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DRAGON SEED 2  作者: みーやん
16/27

嵐の前

主な登場人物


ロナード(ユリアス)…召喚術(しょうかんじゅつ)と言う稀有(けう)な術を(あつか)えるが(ゆえ)に、その力を()が物にしようと(たくら)んだ、(かつ)ての師匠(ししょう)に『隷属(れいぞく)』の呪いを掛けられている。 その呪いを()(ため)、エレンツ帝国(ていこく)を目指している。 漆黒(しっこく)の髪に紫色の双眸(そうぼう)特徴的(とくちょうてき)な美青年。 十七歳。


セネト(セレンディーネ)…エレンツ帝国(ていこく)皇女(こうじょ)。 とある事情(じじょう)から(のが)れる(ため)、シリウスたちと行動(こうどう)を共にしている。 補助(ほじょ)魔術(まじゅつ)得意(とくい)とする魔術(まじゅつ)()。 フワリとした癖のある黒髪(くろかみ)琥珀(こはく)色の大きな(ひとみ)特徴的(とくちょうてき)な女性。 十九歳。


シリウス(レオフィリウス)…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在(じざい)(あやつ)る剣士だが、『封魔(ふうま)(がん)』と言う、見た相手(あいて)魔術(まじゅつ)の使用を(ふう)じる、特殊(とくしゅ)(ひとみ)を持っている。 長めの金髪(きんぱつ)に紫色の双眸(そうぼう)を持つ美丈夫(びじょうぶ)。 二二歳。


ハニエル…傭兵業(ようへいぎょう)をしているシリウスの相棒(あいぼう)鷺族(さぎぞく)と呼ばれている両翼人(りょうよくじん)。 治癒(ちゆ)魔術(まじゅつ)薬草学(やくそうがく)得意(とくい)としている。 白銀(はくぎん)長髪(ちょうはつ)と紫色の双眸(そうぼう)を有している。 物凄(ものすご)い美青年なのだが、笑顔(えがお)を浮かべながらサラリと(どく)()く。


ティティス…セネトの(はら)(ちが)いの妹。 とても傲慢(ごうまん)自分勝手(じぶんかって)な性格。 家族内で立場の弱いセネトの事を見下(みくだ)している。 十七歳。


ルチル…帝国(ていこく)第三(だいさん)騎士団(きしだん)隊長(たいちょう)(つと)めている女性。 セネトと幼馴染(おさななじみ)。 今はティティスの護衛(ごえい)(にん)()いている。 二十歳(はたち)


ギベオン…セネト専属(せんぞく)護衛(ごえい)騎士(きし)。 温和(おんわ)生真面目(きまじめ)な性格の青年。 二十五歳。


ルフト…宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)(ちょう)サリアを母に持ち、魔術師(まじゅつし)の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟(いとこ)に当たる。 二十歳。


ナルル…サリアを(あるじ)とし、彼女とその家族を守っている『獅子族(シーズーぞく)』と人間の混血児(こんけつじ)。 とても社交的(しゃこうてき)な性格をしている。


ネフライト…第一側(だいいちそく)()息子(むすこ)でティティスの同腹(どうふく)の兄。 皇太子(こうたいし)地位(ちい)にあり、現在(げんざい)、次のエレンツ帝国(ていこく)皇帝(こうてい)の座に(もっと)も近い人物(じんぶつ)


リリアーヌ…イシュタル教会で『聖女(せいじょ)』と呼ばれている召喚術(しょうかんじゅつ)を使えるシスター。 ロナードが教会の孤児院(こじいん)に居た(ころ)、親しくしていた。 ロナードに対する恋心(こいごころ)(こじ)らせ、彼への強い執着(しゅうちゃく)(しん)を抱いている。


エルフリーデ…宮廷(きゅうてい)魔術師(まじゅつし)をしている伯爵(はくしゃく)令嬢(れいじょう)で、ルフトの婚約者(こんやくしゃ)。 ルフトの母であるサリアの事をとても(した)っている


カルセドニ…エレンツ帝国(ていこく)第一(だいいち)皇子(おうじ)でセネトの同腹(どうふく)の兄。 寺院(じいん)(せい)騎士(きし)をしている。 奴隷(どれい)だったシリウスとハニエルを助け、自由の身にした人物。


アイク…ロナードの専属(せんぞく)護衛(ごえい)をしている寺院(じいん)暗部(あんぶ)所属(しょぞく)していた青年。 気さくな性格をしている。


カナデ…ロナードを当主(とうしゅ)とするリュディガー伯爵家(はくしゃくけ)家令(かれい)をしている青年。 元は、エレンツ帝国からの独立(どくりつ)戦争(せんそう)(やぶ)れた王国の王族。 ロナードの力に目を付け、祖国(そこく)復興(ふっこう)(ため)に利用しようと誘拐(ゆうかい)した事がある。

「いゃあ。 見物(みもの)だったな」

セネトは、可笑(おか)しそうにクスクスと笑いながら、テーブルを挟んで向かいのソファーに座っているロナードに言った。

「まあ、自業自得(じごうじとく)だからな。 兄上に何をされても文句(もんく)は言えない」

ロナードは、落ち着き払った口調(くちょう)で返す。

 二人が何について言っているかと言うと、この屋敷(やしき)の前の(あるじ)であったロナードの兄シリウスの家令(かれい)をしていた男が資産(しさん)横領(おうりょう)し、高級娼館(こうきゅうしょうかん)に入り(びた)り、豪遊(ごうゆう)三昧(ざんまい)をし、贔屓(ひいき)にしている娼婦(しょうふ)金品(きんぴん)(みつ)いでいた事が、新たにこの屋敷(やしき)家令(かれい)となったカナデの働きにより明るみになった(けん)だ。

 カナデを新たな家令(かれい)()えるよう助言(じょげん)したのは、ロナードの後見人(こうけんにん)にもなっている、アルスワット公爵家(こうしゃくけ)当主(とうしゅ)サリアだ。

 彼女からの話を聞いて()ぐに、カナデは旧・ノヴァハルト(てい)(おもむ)いて、そこで働く使用人(しようにん)たちに家令(かれい)がやっている事を話し、協力(きょうりょく)(あお)いだ結果、家令(かれい)横領(おうりょう)証拠(しょうこ)隠滅(いんめつ)する前に、それ()入手(にゅうしゅ)する事に成功(せいこう)し、ロナードが新たな(あるじ)として来て早々に、呆気(あっけ)なく片付(かたづ)けられた。

 横領(おうりょう)証拠(しょうこ)を見せられた、ロナードの兄で前の屋敷(やしき)所有者(しょゆうしゃ)だったシリウスは怒り(くる)い、横領(おうりょう)をした家令(かれい)をボコボコにしたのだ。

 結局(けっきょく)、シリウスにボコボコにされ、その後も終始(しゅうし)、彼に威圧(いあつ)されて命の危険(きけん)を感じたのか、横領(おうりょう)をした家令(かれい)素直(すなお)(つみ)(みと)め、聞いてもいない事まで洗い(ざら)い話してくれた。

 当然(とうぜん)、彼は犯罪者(はんざいしゃ)として牢屋(ろうや)投獄(とうごく)され、裁判(さいばん)を待つ身となった。

 一応(いちおう)、形だけの裁判(さいばん)非公開(ひこうかい)で行われるらしい。

「まさか、こんなに早く解決(かいけつ)するとは思わなかった。 カナデが使用人(しようにん)たちに協力(きょうりょく)(あお)いでくれたお(かげ)だな」

ロナードは、落ち着き払った口調(くちょう)で言うと、侍女(じじょ)(そそ)いだ紅茶(こうちゃ)一口(ひとくち)(すす)る。

「お役に立てて何よりです」

カナデはニッコリと笑みを浮かべながら、ロナードにそう返した。

 その様子(ようす)を、アイクが面白(おもしろ)く無さそうな顔をして見ている。

「カナデには引き続き、この屋敷(やしき)家令(かれい)の仕事をして(もら)う」

セネトは、落ち着いた口調(くちょう)で言うと、アイクが不満(ふまん)に満ちた表情を浮かべ、

家令(かれい)横領(おうりょう)一件(いっけん)(かぎ)っての事ではなかったんですか?」

(ぼく)もそう思って居たのだが、どうやら、サリアはこのまま、カナデをリュディガー家の家令(かれい)にする気で居る様だ」

セネトが、落ち着いた口調(くちょう)で言うと、

「前に、オレに言った言葉、有効(ゆうこう)ですよね?」

アイクは、真剣(しんけん)な表情を浮かべながら、カナデに問い掛けると、

(わたし)が少しでも、(あや)しいと思った場合は、切り捨てて(かま)わないという話の事ですか?」

彼は、落ち着いた口調(くちょう)でアイクに返す。

「そうです」

アイクが真剣(しんけん)な顔で言うと、

「お言葉ですが、そう言う貴方(あなた)も、(わたし)大差(たいさ)ない立場だと思うのですか?」

カナデが、アイクを挑発(ちょうはつ)するかのように、苦笑(にがわら)いを浮かべながら言うと、彼はムッとした表情を浮かべ、

「オレは、自分の判断(はんだん)でネフール老子(ろうし)見限(みかぎ)って、殿下(でんか)臣下(しんか)になったのだから、貴方(あなた)とは(ちが)いますよ」

少し語気(ごき)を強めて言い返した。

貴方(あなた)はそう思って居ても、周囲(しゅうい)の人達はそうは思って居ないのでは? 寺院(じいん)のスパイなのではないかと、そう考える人も居る(はず)です」

カナデは、苦笑(にがわら)いを浮かべたまま、アイクにそう指摘(してき)する。

(ちか)って、寺院(じいん)のスパイなどではないですよ!」

アイクは、ムッとした表情を浮かべたまま、強い口調(くちょう)でカナデに言い返す。

「口ではどうとでも言えますよ?」

カナデは、(さら)にアイクを(あお)る様に、苦笑(にがわら)いを浮かべたまま、嫌味(いやみ)たっぷりに言った。

 カナデの挑発(ちょうはつ)(てき)言動(げんどう)に、アイクはカチンと来て、(さら)に言い返そうと口を開きかけた時、

「二人とも()めないか」

ロナードが、ゲンナリした表情を浮かべながら、感情的(かんじょうてき)になりつつあった二人を(いさ)めてから、

「お前たちは、知り合って間もないのに信用も(くそ)も無いだろ。 お(たが)い、意味のない腹の探り合いをしている(ひま)があったら、少しでも周囲(しゅうい)からの信用を得る(ため)の努力をした方が良いんじゃないのか?」

溜息(ためいき)()じりに、静かにそう言った。

 ロナードの指摘(してき)に、二人とも(しか)られた犬の様に、シュンとした表情を浮かべ、口を(つぐ)んだ。

「ロナードの言う通りだ。 下らない言い争いをしている(ひま)があったら、二人とも仕事をしろ」

セネトも、軽く溜息(ためいき)を付いてから、淡々とした口調(くちょう)で二人に言った。


(まい)ったな……カナデとアイクが、ここまで折り合いが悪いとは思わなかった」

二人が部屋を()った後、ロナードは、ゲンナリとした表情を浮かべ、セネトにそう愚痴(ぐち)る。

「まあ、アイクの言い分は(もっと)もだが、それを当人(とうにん)の前で言うのは、ちょっとな……。 カナデも言い返したくもなるのも無理(むり)はない」

セネトは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら、ロナードにそう返す。

「アイクもカナデも、悪い子じゃないゾ?」

護衛(ごえい)に残ったナルルが、侍女(じじょ)が用意した菓子(かし)頬張(ほおば)りながら言う。

「二人とも、変に頑固(がんこ)な所があるからな。 何方(どちら)かが折れれば良いのだが、どうもお(たが)いに(かぎ)っては、譲歩(じょうほ)する気は無い様だ」

ロナードは、深々と溜息(ためいき)を付きながら言う。

「そう言うお前は、カナデの事を信用したのか?」

セネトは、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで問い掛けると、

「……家令(かれい)一件(いっけん)に関しては異論(いろん)はない。 だからと言って、信頼(しんらい)出来(でき)るかと言われたら、素直(すなお)(うなず)けないな」

