欲望の交錯
主な登場人物
ロナード(ユリアス)…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指している。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト(セレンディーネ)…エレンツ帝国の皇女。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしている。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な女性。 十九歳。
シリウス(レオフィリウス)…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
ティティス…セネトの腹違いの妹。 とても傲慢で自分勝手な性格。 家族内で立場の弱いセネトの事を見下している。 十七歳。
ルチル…帝国の第三騎士団の隊長を務めている女性。 セネトと幼馴染。 今はティティスの護衛の任に就いている。 二十歳。
ギベオン…セネト専属の護衛騎士。 温和で生真面目な性格の青年。 二十五歳。
ルフト…宮廷魔術師長サリアを母に持ち、魔術師の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟に当たる。 二十歳。
ナルル…サリアを主とし、彼女とその家族を守っている『獅子族』と人間の混血児。 とても社交的な性格をしている。
ネフライト…第一側妃の息子でティティスの同腹の兄。 皇太子の地位にあり、現在、次のエレンツ帝国皇帝の座に最も近い人物。
エルフリーデ…宮廷魔術師をしている伯爵令嬢で、ルフトの婚約者。 ルフトの母であるサリアの事をとても慕っている
カルセドニ…エレンツ帝国の第一皇子でセネトの同腹の兄。 寺院の聖騎士をしている。 奴隷だったシリウスとハニエルを助け、自由の身にした人物。
アイク…ロナードの専属護衛をしている寺院の暗部に所属していた青年。 気さくな性格をしている。
セネトは私室で、ある人物と会っていた。
「ああ。 殿下。 お会い出来て光栄です」
この男は、サルヴェール伯爵の長男で、嘗てセネトから婚約式をボイコットされ、新たな婚約者と噂されているロナードを逆恨みし、宮廷内で乱闘騒ぎを起こし、セネトへの接近を禁止され、宮廷の出入りを禁止された人物である。
彼の母、サルヴェール伯爵夫人ルネッタは、その事に対して強い不満と憤りを抱き、セネトと共に領内の視察に訪れたロナードを葬る事を画策。
彼女の所為で、セネトとロナード、ルチルの三人は数日間、崩壊した坑道内に取り残され、ロナードを庇い岩の下敷きになり、怪我を負ったセネトは一時、命をも危ぶまれた。
結局、ルネッタ計画は失敗に終わり、口封じの為にロナードたちを襲撃したが、ギベオン等によって防がれてしまった。
この騒ぎで、魔物と化したルネッタにより、彼女の夫で領主であるサルヴェール伯爵は石にされてしまい、絶命。
管理者を失った帝国随一の鉱山を誰に任せるべきか、セネトの父であるランサイト皇帝の最近の頭痛の種は専らそれである。
「……何故、ここへ呼ばれたか、理解していて、その様な事を言っているのか?」
一番奥にある一人掛けのソファーに座っていたセネトは、組んでいる足を変えながら、淡々とした口調で問い掛ける。
「勿論で御座います」
サルヴェール伯爵子息ナデルは、愛想笑いを浮かべながら答える。
「ほう」
セネトは、冷ややかな視線を彼に向けながら呟く。
「私との婚約を考え直して下さったからで御座いましょう?」
ナデルは満面の笑みを浮かべ、セネトにそう言い放った。
(は? コイツ。 ガチで何言ってるの?)
その言葉を聞いて、セネトの隣に控えていたルチルは、額に青筋を浮かべながら心の中でそう呟いた。
(その自信は何処から来るのか、不思議でならないな……)
同じく、セネトの隣に控えていたギベオンも、心の中でそう呟くと軽い眩暈を覚えた。
「何故……その様な考えに至るのか……理解に苦しむのだが?」
当のセネトも、ナデルがそう思ったのか、理解に苦しんでいる様で、自分の額に片手を添え、特大の溜息を付いてから、淡々とした口調で言った。
「違う……のですか?」
ナデルは、自分の予想とは異なる反応を示すセネトに、戸惑いの表情を浮かべながら問い掛ける。
「当たり前だ。 そもそも何故、僕がお前と婚約しなければならないのだ?」
セネトは、溜息を付いてから、淡々とした口調で言い返した。
「それは勿論、私ほど殿下をお慕いしている者が居ないからです」
ナデルは満面の笑みを浮かべながら、サラリとそう言い放った。
(殺そう)
ナデルの言葉を聞いて、一緒に居たギベオンは殺意を覚え、心の中でそう呟くと、思わず自分の腰に下げている剣の柄を掴んだ。
「ほう。 ならば聞くが、お前は己の命の危険を顧みず、躊躇も無く、僕を助ける事が出来るのか?」
ナデルの言葉に、セネトもイラッとした様で、額に青筋を浮かべながら、引き攣った笑みを浮かべて問い掛けた。
「殿下が、そうお望みなのでしたら、喜んで」
ナデルは、満面の笑みを浮かべながら、間髪置かずにそう答えたが、その言葉に誠実さは感じられず、口先だけで、紙の様に薄いモノのように思えた。
彼は、容姿こそ平凡だが、帝国最大の鉱山を要するサルヴェール伯爵の子息である彼に、言い寄る女性は数多居るのだろう。
女遊びが酷い事で有名だ。
多くの女性が、彼の爵位と財力に魅力を感じているとは思っていないのか、どうも自分の容姿に過剰の自信を持っている様で、自分がニッコリ微笑めば、落ちない女性は居ないと思っている節がある。
残念ながら、ロナードを見慣れているセネトには、全く効果が無い様だ。
(キモっ!)
満面の笑みを浮かべるナデルの顔を見て、ルチルは何とも言えぬ嫌悪感を覚え、全身に鳥肌を立て、心の中でそう絶叫した。
「まあ……口で言うのは誰でも出来る」
セネトは、溜息混じりで言う。
「そんな! 私は本当に心から殿下をお慕い致しております! 私以上に殿下を想って居る者など、この帝国では居ないと自負しております!」
ナデルは物凄く必死な形相で、自分の胸元に片手を添え、セネトにそう訴える。
(……こんな茶番を見せられる為に私は態々、呼ばれたのか?)
