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DRAGON SEED 2  作者: みーやん
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遥かなる地へ

主な登場人物


ロナード…召喚術(しょうかんじゅつ)と言う稀有(けう)な術を(あつか)えるが(ゆえ)に、その力を()が物にしようと(たくら)んだ、(かつ)ての師匠に『隷属(れいぞく)』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く(ため)、エレンツ帝国を目指している。 漆黒(しっこく)の髪に紫色の双眸(そうぼう)が特徴的な美青年。 十七歳。


セネト…エレンツ帝国の皇子。 とある事情から(のが)れる(ため)、シリウスたちと行動を共にしている。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な可愛(かわい)らしい少年。


シリウス…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在(じざい)に操る剣士だが、『封魔(ふうま)(がん)』と言う、見た相手の魔術の使用を(ふう)じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸(そうぼう)を持つ美丈夫(びじょうぶ)。 二二歳。


ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族(さぎぞく)と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀(はくぎん)の長髪と紫色の双眸(そうぼう)を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。

  眼前に延々と広がる濃い青色、澄み渡った青空に白い雲、潮風に吹かれかれながら、名の知らぬ白い海鳥が翼を広げて自分たちの目線と同じくらいの場所で()れている。

 少し強い海風が、潮の香りを運んで来て、船底に波が打ち付ける音が聞こえて来る……。

 時間が経つにつれ、少しずつジリジリと肌を焼く様な日差しの下、とある旅客船の甲板の上に彼は居た。

「うえええっ……」

突如(とつじょ)、雰囲気をぶち壊す、(ひど)い声が彼の耳に届く……。

 声の(ぬし)は、船の(へり)(つか)まり、今朝食べたばかりの物を海へとぶち()けている。

 これで、何回目だろうか……。

「……最悪だ」

肩くらいの長さの少し長めのショートカットのフワッとした(くせ)のある黒髪、琥珀色の大きな瞳が印象的な、少し日に焼けた赤銅色しょの肌を持つ小柄な少年が、真っ青な顔をして呟いている。

「こんなに波が高くなるとは、思いませんでした」

(やわ)らかな、春の小川を想わせる、美しい銀色の長い髪を背中に流した、長身で細身、肌は陶器の様に白く(なめ)らかで、柔和(にゅうわ)な面差し、瞳の色は、穏やかなスミレ色で、薄紫色)のサーコートを着ており、人間離れした、洗練された美しさを漂わせる、目の覚める様な美青年が苦笑い混じりに言いながら、(ひど)い船酔いに悩まされ、苦しそうにしている黒髪の小柄な少年の背中を(さす)りながら言う。

「お前は、大丈夫か?」

夏の日差しを想わせるオレンジ掛った金色の長めの髪に、深い紫色の双眸(そうぼう)、少し日に焼けた薄い赤銅色の肌、長身でガッチリとした肩に、引き締まった筋肉質な体付き、キリッとした精悍(せいかん)な顔立ち、二十代半ばと思われる、赤色の袖なしのハイネック、黒色のジーンズに焦げ茶色のブーツと言う出で立ちの若者が、側に居る少し長めの、(くせ)の無いサラリとした、闇夜を想わせる深い漆黒(しっこく)の髪の青年に問い掛けた。

 背丈は、一八〇センチはあると思われる長身で、スラリとした細身、ごく薄い赤銅色の肌、鼻筋がスッと通った、深い紫色の双眸(そうぼう)が印象的な、オペラ座に出て来る女優の様に眉目秀麗(びもくしゅうれい)の青年で、今は涼しい顔をして景色を楽しんでいた。

「さっきよりは……」

彼は、隣で(すさ)まじい顔をしている、黒髪の小柄な少年に気の毒そうな視線を向けつつ、苦笑い混じりにそう答えた。

 初めての船旅に喜んでいたが、直ぐに彼は、船旅の洗礼(せんれい)を受けた。

 生まれて初めての船酔い……。

 あまりに苦しくて、その日の夕食は喉を通らなかった。

 そうして、何日か船酔いに悩まされていたが、この最近は()れて来たのか、前よりも(ひど)くなくなってはきた……。

 ただ……今日は確かに波が荒く、船が何時(いつ)もよりも()れる。

「横になりましょう……」

白銀の髪の青年は、優しい口調で黒髪の小柄の少年に声を掛けると、彼は(うなず)き返す。


 (さかのぼ)ること、数か月前の話だ。

 彼……いや彼女は、望まぬ婚約を親に()いられそうになっていた。

 王侯貴族の娘として生まれ落ちた時から、女たちはその家の『商品』と言っても良い。

 一族の繁栄(はんえい)や権力、財力……(ほか)にも様々な理由で、彼女たちは『結婚』と言う名目で、一族にとって有益(ゆうえき)な相手の下へと(とつ)がされる。

 そこには、彼女たちの想いなど一切、関係ない。

 親や一族の長に命じられた相手と結婚し、その相手との間の子を産む事により、両家の繁栄(はんえい)安泰(あんたい)()()する。

 それが、この世界の、この時代の、多くの女たちに()せられた運命。

 男並み、()しくはそれ以上の才覚や教養……そんなモノは無用だと見做(みな)され、女たちは、男たちにより従順で、より美しくあれば良いとされてきた。

 淑女(しゅくじょ)教育(きょういく)なるものを学んでいく内に、やはり、この世界は生き(づら)いと感じる様になっていた。

 加えて、彼女の実母は正妻であったが、彼女が幼い頃に亡くなり、その後も祖父、伯父と次々と亡くなり、彼女と彼女の兄は後ろ盾を失い、自身と妹の身命を守る(ため)、兄は皇太子の座を退(しりぞ)き、帝位継承権も放棄(ほうき)して、ガイア神教の聖騎士になった。

 今回の婚約も、貴族の子弟の様に剣術や馬術を習い、淑女(しゅくじょ)教育(きょういく)をさぼり、魔道具研究や開発に(いそ)しんでいる彼女の事を(うと)ましく思っている、第一側妃たちが言い出したにちがいなかった。

 何時(いつ)だって、怪訝(けげん)な顔をして、彼女に文句を言って来るのは、古い価値観に囚われ、頭の(かた)い年を取った侍女や執事、己の頭で考える事を放棄(ほうき)してしまっている、馬鹿な兄姉たち、そして、彼女の事を道具程度にしか思っていない父と、彼女の実母を目の敵にしていた第一側妃だった。

