伯爵夫人の憎悪(下)
ロナード(ユリアス)…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指している。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト(セレンディーネ)…エレンツ帝国の皇女。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしている。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な女性。 十九歳。
シリウス(レオフィリウス)…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
ルチル…帝国の第三騎士団の隊長を務めている女性。 セネトと幼馴染。 今はティティスの護衛の任に就いている。 二十歳。
ギベオン…セネト専属の護衛騎士。 温和で生真面目な性格の青年。 二十五歳。
ルフト…宮廷魔術師長サリアを母に持ち、魔術師の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟に当たる。 二十歳。
エルフリーデ…宮廷魔術師をしている伯爵令嬢で、ルフトの婚約者。 ルフトの母であるサリアの事をとても慕っている
カルセドニ…エレンツ帝国の第一皇子でセネトの同腹の兄。 寺院の聖騎士をしている。 奴隷だったシリウスとハニエルを助け、自由の身にした人物。
アイク…ロナードの専属護衛をしている寺院の暗部に所属していた青年。 気さくな性格をしている。
「殿下が、行方不明だと聞きました」
そう言いながら、屋敷に戻って来たギベオンたちの下に、サルヴェール伯爵が駆け寄って来た。
「主が結界を張る作業をしていたところ、奥方様に声を掛けられ、殿下とルチル様と一緒に鉱山の方へ行かれたきり、戻って来ません」
屋敷へ戻って来たアイクが、真剣な面持ちで説明すると、
「妻が?」
サルヴェール伯爵は、戸惑いの表情を浮かべながら呟く。
「何でも、術師の主に見せたいものが鉱山にあるらしくて……。 暫くして、主たちが向かった鉱山の方から爆発音がしたので、何かあったのではと思って、慌ててここへ来たんです」
アイクが真剣な面持ちで、サルヴェール伯爵に語る。
「山の裏手の坑道を爆発して潰したのです。 鉱物は殆ど取れませんし、町から死角にあり、滅多に人も近付かないので……。 今日の魔物の襲撃の事もましたし、魔物の巣になっては困ると思いまして……」
サルヴェール伯爵は、先程の爆発の原因について、アイクにそう説明した。
「そこには、伯爵も?」
ギベオンが、真剣な面持ちでそう問い掛けると、
「はい。 火薬を扱う時は、私の許可と立ち合いが必要ですから」
サルヴェール伯爵は淡々とした口調で、ギベオンの問い掛けにそう答えた。
「その時、何時もと変わった様子は?」
アイクは、真剣な面持ちで、サルヴェール伯爵にそう問い掛けると、
「変わったこと……」
サルヴェール伯爵は、その時の事を思い出しているのか、両腕を胸の前に組み、天を仰いでいたが、ふと、何かを思い出した様に、
「……そう言えば、妻が何故か居ました。 危ないからと、直ぐに屋敷に戻る様に言いましたが……」
不思議そうな表情を浮かべつつ、そう答えた。
「奥方が?」
ギベオンは、真剣な面持ちでそう言うと、
「ええ。 良く、娘の部屋に蝙蝠が飛んで来るらしく、使用人たちから、その坑道から蝙蝠が出入りしていると聞いて気になって確認に来たのだと……妻はそう言っていました」
サルヴェール伯爵は、淡々とした口調で、ギベオンにそう答えた。
「妙ですね……。 奥様は何故その様な嘘を……」
アイクが、神妙な面持ちでそう言うと、
「何故、一人だったのでしょうか。 時間的に殿下たちと一緒に居そうなものですが……」
ギベオンも真剣な面持ちで呟く。
「確かに」
サルヴェール伯爵は複雑な面持ちで呟いてから、
「何よりも可笑しな点は、妻は嫁いで来てからこれまで一度も、鉱山に近付いた事がありません。それなのに、幾ら娘から頼まれたとは言え……。 供も連れずに、一人で坑道に入るなど……有り得ない事です」
サルヴェール伯爵は思い切り眉を顰め、重々しい口調で語る。
「……そう言えば、奥様は何処に?」
ギベオンが周囲を見回し、屋敷の中にルネッタの姿が無い事に気付くと、サルヴェール伯爵に問い掛ける。
「えっ。 あ……」
その問い掛けにサルヴェール伯爵は驚き、慌てて周囲を見回す。
「可笑しいですな。 先程まで食堂で使用人たちに、夕食の指示をあれこれしていた筈なのですが……」
サルヴェール伯爵は、戸惑いの表情を浮かべ、そう呟いた。
「その、破壊した坑道へ案内して貰えますか?」
ギベオンは、物凄く嫌な予感を覚え、サルヴェール伯爵にそう言った。
「分かりました」
サルヴェール伯爵はそう返すと、近くに居た使用人に、
「急ぎ、人を集め、その坑道へ行くぞ!」
近くにそう命じた。
爆破したと言う坑道は、酷い有様だった。
入り口は勿論、そこに坑道があった事など、分らない程に見事に崩れ落ちていた。
「これは……」
それを見て、ギベオンは表情を曇らせる。
(もしも、この中に三人が居るとしたら……生存は絶望的だ。 まず、生きて居るとは考えられない。 大体、この瓦礫の山をどうやって退ける?)
ギベオンは心の中でそう呟き、一瞬だが躊躇した。
「この中に、殿下たちが閉じ込められているかも知れません」
ギベオンは意を決し、集められた鉱夫たちにそう告げた。
「ええっ!」
「中に人が居ないか、ちゃんと確認したぞ」
サルヴェール伯爵の呼び掛けに応じ、集まった鉱夫たちが戸惑いの表情を浮かべ、口々につう呟いた。
「彼等の言う通り、中に人が居ない事を確認して、この坑道を破壊しました。 ですが……私も妻が此処に居た事が引っ掛かります。 もし、私やギベオン殿が考えている事が本当だったとしたら……」
サルヴェール伯爵は、複雑な表情を浮かべながら、重々しい口調で語る。
「町中を隈なく探して居ないとなると、鉱山周辺にいる可能性が高いです。 ここに閉じ込められている疑いがある以上、調べる他ありません」
ギベオンが落ち着いた口調で語ると、
「そ、そうですね……」
サルヴェール伯爵は、複雑な表情を浮かべながら、そう言って頷き返してから、
「ですが、瓦礫を除去するには数日は掛ります。 見ての通りの有様ですので……。 万が一、我々が危惧している状況であった場合は、生存は期待されぬ方が……」
沈痛な表情を浮かべ、ギベオンたちにそう告げた。
「構いません。 ここに三人が埋まっているか否か……。 それを確かめる事が先決です」
ギベオンは真剣な面持ちで、サルヴェール伯爵にそう言い返した。
「分りました」
サルヴェール伯爵はそう言うと、招集した鉱夫たちに、人が埋まって居る可能性があるので、至急、ここを掘り返す様に命じた。
「……マジかよ」
「勘弁してくれよ……」
「大体、『立ち入り禁止』の立て札が、あっただろ?」
「それに、崩落に巻き込まれる危険も高いぜ」
サルヴェール伯爵の呼びかけで集まった鉱夫たちは、不満そうに口々にそう言い返す。
皆、リスクが高い事からは、遠慮したい様だ。
すると、ギベオンが鉱夫たちの前に歩み出て、
「自分は、セレンディーネ皇女殿下の臣下でギベオンと言う。 この下に、殿下が埋まっている可能性がある。 探し出す事に協力すれば、給与とは別に自分から礼金を出そう。 更に、埋まっている者を一番早く見付けた者には、金一封を付けよう」
淡々とした口調でそう話すと、鉱夫たちは、それまでの態度を一転させ、
「よっしゃ!」
「やってやろうじゃねぇか」
「今の言葉、忘れんなよ!」
俄然やる気を出した様で、彼等はシャベルや鶴橋を手に、早速、岩などを除ける作業に取り掛かり始めた。
「その様な事、約束して大丈夫なんですか?」
アイクが戸惑いの表情を浮かべ、小声でギベオンにそう言うと、
「こう言う外に、何があると言うんだ?」
ギベオンが淡々とした口調ながらも、小声でそう言うと、何を思ったか、着ていた外套をその場に脱ぎ捨て、大きな岩を除け始めた。
それを見て、サルヴェール伯爵や鉱夫たち、兵士たちも、戸惑いの表情を浮かべ、揃って彼を見る。
「ギベオン殿。 危険です。 ここは鉱夫たちに任せた方が……」
慌てた表情を浮かべ、サルヴェール伯爵がギベオンにそう言うと、
「この下に、我が主が埋まっているかもしれないのに、ジッとなどして居られるか!」
ギベオンはそう言うと、歯を食いしばり、大きな岩を押し除けようとする。
流石に、普段から体を鍛えているだけあって、鉱夫たちにも引けの取らぬ、太い腕をしている。
サルヴェール伯爵たちは、戸惑いの表情を浮かべたまま、彼を見る。
「くそ! ルチルまで一緒に埋まるなんてナンセンスだ」
ギベオンはそう言いながら、必死に岩を除けようとすると、腕まくりをしたアイクと兵士たちが、着ていた衣服を汚れる事も躊躇せず、ギベオンが除けようとしている岩に手を掛ける。
その様子を見て、鉱夫たちもギベオンたちの形振り構わぬ真剣な様子に圧倒され、作業を再開する。
もしも、この下にセネトたちが埋まっていたら、サルヴェール伯爵は坑道の中の確認を怠って爆破したとして、過失を問われるかも知れないが、今は、そんな事を言っている場合ではないのは、伯爵も承知している様だ。
二日目の瓦礫の撤去作業が終わる頃には、中に閉じ込められているセネトたちにも、疲弊の色が濃くなってきていた……。
特に、怪我をしているセネトの衰弱は、著しかった。
「水……」
ルチルがそう呟くと、ロナードが五月蠅そうな顔をして、
「ある訳ないだろ。 自分の唾でも飲んでいろ」
呆れた様な口調で言い返すと、自分たちの目の前で、岩に足を挟まれたままの格好で、力なく横たわっているセネトを心配そうに見る。
朝露一つ滴り落ちて来ない事や、何処からか冷たい空気が出入りしている事、息苦しさを感じない事を考えると、完全な密封空間では無い事は確かな様だ……。
(ギベオン、アイク……。 俺たちがここに居る事、気付いてくれているのか? どうか早く俺たちを見付けてくれ……)
ロナードは、苦しそうに呼吸を繰り返す、セネトを見下ろしながら、心の中でそう呟く。
目の前で、セネトが少しずつ弱っていくのを見る事しか出来ない自分の不甲斐無さに、ロナードは苛立ちを積もらせていた。
(せめて水さえあれば……)
ロナードは、心の中でそう呟く。
そして、ふとカンテラの微かな明かりに照らされた、自分の掌に乾いてこびり付いた、セネトの血を見て、彼はハッとする。
(血……。 そうだ!)
