伯爵夫人の憎悪(上)
主な登場人物
ロナード(ユリアス)…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指している。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト(セレンディーネ)…エレンツ帝国の皇女。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしている。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な女性。 十九歳。
シリウス(レオフィリウス)…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
ルチル…帝国の第三騎士団の隊長を務めている女性。 セネトと幼馴染。 今はティティスの護衛の任に就いている。 二十歳。
ギベオン…セネト専属の護衛騎士。 温和で生真面目な性格の青年。 二十五歳。
ルフト…宮廷魔術師長サリアを母に持ち、魔術師の一家に生まれた青年。 ロナードたちとの従兄弟に当たる。 二十歳。
エルフリーデ…宮廷魔術師をしている伯爵令嬢で、ルフトの婚約者。 ルフトの母であるサリアの事をとても慕っている
カルセドニ…エレンツ帝国の第一皇子でセネトの同腹の兄。 寺院の聖騎士をしている。 奴隷だったシリウスとハニエルを助け、自由の身にした人物。
アイク…ロナードの専属護衛をしている。 以前は寺院の暗部に所属していた青年。 気さくな性格をしている。
ロナードは、セネトに同行して、地方にある鉱山の視察に訪れていた。
エレンツ帝国の本土『アルバスタ大陸』は、標高の高い山々が大陸を縦断する様に走り、その山々からは良質な鉱物が採掘されている。
ロナード達は、途中の町や村に立ち寄りながら、帝都を発って転送装置を何度か使って数日後、目的の町に到着した。
「やれやれ……。 やっと着いたか……」
セネトはそう言うと、ロナード達が降りた後、ゆっくりと馬車から降りる。
ロナードと共に同行して居るのは、十数人の兵士と、ギベオンとルチル、そしてアイクだ。
「久しぶりの外は、どうだったか?」
セネトは、うーんと大きく伸びをしながら、側に居たロナードに問い掛ける。
「やっぱり外は良いな。 砂と岩地ばかりの景色でも、少しずつ違って見えるのだから不思議だ」
ロナードは、穏やかな笑みを浮かべながら、セネトの問い掛けに答えた。
帝都に来て三カ月近く経つが、その間、ロナードは殆どセネトたち皇帝の子供たちが住まう青の右宮に居て、たまにギベオンが気を利かせて、彼のお使いで街に降りた際に同行する以外、宮廷の敷地の外から出る事は無かった。
当初は、ロナードの兄であるシリウスの屋敷に身を寄せる予定だったが、シリウスが留守にしがちだと言う事と、宮廷程の警備が出来ないと言う事もあり、ロナードはセネトの好意で宮廷に滞在していた。
何にしても、二人には良い気分転換になった様なので、ルチルとギベオンはホッとしていた。
「視察、断らなくて良かったわね」
ルチルは、外に出て水を得た魚の様に生き生きしているロナードを見ながら、ギベオンに言った。
「そうだな」
ギベオンも穏やかな顔をして、頷きながら言った。
アイクが正式にロナードの護衛に配属されると、彼のお蔭でロナードを良く思わない輩からの嫌がらせは激減したが、それでも時折、思い出した様に続いていた。
留守番を預かるルフトやエルフリーデには、ロナードへの嫌がらせを主導しているのは誰なのか、調査をする様に頼んでは来たが……。
そうで無くとも、そんなに自由が利かない身なので、ロナード自身も知らず知らずの内に、かなりストレスを抱えていた様であった。
「こんなに遠出したのも久しぶりだ。 流石に腰が痛い」
セネトは、自分の腰を拳でトントンと叩きながら呟いた。
さほど大きな町では無く、鉱山の町らしく、簡素な造りの家が整然と立ち並び、町の至る所に山から運んで来たと思われる、大きな岩が無造作に転がっており、少し埃っぽい。
町を行き交う男たちは、ガッとりとした体付きの者が多く、頭には、鉄を薄く伸ばしたヘルメットを被り、顔から衣服から煤まみれだ。
そして、何処からか掘り出してきた、大きな岩の塊を乗せた荷馬車が、忙しく行き交っていた。
「町の責任者はどちらに?」
側を通り掛った男に、ギベオンがそう声を掛けると、
「まだ、鉱山だと思うぜ」
鶴橋を持った、大柄な男はそう言うと、町では見掛けた事のないギベオンたちを物珍しそうに見ながら、前を通り過ぎて行った。
「お待たせ致しました」
町の奥の方から来た、屈強そうな男たちが護衛をしている、黒塗りの馬車の中から、そう言って、一人の女性が出て来た。
彼女は、町の者たちと違い、エメラルド色のドレスに身を包み、茶色の髪をアップにし、服と同色の、派手な羽飾りの付いた帽子を被り、美しい宝石を身に付け、如何にも金持ちの婦人と言った出で立ちで、ツンと澄ました、プライドの高そうな女性であった。
「貴女が、サルヴェール伯爵夫人?」
ルチルが、現れた女性にそう言うと、
「そうです。 私が、この町を統括しているサルヴェール伯爵の妻、ルネッタと申します。 この様な場所に殿下自らお越し頂き、恐縮の限りでございます」
『ルネッタ』と名乗ったその女性は、手に持っていた、ド派手で豪華な装飾が施された扇子を畳むと、両手でドレスの裾を摘み、深々と首を垂れる。
「主人も直に戻って来るでしょう。 ご満足して頂けるか分かりませんが、会食の用意をしておりますので屋敷へご案内しますわ」
ルネッタは何故か、ジロジロとロナードを見回してから、淡々とした口調で言うと、自分が乗って来た馬車に乗り込む。
「行こうか」
セネトはそう言うと、ロナードともに馬車に乗り込む。
「本当に、あの背の高い異国人で間違いないの?」
サルヴェール伯爵爵夫人ルネッタは馬車の窓から、後ろから付いて来ているセネト等を乗せた馬車を見ながらそう言った。
「間違いありません」
一緒に居た、黒いローブに身を包み、顔が見えない位に深々とフードを被った老婆が、そう答えた。
「そう。 あの者が私の可愛いナデルを陥れ、宮廷に出入りできなくしたのね。 あの者さえ居なければ、ナデルはセレンディーネ皇女の婿になれていたと言うのに……。 この屈辱は必ず、返さなければならないわ」
ルネッタは、忌々し気な表情を浮かべ、持っていた扇子を広げる。
「どうか慎重に事をお運び下さいませ。 奥様。 奴を殺す事は簡単ですが、その疑いを伯爵家に掛けられる様な事だけは、回避せねばなりませぬ」
顔が見えない位に深々とフードを被った老婆が、忌々し気な顔をしているルネッタに言った。
「分って居る。 だが、目障りなあの者を屠る事が出来れば、ナデルは再び宮廷に上がる事が出来る様になる筈」
ルネッタは、真剣な表情を浮かべ、そう呟いた。
「おお……。 これは凄く大きいですね……。 主」
屋敷の玄関に入るなり、廊下に沿って、至る所に巨大な岩の塊が置かれており、一見すると何の変哲も無さそうな岩なのだが、良く見るとキラキラと鉱石が顔を覗かせており、それを見てアイクが呟く。
(確かに。 こんなにデカイ鉱石を見るのは初めてだ)
ロナードは、そう心の中で呟きつつ、興味深そうに熱心に見ている。
「ガルディア鉱山では、金の他にも錫、水晶なども取れますの」
ルネッタは、淡々とした口調で、見入っているロナード達にそう説明した。
「見て見ろ。 お前の目の色と同じ色の石があるぞ」
セネトは声を弾ませ、ロナードにそう言いながら、紫水晶の原石を指差す。
「アメジストです」
ルネッタは、セネトにそう説明してから、徐にロナードの方へ目を向け、
「殿下の仰る通り、本当に綺麗な目の色ですわね」
そう言うと、ニッコリと笑みを浮かべた。
(忌々しい程、整った顔だ事……。 この見目の美しさを利用して皇女に取り入ったのね。 何て薄汚いのかしら)
ルネッタは、ロナードを見ながら、心の中でそう呟いた。
奥の通された応接間には、白い清潔そうなテーブルクロスが掛けられた長テーブルが中央に置かれ、その周囲に椅子が配置され、テーブルの上には、色取り取りの果物、様々な料理、高価そうなワインボトル、銀製の食器と杯などが整然と並べられ、壁際には侍女たちが、ズラリと並んで控えていた。
「大したおもてなしも出来ませんが……。 どうぞ座り下さい」
ルネッタはそう言うと、セネトたちに席に付く様に勧める。
「もてなし、感謝する」
セネトにそう言うと、ギベオンが椅子を引き、一番奥の席に腰を下ろした。
「お前も座ったらどうだ?」
セネトは、部屋の入口近くに控えて居たロナードにそう声を掛ける。
「失礼します」