 彼女の父は、国で絶大な力を持つ皇帝(こうてい)だ。

 だから、父に逆らう事は(おろ)かな事で、(したが)う事が正しいのだと、多くの者が思って居る。

 彼女自身も、母を失い、兄が聖騎士となって宮廷を去り、一人宮廷に残った時から、父の逆鱗(げきりん)に触れぬ様に心掛けていたのだが、流石(さすが)に、今回の婚約の話だけは、我慢(がまん)ならなかった。

 彼女の婚約者は、古い価値観に縛られた、典型的な男尊女卑(だんそうじょひ)の侯爵家の跡取り。

 他に男の兄弟が居らず、侯爵家の跡取りとして甘やかされて育った所為(せい)で、、社交界でも知れ渡っている程に素行(そこう)の悪い男で、おまけに、頭も顔も残念だった。

 こんな、女性を男性の付属品程度にしか思っていない、彼女と相容(あいい)れない価値観と、人として尊敬出来る点が何一つ見つからない、残念過ぎる男の妻など、死んでもなりたくはなかった。

 彼女は一大決心をし、婚約式の前日、帝国では女性の象徴とも言える、長い黒髪を(みずか)ら、その辺にあったハサミで無残(むざん)に切り落とし、少年の格好をして家出をした。

 とは言え、宮廷から(ほとん)ど出た事が無い、世間知らずな姫が家出をしたところで、直に()むことは分かり切っていたので、兄の友人であるシリウスを頼る事にした。

 そうして、弟を迎えに行こうとしていたシリウスと、その恋人であるハニエルの旅路に、強引にくっついて行き、何カ月も船に()られ、北半球の中央にある大陸の南部に位置するルオン王国に辿(たど)り着き、目的の相手を回収)し、今は、彼女たちの国であるエレンツ帝国へ戻る船の中と言う訳である。

 そして只今(ただいま)絶賛(ぜっさん)、船酔い中……。


「ぎもぢわるい……」

近くにあったソファーの上に倒れ込み、彼女は青い顔をして呟く。

「全部吐いてしまった方が、楽になるかもしれない」

黒髪の青年は身を(かが)め、ソファーの上に横になっている、彼女の背中を(さす)りながら言う。

 彼は、自分だって、少し前まで船酔いに(さいな)まれ、青い顔をしていたと言うのに、何事に対しても、冷ややかな兄の友人である金髪の青年と(こと)なり、本当に同じ親から生まれたのかと思いたくなる程、何かと優しい青年だ。

「今、()いたら、さっき(わたし)(せん)じた薬も、一緒に出てしまいますよ。 ロナード」

白銀の髪の青年ハニエルが、苦笑いを浮かべながら、黒髪の青年ロナードにそう指摘すると、

「ああ……そうか」

彼は、思わずそう呟く。

 何時(いつ)もは冷静沈着な彼も、彼女が(ひど)い船酔いに苦しみ、今朝から食事が取れずに元気がないので、気が気では無い様だ。

「陸が恋しい……」

彼女は、ボソリとそう呟く。

「そう(おっしゃ)られても……あと一週間は船に乗っていなければ、イルネップ王国には着かないですよ」

ハニエルは、困った様な表情を浮かべながら返す。

「一週間も……」

それを聞いて、ロナードも、ゲンナリとした表情を浮かべながら呟く。

「酔い止めの薬は、足りそうか?」

金髪の青年シリウスは、真剣な面持ちで、ハニエルに問い掛ける。

「何とか……」

ハニエルは、落ち着いた口調で返す。

 こんなハイスペックな男性三人と一緒に旅をしているなど、世間の女性たちから(うらや)ましがられる構図だが、今の彼女には、そんな事はどうでも良かった。

 そもそも、シリウスとハニエルは恋人関係だし、ロナードは、彼女が女性である事すら知らないのだから。

 (はた)から見れば、男四人で旅をしている様に見えているに(ちが)いない。

 それは別に良い。

 問題なのは、今直ぐにこの酷い船酔いをどうにかしたいと言う事と、帝国に帰ってからの事だ。

 勢い良く家を飛び出したのは良い。

 だが、きっと父は勿論(もちろん)、彼女の婚約者やその家族、そして第一側妃や周囲の者たちに、寄って集って責め立てられるだろう。

 恐らく、婚約式の前日に逃走を(はか)った事により、今回の相手との婚約の話は無かった事になるだろうが、だからと言って、彼女が今後、望まぬ相手と結婚をしなくて済む訳ではない。

 ほとぼりが()めればまた、父親や第一側妃たちは彼女に婚約の話を持ち掛けるに決まっている。

 しかも、今回の相手よりも、もっと悪い条件になっている可能性が高い。

 最悪、帝国の植民地となっている、(いく)つかある国の権力者の下へ(とつ)がされる可能性もある。

 父を(のぞ)いて、唯一の肉親である大好きな兄に、会う事が(むずか)しくなる事は()けたい。

 だからと言って今回、婚約の話が出ていた相手に頭を下げて、婚約して(もら)うのも嫌過ぎるし、例え、彼女の謝罪が受け入れられ、結婚出来たとしても、あのクズ男と、その家族から、真面(まとも)(あつか)われる訳が無い。

 そんな事を考えていると、益々、具合が悪くなる一方だ。

(何か……。 父上は勿論(もちろん)、周りが黙る様な手は無いだろうか)

セネトは、(ひど)い吐き気に見舞(みま)われながら、その様な事を思慮(しりょ)していたが、その内、ハニエルが(せん)じた酔い止めの薬が効いて来て、ウトウトしはじめた時、廊下の方からバタバタと足音がして来て、この部屋の扉の前で止まった。