ロナードは、心の中でそう呟くと、徐に持っていた投げナイフを手にする。
そして、左手にグッと拳を作ると、ナイフで手首を軽く切った。
「な、な、何をしているのロナード! 気でも触れたの?」
それを見てルチルは驚き、ロナードがこの状況に耐えかね、手首を切り、自害しようとしていると勘違いして、慌てて、ナイフを握っていた彼の手を掴む。
「安心しろ。 気が触れた訳では無い」
ロナードは、淡々とした口調でルチルにそう言うと、持っていたナイフを床に置き、徐に立ち上がると、ナイフで切った左腕をギベオンの口元に持って行く……。
「なっ……」
それを見て、ルチルは、あまりの事に絶句する。
「水が無い以上、こうでもしなければ、出血が酷かったセネトは間違いなく真っ先に死ぬ。 その位はお前も分かるだろう?」
ロナードは、淡々とした口調で、驚愕の表情を浮かべ、自分を見ているルチルにそう言った。
確かにその通りだが……。
だからと言って、自分の血を……。
「……そうまでして、助けたいの?」
ルチルは、ロナードの行動に強い衝撃を受け、そう呟いた。
「セネトが俺を庇わなければ、俺は岩の下敷きになって死んでいたかも知れない」
ロナードは、淡々とした口調でそう言いながら、意識が朦朧としているセネトが、無意識に自分の血を口に含むのを見て、ホッとした表情を浮かべる。
セネトはまさか、ロナードの血を口にしているなど思いもしないだろう。
そして、ナイフで切った自分の傷口を、止血の為に押さえながら、
「兎に角、俺たちが今、出来る事をしよう。 ルチル。 三人で助かる事を諦めるな」
真剣な面持ちで、ルチルに向かって言った。
「分かったわ……」
ルチルは、複雑な表情を浮かべつつも、ロナードに返事をした。
(ロナードはそう言っているけれど、セティはもう無理よ。 持ってあと一日くらいと言ったところなのに……。 無駄に延命させるより、一層、楽に死なせてやった方が良いんじゃないの?)
ルチルは、何とか息をしている様なセネトを見ながら、心の中で呟いた。
すると、それまで弱々しくも、周囲を照らしてくれていた、カンテラの明かりが、何度か点滅し、フッと消えてしまった。
「燃料も尽きたか……」
ロナードは、ポツリとそう呟くと、軽く息を吐き、静かに目を閉じた。
ロナードたちが坑道に閉じ込められていると見做され、崩れ落ちた岩などの撤去作業が続く中、彼等を嵌めたルネッタは、焦っていた。
彼女は、屋敷内にある自室の窓から、鉱山の様子を伺いながら、
「奴等が万が一、無事に助け出される様な事があれば、私は、きっと無事には済まないわ……」
ルネッタは、青い顔をしてそう呟いて居ると、
「でしたら、助け出された所で事情を知る三人を纏めて、始末すれば宜しいではございませんか」
一緒に居た、顔が見えない位に深々とフードを被った老婆が、落ち着き払った口調で、ルネッタに言った。
「簡単に言う。 連中は、お前が用意した魔物をも簡単に倒す様な腕利き。 女の私が、どうこう出来る相手では無いわ!」
ルネッタは苛立った口調で、一緒に居た、顔が見えない位に深々とフードを被った老婆に、強い口調で言い返す。
「でしたら、奥様の部下たちに銃で狙撃させては? それが万が一、失敗した時は……」
老婆はそう言うと、内ポケットから、何やら虹色の液体の入った、小瓶を取り出すと、
「これをお飲み下さい」
そう言うと、ルネッタに差し出す。
「何なの? これは。 私に自害せよと言うの?」
彼女は、表情を険しくし、老婆に言い返す。
「これは『キメラの水』。 これを飲めば、魔物にも等しい力を得る事が出来ます。 例え、非力な婦女子でも、これを飲めば、あの様な細身の若造など簡単に屠る事が出来ましょう」
老婆は、落ち着き払った口調で、ルネッタに言った。
それを聞いて、ルネッタは表情を険しくし、老婆が差し出した小瓶をジッと見る。
「儂もご一緒します故、どうか、ご覚悟を……」
顔が見えない位に深々とフードを被った老婆は、ルネッタに言った。
「……分った。 けれど、これを使うのは、あくまで最後の手段。 狙撃が上手くいけば、この様な物を飲む必要はないでしょう?」
ルネッタは、真剣な面持ちで言うと、
「当然です。 真相を知る三人の口を封じてしまえば、証拠は無いのですから」
老婆は、ルネッタに言った。
「何としても、狙撃を成功させるのよ」
ルネッタは表情を険しくして、老婆に言うと、
「勿論でございます」
老婆は、真剣な面持ちで、ルネッタに言い返した。
「こんだけ掘っても、誰も出てこねぇ……」
「最初から、誰も埋まって無かったんじゃねぇのか?」
ロナードたちが、閉じ込められている、坑道を塞いでいる瓦礫を撤去している鉱夫たちが、口々にそう言っていると、
「グタグタ言わず、掘れ!」
岩を除けながら、ギベオンが、ジロリと彼等を睨みながら言った。
「流石に、そろそろ行き止まりですよ」
サルヴェール伯爵は、苦笑いを浮かべながら、ギベオンにそう言っていると、作業をしていた鉱夫たちの手がふと止った。
「どうかしました?」
アイクが、彼等に声を掛けると、
「空洞になってる……」
鉱夫の一人がポツリとそう言うと、カンテラで岩の隙間を照らすと、確かにその後ろに岩が無く、真っ暗だ。
それを見たギベオンは、近くの岩を除けると、
「おい! 誰か居ないか!」
中に向かって、そう声を張り上げた。
すると、暫くして……。
「……て。 助けて!」
下の方から、若い女の声が聞こえて来た。
「その声は、ルチルか?」
ギベオンがそう言うと、それを聞いて、生存が絶望視されていたにも関わらず、生存者がいると分かり、鉱夫たちや兵士たちは、嬉々とした表情を浮かべ、声を上げて喜んだ。
「三人とも、そこに居るのか?」
ギベオンが、真剣な表情を浮かべながら、中にそう問い掛けると、
「居るわ! みんな居る! 兎に角、早く助けて!」
中から、籠った声ではあるが、確かに若い女の声が返って来る。
「よっしゃ!」
「もうひと頑張りだ!」
それを聞いて、鉱夫たちはやる気を出す。
「慎重に、上からゆっくり岩を除けろ」
サルヴェール伯爵が、真剣な面持ちで、鉱夫たちにそう指示を出す。
鉱夫たちは、慎重に、だが急いで作業を進めた。