ロナードはそう言うと、部屋の入り口から一番近い席に腰を下ろそうとすると、
「殿下の婚約者さまと伺っております。 殿下のお側に座っては如何ですか?」
ルネッタは、ニッコリと笑みを浮かべ、ロナードにそう声を掛ける。
「いえ、お構いなく……」
ロナードは、落ち着いた口調で答えると、自ら椅子を引き、静かに腰を下ろした。
その様子を見てからギベオンは、何か察した様に落ち着いた口調で、
「殿下。 自分は少し、周囲の様子を見て参ります」
事務的な口調でセネトにそう言ってから、
「ルチル。 アイク。 殿下とロナード様の事、頼むぞ」
ロナードの側に影の様に控えて居たアイクと、セネトの背後に立っていたルチルに声を掛けると、
「分かってます。 主には指一本触れさせません」
彼は、やる気満々と言った様子で、ギベオンに言い返すと、それを聞いたロナード当人は苦笑いを浮かべる。
彼は普段から、ロナードの身辺警護をしているのだが、公の場でその任務に当たるのはこれが初めてなので、何時も以上に気合が入っている様だ。
(まあ、自分が心配しなくても、ロナード様は自分の身くらい守れるが……)
ギベオンは苦笑いを浮かべながら心の中で呟いてから、チラリとロナードの方へと目を向けると、彼は軽く頷き返して来た。
(まあアイクとルチルも側に居る事だし大丈夫だろう。 少し、町の様子を見て来るとしよう)
ギベオンは心の中でそう呟くと、セネトに向かって頭を下げると、数人の部下を連れ、部屋を後にする。
「ギベオンは本当に仕事熱心だな。 一緒に食べれば良いものを」
セネトがそう言うと、苦笑いを浮かべる。
「何かあって貴方たちを逃がす際に、もたつかない為に周囲の地形を把握するのも仕事の内よ」
ルチルは、淡々とした口調で返す。
暫くして、頬のこけた、細身の白髪混じりの髪に、弦の部分に宝石の付いた、銀縁眼鏡をした男が、護衛の兵士を引き連れて戻って来た。
その身なりからして、この屋敷の主であろう。
彼の姿を見るなり、ルチルとロナードは椅子から立ち上がり、壁際に立っていたアイクや兵士達も一礼をする。
「お待たせして申し訳ございません。 殿下」
銀縁眼鏡をした男は、申し訳なさそうに、一番奥の席に座って居たセネトに言うと、深々と首を垂れてから、
「申し遅れました。 私がこの町の領主サルヴェールと申します。 セレンディーネ皇女殿下とお会い出来ました事を大変光栄に思っております。 ご満足頂けるかは分かりませんが、ご滞在の間、精一杯、お世話致します」
そう名乗った。
そうして、サルヴェール伯爵夫妻も席に座り、使用人たちにグラスにワインを注がせ、食事をしようとしていた時……。
「た、大変です!」
外から、そう喚く男の声が聞こえて来た。
「何事か?」
サルヴェール伯爵はそう言うと、徐に椅子から立ち上がる。
扉の近く居た使用人が急いで部屋から出ると、様子を見に行く。
玄関の方で、男たちが何やらやり取りしている声が聞こえて来て、暫くして、ドタバタと忙しく、先程、部屋から出て行った使用人が、青い顔をして戻って来て、
「大変です! 魔物が!」
サルヴェール伯爵にそう告げる。
「何だと! くそ! また来たか!」
サルヴェール伯爵は、椅子から立ち上がり、表情を険しくして、そう叫ぶ。
「急いで兵士を! 町の中に入れては駄目よ!」
ルネッタも、表情を険しくして、近くに居た使用人たちにそう命じた。
「ま、魔物ですって?」
『魔物』と聞いて、セネトの側に居たルチルが、焦りの表情を浮かべ、呟く。
部屋に居合わせた、セネトが連れて来た兵士たちも戸惑い、どよめく。
ここまでの移動中、遠目に魔物らしき生き物を見る事があったが、セネトが乗っていた馬車には、魔物除けの強力な結界が施されているお蔭で、道中は一度も魔物と遭遇せずに済んだ。
「ギベオン達は?」
セネトは、落ち着いた口調で兵士たちに問い掛ける。
「ま、まだ、戻って来ておりません」
兵士が、焦りの表情を浮かべつつ、セネトの問い掛けに答える。
「セティ。 安全な所へ移動しましょう」
ルチルが焦りの表情を浮かべつつ、セネトに言うと、
「いや。 ギベオンが戻るまで、下手に動き回らない方が良い」
ロナードは、落ち着き払った口調で、椅子に座ったまま、焦っているルチルに言った。
「主の言う通りです。 相手の数が分からない以上、別々に動くのは得策ではありません」
アイクも落ち着いた口調で、ルチル達に言った。
(コイツ、何でそんなに落ち着いてるんだ!)
セネトの護衛として同行している兵士の一人が、魔物が現れたと言うのに、全く動じて居ない様子のロナードとアイクに対し、軽い苛立ちを覚えながら心の中で呟いた。
他の兵士たちも、同じ様な事を思っているのか、戸惑いの表情を浮かべ、ロナードとアイクを見ている。
「ギベオンが戻るまでここに留まる。 連絡手段も持たないのに、別々に行動する事はしない方が良いだろう。 主力の兵はあちらに預けてあるしな」
セネトも、落ち着き払った口調で、浮足立っている兵士たちに言った。
「殿下。 窓から離れた方が宜しいかと。 そこは危ないです」
アイクは、落ち着き払った口調で、セネトに向かって言った。
「そうだな」
セネトがそう言って、ロナード達が居る部屋の入口の方へと移動しようとした瞬間、突然、窓のガラスが激しく音を立てて割れ、部屋の中に響き渡った。
目の色は真紅、背丈は人間の子供くらいで、枯れた木の枝の様に、細い手足、肌の色は褐色で、鼻はとても高く尖っており、先の尖った大きい耳、黒い眼のマントを身に纏い、手には、緑色のベットリとした液体が塗り付けてあるナイフを手にした、醜悪な化け物が、割れた窓から勢い良く飛び込んで来た。
ダークエルフだ。
「きゃあああっ!」
ダークエルフを見て、居合わせた侍女たちの間から悲鳴が上がる。
「ぎへーっ!」
ダークエルフは直ぐ側で、突然の事で動けずに居たセネトに気が付くと、残忍な笑みを浮かべ、ナイフを突き立てた格好で、彼女に飛び掛かった。
「危ない!」
アイクはそう叫ぶと、とっさにセネトを横へ突き飛ばし、ダークエルフの一撃を自分が持っていた剣で防ぐ。
「ぎげげげっ!」
ダークエルフはそう言いながら後ろに跳躍し、アイクとの間合いを取ろうとするが、それよりも早く、アイクがダークエルフの間合いに素早く踏み込み、剣を振るった。
避けきれなかったダークエルフは、アイクが繰り出した剣を顔面に喰らうと、後ろの壁まで勢い良くすっ飛ばされ、頭を強く打ち付け、白目を剥いて、ズルズルと壁を伝う様にして、その場に倒れる。
「んな……」
自分の目の前に、気絶しているダークエルフが倒れているので、ルチルは恐怖に顔を引き攣らせ青い顔をして見ていると、近くに居たロナードが倒れているダークエルフの側へやって来て、何の躊躇いも無く、持っていた剣をダークエルフの体に突き立てた。
ダークエルフは、一瞬体を硬直させ、鶏を絞め殺した時の様な断末魔を上げ絶命し、床の上に、魔物特有の紫色の血が広がる。
ルチルは青い顔をして、恐怖に身を硬直させたまま、その一部始終を見守るしか出来なかった。
何時もは、どんな男たちよりも勇猛果敢な彼女なのだが、どうやらそれは、人間に対してのみで、帝都ではまず見掛ける事のない、異形の魔物を前にして、恐ろしくて動く事が出来なかった。
アイクは、淡々とした様子で、自分の顔へ飛び散った、紫色の血を手の甲で拭い取り、ロナードも魔物の血が付いた剣を払う。
「まだ、別に潜んで居る可能性が……」
ロナードがそう言っている端から、別の方向から『ギエッ』と言う声がしたので、セネトは振り返ると、何時の間に入って来たのか別のダークエルフが、戻って来たギベオンが振るった剣で、首と胴、腰と足の辺りで、体を真っ二つ分けられ、紫色の血を撒き散らしながら、ゴトッと床に転がった。
「殿下! ご無事ですか!」
ギベオンがそう叫びながら、部屋の中に入って来て、忙しく周囲を見回す。
「僕はここだ!」
セネトは、落ち着き払った口調で、駆け込んで来たギベオンに声を掛ける。
「良かった……」
セネトの無事な姿を確認すると、ギベオンはホッとした表情を浮かべ、胸を撫で下ろす。
「ギベオン! そこから動くな!」
ロナードはそう叫ぶと、持っていたナイフを、ヒュッと彼に向かって投げ付ける。
あわや、ロナードの叫び声に振り返ったギベオンの土手っ腹に、ナイフが突き刺さるかと思われた次の瞬間、
「ギャッ!」
短い声を上げて、どうやってそこに居たのか、ダークエルフが、ロナードの投げたナイフを背に受けた格好で、その場に倒れた。
それを見て、危うくダークエルフに背中から斬られそうになったギベオンは勿論、その近くに居たルチルや兵士たちも驚く。
「流石」
アイクは、『当然』と言わんばかりの顔をして、ロナードに言った。
(どうして分かった?)
