落ち着いた口調でそう説明をすると、
「確かに」
ギベオンも真剣な面持ちでそう呟いた。
「だが、そんな事を知って、喜ぶ様な奴では無いだろう? ロナードは。 寧ろ、自分を責めるに違いない」
セネトは、ロナードの顔を浮かべながら、複雑な表情を浮かべながら、サリアに言った。
「そうですね……」
ギベオンも、セネトと同じ事を思ったのか、複雑な表情を浮かべながら言う。
「そうは言っても、何時までも隠し通せるとは思えません。 殿下が違和感を覚えた様に、ユリアスもまた、殿下に対して、今までにない感覚を覚えている可能性が高いです」
サリアは、落ち着いた口調でセネトにそう言うと、彼女は焦りの表情を浮かべた。
「確かに……ロナード様は最近、殿下に対して明らかに好意を示していますからね……」
ギベオンは、真剣な表情を浮かべながらそう言うと、
「なっ、何をいきなり……」
セネトは忽ち顔を真っ赤にして、焦りの表情を浮かべながら、語気を強めてギベオンに言い返す。
「……少しは関係があるかも知れませんが、それを抜きにしても、前々から、殿下に好意は抱いていた筈ですよ。 でも、殿下があまりに鈍いので、いい加減に気が付いて欲しくなって、好きだと言うアピールを開始したのでは?」
彼等の言動に、サリアは苦笑いを浮かべながら、そう言い返した。
「そうですね……。 自分もその可能性の方が高いように思えます」
ギベオンは、ふとロナードのこれまでの様子を思い出して、直ぐに、サリアの言う通りだと思い、複雑な表情を浮かべながら呟いた。
傍から見ても、気の毒なくらいにセネトが鈍感なので、ロナードが次第に可哀想になって来て、最初の頃の嫉妬心は何処へやら。
今では、弟の恋愛を温かく見守る、お兄ちゃん的ポジションに収まっていた。
「そう言う事ですから、ユリアスの事は頼みましたよ。 殿下」
サリアは、ちょっと意地悪な表情を浮かべながら、セネトにそう言った。
「へ?」
サリアの言葉に、セネトは思わず戸惑いの表情を浮かべ、間抜けな声を挙げた。
帝都のアルスワット公爵家本邸……。
アイリッシュ伯爵たちの動向を警戒し、屋敷から出られないロナードの下に、カルセドニ皇子をはじめ、関係者たちが集まっていた。
「今、集めた限りの情報では、リリアーヌは偶然、海賊に襲われた船に乗り合わせていて、そこに居たガイア神教の司祭を助けた事が切っ掛けとなり、聖女選抜試験に途中から参加した様だ」
カルセドニ皇子は、淡々とした口調で語る。
「途中から?」
セネトは、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
「途中参加が出来るなんて、聞いた事が無いわ」
ルチルも、驚きを隠せない様子で、言った。
「私もだ。 試験を途中棄権をしたという話は良く聞くが、途中参加はこれまで聞いた事が無い」
聖騎士をしている、カルセドニ皇子でさえ、異例の事に驚いている様だ。
「そもそも、聖女候補というのは、誰でもなれるのですか?」
ロナードは、真剣な面持ちで、カルセドニ皇子に問い掛ける。
(はわわわ……。 無意識にロナードに目が行ってしまう……)
セネトは、カルセドニ皇子と真剣な顔をして話をしているロナードを見ながら、心の中で呟く。
(俺、セネトに何かしたか?)
ロナードは、訪ねて来てからずっと、自分と目を合わす事を避け、時々、何故か急にソワソワし始めたり、顔を赤らめたりするセネトに、困惑して居た。
(あわわわ……。 そんなに見ないでくれ。 あわわわ……。 ロナードが僕の事を好きだなんて……。 ロナードが僕の事を好きだなんて……。 ロナードが僕を―(以下略))
セネトは、自分の事を見ているロナードに気付くと、忽ち顔を真っ赤にして、思わず視界から彼を遮る様に顔を両手で覆い、俯いてしまった。
(コイツ等、何かあったのか?)