中に人がいると言う話を、何処からか聞き付けたのか、他の現場で採掘作業をしていた鉱夫たちも駆け付け、一時間が経つ頃には、大人の男が一人、出られる程の大きさの穴が出来た。
その頃には、話を聞き付けた野次馬たちが沢山、詰め掛けていた。
空いた穴たからロープを垂らして、鉱夫が降り、中の三人を助け出す事にしたが、大人の男が二人通るには、まだ穴が小さいので、更に穴を広げる事にした。
昼が過ぎるころ、何とか大人の男が二人、通れる程の穴の大きさになると、
「早く助けて! 時間が無いわ!」
と、中からハッキリと、若い女の声が響いて来た。
そして、慎重に鉱夫が中へと踏み込んだ。
「大変だ! 中に人が岩の下敷きになってる!」
中に入った鉱夫が、外に居る者たちに向かって叫ぶ。
「何だと!」
ギベオンは顔を青くして呟く。
「急いで中に!」
サルヴェール伯爵が、危機迫る表情を浮かべ、近くに居た鉱夫たちに声を掛ける。
彼等は順番に中へ下りると、現状を見て鉱夫たちは、岩を持ち上げて浮かせ、挟まれている者を岩の下から引き摺り出す事にした。
その前に、一緒に閉じ込められていた坑道の中から、鉱夫に抱き抱えられる様にしてロナードが最初に出て来た。
「主!」
ロナードの姿を見て、アイクは慌てて彼の下へと駆け寄った。
ロナードは、坑道が崩落した際に被ったのか、煤や土埃に塗れていたが、彼は衰弱しているものの、肩を脱臼している程度の怪我で済んでいた。
「急ぎ、治癒魔術を使える者がいないか探してくれ! セネトが危ない!」
ロナードは、鉱夫が差し出した、水が入った革の水筒の水を一頻り飲み、喉を潤してから、真剣な面持ちで、駆け寄って来たギベオンと兵士たちに言った。
「わ、分かりました!」
ギベオンは、とっさにそう答えると、近くに居た兵士達に向かって、
「聞いたか? 急いで治癒魔術を使える者を探すぞ!」
強い口調で兵士たちに命じた。
「私も探しに行くわ!」
鉱夫たちに助けられ、中から出て来たルチルが、真剣な面持ちでギベオンに言った。
彼女もロナードと同様、煤と埃にまみれていたが、膝を軽く擦り剥いているだけで、流石に日頃鍛えているだけあり、ロナードよりも元気だった。
「無理をするな。 休んでいろ」
ギベオンは、優しい口調でルチルに言い返していると、鉱夫たちの間からどよめきが起きる。
それに気付いたギベオンは徐に振り返り、それを見た瞬間、頭の中が真っ白になった。
鉱夫に抱き抱えられ、坑道から引き上げられたセネトは、誰の目から見ても重傷だった。
セネトは長い事、岩の下に足を挟まれていた所為か、両足がブランと力なく垂れ下がっており、吐血したのか、口元には血が滲んでいて、顔も死人の様に真っ白で、両目を閉じ、グッタリとしてしまっている……。
生きているのかも怪しい。
「殿下!」
「返事をしろっ!」
それを見て、ギベオンとロナードは慌てて、セネトの下へと駆け寄る。
地面の上にゆっくりと下ろされたセネトは、もはや意識が無く、力なく横たわり、弱々しく微かに呼吸をしていた。
鉱夫は慎重に、彼女の体に巻き付けられていた外套を取り払うと、背中には何かが突き刺さった跡があった。
足が潰されていたよりも、こちらの方が明らかに致命傷であるのは、誰の目から見ても明らかだった……。
「駄目だ。 コイツはもう……」
セネトの様子を見て、鉱夫の中の誰かがそう呟いた。
「何を言うか! 早く手当をしろ!」
ギベオンは鉱夫を睨み付け、強い口調で言った。
(無理よ。 もう……)
グッタリしたまま、ピクリとも動かないセネトを見て、ルチルは、苦々しい表情を浮かべ、心の中で呟く。
「セネトっ……。 俺の所為で……」
ロナードは、もう虫の息のセネトの側に来て、両膝を地面の上に付け、今にも泣き出しそうな顔をして、グッタリとしている彼女の手を掴んだ。
すると、ビクッと微かにセネトの手が動いた。
「セネト!」
ロナードはパッと表情を輝かせ、とっさに彼女の名を叫びながら、強く彼女の手を握り締めた。
「ロナード……。 ルチ……ル……」
セネトは意識が朦朧としているのか、震える手で誰かを探しているのか、弱々しくもう片方の手を動かす。
「私はここよ!」
ルチルは堪らず、セネトの下へと駆け出すと、両膝を地面の上に付け、もう片方のセネトの手を取った。
「よ……かった……」
セネトは、ホッとした様な表情を浮かべ、辛うじて聞き取れる様な小さな声で、途切れ途切れに言うと、フッと意識を失ってしまった。
「セティ?」
「セネト?」
セネトの手を握っていたルチルとロナードは、彼女の手から急に力が抜けてしまった事に戸惑い、思わず彼女に声を掛けるか、彼女は両目を閉ざしたまま、ピクリとも動かない。
「馬鹿……最期まで人の心配ばかりして……」
ルチルは、最期まで自分たちの身を心配していたルチルにそう呟くと、両目からポロポロと大粒の涙を流し、あまり暖かくない彼女の手を握り締めたまま、自分の頬にそっと添えた。
その時、何かに気付いたギベオンがとっさに、
「危ない!」
そう叫ぶと、ロナードギとルチルを押し倒す様にして、自身も地面の上に勢い良く倒れ込んだ。
次の瞬間、先程までロナードの頭部があった位置に、銃弾が掠めていった。
「狙撃?」
それを見たアイクは表情を険しくし、忙しく周囲を見回す。
「セティとロナードを守るのよ!」
素早くルチルは顔を上げ、自分達から少し離れた場所に居た兵士たちに向かって叫ぶ。
「殿下を連れて離れろ! ここに居ては危険だ!」
ギベオンは表情を険しくし、セネトの近くに居た鉱夫たちに声を掛ける。
ギベオンの叫び声を聞いて、近くに居たガタイの良い鉱夫がとっさに、動かないセネトを素早く抱き上げると、他の鉱夫たちと共に、急いでその場から離れた。
間髪置かず、ロナードを目掛けて銃弾が飛んで来た。
(ロナードが狙い!)
ルチルは、心の中でそう呟くと、忙しく周囲を見回す。
「気を付けろ!」
ロナードは剣を抜いて身構え、周囲を忙しく見回しながら、表情を険しくして叫ぶ。
(何処から狙っている?)
ギベオンはロナードを背で庇いながら、心の中でそう呟きつつ、注意深く周囲を見回す。
その時、この一帯を見下ろせる岩場の辺りに、何かがキラッと光るのが見えた。
(あそこか!)