ギベオンは、自分の足元に転がって居るダークエルフの死体を見下ろしつつ、心の中でそう呟くと、徐にロナードへと目を向ける。
それを見て、猫か犬かが唸る様な声を上げて、カメレオンの様に周囲に擬態して姿を隠していたダークエルフが側にいた、サルヴェール伯爵夫人ルネッタに躍り掛かった。
「ひやあああ!」
夫人が腕で自分の顔を庇う様にして、悲鳴を上げると、
「伏せろ!」
ロナードの叫び声が部屋に響き、夫人はとっさに身を屈めると、ロナードはダンと床を勢い良く蹴ると、信じられない跳躍をし、夫人に飛び掛かったダークエルフに、半ば横から飛び込む様な形で剣を振るう。
ロナードが振るった剣は、空中でダークエルフの後頭部と首の境辺りに見事に入り、頭と体が切り離され、魔物特有の紫色の血を空中でばら撒きながら、ゴトリと床の上に転がった。
「ボサッとするな! まだ来るぞ!」
ロナードは、剣に付いた血糊を払いながら、その様子を呆然と見ていた兵士とギベオン達に向かって叫ぶ。
「あ……は、はい!」
ギベオンはハッとしてロナードにそう返す。
「オレが囮になります。 主たちはここで殿下を死守して下さい!」
アイクは、険しい表情を浮かべたまま、呆然としているルチルたちに言うと、割られた窓に向かって駆け出した。
「あ、ちょっと!」
自分の前を横切るアイクに、ルチルは焦りの表情を浮かべ、引き留めようとするが、彼に完全にスルーされ、彼はそのまま窓から外へと飛び出した。
まるで猫の様に窓の縁へ軽々と飛び移り、そこから何の躊躇も無く、ヒラリと窓から外へと飛び降りてしまったアイクに、その場に居合わせた誰もが呆然としていると、
「助太刀に行く」
ロナードがそう言って、何の躊躇も無く、アイクに続いて窓から飛び降りた。
「おい! ロナード!」
セネトは慌てて身を乗り出し、ロナードが飛び降りた窓から外を見る。
ロナードは彼女の心配を余所に、無事に地面に着地をすると、中へ乗り込もうと近くにいたダークエルフたちを、まるで鎌で麻でも刈る様に、バッサバッサと切り倒していく。
「余程、日頃の鬱憤が溜まっていた様だな……」
アイクの助太刀をする為に魔物の中に突っ込んだロナードを見て、思わずギベオンは苦笑いを浮かべながら言った。
ロナードが並みの兵士などよりも遥かに剣の腕が立つ事は知っていたが……その立ち振る舞いはもう、幾多の戦いを切り抜けてきた猛者そのものだ。
「あ、主……。 中に居ても良かったのに」
自分の助太刀に出て来たロナードに、アイクは苦笑いを浮かべながら言うと、
「冗談を言うな。 これだけの数を一人で捌ける訳ないだろう」
ロナードは苦笑いを浮かべながら、アイクにそう言い返すと、近くに居たダークエルフを切り倒す。
(うわ。 躊躇なく真二つ……。 前も思ったけどこの人、かなり戦い慣れてるよな。 一体、どんな人生送って来たよ?)
ロナードの立ち振る舞いを見て、アイクは心の中でそう呟くと、苦笑いを浮かべる。
「急ぎ、ロナード様の応援に行くぞ」
ギベオンは、殆ど何が起きているのか理解出来ず、呆然と佇んで居た兵士たちに声を掛けると、急いで部屋から出て行ったので、それを見て、兵士たちも数人後を追う。
「助かりました」
サルヴェール伯爵は、圧倒的な強さで、屋敷へ攻めて来た魔物たちを蹴散らしたロナードに、感激した様子で、そう感謝の言葉を口にした。
(この者……ただ、綺麗な顔をしているだけでは無いのね……。 計画の変更が必要だわ)
ルネッタは、周囲から自分の表情を悟られぬ様、口元に扇子を広げたまま、ロナードを見ながら心の中で呟いた。
「ロナード貴方、魔物を見るのはこれが初めてでは無いでしょ? 随分と戦い慣れていた様だったけれど?」
ルチルは、戸惑いの表情を浮かべつつ、ロナードに問いかけると、
「ランティアナで傭兵をしていた時、魔物退治を専門にしていた。 帝国へ渡るまでの間も、何度か魔物とは遭遇して戦ったしな」
ロナードは、淡々とした口調で、ルチルの問い掛けに答えた。
(マジで? もう、その道のプロじゃんよ)
話を聞いたアイクは心の中で呟くと、思わず、ロナードの方へと目を向ける。
「お前の手を煩わせるつもりは無かったんだか……」
セネトは、ロナードの経歴を知って居たのか、特に驚く様子も無く、落ち着いた口調で彼に言った。
「構わない。 そう言う時の為に俺が居るのだから……」
ロナードは、落ち着いた口調で返す。
(この人、ただの婚約者じゃなかったのか!)
(もしかして、おれ達よりも強いんじゃ?)
(殿下、この人が強いのを知っていたのか?)
一緒に居たセネトの護衛の為に同行している兵士たちは、心の中でそう呟きながら、揃ってロナードを見る。
建国祝賀祭での一件は、誰からか伝え聞いてはいたが、こうして実際にロナードの戦い振りを直に見るまで、多くの者が話を信じていなかった。
「お前もだ。 アイク。 とっさの判断、見事だった」
セネトは、穏やかな口調でアイクに言うと、
「へへへへ……」
アイクは嬉しそうな表情を浮かべ、はにかむ。
(新参者のくせにっ!)
(ちょっと腕が立つからって、調子に乗るなよ)
アイクの様子を見て、他の兵士たちは心の中でそう呟くと、嫉妬に満ちた目で無言で彼を睨む。
「魔物が居るとなると、捨て置けないな……」
セネトは、片手を自分の顎の下に添え、神妙な面持ちで呟く。
「直ちに、魔物討伐の兵を送る様、帝都へ早馬を出す手配を致します」
ギベオンは真剣な面持ちで、セネトに向かって言うと、
「そうだな。 頼む」
セネトは、落ち着いた口調でギベオンに返す。
「お蔭様で、町には殆ど被害がありませんでしたわ」
町の様子を見まわって戻って来た兵士たちの報告を受けたルネッタが、安堵した表情を浮かべながらロナード達に言うと、
「ダークエルフは狡猾な奴等だ。 夜陰に紛れて密かに町に忍び込み、予め、何が何処にあるのか、把握してここだけを狙った可能性がある」
ロナードは、淡々とした口調で、ルネッタに言った。
「しかし、魔物がここを狙った理由は何なのでしょうか……」
サルヴェール伯爵が、戸惑いの表情を浮かべそう言うと、
「恐らく、この屋敷にある鉱石や武具などを手に入れる事が目的だろう。 鉱石は魔道具に、武具は自分たちの武力の強化に繋がる。 今より強くなれば、より、大きな町を襲撃する事が出来る。 森で手当たり次第に獣を追い駆け回すより、人間たちの町や村を襲った方が、効率が良いだろうからな」
ロナードは、淡々とした口調で、サルヴェール伯爵にそう説明する。
(主の言う通りだ。 実際、オレが居た村も魔物に襲われて、食べ物や武器を盗まれた。 空の水瓶の中にお袋がとっさに、オレと妹を隠してくれたお蔭で助かった。 でも、お袋も村の奴等は全員、殺されてしまった……)
アイクは心の中でそう呟くと、苦々しい表情を浮かべる。
まだ、一歳にも満たない妹と、三歳になったばかりの自分たちだけが生き残ったが、幼い子供に成す術など無く、死んだ母親の亡骸の側で丸一日、呆然と立ち尽くしていた。
翌朝、何も知らずに森から戻って来た村の樵に二人は発見され、彼と共に隣町に移り、そのまま寺院が作った町の孤児院に妹と共に預けられ、今に至る訳だが……。
「成程……。 魔物も馬鹿では無いのね」
ロナードの話を聞いて、ルチルはシミジミとした口調で言った。
「アイツ等も生きる為に必死なんだ。 何処に行けば食料が手に入るか、狼だってそのくらいは理解出来る。 奴らより頭の良い魔物ならば、尚更だ」
ロナードが、淡々とした口調で、ルチルに言った。
「そうですね。 これからは屋敷を中心に警備を固める事にします」
サルヴェール伯爵は、真剣な面持ちで、ロナードに言った。
「それにしても、お前が魔術だけでなく魔物に関しても、こんなに博識だとは知らなかったぞ」
セネトが感心した様子で、ロナードに言うと、
「魔物退治をしていたのに、魔物の知識が無いのは、殺されに行くのと同じだ」
ロナードは、淡々とした口調でセネトに答えると、
「確かにそうだな……」
セネトは、苦笑いを浮かべながら言った。
「だからと言って、我先に向かって行くのは止めて下さい。 危険過ぎます」
ギベオンが自分を差し置いて、魔物に向かって言ったロナードに対し、不満そうに言うと、
「済まない」
ロナードは、申し訳なさそうに、ギベオンに謝る。
「全く……。 そう言う所は、ノヴァハルト伯爵にそっくりですね」
ギベオンは、呆れた様な表情を浮かべつつ、深々と溜息を付いてロナードに言う。
(この人、兄弟が居るのか……)
アイクは、心の中で呟くと、徐にロナードのへと目を向ける。
そして、ロナードの兄弟は、一体どの様な人なのだろうかと、色々と想像を巡らせる。
「確かに。 普段は大人しいのに、そう言う所はやっぱり兄弟ね。 竜騎士の血が騒ぐのかしら?」
ルチルは、苦笑いを浮かべながらロナードに言うと、
「防衛本能と言ってくれ。 俺は血生臭い事が好きな訳じゃない」
ロナードは苦笑いを浮かべながら、そう弁明する。
「随分前に、自分に絡んで来た兵士たちを全員ボコボコにして、病院送りにした奴が良く言う」
セネトは、苦笑いを浮かべながらロナードに言うと、
「……俺を怒らせる様な事をする奴が悪い」
ロナードは、ムッとした表情を浮かべつつ、セネトに言い返す。
「ふふふ。 そう言う所は流石だわ」
「あの時は、焦りましたよ」
ロナードの反応を見て、ルチルとギベオンは声を上げながら笑っていると、不意にセネトの腹が豪快に音を立てた。
「はははは。 ホッとしたら腹が減った様だ」
セネトは、自分の腹を片手で押さえつつ、苦笑いを浮かべながら言った。
「そう言えば、お食事がまだでしたね。 直ぐに、別の部屋に用意させますので、暫く、お待ち下さい。 流石にここでは、食べる気にはなれませんでしょうから」
サルヴェール伯爵は、苦笑いを浮かべながら、ロナード達にそう言った。
伯爵の言う通り、部屋に乱入して来たダークエルフの死体と彼等の血が、壁や床に飛び散っていて、テーブルに並べられていた料理も滅茶苦茶だった。
使用人たちが、ダークエルフ達の死体を気持ち悪そうな顔をして渋々、片付けようとしており、彼等が侵入した窓も、別の使用人たちが薄い木の板で覆い、釘を打ち付け、応急処置をしている。
これは、食事にあり付けるのには、時間が掛りそうである……。
別の部屋に移動すると、ロナード達は思い思いにソファーの上に腰を下ろした。
「鉱山には、魔物は現れないのか?」
セネトは真剣な面持ちで、サルヴェール伯爵にそう問い掛けると、
「ええ。 今のところは……。 ですが、鉱山まで来るのも時間の問題でしょう」
サルヴェール伯爵は、不安そうな表情を浮かべ、セネトの問い掛けに答えた。
「この鉱山を魔物に乗っ取られ、閉山になる様な事があっては、国家の財政に深刻な打撃を受ける事になる。 それは、この町も同じだ。 何としても避けなくては」
セネトは、両腕を胸の前に組み、神妙な面持ちでそう言った。
「仰る通りです。 この町は鉱山で財を成していますから。 閉山になれば収入源を失い、人々は町から出て行ってしまうでしょう」
サルヴェール伯爵も、神妙な面持ちで答える。
「僕が陛下への報告書に、鉱山の警備強化を明記しておこう。 そちらの方が、伯爵が国に掛け合うより、ずっと話が早く通る筈だ」
セネトは、淡々とした口調で、サルヴェール伯爵に言うと、
「有難うございます殿下。 少しでも、町の者たちの不安を取り除く事が第一ですから、とても助かります」
彼は、ホッとした表情を浮かべそう言うと、深々と頭を垂れる。
そうしている間に、別の料理を用意していたのか、侍女たちが思いの外早く、部屋に料理を運んで来た。
そうして、セネトたちは少し遅い夕食にありつく事が出来たが……。
(あーっ! この川魚、食べにくいな!)