セネトのロナードへの反応を見て、シリウスはロナードとセネトを見ながら、戸惑いの表情を浮かべながら、心の中で呟く。
「ぶフッ……」
そこに、ハニエルが堪えきれなくなって、肩をプルプルと震わせながら、突然噴き出した。
「ハニエル。 今の会話の何処に、笑える要素があった?」
カルセドニ皇子は、ちょっとムッとした表情を浮かべ、訳も分からず急に吹き出したハニエルに言った。
「済みません……」
ハニエルは、必死に笑いを堪えながら、ちょっと怒っているカルセドニ皇子に言った。
「話を戻すが、聖女候補になる事はとても大変な事だ。 皇族や上位の貴族などを除き、その多くは寺院の修道女だ。 最低でも五年程はガイア神への奉仕が求められる」
カルセドニ皇子は、落ち着いた口調で、ロナードの問い掛けに答える。
「奉仕とは具体的にはどう言う……」
ロナードは、興味深そうに問い掛ける。
「一般的に言われる奉仕活動だな。 貧民や孤児の支援、公共事業への投資、孤児院や病院、寺院への寄付など、挙げればキリが無いが、単純に言えば公益となる事柄に対し、積極的に参加する事が求められる。 自らが現場で働く事も勿論だが、資金提供もそれに含まれる」
カルセドニ皇子は、帝国に来てまだ日の浅いロナードでも理解出来るよう、丁寧に説明をした。
「自分の娘が、聖女候補になると言うのは、貴族に限らず、一般市民にとっても大きなステータスになる。 娘たちにとってもそれは同じだ。 聖女候補になれば評判が上がり、結婚に有利に働くからな」
セネトが、淡々とした口調でそう付け加える。
(はわ~っ! こっち見んな~!)
セネトは、ロナードが自分の方を見て来たので、顔を真っ赤にして心の中で悲鳴を上げると、思わず顔を背けた。
「……」
セネトの態度に、ロナードは思わずムッとした表情を一瞬だけ浮かべた。
それは、皇女たちにとっても同じで、だからこそ、セネトたち兄妹とは腹違いの妹であるティティス皇女は、聖女選抜試験に参加していたのである。
「簡単に言えば、娘の婚活の一環として、ガイア神への奉仕をしていると言う訳なの」
ルチルが更に分かり易い様、そう説明を加えた。
「だからと言って誰でも出来る訳ではない。 それなりの財力も必要だし、何よりも、何年も奉仕を続ける根気強さも求められる。 一般人にはかなりの負担だろう」
セネトは、簡単に聖女選抜試験を棄権した、ティティス皇女の顔を思い浮かべながら、やりきれないと言った様子で、溜息混じりにそう言った。
「だから大抵は、金銭的に余裕がある、富豪や貴族がやっているって訳なの。 まあ、そうする事で他にもメリットがあるからと言うのもあるのだけれど……」
ルチルは、事務的な口調でそう付け加えると、肩を竦める。
「ただ修道女には、金銭的な事は関係ないないからな。 だから、聖女候補者の大半が、純粋に寺院に仕えている修道女と言う訳だ。 聖女候補になる事は、修道女たちにとっては、地位に上がる事と同義だからな」
カルセドニ皇子は、そう説明をすると、
「成程」
ロナードは、真剣な面持ちで呟く。
「選抜試験は、十年に一度くらいの間隔で行われる。 聖女候補として試験を受ける為には、その寺院の長の推薦状が必要となる。 受けられる年齢も十二歳以上二十五歳未満とされている。 だから基本的には、選抜試験を受けられるのは一度きりと言って良い。 十年も期間が開けば、その間に結婚する者が大半だからな」
カルセドニ皇子は更に詳しく、ロナードに聖女選抜試験について説明をする。
「聖女に認定された人たちは、どうなるのですか?」
ロナードは、興味深そうに問い掛けると、