ギベオンが心の中で呟くと、剣を手にして其方へ向かって駆け出そうとしたが、それよりも先に、
「ギャッ」
「グエッ」
何処からか、短い断末魔が聞こえ、アイクが岩場の上から、狙撃していた者たちを叩き切り、蹴り落とした。
「こ、これは……」
「サルヴェール伯爵の所の兵士?」
岩場の上から落ちて来た兵士を見て、ルチルとギベオンは、戸惑いの表情を浮かべ呟く。
鉱夫たちも、狙撃していた兵士たちを見て、戸惑いの表情を浮かべ、どよめいている。
彼等の近くに居たサルヴェール伯爵は、岩の上からロナードを狙撃したのが、自分の所の兵士だと知り、戸惑いの表情を浮かべている。
「気を付けて下さい。 サルヴェール夫人が奇妙な老婆を連れて、こちらへ来ています」
岩場の上から周囲の様子を見ていたアイクは表情を険しくして、ロナードとその側に居たギベオンたちに告げた。
「これはお三方とも。 ご無事でしたか」
そう言って護衛の兵士を連れ、サルヴェール伯爵夫人ルネッタが姿を現した。
(何が、『ご無事でしたか』だ。 自分が三人を連れて行ったくせに)
ギベオンは、ルネッタの姿を見るなり、表情を険しくして心の中でそう呟くと、スッとロナードを背で庇う様にして立つ。
ロナードとギベオンの緊張した様子に、何かを察したセネトの護衛の為に一緒に来ていた兵士たちも、ルネッタたちを警戒する。
「何じゃ。 黒髪の小僧は、ピンピンしているではないか」
ルネッタから少し遅れて杖を突きながらやって来た、黒いローブを着て、顔が見えない程に深々とフードを被り、不気味な雰囲気を纏った老婆がそう言いながら現れた。
「気を付けろ。 あの老婆が纏っている魔力が普通じゃない」
不気味な雰囲気を纏った老婆を見るなり、ロナードは表情を険しくし、側に居たギベオンとルチルそう警告する。
「使えぬなぁ……」
不気味な雰囲気を纏った老婆は、アイクに倒された兵士たちを見て、苦笑い混じりに、冷ややかにそう言い放った後、セネトが鉱夫に抱えられ、グッタリしているのを見付けると、
「ほう。 この者は、もう死ぬな」
ニヤリと不気味な笑みを浮かべ、非情にもそう言い放った。
「貴様っ!」
ルチルがその言葉に憤り、そう叫びながら、不気味な雰囲気を纏っている老婆に切り掛かった。
それを見て、周囲にいた野次馬たちの間から、悲鳴とどよめきが起きる。
不気味な雰囲気を纏った老婆は、その見た目に反し、素早くルチルの攻撃を後ろに飛び避けるが、そこに別の角度からアイクが切り掛る。
「覚悟!」
そう叫んで、不気味な雰囲気を漂わせている老婆に向かって、思い切り剣を振り下ろした。
アイクが振り下ろした剣は、不気味な雰囲気を漂わせる老婆を両断するかと思われた次の瞬間、アイクが振り下ろした剣は、不気味な雰囲気を漂わせる老婆の体を擦り抜けた。
「なっ!」
それを見て、ルチルは驚愕の表情を浮かべ、驚きの声を上げる。
「残念じゃったな」
不気味な雰囲気を漂わせる老婆は、不敵な笑みを浮かべ、戸惑っているルチル達に言った。
「生憎、主たちの相手は彼女じゃ」
不気味な雰囲気を漂わせる老婆は、不敵な笑みを浮かべたままそう言い終えると、パチンと指を鳴らす。
すると、少し離れた所で、黙って佇んでいたルネッタが突然、唸り声を上げ、体を激しく痙攣させ始めた。
その場に居合わせた誰もが、驚きの表情を浮かべ、ルネッタに釘付けになる。
「ルネッタ!」
妻の異変にサルヴェール伯爵は驚き、慌てて彼女の下へと駆け寄る。
彼女は立ったまま、白目をむき、体を激しく痙攣させ、口から蟹の様に泡を吐いている。
「な、何だ?」
突然の事に、ギベオンも驚きの表情を浮かべ、ルネッタを見ている。
「しっかりしろ!」
サルヴェール伯爵はそう言って、体を激しく痙攣させる妻を抱き締める。
「ぐぐぐっ……。 がぁーっ!」
ルネッタは、苦しそうな呻き声を上げると、忽ち、彼女の口に猪の様な大きな牙が生え、見開かれた目は、猫の目の様になり、黄金色に。
美しく長かった髪は、無数の生きた蛇へ変化し、その手肌は青銅に……。
人間の女性の頭に生きた無数の蛇が蠢く、奇怪な姿へ代わり果てた夫人を見て、鉱夫や野次馬たちは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らした様に、その場から逃げ出す。
ルネッタが連れて来た兵士たちも、彼女の豹変ぶりに皆、戦意喪失して、情けない声を上げ、我先にとその場から逃げ出した。
「なっ……」
ルチルも、驚きのあまり絶句し、その場に立ち尽くす。
「ルネッタ! どうしてしまったんだ!」
妻の豹変に、サルヴェール伯爵がそう言うと、化け物と化したルネッタの双眸が、怪しく赤く光った。
すると、サルヴェール伯爵は、ルネッタの肩を掴んだままの格好で、一瞬のうちに石像と化してしまった。
「……これは少し、面倒な事になりましたね……」
それを見たアイクは表情を険しくし、額から冷や汗を流しつつ、近くに居たルチルにそう声を掛ける。
「その様ね……」
ルチルも、額から冷や汗を流し、表情を強張らせながらも、剣を手に身構えたまま答えた。
「お前たち! ロナード様と殿下を連れ、急いでここから離れろ!」
ギベオンは、近くに居た兵士たちに向かってそう叫んだ。
「は、はいっ!」
兵士の一人がそう言って、真剣な面持ちで頷き返す。
「ロナード様。 殿下を連れ、急ぎここを離れましょう」
別の兵士が、真剣な面持ちで、ルネッタの様子を厳しい面持ちで伺っていたロナードに声を掛ける。
「しかし……」
ロナードが戸惑いの表情を浮かべ、兵士に言い返すと、
「他に魔術師が見付からない以上、貴方しか殿下の治療出来ません! どうかお願いします!」
ギベオンが、目の前のルネッタと対峙したまま、真剣な面持ちで肩越しにロナードに言った。
「分かった……」
ロナードは、複雑な表情を浮かべつつも、一刻を争う状況のセネトを見て、そう言って頷いた。
「アイク。 貴方も行って。 ロナードとセティを守って頂戴」
ルチルは、ルネッタと対峙したまま、自分の近くに居たアイクに声を掛ける。
「分かりました。 ご武運を」
アイクは頷きながら、ルチルにそう言い返すと、とっさにロナードの腕を掴み、
「ひとまず、サルヴェール伯爵の屋敷へ行きましょう。 主」
アイクはそう言うと、ロナードは頷き、彼等と共にその場から急いで立ち去る。
「貴様らを石にした後、その首を門前に並べて晒してやる」
魔物と化したルネッタは、ギベオンを見据え、不敵な笑みを浮かべながら言うと、
「そう思い通りに行くものか!」
ギベオンは、落ち着いた口調で言い返した。
「黙れ! 私の可愛いナデルがもう一度、皇女たちの婿候補になる為には、あの魔術師とお前たちの首を他の派閥の皇女に差し出すしかないのよ!」
ルネッタは強い口調で、言い放った。
「サルヴェール……。 何処かで聞いた名だとは思っていたけれど……。 セティに婚約式をボイコットされた男の家だったのね」
ルチルは、ルネッタの発言を聞いてピンと来た様で、忌々しいそうに呟いた。
父であるサルヴェール伯爵は、逆恨みをした息子がロナードにした事を素直に謝罪し、婚約式をボイコットした事についてセネトを責めもしなかったし、婚約話も白紙に戻す事も了承したが、どうやら夫人の心中は違ったらしい。
「貴様の息子の為に殿下とロナード様の命を狙うなど、身の程知らずも甚だしい! 死を以て、その罪を贖うが良い!」
ギベオンは表情を険しくし、強い口調でルネッタに言い返した。
「死ぬのは貴様だ!」
サフィーネはそう叫ぶと、彼女の双眸が怪しく赤く光り、ギベオンとルチルもサルヴェール伯爵と同様に、石になるかと思われた。
しかし、どう言う訳か、ギベオンたちは石にならなかった。
(?)
ギベオンはとっさに、石にされるかと思い、片手で顔を覆ったままの格好であったが、恐る恐る自分の体を見回す。
「なっ……。 どうなっている?」
ルネッタは、戸惑いの表情を浮かべ、そう呟く。
「えっ……」
ギベオンは何故か、自分の懐が光っている事に気が付き、徐に襟元から手を突っ込み、それを取り出してみる。
それは、元々は琥珀の原石なのだが、どう言う訳か、今は虹色の光を放っている。
「どう言う……事だ?」
ギベオンは、戸惑いの表情を浮かべ呟いていると、やがてその石は光らなくなって、元の琥珀の原石に戻った。
これは前に、ロナードがルフトに魔道具の事を教わっていた際、何時も自分の事を気に掛けてくれている礼だと言って、渡して来た物だった……。
あまり魔力を持たないギベオンを助ける術を込めたので、肌身離さず、持っている様にとロナードに言われ、彼は意味が分からぬまま持っていたのだが……。
(こう言う事だったのか……)
ギベオンは心の中でそう呟く。
恐らく、ルチルにも同じような物をロナードは渡していたのだろう。
彼女も何とも無い様だ。
「流石はロナード様だ」
ギベオンは、不敵な笑みを浮かべてそう呟いてから、キッと自分の目の前に立っているルネッタを見据えた。
(この女が、こんな下らない事を思い立たねば、殿下はあんな事にはっ!)