セネトとサルヴェールの話を側で聞きながら、アイクはフォークとナイフを手に料理に出された川魚と格闘しており、イライラしながら心の中で呟く。
そして、ふとテーブルを挟んで自分の向かいに座っていたロナードへと目を向けると、自分が格闘している川魚を綺麗に食べ終えて居たので、軽くショックを受けた。
(ホント何なんだろう。 この人……さっきの魔物との戦い振りと言い、この魚料理と言い! 何でも出来過ぎやしないか?)
アイクは、ロナードが涼しい顔をして食事をしているのを見て、心の中で呟く。
セネトと共に、ロナードが食事をする姿は何度か見掛けていて、彼がとても綺麗に食事をする事は知っているが、貴族の令嬢であると言うルチルよりも、彼の方がキチンと食事が出来ている事が、何だか笑えて来た。
「?」
ルチルもアイクと同じ様な事を思っているのか、ロナードに対して苛立った視線を向けており、その事に気付いた彼は、戸惑いの表情を浮かべる。
「このところ魔物の数が増え、何処の地方の町も村も、この町と同じ様に魔物の被害に怯え、切迫した状況になっている。 どうしたものか……」
セネトは、食事もそこそこに、複雑な表情を浮かべ呟く。
「そもそも、最近魔物が増加した要因は何でしょうか。 このところの異常気象と、何か関係があるのか気になる所ですね」
ギベオンは食事をしていた手を止め、真剣な面持ちで言うと、
「……世界的に魔力の循環が淀んでいるのかもな……。 魔力は、この世界にとって血液の様なものだ。 魔力の流れが淀み、それが何処か一点に集まると、人間の体と同じで異常が現れる。 それが、魔物の増加や巨大化、凶悪化に繋がるという説もある」
ロナードも食事の手を休め、神妙な面持ちで、セネト等に語った。
「お前、本当に物知りだな? 伊達に本ばかり読み漁っている訳では無いな」
セネトは感心した様子で、ロナードに言うと、
「只単に、知識を得る事に貪欲なだけだ」
ロナードは、淡々とした口調で答える。
「それで、その淀んで居る魔力を正常に戻すには、どうしたら良い?」
セネトは、真剣な面持ちでロナードに問いかける。
「魔力が噴き出している場所を塞ぐか、溜まっている魔力を放出するか……」
ロナードは、食事の手休めたまま、真剣な面持ちで、セネトに説明する。
(何だか、話が難しくなって来たな……)
二人のやり取りを聞いて居たアイクは、ゲンナリとした表情を浮かべ、心の中で呟く。
「例えば?」
セネトはすっかり食事の手を止めて、熱心にロナードに問いかける。
「噴出している場所は封印すれば良い。 魔力溜まりは結晶化して魔石になる。 定期的に魔石を採掘すれば良い。 ただ問題は、その周辺には凶悪な魔物がつきものだと言う点だ」
ロナードも食事の手を休め、律儀にセネトに説明をする。
「成程。 魔力溜まりが結晶化したものが、『シード』になると言う訳か……」
セネトは、自分の顎の下に片手を添え、真剣な面持ちで呟く。
「全部が全部、そうなるとは限らないが、まあ、理屈的にはそうるな」
ロナードは、落ち着き払った口調で答える。
「素晴らしい! お若いのに、これ程の知識をお持ちとは! 殿下が婚約者に選ばれた理由が分かりました!」
彼等のやり取りを聞いていたサルヴェール伯爵は、嬉々とした表情を浮かべ、ロナードを素直に称賛する。
(確かに。 この人、ホントに何なんだ?)
アイクは間髪置かず、セネトの質問に、スラスラと答えるロナードに、思わず舌を巻く。
(ロナード様は本当に色んな事を知ってるな……。 ランティアナに居た時も相当、勉強をしていたのだろう)
ギベオンも、ロナードに感心しながら心の中で呟く。
「ホント、貴方は何歳なのよ?」
ルチルは、自分を凌駕する知識をロナードが持っている事に、戸惑いの表情を浮かべながら、彼に問い掛ける。
「十七だが………」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら答える。
「それ、絶対ウソよね? じゃ無きゃ、こんなに物知りな訳が無いわ! 驚かないから、本当の年を言いなさいよ!」
ルチルは思わず身を乗り出し、ロナードに向って人差し指を突き付けながら言う。
「失敬な」
ロナードがムッとした表情を浮かべながら言い返すと、そのやり取り見ていたアイクは可笑しくて思わず吹き出す。
「それは単純に、お前が剣術などの鍛錬に充てた時間を、ロナード様は知識を得る為に充てていただけの違いだと思うぞ」
ギベオンが、呆れた表情を浮かべながら、落ち着いた口調でルチルにそう指摘すると、
「あ、そう言う事……」
ルチルは、ギベオンの説明に納得した様で、思わずそう呟いた。
「全く。 俺を何だと思っているんだ……」
ロナードは、軽く溜息を付くと、呆れた表情を浮かべながらルチルに言う。
「まあ、ルオンから帝国へ戻る間、ハニエルに色々と教えて貰ったのもあるだろう。 実際、ハニエルの話はとても興味深かったし、為になる事も多かったからな」
セネトは、苦笑いを浮かべながら言った。
「あははは。 ごめ~ん」
ルチルは、ムッとした居るロナードに向って、苦笑い混じりにそう言って謝った。
同じ頃、セネトに留守番を任されて居るルフトとエルフリーデは……。
(うーん……。 ユリアスが居ないから、流石に悪さをする人は見付からないと思うケド……)
ルフトは、複雑な表情を浮かべつつ、そんな事を思いながら廊下を歩いて居ると、
「あら。 ルフト」
向こうから、彼の婚約者であるエルフリーデが、迎えに来た彼女の自宅の兵士と共にやって来るのが見えた。
どうやら、宮廷魔術師の仕事を終え、自宅へに戻る途中の様だ。
「ああ。 エフィ。 今、帰りなの?」
ルフトは素っ気ない口調で、エルフリーデにそう言った。
「全くよ。 誰かが、殿下と視察に行ってるものだから、仕事の効率が悪くて敵いませんわ」
エルフリーデは、はあと溜息を付いてから、片手で自分の長い髪を払いながら、ルフトに愚痴った。
(ユリアス早く帰って来なさいよね。 ルフトだけでは、仕事が上手く回らないわ)
エルフリーは、心の中でそう呟くと、溜息を付いた。
「仕方ないよ。 ユリアスもこの最近の嫌がらせに、かなり参っていたし……。 息抜きは誰でも必要な事だよ」
ルフトは苦笑いを浮かべながら、エルフリーデに言った。
「そう。 それよ! 幾ら気に入らないからと言って、チェストの中に鼠の死骸を入れたり、布団の下に大量の女の髪の毛を敷き詰めたり、あんな陰湿な事をするなんて、とんだ卑怯者ですわ!」
エルフリーデは、強い口調でそう言うと、憤慨する。
(ホント、マジでムカつく! ユリアスが何て事して言うのよ! 犯人を見付けたら、ギッタギッタのボッコボコにしてやるんだから!)