「地位は司祭と同じくらいだ。 寺院の支部の長になったり、更なる高位の地位を目指したり……。 結婚したりと、人それぞれだが、女性で老子や大老子になる為には、まず聖女になる事は大前提だ」
カルセドニ皇子は、自分が知っている事を余す事無く、ロナードに教える。
「結婚出来るのですか?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら、カルセドニ皇子に問い掛ける。
(け、結婚……)
セネトは、心の中でそう呟くと、思わずロナードの方を見て、再び顔を真っ赤にすると、両手で自分の顔を覆う。
(さっきから、何をしているんだ? コイツは)
セネトの奇怪過ぎる動きに、シリウスは戸惑いの表情を浮かべながら、心の中で呟く。
相変わらずハニエルは、セネトが奇怪な行動をする度に、何がそんなに可笑しいのか、必死に笑いを堪えて居る。
イシュタル教会では基本的に、聖職者の婚姻は禁止とされている。
だから、ガイア神教も同じだと思って居たのだ。
「ああ。 結婚後も聖女として、ガイア神に仕える事も出来る。 収入は安定しているし、女性にとってはなかなか魅力的な職業だ。 現・大老子であるティアマト様も聖女時代に結婚され、その後に老子、大老子となられている」
カルセドニ皇子は、丁寧にロナードにそう教える。
「そう言った点から見ても、リリアーヌは正規の手順で聖女になった訳ではない事は、明らかだな」
セネトは、真剣な面持ちで呟く。
「明らかに、誰かしらの思惑が働いて、彼女を支援しているであろう事は明白ですね」
ギベオンが、神妙な面持ちでそう言うと、ルチルやセネトも頷いた。
「ああ。 流石にリリアーヌ一人の力では、限界があるだろうからな。 寺院の関係者の中に協力者が居る事は間違いないだろう」
シリウスも、真剣な表情を浮かべながら、自分の見解を語ると、ロナードも頷きながら、真剣な面持ちで、
「リリアーヌを聖女に推す事で、ティアマト大老子の退陣を早めたい……と言ったところか」
「そんな生易しいモノならば、良いのですが……」
ハニエルは、複雑な表情を浮かべながら言った。
「調べてはいるのだが、なかなか尻尾が掴めない」
カルセドニ皇子は、苦々しい表情を浮かべながら言うと、
「無理はなさらないで下さい。 兄上。 兄上が命を狙われる様な事があっては大変です」
セネトは、心配そうな表情を浮かべながら、カルセドニ皇子に言うと、ルチルも頷くと、
「セティの言う通りだわ。 リリアーヌの事は気にはなるけれど、彼女の事を調べていて、貴方の身に危険が及んでは、元も子もないです」
心配を隠せない様子で、カルセドニ皇子に言う。
「二人の言う通りです。 ご協力して頂いた事には感謝していますが、殿下は御身を第一にお考え下さい」
ロナードも、こんな事をして大丈夫なのだろうかと思って居たので、カルセドニ皇子にそう言うと、
「寂しい事を言うな。 ユリアス。 義理の弟に良からぬ事を働く輩だぞ? 素知らぬ顔など出来るものか」
カルセドニ皇子は苦笑いを浮かべながら、自分の事を心配しているロナードにそう返した。
「殿下……」
カルセドニ皇子の言葉に、ロナードはちょっと感激したのだが、その気持ちを踏み躙る様に、シリウスが尽かさず、
「コイツの言う事を真に受けるな。 ユリアス。 どうせ、『面白そうだ』と思っているに違いないのだからな」
物凄く冷めた口調で言い放った。
「酷いな。 純粋にお前の弟の事を心配しての事だと言うのに」
シリウスの言葉に、カルセドニ皇子は苦笑いを浮かべながら返す。