同席していたシリウスは、心の中でそう呟きながら、冷ややかな視線をナデルに向ける。
「……そう思うのは勝手だが、だからと言って、僕の婚約者を危険に晒して良い理由にはならないぞ」
セネトは、特大の溜息を付いてから、淡々とした口調で語る。
「な、何の事でしょうか………」
セネトの言葉を聞いた途端、誰の目から見ても明らかに、ナデルの顔から血の気が引き、引き攣った笑顔を浮かべながら、しどろもどろに答えた。
「惚けるな。 お前が侍女に命じてカナデ王子を唆し、侍女と協力して僕の婚約者を不当に拉致し、危害を加えた挙句、国外へ連れて行こうとしたと、カナデ王子が全て自供したぞ」
セネトは、冷ややかな視線を彼に向けながら、冷たい口調で言い放った。
「なっ………」
セネトの言葉を聞いて、ナデルの顔から益々血の気が引き、表情を凍り付かせる。
「この間の宮廷内で起きたボヤ騒ぎも、お前の所の侍女がしたと自供した」
セネトは、追い打ちをかける様に、淡々とした口調でナデルに語る。
「ご、誤解です! 全ては侍女とカナデ王子が勝手にした事です! その様な恐ろしい事を命じる訳が御座いません!」
ナデルは慌てふためきながら、そう弁明するが、
「どうだかな。 お前は随分と私の弟に、婚約者の座を奪われた事を根に持っている様じゃないか」
シリウスが冷ややかな視線を彼に向けながら、淡々とした口調で指摘する。
「そ、それは………先程も申した通り、私は本当にセレンディーネ様の事をお慕いしていたので……。 なかなか割り切る事が出来ないのです」
ナデルは、しどろもどろになりながらも、焦りの表情を浮かべ、全身に冷や汗を流しながら答えた。
「ものは言い様だな」
セネトは、冷ややかな口調で言うと、隣に居るルチル頷き、
「全くだわ」
嫌悪に満ちた表情を浮かべ、冷たくそう言い放った。
「お前が欲しかったのは、殿下と結婚する事で得られる名誉と地位だろ」
シリウスは、自分の胸の前に両腕を組み、淡々とした口調で指摘する。
「そ、そんな事は!」
シリウスの言葉を聞いて、ナデルは益々焦りの表情を浮かべつつも、そう反論する。
「お前の母親、サルヴェール伯爵夫人ルネッタが、僕と共に領内に訪れた、僕の婚約者を始末する事に失敗したと知り、お前は予てから計画していた事を実行する事にした訳だ」
セネトは淡々とした口調でナデルにそう語ると、一連の事件の調査の詳細が書かれた報告書を、テーブルの上に差し出した。
「全く……。 母子揃って、私の弟に手を掛けようとすとは……つくづく救えんな」
シリウスは、特大の溜息を付きながら、呆れた表情を浮かべながら言ってから、
(今直ぐ、ぶつ切りにしてやろうか)
心の中でそう付け加えた。
「見ての通り、僕の婚約者の兄である、ノヴァハルト伯爵と本家のアルスワット公爵は、この一件に対して酷く立腹している。 この一件の黒幕であるお前に対し、連名で責任と賠償を求めるそうだ」
セネトは、淡々とした口調で、ナデルに状況を説明すると、彼の顔からサーッと血の気が引く。
「しょ、証拠は!」
ナデルは、慌てふためきながら、セネトにそう問い掛けると、
「お前が関与した証拠なら山ほどあるぞ。 あまり、私を舐めない方が良い」
シリウスが、その手に持っている、ナデルが関与した事を裏付ける報告書が入った封筒をチラつかせながら、淡々とした口調で言う。
「……だそうだ。 今回の一件に関して、キッチリと罪を償って貰うぞ」
セネトは、淡々とした口調でナデルにそう言い放ってから、
「罪人を連れて行け」
側に居たギベオンにそう命じた。
「はっ!」
ギベオンが敬礼をし、そう返すと、部屋に控えていた兵士たちがナデルに元に歩み寄り、彼の両脇を抱え、座っていた彼を無理矢理に立ち上がらせる。
「お、お、お待ち下さい殿下! 私は本当に殿下の事をお慕いして………」
ナデルは焦りの表情を浮かべ、顔色を赤くしたり青くしたりしながら、必死にそう訴える。
「戯言は、相手を選んで言え。 僕がその様な言葉に惑わされるとでも?」
セネトは、物凄く冷たい視線をナデルに向けながら、氷の様に冷たく言い放った。
「違うのです殿下! あの様な男をお側に置くのは、殿下の威厳に関わります! 殿下の枷になるだけで御座います!」
ナデルは、自分の両脇を抱えている兵士たちの手を振り解こうとしながら、必死にセネトにそう訴える。
「ほう。 私の弟が、殿下の評価を下げる事しか出来ない無能だと?」
それを聞いたシリウスが、額に青筋を浮かべ、殺気を放ちながら、冷たい口調でそう呟くと、ジロリとナデルを睨み付けると、彼は一瞬息をする事を忘れてしまった。
(あ、コイツ死んだわ)
シリウスの反応を見て、ルチルは心の中でそう呟いた。
「そうではありませんか! 見目が良いだけの、何も出来ない若造が!」
シリウスの突き刺すような視線に怯みつつも、ナデルはそう言い返した。
「……流石に、何も出来なくはないですよ」
シリウスと共に居たハニエルが、ニッコリと笑みを浮かべながらそう指摘すると、
「その気になれば、お前くらい簡単に殺せるぞ」
シリウスも頷きながら、淡々とした口調で言った。
「自分が前に、ロナードに返り討ちにされた事、もう忘れちゃったのね?」
ルチルも、苦笑いを浮かべながらナデルにそう指摘すると、忽ち彼の表情は凍り付いた。
「瀕死の殿下を己の危険を顧みずに、光の治癒魔術を用いて助けましたし、今回の一件の賊も彼が捕まえた様なものです。 術師としても、兵としても、とても優秀な方だと自分は思いますが」
ギベオンが落ち着き払った口調でそう語ると、セネトもウンウンと何度も頷いている。
「何より、セティ好みの顔だしね」
ルチルが意地の悪い笑みを浮かべながら言うと、
「一言余計だ!」
セネトは忽ち顔を真っ赤にして、思わず声を荒らげながら、彼女にそう言い返す。
「諦めた方が良いと思いますよ。 何処を取っても、貴方が勝てる要素は無さそうですから」
茫然としているナデルに向かって、ハニエルがにっこりと笑みを浮かべながら、そう言い放った。
「ってか、セネトの事を想ってるって点でも、アンタより上だと思うけど? アンタは口先だけだけど、ロナードは既に行動で示してるし」
ルチルはチラチラとセネトを見ながら、ニヤニヤと笑みを浮かべ言うと、
「そうだな。 殿下への気持ちが無ければ、あんな危ない事はしなだろう」
ギベオンも頷きながら、落ち着いた口調で言う。
「なっ………。 お、お前たち何を言って……」
二人の言葉を聞いて、セネトは焦りの表情を浮かべながら言い返す。
「は? アンタそれ、マジで言ってるの?」
セネトの反応を見て、ルチルは呆れた表情を浮かべながら言う。
「ああまでしたのに、理解されないとは……ロナード様が気の毒でなりません」
ギベオンも軽く溜息を付いてから、『やれやれ』と言わんばかりにそう言った。
「お前、人の弟をその気にさせておいて、それは無いだろ……」
シリウスも、『信じられない』と言った様子でセネトに言うと、隣に座っているハニエルも何度も頷いている。
「なっ……」
彼等の反応に、セネトは戸惑いの表情を浮かべている。
「はあ……」
部屋の隅でセネトの様子を見ていたアイクは、思わず額に片手を添え、溜息を付き、
(まだまだ先は長そうですよ。 主)
心の中で、療養中の為この場に来る事が出来なかったロナードに対して、そう言った。
後日……。
「結局、サルヴェール伯爵家は爵位剥奪、ロナードへの賠償として全財産を没収の上、取り潰しね……」
ルチルは、裁判の結果が記された報告書に目を通しながら、何処か納得がいかないと言った様子で呟く。
「それはそうだろう。 母子揃って、あんな真似をしたのだ。 寧ろ、極刑にならない方が不思議なくらいだ」
ソファーに座り、紅茶を啜りながら、シリウスは淡々とした口調で返す。
「ホントですよ。 主にあんな真似しといて、この程度だなんて! オレが直々に始末してやりたいくらいですよ」
ロナードが横になっているベッドの側にある椅子に座り、リンゴの皮を剥いていたアイクが、不満に満ちた表情を浮かべながら言う。
「止めておけ」
上半身を起こした格好で、彼らの話を聞いていたロナードが、落ち着いた口調でアイクを諫める。
「でも……」
アイクは、不満に満ちた表情を浮かべ、口を尖らせながら呟く。
「お前の手を汚させる程の価値も無い奴だ。 爵位を失い、財産も失ったアイツが今後、どの様に生きていくのか、見物じゃないか」
ロナードは、落ち着いた口調でそう言うと、アイクが切り分けたリンゴを口に運ぶ。