エルフリーデは、心の中でそう呟くと、怒りのオーラを漲らせる。
「あれ? エフィ、ユリアスの事は嫌いなんじゃ?」
ルフトは意地悪な顔をして、エルフリーデに言うと、
「き、き、嫌いとは言った覚えは無くってよ。 幾ら気に入らない相手でも、私は、仕事が出来る者は、ちゃんと評価するだけの度量はあるつもりよ」
彼女は照れ臭そうに言い返した後、ニヤニヤと笑っているルフトに対し、エルフリーデはムッとした表情を浮かべる。
「そうだったんだ。 気に入らないだけだったんだ……」
ルフトは、ニヤニヤと笑ったまま、エルフリーデに言った。
「得体の知れない人がサリア様や殿下に近づいたら、誰だって不快に思いますわよ」
エルフリーデは、ムッとした表情を浮かべたまま、セネトにそう言い返す。
「で、少しは気に入ったの?」
ルフトは、意地悪な顔をして、エルフリーデに問い掛ける。
「ま、まあ……仕事に関しては文句はありませんわ。 与えられた仕事はしっかりこなしてくれますし……。 仕事も丁寧で早いですし……」
エルフリーデは、偉そうに自分の髪を片手で払いつつ、ちょっと照れ臭そうに、口籠らせながら答えた。
「ふーん」
ルフトは、ニヤニヤしながらそう言った。
「ま、まあ……。 悪い人でも無いですし、殿下のお側に居る事は、認めて差し上げても良くってよ」
エルフリーデは、軽く咳払いをしてから、照れ臭そうに言った。
「そっか。 それは良かった。 エフィに嫌われているんじゃないかって、ユリアス気にしてたからね」
ルフトは、苦笑いを浮かべながら、エルフリーデに言った。
「彼がどんな人間か見極める為に距離を取っていただけで、決して嫌って居る訳では無くってよ」
エルフリーデは、照れ臭そうにしながら、言い返す。
(まさかユリアスが、私に嫌われているのではないかと気にしていたなんて……。 ちょっとキツくし過ぎたかしら……)
エルフリーデは、複雑な表情を浮かべ、心の中で呟いた。
「はいはい」
ルフトは、エルフリーデの言動に苦笑いを浮かべながら、適当に返事をする。
「それにしても、誰が……」
エルフリーデがそう言って居ると、ルフトから少し離れた廊下で、何か黒い服の様な物を持って、何処か落ち着かない様子で周囲を見回している、如何にも怪し気な侍女が目に付いた。
(あの侍女……何をしてるの?)
エルフリーデは、怪し気な侍女の事が気になり、心の中でそう呟くと、その侍女を凝視する。
「エフィ?」
ルフトは、何か言い掛けて、自分の背後へ目を向けたまま、黙ってしまったエルフリーデを不思議そうな顔をして声を掛ける。
「ねぇ。 ルフト。 あれは何?」
エルフリーデは、徐にルフトの背後を指差しながら、彼にそう問い掛ける。
「えっ?」
ルフトは戸惑いの表情を浮かべつつ、彼女が指差す方へと振り返ると、そこには紺色を基調とした、黒い縁取りと、袖口などに銀色の糸で刺繍が施されたローブを持った若い侍女が、周囲の目を気にしながら、こそこそと何処かへ行こうとしていた。
ルフトは、あのローブの持ち主に心当たりがあった。
「あれって確か……ユリアスのローブじゃない?」
ルフトは徐に、そのローブがロナードが着ている物とそっくりである事を思い出し、エルフリーデに言うと、
(やっぱりそうよね! でも、あんな女、見た事が無いわ!)
エルフリーデは、表情を険しくして、心の中で呟くと、
「あの者は、ここの宮の者ではないのではなくって?」
エルフリーデは、セネトたちが住まう宮では見た事が無い侍女に、思い切り眉を顰め、ルフトに言った。
「確かに! 見た事無い!」
ルフトは表情を険しくして、エルフリーデに言い返すと、慌てた様子で踵を返した。
「どうするの? ルフト。」
エルフリーデは踵を返し、自分に背を向けたルフトに問い掛ける。
「追い駆けて、何をするのか確かめようと思う」
ルフトは、真剣な表情を浮かべ、エルフリーデに言うと、ダッとその場から駆け出した。
「待って! 私も!」
それを見て、エルフリーデもそう言いながら、彼の後を追い駆ける。
「お嬢様っ!」
エルフリーデが、ルフトの後を追い駆けて行ったので、彼女の自宅から迎えに来ていたの兵士の一人が慌てて、彼女を呼び止めようとすると、
「しっ! 静かになさい!」
彼女は振り向きざまに、人差し指を自分の鼻の前に持って来て、真剣な面持ちで兵士にそう一喝すると、先に駆け出したルフトを見失わない様に、急いで後を追い駆けるので、兵士たちも慌てて彼女の後を追う。
「……何をしている?」
ギベオンは呆れた表情を浮かべ、部屋の入口に、兵士たちに命じて何故か、椅子やテーブルなどを置いている理由を近くに居た兵士に問い掛ける。
「魔物が……部屋に入らない様に……です」
ルチルの命を受け、重そうソファーを持ち上げながら、兵士がそう言い返した。
「そんな事をしたら、魔物がこの屋敷に火を放ったら、そこから逃げ出す事が出来なくなるぞ。 窓から飛び降りる気か?」
ロナードは、ベッドの上に胡坐をかき、先程、魔物を切ったからか、剣の手入れをしながら、兵士にそう言った。
「確かにそうね……」
ロナードにそう指摘され、ルチルはそう呟いた。
「ならば、窓の方を……」
ルチルは、兵士にそう指示を出すと、それを見たロナードは軽く溜息を付き、
「……ここは二階だ。 どうやって魔物が入って来るんだ?」
呆れた表情を浮かべ、ルチルに言うと、
「なら、どうすれば良いのよ! 外には、魔物がウジャウジャ居るのよ!」
ルチルは、表情を引き攣らせ、ロナードに問いかけると、
「……とにかく、それらを元にあった場所に戻せ」
ロナードは、呆れた表情を浮かべ、溜息混じりに、魔物に怯えているルチルに言った。
「心配しなくても、剣の手入れが終わったら、俺が、魔物がこの屋敷の中へ入れない様に結界を張る」
不満そうな顔をして、自分を見ているルチルに、ロナードは淡々とした口調で答えた。
「結界って……。 貴方そんな道具、持って来ているの?」
ルチルは戸惑いの表情を浮かべ、ロナードに問いかける。
「その位の道具を常に持ち歩くのは、魔術師として当然だ。 ましてや、魔物と遭遇する可能性がある帝都の外に出るのに、それ等を持って行かない方が馬鹿だろ。 旅の必須道具だぞ」
ロナードは剣を翳し、曇り具合を確かめつつ、淡々とした口調で答えた。
「流石」
アイクはもうロナードに対して、それしか言葉が出なかった。
「大体、魔物を恐れ過ぎだ。 ルチル。 見た目こそアレだが、頭の方は大抵の奴は人間の子供以下だぞ。 普段、人間を相手にしているお前が、魔物に引けをとるとは思えないが」
ロナードは、落ち着き払った口調で、極端に魔物を怖がっているルチルに言った。
「だって気持ち悪いでしょ! あんな悪魔の様な顔をしたのが、ヒョコヒョコ歩いて来るとか……」
ルチルは、半泣きになりながら、強い口調でロナードに抗議する。
「心配しなくても、その内慣れる」
ロナードは、落ち着き払った口調で、不安そうにしているルチルにアドバイスをする。
「な、慣れたくないわよ! あんなのを見ても、貴方みたいにバッサバッサと切り捨てる様には!」
ルチルは焦りの表情を浮かべ、強い口調で言い返す。
「始めは俺もそう思って居たが、人と言うのは、大抵の事は慣れてしまうモノらしい」
ロナードは苦笑いを浮かべながら、ルチルに言い返した。
不審な侍女を見付けたルフトとエルフリーデは、相手に気付かれぬ様、一定の距離を保ちつつ、相手を見失わない様に、柱の陰などに身を隠し、追跡を続けていた。
怪しげな侍女は、忙しく周囲を見回してから、侍女たちが使う裏庭へと続く勝手口の木の扉を開けると、急いで外側から扉を閉めた。
ルフトは急いで、木の扉を開き、怪しげな侍女がどちらへ向かったかを確認する。
彼女は裏庭の更に奥、今は使われていない枯れ井戸がある方へと走って行くのが見えた。
「エフィ。 こっち。 こっち」
自分の後から来ていたエルフリーデに、小声でそう声を掛けながら、護衛の兵士を引き連れて来ている事を確認すると、急いで怪しげな侍女の後を追う。
枯れ井戸の方へ進むと、周囲には近付かない様にしてあった、朽ちた木の柵などが転がり、草も生い茂り、手入れが行き届いていない為、ルフトは慎重に草を掻き分けつつ、前に進む……。
丁度、枯れ井戸の裏手の突き当たり、人目を避ける様にして、先程の侍女が蹲って、何かをしているのを見付けた。
彼女は、不気味な言葉を口遊みながら、持っていたローブを井戸の水を汲み上げる為の木の桶の中に入れた。
そして、木の棒でそれを掻き混ぜながら、ブツブツと不気味な、呪文の様な言葉を熱心に口遊んでいる。
(これは、呪詛だわ!)
エルフリーデは、表情を険しくし、心の中で呟いた。
その時、先頭を行っていたルフトがうっかり、転がっていた腐った木の柵を踏み付けてしまい、それが折れる音が辺りに響いた。
(お馬鹿っ!)
相手の動きに気を取られ、足元を良く見ないで進んだルフトに対し、エルフリーデは心の中で叫んだ。
「誰?」
怪しげな侍女は、警戒心に満ちた声を上げ、勢い良くルフト等の方へと振り返った。
彼女は、何処から掴まえて来たのか、腹を裂かれた黒猫の頭を掴んでおり、その猫の死体からは、血が滴り落ちており、もう片方の手には、猫の腹を裂いたと思われる、血の付いたナイフが握られて居た。
「ひっ……」
ルフトは、その異様な光景に、恐怖に顔を引き攣らせ、情けない声を上げ、思わず、二、三歩ほど後退りをした。
(あの猫……ユリアスが世話をしていた母猫!)