「お前が、他人を助ける時は大抵、不純な動機があるに決まっている。 私とハニエルを助けたのも、単純に使えると思ったからだろう?」
シリウスは、ジロリとカルセドニ皇子を睨みながら、淡々とした口調で言った。
「まあ、それは否定しないが、そのお陰で今のお前たちがあるのも事実だろう? 少しは感謝してくれても良いと思うがな」
カルセドニ皇子は肩を竦めると、飄々とした口調でシリウスに言ってから、不満そうな顔をする。
「十分に感謝していますよ。 だからこそ、殿下の懐刀として、誠心誠意お仕えしているではありませんか」
シリウスの代わりにハニエルが、ニッコリと笑みを浮かべながら、不満そうにしているカルセドニ皇子に言った。
「これが、感謝をしている人間の態度に見えるか? ふてぶてしいにも程があるだろ?」
カルセドニ皇子は、シリウスを指差しながら、不満そうにハハニエルにそう言い返すと、
「シリウスが素直では無いのは、殿下も良くご存知ではありませんか」
ハニエルは苦笑いを浮かべ、カルセドニ皇子にそう返した。
「ユリアス。 お前も、こんな偏屈な兄を持って大変だな?」
カルセドニ皇子は思わず、自分の隣に座っていたロナードに向って、気の毒そうに言う。
「ははは………」
思いがけず、自分に話を振られたロナードは、乾いた笑いを漏らし、誤魔化すしかなかった。
「そこは否定しろ」
シリウスは、ムッとした表情を浮かべながら、苦笑いを浮かべているロナードに言う。
「事実ですから、仕方ないですよ」
ハニエルは、苦笑いを浮かべながら、シリウスにそう言い返した。
「ハニエル。 お前まで……」
シリウスは、不満そうな様子でそう言うと、少し拗ねてしまった。
「セネト。 少し、良いか?」
話し合いが終わり、セネトが何故か自分に何も言わず、アルスワット公爵家を去ろうとしていたので、ロナードはそう言って彼女を呼び止めた。
「ろ、ロナード……」
セネトは何故か、物凄く焦った表情を浮かべている。
「セネト。 俺は何か、セネトを怒らせる様な事をしたか?」
ロナードは、真剣な表情を浮かべ、何処かソワソワしているセネトに問い掛ける。
「ち、違うんだ。 そう言うのじゃなくて……」
セネトは、ロナードが勘違いをしている事に焦り、慌ててそう言い返した。
「だったら何故、俺を避ける?」
ロナードは、表情を険しくして、強い口調でセネトに問い掛ける。
「それはその……」
ロナードに問質され、セネトは焦りと戸惑いの表情を浮かべ、口籠らせる。
「やっぱり、俺が何かしたんだろ?」
セネトの様子を見て、ロナードは真剣な顔をしてそう言い返す。
「違う!」
セネトは思わず、語気を強めてそう言い返す。
「こんな所で喧嘩か?」
シリウスがハニエルを伴い、玄関先で言い争っているロナード達に、淡々とした口調でそう声を掛けて来た。
「兄上……」
「そ、そう言う訳では……」
シリウスの問い掛けに、ロナードとセネトはハッとして、揃ってたじろぎながらそう呟く。
「セネト。 お前、今日は変だぞ?」
シリウスは、思い切り眉を顰めながら、たじろいで居るセネトに言った。
「御免。 ロナード。 お前が悪い訳じゃないんだ。 これは、僕自身の問題であって……兎に角、御免!」
セネトは、焦りの表情を浮かべながら、ロナードに向ってそう言うと、逃げる様にその場から走り去っていった。
「何だよそれ……」
何故か謝られ、訳の分からぬ事を言った後、いきなり走り去ったセネトの背中を茫然と見送りながら、ロナードは思わずそう呟いた。
そんな二人のやり取りを見ていたハニエルが、可笑しさのあまり耐えられなくなら、また吹き出した。
「不謹慎だぞ」