「そんな悠長な事を言って良いんですか? もし、主にまた危害を加える可能性だってあるんですよ?」
アイクは、不満に満ちた表情を浮かべたまま、美味しそうにリンゴを頬張っているロナードに言う。
「そうしたくても、人を雇う金すら無い。 そもそも、奴自身は既に、ロナードに返り討ちにされているしな」
奥のソファーで寛いでいたセネトが、落ち着いた口調で言うと、用意された焼き菓子に手を伸ばす。
「皇帝陛下も、何か考えがあっての事だろう。 俺はその判断に従うまでだ」
ロナードは、落ち着いた口調で言うと、
「恐らくですが……陛下は真の黒幕は別に居るとお考えなのでしょう」
セネトの側に影のように控えているギベオンが、落ち着いた口調でそう指摘する。
「つまり、サルヴェール伯爵の子息は、そいつに利用されたって事?」
テーブルを挟んで、セネトの向かいのソファーに腰を下ろし、彼女と一緒に焼き菓子を頬張っていたルチルが、その手を止めてギベオンに問い掛ける。
「そうだ」
ギベオンは、落ち着いた口調で返す。
「真の黒幕を突き止める為に、敢えてサルヴェール伯爵の子息を泳がせる魂胆だな……」
セネトも落ち着いた口調で言うと、紅茶を啜る。
「カナデだったかしら? アイツも何時の間にか無罪放免になって、釈放されているものね……」
ルチルは真剣な表情を浮かべながら指摘すると、
「状況からして、サルヴェール伯爵の侍女と共に、極刑を言い渡されても可笑しくなかったが、無罪放免になったと言う事は、それ相応の力が働いたと見て良いだろう」
シリウスは、神妙な面持ちでそう指摘すると、
「まあ、そんな真似をする奴が誰なのか、大体は分かっているけれど、それを追求出来る程の材料が今の所ないと言うのが現状ね」
ルチルは、淡々とした口調でそう語った後、溜息を付いた。
「もどかしいですね」
アイクが、不満そうな表情を浮かべながら言う。
「アイツ等は昔からそうだ。 母親や親戚縁者の権力と財力にモノを言わせ、自分たちにとって都合の悪い事は揉み消してきた」
セネトは、表情を険しくし、嫌悪に満ちた口調で呟く。
「そんな事が出来るのも最早時間の問題だ。 近い将来、その地位から引きずり降ろしてやる」
シリウスが不敵な笑みを浮かべながら言うと、
「何事も程々にして下さいよ」
ハニエルが苦笑いを浮かべながら、シリウスに念を押す。
「どうした? ロナード? さっきから深刻な顔をして……」
先程から、上の空と言った様子で話に加わって来ないロナードに、セネトは徐にそう声を掛ける。
「あ、いや……。 俺は別の事がずっと気になっている」
セネトに声を掛けられ、ロナードはハッとした表情を浮かべると、彼は何処か神妙な面持ちでそう答えた。
「別の事?」
セネトは小首を傾げながら、ロナードに問い掛ける。
「ルネッタ伯爵夫人と一緒に現れたあの老婆……。 もしかすると以前、ベオルフ宰相の所に居た魔女かも知れない……」
ロナードは、神妙な表情を浮かべ、重々しい口調で答えると、
「えっ……」
彼の言葉を聞いて、セネトは戸惑いの表情を浮かべる。
「フードを深々と被っていたから、顔をハッキリと見た訳では無いんだが……。 なんとなく、纏っている雰囲気や魔力、声の感じなどが似ている気がするんだ」
ロナードは、神妙な表情を浮かべたまま、そう続けた。
「その魔女とは、亡くなっていたリディアの魂を、彼女に良く似せた人形に定着させて、操っていたというネクロマンサーの事か?」
シリウスが、戸惑いの表情を浮かべながら、ロナードにそう問い掛けると、彼は真剣な面持ちで頷き返す。
「貴方から聞いた限り、様々な禁術に手を出している様子でしたが……」
ハニエルは、自分の顎に片手を添え、神妙な表情を浮かべながら呟く。
「そんな危険な奴を、寺院が野放しにしいるとは思えないけど……」
ルチルが、戸惑いの表情を浮かべながら言うと、
「そう認識されていなければ、監視のしようも無いだろう」
ギベオンが落ち着いた口調でそう指摘すると、
「確かに……」
ルチルは、神妙な面持ちで呟く。
「貴方が身に着けている物と同じ魔道具を使えば、魔力を外部に漏れる事を防ぐ事が出来ます。 完全ではありませんが、寺院にとって脅威ではないと認識する程度にまで、制御する事は可能です」
ハニエルが落ち着いた口調で説明する。
「でも、その魔道具は簡単に手に入る物では無いわよ?」
ルチルが、真剣な面持ちで指摘すると、
「禁術に手を出している様な奴だ。 感知の目を誤魔化す事くらい造作も無いだろう」
セネトが、淡々とした口調で答えた。
「……」
彼等の間に、何とも言い難い重苦しい空気が漂い始める。
ロナードは、物凄く不安そうな顔をして押し黙っており、そんな彼を心配そうにアイクは見守っている。
「それが事実だとしたら、色々とヤバイな……」
シリウスが、苦々しい表情を浮かべながら呟く。
「僕から、兄上にそう言った危険人物が、帝国本土に居ると言う事を伝えておこう」
セネトが、真剣な面持ちでそう提案すると、
「それが宜しいかと」
ギベオンが真剣な面持ちで言うと、ルチルも頷く。
「僕等が探し出すには、色々と限界があるが、各地に支部があり、潤沢な人手がある寺院ならば、その魔女を探し出して捕らえる事も、そう難しい事では無いだろうからな」
セネトは、真剣な面持ちで語ると、
「頼む」
シリウスが、何時になく真剣な面持ちでそう返した。
(物凄く、嫌な予感がする)
ロナードは、不安に満ちた表情を浮かべながら、心の中で呟く。
「セレンディーネっ!」
若い娘の金切り声が部屋中に響き渡り、陶器のようなモノが壁か何かに激しくぶつかり、砕け散る音が続けざまに響き渡った。
居合わせた侍女たちは、自分たちに矛先が向く事を恐れ、揃って部屋の隅で小さくなり、身を震わせている。
「この役立たず!」
ティティス皇女は、自分が手に持っていた扇子で、自分の向かいのソファーに座っていたカナデを思い切り叩いた。
カナデは思わず、自分の顔を庇う様に両手で覆い、大人しくティティス皇女から叩かれる他なかった。
武芸に疎いカナデではあるが、成人男性がティティスの皇女の様な小柄な女性を、素手で制圧する事など造作も無いが、居合わせたネフライト皇太子と、彼の護衛が無言の圧を掛けて来て、そうする事を許さなかった。
「街で、汚らしい形で彷徨っていたお前を拾ってやったと言うのに、とんだ期待外れだわ!」
ティティス皇女は、カナデをそう罵りながら、扇子が折れそうな程に、思い切り彼を叩き続ける。
(寧ろ、こんな稚拙なやり方で、どうして上手くいくと思ったのか、逆に聞きたい)
カナデは、ティティス皇女に叩かれながらも、心の中でそう呟きながら、酷く冷めた視線を彼女に向ける。
サルヴェール伯爵家の侍女と共に、セレンディーネ皇女の婚約者であるロナードを誘拐し、国外へ連れ出そうと試みたが見事に失敗し、サルヴェール伯爵家の侍女と共に、投獄されていたのだが、彼の口から自分たちが関わっている事を告げられる事を危惧し、ネフライト皇太子が裏で根回しをして、全ての罪をサルヴェール伯爵家の侍女と、その主であるサルヴェール伯爵子息のナデルに着せ、彼を助け出した。
「このっ! このっ!」
ティティス皇女は腹の虫が収まらないのか、更に激しくカナデを扇子で叩いている。
(馬鹿に無駄に権力を与えるのも考え物だな。 自分の尻に火が付いている事に、全く気が付いていない様だ)
ティティス皇女に叩かれながら、カナデは冷静に心の中でそう呟く。
今回の一件、サルヴェール伯爵の子息の私情から引き起こされた事件として処理されたが、果たして、セレンディーネ皇女やロナードが、それで納得しているかどうか……。
何より、事件に直接関わったにも拘らず、無罪放免で釈放されたカナデの事を、不審に思っているに違いない。
裏で権力者が動いたと、誰でも思うだろう。
その権力者が誰であるのか。
彼等はそれを突き止めようとして来る筈だ。
それを、ネフライト皇太子もティティス皇女も、分かっているのだろうか。
「落ち着け。 力技が駄目なら、別の方法を取ればいいだけの話だ」
ネフライト皇太子は、紅茶を啜りながら、落ち着いた口調でティティス皇女に言った。
「別の方法?」
ティティス皇女は、扇子でカナデを叩くのを止め、兄の方へ振り返りながら問い掛ける。
「お前が彼に近づいて、セレンディーネから奪い取れば良いじゃないか」
ネフライト皇太子は、ニッコリと笑みを浮かべながら言った。
それを聞いた瞬間、カナデの頭の中が真っ白になった。
(本気で言っているのか?)