ロナードは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべ、重々しい口調(くちょう)で語る。

同感(どうかん)だ。 引き続き、注意深く見る必要性(ひつようせい)があるな」

セネトは(うなず)き返し、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで言うと、ロナードも真剣(しんけん)面持(おもも)ちで(うなず)き返した。

「ナルル」

ロナードは(おもむろ)に、ナルルに声を掛ける。

「なんだゾ?」

ナルルは相変(あいか)わらず、焼き菓子(かし)口一杯(くちいっぱい)頬張(ほおば)りながら返事をする。

「アイクとカナデが、お(たが)いの足を引っ張り合おうとした時は、止めてくれ」

ロナードは、真剣(しんけん)面持(おもも)ちでそう言うと、ナルルは口一杯(くちいっぱい)頬張(ほおば)っていた焼き菓子(かし)を飲み込んで、口の中をクリアにした後、

「分かったゾ。 その時は二人の頭と頭をゴッツンコさせるゾ」

「あ、ああ………」

ロナードは、少し戸惑(とまど)いながらも返事をし、

(それで、止めてくれたら良いが……)

心の中でそう(つぶや)いた。

「ナルルがしたら、二人とも頭が柘榴(ざくろ)になるんじゃないか?」

セネトが苦笑(にがわら)いを浮かべながら、そう指摘(してき)すると、

「確かに……」

ロナードも、苦笑(にがわら)いを浮かべながら言うと、ナルルはムッとした表情を浮かべ、

「そこまで強くしないゾ! ちょ~っとゴツンって……」

強い口調(くちょう)でそう言い返す。

「……『ゴツン』って言っている時点(じてん)で、ちょっとじゃないだろ……」

セネトは笑いながら言うと、ロナードも苦笑(にがわら)いを浮かべ、

(いた)そうな状況(じょうきょう)しか、思い浮かばないんだが」

そう言って、二人が頭を(かか)え、苦悶(くもん)に満ちた表情を浮かべて(うずくま)る姿を想像してしまったので、思わずフフッと笑みを(こぼ)した。

大丈夫(だいじょうぶ)だゾ! 二人の頭が割れない程度(ていど)にするゾ!」

ナルルは真剣(しんけん)な顔をして、そう力説(りきせつ)するので、セネトは可笑(おか)しくなって声をあげて笑う。

(この人に(まか)せて、大丈夫(だいじょうぶ)なのだろうか……)

部屋に(ひか)えていた使用人(しようにん)の一人が、物凄(ものすご)く不安そうな表情を浮かべ、心の中でそう(つぶや)きながら、ナルルを見る。

「ところでナルル。 そこにあった菓子(かし)は?」

セネトはふと、皿に山盛(やまも)りにあった(はず)の焼き菓子(かし)が無くなっている事に気が付き、(おもむろ)にナルルに問い掛けると、

「え?」

ナルルは、キョトンとした表情を浮かべ、セネトの方を見る。

「『え?』じゃない。 焼き菓子(かし)があっただろう?」

セネトは、真剣(しんけん)な表情を浮かべながら、ナルルにそう問い掛けると、

「えっと……」

彼女は、困った様な表情を浮かべ、口籠(くちごも)らせる。

「まさか、(ぼく)がロナードと話している間に、全部食べてしまったのか?」

セネトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら、ナルルに問い掛ける。

「良く分からないけど、無くなったゾ」

ナルルは開き(なお)り、ニコッと笑みを浮かべながら、そう言い放った。

 それには、部屋に居た使用人(しようにん)侍女(じじょ)、そしてロナードも思わず、可笑(おか)しくて吹き出した。

「はぁあああ? 後で食べようと思って居たのに!」

セネトは、(いか)りを(あら)わにして、強い口調(くちょう)でナルルに言うと、

何時(いつ)の間にか、無くなってたゾ」

ナルルは、困った様な表情を浮かべながら、(おこ)っているセネトに言った。

「それは、お前が食べたからだろ……」

ロナードは、(あき)れた表情を浮かべながら、ナルルに言う。

「はぁあああ? 信じられない! 有り得ないだろう? 普通(ふつう)!」

セネトは、益々怒りの色を()くし、思わずソファーから立ち上がり、強い口調(くちょう)でナルルに言う。

「ナルルの普通(ふつう)と、(おれ)たちの普通(ふつう)は違うのだと、いい加減(かげん)に気が付けよ……」

ロナードは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら、後で食べようと思っていた焼き菓子(かし)を食べられてしまい、怒っているセネトにそう言って(なだ)める。

「だって……。 ほんの少しの間に、全部食べてしまうなんて、あんまりじゃないか……」

セネトはショックを(かく)せない様子(ようす)で、肩を落とし、落ち込んだ様子(ようす)で呟くと、ポスッと力なくソファーに(こし)を下ろした。

「また、作って(もら)えば良いだろう?」

ロナードは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら、(やさ)しい口調(くちょう)でセネトを(なぐさ)めていると、不意(ふい)廊下(ろうか)からノックする音がしたので、彼は返事すると、執事(しつじ)(ちょう)のモリスが物凄(ものすご)困惑(こんわく)した表情を浮かべながら、しずしずと部屋の中に入って来て、

「あの……」

おずおずと、切り出す。

「どうした?」

モリスが、困惑(こんわく)した様子(ようす)(くず)さないのを見て、ロナードは真剣(しんけん)面持(おもも)ちで問い掛ける。

「表に、ティティス皇女(こうじょ)さまが乗られた馬車がいらしてますが、如何(いか)(いた)しましょう?」

モリスは、困惑(こんわく)した表情のまま、(なか)ば助けを求める様にロナードに言った。

「は?」

モリスの言葉を聞いて、ロナードは思わず目を点にし、間の抜けた声を上げた。

何故(なぜ)、ティティスが此処(ここ)に?」

セネトも、困惑(こんわく)(かく)せない様子(ようす)で呟く。

「理由は良く分かりませんが、ご主人(しゅじん)(さま)にお会いしたいと(おっしゃ)っています」

モリスは、(ひたい)に浮かんだ汗をハンカチで(ぬぐ)いつつ、(こま)()てた様子(ようす)でそう語る。

 ロナードとセネトは思わず、お(たが)いの顔を見合わせた。

 ティティス皇女(こうじょ)が、この屋敷(やしき)に来る理由が(まった)く思い当たらない。

 ロナードもセネトも(いや)予感(よかん)しかしなかった。

招待(しょうたい)した(おぼ)えはない。 追い返せ」

やがて、ロナードは特大(とくだい)溜息(ためいき)を付くと、落ち着いた口調(くちょう)でモリスに言った。

「し、しかし……」

モリスは、(あせ)りの表情を浮かべながら、ロナードに返す。

 皇族(こうぞく)門前払(もんぜんばら)いにするなど、前代(ぜんだい)未聞(みもん)の事である。

婚約者(こんやくしゃ)(ぼく)が居るのだぞ? 何より、婚約者(こんやくしゃ)がいる男性の下に、婚約者(こんやくしゃ)すら居ない(むすめ)(まね)き入れる方が問題だろ。 後で、どの様な(うわさ)を立てられるか、分かったものじゃないぞ」

セネトは、真剣(しんけん)な表情を浮かべ、強い口調(くちょう)でモリスにそう言った。

 セネトの言う事は(もっと)もで、非常識(ひじょうしき)な事をしているのはティティス皇女(こうじょ)の方だとは、重々承知をしているが、それでも、皇女(こうじょ)に『帰れ』と言うのは、モリスにとって断頭(だんとう)(だい)に立つに(ひと)しい事であった。

「セネトの言う通りだ。 用事があるのならば、(おれ)の方から宮廷(きゅうてい)出向(でむ)くと伝えろ」

ロナードが、落ち着き払った口調(くちょう)で、躊躇(ためら)っているモリスに言って居ると、廊下(ろうか)の方が何やら(さわ)がしい。

「こ、困ります! 勝手に入られては!」

そう叫ぶ、若い使用人(しようにん)の声が廊下(ろうか)(ひび)く。

何故(なぜ)? (わたくし)皇女(こうじょ)なのよ?」

廊下(ろうか)の方から、不満(ふまん)に満ちた若い女の声が、()ぐに返って来る。

その声を聞いただけで、ロナードとセネトは(だれ)が来たのか直ぐに分かった。

来客中(らいきゃくちゅう)です」

別の使用人(しようにん)(あせ)った声が、(とびら)(はさ)んで直ぐ側で聞こえてくる。

「そんなの、向こうが遠慮(えんりょ)したら良いだけの話でしょ」

若い女性が、(あせ)っている使用人(しようにん)たちにそう返してから、

「開けなさい」

扉の前に立つ兵士(へいし)に向かって、物凄(ものすご)く上から目線で言い放つのが聞こえた。

出来(でき)ません」

「お引き取りを」

扉の前に居た兵士(へいし)が、硬質的(こうしつてき)口調(くちょう)で言い返す。

貴方(あなた)たち、(だれ)に向かってその様な事を言っているの? (わたくし)はこの国の皇女(こうじょ)よ。 私に(さか)らうつもり?」

不快(ふかい)さに満ちた若い女性の怒鳴(どな)り声が響いた。

 扉の前にいる兵士(へいし)は、ただ自分たちの職務(しょくむ)(まっと)うしているだけだと言うのに、何故(なぜ)、この様な(おど)しを受けねばならないのか、(まった)()って理不尽過(りふじんす)ぎる。

「あっ。 ちょっと……」

扉の兵士(へいし)制止(せいし)する声と共に、ゆっくりと扉が開かれる。

 どうやら、女性自身が兵士(へいし)制止(せいし)も聞かず、勝手に自分で扉を開けた様だ。

「ご機嫌(きげん)よう。 リュディガー伯爵(はくしゃく)。 この度は、皇帝(こうてい)であるお父様から爵位(しゃくい)(たまわ)った事、心からお祝い(いた)しますわ」

(みずか)ら扉を開き、ツンと()ました顔でツカツカと部屋の中に入って来ると、部屋の中央に置かれたテーブルを囲む様に置かれたソファーに座っていたロナードを確認すると、彼女はドレスの両裾(りょうすそ)(つま)まみ上げ、そう言って優雅(ゆうが)に腰を折り、そう言い放ってきた。

 それには、その場に居合(いあ)わせた(だれ)もが、彼女の非常識(ひじょうしき)行動(こうどう)茫然(ぼうぜん)とする。

「ティティス……」

セネトが、思わず自分の(ひたい)片手(かたて)()え、ゲンナリした表情を浮かべながら(つぶや)く。

「あら。 お姉さま。 いらしていたの?」

ティティス皇女(こうじょ)は、居る事は分かっている(はず)なのに、(わざ)とらしく、そして見下(みくだ)した様な口調(くちょう)でそう言った。

非常識(ひじょうしき)だぞ! ティティス。 事前(じぜん)連絡(れんらく)もせずに(おとず)れた挙句(あげく)(あるじ)許可(きょか)も無く、勝手に屋敷(やしき)に上がり込むなど!」