そんなハニエルに、シリウスが思い切り眉を顰め、そう言って窘めた。
「五月蠅いハエたちが君を追って、まさか帝都にまで来るとは、思っても居なかったよ」
カルセドニ皇子たちか去った後、入れ違う様に、宮廷魔術師の仕事を終えたルフトが、ちょっと疲れた様子でそう言いながら、近くのソファーに腰を下ろした。
「同感ですわ。 しかも、寺院の者が手を貸している可能性があるなんて……」
ルフト共に、ロナードの部屋を訪れたエルフリーデも、ウンザリしている様であった。
「頭が痛いよ……」
ルフトは、ゲンナリとした表情を浮かべそう言うと、両手で自分の頭を抱える。
「ずっとユリアスを、ここに閉じ込めておく訳にもいかないですものね……」
エルフリーデも、困った様な表情を浮かべながら、そう呟いた。
「ってユリアス。 何があったの?」
ルフトは、心此処にあらずと言った様子で、両手で頭を抱え、物凄く凹んでいるロナードに思わず問い掛ける。
「セネトに……嫌われたかも知れない……」
ロナードは、今にも泣きそうな顔をして、両手で頭を抱えたまま、情けない声で言った。
「は?」
「何をしたの?」
ロナードの言葉に、ルフトとエルフリーデは驚いて、思わずそう問い掛ける。
「何もしてない」
ロナードは、物凄く落ち込んだ様子でそう返した。
「いやいやいや。 何もしてなくて嫌われる訳が無いでしょ? 君が気付いていないだけなんじゃないの?」
ルフトは、戸惑いの表情を浮かべながら、ロナードにそう言った。
「良いから、昨日あった事を洗い浚い話しなさい」
エルフリーデが何時になく、真剣な表情を浮かべながらロナードに言った。
ロナードは仕方なく、エルフリーデとルフトに、昨日のパーティー会場でのセネトとのやり取りを事細かに話した。
「う~ん……。 君の話を聞いた限り、殿下は普通に帰った感じだけど……」
ルフトは、両腕を自分の前に組み、真剣な面持ちで呟く。
「一方だけの話だけでは、何とも言えないですけれど……。 少なくとも、貴方の話を聞く限り、殿下から嫌われる様な事をした様には思えませんわ」
エルフリーデも、真剣な表情を浮かべながら、ロナードに言う。
「そうだよな?」
ロナードは、すっかり困惑してしまっている様で、溜息混じりに言う。
「でも、女の子の気持ちって複雑だからねぇ……。 何が切っ掛けで怒るか、分からない事があるから……」
ルフトは、複雑な表情を浮かべながら、常々、自分が感じている事を口にする。
「確かに……」
ロナードも、物凄く真剣な顔をして頷く。
「でも、殿下は去り際に、貴方は悪くない。 自分自身の問題だと仰ったのでしょう?」
エルフリーデは、ロナードとセネトのやり取りを思い出しながら、落ち着いた口調でロナードに問い掛けると、
「ああ」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら、頷く。
「ならば、本当にその言葉通りの理由ではなくって? 殿下は恋愛に関して、駆け引きとなど、しそうにありませんもの」
エルフリーデは、落ち着いた口調で自分の考えを述べるが、ロナードの反応はイマイチだ。
「う~ん。 そうだとしたら、君が殿下に好きとアピールし過ぎて、誰かにからかわれて、妙に君の事を意識してしまっているとか? それか、君がアピールしてくる事が、ウザいと思ってしまったか……」
ルフトは、天を仰ぐ様にして少し考えてから、思い付いた事をロナードに言うと、彼は物凄く複雑な表情を浮かべる。
「でも、見た限りでは、嫌そうではありませんでしたわよ?」
エルフリーデは、最近のセネトの様子を思い出しながら、ルフトにそう指摘すると、