 彼らが使っている部屋は、貴族たちが主に使う一番高い客室が並んでいる階で、その中でも、この部屋は突き当りにあり、滅多に人は近付かない。

 何だろうかと、シリウスとハニエルが思って居たところ、部屋の扉をノックされた。

何方(どなた)……ですか?」

ハニエルが、戸惑いながら返事をすると、

「アンタたち傭兵だろ? 済まないが、手を貸してくれ!」

扉を開けるなり、ハニエル達に向かって、船員が息を切らせ、(ひど)(あせ)った様子で言って来た。

「何があったのですか?」

ハニエルが、穏やかな口調で、焦っている様子の船員に(たず)ねると、

海賊(かいぞく)が迫って来ているんだ!」

船員が、表情を険しくして言うと、シリウスは、深々と溜息をつきながら、

「……仕方が無いな。 礼金は弾んで(もら)うぞ」

シリウスはそう言うと、自分が座っていた椅子に立て掛けてあった、自分背丈くらいはあろうかと言う、大きな剣を背負うと、ゆっくりとした足取りで、部屋へ出る。

「どうかしたのか?」

(さわ)がしさに目を覚ましたセネトが、のっそりと身を起こしながら、ずっと側に居て、自分の背中を(さす)ってくれていたロナードに問い掛ける。

「海賊らしい」

ロナードは、落ち着いた口調で答える。

「貴方たちは、ここに居て下さい」

先に部屋を出たシリウスに続いて、部屋から出ようとしたハニエルは、少し戸惑って居る二人に向かって言った。

「あ、ああ……」

セネトは、戸惑いながら返事をすると、二人は船員と共に、ロナードとセネトを部屋に残して、急いで甲板(かんぱん)の方へと駈け出した。

海賊(かいぞく)って……あの海賊か?)

ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら、心の中で呟く。

「おい。 お前も具合が悪いのだから、二人に任せてここに居ろ」

ロナードの様子を見て、何かを(さっ)したセネトは、表情を険しくして言う。

「しかし……」

ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら言って居ると、船が大きく()れた。

「くそ……。 海賊が船に横付けして来たのかも……」

セネトは、忌々(いまいま)し気に呟くと、それを聞いてロナードは咄嗟(とっさ)に、側に置いてあった自分の剣を手に取り、立ち上がった。

「あ、おい!」

それを見て、慌てて制止をするセネトの声を無視して、ロナードは部屋から駆け出した。

(全く。 アイツは!)

それを見たセネトは、(あき)れた表情を浮かべながら、心の中で呟くと、急いでソファーから立ち上がり、彼の後を追って部屋を出た。


 甲板(かんぱん)に出ると、一隻(いっせき)海賊(かいぞく)船が、彼等が乗っている旅客船に横づけしており、その船から梯子(はしご)が渡され、武器を手にした、柄の悪そうな男たちが、次々とこの船へ移って来ていて、その状況に乗客たちが逃げ惑っている。

 自分が想像していた以上にカオスな状況に、ロナードは戸惑い、その場に立ち尽くす。

 このままでは、自分たちを(ふく)め、この船に乗っている者たち全員が危険だと言う事は、瞬時に理解した。

 戦うべきだ。

 彼の中の本能がそう言っている。

「くそっ! 海賊(かいぞく)(そな)えて、(さい)新鋭(しんえい)の大砲を積んでたって言うのによ。 何の役にも立たなかったじゃねぇか!」

船へ乗り込んで来る、海賊たちを見ながら、船員と思われる男が、悔しそうに叫んでいた。

(どう言う事だ?)

ロナードは、そう思いながらも、シリウス達の姿を探す。

「おい兄ちゃん。 こんな所に居ちゃ殺されるぞ」

船員の一人が、彼に気付くと、表情を険しくして、そう声を掛けて来た。

 そんな船員の目の前でロナードは、こちらへ逃れようとしていた、貴婦人に襲い掛かろうと、武器を振りかざした海賊を一刀両断(いっとうりょうだん)にした。

「な、な、何なんだよオメェ……」

ロナードに返り討ちにされ、甲板(かんぱん)の上に倒れ、肩から血を流している海賊は、恐怖に顔を引きつらせながら言っているところに、ロナードは容赦なくその海賊の顔面に蹴りを見舞(みま)った。

 ロナードの蹴りを真面(まとも)に食らった海賊は、白目をむいて、そのまま床に上に派手な音を立てて倒れ込んだ。

 それを間近で見ていた船員と乗客たちは思わず、ぽかんと口を空けて立ち()くす。

「早く逃げろ」

ロナードは、戸惑う貴婦人に落ち着き払った口調で言うと、自分に向かって来た別の海賊の剣を()けると、その腕を叩き斬る。

「見てないで、手を貸せ!」

近くで、呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた船員に向かって、ロナードが怒鳴り付けると、船員はハッとする。

 そして、自分の側で恐怖に腰を抜かし、立てなくなっている貴婦人に手を差し出し、彼女を立ち上がらせると、他の乗客たちと共に、避難(ひなん)する様に(うなが)した。

(思ったよりも多いな……。 何か良い手は……)

彼は、次々と海賊船から梯子(はしご)を伝い、彼等が居る旅客船に乗り込んで来る、海賊(かいぞく)たちを見ながら、心の中で(つぶや)く。

 すると一瞬、彼の脳裏(のうり)に風のイメージが(よぎ)った……。

(そうだ……。 風……風の(やいば)梯子(はしご)を叩き落とせば、海賊たちは此方(こちら)へは(わた)って来られなくなる)

ロナードは、海賊たちが船同士の間に掛けている梯子(はしご)を見ながら、不意に心の中で呟くと、彼は(おもむろ)に片方の手を(かざ)す。

(先に、コイツ等の動きを封じておくか)

ロナードは冷静に心の中で呟くと、突然、彼の周囲に緑色の風が巻き起こり、彼に襲い掛かろうとした、周りに居た海賊たちがバタバタと倒れる。

 どうやら、海賊たちは(みな)、物凄い睡魔(すいま)見舞(みま)われ、眠ってしまったのを見て、近くに居た人々は驚き、思わずロナードに目を向ける。

「なっ……風の魔術? ……いや……これは『シルフ』?」

突然、海賊たちがバタバタと倒れたのを見て、ハニエルが驚愕(きょうがく)の表情を浮かべ、思わず後ろを振り返った。

 そこには、部屋に居る(はず)のロナードが居たので、

「ロナード! 何をしているのですか! 部屋に居ろと……」

ハニエルは、慌てた様子でロナードの下に駆け寄りながら、そう声を掛けていると、

「ハニエル!」

ロナードの(するど)い声がして、彼は咄嗟(とっさ)にハニエルを横へ突き飛ばし、彼の後ろから、切り付けようとした海賊の剣を自分が持っていた剣で(ふせ)ぐ。

 そして、相手の腹を思いっ切り蹴飛(けと)ばし、相手が体勢を崩した拍子(ひょうし)に、彼は鋭く、相手の腕を切り飛ばし、振り向きざまに別の海賊の首を()ねる。

(しまった。 咄嗟(とっさ)に……)