セネトは、その言動(げんどう)にカチンと来て、語気(ごき)を強め、ティティス皇女(こうじょ)にそう言って注意をした。

「そう言うお姉さまだって、上がり込んでいるじゃない」

ティティス皇女(こうじょ)は、(まった)く意に(かい)さない様子(ようす)で、見下(みくだ)した様な口調(くちょう)で言うと、鼻で笑う。

(ぼく)は、ちゃんと事前(じぜん)連絡(れんらく)をした上で、了承(りょうしょう)を得て訪問(ほうもん)している!」

セネトは、表情を(けわ)しくして、強い口調(くちょう)で言い返す。

婚約者(こんやくしゃ)なのに?」

ティティス皇女(こうじょ)は、完全(かんぜん)馬鹿(ばか)にした様な口調(くちょう)で言うと、クスクスと笑う。

婚約者(こんやくしゃ)でも、一定(いってい)礼儀(れいぎ)必要(ひつよう)だ!」

セネトは、カチンと来つつも、真剣(しんけん)な表情を浮かべ、そう言い返した。

馬鹿(ばか)馬鹿(ばか)しいわ。 会いたくなれば、会いに行けば良いだけの話じゃない。 遠慮(えんりょ)する必要(ひつよう)なんてないわ。 婚約者(こんやくしゃ)なのだから」

ティティス皇女(こうじょ)は肩を竦め、馬鹿(ばか)にした口調(くちょう)で言う。

「……お前は、(ちが)うだろ」

セネトは、表情を(けわ)しくし、(うな)る様な口調(くちょう)で言い返す。

「そんな事を言って居られるのも、今の内だけよ」

ティティス皇女(こうじょ)はそう言うと、何の(ことわ)りも無く、いきなりロナードの(となり)に腰を下ろそうとしたので、ロナードは素早(すばや)く席を立ち、()かさずセネトの(となり)に腰を下ろした。

 それを見て、ティティス皇女(こうじょ)はムッとした表情を浮かべ、ロナードを思わず(にら)んだ。

「何の前触(まえぶ)れもなく、許可(きょか)も無く、勝手に()屋敷(やしき)に上がり込んで来たのですから、それ相応(そうおう)事情(じじょう)がおありとお見受(みう)けします。 一体、どんな大事(だいじ)があって()屋敷(やしき)(さわ)がせたのでしょうか?」

ロナードは、自分を(にら)んでいるティティス皇女(こうじょ)に対し、落ち着いた口調(くちょう)で問い掛けた。

「そんなの、貴方(あなた)伯爵(はくしゃく)地位(ちい)(たまわ)ったから、お祝いに来たのよ」

ティティス皇女(こうじょ)は、ニッコリと笑みを浮かべ、突然(とつぜん)()し掛けた事に対する謝罪(しゃざい)の言葉も無く、平然(へいぜん)とそう言い放った。

「……そんな気さくに皇女(こうじょ)殿下(でんか)に祝って(いただ)ける(ほど)、親しい(なか)でしたでしょうか? 申し訳ありませんが、後日、前触(まえぶ)れを出されて(あらた)めてお()(いただ)くか、(わたし)宮廷(きゅうてい)出向(でむ)きますので、今日はお引き取り下さい」

ロナードは、軽く溜息(ためいき)を付いてから、物凄(ものすご)く淡々とした口調(くちょう)でティティス皇女(こうじょ)に言った。

「なっ……」

ロナードの言動(げんどう)に、ティティス皇女(こうじょ)はムッとした表情を浮かべる。

(いそが)しいにも(かか)わらず、時間を作って(わたし)に会いに来てくれた婚約者(こんやくしゃ)との時間を無駄(むだ)にはしたくありません。 どうか、お引き取りを」

ロナードは、肩透(かたす)かしを食らい、(いか)りでワナワナと身を震わせているティティス皇女(こうじょ)に対し、(まった)く気にする様子(ようす)もなく、(さら)に淡々とした口調(くちょう)でそう続けた。

「ふ、ふ、ふざけないで!」

ティティス皇女(こうじょ)は思わず、バンと勢い良くテーブルを叩き、ソファーから立ち上がり、怒りに満ちた表情を浮かべ、声を(あら)らげる。

 それには、部屋に居合(いあ)わせた侍女(じじょ)たちが、ビクッと思わず身を強張(こわば)らせる(ほど)、大きな声であった。

「大体、貴方(あなた)たちの婚約(こんやく)政略的(せいりゃくてき)なものでしょ? その(うち)(わか)れるんだから、こんな婚約者(こんやくしゃ)ごっこなんて、する必要(ひつよう)があるのかしら?」

ティティス皇女(こうじょ)は、セネトが困った様な表情を浮かべている事に気が付くと、物凄(ものすご)馬鹿(ばか)にした口調(くちょう)でそう言い放った。

 その物言(ものい)いにセネトはたじろいでしまったが、彼女の(となり)に座っているロナードは、そんな彼女を(はげ)ますかの様に、彼女の左手を自分の右手で(やさ)しく(つつ)む様に(にぎ)って来た。

「ろ、ロナード?」

ロナードが、(きゅう)に自分の手を(にぎ)って来た事に(おどろ)き、セネトは戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、思わず彼を見る。

「……確かに、我々は(たが)いの利害(りがい)一致(いっち)して婚約(こんやく)(いた)りました。 だからこそ、(たが)いの親睦(しんぼく)を深める事は、何よりも大事な事だと思っています。 それに、セネトと別れる気など、(わたし)にはありませんが」

ロナードは、戸惑(とまど)っているセネトの手を(にぎ)ったまま、真っ直ぐにティティス皇女(こうじょ)見据(みす)え、落ち着いた口調(くちょう)でそう言い放った。

(そ、そうなのか?)

セネトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべたまま、思わずロナードを見ると、

「セネトはどうなんだ?」

ロナードはそう言って、真剣(しんけん)な顔をしてセネトの方を見る。

 ロナードの綺麗(きれい)な紫色の双眸(そうぼう)に、自分が(うつ)り込んでいる事が分かる(ほど)(ちか)くに、彼の顔があるので、セネトはドキッとすると同時(どうじ)に、彼からの思いがけぬ問い掛けに、

「は? えっ……」

みるみる顔を真っ赤にして、(あせ)りの表情を浮かべ、そう返す事しか出来(でき)ずにいた。

(おれ)の事、(きら)いなのか?」

ロナードはとても(かな)しそうな表情を浮かべ、そう問い掛けて来た。

(はう!)

捨てられた子犬の様に、目をウルウルとさせながら、真剣(しんけん)な瞳で自分を見ているロナードに、セネトは心臓を()()かれた。

「そ、そんな訳ないだろ!」

セネトは思わず、自分の手を(にぎ)りしめていたロナードの手を握り返し、(あせ)りの表情を浮かべながらも、強い口調(くちょう)でそう言い返した。

 彼女の言葉を聞いて、ロナードは見た事も無いような満面(まんめん)の笑みを浮かべる。

(その笑顔(えがお)反則(はんそく)だろ!)

彼のその表情を見て、セネトは(たちま)ち顔を真っ赤にして、心の中でそう悲鳴(ひめい)を上げた。

「じゃあ、立派(りっぱ)婚約(こんやく)式をしないとな?」

ロナードは、ニッコリと笑みを浮かべたまま、(やさ)しい口調(くちょう)でセネトに言うと、ギュッと彼女の手を(にぎ)りしめると、彼女は顔を真っ赤にしたまま、コクコクと何度も(うなず)き返した。

 もう、ロナードには自分の目の前に居るセネトしか見えていない様で、彼のティティス皇女(こうじょ)への当てつけの様な、物凄(ものすご)く分かり(やす)愛情(あいじょう)表現(ひょうげん)を目の当たりにして、部屋に居合(いあ)わせた使用人(しようにん)侍女(じじょ)たちも、もう苦笑(にがわら)いを浮かべるしかなかった。

婚約(こんやく)(しき)の話もしたいので、ティティス皇女(こうじょ)さまが出て行かれないと(おっしゃ)るのでしたら、此方(こちら)が出て行きます」

ロナードは、セネトの手を(にぎ)りしめたまま、ニッコリと笑みを浮かべ、実に(さわ)やかにティティス皇女(こうじょ)にそう言い放った。

「は?」

ティティス皇女(こうじょ)は、自分の(なな)め上をいくロナードの言動(げんどう)に、思わず茫然(ぼうぜん)とした様子(ようす)(つぶや)く。

「行こうか」

ロナードは、(やさ)しい口調(くちょう)でセネトにそう声を掛けると、ゆっくりとソファーから立ち上がる。

「え? あ、うん」

セネトは、(いか)りでワナワナと身を(ふる)わせているティティス皇女(こうじょ)をチラリと見てから、戸惑(とまど)いの表情を浮かべつつも、返事をすると、ロナードに丁重(ていちょう)にエスコートされ、まるで、ティティス皇女(こうじょ)など最初から居なかったかの様に、そのまま二人(ふたり)(そろ)って部屋を出ていってしまった。

「な、何なのよ! ちょっと待ちなさいよ! (わたくし)皇女(こうじょ)よ! こんなことをして、(ゆる)されると思っているの?」

部屋から出て行く二人に向かって叫ぶ、ティティス皇女(こうじょ)の叫び声が(むな)しく、部屋の中に(ひび)(わた)った。


「あはははは。 傑作(けっさく)ですね! (あるじ)。 まさか、押しかけて来たティティス皇女(こうじょ)放置(ほうち)するとは!」

ティティス皇女(こうじょ)屋敷(やしき)(とう)(ちゃく)してから、その一部(いちぶ)始終(しじゅう)を外から見ていたアイクは、(はら)(かか)えてケタケタと笑いながらロナードに言う。

 ロナードとセネトは、屋敷(やしき)から出ると、近くにあったカフェに入り、そのテラスでティティス皇女(こうじょ)屋敷(やしき)から出て行くまで待つことにした。

「帰らないのだから、此方(こちら)が出て行くしかないだろ」

ロナードは片足(かたあし)を組み、紅茶(こうちゃ)を啜りながら、(なに)()わぬ顔をしてそう言い返す。

「そうかも知れないが……」

セネトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら呟く。

 ロナードが注文(ちゅうもん)してくれた、アイスティもケーキもセネトは手を付けないままで、ずっと不安そうな表情を浮かべ、テーブルを(はさ)んで彼の向かいに座っている。

 その間に座り、ちゃっかり自分の分のスイーツと飲み物を(たの)んでいたアイクが、満ち足りた表情を浮かべながら、タルトを堪能(たんのう)している。

 本来、護衛(ごえい)は主の隣か背後に立っているのが普通(ふつう)なのだが、そう言う事を気にしないロナードは、彼と一緒(いっしょ)に食事をしたり、買い物をしたりと、年も近い事もあって、主従と言うよりは友達同士の関係に近い。

その為、今、カフェに居る客たちの中にも、(あるじ)と共に平然(へいぜん)と食事をしているアイクに対し、怪訝(けげん)そうな顔をして見ている貴族(きぞく)たちも少なくない。

 その一方で、彼等(かれら)護衛(ごえい)している者たちは、主と友達の様に楽しそうに会話をしているアイクを(うらや)ましそうに見ている。

「あんなのに付き合うだけ、時間の無駄(むだ)だ」

ロナードは、落ち着き払った口調(くちょう)でセネトに言うと、アイクも(うなず)きながら、

「確かに~。 『私(わたhし)は皇女(こうじょ)なのよッ』って……何それ、ウケるぅ。 『此方(こちら)もですが?』って感じですよねぇ? 殿下(でんか)

そう言うと、大きな口を開けてタルトを美味しそうに口に運ぶ。

「全くだ。 馬鹿(ばか)の一つ(おぼ)えの様に、それさえ言っていれば、自分の意見が通ると思って居る時点(じてん)で、思考(しこう)回路(かいろ)幼児(ようじ)大差(たいさ)ないのだから、(おれ)達が付き合う必要(ひつよう)など無いだろ」

ロナードは、落ち着き払った口調(くちょう)でそう言うと、紅茶(こうちゃ)(すす)る。

「その通りですよ」

アイクもヘラヘラと笑いながらセネトに言うと、コーヒーを啜る。

図体(ずうたい)だけデカくなった幼児(ようじ)など一々構うな。 セネト」

ロナードは、(すす)っていた紅茶(こうちゃ)が入ったティカップを静かに置くと、不安そうにしているセネトに、(やさ)しい口調(くちょう)で言った。

「あ、ああ……」

自分を気遣(きづか)ってくれるロナードに対し、セネトは複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら返すと、