「僕もそう思うけれど……」
ルフトも、物凄く微妙な表情を浮かべながら言う。
「そうですわねぇ……。 取り合えず、好きだと殿下にアピールする事を、控えてみては如何?」
エルフリーデは、少し考えてから、ロナードにそうアドバイスをする。
「そうだね。 それで少し様子を見てみたら?」
ルフトも、真剣な面持ちでそう言った。
「分かった。 そうしてみる」
ロナードは、真剣な表情を浮かべ、二人のアドバイスを素直に受け入れる姿勢を見せた。
「全く……。 貴方って本当に色恋沙汰に関しては、ダメダメですわね?」
エルフリーデは、少し呆れた様な表情を浮かべながら、ちょっと意地悪くロナードに言った。
「済まない……」
ロナードは、叱られた犬ぬの様に、シュンとした顔をしてそう返した。
「仕方が無いよ。 エフィ。 ユリアスはずっとイシュタル教会に追われながら傭兵として、それこそ生きる為に必死で、僕たちの様に恋なんてする暇なんて無かっただろうから」
そんなロナードを見て、ルフトは苦笑いを浮かべながら、エルフリーデに言う。
「そうね。 今のは少し無神経でしたわ。 御免なさい」
ルフトの言葉に、エルフリーデも流石に申し訳なくなり、ロナードに向ってそう謝罪した。
「いや。 事実だから仕方がない」
ロナードは、苦笑いを浮かべながら、バツの悪そうな顔をしているエルフリーデに言う。
「まあ、そんなに落ち込まないで」
ルフトは、苦笑いを浮かべながら、まだ落ち込んでいる様子のロナードに言う。
「そうですわ。 恋愛で勘違いやすれ違いなんてモノは、良くある事ですもの」
エルフリーデも、優しい口調でそう言って、ロナードを慰める。
「そうそう。 僕も勘違いされて、エフィから鉄拳を食らった事、何度かあるし」
ルフトは、苦笑いを浮かべながら、過去に経験した事をサラリとカミングアウトした。
「うう……。 それは謝ったでしょう?」
ルフトの言葉に、エルフリーデはバツの悪そうな顔をして、彼にそう言い返した。
「まあ、嫉妬をしてくれるウチが華なんだよ。 きっと。 本当に僕の事をどうでも良かったら、嫉妬すらしてくれないだろうからね」
ルフトは、そんなエルフリーデを優しく見ながら、穏やかな口調で自分なりの恋愛観を語った。
「確かに……」
ロナードは、ルフトの言う事も一理あると思い、そう言って頷いた。
「修復なんて幾らでも出来ますわよ。 何方かが諦めてしまわない限りは」
エルフリーデは、ニッコリと笑みを浮かべながら、優しい口調でロナードに言う。
「そうだよ。 君たちの場合は多分、軽症だろうから、時間が経てば元に戻ると思うよ」
ルフトもニッコリと笑みを浮かべながら、優しい口調でロナードに言う。
「そうだと良いが……」
ロナードは、不安そうな表情を浮かべながら呟く。
「大丈夫。 大丈夫」
ルフトはそう言うと、自信なさそうにしているロナードの肩をポンポンと軽く叩く。
「また、何かあったら、私たちが力になりますわ。 だから、そんなに悩む必要は無くってよ」
エルフリーデは、何時になく弱腰のロナードに優しい口調でそう言って励ます。
「済まない。 エルフリーデ。 ルフト」
ロナードは、申し訳なさそうに、二人に向かってそう言った。
「って……僕たち、そんな話をする為に、此処に来たんだったけ?」
ルフトはふと、自分たちが本来の目的とは違う事を話し合っている事を思い出し、隣に座っているエルフリーデに小声で問い掛ける。
「何か、今後の大事な事を話し合うつもりだった筈よ」
エルフリーデは『はて?』と言う様な表情を浮かべながら、ルフトに還す。