ロナードは、目の前で相手(あいて)の首が飛び、(おびただ)しい血が噴き出したのを見て、自分が咄嗟(とっさ)にしでかした事に、思わず血の気が引いて、心の中で呟いた。

 甲板(かんぱん)の上に無残(むざん)に転がった相手の首を見て、苦々しい表情を浮かべる。

 背中に何とも言い(がた)い、冷たい汗が流れ落ちて来る……。

 何度見ても、慣れる事のない光景と、()き上がって来る、人を殺めてしまった事に対する罪悪感(ざいあくかん)……。

「大丈夫ですか?」

青い顔をして固まって居る彼に、立ち上がって近付いてきたハニエルがそう声を掛けると、彼はビクッと身を強張(こわば)らせる。

 剣を握り締めているロナードのその手は、(ひど)(ふる)えていた。

(マズイですね。 人を斬り殺した事に動揺(どうよう)している)

それを見たハニエルは、心の中でそう呟くと、ロナードを背で(かば)いつつ、向かって来る海賊たちを魔術で次々と吹き飛ばす。

「おい! ボサッとするな!」

不意に背後から声がしたので、ハニエルは思わず振り返る。

「殿下まで……」

ロナードに声を掛けて来た相手が、セネトだと分かった途端(とたん)、ハニエルはゲンナリとした表情を浮かべ、呟いた。

(どうしてこの子たちは、言われた事を守れないのでしょう……)

ハニエルは、ゲンナリとした表情を浮かべたまま、ロナードとセネトを見ながら、心の中で呟いた。

「シリウスは、お前たちを放って何やっている?」

セネトは、ゲンナリした顔をしているハニエルにそう問い掛ける。

「貴方まで、この様な場所に出て来ては駄目(だめ)ですよ!」

ハニエルは、困り果てた表情を浮かべながら、自分たちの言う事をちっとも聞かないセネトに言う。

「こんな雑魚(ざこ)に、僕が後れを取るとでも?」

セネトは、不敵な笑みを浮かべながら、ハニエルに言い返すと、彼はゲンナリとした表情を浮かべ、片手を(ひたい)()え、特大の溜息を付き、

「そう言う問題では……」

「それより、どうした?」

セネトは、自分の(かたわ)らに立っているロナードが、真っ青な顔をして立ち尽くしている事に気付き、ハニエルに問い掛ける。

「あれです……」

ハニエルは、複雑な表情を浮かべながら、自分から少し離はな)れた所で、首を切り落とされ、(おびただ)しい血を流し、甲板(かんぱん)の上に転がっている海賊(かいぞく)亡骸(なきがら)を指差し、

(わたし)を助けようとして、(あやま)って……」

ハニエルは、沈痛な表情を浮かべ、重々しい口調で語る。

「ああ……」

海賊の死体と、ハニエルの説明を聞いて、セネトは全てを理解した。

 ロナードは十代前半から、傭兵として身を立てていた。

 だから、こう言った荒事には慣れてはいるのだが、どうしても、慣れない事と言うか……(むし)ろ、トラウマになってしまっている事がある。

 それは、人を殺す事だ。

 傭兵という仕事柄、命を奪い合う現場に駆り出される事も多々あった(はず)で、彼自身も生き残る(ため)に、相手の命を奪う事はあっただろう。

 傭兵という仕事を長くしていると、多くの者たちは感情が麻痺(まひ)して、命を奪う事に何の感覚)も抱かなくなるらしいが、ロナードの場合は逆だった。

 (おのれ)が生きる(ため)に命を奪う事に、強い罪悪感を抱き、その事で徐々に精神が(むしば)まれ、重篤(じゅうとく)なうつ状態になり、(つい)には自殺(じさつ)未遂(みすい)までしている。

 今は、普通に生活を送る分には支障(ししょう)が無い程に回復しているのだが、こう言う武器を手に戦う事態になった時、毎回ではないのだが、何かの拍子(ひょうし)(つら)かった出来事を思い出してしまい、こんな風に動けなくなってしまう。

 だからと言って、剣を捨て、戦いのない平穏(へいおん)な日々を送ると言うのも、彼の場合はなかなか(むずか)しそうなのだ。

 彼を見ていると、人と言うのは常に、自分の中で(いく)つもの矛盾(むじゅん)を抱えて生きているのだと、セネトは強く感じる。

「お前の所為(せい)じゃない」

セネトは、動揺(どうよう)して震えているロナードの手をそっと(つか)むと、優しい口調でそう声を掛けた。

「セネト……」

ロナードは、セネトの声にハッとした様な顔をして、彼の方へと振り返り、そう呟いた。

(もう大丈夫だ)

セネトは、自分を見たロナードの瞳から、先程(さきほど)まで浮かんでいた動揺の色がフッと消えて、何時(いつ)もの落ち着いた眼差しに戻ったのを見て、心の中で呟く。

「済まない」

ロナードは、凛々しい顔付きになると、落ち着いた口調で、自分を気遣(きづか)い、声を掛けてくれたセネトに言うと、持っていた剣を握りしめ、自分たちに向かって来る海賊たちを静かに見据(みす)える。

 戦いの時、彼がこう言う顔付きになると、もはや、自分たちが負ける事など有り得ない。

 シリウス程では無いにしろ剣を使え、攻撃系の魔術を得意とする彼は、ほぼ無敵と言っても良い。

(さあ。 僕も本気を出すかな)

セネトは、心の中でそう(つぶや)くと、チラリと海賊(かいぞく)たちが乗って来た船へと目を向ける。

「ハニエル! ユリアス!」

不意に、聞き慣れた声がしたので、セネトたちは振り返る。

 シリウスが、自分たちの後ろから切り掛かろうとした海賊たちを、手にしていた大剣を軽々と振り回すと彼等(かれら)蹴散(けち)らしていく。

「ば、ば、化け物っ!」

(かろ)うじて即死(そくし)(まぬが)れた海賊が、甲板(かんぱん)の上で(もだ)えつつ、大剣を軽々と振るうシリウスを見上げ、恐怖に顔を引きつらせながら(さけ)ぶ。