カナデは心の中でそう呟くと、思わずネフライト皇太子の方を見る。
「こんなに愛らしいお前に言い寄られて、その気にならない男は居ないだろう。 お前がちょっと甘い言葉で囁けば、イチコロだろ」
ネフライト皇太子は、何を根拠にそこまでの確信が持てるのか不思議なくらい、自信に満ちた表情を浮かべながら言った。
確かに、彼の言う通りティティス皇女はとても可愛らしい姫君だ。
だが、人の好みと言うのはそれぞれだ。
ティティス皇女が、ロナードの好みで無かったら成立しない話ではないか。
「それもそうね」
兄の言葉を聞いてその気になったのか、ティティス皇女は不敵な笑みを浮かべながら言う。
「待って下さい! 彼はセレンディーネ皇女と婚約している身です。 そんな簡単に他の女性に現をぬかしていては、彼自身の信用問題に関わります。 最悪、婚約破棄にもなりかねません」
カナデは、慌ててそう警告すると、
「それが目的なのだから、何の問題があると言うの? 私は、セレンディーネに自分が如何に無能であるかを思い知らせたいだけなの。 私よりも優れている事は許されないのよ。 皇女の中で一番なのは私でなくてはならないの」
ティティス皇女は、不敵な笑みを浮かべながら、カナデにそう言い放った。
彼女の言葉を聞いて、カナデは軽い眩暈を覚えた。
「セレンディーネを貶めれば、同腹の兄であるカルセドニの株も下がる。 私が皇太子であり続ける為にも、セレンディーネは無能であって貰わねばならないのだ」
ネフライト皇太子は、不敵な笑みを浮かべながら、そう付け加えた。
(成程。 他者を蹴落とす事で、自分たちの地位を守ろうという事か)
カナデは、嫌悪感に満ちた表情を浮かべつつ、心の中でそう呟く。
「そうと決まれば早速、彼を呼び出さなくてはね」
ティティス皇女は、不敵な笑みを浮かべながらそう言った。
「お茶会?」
ロナードは、読んでいた本から顔を上げ、ギベオンの方へと目を向ける。
「はい。 何でも謹慎が解けたので、ティティス皇女様とネフライト皇太子殿下が正式に謝罪がしたいとの事です」
ギベオンは、事務的な口調でそう言ってから、招待状が入った白い封筒をロナードに差し出した。
ギベオンから差し出された封筒を受け取り、封を切って内容を確認したロナードは、神妙な表情を浮かべ、
「罠……だろうな」
「その可能性が高いかと……」
ギベオンも、何とも言い難い微妙な表情を浮かべながら答えた。
「セネトは何と言っている?」
ロナードは、招待状を封筒の中に仕舞いながら、真剣な面持ちでギベオンに問い掛ける。
セレンディーネ皇女は勿論だが、ロナード宛てに届く手紙などは全て、使用人たちが一旦、封を開けて中に危険な物は無いか確認をしてから、当人の手元へ渡る。
それは、手紙と一緒に呪詛の類などが入っている可能性があるからだが、こう言った直接的な事をして来るのはあまり無い。
それでも、念には念をと言う訳である。
「殿下は、このお茶会に招待されていません。 あくまで、謝罪するのはアルスワット公爵一門に対しての様です。 ですので、流石の殿下も口出しする事を躊躇われている様です」
ギベオンは、複雑な表情を浮かべながら、ロナードの問い掛けに答える。
「……」
ギベオンの言葉を聞いて、ロナードは神妙な表情を浮かべながら、暫くの間、口を噤む。
「大方、アルスワット公爵一門と殿下の関係が縮まっている事に危機感を覚え、両者の間に楔を打つ事が、ネフライト皇太子たちの大まかな目的なのでしょう」
ギベオンは、神妙な表情を浮かべ、何やら思慮している様子のロナードに、自分の見解を語る。
「気が進まないのだが……」
ロナードは、軽く溜息を付いてから、ギベオンにそう言った。
通常、自分よりも身分が高い者からの招待を断るのは、とても無礼な事だとされており、余程の理由が無い限り、招待を受ければ参加するのが礼儀だ。
「それは難しいでしょうね。 あの一件で最も被害を受けられたのはロナード様ですから。 ロナード様が参加しないとなると、お茶会自体がなくなる可能性があります」
ギベオンは、複雑な表情を浮かべながら答える。
「それは、アルスワット公爵一門にとっては、あまり良い事では無さそうだな……」
ギベオンの返事を聞いて、ロナードは苦々しい表情を浮かべながら呟く。
公爵家であるアルスワット家が、ティティス皇女たちのお茶会を断った程度で、どうにかなる様な事は無いだろうが、自分が欠席する事で、両者の関係が悪くなるのは、ロナードも避けたいところだ。
特に、普段から世話になっているサリアやルフトの、宮廷内での立場が悪くなるのは頂けない。
「まあ、そうですね……」
ギベオンは、複雑な表情を浮かべながら答える。
「……サリア達と話し合う必要がありそうだ」
ロナードは、軽く溜息を付いてからそう言った。
彼としては、自分の婚約者であるセレンディーネ皇女を疎んで、幼い頃から嫌がらせをして来る相手と、仲良くお茶など飲みたくはないのだが……。
「そうなさって下さい。 宜しければ、此方に参加の有無を知らせて下さると助かります。 殿下も心配されていますので……」
ギベオンは、落ち着き払った口調でロナードに返した。
「何で今頃になって、お茶会をするんだろう。 大体、ネフライト皇太子たちが、イシュタル教会の聖女に操られて、島で僕たちと一悶着あったのって、何カ月も前の話だよ?」
宮廷魔術師たちの詰め所に、久々に出勤したロナードは、昼休みの時間を利用して、ティティス皇女のお茶会の事について、同僚で、アルスワット家の子息であるルフトに意見を求めると、彼は怪訝そうな表情を浮かべながらそう言った。
「そうね。 謹慎中だったとしても、誰かに会ってはいけないと言う制約があったとは、聞いていませんもの」
同僚で、ルフトの婚約者であるエルフリーデも、不審そうな顔をしてそう言った。
「怪しさ満点だね」
ルフトは、自分たちで用意した、薬草入りのお茶を一口飲んでから、思わずそう呟いた。
「俺もそう思う」
ロナードもそう返してから、茶を一口啜る。
「ギベオンが言う通り、僕等とセレンディーネ様が、これ以上仲良くならない為にって言うのもあるだろうけど……。 それだけが理由じゃなさそうな感じだよね……」
お茶請けに用意したナッツを摘まみながら、ルフトは不信感に満ちた表情を浮かべながら呟く。
「もしかすると、ティティス皇女と貴方の婚約を取り付けるつもりなのかも知れなくってよ?」
エルフリーデが何気ない口調でそう言うと、
「は?」
それを聞いて、ロナードは思わずそう呟くと、戸惑いの表情を浮かべる。
「いやいや……。 婚約式こそまだだけど、二人が婚約の宣誓書は既に、皇帝陛下や関係する部署に提出済みだからね? それを無かった事にしてティティス皇女とって……無茶苦茶じゃない?」
ルフトは苦笑いを浮かべながら、エルフリーデに言い返す。
「でも、書類を提出しただけで、公にはなってないのだから、撤回のしようはありましてよ?」
エルフリーデは、真剣な面持ちでそう指摘すると、
「……どう思う?」
ルフトは、戸惑いの表情を浮かべながら、ロナードに問い掛ける。
「嫌だが」
ロナードは、物凄く嫌そうな表情を浮かべ、そう即答した。
「それは分かってるよ」
ロナードの反応に、ルフトは苦笑いを浮かべながら言う。
「貴方が嫌でも、結局は家同士の問題ですもの。 サリア様が了承すれば、殿下との婚約を破棄しなくてはならなくなりますわよ? アルスワット公爵一門からしてみれば、皇族と縁続きになれば良いのですから、相手の皇女が誰であろうと、大した問題では無いと思いますわ」
エルフリーデは、落ち着き払った口調でそう指摘する。
「まあ、ぶっちゃけてしまえば、そうだけど……」
ルフトは、戸惑いの表情を浮かべながら言う。
「強く迫られたら、流石のサリア様も断れないかも知れませんわ」
エルフリーデは、真剣な面持ちで言うと、
「いや、そこは断って貰わないと困るんだが……」
ロナードは、物凄く困った様な表情を浮かべながら言う。
「そうよねぇ……」
エルフリーデは、溜息混じりに呟く。
「よし。 こうしよう。 今から君は、魔力欠乏症が悪化して寝込む」
すると、ルフトがポンと手を叩き、突然、その様な事を言い出した。
「そんな無茶苦茶な……。 俺が全快しつつあるのは、周りに居る誰もが知っている事だ。 万が一、仮病だと知られたら苦しい立場に立たされるのは此方だぞ。 それに、俺の体調が回復するまで待つと言われたら、それまでの話じゃないか」
ルフトの提案に、ロナードは戸惑いの表情を浮かべながら言う。