ギベオンは怒りに満ちた表情を浮かべ、何時になく剣の柄を強く握りしめて、心の中で叫んだ。
「おのれーっ!」
ルネッタは、忌々し気に言うと、鋭く尖った爪を振り翳し、物凄い勢いで、ギベオンに躍り掛かる。
「ギベオンっ!」
ルチルの声が直ぐ側に聞こえた。
「分かっている!」
ギベオンはそう叫ぶと、ダンッと勢い良く足を大きく踏み出すと、ルネッタの攻撃を避けると、すれ違いざまに彼女の胴に剣を思い切り叩き込んだ。
「くたばれ! 化け物っ!」
ルチルもそう言いながら、大きく跳躍すると、身を捻りながら思い切り剣を振るい、ルネッタの首を思い切り跳ね飛ばした。
ゴトンと切り飛ばされたルネッタの首が、少し離れた地面の上に落ち、それと同時に、ギベオンの側にあった体も、ゆっくりと地面の上に倒れ込んだ。
「……あ、危なかった……」
ギベオンは、滴る汗を手の甲で拭い、息を切らせながらそう呟くと、自分が首元から下げていた琥珀の原石をギュッと握りしめた。
「大変です!」
化け物と化したルネッタとの戦闘に勝利し、ホッとし居るのも束の間、ロナードとセネトに付き添って、サルヴェール伯爵の屋敷へ行った筈のアイクが、血相を変え、そう叫びながら駆け寄ってくる。
「どうした?」
ギベオンは、戸惑いの表情を浮かべながら、息を切らせ、駆け寄って来たアイクに問い掛ける。
「主の……ロナード様の様子が可笑しいです」
アイクは、息を切らせながら、焦りの表情を浮かべ、ギベオンにそう告げる。
「なに?」
アイクの報告を聞いて、ギベオンは俄かに眉を顰める。
アイクの報告を聞いて、ルチルとギベオンは急いでサルヴェール伯爵の屋敷に向かった。
「ロナード様!」
ギベオンは勢い良く部屋の扉を開くと、ロナードの名を叫んでいた。
「ギベオン……ルチル……」
そんな彼の名を、聞き馴染のある若い娘がか細い声で呟くのが聞こえた。
「殿下!」
「セティ!」
部屋に入って一番手前のベッドの上に、セネトが力なく横たわっていたが、先程までとは打って変わり、明らかに生気に溢れていた。
「助かったのね!」
ルチルは嬉しさのあまり、両目から大粒の涙を流し、そう言いながらセネトの下へと駆け寄った。
(って言うか、何処を怪我したのか分からない位、回復しちゃってるじゃない……)
改めて、ベッドの上に横たわっているセネトを見て、ルチルは戸惑いの表情を浮かべながら、心の中で呟いた。
ルチルとギベオンは、先程まで虫の息だったはずのセネトが、恐ろしい位に回復している様子を見て、とても嫌な予感がした。
「僕は大丈夫なんだが……。 ロナードが……」
セネトは、複雑な表情を浮かべながらルチルに語ると、徐に自分の手を握りしめたまま、床の上に倒れているロナードへ目を向ける。
(やはり……そう言う事に……)
先程まで、虫の息だった筈のセネトが、怪我どころか、体力まで回復している様子を見て、大体の事を察していたギベオンは、意識を失い、床の上に倒れているロナードを見て、心の中で呟いた。
「ロナード! しっかりして! ロナード!」
床の上に倒れているロナードを抱き起し、何度もルチルは声を掛ける。
「何ななのこれ! 死人の様に体が冷たいわ! 呼吸も弱い……これ、絶対にヤバイやつよ!」
自分が幾ら呼び掛けても反応せず、すっかり血の気が失せた顔で、グッタリしているロナードの様子を見て、ルチルは焦りの表情を浮かべながら呟く。
「恐らく、魔力が暴走したのだろう……」
ギベオンが、落ち着いた口調でそう言うと、
「えっ……」
ルチルは、戸惑いの表情を浮かべながら、妙に落ち着いているギベオンを見上げる。
「ロナード様は、自分の体内にある魔力を完全にはコントロール出来ない。 それにも拘らず、高度な光の治癒魔術を用いた。 その所為で魔力の制御が出来なくなり、体内の魔力が暴走し、一気に魔力が体から放出したんだ」
ギベオンは、落ち着いた口調で説明するが、ルチルはイマイチ理解出来ていない様なので、
「簡単に言えば、大量出血をした時に似た状態だ。 急に体から一気に魔力が無くなった所為で、ショック状態に陥っている」
そう付け加えると、
「あ……」
ギベオンの言っている意味を理解したルチルの顔から、サーッと血の気が引く。
(強過ぎる魔力は体に毒だが、だからと言って体内の魔力が無くなったら……)
ルチルよりも先に、事態を理解したアイクは、複雑な表情を浮かべながら、心の中で呟く。
死―――。
「ロナードっ!」
ルチルは焦りの表情を浮かべ、双眸を固く閉ざし、グッタリしたままピクリとも動かないロナードの体を強く揺らす。
「ギベオン。 どうしたら良い? どうしたら助かる?」
セネトもすっかり動転してしまっている様で、何時もの冷静さは何処かに吹っ飛び、小さな子供の様にギベオンにそう問い掛ける。
「……軽い症状でしたら、安静にすれば回復しますが……。 これは重篤な状態なので、ロナード様に直接、魔力を渡す外無いと思います」
ギベオンは、複雑な表情を浮かべながら、説明すると、
「えっ……」
「それって……」
「―――っ」
ギベオンの説明を聞いて、アイク、ルチル、セネトは口々にそう呟くと、三人とも顔を真っ赤にして一瞬、固まる。
「わ、分かった。 僕がする」
暫くの沈黙の後、セネトが気を決した様に言った。
「待て! 早まるらないで!」
ルチルは焦りの表情を浮かべ、セネトの肩を掴んでそう言って引き留める。
「しかし、魔力の授受は血を分けるか、せ……をする位しか……」
セネトは時折、口籠らせ、みるみる顔を真っ赤にしながらも、ルチルにそう言い返す。
「体内の魔力が空っぽの状態で、いきなり魔力を大量に入れたら、今度こそショック死しますよ!」
アイクが焦りの表情を浮かべ、かなりテンぱっているセネトに言う。
「じゃあとうしろと?」
セネトは、困惑を隠せない様子で、アイクに問い掛けると、
「自分の血を少量口に含んで、口移しで少しずつ、ゆっくり分けてみたらどう?」
ルチルはふと、ロナードがセネトを助ける為に、自分の血を水の代わりに与えていた光景を思い出し、そう提案すると、
「わ、分かった。 やってみる」
セネトは意を決し、そう言い返した。
寒い……息をするのも辛い……。
(俺は……どうしてしまったんだ?)
重傷のセネトを助けたい一心で、使い慣れない光の治癒魔術を用いたまでは覚えている。
それから?
(そうだ。 急に冷や水を浴びた様な感覚になって……。 体の力が抜けて目の前が真っ暗に……)
でも何だろう……。
先程から何か、温かい物が口に入って来て……。
「……ど。 ロナード!」
「聞こえていますか? 返事をして下さい!」
自分の頭の上から、若い男女の声かする……。
(声……)
ロナードは、心の中でそう呟くと、薄らと目を開く。
誰かが、息が掛る程近くまで、自分の上に覆い被さっていて……そして、自分の口元を口で覆っている……?。
(んなっ……)
ロナードは、セネトが自分に覆い被さる様にして、唇を重ねている事に気付くと、心の中で思わずを叫び、驚きのあまり目を見開いた。
「主……。 良かった……」
直ぐ側で、アイクの安堵に満ちた声がする。
(えっ……いや……。 俺、な、な、な、何でセネトと……)
あまりにぶっ飛んだ状況に、ロナードはすっかり混乱し、心の中で悲鳴に違い声を上げる。
「ロナード。 顔、真っ赤よ」
そんな彼の様子を見て、ルチルが可笑しそうに笑いながら言う。
(言うな!)