「ふん。 貴様らが、軟弱(なんじゃく)なだけだ」

シリウスは、冷やかな口調で言うと、デカイ大剣を振るい、別の海賊を叩き斬った。

 気が付けば、物凄い数の海賊が乗り込んで来た(はず)なのに、その多くが絶命し、生き残った者も、(うめ)き声を上げながら、甲板の上に転がっていた。

 しかも、海賊たちが乗って来た船は火達磨(ひだるま)になっており、船に乗って居た海賊たちは(あわ)てて海へ飛び込んでいた。

「ちょっと船に火を付けてやったら、あの様だ。 滑稽(こっけい)だな」

セネトが、火が付いた船の上を逃げまどっている海賊たちを見ながら、可笑(おか)しそうに言う。

(容赦(ようしゃ)ないな……)

ロナードは、乗って来た自分たちの船に火を付けられ、右往左往(うおうさおう)としている海賊たちに、気の毒そうな視線を向けつつ、心の中で呟いた。

「大体、僕だけ仲間外れだなんて、(ひど)いじゃないか。 お前たち」

セネトは、不満に満ちた表情を浮かべ、口を(とが)らせながら言う。

「いや、別に……そう言う意図(いと)は……」

セネトの発言に、ロナードは困った様な表情を浮かべながら言う一方で、

「何を(おっしゃ)って! 御身(おんみ)に何かあったらどうなさるのですか!」

ハニエルは、かなり怒っている様で、強い口調でセネトを(しか)り付ける。

「心配性だなハニ……」

セネトが苦笑いを浮かべながら言って居ると、背後から物凄く禍々(まがまが)しい気配を感じ、彼は恐怖に顔を引きつらせつつも、恐る恐る振り返ると、そこにはシリウスが鬼の様な物凄い形相(ぎょうそう)で立っていた。

「部屋に居ろと……言った(はず)だが?」

ドスの利いた低い声で、(うな)る様にセネトに言いながら、凄んできた。

「ひっ……」

シリウスの表情を見て、セネトは思わず表情を引きつらせ、情けない声を上げる。

「お前もだ。 ユリアス」

シリアスは、怒りの形相でロナードに向って言う。

「あー……。 えっと……これはその……」

ロナードは、焦りの表情を浮かべ、口籠(くちごも)らせながら言って居ると、

「この悪ガキ共がっ! 海賊を何だと……」

シリウスは怒りの形相でそう言うと、ロナードをヒョイと片手で肩に担ぎ上げ、もう片方の手でセネトを軽々と小脇(こわき)に抱える。

「ちょっ。 シリウス! 何をするんだ! 下ろせ!」

「止めてくれ! 恥ずかし過ぎる!」

シリウスに(かか)えられた二人は、焦りと恥ずかしさに顔を赤らめながら、口々に抗議をするが、完全に無視をされ、部屋へと連行されていった。


「お前の所為(せい)だぞ!」

セネトは(うら)めしそうに、テーブルを挟んで向かいのソファーに座っているロナードに言った。

 あの後、セネトとロナードは部屋に連れ戻されるなり、(そろ)って、シリウスに特大の雷を落とされ、こっ(ぴど)く説教されたのだ。

「済まない……」

ロナードは、(しか)られた子犬の様な表情を浮かべ、長身な身体を小さくして、怒っているセネトに素直に謝る。

「大体、シリウスが化け物染みた強さなのは、お前だって良く知っているだろう?」

セネトは、特大の溜息ためいき)を付くと、(あき)れた表情を浮かべながら言う。

「いや、シリウスは心配してなかった。 あの人は殺したって、死ぬような人ではないからな。 だが、ハニエルは(ちが)うだろ」

ロナードは、落ち着いた口調でそう返した。

「……何気に(ひど)いな。 お前。 自分の兄貴より、ハニエルの方を心配するなんて……」

その言葉に、セネトは驚きながらも、意地の悪い顔をして言った。

「だって事実だろ。 ハニエルは魔術を使えること以外、その辺の人たちと変わらないのだから」

ロナードは、ちょっとムッとした表情を浮かべつつ、言い返す。

「それはそうだが……」

セネトは、苦笑いを浮かべながら言ってから、

(弟から心配されない兄貴と言うのも、どうなんだ?)

心の中でそう呟く。

 つまりロナードは、馬鹿クソ強い兄に付き合って、海賊に向かって行ったハニエルの事が心配だったらしい。

「そんなに心配しなくても、貴方程では無いにしろ、私も、それなりに強いですよ」

何時(いつ)の間に部屋に戻って来たのか、ハニエルが穏やかな口調(くちょう)で、ロナードにそう声を掛けた。

「そうは言うが、(おれ)(ちが)って(ほとん)ど、攻撃系の魔術は使えないだろう?」

ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら言う。

「そうですね。 貴方の様に無双(むそう)する事は(むずか)しいですが、シリウスが敵を蹴散(けち)らしている間、自分の身を守る事くらいは出来ますよ。 そうでなければ、私は今、此処(ここ)にはいませんよ?」

ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら、(おだ)やかな口調で返す。

「それは……そうかも知れないが……」

ハニエルにド正論(せいろん)を返され、ロナードは口籠(くちごも)らせる。

「いや、そもそも何故(なぜ)、シリウスなどと一緒に居るのかと思うんだが」

セネトがボソリとそう言った。

「それは(おれ)も思って居た。 何か……弱みでも(にぎ)られているのか? そもそも鷺族(さぎぞく)は、相手を攻撃する(すべ)を持たない種の(はず)だ。 それなのに……」

ロナードは思わず身を乗り出し、戸惑っているハニエルに言う。

「二人して、(ひど)い言い様ですね?」

ハニエルは、苦笑いを浮かべながら言う。

「いや……。 弟の俺が言うのも何だが……。 ちょっと……性格に(なん)があるだろう? まあ……俺も()められた性格では無いが」

ロナードは、複雑な表情を浮かべ、歯切れ悪く言うと、

「あんな奴の何処(どこ)が良くて一緒に居るのか、僕は理解が出来ないんだが」

セネトは、理解不能と言った様子で、ハニエルにそう言った。

 確かにシリウスは、剣士としての腕は超一流ではあるが、何処(どこ)か他者を(こば)む様な冷たい空気を(まと)っており、おまけに、お世辞(せじ)にも性格が良いとは言い(がた)い。