「食べないなら、(おれ)が食うぞ?」

ロナードが、セネトが(まった)く手を付けていないのを見て、少し意地悪(いじわる)な表情を浮かべて言うと、

「た、食べるし!」

セネトは、ナルルに続いてロナードにまで、目の前のスイーツを食べられては(たま)らないと、(あわ)ててそう言い返すと、(いそ)いでケーキを口にする。

「ん!」

スプーンで上品に(すく)い、一口含んだケーキのチョコレートの独特(どくとく)の甘みの後に、後から(ほの)かに来る苦味(くみ)が何とも言えず、なかなかの絶品(ぜっぴん)だったので、セネトは思わず目を丸くする。

美味(おい)しい」

セネトはそう呟くと、次々とケーキを口に運ぶ。

 美味(おい)しいケーキを口にして、幸せそうな顔をして堪能(たんのう)しているセネトの様子(ようす)を見て、ロナードは何処(どこ)かホッとした様な表情を浮かべつつ、(かす)かに口元を(ほころ)ばせる。


「何よ! 何なのよ!」

一人、部屋に残されたティティス皇女(こうじょ)癇癪(かんしゃく)を起こし、他人(たにん)屋敷(やしき)だと言うのに、近くに置いてあったティカップを手にすると、それを思い切り(かべ)に向かって投げ付けた。

 ティカップの割れる音が屋敷(やしき)中に(ひび)(わた)る。

 部屋の中に居合(いあ)わせた侍女(じじょ)たちは、(いか)りの矛先(ほこさき)が自分達に向かない内に、モリスに(うなが)され、急いで部屋から出て行く。

皇女(こうじょ)様。 お止め下さい!」

近くに居た若い男性の使用人(しようにん)がそう言って、癇癪(かんしゃく)を起して(あば)れ出したティティス皇女(こうじょ)(いさ)めようと(こころ)みる。

(だま)りなさい!」

ティティス皇女(こうじょ)はそう怒鳴(どな)り付けると、別のティカップをその使用人(しようにん)に投げつける。

「は、早く外に居る皇女(こうじょ)様の護衛(ごえい)を!」

モリスは、(あせ)りの表情を浮かべ、扉の向こうから、何事(なにごと)かと様子(ようす)を見ていた兵士(へいし)に向かって叫ぶ。

「は、はい」

事態(じたい)を重く見た兵士(へいし)は、モリスに言われるがまま、(いそ)いで外へと駆け出し、ティティス皇女(こうじょ)護衛(ごえい)に付き()って来た、数人の兵士(へいし)たちの下に駆け寄り、

「た、助けて下さい! 皇女(こうじょ)様が部屋の中で(あば)れ出して手が付けられません!」

必死(ひっし)形相(ぎょうそう)で、ティティス皇女(こうじょ)護衛(ごえい)兵士(へいし)たちに(うった)える。

「なっ……」

「リュディガー伯爵(はくしゃく)が、セレンディーネ皇女(こうじょ)さまと一緒(いっしょ)に出て行かれたので、まさかと思って居たが……」

人様(ひとさま)のお屋敷(やしき)で、何をなさっているんだ! あの御方(おかた)は!」

事態(じたい)を知った、ティティス皇女(こうじょ)護衛(ごえい)たちは焦りの表情を浮かべ、口々にそう言うと、(いそ)いでティティス皇女(こうじょ)の下へと駆け出した。

 その間にも、陶器(とうき)のような物が床に(はげ)しくぶつかって割れる音や、ティティス皇女(こうじょ)のヒステリックな叫び声が聞こえてくる。

「た、助けて下さい!」

私共(わたくしども)では、手に負えません」

廊下(ろうか)から様子(ようす)を見ていた侍女(じじょ)が、ティティス皇女(こうじょ)護衛(ごえい)達が駆けつけて来たのを見て、必死(ひっし)形相(ぎょうそう)でそう(うった)えて来た。

皇女(こうじょ)殿下(でんか)!」

ティティス皇女(こうじょ)護衛(ごえい)の一人で、恰幅(かっぷく)の良い中年男性がそう言って、調度品(ちょうどひん)の上に花を()けていた如何(いか)にも高そうな花瓶(かびん)を床に叩きつけようとした彼女の腕を(つか)み、それを阻止(そし)する。

「何をするの! お前の様な者が気安(きやす)く、(わたくし)の体に()れるなど、(ゆる)される事では無くってよ!」

自分を止めに入った、恰幅(かっぷく)の良い中年の男性に向かって、ティティス皇女(こうじょ)はギロッと(にら)み付けると、彼を思い切り怒鳴(どな)りつけた。

「お(しか)りは、後で(いく)らでもお受けいたします。 ですが、今はお気持ちを(しず)める事の方が先です。 ここは、殿下(でんか)のお部屋ではないのですよ」

中年の男性は、自分を(にら)むティティス皇女(こうじょ)に怯む事も無く、彼女の腕を(つか)んだまま、落ち着き払った口調(くちょう)でそう言って(なだ)めようとする。

「それが何?」

ティティス皇女(こうじょ)は、苛立(いらだ)った口調(くちょう)で言い返す。

他所(よそ)(さま)のお屋敷(やしき)(あば)れた事が広まれば、非難(ひなん)されるのは殿下(でんか)だけでは御座(ござ)いません。 同腹(どうふく)の兄上であられるネフライト皇太子(こうたいし)殿下(でんか)や、御母(おはは)(ぎみ)にも迷惑(めいわく)(およ)びます。 どうか、お二人の(ため)にも、気持ちを落ち着かせ、宮廷(きゅうてい)にお戻り下さい」

中年の男性は落ち着き払った口調(くちょう)で言うと、

「何よ! 何よ! 何よ! お姉さまのくせに! 窓際(まどぎわ)皇女(こうじょ)のくせに! この(わたくし)無視(むし)するなんて!」

ティティス皇女(こうじょ)は、(いか)りが収まらない様子(ようす)で、(うな)る様な声をあげながら叫ぶ。

「落ち着いて下さい! ここはリュディガー伯爵(はくしゃく)のお屋敷(やしき)です! 伯爵(はくしゃく)の後ろ(だて)何方(どなた)かお忘れですか!」

中年の男性は、落ち着き払った口調(くちょう)で、ティティス皇女(こうじょ)に言う。

「セレンディーネ(ごと)きが! アルスワット公爵家(こうしゃくけ)縁続(えんつづ)きになるなど、絶対(ぜったい)にさせないんだから!」

ティティス皇女(こうじょ)は、怒りに満ちた表情を浮かべ、(うな)る様な声でそう(つぶや)くと、乱暴(らんぼう)に近くにあった花瓶(かびん)を手で()(はら)うと、床に落ちた花瓶(かびん)の割れる音が部屋中に(ひび)き渡り、床に敷かれていた絨毯(じゅうたん)の上に花瓶(かびん)の中に入っていた水が広がり、()けられていた花が無残(むざん)に床の上に()る。

「ああもう! お前、さっきから五月蠅(うるさ)いゾ!」

焼き菓子(かし)を食べて(はら)が満たされ、眠気(ねむけ)(もよお)したナルルは、部屋の(すみ)にあるソファーの上で()()ちしてしまっていたが、この騒々しさに目を覚まし、そう言いながらモゾモゾと身を起こして来た。

「な、なんなの? お前」

ナルルの存在(そんざい)に気付いていなかったティティス皇女(こうじょ)は、いきなり、ヌッと起き上がって来た彼女に(おどろ)き、思わず悲鳴(ひめい)に近い声を上げる。

「お前、ホントに五月蠅(うるさ)いゾ」

ナルルは思い切り眉を(ひそ)めながらそう言うと、(おもむろ)に庭に面した窓を開け放つと、戸惑(とまど)っているティティス皇女(こうじょ)の下へと歩み寄る。

「な、何をする気?」

自分に()め寄って来るナルルに対し、ティティス皇女(こうじょ)恐怖(きょうふ)に顔を引きつらせながら問い掛ける。

「お前、五月蠅(うるさ)いから、どっか行け」

ナルルは苛立(いらだ)った口調(くちょう)でそう言うと、いきなりティティス皇女(こうじょ)の首根っこを片手(かたて)(つか)み上げると、そのまま、恐怖(きょうふ)で言葉を失っている彼女を窓際(まどぎわ)まで引き()り、そして、まるで槍投(やりな)げでもする様に、彼女をそのまま空の彼方(かなた)へ投げ飛ばした。

「こ、こ、皇女(こうじょ)殿下(でんか)!」

ボウガンの矢のように、物凄(ものすご)い勢いで何処(どこ)かに飛んで行ったティティス皇女(こうじょ)を見て、彼女の護衛(ごえい)兵士(へいし)たちは(そろ)って青い顔をして、(あわ)てて部屋から飛び出して、何処(どこ)かへ飛んで行った彼女を探しに行ってしまった。

 それには、部屋に居合(いあ)わせた執事(しつじ)(ちょう)のモリスも、使用人(しようにん)たちも、ポカンと口を開け、目を点にして立ち尽くす。

「あ~。 これで静かになったゾ」

茫然(ぼうぜん)としているモリス達を他所(よそ)に、ナルルは清々した顔をしてその様な事を言うと、大きく伸びをして、自分が先程(さきほど)まで寝ていたソファーの上に寝ころび、昼寝(ひるね)再開(さいかい)した。


「な、何なんだ……。 これは……」

セネトを宮廷(きゅうてい)まで送り(とど)け、(もど)って来たロナードが応接間(おうせつま)惨状(さんじょう)を目の当たりにして、茫然(ぼうぜん)とした様子(ようす)(つぶや)いた。

「申し訳ございません。 ご主人(しゅじん)(さま)がセレンディーネ皇女(こうじょ)殿下(でんか)と部屋を後にされた後、ティティス皇女(こうじょ)様が癇癪(かんしゃく)を起してしまいまして……」

この(わず)かな時間で(みょう)()け込んだ様な、草臥(したび)れ果てた様子(ようす)のモリスは、力なくロナードに説明をする。

怪我(けが)をした者は居ないだろうな?」

モリスから事情(じじょう)を聞き、辺りに()っているティカップなどの破片(はへん)使用人(しようにん)たちが片付けている様を見て、ロナードは、(あせ)りの表情を浮かべながらモリスに問い掛ける。

「お(かげ)(さま)で、人的(じんてき)被害(ひがい)御座(ござ)いません」

モリスは、落ち着いた口調(くちょう)で答えると、

「それならば良い……」

ロナードは、ホッとした表情を浮かべながら言うと、

「ですが、セレンディーネ皇女(こうじょ)殿下(でんか)から(いただ)いたティセットなどが……」

モリスが、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながらロナードに言うと、

「人と物、何方(どちら)が大事か明らかだろう? 物は(こわ)れてもまた作れば()む話だが、人は()えが利かない唯一(ゆいいつ)無二(むに)のものだ。 お前たちに怪我(けが)が無くて何よりだ」

ロナードは、真剣(しんけん)な表情を浮かべ、戸惑(とまど)っているモリスに向かって言った。

「ご主人(しゅじん)さま……」

ロナードの言葉に、モリスは胸が熱くなるのを感じた。

 使用人(しようにん)侍女(じじょ)兵士(へいし)などは、貴族(きぞく)にとって使い捨ての消耗品(しょうもうひん)見做(みな)される事が(ほとん)どで、彼等(かれら)高価(こうか)な食器や花瓶(かびん)、宝石など以下の(あつか)いだ。

 だから、ロナードがセネトから(もら)った(くだ)()った高価(こうか)なティセットよりも、自分たちの事を大事に想ってくれた事に対し、戸惑(とまど)いと共に物凄(ものすご)(うれ)しい気持ちになったのだ。