変わり果てた姿の猫を見てエルフリーデは、強い憤りを覚える。
「あら。 これはこれは、宮廷魔術師のお二人ではありませんか」
怪しげな侍女は、不気味な笑みを湛え、ルフトたちに向かってそう言いながら、ゆっくりと近付いて来た。
「ルフト!」
後ろに居たエルフリーデは、とっさに危険を察知し、そう叫びながら、ルフトを乱暴に横に押し退けると、とっさに片方の掌を、怪しげな侍女に向けた。
すると、彼女の足元から、禍々しく黒い渦が現れて、棘の様に鋭く尖った物に形を変えると、それが弾丸の様に容赦なく、ルフトたちに向かって飛んで来た。
「くっ!」
エルフリーデは、表情を険しくし、掌を相手に向けたまま、土の壁を作ると、飛んで来た黒い棘の様な物を弾いた。
「あら。 やるじゃない。 お姫様」
怪しげな侍女は、エルフリーデを挑発するかのように、不敵な笑みを浮かべながら言った。
「でも、もう手遅れよ」
彼女はそう言うと、手にしていた猫の死骸をポイとその辺に投げ捨て、木の枝で徐に、桶の中に沈んでいた、ロナードが着ていたローブを掬い上げてみせた。
紺色だったローブは、どす黒い色に変化しており、良く見ると彼女の足元には、黒猫以外にも、烏の死骸が数羽、転がっていた。
「何で、こんな事を? ユリアスになんの恨みがあるの?」
ルフトは、相手の異様な空気に恐怖心を覚えつつも、ゆっくりと立ち上がりながら、彼女に問い掛ける。
「『なんで』ですって? そんな事、雇われた私が知る訳が無いでしょ」
怪しげな侍女は、不気味な笑みを浮かべながら、ルフトたちを挑発する様に言った。
「なっ……」
彼女の言葉を聞いて、ルフトは戸惑いの表情を浮かべる。
「私は、金さえ貰えればそれで良いの。 雇い主が誰だろうと、そんな事は気にしないわ」
怪しげな侍女は、不敵な笑みを浮かべながら言う。
(お金の為に、見ず知らずの相手に、呪いを掛けたって言うの?)
エルフリーデは、戸惑いの表情を浮かべながら、心の中で呟く。
「長い時間を掛けて誰にも気付かれず、ゆっくり確実に、藻掻き苦しみながら地獄へ落ちていく様は、何時見ても堪らないのよ」
彼女は、頬を紅潮させ、ウットリとした様子で語る。
(ヤバイ! コイツ完全に頭がイカレてるわ!)
それを見たエルフリーデは、心の中で叫ぶと、表情を険しくした。
「そうやって皆、死ねば良いのよ♥」
怪しげな侍女は、不気味な笑みを浮かべると、先程の術を繰り出そうとした次の瞬間、ルフトらの背後から、勢い良く投げナイフと思われる物が、彼女の肩に突き刺さり、その後、両方の太腿にも次々と突き刺さると、彼女は呻き声を上げて、ゆっくりとその場に倒れ込んだ。
「大丈夫ですか?」
何が起きたか分からず、呆然としているルフトに向かって、不意に若い男の声がしたので、彼等は驚いて振り返った。
どう言う訳か、数本の投げナイフを手にしたシリウスが、険しい表情を浮かべて立っていていて、その傍らにはハニエルも居た。
突然、二人が乱入して来た事に、近くに居たエルフリーデを迎えに来ていた兵士たちも驚いて、彼等を見ている。
「ノヴァハルト伯爵?」
エルフリーデは、戸惑いの表情を浮かべ、自分の背後に立っているシリウスの名を呟く。
「助かったよ。 レオン」
ルフトは、額に浮かんだ冷や汗を手の甲で拭いつつ、ホッとした表情を浮かべながら、自分たちを助けてくれたシリウスに礼を述べる。
「うふふふ。 ふふふふ……」
護衛の兵士に、手荒く立ち上がらせられながら、肩にシリウスが投げ付けたナイフが刺さった格好のまま、怪しげな侍女は不気味な笑い声を上げる。
(こわっ!)
ルフトは、不気味な笑い声を上げている侍女を見ながら、心の中でそう呟くとドン引きする。
「もう遅いわよ。 直にアイツも地獄に落ちるわ!」
怪しげな侍女は、勝ち誇った様な笑みを浮かべ、ルフトたちに向かって言った。
彼女の不気味な笑いと、呪いの様な不気味な言葉を聞いて、ルフトとエルフリーデの顔から、サーッと血の気が引いた。
その日の夕方、ロナードは安全を確保する為、滞在して居るサルヴェール伯爵の屋敷の周囲に結界を張る準備を始めた。
やはり、荒涼とした土地の鉱山なので、日中は暑く、日が沈むと一気に冷えはじめる。
(うううっ……。 さむっ……)
ロナードの護衛の為に同行しているアイクは、心の中でそう呟きながら、寒さに耐えかねて思わず、自分の手足を摩る。
「寒くはないですか?」
アイクが徐にロナードに問い掛ける。
「俺は元々、寒い土地に滞在して居た事が多かったから、少し位の寒さはどうと言う事は無い」
ロナードは、淡々とした口調で返した。
「あの……。 少し、宜しいかしら?」
ルネッタが護衛も付けずに一人で現れて、徐にロナード達に声を掛けて来たので、アイクは何時もの癖で、思わず表情を険しくして、ロナードを背中で庇う様にして、ルネッタの前に立つ。
「何でしょうか?」
ロナードに同行していたルチルが、落ち着いた口調で彼女に問い返すと、
「実は……魔術師さまにお見せしたい物がありますの」
ルネッタはそう言うと、ニッコリと笑みを浮かべる。
「作業が終わってからでは、駄目か?」
ロナードは、五月蠅そうな表情を浮かべ、彼女にそう問い掛けると、
「お見せしたい物と言うのは鉱山にありまして……。 とても不気味な石なのです。 夫は騎士欲が悪いので破壊するつもりの様ですが……。 その様な事をして本当に問題が無いのか気になりまして……。 急がないと、夫がそれを破壊してしまいます。 ですから、一刻も早く見て頂きたいのです」
ルネッタは、不安に満ちた表情を浮かべながら、ロナードにそう説明する。
「……分りました。ご一緒しましょう」
ロナードは、真剣な面持ちでそう言い返した。
「えっ。 今から行くの? 結界は?」
ルチルは戸惑いの表情を浮かべ、ロナードに問いかける。
「直ぐ近くですので。 結界は戻ってからでも宜しいかと」
ルネッタは落ち着き払った口調で、ロナード達に言った。
「なら、オレも一緒に」
アイクは、真剣な面持ちでロナードに言った。
「心配ないわ。 鉱山へは私とロナードが行くから、貴方は屋敷にいるギベオンにに報告をして」
ルチルが、真剣な面持ちでアイクに言うと、
「いや、でも……。 主を守るのがオレの役目ですし……」
アイクは、戸惑いの表情を浮かべながら、ルチルに言い返すと、
「貴方は、他の兵士と違って魔物を前にしても平気そうだから、魔物が屋敷を襲っても冷静に対処出来るでしょ?」
ルチルは、落ち着いた口調でそう言うと、
「それは……そうですけど……」
アイクは、戸惑い表情を浮かべながら言う。
「随分と面白そうな話をしているじゃないか」
不意に背後からセネトの声がしたのでアイクたちは驚いて、一斉に彼女の方へと振り返った。
「殿下!」
「何でここに居るのよ! 危ないでしょ!」
アイクとルチルが思わず表情を険しくし、護衛も付けずに一人でやって来たセネトに強い口調で言う。
「屋敷に居ても、する事が無かったかな。 暇だから来てみた」
セネトは、反省する様子も無く、何食わぬ顔をして怒っている二人に向かって言う。
「貴女ね!」
ルチルが、苛立った口調で言う。
「鉱山に興味があったんだ。 丁度良い。 僕も一緒に行く」
ルチルの声を無視して、セネトはルネッタに向かって言うと、彼女は戸惑いの表情を浮かべる。
「良い訳ないでしょ!」
ルチルが更に怒り、声を荒らげてセネトに言う。
「安全なのだろう?」
セネトは、落ち着き払った口調でルネッタに問い掛けると、彼女は一瞬たじろいだが、直ぐにニッコリと笑みを浮かべ、
「勿論です」
そう返した。
「だったら、何の問題も無いじゃないか」
セネトは、落ち着いた口調で、憤っているルチルに言う。
「時間が惜しいんだが?」
ロナードか、淡々とした口調で言うので、
「仕方が無いわね……」
ルチルは、片手を額に添え、深々と溜息を付いてから、
「貴方たちは、ロナードが戻り次第、直ぐに結界を張れる様に、先程言われた事をしておいて」
ルチルは、近くに居た兵士たちにそう命じてから、
「セティたちには、私が付いて行くわ」
落ち着いた口調で、そう付け加えた。
こうして三人は、サルヴェール伯爵夫人ルネッタの案内で、『不思議な石』がある場所へと向かう事になり、山の方へと向かって歩き出した。
「改めて見ると、やはりかなり大きな山だな。 この山全体が鉱山なのか?」
セネトは、ルネッタに案内され、山の方へと歩きつつ、ガルディア鉱山を見上げながら、彼女に問い掛ける。
「この山だけではありませんわ。 鉱脈は網の目の様にありますの。 この町の地下も殆どが空洞です。 入り口も幾つもありますし、中は迷路の様になっておりますので、私にしっかり付いて来られないと、迷子になりますわよ」
ルネッタはそう言うと、山の裏手の方へと向かう。
今日の操業時間が終わっているのか、鉱山の周囲には、鉱夫や彼等を監視する者の姿はなく、静まりかえっていた。
町では忙しそうに、女たちが夕食の準備などに追われ、男たちは酒場に集い、酒を片手に一日の疲れをとるつもりの様だ。