 無愛想(ぶあいそ)で何を考えているのか良く分からない、(くせ)の強いシリウスと何故(なぜ)、つるんで居るのか、彼等(も例に()れる事無く、不思議に思った様だ。

「そうですね……。 少し、話は長くなりますが、聞く気があるのでしたら、お話ししますよ?」

ハニエルは、苦笑い混じりに、セネトとロナードに言った。


「……(わたし)は、故郷(こきょう)の森で人間に(つか)まり、奴隷(どれい)として海を渡り、この国の東にあるトロイアと言う国の、ある貴族に買われ、彼の屋敷に長い間、(とら)われて居ました。 その私を自由の身にしてくれたのが、他でも無いシリウスなのです」

ハニエルはそう言いながら、その時の事を思い出す……。

 かれこれもう、十年近く前の話だ。

 シリウスがまだ、()け出しの傭兵だった頃、ある貴族の用心棒(ようじんぼう)として(やと)われて来た彼は、そこで犬猫の様に、(やと)(ぬし)に飼われて居るハニエルと出会った。

 彼は逃げ出さぬよう、入り口の扉の前や外の窓に(てつ)格子(ごうし)がはめられた、二階の離れに閉じ込められており、さながら、鳥籠の中に閉じ込められた鳥の様に、屋敷の(ぬし)と限られた者としか会う事が出来なかった。

 その頃のシリウスは、今のロナードよりも若く、一六歳くらいの、まだ幼さの残る少年であった。

 その貴族の男は、社交界などにハニエルを連れ出して、彼のその美しい容姿と美しい歌声を、集まった貴族たちに自慢(じまん)していた。

 貴族たちの中には、美しいハニエルを手に入れようと(たくら)(やから)も居り、シリウスは、そう言った理由で屋敷に(しの)び込んで来る(やから)を追い払い、ハニエルを守る事が与えられた仕事だった。

 ハニエルは、人間に背中の翼を奪われた事により、自由と鷺族(さぎぞく)としての(ほこ)りを失)い、心身共に(ひど)く傷つけられた事で、とても人間たちを(うら)んでいた。

 (ゆえ)に、ハニエルは長く心を閉ざし、彼を買った屋敷の主は勿論(もちろん)、他の人間たちとも口を利こうとはしなかった。

 初めは、人間たちの話す言葉が理解出来なかったからだが、長く、人間に飼われている間に、彼等)の言語を理解出来る様になっていた。

 彼等の言葉が理解出来る様になると、人間たちの強欲(ごうよく)さと身勝手さに、ハニエルは益々、人間の事を嫌いになっていった。

 シリウスは(すで)にこの時から、他人には無関心な所があり、出会った頃は、自分からハニエルに話し掛ける様な事は無かった。

 だがハニエルが、主である貴族の男に、良い様にされているのを見て、()えかねたシリウスが、(つい)に声を掛けて来たのだ。

「お前、(くや)しくないのか?」

シリウスはポツリと、(てつ)格子(ごうし)()しにハニエルに声を掛けた。

 ハニエルは、彼が言った言葉を理解出来たが、()えて無視を決め込んだ。

 するとシリウスは、人間の言葉が通じないのだと判断して、今度は亜人(あじん)たちが用いる古代語で、同じ事をハニエルに語り掛けた。

 それには、ハニエルも驚いて、シリウスの側に駆け寄ってきた。

『貴方、(わたし)たちの言葉を話せるのですか?』

ハニエルは、扉の前に()め込まれている(てつ)格子(ごうし)を握り締め、身を乗り出す様にして、シリウスに問い掛けた。

『少しだけだが……』

シリウスは、淡々とした口調で言った。

「驚きました。 私は、ここに二十年以上居ますが、古代語を話せる人とは初めて会いました」

ハニエルは、驚きと喜びを隠せない様子(で言った。

「……何だ。 人間の言葉が分るのか」

シリウスは、苦笑混じりに言った。

 良く見れば、自分と同じく紫の瞳を有しており、肌の色も、少し日には焼けているが、この土地の者と(こと)なり、ごく薄い赤銅色で、その顔立ちも異なる。

 あまり、彼の事を注意して見ていなかったが、南半球の生まれの者では無さそうだし、もしかしたら、人間と亜人(あじん)混血(こんけつ)なのかも知れない。

「貴方、何処(どこ)の国の方ですか?」

ハニエルは(おもむろ)に、シリウスに問うと、

「クラレス公国だ。 お前は? カナンか? それともシーラか?」

シリウスが、淡々とした口調で、そう問い返して来た。

 久しく耳にしない、北半球(きたはんきゅう)にある国の名に、ハニエルの胸が熱くなる。

 自分の故郷(こきょう)がある国の事を、少しでも知っている人間が今、目の前に居るのだ。

「カナンです。 カナンの鷺族(さぎぞく)です」

ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべながら、シリウスに向かって言った。

鷺族(さぎぞく)……。 そうか。 通りで歌がズバ抜けて上手い訳だ。 鷺族の歌声は『天上の歌』と例えられるほど美しいと、亡くなった母から聞いた事がある。 しかし、どうしてまた、こんなカナンから遠く離れた南半球のトロイアなどに居る?」

シリウスは、不思議そうに、ハニエルに尋ねた。

 彼が、自分たち『鷺族』の事を知っていた事には正直、驚きであった。

 ハニエルは正直に、今までの経緯(けいい)をシリウスに語った。

 生まれ育ったカナンの森で偶然(ぐうぜん)、人間のハンターに会い、彼等に捕らわれ、奴隷(どれい)として海を渡り、海を(へだ)ててトロイアの南にある奴隷市場で売られ、ここの主人に買われて来た事。

 そして、この屋敷の主に空を飛んで逃げられぬ様、ここへ来て直ぐに背中の翼を切り落とされ、それ以降、二十年以上この部屋に閉じ込められている事を……。

(わたし)は、この屋敷の主の許可無く、この部屋すらも出る事が出来ませんし、この腕輪の所為(せい)で魔術も使えません。 自力で逃げる事は出来ないのです」

ハニエルは、自分の腕に付けられている腕輪に目を向け、沈痛な表情を浮かべ、シリウスに言った。

「そうか……。 それは気の毒にな……」

シリウスもハニエルの境遇(きょうぐう)に同情し、悲しそうな表情を浮かべ、そう言った。

 元々、争いの好まず、外界との交流を絶ち、音楽と歌をこよなく愛し、故郷(こきょう)の森の奥深(おくふか)くで、ひっそりと暮している平和主義者の鷺族(さぎぞく)は、恐ろしく排他的(はいたてき)だ。