 特に、以前(いぜん)(つか)えていたロナードの兄シリウスは、他人(たにん)に対して物凄(ものすご)冷淡(れいたん)な所があった(ため)、彼の(やさ)しさが一層(いっそう)、モリスやその場に居合(いあ)わせた使用人(しようにん)たちの心に(ひび)いた。

「サリア様に申し上げて、謝罪(しゃざい)賠償(ばいしょう)をティティス皇女(こうじょ)さまに求めて(いただ)きましょう」

モリスは、目頭(めがしら)が熱くなるのを必死(ひっし)(こら)えつつ、ロナードにそう言うと、

勿論(もちろん)だ。 何なら請求(せいきゅう)する金額(きんがく)に一つゼロを多く書き加えておけ」

ロナードは、物凄(ものすご)真剣(しんけん)な顔をしてそう言い放った。

「え?」

主人(しゅじん)の思いがけぬ言葉に、モリスは思わず聞き返してしまった。

迷惑(めいわく)(りょう)だ。 どうせ物の価値(かち)など、あの馬鹿(ばか)皇女(こうじょ)に分かる(はず)が無い。 ゼロが一つ多くても気づきはしないさ」

ロナードは、悪戯(いたずら)を思い付いた子供(こども)の様な顔をして、モリスにそう言い返すと、それを聞いた使用人(しようにん)たちが可笑(おか)しくて、思わず吹き出した。

「吹っ掛けた金は、お前たちの危険(きけん)手当(てあて)()てて、屋敷(やしき)で働く者たちで仲良く、美味(うま)い飯でも食べに行けば、今日の事も少しは笑って(ゆる)せるようになるだろう?」

ロナードは、(おだ)やかな口調(くちょう)使用人(しようにん)たちに向かって言うと、ニッコリと笑みを浮かべた。

「あ、有難(ありがと)御座(ござ)います」

使用人(しようにん)の一人が、感激(かんげき)した様子(ようす)でロナードにそう言って、深々と(こうべ)()れると、

「礼なら、その金をせしめて、美味(うま)い物を食った後にしてくくれ」

ロナードはニッコリと笑みを浮かべながら言った。


「セレンディーネ!」

突然(とつぜん)、若い男性の怒鳴(どな)り声と共に、勢い良く扉が開け放たれ、ある人物が随分(ずいぶん)興奮(こうふん)した様子(ようす)でドカドカと部屋に入って来た。

「あ、兄上?」

(ことわ)りも無く、自分の部屋に押し入って来た、(はら)(ちが)いの兄ネフライト皇太子(こうたいし)の登場に、セネトは戸惑(とまど)いの表情を浮かべる。

「こんな時間に何の御用(ごよう)でしょうか? 皇太子(こうたいし)殿下(でんか)

護衛(ごえい)に居たルチルが、スッと二人の間に割って入り、落ち着いた口調(くちょう)でネフライト皇太子(こうたいし)に言った。

退()け!」

ネフライト皇太子(こうたいし)は、苛立(いらだ)った口調(くちょう)で言うと、自分の前に立ち(ふさ)がったルチルを乱暴(らんぼう)に押し退け、戸惑(とまど)っているセネトに()め寄った。

貴様(きさま)、良くもティを!」

怒りに満ちた表情を浮かべ、(うな)る様な声でネフライト皇太子(こうたいし)は、戸惑(とまど)っているセネトに言った。

「何の事でしょうか?」

セネトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべたまま、ネフライト皇太子(こうたいし)に問い返す。

(とぼ)けるな! ティが(わたし)の部屋にやって来るなり、泣きながら、お前に(いじ)められたと(うった)えて来たぞ! 髪はボサボサ、全身が()り傷だらけ、衣服(いふく)に木の枝や葉を付けて、それは(ひど)有様(ありさま)だった」

ネフライト皇太子(こうたいし)は、怒りが収まらない様で、興奮(こうふん)気味(ぎみ)にセネトに言う。

(あ~。 そう言えばナルルがティティスを、外に投げ飛ばしたと言っていたな……)

ネフライト皇太子(こうたいし)の言葉を聞いて、セネトはどこか遠い目をしながら、心の中でそう(つぶや)いた。

 それでもまあ、骨折(こっせつ)などせずに、その程度(ていど)で済んだのだから、(むし)ろ運が良かったというべきではないだろうか。

(ぼく)が、ティティスをその様にしたと、(おっしゃ)るのですか?」

セネトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべたまま言うと、

「そうだ」

ネフライト皇太子(こうたいし)は、怒りに満ちた形相(ぎょうそう)で言う。

「確かに、ティティスとは会いましたが、(ぼく)は彼女に()れてはいません。 それなのに、(ぼく)がどうしてティティスをその様な目に()わせる事が出来(でき)るのでしょうか?」

セネトは、落ち着いた口調(くちょう)で、怒り心頭(しんとう)のネフライト皇太子(こうたいし)に言う。

屁理屈(へりくつ)ばかり言いよって!  そんな事、お前が周りの者に命じれば、どうにでも出来(でき)るだろう! それにティが、ノヴァハルトの弟の屋敷(やしき)に来た時、二人して、ティを除者(のけもの)にしたそうじゃないか!」

ネフライト皇太子(こうたいし)は、苛立(いらだ)ちを(かく)せない様子(ようす)で、強い口調(くちょう)でセネトに言う。

誤解(ごかい)です。 ティティスは先触(さきぶ)れも無く、リュディガー伯爵(はくしゃく)()(おとず)れ、執事(しつじ)たちが制止(せいし)するのも聞かず、(ぼく)たちが居た応接間(おうせつま)に乗り込んで来たので、(あま)りに無礼(ぶれい)なので当主(とうしゅ)が、後日、(あらた)めて来るようにと言ったところ、帰る様子(ようす)が無いので我々の方が部屋を出たに過ぎません」

セネトは、落ち着き払った口調(くちょう)で、興奮(こうふん)しているネフライト皇太子(こうたいし)に説明をすると、彼女の話に、部屋に居合(いあ)わせた侍女(じじょ)や、ネフライト皇太子(こうたいし)護衛(ごえい)兵士(へいし)たちも、ティティス皇女(こうじょ)非常識(ひじょうしき)さに(あき)れている。

(それに、侮辱(ぶじょく)されたのは(ぼく)の方だ)

セネトは、その時のティティス皇女(こうじょ)言動(げんどう)を思い出し、湧き上がって来た(いか)りをグッと(おさ)える。

「ティが悪いと言うか!」

ネフライト皇太子(こうたいし)は、キッとセネトを睨み付けながら、そう言って凄む。

「誰の目から見ても、非常識(ひじょうしき)礼節(れいせつ)欠片(かけら)も無い言動(げんどう)をしたのはティティスです。 当主(とうしゅ)はそれを(たしな)めたに過ぎません。 それを(いじ)められたと捉えるなど……」

セネトは、落ち着いた口調(くちょう)で語ると、軽く溜息(ためいき)を付いた。

(だま)れ! 大体お前は最近、調子(ちょうし)に乗り過ぎだ! お前の婚約者(こんやくしゃ)のノヴァハルトの弟もだ! 皇女(こうじょ)であるティをもてなしもせず、あろう事か、彼女を放って外出するなど、無礼(ぶれい)(きわ)まりないぞ!」

ネフライト皇太子(こうたいし)は、強い口調(くちょう)でそう非難(ひなん)をするが、彼の言い分にルチルは勿論(もちろん)、その場に居合(いあ)わせた(だれ)もが『そんな無茶苦茶(むちゃくちゃ)な』と言う顔をしている。

無礼(ぶれい)を働いたのはティティスの方です。 無礼(ぶれい)な輩を何故(なぜ)、もてなす必要(ひつよう)があるのですか?」

セネトは、真剣(しんけん)な表情を浮かべ、真っ直ぐにネフライト皇太子(こうたいし)見据(みす)えながら言った。

(コイツ!)

ネフライト皇太子(こうたいし)は、(ひる)様子(ようす)も無く、真っ直ぐに自分を見据(みす)え、意見して来るセネトを見て、強い苛立(いらだ)ちを覚えた。

 少し前までは、自分が怒鳴(どな)り込めば身を(ちぢ)めて、恐怖(きょうふ)に満ちた表情を浮かべ、部屋の(すみ)でガタガタと震えていて、そんな彼女を口汚(くちぎたな)(ののし)り、(おど)し、恐怖(きょうふ)絶望(ぜつぼう)(しず)む彼女の表情を見て、優越感(ゆうえつかん)(ひた)る事が、何よりも楽しかったと言うのに、何がどうなって、(なま)意気(いき)にも自分に楯突(たてつ)くようになったのか!

貴様(きさま)っ!」

ネフライト皇太子(こうたいし)苛立(いらだ)ちを爆発(ばくはつ)させると、自分に(なま)意気(いき)楯突(たてつ)いて来るセネトに(つか)み掛った。

「セティ!」

(ひめ)(さま)!」

それを見て、ルチルと部屋に居合(いあ)わせた侍女(じじょ)たちの悲鳴(ひめい)が上がる。

 女など、ちょっと痛い目に()わせれば、直ぐに自分の言う事を聞くようになるものだ。

 だから、この(なま)意気(いき)な口を(たた)く妹も、何時(いつ)もの様に一発、(なぐ)ってやれば大人しくなる。

 ネフライト皇太子(こうたいし)咄嗟(とっさ)にそう判断(はんだん)し、セネトに(つか)みかがったのだ。

 だが……。

 どう言う訳か、自分の体が一瞬(いっしゅん)(ちゅう)()い、ドスンと言う大きな音を立てて、背中から床に激突し、背中から(にぶ)(いた)みが全身に広がり、(いた)みと驚きで、ネフライト皇太子(こうたいし)は床に(ころ)がったまま、(はと)豆鉄砲(まめでっぽう)を食らった様な顔をして、(しばら)天井(てんじょう)(あお)いでいた。

「セティ!」

ルチルは急いで、セネトの側に駆け寄る。

「セティ。 大丈夫(だいじょうぶ)? 怪我(けが)はない?」

ルチルは(あせ)りの表情を浮かべ、セネトにそう声を掛ける。

 その様子(ようす)を、部屋に居合(いあ)わせた侍女(じじょ)と、ネフライト皇太子(こうたいし)護衛(ごえい)兵士(へいし)たちが、茫然(ぼうぜん)とした様子(ようす)で立ち()くし、ただ見ているだけだ。

 ルチルとセネト当人(とうにん)(のぞ)いて(だれ)も、あの瞬間(しゅんかん)に何が起きたのか、理解(りかい)出来(でき)ずにいた。

(で、出来(でき)た……)

セネトは、自分の両手を見ながら、信じられないと言った様子(ようす)で、心の中でそう(つぶや)いた。

 セネトはルオン王国から帝国(ていこく)本土(ほんど)へ渡っている途中(とちゅう)、立ち寄った町の中でチンピラに(から)まれた(さい)、ロナードが、自分よりも何倍も体格(たいかく)の良い男たちを軽々と投げ飛ばしたのを見て、どうやったのか問い質した事があった。

 ロナードは一瞬(いっしゅん)、答えるべきかどうか躊躇(ためら)った様だったが、彼女が護身術(ごしんじゅつ)を身に付けた方か良いと判断(はんだん)し、そのコツを伝授(でんじゅ)してくれたのだ。

 練習(れんしゅう)相手(あいて)は、カメリアの護衛(ごえい)をしていた男たちだったが、彼等(かれら)は気の良い連中ばかりで、彼女がコツを(つか)むまで、根気(こんき)()く投げ飛ばされる役をしてくれた。

 そのお陰で、セネトは向かって来た相手(あいて)力任(ちからまか)せではなく、相手の勢いを利用して投げて飛ばす(すべ)を身に付ける事が出来(でき)た。

 (ほか)にも、力に(たの)らずに相手(あいて)制圧(せいあつ)する方法を(いく)つか教えて(もら)った。

 ただ、実践(じっせん)するのはこれが初めてであった。

「で、殿下(でんか)!」

大丈夫(だいじょうぶ)ですか?」

(しばら)くして、(われ)に返ったネフライト皇太子(こうたいし)護衛(ごえい)兵士(へいし)たちが、(つか)みかかろうとしたセネトに、見事に投げ飛ばされ、理解が追い付かず茫然(ぼうぜん)としている彼に、そう言いながら(あわ)てて駆け寄った。