ロナードは心の中で思わず、そう突っ込みながらも、益々顔を赤らめる。
「済まない。 緊急事態だったんだ。 でも、本当に助かって良かった」
セネトは、ゆっくりとロナードから身を離しながら、安堵した表情を浮かべながらいう。
「セネト……怪我は?」
ロナードは、先程まで死にそうになっていたセネトが、信じられないくらいに元気になっているのを見て、戸惑いの表情を浮かべながら問い掛ける。
「お前が、完全に治してしまったんだ。 その所為で、お前の体の中から魔力がゴッソリ無くなって、急性の魔力欠乏症に陥り、死に掛けた」
セネトは、落ち着いた口調で、状況を飲み込めていないロナードに簡潔に説明した。
「死に……」
セネトの言葉に、ロナードは思わず顔を引きつらせ、そう呟いた。
「魔力を制御出来なくなて、暴走しちゃったのよ」
ルチルは、戸惑いの表情を浮かべたまま、固まってしまって居るロナードに言う。
(あれは……死ぬ、一歩手前だったのか……)
ルチルの説明を聞いて、ゾッとしたロナードは、思わず顔を青くして、心の中で呟いた。
「命の危険はもうなくなりましたが、後遺症で暫くは、体を動かす事もままならないと思います」
ギベオンは、落ち着いた口調でロナードに説明する。
(確かに……。 体に全く力が入らない。 それに……無性に眠い……)
ギベオンの説明を聞いて、ロナードは心の中でそう呟きながら、スーッと眠りに落ちそうになる。
「ロナード?」
再び、ロナードが何も言わなくなり、目を閉じてしまったので、セネトは慌てて彼に声を掛ける。
「落ち着いて下さい。 魔力が枯渇している所為で、無意識に体が休もうとしているのです」
ロナードを起こそうと、彼の肩に手を掛けようとしたセネトの手を掴み、ギベオンが落ち着いた口調で説明をする。
「って、もう殆ど気絶したみたいに眠ってますけど?」
アイクは、戸惑いの表情を浮かべながら、そう指摘すると、セネトも焦りの表情を浮かべながら、
「だ、大丈夫なのか?」
ギベオンに問い掛ける。
「先程まで、異常に体が冷たですが、今は正常に戻っています。 呼吸も安定しています。 このまま眠らせて大丈夫だと思います」
ギベオンは、ロナードの手を掴み、体温と脈を確認し、呼吸の状態などを見てから、落ち着いた口調で答える。
「もう。 驚かせないでよ」
ギベオンの言葉を聞いて、ルチルは安堵の表情をほ浮かべながらそう言った。
「命の危険は無くなったが、当面は眠ったままでしょうね……」
ギベオンは、小さな寝息を立てて眠ってしまったロナードを見ながら言う。
「こんな田舎では、満足に治療も出来ないだろう。 今回の一件を手早く済ませて、急いで帝都に連れて帰って、しっかりとした治療を受けさせる他ない」
落ち着きを取り戻したセネトがそう言うと、
「そうね」
ルチルも、真剣な面持ちで答える。
「事後処理は自分とルチルがします。 殿下はロナード様の側に居て下さい。 アイクもだ。 少しでも様子が可笑しい時は、直ぐに呼べ」
ギベオンは、落ち着いた口調で言うと、
「分かりました」
アイクは、真剣な面持ちでそう返す。
「ユリアス。 これはどう言う事だ?」
ロナードがセネトと共に、先程視察から戻って来たと知り、早速、彼に会いに部屋を訪れたロナードの実兄であるシリウスは、ロナードが寝台の上に、積まれたクッションに上半身を預ける様な形で、体を起こしているのを見て、両腕を自分の胸の前に組み、思い切り眉を顰め、ドスの利いた低い声で問い掛ける。
ロナードは恐らく、自力では、起こした上半身を支える事が出来ないのだろうと言うのは、シリウスにも直ぐに理解出来た。
「あー……えっと……」
ロナードは、兄シリウスに凄まれ、目を泳がせ、言葉を詰まらせる。
「私に説明の出来ない様な事をしたんだな?」
シリウスは、その表情を益々険しくして、そう言いながらロナードに詰め寄る。
「僕が悪いんだ。 シリウス。 だから、そんなにロナードを責めないでやってくれ」
ロナードの傍らに居たセネトが、沈痛な表情を浮かべながら、鬼の様な形相のシリウスに言う。
「魔力を上手く制御出来なかったんだ」
ロナードは苦笑いを浮かべながら、シリウスに簡潔に説明すると、
「見たところ、体内の魔力が殆ど無いようですが」
控えていたハニエルが徐に、落ち着いた口調で言うと、ロナードは頷き返し、
「大怪我をしたセネトを助けようと、光の魔術を用いて治癒したんだ。 そうしたら……」
苦笑混じりにハニエルに語ると、
「治癒魔術が不得手な貴方が、高位の魔術を用いるなど、無茶が過ぎます」
ハニエルは、呆れた表情を浮かべながら言うと、
「仕方が無かったんだ」
ロナードは、苦笑いを浮かべたまま答えると、ハニエルは軽く溜息を付いてから、
「光の魔術と言うのは、修練した司祭でも扱う事が難しいレベルの術です。 貴方は生れ付き、魔力こそ司祭並みですが、技術はその域にありません。 それを自覚して、暗に高位魔術を使わない様にと、前にも何度か言った筈ですが?」
口調こそ穏やかだが、明らかに怒っている雰囲気のハニエルにそう言われ、
「御免なさい……」
親に叱られた、小さな子供の様にシュンとした表情を浮かべ、ロナードは謝る。
「全く……。 殿下やギベオンさん達も一緒に居ながら、何をしていたのですか?」
ハニエルは、軽く溜息を付いてから、淡々とした口調でそう言うと、鋭い視線をセネトたちに向ける。
普段は温厚の人間が、本気で怒ると怖いと言うが、今のハニエルは正にそれであった。
彼の迫力に圧倒され、セネトもギベオンも只、口を噤み、全身から滝の様に冷や汗を流す他無かった。
「ハニエルの忠告を聞かない、悪ガキが」
シリウスは強い口調で言うと、ロナードの頬を思い切り抓る。
「いだだだたっ!」
シリウスに思い切り頬を抓られたロナードは、痛みに顔を歪め、思わず声を上げる。
「死んでしまえば、痛みなど感じないのだぞ! この馬鹿が!」
シリウスは、力一杯ロナードの頬を抓ったまま、強い口調で叱り付けると、ベシッと思い切りロナードの頭を叩いた。
「う~」
ロナードは、シリウスに力一杯に抓られた頬を赤くしたまま、両目に薄っすらと涙を溜め、痛そうに叩かれた頭を両手で摩る。
「まあまあ……その位にしてやりなよ……」
シリウスと一緒に見舞いに来ていたルフトが見かねて、彼にそう声を掛ける。
「酷い乗り物酔いだった様ですし、この位で勘弁してあげましょう」
ハニエルが、穏やかに口調でそう言うと、そっとシリウスの腕を掴む。
シリウスは、不服そうな顔をしていたが、ハニエルに窘められたからか、それ以上、ロナードを責める様な事はしなかった。
ロナードは魔力欠乏症であるが故に、馬車での移動の間、ずっと横になっていたのだが、その所為で普段は乗り物酔いなどしない彼が、自力で起き上がる事すらが出来ない程の酷い乗り物酔いに苛まれ、ギベオンに担ぎ込まれ、今に至る訳である。
宮廷医が処方した薬を飲んだお陰で、酷い乗り物酔いからは幾分か解放されたのだが、それでもまだ顔色が悪いので、安静にしていた訳である。
「無理をするな。 横になれ」
セネトが心配そうな表情を浮かべ、優しい口調でロナードに声を掛ける。
ギベオンが、少しずつロナードの背中にあったクッションを退け、彼をゆっくりと横にする。
そんなギベオンたちに対し、ロナードはちょっと困った様な顔をしつつも、大人しく従っている。
(何か皆、前よりも更にユリアスに過保護になってない?)