「って、アイリッシュ伯たちの事をどうするか、話し合いに来たんだよ」
ルフトは、自分たちが此処へ来るまでの間、何を話していたかを思い出し、ポンと手を叩いてから、エルフリーデにそう言うと、
「ああ。 そうでしたわね」
彼女も、『そう言えば、そうだったわ』と言う様な顔をして、そう返してから、
「でも、今のユリアスにしてみれば、アイリッシュ伯たちの事よりも、セレンディーネ様の事の方が、重大な様ですわ」
こっそりと、そう付け加えた。
「確かに」
エルフリーデの言葉を聞いて、ルフトは苦笑いを浮かべながら呟く。
「やれやれ。 相変わらず、ユリアスは隠れんぼが上手い子で困りますね……。 やっとの事で住まいを突き止めたと言うのに、既に雲隠れした後だったとは……」
アイリッシュ伯は、溜息混じりにそう呟いた。
「ここの街に入る事さえ出来れば、ユリアスの魔力を感知出来ると思ったのに、気持ち悪い位、ユリアスの魔力が感知出来ないなんて……。 一体、どんな手を使っているんだか……」
アイリッシュ伯の弟子であるセネリオも、残念そうに呟いた。
「多分、アルスワット公爵家が、匿っているんだろうけど……」
彼等と行動を共にしている、イシュタル教会の術師カリンは、自分の髪を弄りながら言う。
「アルスワット公爵家って、ティルミット公爵と並ぶ、帝国では一、二を争う魔術師の名家やって話やで? そんな所からどうやって、ユリアスを連れ戻すんや?」
床の上に胡坐をかき、槍の手入れをしているランが、徐にそう問い掛ける。
「出て来ないのなら、出てくる様に仕向ければ良いと思います」
優雅に紅茶を飲んでいたリリアーヌは、徐にティカップを置くと、落ち着いた口調で言った。
「いやいや……。 簡単に言うけどな相手は伯爵やで? しかも、皇女様の婚約者や。 幾らアンタが聖女様だからって、手紙で呼び付けようとしても、よう分からん女の手紙なんて、当人の手に渡る前にビリビリに破られて、燃やされるのがオチやで?」
ランは、恐ろしく楽観的に言うリリアーヌに、戸惑いの表情を浮かべながら言った。
「そうね。 気の利いた執事なら、その位の事はするでしょうね」
カリンも、軽く溜息を付いてから、淡々とした口調で言う。
「せや。 婚約者が居るのに、他の女と会う様な真似、周りがさせる訳が無いからな」
ランは、槍の刃の部分の摩耗具合を確認しながら、落ち着いた口調で言う。
「仮に、ユリアスちゃんが手紙を見たとしても、アンタに会わなきゃいけない理由なんて、向こうにはないでしょ? 嫌われてるんだから」
カリンは、リリアーヌに向かって、意地悪くそう言うと、肩を竦める。
「私……ユリアスに嫌われているのですか?」
リリアーヌは、ショックを隠せない様子で、声を震わせながらカリンに問い掛ける。
「は?」
「え……」
彼女の思わぬ言動に、ランとカリンは目を点にして、思わずそう呟いた。
「セネリオ。 そうなのですか?」
リリアーヌは目元に涙を溜め、助けを求める様な視線を隣に座っていたセネリオに向け、そう問い掛けた。
リリアーヌに問い掛けられ、セネリオは一瞬たじろいだが、直ぐに落ち着きを取り戻し、
「まぁ……。 他の女の子と婚約しちゃってるし……。 好きとか、嫌いとか言う以前に、会う事は許されないよね……」
淡々とした口調でそう答えた。
「そんな、オブラートに包んで言わんで、ハッキリ言うてやり! 『アンタ、嫌われとるで!』って!」
セネリオの物言いに、ランがイラッとして、思わず強い口調で彼にそう言い返した。
「何をどう捉えたら、まだ、ユリアスちゃんがアンタの事を好きだって結論に辿り着くのよ? どう考えたって、嫌われる様な事しかしてないじゃない」