一時間ほど山の方へと進むと、やがて山の裏にぽっかりと、洞窟の様に坑道への入り口があった。
ルネッタは、慣れた手付きで、カンテラに明かりを灯し、錠が掛けてあった入り口の柵を開ける。
鉱山の中は、思ったよりも広く、荷車が通れる程の広さがあった。
中は薄暗く、何処からか湿った空気が漂って来た。
年中を通して、鉱山の中の温度は一定なので、日が沈み掛けている今は、外よりも鉱山の中の方が暖かい。
「暗いわね……」
ルチルが、不安そうな顔をして呟くと、
「明かりが一つでは足りない様ですね。 私、持って参りますわ。 ここは一本道ですので、どうぞ先をお進みください」
ルネッタはそう言うと、自分の後に続いて歩いて来ていたロナードにカンテラを手渡し、他にカンテラが無いか探しに、坑道の外へと足早に出て行った。
「どうする?」
ロナードが、後ろから来ていたセネト達にそう問い掛けると、
「一本道ならば迷う心配も無いだろう。 先へ行こう」
セネトは、落ち着き払った口調でロナードに言った。
「では、俺が先を行こう。 ルチルは最後尾を」
ロナードはカンテラを片手に、落ち着いた口調で言うと、暗い所が苦手なルチルは、素直に頷き返した。
暫く、坑道を進んでいた三人だったが……。
「ん?」
そう言って、先頭を行っていたロナードが、徐に足を止める。
「どうした?」
後から来て居いたセネトが、彼にそう問い掛けると、
「何か居る」
ロナードは、落ち着いた口調でそう言いながら、天井の方を指差す。
彼の言う通り、何か黒いものが無数に蠢いている……。
「な、何だ?」
セネトが、眉間に皺を寄せてそう呟くと、暗闇の中に、幾つもの赤い小さな光が、点々と現れる。
「きゃあっ!」
それを見て、ルチルが悲鳴を上げると、彼女の声に反応してバサバサバサと何かが、無数に羽ばたく音がして、天井に居た『何か』が、一斉にこちらへ飛んで来た。
「うわっ!」
「うっぷ」
それらが、顔に向かって来た、セネトとロナードはそう言いながら、慌てて両手で飛んで来たものを手で払う。
手などに触れた時の感触や大きさ、その独特の鳴き声などから、ロナードとセネトは直ぐに自分たちに向かって飛んで来たのは、蝙蝠だと気付く。
「いやぁ―――っ!」
ルチルは半泣きになり、すっかり混乱して、そう叫びながら物凄い勢いで、坑道の奥へと走って行った。
「おい! 危ないぞ!」
勢い良く奥へと駆け出して行ったルチルに向かって、慌ててロナードは叫ぶが、何処まで逃げたのか分らず、返事が無い。
「全く……相変わらず怖がりだな」
セネトは、呆れた表情を浮かべ言うと軽く溜息を付くが、そう言っている彼女も何気にロナードの腕を掴んでいる。
「……仕方がない。 ルチルを探そう」
ロナードはセネトの手を取り、落ち着いた口調でそう言うと、ルチルが走って行った方へと向かう。
「ルチルの奴、暗い所が苦手なのに、何で僕たちに付いて来たんだ……」
セネトが歩きながら、そうぼやいた。
「こんなに暗いとは、思わなかったんだろう」
ロナードは先を行きながら、苦笑い混じりにそう返す。
闇の中、カンテラの仄かな明かりを頼りに壁伝いに先へ進んで行くと、暫くして、自分たちの前に、何かが蹲っているのが見えた。
「大丈夫か?」
ロナードがそう言って、蹲っていたルチルの肩にポンと手を置くと、
「きゃああっ!」
彼女は悲鳴を上げ、身を飛び上がらせて驚き、自分の肩に手を置いていたロナードを思い切り、両手で突き飛ばした。
ロナードは思い掛けぬデカイ声と、彼女に突き飛ばされた反動で、驚いた顔をして、その場に尻餅を付く。
「しっかりしろ! ルチル。 僕達だ!」
セネトはそう言うと、身を屈めて小刻みに震えて居るルチルの側へ駆け寄る。
「な、なんだ……。 驚かさないで頂戴……」
カンテラの明かりに照らされた、ロナードとセネトの顔を見て、ルチルは安堵の声を漏らしながら言った。
「……お前が、勝手に驚いているだけだろ」
ロナードは、呆れた表情を浮かべ、ルチルにそう言い返すと、尻に付いた泥を手で払いながら、立ち上がる。
「なんですって?」
ルチルが気恥ずかしそうに顔を真っ赤にしつつ、怒って、ロナードにそう言い返した時、自分たちが入って来た、坑道の入り口の方から、何か聞こえた。
「今、何か聞こえなかったか?」
セネトがそう呟くと、突然、ドーンという腹の底まで響く様な、物凄い轟音が、入り口の方から響いてきて、坑内が大きく揺らいだ。
「な、なんだ?」
ロナードが、戸惑いの表情を浮かべつつ、辺りを見回して居ると、続けざまにまた、何かが爆発する音がして、坑内が大きく揺らいだ。
やがて、直ぐ近くで、今まで以上に大きな音がして、今まで以上に坑内が大きく揺らぎ、入り口の方から、物凄い量の土煙がこちらへ吹き込んで来た。
そして、何かが崩れ落ちる様な音が響いて来て、ドミノ倒し様に、坑道の天井が崩れ落ちて来た。
「逃げろ!」
ロナードの叫び声が坑内に響き、三人は夢中で、坑道の更に奥へと逃げた。
「行き止まりだわ!」
前を走っていたルチルが、後ろから来ていたロナード達に向かって叫ぶ。
「なにっ!」
ロナードがそう言って、思わず立ち止まると、また近くで爆発音がし、坑道が大きく揺れた。
ロナードは、その音に驚いて、後ろを振り返ると、ガラガラと天井が音を立てて、崩れ始めた。
「危ない!」
ルチルの切迫した声が、坑内に響き渡る。
「ロナード! ロナード! しっかりして!」
ロナードはそう声を掛けられ、体を強く揺さぶられると、意識を取り戻した。
「うっ……」
そして徐に起き上がろうとして、右の肩に痛みを覚え、思わず声を上げる。
どうやら、崩れ落ちて来た天井が、落ちて来た瞬間、誰かに付き飛ばされた時に、硬い地面に肩をぶつけた様だ。
「セネトは?」
ロナードは、天井が崩れ落ちる間際、自分を前へと突き飛ばした、セネトの事を思い出し、そう言って身を起こす。
だが、周囲はカンテラの明かり以外、暗闇が支配している空間……。
「セネト! 何処だ? 返事をしろ!」
ロナードは、痛む肩に手を添えつつ、必死にセネトの名を叫んだ。
「……だ」
自分たちの前方の何処からか、微かに声がして来た。
「セネト?」
ロナードはそう言うと、自分の側に転がっていたカンテラを手に取ると、声がした方へと明かりを向ける。
ロナード達が入って来た方は天井が崩れ落ち、大きな岩の塊が、幾つも積み重なり、出口は完全に塞がれていた。
「……だ。 こっち……」
掠れた声が聞こえ、ロナードは声のした辺りを照らす。
「セティっ!」
セネトは逃げ損なったのか、両膝より下が崩れ落ちて来た天井の下敷きになっており、それを見たルチルが自分の口元を両手で覆い、顔を引き攣らせ、悲鳴に近い声を上げる。
「待っていろ! 今、除ける!」
ロナードは忽ち顔を青くして、慌てふためきながらそう叫ぶと、セネトの上にかぶさっていた岩を持ち上げようと、岩に手を掛ける。
「無理だろ……流石に……」
セネトは苦笑いを浮かべ、掠れた声で、歯を食いしばり、懸命に岩を退けようとしているロナードに言った。
「何か、丈夫な丸太の様な物は無いか?」
ロナードは焦りの表情を浮かべつつ、側に居たルチルにそう声を掛ける。
「丸太?」
ルチルは、戸惑いの表情を浮かべ、ロナードに問い返す。
「梃の原理で岩を浮かせる。 力任せにやっても、持ち上げるのは無理だ」
ロナードは真剣な面持ちで、ルチルにそう説明する。
「わ、分かったわ!」
ルチルはそう返事をすると、ロナードと手分けをして、岩を持ち上げる事が出来そうな丈夫な丸太を探す。
「あった!」
ロナードは、少し崩れ落ちた砂利の下に、坑道の天井を支えていたと思われる、太めの丸太を見付けると、それを掴んで下から引っ張り出そうと試みる。
「ルチル。 手を貸せ!」
真剣な面持ちで、ルチルにそう声を掛けると、彼女は慌てて駆け寄って来た。
「ぐっ……」
砂利の下から丸太を取り出そうとしていたロナードが、不意に表情を歪めて、その場に蹲ったので、ルチルは表情を険しくし、
「ロナード貴方、怪我をしてるの?」
そう声を掛けた。
「大した事ない! 少し肩をぶつけただけだ。 それよりもセネトだ」
ロナードは強い口調でそう言い返すと、再び丸太に手を掛け、歯を食いしばり、岩の下から取り出そうと試みる。
ルチルと二人掛で、丸太を押してみたり、横へずらしてみたりと、暫くの間、格闘した後……やっとの事で丸太を下から引っ張り出す事に成功した。
「よし。 これをこの辺りに……」
ロナードはそう言いながら、ロナードの側の隙間にその丸太を差し込み、その下に支えとなる小さめの岩を置く。
「俺が持ち上げる。 持ち上がったら素早くセネトを引っ張り出せ」
ロナードは真剣な面持ちで、ルチルにそう言うと、
「分かったわ。 やってみて」
ルチルは、真剣な面持ちでそう言うと、頷き返した。
そうして、ロナードは全身の力を込め、梃の原理で岩を浮かせようとするが、岩は幾重にも積み重なっていてビクともしない……。