ルフトは、ギベオンが甲斐甲斐しく、ロナードの世話をしているのを見て、戸惑いの表情を浮かべ、心の中で呟いた。
「ところで、何か用があったんじゃないのか?」
セネトが落ち着いた口調でシリウスたちに問い掛けると、彼等は一様に複雑な表情を浮かべ、口を噤んでしまった。
「僕たちが居ない間に、何かあったのか?」
彼等の様子を見て、セネトは察し、真剣な面持ちでシリウスたちに問うと、彼等は互いの顔を見合わせ、切り出しにくそうにしていると……。
「御機嫌よう」
そう言いながら、エルフリーデが部屋に入って来た。
「え、エフィ……」
エルフリーデを見るなり、ルフトは焦りの表情を浮かべる。
また、何時もの調子で彼女かロナードに毒を吐くと、思ったからである。
「あらルフト。 貴方も居たの?」
エルフリーデは、ルフトに気が付くと、淡々とした口調で言った。
「う、うん……。 あ、あのさ……エフィ」
ルフトは、表情を引き攣らせ、苦笑いを浮かべながら、エルフリーデに言って居ると、
「何ですの?」
エルフリーデは、ハッキリと話そうとしないルフトに対し、少し苛立っている様子で、彼に問い掛ける。
「いや……えっと……。 あんまりユリアスに、厳しい事を言わないでよ。 病人なんだから……」
ルフトは、自分を威圧して来るエルフリーデに、焦りの表情を浮かべつつ、そう言った。
「分かって居ましてよ」
エルフリーデは、淡々とした口調でルフトに答えると、ロナードの方へと振り返り、
「それにしても、魔力欠乏症だなんて、貴方もまだまだ修練が足りませんわね」
何処からその話を聞いたのか、冷ややかな口調で、容赦なく彼に辛辣に言葉を浴びせた。
「……」
自分が言った端から、ロナードに辛辣な言葉を浴びせたエルフリーデに、セネトとアイクは言葉を失い、立ち尽くした。
(それを、毒を吐くって言うんだよ!)
ルフトは堪らず、心の中で叫んだ。
(相変わらずのドS振りですね……)
ハニエルは心の中でそう呟くと、苦笑いを浮かべる。
「そうだな。 自分でも痛感している」
ロナードは苦笑いを浮かべながら、エルフリーデに答えた。
「私としては、療養中の方の下へ行くのもどうかと思っていたのですけれど、どうしても、貴方の耳に入れて置くべき事があったので、こうして図々しく寝室にまでお邪魔させて頂いたわけです」
エルフリーデは、ツンと澄ました表情を浮かべ、片手で自分の髪を払いつつ、淡々とした口調でロナードに言った。
「一々、回りくどい言い方をせずに、簡潔に話してやれ。 お前は本当に、ロナードが病人だと認識していて、そう言う事をしているのか?」
セネトが、何時になく苛立った口調で、エルフリーデに向かって言った。
「あら。 御免あそばせ」
エルフリーデは、淡々とした口調でロナードに言ったが、セネトの機嫌を損ねてしまった事に、内心は焦っていた。
「……もう良い。 私が話す!」
彼女の態度を見て、シリウスが苛立った様子でエルフリーデに言った。
「あら。 最初に賊を見付けたのは、私でしてよ?」
エルフリーデは、ムッとした表情を浮かべ、シリウスに言い返す。
(手柄を横取りする気?)
エルフリーデは、心の中でそう呟きながら、ジロリとシリウスを睨む。
「そんなのどうでも良いでしょ! エフィの話し方じゃあ、ユリアスが余計に疲れちゃうよ」
ルフトは、軽く溜息を付いて、エルフリーデに言い返した。
「何ですって?」
エルフリーデは、ドスの利いた声でそう言うと、ルフトに凄むと、彼は思わずたじろいだ。
「どちらでも良い! 早く話せ!」
そのやり取りを見ていたセネトが、苛立った口調で、二人に向かって一喝した。
「は、はいっ!」
ルフトとエルフリーデは、慌てた様子でそう思わず返事をした。
その二人の様子を見て、ロナードは可笑しそうにクスクスと笑った。
「んもう! 貴方の所為でユリアスに笑われたではないの!」
エルフリーデは、ムッとした表情を浮かべ、ルフトに言った。
「え? 僕の所為なの?」
ルフトは、戸惑いの表情を浮かべ、エルフリーデに言い返す。
「おいっ! 僕の話を聞いてなかったのか?」
また言い合いになりそうな雰囲気にセネトが堪らず、二人を一喝した。
「あ、はい」
「御免なさい……」
セネトに注意され、ルフトとエルフリーデは、慌てて留守を預かって居た間に起きた出来事を、ロナードと彼女たちに語った。
「……それで、その賊は今何処に?」
セネトは真剣な面持ちで、ルフト等に問い掛ける。
「それが……」
エルフリーデは、複雑な表情を浮かべ、そう言いながら口籠らせると、ルフトに助けを求める様にチラリと彼の方へと視線を配らせた。
「牢屋に閉じ込めていたんだけど、看守が目を離した隙に……。 息絶えてしまって……」
ルフトも、実に言い難そうに、物凄くオドオドした様子で、セネトに語った。
(あれは、予想外だったわ)
エルフリーデは、苦々しい表情を浮かべ、心の中で呟いた。
「んなっ……」
ルフトの報告を聞いて、セネトは驚いて絶句した。
「雇い主を守る為に自害したのか……。 それとも、万が一失敗して囚われた場合、死ぬような呪いを受けていたのか……」
彼等の話を聞いていたロナードは、淡々とした口調で、自分の見解を言うと、
「オレもその状況を直接見た訳では無いので、何とも言えませんが……。 主の言う通り、両方とも有り得る話ですね」
アイクは、淡々とした口調でそう語る。
「申し訳ありません。 僕等がもう少し、彼女の事をしっかり調べていれば、死んじゃう様な事はさせなかったのに……」
ルフトは、沈痛な表情を浮かべながら、セネトに言うと、
「武器になりそうな物は全て取り上げていましたので、私(わたhし)たちも油断していました」
ハニエルも沈痛な表情を浮かべながら言う。
暫く、何とも言えない重苦しい空気が漂い、ルフトとエルフリーデは、オドオドした様子で何度も上目遣いで、セネトの様子を伺う。
やがて、セネトは特大の溜息を付くと、
「……そうなってしまったものは仕方がない。 それよりも、お前たちに怪我が無くて何よりだ」
落ち着いた口調で、叱られるとビクビクして居た妹弟に言うと、穏やかに微笑んだ。
「殿下……」
「セレンディーネ様」
てっきり叱られると思って居た、ルフトとエルフリーデは、セネトが穏やかに自分達に微笑みかけて来たのを見て、心底ほっとした。
「幾ら、僕に調査を任されたとは言え、二人だけで、もうそんな危ない事をしては駄目だぞ」
セネトは、真剣な面持ちで、ルフトとエルフリーデに言った。
「はい……」
「御免なさい……」
エルフリーデとルフトは、揃ってシュンとした表情を浮かべつつ、返事をした。
「話をしてくれて有難う。 二人とも」
ロナードは穏やかな口調で、ルフトとエルフリーデに言うと、ニッコリと笑みを浮かべた。
「ま、まあ……。 同じ術師として、呪詛などと言う卑劣な行為を許せなかっただけですわ」
エルフリーデは、自分の髪を片手で払いつつ、照れ隠しに上から目線でロナードに言い返した。
「安心して。 呪いはハニエルやエフィの協力で、解く事が出来たから」
ルフトは真剣な面持ちでロナードに言った。
「だから、俺の事が気になって、揃って訪ねて来たのか……」
ロナードは、穏やかな表情を浮かべ、優しい口調でルフトに問い掛ける。
「ま、まあね……」
ルフトは、少し照れ臭そうにしながらも、そう返した。
「済まない。 ルフト。 余計な心配を掛けて」
ロナードは、申し訳なさそうにルフトに言った後、
「エルフリーデも」
エルフリーデの方へと目を向け、穏やかな口調で言うと、微笑みかけた。
「ふ、ふん! 別に貴方の事なんて、少しも心配などして居ませんでしたわ!」
エルフリーデは、瞬時に何時ものポーカーフェイスに戻ると、淡々とした口調でロナードに言い返した。
「嘘。 青い顔をして、『ユリアスに何かあったらどうしましょう』って、言ってたじゃない」
ロナードに対して、エルフリーデのつれない態度ばかり取るのを見て、ルフトは思わず、意地の悪い笑みを浮かべながら彼女にそう言った。
「う、う、五月蠅いですわ! そう言う余計な事は、当人の前で言わなくて良くってよ! つけ上がるでしょ!」
エルフリーデは、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして、強い口調でルフトに言い返した後、チラリとロナードの方へと目を向けると、彼はとても優しい表情を浮かべて、彼女たちのやり取りを見守って居る。
「はいはい」
ルフトは、軽く溜息を付き、肩を竦めながらエルフリーデに言い返した。
(素直じゃなんだから)