カリンも、呆れた表情を浮かべ、泣きそうな顔をしているリリアーヌに対し、淡々とした口調で言った。
「せや。 前に会った時も、アンタの事、悪魔でも見るかの様な目で見とったやろ。 メッチャ怯えとったし。 それに気付かへんとか、何処に目ぇ付いとるんや?」
ランは頷きながら、かなり呆れた様子でリリアーヌに言うと、彼女はウルウルと目を潤ませ、
「そんな……。 酷い。 酷いです! 幾らあなた方もユリアスの事が好きだからって、そんな言い方、あんまりです!」
彼女たちにそう言い返すと、両手で自分の顔を覆い、ワッと泣き出してしまった。
「は?」
「頭に虫、湧いとるんとちゃうか?」
リリアーヌの言動に、カリンとランは呆れた様子で、物凄く冷めた視線を彼女に向けながら、淡々とした口調でそう呟いた。
「流石に、リリアがユリアスの事が好きだからって、他の人達もそうだとは限らないと思うよ。 好みは、人それぞれって言うし」
セネリオは苦笑いを浮かべながら、自分の隣で肩を震わせて泣いているリリアーヌに、優しい口調でそう言って慰める。
「そうなのですか?」
彼女はバッと顔を上げると、物凄く意外そうな様子でセネリオに問い掛けた。
「いや、普通、そうやろ……。 何でウチが、あんな軟弱そうな優男を好きにならんといかんねん? 好みや無いわ」
彼女の反応に、ランはドン引きしながら、かなり嫌そうな様子でそう言った。
「カリンはぁ、ユリアスちゃん、顔はドストライクだけどぉ。 嗜好が合わないから無理」
カリンは、自分の人差し指を頬に添え、ぶりっ子口調でそう言うと、ニッコリと笑みを浮かべる。
「ドSなアンタの相手なんて、余程のドMしか務まりはせぇへんやろ……。 下手したらアンタに殺されるがな」
ランは、そんなカリンに冷ややかな視線を向け、物凄く冷たく言い放った。
「酷い! カリンの事、可愛いって言ってくれる人、一杯いるもん!」
カリンはムッとした表情を浮かべ、強い口調でランに言い返す。
「そりゃ見た目だけや。 アンタの本性知ったら、どんだけの男が残ると思っとるねん? ミジンコ程度にしか居らへんで」
ランは肩を竦めながら、何処か馬鹿にした様な口調で言う。
「まあ、貴女は特殊な嗜好をお持ちですからね」
そんな彼女たちのやり取りに、アイリッシュ伯が紅茶を啜りながら、何食わぬ顔でそう言った。
「そりゃ、アンタもやろ!」
「アンタにだけは、言われたくないわ!」
ランとカリンは思わず、強い口調でそう反論すると、アイリッシュ伯は物凄く驚いた顔をして、目をパチクリさせている。
「ああ良かった。 ユリアスを好きなのは、私だけなのですね?」
リリアーヌは涙をハンカチで拭いながら、物凄くホッとした表情を浮かべながら言った。
「………」
彼女の反応に、ランとカリンは何とも言えない微妙な顔をして、お互いの顔を見合わせた。
(この聖女様、やっぱ頭可笑しいわ)
(マジ、この女ムリ)
そして、それぞれに心の中でそう呟いた。
「要は、断れない様な事を、お願いしたら良いのですよね?」
リリアーヌは、ニッコリと笑みを浮かべ、落ち着いた口調でラン達に言った。
「え。 まあ……。 それに越した事は無いやろうけど……」
ランは、戸惑いの表情を浮かべながら、そう返すと、
「大丈夫です。 ちゃんとユリアスを呼び出せます」
リリアーヌは、何故そんなに自信に溢れているのか分からないが、ニッコリと笑みを浮かべたまま、戸惑っている彼女たちに向かってそう言い放った。
「……ホンマかいな……」
ランは、そんな彼女に対し、一抹の不安を抱き、思わずそう呟いた。