「無駄だ。 どう見ても、人間の力でどうにかなるモノでは無いだろ。 下手に動かすと、二人まで巻き込まれるぞ」
その様子を見ていたセネトが、苦笑いを浮かべながら酷く冷めた口調で、必死の形相で、何とかして岩を浮かせようとしているロナードにそう言った。
「だからと言って、このままにしていられるか!」
ロナードは、表情を険しくして、強い口調でセネトにそう言い返した。
「一旦、落ち着きましょう。 ロナード」
ルチルが落ち着いた口調で、ロナードにそう言うと、彼はルチルを見る。
「何か、別の手を考えましょう」
ルチルは、落ち着き払った口調で、ロナードにそう言った。
「くそっ!」
ロナードは、ビクともしない岩を、恨めしそうに睨み上げ、そう呟いた。
ロナード達がなかなか戻って来ない事を不審に思ったギベオンは、兵士たちを連れ、町の中とその周辺を捜索して居た。
「居たか?」
ギベオンは、息を切らせながら、向こうからやって来た、兵士たちに問い掛ける。
「いいえ。 そちらは?」
兵士たちも、息を切らせながら、ギベオンに問い返す。
「直ぐに戻る様な事を言っていたのに……。 何かあったのでしょうか」
兵士は、不安に満ちた表情を浮かべながら、そう呟く。
「如何されました?」
何食わぬ顔をしてルネッタが、護衛の兵を引き連れ、ギベオンたちに声を掛けて来た。
「殿下たちが何処かへ行かれたまま、戻らないのです」
ギベオンは、真剣な面持ちでルネッタに言うと、
「まあ大変ですわ! 日も暮れてしまいましたし、急いで主人に知らせ、捜索する様に伝えます!」
ルネッタは慌てた様子でギベオンに言うと、護衛の兵士たちを引き連れて急いで屋敷へと戻った。
「大変な事になっていないと良いが……」
ギベオンは顔を青くして、不安そうに呟く。
「我々も一旦、屋敷へ戻りましょう。 もしかしたら、入れ違った可能性もありますし」
兵士が、落ち着いた口調でギベオンに言うと、
「そうだな……」
ギベオンは、真剣な面持ちで頷き返した。
ここに埋まってから、どの位の時間が経っただろうか……。
カンテラの明かりだけが頼りの、真っ暗な空間の中では、ほんの僅かな時間ですら、途方も無く長く感じる……。
体力温存の為、ロナードとセネトは口を噤んでいたのだが、暗い場所が苦手なルチルが小刻みに身を震わせ、たどたどしく小さな声で、何やら歌を歌っている。
「ルチル。 無駄に体力を使わない方が良い」
ロナードは、落ち着いた口調でルチルに言った。
「だって……暗いのに静かなのは、何だか怖くて……」
ルチルは、不安に満ちた表情を浮かべ、ロナードに返した。
「お前は昔から暗い所が苦手だからな」
セネトは、苦笑いを浮かべながら、ルチルに言うと、
「五月蠅いわね!」
ルチルは気恥ずかしそうに、顔を真っ赤にしつつ、強い口調でセネトに言い返す。
「しかし……どうしたものか……。 お前を助け出す手立てが全く思い浮かばない」
ロナードは、不安に満ちた表情を浮かべ、出口を塞いでしまった岩を見上げる。
「貴方の魔術で、岩を吹き飛ばしたらどう?」
ルチルが徐にロナードに言うと、
「それは流石にマズイだろ。 更に上から岩が落ちてくる可能性がある。 危険過ぎる」
セネトは苦笑いを浮かべながら、ルチルにそう言い返す。
「サルヴェール伯爵夫人が、助けを呼びに行ってくれていると良いけれど……」
ルチルは、自分たちをこの坑道へ案内した、サルヴェール伯爵夫人の事を思い出し、ふと、そう呟いた。
「どうだろうか……」
ロナードは、複雑な表情を浮かべながら呟く。
「セティ。 足は大丈夫なの?」
ルチルは、心配そうな表情を浮かべ、セネトに問い掛ける。
「どうだろう……。 感覚が無いからな……。 痛みもあまり感じないんだ」
セネトは苦笑いを浮かべながら、ルチルの問い掛けに答える。
(マズイな……。 神経をやられているのかもしれない……)
ロナードは、心の中で呟くと、苦々しい表情を浮かべると、突然、セネトが激しく咳き込んで、何かを吐き出した様な音がした。
「セティ?」
ルチルは、微かに眉を顰め、セネトに声を掛ける。
ロナードは、セネトの咳の仕方が普通では無い事を直ぐに悟り、
「セネト。 体を良く見せろ!」
嫌な予感を覚え、セネトの側に来るとカンテラで彼女を照らした。
その時、セネトはサッと自分の右手を隠したのを、ロナードは見逃さなかった。
「何故、右手を隠す?」
ロナードは表情を険しくしてそう言うと、素早くセネトの右手を乱暴に掴んだ瞬間、彼女は苦しそうに呻き声を上げた。
「血だわ!」
カンテラの明かりで照らされた、セネトの右掌を見て、ルチルは表情を引き攣らせ、そう呟いた。
「お前、他にも怪我を?」
ロナードは表情を険しくし、セネトを見るが、彼女はロナードと目を合せぬ様にそっぽを向く。
「ろ、ロナード……。 足元……」
ルチルは声を震わせながら、ロナードにそう声を掛けると、彼は不思議そうな顔をしつつ、ルチルに言われた通り、自分の足元を照らした。
そこには、かなりの量の血だまりが出来ていた。
「やはり、まだ他にも怪我を。」
ロナードは表情を険しくして言うと、急いで何処から出血して居るのか、セネトの体に触れながら確認する。
すると、彼女の背中の辺りにベッタリとした、嫌な感触と共に、何か堅い感触があった。
そこに触れた時、セネトが身を強張らせ、微かに痛そうな声を上げた。
ロナードは思わず、セネトの背中の辺りを照らす。
セネトが羽織って居た外套にはベッタリと血が付いており、鋭く尖ったかなり大きめの岩の破片が外套の上から、彼女の背に突き刺さっていた。
それが、何処まで到達しているかは分からないが、出血の量から察するに、かなり深そうだ。
「――っ……」
セネトの悲惨な姿を見てルチルは、あまりの事に顔を引き攣らせ、言葉を失った。
「何故、黙っていた!」
ロナードは表情を険しくして、強い口調でセネトにそう言った。
「どうもならないだろ……」
セネトは諦めているのか、半ば投槍気味で言い返した。
(くそ! カンテラの明かりだけでは、傷の様子が良く分らない……)
ロナードは、苛立ちを覚えつつ、心の中でそう呟いた。
ここで、下手に刺さっている岩の破片を抜いて、その所為で失血死されても困る……。
かと言って、このままにしておくのも良く無い……。
(イチか、バチか……)
ロナードは心の中でそう呟くと、素早く自分が着ていた外套を脱ぎ、腰にしていた剣ベルトを外して、セネトの体を横向きにすると、剣ベルトで思いっ切り彼の体を締める。
「ぐっ……」
セネトは、痛みに表情を強張らせ、思わず声を上げる。
「気をしっかり持て! セネト! 抜くぞ!」
ロナードは、真剣な面持ちでセネトにそう言うと、彼女の背に刺さっていた、岩の破片を抜き取り、素早く傷口を両手で強く押さえ、止血をする。
二人の凄まじいやり取りを見ていたルチルが、あまりの事に失神してしまった。
だが、ルチルに背を向けた格好の二人は、彼女が後ろで失神したなど気付かずに、セネトは歯を食いしばり、冷や汗を流しつつ必死に痛みに耐え、ロナードは懸命に、自分が羽織っていた外套を押し当て、止血をする。
どの位、それをしていただろうか……。
ロナードは、力任せにセネトの背に押し当てていた、自分の手に付いていた血が、乾いて来た事に気付くと、
「セネト。 大丈夫か?」
自分に背を向けたまま、動かないセネトに恐る恐る声を掛けた。
「何……とか……」
掠れた声で、セネトはそう返して来た。
チラリと自分の方へと振り返った彼女の顔は、額に大粒の汗を浮かべ、真っ青だった……。
「あまり、動かない方が良い」
ロナードは、彼女の体を締め付けていた剣ベルトを緩めながら、セネトにそう言った。
止血に使ったコートは、ベトベトで、血を吸って重くなっていた。
ロナードは何の躊躇も無く、自分が着て居た外套の裾を持っていた短剣でビリビリと破り、その一部を幾重にも重ね、ガーゼの様にする。
ロナードは、セネトが羽織っていた外套をどうにかして脱がせる。
「すまないが、服を捲るぞ」
セネトの衣服を全て脱がせる事は無理なので、ロナードはシャツ一枚になった彼女にそう言うと、彼女の服の裾を捲り、傷口にガーゼの様にした物を片手で添えると、セネトが羽織って居た外套の左右の袖と胸元の部分を包帯の代わりにして、セネトの体に巻き付ける。
その手付きはとても慣れており、彼は素早く処置をすると、捲り上げていたセネトの服を下ろすと、次にあまり使い慣れない光の魔術を使って治癒魔術を施し始めた。
「よし……。 血は止められた様だな……」
応急処置を終え、安堵した様子でロナードは呟いた。
カンテラの明かりに照らされているセネトの顔は憔悴していて、先程、岩の破片を引き抜いた所為か、力なく横たわっているだけで、話す気力も無さそうだった。
(早くここから出ないと、セネトが持たない……)
ロナードは、心の中でそう呟くと、苦々しい表情を浮かべ、どうにかして出られないかと、周囲を調べ始めた。