ツンデレな態度を取るエルフリーデに、ルフトは心の中でそう呟いた。
「ところで主」
セネトたちが去り、ロナードが居るベッドの側で、リンゴの皮をむいていたアイクは、徐に声を掛ける。
「ん?」
ロナードは、呼んでいた本から顔を上げ、アイクの方を向く。
「殿下には何時、告白するんですか?」
アイクは何食わぬ顔をして、サラリとそう問い掛けた。
「へ?」
ロナードは、鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をして、思わず、持っていた分厚い本をボトッと自分の膝の上に落としてしまった。
「っつ!」
自分の膝の上に落とした本の角が直撃し、ロナードは思い切り痛そうな顔をして、膝に手を添え、思わず身を曲げる。
「だ、大丈夫ですか?」
それを見たアイクは驚いて、近くに置いてあった小さな丸テーブルの上にあった皿に、剥きかけていたリンゴを置くと、身を乗り出して問い掛ける。
「あ、ああ……」
ロナードは微かに目元に涙を溜め、膝を摩りながらもそう返した。
(痛かったけど)
こそっと、心の中でそう付け加えて。
「それよりお前、何を言っているんだ?」
ロナードは、改めてアイクの方を向き、戸惑いの表情を浮かべながら問い掛ける。
「いやいやいや。 それはこっちの台詞ですよ。 好きでもない人を、あんな必死に助けようとはしないでしょ? 普通」
アイクは苦笑いを浮かべながら、戸惑っているロナードに言う。
「なっ………」
彼の言葉を聞いて、ロナードは忽ち顔を真っ赤にする。
「何時からなんですか?」
その反応を見て、アイクはニヤニヤしながら問い掛ける。
「お、俺は別に……婚約者として、当然の事をしただけで……」
ロナードは、顔を赤らめたまま、目を泳がせ、しどろもどろにそう言い返した。
「嘘だぁ。 普通は婚約者でも、自分の命を懸ける様な事はしないですって!」
アイクは、意地の悪い笑みを浮かべながら、ロナードに言うと、
「結果として、そうなっただけで……」
ロナードは、困り果てた様子でそう返した。
「じゃあ、今なんでそんな顔を真っ赤にして、焦りながら話しているんですか?」
アイクは変わらず、ニヤニヤと笑みを浮かべながら、ロナードにそう指摘すると、
「そ、それは……」
アイクに顔が赤いと指摘され、ロナードは焦り、耳まで赤くなる。
「で、何時から殿下の事が好きなんですか?」
アイクは、ロナードの反応を楽しんでいるかの様に、ニヤニヤと笑みを浮かべたまま、そう追及する。
「……」
ロナードは、顔を真っ赤にしたまま、アイクから顔を背ける。
「否定しなって事は、オレが言ってる事、合ってるって事ですよね?」
アイクは、ニヤニヤと笑ったまま、自分と目を合わせようとしないロナードに問い掛けた。
「……」
かれは、暫く間を置いた後、観念した様にコクリと頷き返した。
(おお!)
ロナードが素直に認めたのを見て、アイクは嬉々とした表情を浮かべ、心の中で喜びの声を上げた。
「何で……分かったんだ?」
ロナードは、顔を赤らめたまま、アイクにそう問い掛ける。
「いや、『何で』って言われても……。 何て言うか……。 殿下に対する態度とか、そう言うので何となく分かりますよ。 多分、ギベオンさんやルチルさんも気付いてると思いますよ」
アイクは、ニヤニヤと笑みを浮かべたまま、かなり動揺しているロナードに言う。
「そ、そうなのか?」
それを聞いたロナードは、焦りの表情を浮かべ、アイクに言うと、
「え。 まさか、バレていないとでも?」
アイクは物凄く驚いた表情を浮かべ、ロナードに問い返す。
「そんなに、露骨だったか?」
ロナードは、焦りの表情を浮かべたまま、かなり真剣な様子でアイクに問う。
「いや、露骨って程じゃ無いですけど、何て言うか……ふとした瞬間に取る言動で、『この人、殿下の事が好きなのかな?』って思う程度です」
アイクは、苦笑いを浮かべながら、ロナードの問い掛けに答えた。
「……」
ロナードは、顔を真っ赤にしたまま、物凄く困った様な表情を浮かべ、押し黙る。
「まあ、当の殿下は気が付いていない様ですけど」
アイクは肩を竦めながらそう言うと、
「だよな……。 本気で俺が、利害の一致だけで婚約者役を買って出ていると思って居るからな……」
ロナードは、特大の溜息を付くと、ゲンナリした表情を浮かべながら言う。
「言わないと、気付かないと思いますよ。 殿下の場合は特に」
アイクは、真剣な顔をしてロナードにそうアドバイスをする。
「そうか……」
ロナードは、困った様な表情を浮かべながら呟く。
「はい」
アイクは、真剣な面持ちで返すと、
「はぁ~」
ロナードは、両手で頭を抱え、特大の溜息を付く。
「大体、二人ともそんな感じだから、進む事も進まないんじゃないですか。 何ですか? この曖昧な関係が好きなんですか? 主は」
ロナードがすっかり困惑しているのを見て、アイクは呆れた表情を浮かべながら言った。
「それは……」
ロナードは、複雑な表情を浮かべ、俯き加減で呟く。
「ホント、普段は「良い度胸してんなコイツ」って思うのに、何で恋愛になると、そんなチキンなんですか? 怖いんですか?」
アイクは、ロナードの様子を見て、呆れた様な表情を浮かべ言うと、ロナードは俯いたまま、
「怖いに決まっているだろ。 俺の一言で、セネトとの今までの関係が、崩れてしまうかも知れないんだぞ?」
かなり困った様な表情を浮かべ、物凄く自信が無さそうな声で言った。
「はいはい。 そーですか。 じゃあ、気が済むまでそうやってチキっといて下さい。 オレは言うべき事は言いましたよ」
ロナードの言動に、アイクは呆れた表情を浮かべ、片手をヒラヒラとさせながら、そう言って冷たく突き放す。
「~っ……」
アイクにそう言われ、ロナードは悔しい様な、恥ずかしい様な表情を浮かべ、声ならぬ声を上げ、彼を睨みながら唸っている。
何だか、猫が戸惑いながら威嚇している姿に似ている……。
ロナードは物凄く考え込んでいる様な様子で、両手で頭を抱える。
(そんな悩む事か?)
ロナードの様子を見て、アイクは心の中で呟いた。
アイクはロナードと出会って日は浅いが、間近で彼の事を見ていて、もしかするとセネトの事が好きなのではないかと思い始めた。
最近は、日が経つにつれ、それが確信に変わった。
セネトも、ロナードに好意を抱いているのだが、お互いに友人として接する態度を崩さない為、傍から見ると物凄くモヤモヤする。
「……この気持ちを伝えて駄目だったら? いや、仮に良かったとしてもだ……。 その先どんな顔して、セネトに毎日会えって言うだよっ!」
ロナードは、顔を真っ赤にし、真剣な顔でアイクに訴える。
「はあ?」
アイクは思わず、拍子抜けした様な声を上げる。
(え。 そっち? ま、まあ確かに気まずいけど……)
ロナードの思いがけぬ言葉に、アイクは少し戸惑いながら、心の中で呟くと彼を見る。
「恥ずかしくて死ぬ……」
ロナードは、顔を真っ赤にしたままそう言うと、恥ずかしいのか両手で顔を覆い俯く。
(いや、可愛いかよ!)
ロナードの反応が思いの外、初々しく、可愛らしかったので、アイクは心の中で呟いた。
「主……」
アイクが、ロナード声を掛けようとすると、
「もう、この話は終わりにしてくれ……。 本当に……勘弁……」
ロナードは、『ストップ』と言わんばかりに、片方の掌をアイクの方に向け、もう片方の手で真っ赤な顔を覆ったまま、落ち着かない様な浮ついた声で言って来た。
(うわぁ……耳まで真っ赤……)
そう言うロナードは、耳まで真っ赤だったので、アイクは心の中で思わず呟いた。
このままでは、ロナードは茹蛸になってしまうのではないかと思ってしまう程、顔が真っ赤だ。
ロナードの言動を見た限り、人より恵まれた容姿に関わらず、恋愛経験はほぼゼロの様だ……。
「……分かりました。 今日はこの位で勘弁して差し上げます」
アイクは、これ以上からかうのも、何だか可哀想になったので、そう言って引き下がる事にした。
「……今日はって……」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべ、チラリとアイクを見ながら呟く。
「文字通り今日は、です。 明日またヘタレな事を言っていたら、許しませんよ?」
アイクは、少し意地の悪い笑みを浮かべ、ロナードに言うと、
「ええぇ……」
ロナードは、困った様な表情を浮かべ、思わず情けない声を上げる。
「頑張って下さい。 主」
アイクはニッコリと笑みを浮かべ、容赦なくロナードにそう言い放った。