 その間にセネトは、ルチルに連れられて部屋を(いそ)いで後にした。

 そうしないと、逆上(ぎゃくじょう)したネフライト皇太子(こうたいし)が何をして来るか分からなかったからだ。

「セティ。 あなた何時(いつ)の間に、あんなの身に付けたの?」

部屋から(はな)れた廊下(ろうか)を二人は全力で走り、ネフライト皇太子(こうたいし)が追い駆けて来ていないのを確認してから、ルチルが息を(はず)ませつつ、(おどろ)きを(かく)せない様子(ようす)でセネトに問い掛ける。

「ぼ、(ぼく)実際(じっさい)に使ったのは、初めてだったんだ。 こんなに上手(うま)く決まるなんて……」

セネトも、息を(はず)ませながら答える。

「それよりも見た? ネフライトの顔!」

ルチルは笑いながらそう言うと、その時のネフライト皇太子(こうたいし)間抜(まぬ)けな姿を思い出したのか、プッと吹き出す。

「ああ!」

セネトも笑いながらそう返すと、クスッと笑い、やがて二人は(そろ)って声を上げて爆笑(ばくしょう)する。

「あ~。 ウケるぅ……」

ルチルは余程(よほど)面白(おもしろ)かったのか目元に浮かんだ(なみだ)を手の(こう)(ぬぐ)いながら言う。

殿下(でんか)! ルチル!」

ネフライト皇太子(こうたいし)が部屋に突撃(とつげき)して来た(さい)素早(すばや)く部屋を抜け出してギベオンと兵士(へいし)たちに助けを求めに行った侍女(じじょ)と共に、ギベオンが血相(けっそう)を変えて駆け寄ってくる。

「ギベオン……」

自分の身を案じ、部屋着のまま駆け寄って来たギベオンの姿を見て、セネトはホッとした表情を浮かべる。

「お怪我(けが)御座(ござ)いませんか? 殿下(でんか)

ギベオンは、セネトの下に来ると、心配そうにそう声を掛けて来た。

「ギベオン! アンタにも見せてやりたかったわ!」

ルチルは、笑いを(こら)えながらギベオンに言うが、彼は何が可笑(おか)しいのか理解(りかい)出来(でき)ないので、キョトンとした顔をして彼女を見ている。

傑作(けっさく)よ! 怒ったネフライトの野郎(やろう)がセティに(つか)み掛ったら、そのままセティに投げ飛ばされて、背中から床に落ちたのよ! ドスンって。 あの馬鹿(ばか)、自分の身に何が起きたのか分からないって顔してさぁ。 ププッ。 マジ、あの間抜(まぬ)けな顔と来たら! あはははは……」

ルチルは笑いながら、ギベオンにそう語ると、彼女の説明を聞いている内に、ネフライト皇太子(こうたいし)間抜(まぬ)けな姿を思い出し、セネトが可笑(おか)しくて堪らすぷふッと吹き出した。

「そ、そんな事が……」

ルチルの話を聞いて、ギベオンは(おどろ)いた顔をして、思わずセネトを見る。

「ルオンから帝国(ていこく)本土(ほんど)へ向かう途中(とちゅう)で、ロナードに教えて(もら)ったんだ。 ほらアイツ、細身(ほそみ)な割に、自分よりデカイのを軽々と投げ飛ばすだろう? それで……」

セネトは、自分を見ているギベオンに簡単(かんたん)に説明をすると、

(なる)(ほど)

ギベオンは、ロナードが何度か、兵士(へいし)たちに絡まれた際、彼等(かれら)を軽々と投げ飛ばし、制圧(せいあつ)しているのを目撃(もくげき)している(ため)、その時の光景(こうけい)を思い出し、思わずそう(つぶや)いてから、

(流石(さすが)はロナード様。 今度、美味(おい)しい居酒屋に連れて行って差し上げよう)

ニンマリとした表情を浮かべながら、心の中でそう呟いた。

流石(さすが)と言うか……。 ホント、変わってるわよね」

ルチルは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら言うと、

「何が?」

セネトが、キョトンとした表情を浮かべながら言うと、

「アンタ達がよ。 普通(ふつう)、女の子が(おそ)って来た相手を投げ飛ばす方法なんて聞かないし、女の子にそんな事を聞かれて、普通(ふつう)はクソ真面目(まじめ)に教えたりもしないわよ」

ルチルは、クスクスと笑いながら言うと、

「確かにそうだが、身に付けていて悪い事では無いからな。 殿下(でんか)無駄(むだ)な事はなさらないし、ロナード様も教えても無駄(むだ)な相手に、教える方ではないからな」

ギベオンが落ち着いた口調(くちょう)で言うと、

「そうね。 あの子が居てくれて、ホント色々と助かるわ」

ルチルが思わずそう言った。

「いやぁ。 お見事(みごと)でしたね」

そう言って、何時(いつ)の間にかカナデがそこに居て、ニコニコと笑みを浮かべながら言った。


「アンタ……」

ルチルは、カナデを見て(かす)かに表情を(けわ)しくする。

 彼等(かれら)は、人気(ひとけ)のない空き部屋に移動(いどう)する。

「お二人がお屋敷(やしき)を出て行った後、ティティス皇女(こうじょ)激怒(げきど)して(あば)れたので大変でしたよ。 怒ったナルル殿に、何処(どこ)かへ投げ飛ばされてしまいましたが……。 その足で兄君に泣き付いていたのですね。 あの方らしくて、(あき)れて苦笑(にがわら)いしか出ません」

部屋に(だれ)も居ない事を確認するなり、カナデはにこやかな笑みを湛え、落ち着いた口調(くちょう)報告(ほうこく)する。

「それは……。 屋敷(やしき)の者たちには、気の毒な事をしたな」

セネトが申し訳なさそうに言うと、

「いえ。 物が(こわ)された程度(ていど)で、怪我(けが)(にん)は居ませんでしたから、問題は無いと思います」

カナデは、にこやかに笑みを湛えたまま、落ち着いた口調(くちょう)で答えた。

「全く……。 あの馬鹿(ばか)皇女(こうじょ)は、(しつけ)のなっていない犬と同じね」

カナデの話を聞いて、ルチルは自分の(ひたい)片手(かたて)を添え、ゲンナリとした表情を浮かべながら、そう(つぶや)いた。

(まった)くだ」

ギベオンも、(あき)れた表情を浮かべながら、そう言って頷く。

「ティティス皇女(こうじょ)は、セレンディーネ様から、ロナード様を奪うつもりで居るようです。 それで、殿下(でんか)がいらっしゃると知りながら、リュディガー伯爵(はくしゃく)()に押し掛けたと言う訳です。 自分が殿下(でんか)よりも魅力的(みりょくてき)だと、高を(くく)っていた様ですね」

カナデは、にこやかな笑みを(たた)えたまま、事務的(じむてき)口調(くちょう)でそう続ける。

「まあ、確かに見た目だけは可愛(かわい)いけれど、性格がアレじゃあねぇ……」

ルチルは、(あき)れた表情を浮かべたまま言うと、

「アレを可愛(かわい)いと思うのは、女性だけではないのか? 男の自分から見て、そんな風に感じた事が無いのだが」

ギベオンは、自分の胸の前に両腕を組み、淡々とした口調(くちょう)で言うと、

「そうですね。 (わたし)獰猛(どうもう)な小型犬にしか思えません。 実母(じつぼ)第一側(だいいちそく)()さまも、皇女(こうじょ)には随分(ずいぶん)と手を焼いている様です」

カナデも何食わぬ顔をして、サラッとそう言って退けた。

「それで、サリアはどう出ると?」

セネトは、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで問い掛けると、

「今回のリュディガー伯爵(はくしゃく)家での暴挙(ぼうきょ)を大々的に広めて、ティティス皇女(こうじょ)社交界(しゃこうかい)から()め出し、第一側(だいいちそく)()とネフライト皇太子(こうたいし)の、社交界(しゃこうかい)での影響力(えいきょうりょく)を大きく()ぐつもりでおられます」

カナデは、事務的(じむてき)口調(くちょう)でそう報告(ほうこく)する。

「ふむ。 (ぼく)も兄上も社交界(しゃこうかい)にはあまり顔を出さないからな。 (ぼく)()の弱い部分から(くず)そうと言う訳か……」

セネトは、自分の(あご)の下に片手(かたて)を添え、真剣(しんけん)面持(おもも)ちで(つぶや)く。

「その自覚がおありでしたら、ロナード様を連れて社交界(しゃこうかい)に出られては如何(いか)ですか? ルフト様もその辺りは(うと)い様ですし、アルスワット公爵(こうしゃく)としても、社交界(しゃこうかい)にも(くさび)を打っておきたいでしょうから」

カナデが、落ち着いた口調(くちょう)でそう助言をすると、

「ロナードが、社交界(しゃこうかい)に出るキャラか?」

セネトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら、カナデに問い掛ける。

「少なくとも、兄君のレオフィリス様よりは、社交性(しゃこうせい)があると思います。 ルフト様よりも人目も惹きますし、案外、向いているかも知れません」

カナデは、落ち着いた口調(くちょう)でそう答えた。

「……大量の()(ぐすり)が、必要(ひつよう)になるように思えます」

カナデの発言聞いて、ギベオンは、溜息(ためいき)混じりにそう言うと、

「同感だわ。 社交界(しゃこうかい)って(はな)やかだけれど、その裏では、お互いの腹の探り合いだもの。 腹芸(はらげい)苦手(にがて)な二人には少し(きび)しいと思うわよ」

ルチルも、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべながら言った。

「それでも、サリア様に近しい(だれ)かが、社交界(しゃこうかい)(おもむ)必要(ひつよう)性はあると私は思います。 そこで得られる情報や、そこでのやり取りの影響力(えいきょうりょく)は決して無視(むし)出来(でき)ません」

ギベオンとルチルの言葉を聞いても、カナデは考えを(あらた)める様子(ようす)もなく、落ち着いた口調(くちょう)でそう言った。

「だったら、腹芸(はらげい)を身に付けさせるしか無いわね」

カナデの言動(げんどう)に、ルチルは溜息(ためいき)を付きながらそう言った。

「本気で言っているのか? ルチル」

セネトは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながらルチルに問い掛けると、彼女は無言でニコォと笑みを浮かべる。

(あ、これ、マジなやつだ)

長年の付き合いから、ルチルの表情を見てセネトは(さと)った。


「じぬ……」

セネトは、ソファーの()(もた)れに(もた)れ掛かる様に崩れ込み、(つか)れ果てた顔をして呟いた。

 今日は午後から、リュディガー伯爵(はくしゃく)家でロナードと共に、ダンスのレッスンを受けている。

(窓際(まどぎわ)皇女(こうじょ)の自分には、社交界(しゃこうかい)など関係ないと思って受けて無かった淑女(しゅくじょ)教育(きょういく)が、まさかこんな形で(かえ)って来るとは……)

セネトは、ゲンナリした表情を浮かべながら、心の中で(つぶや)くと、チラリと窓際(まどぎわ)の小さな丸テーブルの側に置いてあった椅子(いす)に腰を下ろしているロナードに目を向けた。

 流石(さすが)に数時間ぶっ通しで、これまでやった事もないダンスの練習をさせられ、ロナードも(つか)れている様で、さっきから一言も発していない。

「本日は、此処(ここ)までに(いた)しましょう。 お二人とも、今日習った事を忘れず、次のお稽古(けいこ)までしっかり練習をなさって下さい」

二人のダンスの教師をしている、中年の貴族(きぞく)の夫人は何食わぬ顔をして、二人に向かってそう言い放った。

(無茶を言うな。 淑女(しゅくじょ)教育(きょういく)の他にも、やる事が(やま)()みなんだぞ)