「そうですわよ。 そんな子供染みた理由が罷り通る筈がなくってよ」
エルフリーデも、呆れた表情を浮かべながらルフトに言い返す。
「だよねぇ……」
ルフトは、苦笑いを浮かべながら呟く。
「三人揃って、何をそんなに深刻な顔をしているの? そんな空気じゃあご飯を美味しく食べられないわよ?」
そこへ、何時の間に来たのか、宮廷魔術師長でアルスワット公爵家の当主であるサリアが、苦笑いを浮かべながら、揃って深刻そうな顔をして話していた、ロナードたち三人にそう声を掛けた。
「サリア様……」
「母上……」
思いがけぬサリアの登場に、エルフリーデとルフトは、戸惑いの表情を浮かべながら彼女を見る。
「例の……お茶会の事です」
ロナードは、ウンザリした様な表情を浮かべ、溜息混じりにサリアに答えると、
「あ~。 あれね」
サリアは、物凄く軽い口調で返す。
「ええ」
ロナードは、ゲンナリした表情を浮かべながら言うと、
「断ったから」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべ、サラリとそう言い放った。
「はい?」
ロナードは、あまりに思いがけない言葉に、戸惑いの表情を浮かべ、思わずサリアの方を見る。
「それ、本気で言ってる?」
ルフトも、戸惑いの表情を浮かべながら、サリアに問い掛ける。
「何か問題でも?」
二人が、物凄く驚いた顔をしているので、サリアも戸惑いの表情を浮かべながら問い返す。
「あ、いや、だって相手は皇族……」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべたまま、サリアにそう言うと、
「確かにそうだけど、あんな馬鹿兄妹の相手なんて面倒臭いでしょ? だから『そんな暇はありません』って言ってやったわ」
サリアは、キョトンとした表情を浮かべながら、実にサラリと言って退けた。
「つよ……」
サリアの言葉を聞いて、ルフトは苦笑いを浮かべながら呟く。
「当然でしょ? あの馬鹿兄妹に関わるだけ、時間と労力の無駄よ」
サリアは、ウンザリとした様な表情を浮かべ、溜息混じりに言うと、
「そんな事をして大丈夫なのですか? 宮廷内での立場とか悪くなる様な事は?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべたまま、心配そうにサリアに問い掛ける。
「大丈夫。 大丈夫。 あの馬鹿皇太子を推してるのって、第一側妃の親戚縁者か、利用してやろうって思ってる連中くらいで、真面な貴族は誰も推しちゃいないわよ。 あんなのが皇帝になったら帝国が傾いちゃうわ」
心配をするロナードを他所に、サリアはヘラヘラと笑いながら、そう言って退けた。
「確かに……」
ルフトは、苦笑いを浮かべながら言うと、
「うんうん」
エルフリーデは、真剣な面持ちで頷く。
「それじゃあ、三人が頭を抱えていた問題は解決って事で、折角だし、ちょっと街へご飯に行かない?」
サリアはニッコリと笑みを浮かべ、三人にそう提案する。
「はい! 是非!」
エルフリーデは、物凄く嬉しそうな表情を浮かべ、サリアにそう即答した。
「丁度、行ってみたいお店があるのよ。 でも、一人じゃあ入り辛いでしょ? だから付き合って」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべたまま、戸惑っているルフトとロナードに言うと、
「そう言う事でしたら、喜んで」
ロナードは、ニッコリと笑みを浮かべながら答え、
「まあ、母上がそこまで言うのなら……」
ルフトは、『仕方がないな』と言う様な顔をしながら、サリアに返した。
「あの……ここって、予約しても一か月待ちはざらだって言われている、今、とても人気のあるカフェですよね?」
エルフリーデは、サリアに連れて来られた店の二階にある、幾つかある個室の一つに通されると、戸惑いの表情を浮かべながら、徐にサリアに問い掛ける。
「その様ね?」
サリアは、慣れた様子で部屋の一番奥の席に腰を下ろしながら、そう答える。
「『その様ね?』って……。 大体、予約も無しにいきなり来て、直ぐに席に通される様な所では無いでしょうに……」
エルフリーデは、戸惑いの表情を浮かべながら言う。
しかも、二階の個室では、一日数組限定でランチやディナーが食べられるなど、流行に敏感なエルフリーデですら知らなかった。
「大丈夫よ。 このお店に出資しているの、私だから」
戸惑っているエルフリーデに、サリアはニッコリと笑みを浮かべながら答えた。
「ええっ!」
サリアの言葉に、エルフリーデは目を丸くして、思わず驚きの声を上げる。
「まあ、これは私の趣味みたいなものよ。 お店を出したくても出せない、将来有望そうな若い職人に投資をしているの」
サリアはニッコリと笑みを浮かべながら、戸惑っているエルフリーデに言う。
「凄いですね」
ロナードはそう言いながら、扉から一番手前の席に腰を下ろす。
「だって、良い物や優れた物は、ちゃんと世の中に広めるべきでしょう?」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべながら言う。
(サリア様が、やり手なのは知っていたけれど……)
エルフリーデは、戸惑いの表情を浮かべながら、心の中でそう呟くとサリアを見る。
「この事業は何れ、貴女に引き継いでもらおうと思っているのよ。 エフィ」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべながら、自分を見ていたエルフリーデに向かって言うと、
「わ、私がですか?」
サリアの思いがけぬ言葉に、エルフリーデは困惑を隠せない様子で言うと、
「当然でしょ? ルフトと結婚すれば、貴女は公爵夫人なのよ? ウチの娘になるんだから、私の持つノウハウを受け継いで貰わなきゃ。 それに良いお小遣い稼ぎになるのよ。 稼いだお金は全て貴女が好きに使って良いのよ」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべ、困惑して居るエルフリーデに言う。
「私などが、務まるでしょうか」
エルフリーデは、不安そうに言うと、
「大丈夫。 大丈夫。 貴女が自信を持てるまで、私がしっかりと教えてあげるわ。 これからの時代、女性も積極的に社会に出なくてはね」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべながら言う。
「有難う御座います。 サリア様のご期待に沿えるよう頑張ります」
エルフリーデは、感激した様子でサリアに言うと、
「そんなに気負わなくて良いのよ。 これはあくまで私の趣味の一環なのだから」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべ、優しい口調でエルフリーデに言う。
「僕たちを此処へ連れて来たのは、エフィにその話をするだけでは無いですよね?」
ルフトが、真剣な面持ちでサリアに問い掛けると、
「まあねぇ……」
彼女はニッコリと笑みを浮かべながら、そう答えてから、
「これからの、アルスワット公爵家についての作戦会議ってところかしら?」
真剣な表情になり、そう言った。
「俺が、その会議に参加しても良いのですか?」
ロナードは、真剣な面持ちでサリアに問い掛けると、
「何を言っているの? 貴方も立派なアルスワット公爵家一門の人間でしょ? 次の世代を担う者として、ルフトと一緒に一門を盛り立ててくれないと困るわ」
彼女は苦笑いを浮かべながら言うと、ロナードは戸惑いの表情を浮かべ、思わずルフトの方へと目を向けると、彼はニッコリと笑みを浮かべながら頷き返す。
「まずは、とても良い知らせよ」
サリアはニッコリと笑みを浮かべ、そう切り出すと、鉄をベースに金や銀で装飾が施された、蓋付の筒を、ロナードに差し出す。
「中を拝見しても?」
ロナードは、如何にも高そうな筒に戸惑いながらも、サリアにそう問い掛けると、
「是非、貴方の目で確認して頂戴」
彼女はニッコリと笑みを浮かべ、そう答えた。
ロナードは丁重に筒の蓋を開け、中に入っている高級そうな紙を取り出すと、それほ広げ、内容を確認する。
「俺が……伯爵?」
戸惑いの表情を浮かべ、思わずそう呟いた。
「良かったですわね」
「それは凄いね」
彼の言葉を聞いて、エルフリーデとルフトは揃って嬉しそうに言ったが、驚かない所を見ると、二人は先にこの事を知っていた様だ。