 その理由は、他種と争い、種を守る術を(ほとん)ど持たないからだと言われている。

 竜族と魔族の次に強い魔力を保有(ほゆう)していると言われ、魔術の(あつか)いに長けているが、その力を保身の(ため)に使う事は禁忌(きんき)とされ、それを破った者は、里から永久に追放されてしまう。

 それと同じくらいに許可も無く、森から出た者も、故郷(こきょう)には二度と戻れない。

 一族を守る(ため)(きび)しい(おきて)()し、外部からの侵入)を一切、受け入れないと言うのが、鷺族(さぎぞく)の特徴だ。

 事故とは言え、故郷の森から遠く離れ、この地に居るハニエルもまた二度と、故郷の森には帰る事は(かな)わないであろう……。

(わたし)は、この現実に絶望し、何度も死のうとしました……。 でも、いざ命を()とうと(こころ)みると、どうしても、故郷の美しい森の光景が脳裏(のうり)に浮かんで……。 結局は死ねず、未練(みれん)がましく、こうして生きて居るのです」

ハニエルは、深い悲しみに満ちた表情を浮かべながら、シリウスに語った。

 シリウスは、複雑な表情を浮かべながら、黙ってハニエルの話に耳を(かたむ)ける。

「せめて最期(さいご)にもう一度だけ、美しい故郷の森をこの目で見る事が出来れば……。 私の心も少しは救われるのに……」

ハニエルは、泣きそうな表情を浮かべ、そう呟いた。

「……だったら、(わたし)が連れて行ってやる」

シリウスは、真剣な面持ちで、ハニエルに向かって言った。

冗談(じょうだん)でしょう? そんな事が出来る(はず)が……。 大体、見ず知らずの私の(ため)に貴方がどうして、そんな危険な事をする必要があるのです?」

ハニエルは、シリウスの言葉に戸惑いながら、彼に言い返した。

「……昔の自分を見ている様で、()(たま)れない」

シリウスは、複雑な表情を浮かべ、ハニエルに言った。

「昔の貴方?」

ハニエルは思わず、シリウスに問い返す。

「ああ。 私も昔、お前と似た様な生活をしていた。 尤もその相手は女だったが……。 それでも、他人に良い様にされるのは、本当に()えがたいものがある」

シリウスは、沈痛(な表情を浮かべながら言った。

 聞けば、シリウスは元々貴族の子弟で、事故に見せかけて暗殺されそうになり、彼が乗っていた馬車ごと、海へ転落。

 運良く、通り掛かった船の乗組員に助けられたが、その船は奴隷(どれい)(せん)で、彼はそのままイルネップへ連れて行かれ、奴隷として売られ、その国のある宿屋の主人に引き取られた。

 だが、その男がシリウスを引き取ったのは、別の目的があったからだった。

 この男は元々、宿屋を経営する(かたわ)ら、身寄りのない子供たちに売春をさせていた。

 見目の良いシリウスには直ぐに、女の客たちが飛び付き、彼は、女たちを(よろこ)ばせる(ため)に、一〇歳くらいの頃から毎晩)、女たちの相手をさせられて来た。

 時には、綺麗(きれい)な少年が好きな男を相手する事もあったが……。

 逃げようにも地の利は無く、頼る相手も、行く(あて)も無い、祖国から海を(へだ)てた遠い異国の地……。

 しかも、クラレス公国に居る母と弟は死んだと、人伝いに聞いていた。

 天涯(てんがい)孤独(こどく)の身になった彼は、頼(れる(あて)ても無く、余りに過酷な現実に何度も、死にたいと思ったと言う。

 そして、シリウスが一三の時に、こんな奴隷(どれい)生活から自由になりたい一心で、宿屋の主をナイフで刺し、他の子供たちと共に逃げた。

 だが、次に会った大人もまた、最悪な奴だった。

 その男は、金の(ため)ならば何でもする傭兵で、野垂(のた)れ死にそうになっていたシリウスを助け、彼に人並みならぬ武芸の才能があると知ると、その才能を利用した。

 そして、例え、長く寝食を共にした仲間であろうとも、躊躇(ちゅうちょ)()く殺せる様、彼を冷徹(れいてつ)殺人機(さつじんき)に仕立て上げた。

 そうして彼は徐々(じょじょ)に何も感じなくなっていき、表情の(とぼ)しい、何を考えているのか分からない、不気味(ぶきみ)な少年になっていった。

「何だ? 傭兵をして居る私が、そんな事を言うのは、可笑(おか)しいか?」

シリウスは、戸惑いの表情を浮かべながら、黙って自分を見て居るハニエルに言った。

「いいえ。 貴方も(つら)い目に()って来たのですね……。 可哀(かわい)そうに」

「私は、この三年ずっと傭兵として一人で生きて来た。 人には言えない、(きたな)い事も沢山(たくさん)した。 人間の(みにく)い所も沢山見て来た……。 こんな現実が嫌になって、死にたいと思った事も何度もある。 それでも、死に切れない自分が居る」

シリウスは、沈痛な表情を浮かべ、重々(おもおも)しい口調で、ハニエルに自分の事を語った。

「分ります。 貴方も本当は(さみ)しいのでしょう? 私の様に、自分の痛みを共有できる誰かを探)して居たのかも知れませんね……」

ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべながら、シリウスに言った。

「そうかも知れない……。 何にしても、私がお前を自由にしてやる。 時間は掛るかも知れないが、必ずここから出してやる。 私を信じて待って居ろ。 早まった事は決してするな」

シリウスは、ハニエルを真っ直ぐに見据(みす)え、真剣な面持ちで言った。

 その紫の双眸(そうぼう)には、(いつわ)りの色など一切無く、とても()んだ綺麗(きれい)(かがや)きを()めていた。

「はい」

ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべ、(うなず)いてそう言った。

 だがハニエルは、シリウスの言う事など、()てにはしていなかったし、自分の所為(せい)で、この少年が危険な目に()う事など、望んでいなかった。

 ただ……シリウスがこんな風に、我が事の様に心を痛め、真剣に自分を助けたいと言ってくれた事が(うれ)しかった。

 それから、一年くらい経っただろうか……。

 シリウスはそれ以来、ハニエルに屋敷から逃がす話はしなかったので、ハニエル自身もすっかり、彼とそんな話をした事を忘れていた。

 だが、シリウスは口には出さなかったが、ハニエルとの約束を決して、忘れてはいなかったのだ。

 彼は地道に、主から与えられた仕事をこなし、屋敷の主から信用を勝ち取り、屋敷(の警備隊長にまでなっていた。

 そんなある日、(めずら)しく主が、ハニエルを連れずに屋敷を留守(るす)にする日が来た。

 主は、手慣(てだ)れの傭兵たちを自分の護衛(ごえい)として同行させ、留守にしている間の屋敷の警備とハニエルの事を、自分が最も信頼するシリウスに任せ、出掛けて行った。