セネトは、ゲンナリとした表情を浮かべながら、心の中で(つぶや)いた。

 執事(しつじ)(ちょう)のモリスが、彼女を玄関(げんかん)まで見送(みおく)(ため)に部屋を出て行き、ロナードと二人きりになると、床を見つめていたロナードが(おもむろ)に顔を上げ、

「セネト、大丈夫(だいじょうぶ)か?」

そう問い掛けて来た。

大丈夫(だいじょうぶ)そうに見えるか?」

セネトは、ムッとした表情を浮かべ、ロナードに問い返す。

「見えないな」

彼は、苦笑(にがわら)いを浮かべながらそう返してから、

「あの夫人、ダンスを教える時は人が変わるな……」

ゲンナリとした表情を浮かべながら、そう呟いた。

(確かに)

最初、笑顔(えがお)を絶やさず、(おだ)やかな雰囲気(ふんいき)(かも)し出していた夫人が、ダンスのレッスンを始めた途端、人が変わった様に鬼コーチ振りを発揮(はっき)した事を想い出して、セネトは心の中でそう(つぶや)くと、苦笑(にがわら)いを浮かべる。

普段(ふだん)、使わない様な筋肉(きんにく)を使った所為(せい)で、足が強張(こわば)っている」

ロナードは、近くにあったソファーに腰を下ろすと、そう言いながら自分の足を揉む。

「足の裏が(いた)い……」

セネトも、今直(います)ぐにでも、()いているハイヒールを()ぎ捨てて、ソファーの上に足を投げ出したいが、生憎、ドレスを(まと)っているので、その様な格好(かっこう)ははしたないとされる(ため)我慢(がまん)している。

(おれ)の背が高い所為(せい)で、こんなに(かかと)の高いのを()羽目(はめ)になって済まないな……。 少しくらい、身長が(ちぢ)めば良いのに……」

ロナードは、セネトが()いているハイヒールを見て、申し訳なくなって、思わずそう呟いた。

「背を(ちぢ)ませるより、(ぼく)が背を伸ばす方が余程(よほど)、現実的だぞ」

セネトは、苦笑(にがわら)いを浮かべながらロナードに言うと、

「確かに」

彼も、苦笑(にがわら)いを浮かべながらそう返した。

「お(つか)れ様で御座(ござ)いました。 (のど)(かわ)いていると思い、冷たいお茶を用意(ようい)(いた)しました」

中年の侍女(じじょ)は、ニッコリと笑みを浮かべながらそう言うと、セネトにグラスに氷が一杯(いっぱい)(はい)った紅茶(こうちゃ)を差し出してきた。

 冷たく冷えたお茶が、ダンスの稽古(けいこ)で乾ききった喉に染み渡った。

「ふう。 生き返る」

セネトは、一気にそれを飲み()してから、一息(ひといき)つきながらそう言った。

「急に社交界(しゃこうかい)に出られる事になったと聞いて、私共(わたくしども)も心配しております」

中年の侍女(じじょ)は、セネトが飲み干したグラスを受け取りながら、そう言って来た。

(それはそうだろう。 (ぼく)もロナードも、社交界(しゃこうかい)の事なんて真面(まとも)に習って来てないのだからな)

セネトは、不安そうな顔をしている、中年の侍女(じじょ)を見ながら、心の中で呟く。

社交界(しゃこうかい)は魔窟と言います。 お優しいご主人(しゅじん)(さま)皇女(こうじょ)様が、意地悪(いじわる)な人たちに(いじ)められないかと、心配で、心配で……」

中年の侍女(じじょ)がそう言うのを聞いて、セネトは苦笑(にがわら)いを浮かべる。

(その心配は不要(ふよう)だと思うぞ。 確かにロナードは、一度自分の(ふところ)に入れた相手には、とても誠実(せいじつ)(やさ)しいが、(てき)見做(みな)した(やつ)には(なさ)容赦(ようしゃ)がないからな。 性格的にやられ放しな訳が無い。 何なら倍返(ばいがえし)だぞ)

セネトは、真剣(しんけん)に自分たちの事を心配している中年の侍女(じじょ)を見ながら、心の中で呟くと、苦笑(にがわら)いを浮かべる。

社交(しゃこう)の場は、(ほか)皇女(こうじょ)皇子(おうじ)(そく)()たちや、有力貴族(きぞく)たちの力関係や、為人(ひととなり)を知る事が出来(でき)る良い機会(きかい)はあるが、そこへ(いた)るまでは、かなり大変そうだな」

ロナードは、中年の侍女(じじょ)が差し出した、冷たく冷えた紅茶(こうちゃ)を飲みながら言うと、

「同感だ。 サボって来たツケが、まさか今になって降り掛かるとは、思いもしなった」

セネトも、苦笑(にがわら)いを浮かべながら言う。

社交界(しゃこうかい)に出る事が無かったのは、第一側(だいいちそく)()たちの所為(せい)か?」

ロナードは真剣(しんけん)面持(おもも)ちで、セネトに問い掛ける。

「ああ。 (ぼく)が、自分たちの知らない所で力を持たない様にする(ため)だ。 まあ、今となってはそれも、無駄(むだ)な努力だったが」

セネトは、淡々とした口調(くちょう)でそう答えてから、苦笑いを浮かべた。

世辞(せじ)にも出来(でき)が良いとは言えない、ネフライト皇太子(こうたいし)帝位(ていい)()かせる(ため)に、ライバルになりそうな(ほか)の兄弟が、帝位(ていい)()けるだけの力を、周囲(しゅうい)から得られない状態(じょうたい)にしようと考えた訳か」

ロナードは、真剣(しんけん)な表情を浮かべたまま、落ち着いた口調(くちょう)で言うと、

「やり方は汚いが、(いく)ら個人でその能力があっても、周りからの支持(しじ)協力(きょうりょく)を受ける事が出来(でき)なければ、帝位(ていい)に就く事は(むずか)しいからな」

セネトは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべつつも、落ち着いた口調(くちょう)で返した。

第一側(だいいちそく)()は、そう言う事に関してはかなり、頭の切れる人の様だな。 まあ、子育てには失敗(しっぱい)して様だが」

ロナードは、淡々とした口調(くちょう)で言うと、セネトは真剣(しんけん)面持(おもも)ちで(うなず)き返してから、

「あの兄弟は、母親や周囲(しゅうい)の大人たちから、散々甘やかされて育って来たからな。 だから今も、我慢(がまん)をするとか、深く物事(ものごと)を考えると言う事が出来(でき)ずに、自分の本能(ほんのう)(おもむ)くまま、やりたい放題(ほうだい)していると言う訳だ」

皮肉(ひにく)()じりにそう付け加えた。

「そう言う馬鹿(ばか)の方が、カルセドニ皇子(おうじ)や兄上たちも、やり易いだろうが、問題は馬鹿(ばか)兄妹の周りに居る連中だな」

ロナードは、落ち着き払った口調(くちょう)でそう語ると、セネトは頷き返し、

彼等(かれら)支持(しじ)者の中には、帝国(ていこく)三大(さんだい)公爵(こうしゃく)の一つ、現宰相(げんさいしょう)輩出(はいしゅつ)しているマルフェント家がある。 第一側(だいいちそく)()はその一門の出で、政治(せいじ)中枢(ちゅうすう)(にな)う者が多くいる」

セネトは、複雑(ふくざつ)な表情を浮かべ、重々しい口調(くちょう)でロナードに説明をする。

「だったら、軍部(ぐんぶ)支持(しじ)を得るのが手っ取り早いな……。 社交界(しゃこうかい)では、軍部の関係者との関係作りを積極的にするべきだな」

セネトの言葉を聞いて、ロナードは真剣(しんけん)な表情を浮かべ、そう言った。

流石(さすが)ですね」

そう言いながら、カナデが部屋に入って来た。

「カナデ……」

彼の登場に、ロナードは少し戸惑(とまど)った様な表情を浮かべた。

()れない事をなさって、お疲れの所を申し訳ありませんが、ノヴァハルト家の元・家令(かれい)が行った横領(おうりょう)加担(かたん)していた者たちの洗い出しが完了しました。 この屋敷(やしき)に残った者たちの中にも数人居ましたので、彼等(かれら)には解雇(かいこ)を言い渡し、近々三か月分の給料(きゅうりょう)没収(ぼっしゅう)し、紹介状(しょうかいじょう)も書かず、身一つで放り出しておきました」

カナデはにこやかに笑みを(たた)えつつも、ロナードの様子(ようす)などお(かま)いなしに、事務的(じむてき)口調(くちょう)でそう報告(ほうこく)する。

「そうか。 手間(てま)を掛けたな」

ロナードは、軽く溜息(ためいき)を付いてから、落ち着いた口調(くちょう)で返した。

「いえ。 使用人(しようにん)たちの事を管理するのも、家令(かれい)の務めですので」

カナデは相変(あいか)わらず、にこやかに笑みを(たた)えたまま、サラリとそう言って退けた。

家令(かれい)と言うよりも、もう立派な間者(かんじゃ)だろ? で、ティティスたちの様子(ようす)はどうなっている?」

セネトは少し意地(いじ)の悪い表情を浮かべながら、カナデにそう問い掛けると、

皇女(こうじょ)は、事態(じたい)を知った第一側妃さまに、こってりと絞られ、(しばら)くの間、外出(がいしゅつ)禁止令(きんしれい)を出された為、他家(たけ)主催(しゅさい)する社交界(しゃこうかい)やお茶会に出席出来(でき)なくなりました。 ですので、ティティス皇女(こうじょ)に対して日頃(ひごろ)不満(ふまん)を抱いている令嬢(れいじょう)たちを抱き込む良い機会(きかい)かと……」

カナデは一瞬、ムッとした表情を浮かべたが、直ぐに笑みを浮かべ、淡々とした口調(くちょう)でそう報告(ほうこく)をする。

 カナデは、笑顔(えがお)という仮面(かめん)を張り付ける事で、自分が何を考えているのか、周囲(しゅうい)に悟られない様に(てっ)している様であった。

「ふむ。 (ぼく)が呼び掛けたところで、どれ程の令嬢(れいじょう)が集まるのか分からないが、やるだけやってみよう」

セネトは、少し自身の無さそうな様子(ようす)であったが、落ち着いた口調(くちょう)でカナデにそう返すと、

「ご心配でしたら、ルチル(じょう)協力(きょうりょく)(たの)めば、簡単(かんたん)に集まると思いますよ」

カナデはニッコリと笑みを浮かべ、セネトにそう助言をした。

「どう言う事だ?」

セネトは微かに眉を(ひそ)め、カナデに問い掛ける。

「ルチル(じょう)は、令嬢(れいじょう)たちにとても人気があります。 彼女がお茶会に参加すると知れば、多くの令嬢(れいじょう)たちが集まる事は(うたが)いありません。 ご存知(ぞんじ)なかったのですか?」

カナデはニッコリと笑みを浮かべたまま、淡々とした口調(くちょう)でセネトに説明をすると、

「ルチルが?」

セネトは驚いた表情を浮かべながら呟く。

「はい。 どうやら社交界(しゃこうかい)で、令息(れいそく)たちに囲まれて一方的に交際(こうさい)(せま)られ、困り果てていた令嬢(れいじょう)を見かねて、令嬢(れいじょう)令息(れいそく)たちの手から助けたそうです。 しかも、そう言った事をしたのは、一度や二度ではないらしく……。 助けた令嬢(れいじょう)たちを中心に『ルチルお姉さまをお(した)いする会』と言う、ファンクラブまで存在(そんざい)しています」