「妖光花の一件で第一側妃だけでなく、宮廷内外の多くの女性たちを救った事に加えて、建国祝賀祭での獅子族の暴動の件とか、他にも色々と助けたご褒美として、皇帝陛下から『リュディガー』の家名を賜ったの」
サリアはニッコリと笑みを浮かべ、伯爵の地位が与えられた経緯を簡単に説明した。
「まあ一番の理由は、皇女であるセレンディーネ様の婚約者が、爵位が無いのは格好がつかないと言ったところだろうね」
ルフトは、少し意地悪くそう言うと、
「それは一言余計ではなくって? 爵位を賜ったのは純粋に、ユリアスがこれまでやって来た事に対しての対価よ」
エルフリーデは、ムッとした表情を浮かべ、ルフトにそう言うと、
「有難う。 エルフリーデ」
自分に対して、気遣いを示してくれたエルフリーデに、ロナードは素直に礼を述べた後、
「けれど、ルフトが指摘した事も、かなりの割合で含まれている事は、俺自身が一番良く分かっているよ」
苦笑いを浮かべながら、エルフリーデにそう返すと、彼女は少し不満そうな表情を浮かべる。
「そう謙遜しないで。 その爵位に見合うだけの実力が貴方にはあると、皇帝陛下を含めて、多くの人達が認めていると言う証拠なのだから、もっと胸を張りなさい」
サリアは、苦笑いを浮かべながらロナードに言う。
「有難う御座います」
ロナードは、ちょっと気後れしている様子で言う。
「それに伴っての事だけれど、貴方の兄レオフィリウスは侯爵になったわ。 まあ、これは私が陛下と諸侯たちに働きかけたからだけれど……」
サリアは、苦笑い混じりにロナードに説明すると、
「サルヴェール伯爵家が取り潰しになって、領地と爵位が返還されたからね。 それで、次にその領地を誰が治めるかって事になって……。 母上がレオンを推したんだ」
ルフトが事務的な口調でそう補足する。
「サルヴェール領では、貴方もセレンディーネ殿下と共に、とても危険な目に遭ったし、その後もサルヴェール伯爵の子息に誘拐されたりと、一番被害を受けもの。 その位の対価があっても良いと思わない?」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべながら、ロナードに言うと、
「俺には、サルヴェール伯爵家の者たちがやった事が、どの程度の罪に相当するのか分かりかねます」
彼は、苦笑いを浮かべながら答える。
「全く。 欲のない子ね」
ロナードの言葉を聞いて、サリアは苦笑いを浮かべながら言う。
「変に貪欲よりかは良いよ。 身丈に合わない欲を持つと、当人も周り人達も不幸にするからね」
ルフトも、苦笑いを浮かべながら、サリアに言うと、エルフリーデも黙って頷く。
「レオンは変わらず、『ノヴァハルト』の家名を名乗るそうよ」
サリアは、事務的な口調でロナードに言う。
「『リュディガー』は、君の祖父であるオルゲン将軍が、エレンツに居た頃に使っていた家名だよ」
ルフトがニッコリと笑みを浮かべ、ロナードにそう説明する。
「そうだったのか……」
ロナードは、感慨深そうに呟く。
「これで少しは、オルゲン将軍へ義理を果たせたんじゃない?」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべ、優しい口調でロナードに言うと、
「そうだと良いですが……」
ロナードは、何とも言えない複雑な表情を浮かべながら呟く。
「何にしても、目出度い事だわ」
エルフリーデは嬉しそうに言うと、ロナードは微かに口元を綻ばせ、頷き返した。
「帝都にあるノヴァハルト家の邸宅を、そのまま受け継ぐ事になるのだけれど……。 ちょっと問題があって……」
サリアは、苦笑いを浮かべながら言う。
「?」
ロナードは、不思議そうな顔をして小首を傾げる。
「どうも家令が、ノヴァハルト家の資産を何年も前から、横領している様なの」
サリアは、深々と溜息を付いてから、ゲンナリとした表情を浮かべながら語ると、
「それ、ノヴァハルト侯爵は知って居まして?」
エルフリーデは、戸惑いの表情を浮かべながら、サリアに問い掛ける。
「知ったのは、私も彼も最近よ。 レオンは仕事で屋敷を空ける事が多いから……。 それで、主人が屋敷に殆ど居ないのを良い事に、好き放題していたらしいわ」
サリアは、両手で自分の頭を抱えながら、ゲンナリとした表情を浮かべながら言う。
「とんでもないね!」
その話を聞いて、ルフトは憤りを隠せない様子で言う。
「家令は、主人に代わって資産などを管理をするのが仕事でしょうに! その家令がよりによって横領をするなんて! 許されませんわ!」
エルフリーデも、憤りを隠せない様子で言う。
「当面、その家令の動向を探り、証拠を集める事が、新たにその屋敷の当主となった俺の仕事と言う事でしょうか?」
ロナードは、落ち着き払った口調で、サリアに問い掛けると、
「貴方は宮廷魔術師の仕事があるから、四六時中その家令を見張る事は無理だと思うの」
サリアが、真剣な面持ちで言うと、
「そうですね。 俺が留守をしている間に、屋敷の者たちの動向を探る術を持ちませんので」
ロナードは、苦笑いを浮かべながら答えると、
「じゃあ、どうするの? このまま野放しにしておくの?」
ルフトが、戸惑いの表情を浮かべながら、サリアに問い掛けると、
「安心して。 その為の人材を確保して来たわ」
サリアがそう言うと、部屋の隅に控えていた給仕に目で合図を送ると、その中年の給仕は徐に、部屋の扉を開いた。
部屋に入って来た人物を見て、ロナードは戸惑いの表情を浮かべ、
「カナデ……」
そう呟いた。
「この前は……申し訳ありませんでした。 ですが、私の様な立場の弱い者は、従う以外の選択肢がなかった事を、ご理解頂けると幸いです」
カナデは、バツの悪そうな顔をしながら、自分を見ているロナードに言う。
「正気なの? コイツはユリアスを誘拐した実行犯の一人じゃないか!」
ルフトは、カナデを指差しながら、強い口調でサリアに抗議する。
「人を指で指すものではないわよ。 ルフト」
サリアは、憤っているルフトに対し、苦笑いを浮かべながらそう窘める。
「今は、そんな事はどうでも良いでしょ!」
ルフトは、ムッとした表情を浮かべ、強い口調でサリアに言い返す。
「彼が無罪放免になった理由は、そう言う事なのですね?」
ロナードは、真剣な表情を浮かべ、サリアに問い掛ける。
「そんなところよ」
サリアは、不敵な笑みを浮かべながら答える。
「オレは反対です! 信用なりません!」
何処からかアイクが現れ、ロナードを庇う様にカナデの前に立ちながら、強い口調でサリアに言う。
「心配しないで。 彼は、ユリアスに危害を加えたり、裏切る様な真似は出来ないから」
サリアは、ニッコリと笑みを浮かべながら言うと、
「制約魔術……ですか?」
ロナードは微かに眉を顰め、徐にサリアに問い掛けると、
「そうでもしなければ、流石の貴方も理解を示してはくれないでしょう?」
彼女は、苦笑いを浮かべながら、ロナードに言う。
「だったら、彼では無くても良いでしょうに」
ロナードは、不満に満ちた表情を浮かべながら言うと、
「……貴方は、カナデを自分の側に置く事が不服なのか、それても、私が制約魔術で彼を縛った事が不満のなのか……。 何方なのかしら?」
サリアは、苦笑いを浮かべたまま、ロナードにそう問い掛ける。
「両方に決まっているでしょ! ユリアスを危ない目に遭わせた奴に、制約魔術を使ってまで、側に置こうと考えた母上の頭の中がどうなっているのか、是非とも知りたいよ!」
ルフトは、不満に満ちた表情を浮かべ、強い口調でサリアに抗議する。
「……これが、レオンだったら何も言わないくせに」
サリアは、ちょっとムッとした表情を浮かべながら言うと、
「あんな鼻につく、性悪ゴリラ野郎がどうなろうと、僕の知った事じゃないですけど、ユリアスをアイツと一緒にしては駄目でしょ!」
ルフトは声を荒らげながら、サリアにそう力説する。
(性悪……ゴリラ……)
ルフトの言葉を聞いて、ロナードは心の中でそう呟くと、思わず吹き出しそうになった。
「何故? ユリアスは貴方が言う、鼻につく性悪ゴリラ野郎の弟なのよ?」
サリアは、不思議そうにルフトに問い掛ける。
「例えアイツと血の繋がった弟でも、ユリアスはアイツとは全く別種類の人間だ! 見た目からして既に違うでしょ」
ルフトは、物凄く真剣な顔をして、強い口調で説明をする。
それには、一緒に居るロナードとエルフリーデもドン引きしている。
「兎に角、家令の事はカナデに任せて大丈夫だから」
サリアは、落ち着いた口調で言うが、皆一様に不安に満ちた表情を浮かべている。