カナデは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら、驚いているセネトにそう付け加える。

「……社交界(しゃこうかい)に何をしに行っているんだ……。 そんな事をしているから、婚約者(こんやくしゃ)出来(でき)ないんだろ……」

カナデの話を聞いて、セネトは思わず自分の(ひたい)片手(かたて)を添え、ゲンナリとした表情を浮かべながら、そう呟いた。

「……ルチルなら、やりかねないな」

ロナードは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら言うと、

「自分よりも体格(たいかく)の良い令息(れいそく)たちを無双(むそう)するルチル(じょう)に、助けられた令嬢(れいじょう)たちがすっかり()れてしまった様です」

カナデは、事務的(じむてき)口調(くちょう)でそう言った。

「まあ、男の(おれ)の見ても、ルチルは男前だからな」

ロナードは、苦笑(にがわら)いを浮かべたままそう言うと、

「それ、ルチル当人(とうにん)に言ったら、(ころ)されるぞ」

セネトは、真剣(しんけん)面持(おもも)ちでロナードにそう忠告(ちゅうこく)をした。

「分かっている。 彼女を(てき)に回す気はないから安心しろ」

ロナードは、苦笑(にがわら)いを浮かべたまま、真剣(しんけん)な顔をしているセネトにそう言った。

「だったら良いが……」

セネトは、溜息(ためいき)混じりにそう言ってから、

「アルスワット公爵(こうしゃく)協力(きょうりょく)は、兄上を帝位(ていい)に就ける(ため)には必要(ひつよう)不可欠(ふかけつ)だ。 そのアルスワット公爵が、その様に望んでいるのなら、出来(でき)る限りその意向(いこう)(こた)えるのが妹である(ぼく)(つと)めだ。 サリアには了解(りょうかい)したと伝えてくれ」

真剣(しんけん)な表情を浮かべ、落ち着いた口調(くちょう)でカナデに言うと、

(おれ)もサリアに世話(せわ)になっている手前、自分が出来(でき)る事には、協力(きょうりょく)()しまないと伝えてくれ」

ロナードも真剣(しんけん)な表情を浮かべながら、カナデに言った。

「分かりました」

彼は、落ち着いた口調(くちょう)でそう返すと、(うやうや)しく(こうべ)を垂れた。

 その時、カナデが一瞬(いっしゅん)だけほくそ笑んだのを見て、アイクは物凄(ものすご)く嫌な予感(よかん)を覚えた。


「ああ……。 緊張(きんちょう)する」

セネトは、先程(さきほど)から(いそ)しく音を立てている自分の心臓を、少しでも落ち着かせようと、胸元に手を添えて、何度も大きく深呼吸(しんこきゅう)をする。

 今まで、パーティーに参加する事はあったが、そこで彼女が何かをすると言う事は無かったし、(ほとん)(かべ)の花で、(だれ)も彼女の事など気にも留めなかった。

 でも、今日は事情(じじょう)(ちが)う。

 自分たちから積極的に、集まった者たちに接触(せっしょく)し、彼等(かれら)好印象(こういんしょう)(あた)え、少しでも兄カルセドニ皇子(おうじ)への支持(しじ)を得ると言う目的がある。

 今回は、ガイア神教(しんきょう)聖女(せいじょ)選別(せんべつ)試験(しけん)を無事に合格した者たちの中から、老子(ろうし)司祭(しさい)たちにより厳選(げんせん)なる審査(しんさ)()て、正式に聖女(せいじょ)になった人物を(おおやけ)に紹介する場である。

 寺院(じいん)との(つな)がりが希薄(きはく)な、第一側(だいいちそく)()やその子供である、ネフライト皇太子(こうたいし)とティティス皇女(こうじょ)はこのパーティーには参加しないが、兄が寺院(じいん)(せい)騎士(きし)をしているセネトは、このパーティーに参加する事を選んだ。

 この場所には、多くの寺院(じいん)の関係者は勿論(もちろん)、ガイア神を熱心に信仰(しんこう)している貴族(きぞく)たちが集まる。

 普通(ふつう)のパーティーとは(ちが)い、(せい)騎士(きし)をしているカルセドニ皇子(おうじ)支持(しじ)を、()(やす)い場でもある。

(責任(せきにん)重大(じゅうだい)だ)

セネトは、心の中でそう呟くと、ゴクリと息を呑んだ。

「セネト。 大丈夫(だいじょうぶ)か?」

自分の隣で、セネトが顔を引きつらせ、何時(いつ)も以上には緊張(きんちょう)している様子(ようす)を見て、ロナードは心配そうに声を掛けたが、彼女は聞こえていない様だ。

「セネト?」

ロナードは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべ、少し大きな声で声を掛けると、彼女はハッとした表情を浮かべ、声を掛けた彼の方へと振り返った。

「何か、言ったか?」

彼女は、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら、ロナードに問い掛ける。

「いや……」

彼女の様子(ようす)に、ロナードは心配になりながらも、そう返した。

 (うたげ)開始(かいし)のファンファーレが鳴り響き、身分(みぶん)の低い者から順に会場に入り始めた。

 そうして徐々に、人が会場の中に移動していき、セネトとロナードの番が近付いて来たので、ロナードはセネトをエスコートする(ため)、スッと彼女に手を差し出した。

 けれども、セネトはそれに気付いていないので、

「セネト」

ロナードは、優しく彼女に声を掛けると、

「え。 あ」

そこで初めて、ロナードが自分に手を差し出している事に気が付くと、(あわ)てた様子(ようす)で、彼の手の上に自分の手を重ねて来た。

 セネトの手は、緊張(きんちょう)からか冷たく、(かす)かに(ふる)えていた。

「セレンティーネ・ヴァン・リアン・エレンツ皇女(こうじょ)殿下(でんか)ならびに、ご婚約者(こんやくしゃ)ユースティリアス・フォン・リュディガー伯爵(はくしゃく)のご入場です」

入り口に立つ、初老(しょろう)使用人(しようにん)が声高に、会場に居る者たちにそう告げると、会場からどよめきが起きると同時に、人々の視線(しせん)一斉(いっせい)に二人に集まる。

 そんな中を、セネトは緊張(きんちょう)して(ふる)える手で、ロナードの手を(にぎ)()めながら、ぎこちない足取りで会場の中央へと進む。

(セネト……。 今にも(たお)れそうだ)

自分の隣で、緊張(きんちょう)のあまり引き()った表情で、()き慣れないハイヒールで()けない様に、慎重(しんちょう)に歩みを進めるセネトを見ながら、ロナードは心配そうな顔をして彼女を丁寧(ていねい)にエスコートする。

 そうして不意(ふい)に顔を上げた時、会場に居る者たちの中から、(だれ)よりも強く見つめている視線(しせん)とぶつかった。

 自分と同じ、深い紫色の双眸(そうぼう)を持った若い女性……。

(リリアーヌ?)

自分を見ているその若い女性の顔を見るなり、ロナードは驚愕(きょうがく)の表情を浮かべ、思わず声に出しそうになった。

(何で……彼女が此処(ここ)に……)

()間違(まちが)いかと思い、ロナードは一度(いちど)視線(しせん)を手元へ落とし、(あらた)めて周囲(しゅうい)をゆっくりと見回した後、もう一度、壇上(だんじょう)へ目を向けた。

白いローブに身を包んだ数人の司祭(しさい)たちに両脇(りょうわき)を挟まれる様にして、一人だけ白を基調(きちょう)とした、金色の刺繍(ししゅう)(ほどこ)された、高価(こうか)なドレスに身を包んだ彼女が、静かに笑みを浮かべながら、確かに、間違(まちが)いなく、そこに立っていた。

「な……んで……」

ロナードは、壇上に立つ彼女を凝視(ぎょうし)したまま、信じられないと言った様子(ようす)で、(かす)かに声を(ふる)わせながら呟いた。

「ロナード?」

さっきまで、落ち着いた様子(ようす)で自分をエスコートしていたロナードの手が、(かす)かに(ふる)えている事に気付いたセネトは、そう(つぶや)くと(おもむろ)に彼を見上げた。

 ロナードは、一点を見つめたまま、恐怖(きょうふ)に表情を引きつらせ、その顔からはすっかり血の気が失せていた。

 意味が分からぬまま、セネトはロナードが見つめる先へと目を向けた瞬間(しゅんかん)、思わず()が目を(うたが)った。

「リリアーヌ?」

セネトは、周りに居た者たちにも分かる(ほど)声量(せいりょう)で、思わず声を上げると、咄嗟(とっさ)にロナードを見上げた。

 一瞬(いっしゅん)(いき)をする事さえ忘れていたのか、ロナードは『かはっ』と苦しそうな声を上げ、(おもむろ)に自分の胸元(むなもと)を押さえると、苦しそうに顔を(ゆが)め、その場で足元から(くず)れ落ちそうになる。

「ロナード!」

咄嗟(とっさ)にセネトが、(くず)れ込んだロナードの体を(ささ)える。

 その様子(ようす)を見た人々の間から悲鳴(ひめい)が起き、近くに居た使用人(しようにん)たちが、ロナードに押し(つぶ)されそうになっているセネトを見て、(あわ)てて駆け寄ると、真っ青な顔をして、苦しそうに呼吸(こきゅう)を繰り返している彼の体を両脇(りょうわき)から(ささ)えながら、ゆっくりと近くの(かべ)(もた)れ掛けさせる。

 ロナードは、(かべ)に身を預ける様な格好(かっこう)で、その場に(うずくま)る。

大丈夫(だいじょうぶ)ですか?」

(だれ)か! 早く医者(いしゃ)を!」

その様子(ようす)を見て、近くに居た使用人(しようにん)たちが、(あせ)りの表情を浮かべながらロナードに声を掛ける。

「ロナード。 ロナード? 大丈夫(だいじょうぶ)か? 返事をしろ!」

セネトは、頻りに胸元を押さえ、苦しそうな顔をしているロナードに、必死(ひっし)に声を掛けながら、彼の背中を(さす)る。

「……と。 セネト……」

ロナードは、やっと呼吸(こきゅう)をしている様な様子(ようす)で、苦しそうに、助けを求める様なか細い声で、自分の側に居たセネトの名を(つぶや)く。

(ぼく)はここだ!」

自分の名を(つぶや)くロナードの手を(にぎ)りしめ、セネトは強い口調(くちょう)で返す。

 彼女が(にぎ)りしめているロナードの手が、(ふる)えている。

「……ろ。 にげ……ろ……」

ロナードは、自分の前に身を(かが)めるセネトの肩をガッと(つか)み、鬼気(きき)(せま)様子(ようす)でそう(うった)えて来た。

「落ち着け」

セネトは、すっかり動転(どうてん)している様子(ようす)のロナードに、落ち着いた口調(くちょう)でそう声を掛ける。

殿下(でんか)! ロナード様!」

(さわ)ぎを聞きつけ、控室(ひかえしつ)に居たギベオンがそう叫びながら、会場に駆け込んで来た。

「ギベオン!」

セネトは思わず立ち上がり、助けを求める様に声を上げる。

殿下(でんか)!」

ギベオンは、セネトとロナードの姿を認めると、人混(ひとご)みを()き分けながら、此方(こちら)へと近付いて来た。

「何が……起きて……」

グッタリと(かべ)(もた)れ掛かり、真っ青な顔をして、胸元(むなもと)を押さえたまま、苦しそうに呼吸(こきゅう)をしているロナードを見て、ギベオンは戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら、セネトに問い掛ける。

「説明は後だ。 早くロナードを此処(ここ)から連れ出すぞ」

セネトは、何時(いつ)になく(けわ)しい表情を浮かべ、ギベオンにそう言った。

 ギベオンと、近くに居た使用人(しようにん)両脇(りょうわき)(かか)えられるようにして、入って来たばかりだと言うのに、セネトに付き()われ、会場の外へと連れ出されるロナードを見送(みおく)りながら、

「もう()げられませんよ。 ユリアス」

リリアーヌは意味深(いみしん)な言葉を呟くと、ニッコリと笑みを浮かべた。

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