「そんなに心配なのでしたら、其方の護衛殿に私の殺生の権限を与えて下さい」
カナデは、ニッコリと笑みを浮かべ、アイクの方を見ながら、落ち着き払った口調でそう言った。
「なっ……」
その言葉を聞いて、ルフトは戸惑いの表情を浮かべ、思わずカナデを見る。
「少しでも、私が不審な動きをした時は、遠慮なく殺して下さって結構です」
カナデは、戸惑っているアイクに向かって、ニッコリと笑みを浮かべ、そう言い放った。
「正気か?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべ、カナデに問い掛ける。
「私は至って真面目に言っています。 その位の事をしなければ、貴方の側に居る事を、サリア様を除いて此処に居る誰一人、納得はしてくれそうにないですから」
カナデは落ち着き払った口調で、ロナードの問い掛けに答える。
「好きにしなさい」
サリアは、軽く溜息を付いてから、半ば諦めた様な口調で言った。
「そんな無責任な!」
ルフトは、戸惑いの表情を浮かべ、サリアに言い返す。
「何にしても、これは決定事項よ。 変更は無いわ」
サリアが、淡々とした口調で言い放つと、徐に席を立つ。
「母上!」
それを見て、ルフトも席を立ち、そう言って引き留めようとするが、サリアはそのまま部屋を後にしてしまった。
「何を考えてるんだ……」
ルフトは、力なく椅子に腰を下ろすと、両手で頭を抱えながら、ゲンナリとした様子で呟く。
「これはサリアの意志ではなく、皇帝陛下や諸侯らと取引していく中で、そう言う風になったのだと考えるべきだろうな……」
ロナードは、複雑な表情を浮かべつつも、落ち着き払った口調で言う。
「そうだとしても、これは断るべきだ!」
ルフトは、不満に満ちた表情を浮かべ、強い口調で言う。
「断れなかった事情があるのよ。 きっと」
エルフリーデは、落ち着いた口調でルフトに言うと、
「そんなの、ユリアスには関係の無い事だろ!」
ルフトは、強い口調でエルフリーデにそう言い返すと、彼女はムッとした表情を浮かべると、急に彼の頬を抓り、
「一旦、落ち着きなさい!」
エルフリーデはそう言うと、思い切りルフトの頬を抓る。
「いだだだっ! いきなり何をするんだよ! エフィ!」
エルフリーデに思い切り頬を抓られ、ルフトは目元に薄っすらと涙を浮かべ、痛そうに顔を顰めながらそう抗議する。
「エルフリーデの言う通りだ。 俺にはアイクやナルルが居る。 そう心配するな」
ロナードは、落ち着いた口調でルフトに言うと、
「この前、コイツに誘拐された君に言われても、説得力に欠けるよ」
ルフトは、ムッとした表情を浮かべながらロナードに言うと、彼は思わず苦笑いを浮かべる。
「例え、それが態とだとしても、そんな危険極まりない事は、僕は到底、容認できないよ」
ルフトは真剣な表情を浮かべ、強い口調でロナードを叱り付ける様に言ってから、
「エフィや母上が、君の真似をしたらどうするつもりだよ」
ポツリとそう呟いた。
「ルフト……」
彼のつぶやきを聞いて、エルフリーデは感激した様な表情を浮かべる。
「ち、違う! 僕は心配なんてしてないんだからね!」
ルフトは、ハッとした表情を浮かべると、慌ててそう言い換えたが、既に遅かった。
「全く。 素直じゃないな」
ロナードは肩を竦め、意地の悪い笑みを浮かべながら、そうルフトをからかうと、
「う、五月蠅いな! 今は、そんな事はどうでも良いでしょ!」
ルフトは、恥ずかしいのか顔を真っ赤にして、強い口調でロナードに言い返す。
(何て事だ)
白髪混じりの髪をオールバックにし、丁寧に皺を伸ばしたジャケットに白のワイシャツ、ジャケットと同色のズボン、茶色の革靴に身を包んだ、初老の男は焦りの表情を浮かべていた。
彼は、元・ノヴァハルト伯爵家の家令だ。
今まで、主が屋敷を留守にしがちなのをこれ幸いに、屋敷の維持費や私兵たち、使用人たちの給料の金額などを、帳簿に記載した金額よりも少なく支払い、自分の懐に入れていた彼は、この屋敷の主が代わる事に強い危機感を覚えていた。
何せ、今度の主は宮廷勤め。
緊急な事でもない限り、毎日屋敷に戻って来る。
私兵たちや使用人たちと接する機会も、自ずと増えるだろう。
そんな中で、彼等が給与に対しての不満などを訴えれば、新しい主は帳簿を確認するかも知れない。
(マズイ。 マズイぞ!)
家令の男は、額に薄っすらと冷や汗を浮かべ、先程から落ち着かない様子で、廊下を行ったり来たりしている。
何せ、主が代わった事も、新しい主がもう直ぐ到着する事も、ついさっき知ったのだ。
この数日、使用人たちが忙しくしている事は知っていたが、大方、レオフィリウスが仕事から戻って来るからだろうと勝手に判断し、その理由を彼等に聞かなかった。
使用人や私兵たちも、伯爵家の資産を握っている立場である彼が、給与を受け取る側である自分たちを見下す態度を度々とっていた事もあって、多くの者が彼を毛嫌いしていた為、誰もその事を態々教えたりはしなかったのだ。
「さっきから、何であんなにソワソワしているの? あの人」
「さあ」
玄関にある大きな花瓶に花を生け替えている侍女たちが、不思議そうな顔をして、先程から落ち着かない様子で、廊下を行ったり来たりしている家令の男を見ながら呟く。
「新しいお館様は、前の伯爵さまの弟君なんでしょ?」
「そうらしいわね」
「もうイケメンなのは確定ね!」
「確かに! 前の伯爵さまは怖かったけれど、顔だけは文句なしだったものね」
若い侍女たちは口々にそう言いながら、まだ見た事も無い新しい屋敷の主が、どんな人物なのか想像を膨らませている様であった。
「ご到着されたぞ!」
外に待機していた、男性の使用人が玄関の扉を開け、中に居た者たちに告げる。
屋敷の門の前に横付けされた、黒塗りの馬車の中からまず現れたのは、長めの焦げ茶色の髪を後ろで一つに束ねた、中肉中背、年の頃は二十代前半と思われる、賢そうな青年。
その後に続いて、護衛と思われる全身黒づくめの、灰色掛かった黒い短髪に琥珀色の双眸を有した、中肉中背ではあるが、その身体は鍛え抜かれているものの、無駄な筋肉が付いてないしなやかな肢体を持つ青年が下りて来た。
その後に、闇夜に溶け込みそうな程、見事な黒髪を有した長身で細身の青年が下りて来て、紫色の美しいドレスに身を包んだ貴婦人に手を差し伸べ、とても綺麗な所作でその貴婦人をエスコートしている。
髪の色や体付きなどは全く異なるし、顔立ちすらも違うのだが、何処となく前の屋敷の主であるノヴァハルト侯爵に似ていた。
「若っ!」
「お、弟君って幾つ? 侯爵様とかなり年が離れてない?」
彼を一目見た侍女たちが、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
他の使用人や使用人たも殆どが、似通った事を感じていた。
てっきり、前の主の様に気難しい顔をしていて、近づき難い雰囲気を放っているだろうとばかり思って居たが、何の事は無い。
流石に、前の主の弟と言うだけあって、目鼻立ちは整ってはいるが、他者を威圧する様な雰囲気ではなく、穏やかな雰囲気を纏った、二十歳になるかならないか位の好青年であった。
「初めまして。 ユースティリアス様。 執事長をしておりますモリスと申します。 これから私を含め使用人たち一同、誠心誠意お仕え致します」
白髪をオールバックにし、白い鼻髭を生やした、燕尾服に身を包んだ、温和そうな初老の男が歩み出て、とても丁寧な口調で馬車から降りて来た相手に向かってそう言うと、深々と頭を下げた。
「初めまして。 私はカナデと言います。 家令の見習いとして参りました。 至らぬ点も多々あるかと思いますが、どうかご指導とご鞭撻の程を宜しくお願いします」
一番最初に馬車から降りて来た青年は、好感の持てる笑顔を浮かべながら、穏やかな口調でそう挨拶を返してきた。
「此方こそ、宜しくお願い致します」
執事長のモリスは、少し恐縮した様子でそう返すと、ニッコリと笑みを浮かべた。
「主の専属護衛をしています。 アイクと言います。 もう一人護衛が居るのですが、後で合流して来ますので、その時にまた紹介します」
次に馬車から降りてきた、護衛と思われる青年も、とても丁寧な口調で挨拶をして来た。
「俺が、ここの新しい主となったユースティリアス・フォン・リュディガーだ。 突然の事で戸惑っている者も多いだろうが、宜しく頼む」
貴婦人をエスコートしながら、此方にやって来た黒髪の青年は、穏やかな笑みを浮かべ、穏やかな口調でそう言って来た。
(前の主とは、全く別人種だ!)
(緊張して損した!)
(優しそうな人で良かった)
新しい主の言動に、使用人や侍女たちは心の中でそう思った。
「此方は、俺の婚約者である、セレンディーネ皇女殿下だ。 これから度々、此処へ訪れる事があるだろう。 丁重にもてなして欲しい」
新しい主は、穏やかな口調で、自分がエスコートしている女性を、使用人たちに紹介する。
(は? 皇女様が婚約者?)
(前のお館様より凄いんじゃ?)
(いや、もう、将来安泰じゃないか)
新しい主の言葉に、使用人や侍女たちは戸惑いの表情を浮かべ、それぞれに心の中で呟いた。
(どんなのが来るかと思えば、まだ子供じゃないか。 これならば、上手く言い含められるぞ)
ロナードの様子を見て、家令の男は心の中でそう呟くと、ニヤリと笑みを浮かべた。
「あの男が、例の……」
出迎えた人々の中に、サリアが言っていた家令の男が居て、此方を見ている事に気が付いたアイクが、小声でロナード達に言った。
「間違いありません。 前もって手に入れていた情報と特徴が合致します」
カナデが真剣な面持ちで、小声でロナード達に言う。
「急な事で焦っているに違いない。 証拠を隠滅されてしまう前に手を打て」
ロナードは、自分を見ている家令を見据えつつ、落ち着いた口調でアイクたちにそう命じる。
「御意」
「お任せを」
アイクとカナデは揃って、真剣な表情を浮かべながらそう返した。
「今日はお疲れでしょう。 お早めにお休み下さいませ」
モリスは穏やかな口調で、夕食を終え、私室のソファーの上で寛ぎながら、本を読んでいたロナードに声を掛ける。
「モリス」
ロナードが不意に声を掛けると、
「はい?」
モリスは不思議そうな顔をして、ロナードの方へと振り返る。
「この屋敷に勤めて何年になる?」
ロナードは、真剣な面持ちで急にそう問い掛けると、
「そうですね……。 先のお館様が、伯爵になられた時からですので、かれこれ五年はなるでしょうか」
モリスは戸惑いながらもそう答えると、
「その間に、給料などの待遇はどうだった?」
ロナードは更に、真剣な面持ちで問い掛ける。
「どうとは……」
モリスは、戸惑いの表情を浮かべたまま、ロナードに問い返すと、
「ちゃんと、勤続年数に応じた報酬を受け取れていたかと言う事だ」
ロナードは、真剣な表情を浮かべながらも、落ち着いた口調で言った。
「そうですね……。 このお屋敷に来る前は、アルスワット公爵家の本邸で執事をしておりました。 その頃に比べれるのもどうかと思いますが、お給金はさほど高くは無いと思います」
モリスは少し考えてから、複雑な表情を浮かべながら語る。
「この最近、賃金は上がったか?」
ロナードは更に、その様な事まで問い掛けて来たので、モリスは戸惑ったが、
「上がってはいませんね。 正直、このお屋敷で働き始めた頃と、そう大差が無いように思えます。 それが不満で辞めた者も少なくありません」
落ち着いた口調で、素直に答えた。
「やはりそうか……」
ロナードはそう言うと、深々と溜息を付く。
「『やはり』……とは?」
ロナードの言動に、モリスは戸惑いながら言う。
「いいや。 こっちの話だ。 兄がそう言った事に頓着が無くて済まなかったな。 これからはもう少し、屋敷で働いてくれてい者たちの事を気に掛ける様にするよ」
ロナードは、落ち着いた口調でそう言うと、穏やかな笑みを浮かべた。
「それは、有り難い事です」
モリスは戸惑いながらも、そう返した。
「困ります! 私に相談も無く、賃金を上げる様な事を仰られては!」
数日後、家令が凄い勢いで執務室の扉を開き、そこで書類と睨めっこをしていたロナードに向ってそう言い放った。
「何故?」
ロナードは、ノックも無しに部屋に入って来た家令に対し、然して驚く様子も無く、落ち着いた口調で問い掛ける。
「資産を管理しているのは、この私ですよ?」
家令は相当頭に来ているのか、ドンとディスクを叩くと、声を荒らげ、ロナードに言った。
「お前、この屋敷の侍女たちの格好を見て、何も思わないのか?」
ロナードは、軽く溜息を付くと、急にその様な事を言い出した。
「はい?」
思いがけぬ言葉に、家令は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をして、思わず問い返した。
「彼女たちは色褪せたり、草臥れてしまっても、その制服を着る事を余儀なくされている様だ。 お前と違ってな」
ロナードは、淡々とした口調でそう言うと、
「当然です! 何の取り柄も無い一介の侍女と、資産の管理をしている私が、同じであって良い筈が無いのですから!」
家令は『意味不明』と言った表情を浮かべつつも、強い口調で反論する。
「良く言う。 その服の生地はどう見たって、一介の家令が普段、仕事で着る服に使う様な物ではないだろ」
部屋の中央にテーブルを囲む様に配されているソファーの一つに腰を下ろし、侍女が出した紅茶を呑気に啜っていたセネトが、冷ややかな視線を家令に向けながら、淡々とした口調で言った。
「こ、これは……今日は、たまたま偶然に着ているだけです!」
セネトの指摘に、家令は焦りの表情を浮かべながらも、そう言った。
「ふぅん」
セネトは不敵な笑みを浮かべながらそう言うと、再び紅茶を啜る。
「そう言う事にしといてやるか」
ロナードは、半ばどうでも良さそうな口調でそう言うと、再び書類に視線を落とす。
「なっ……。 何が言いたいのですか! あなた方は!」
二人の態度にカチンと来て、家令は思わず声を荒らげた。
「それは、自分の胸に問質してみれば、分かる事なんじゃないのか?」
ロナードは、書類に視線を落としたまま、淡々とした口調で答えた。
「問い質したところで、この手の人間が反省するとも思えませんよ。 主」
そこへ、何処からかアイクが現れ、苦笑いを浮かべながら言った。
この護衛、何の前触れもなく、煙の様に現れるので、後ろめたいことがある家令は、何時、何処で彼と遭遇するか、気が気でなかった。
「同感です。 自分の正当性を主張するだけでしょうね」
カナデも静かに部屋に入って来ると、落ち着いた口調で言う。
「なっ……」
家令は、彼等の言い様に戸惑いの表情を浮かべていると、アイクは徐に背負っていた布の大きな袋をドンとディスクの上に置くと、
「はーい。 コイツの部屋クローゼットから出て来た服の数々~」
そう言いながら、袋を逆さまにして、中に入っていたものをぶちまけた。
「うわぁ………」
それを見たカナデは、思わずドン引きしながら、そう呟く。
「こんなチカチカしたのを、何処へ着ていくんだ? 趣味が悪いな」
スパンコールの様な物が、衣服全体に鏤められた、ド派手な服を見て、ロナードは思わず苦笑いを浮かべながら言った。
「これ着て、娼館のお姉さんたちでも口説いていたんですかね?」
アイクも、苦笑しながらそう言うと、
「随分と、豪遊なさっていた様ですね?」
カナデがニッコリと笑みを浮かべながらそう言うと、分厚い紙の束を、ロナードに差し出した。
それは、家令がほぼ毎週の様に通っている、高級娼館の領収書の控えだった。
「一介の家令がどうて、こうも頻繁に高級娼館なんぞに出入り出来るのか……。 是非ともその金の出所を知りたいものだ」
セネトが不敵な笑みを浮かべながら、家令に向かってそう言うと、彼の顔はみるみる青ざめる。
「ノヴァハルト家の資産をちょろまかして、その金で高級娼館通いとは、良いご身分だな」
ロナードは、高級娼館の領収書の控えを適当に捲りながら、淡々とした口調で言う。
「ご、誤解です! 私はノヴァハルト侯爵さまに付いて行っただけです!」
家令は青い顔をしながら、そう弁明する。
「ふぅん。 この日はどう考えても、兄上は帝都に居ない筈なんだが」
ロナードは、領収書の控えに書かれた日付を指差しながら、淡々とした口調で指摘する。
「そ、それは……。 その……」
家令は、青い顔をしながらそう呟く。
「他にも証拠は沢山ある。 じっくりと話を聞かせて貰おうじゃないか。 兄上と一緒に」
ロナードはニッコリと笑みを浮かべながら、家令に向かってそう言うと、彼の顔からみるみる血の気が引き、そのまま後ろに仰け反るように、床の上に倒れ込んだ。