 シリウスは、その()を見逃さなかった。

 警備(けいび)の目が(ゆる)くなる夜が更けるのを待ち、ハニエルを部屋から連れ出し、見張りの兵士たちの目を(あざむ)き、見事に屋敷から、ハニエルを連れて逃げ出したのである。

 無論(むろん)、その事を知った屋敷の主は(ふん)(がい)して、追っ手を差し向けたが、シリウスの持ち前の剣の腕と、シリウスによって(いまし)めを解かれたハニエルの共闘で、追っ手たちを見事に返り討ちにした。

 それ以降、ハニエルはシリウスと行動を共にする様になり、傭兵業を生業(なりわい)としながら、お互いを支え合って生きて来た。

 その間に、少年だったシリウスは、すっかり大人の男になり、今では、彼の剣の腕に(かな)う者は、(ほとん)ど無い程の強さを(ほこ)り、ハニエルにとって、とても頼もしい存在になっていた。

 冷徹(れいてつ)無慈悲(むじひ)殺人機(さつじんき)……他人は、シリウスの事をそう言うが、ハニエルは、彼と行動を共にしていく内に、彼が考えて居る事も、何となく分る様になっていた。

 (きたな)い大人の世界を知るには、当時のシリウスはあまりに幼く、そして、あまりに純粋(じゅんすい)だった。

 (ゆえ)に、(いま)だに他人を信じる事が出来ず、ハニエル以外の者を寄せ付けず、他人に対し、恐ろしく淡白(たんぱく)だ。

 そうする事で、必要以上に自分が傷つかない様にしている事を、ハニエルは知っていた。

 孤高(ここう)なシリウスにとって、ハニエルは、生きて行く(ため)の心の()り所であった(はず)だ。

 ハニエルにとっても、シリウスはそうだった。

 恐らく、二人はこの先も、そうやってお互いを支え合っていくのだろうと、ハニエルは思っている。


「そう言う事情が……」

ハニエルの話を聞き終えたセネトは、複雑な表情を浮かべつつ、そう呟いた。

「……」

ロナードも、沈痛な表情を浮かべ、押し黙っている。

(わたし)もシリウスも、他人に(ほこ)れる様な生き方はして居ませんが、誰よりも必死に、生きて来たのは間違(まちが)いありません」

ハニエルは、何処(どこ)か遠くを見つめながら、穏やかな口調で語った。

「その……悪かったな。 シリウスをあんな風に言って」

セネトは、申し訳なさそうにハニエルに言った。

「いえ。 そう思えるのは事実ですから」

ハニエルは、苦笑いを浮かべながら返す。

「……」

ロナードは、複雑な表情を浮かべ、自分の膝の上に組んでいる手元をじっと見つめ、押し黙っている。

幻滅(げんめつ)……しましたか? (わたし)やシリウスが、どんな風に生きて来たのかを知って……」

ハニエルは、戸惑いの表情を浮かべつつ、おずおずとロナードに問い掛けた。

「そうじゃない。 (おれ)だって、体こそ売らずに()んだが、シリウスと変わらないくらい、(きたな)い仕事をして来た。 その(つら)さが分かるから余計(よけい)に……。 何と言って良いのか、分からなくなってしまったんだ」

ロナードは、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で語る。

「ロナード……」

ハニエルは、ちょっと泣きそうな顔をしているロナードの顔を見て、複雑な表情を浮かべながら呟く。

「……やっぱり、ルオン国王とベオルフを、この手で()めておくべきだった……。 俺だけでなく兄上まで……」

ロナードは、(くや)しそうな表情を浮かべ、(うな)る様な口調で呟くと、ギュッと唇を強く()む。

()めておいて正解ですよ。 ロナード。 貴方やシリウスが態々(わざわざ)、その(ため)の時間と労力を(つい)やす価値が、今の彼等にあるとは思えません」

ハニエルは穏やかに口調で、ロナードにそう(たしな)めた。

「どの道、ルオンも国王もそう長くは無い。 (とど)めを()す事は、お前の祖父に任せておけば良い。 ベオルフやルオン王が、家族にした(ひど)仕打(しう)ちに対して長い間、(はらわた)()えくり返る想いをひた(かく)して、報復(ほうふく)の機会を伺っていただろうからな」

セネトも、落ち着いた口調でロナードに言うと、(なぐさ)める様にポンポンと軽く、彼の肩を叩く。

「……ルオンは(ほろ)ぶ定めからは、逃れられそうにないのか……」

ロナードは、複雑な表情を浮かべながら呟く。

(結局、エレンツ帝国軍の侵攻(しんこう)から、祖国を守る(ため)に戦い、ルオンの海に()った父上たちの死は、何だったのだろう……)

ロナードは、心の中でそう呟くと、無性(むしょう)に泣きたい気持ちになった。

「正直、誰が国王になっても、(きび)しいでしょうね」

ハニエルは、複雑な表情を浮かべながら言う。

「悪いが、あのまま、お前がルオンに残っても、お前にとって、良い方向に進んだとは思えない」

セネトは、淡々とした口調(くちょう)で言うと、ロナードは少し傷付いた様な表情を浮かべる。

(のろ)いの事もそうだが、イシュタル教会が存在し続ける以上、お前がランティアナ大陸で、腰を()えて何かに打ち込む事は(むずか)しいだろう」

セネトは、落ち着いた口調でそう指摘する。

「殿下の言う通りです。 何をするにも、体が資本(しほん)ですからね。 貴方は自分に掛けられた呪いを解く事を何よりも優先(ゆうせん)して下さい」

ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべながら、優しい口調で言った。

「……」

二人の言葉に、ロナードは複雑な表情を浮かべ、押し黙る。


 ロナードたちはその後、無事にイルネップ王国にある港町に到着した。

 ルオン王国をはじめとする、北の大陸の人達とは異なり、青い髪と瞳、褐色(かっしょく)を有し、ガッチリとした筋肉質な人たちが多く、ランティアナ大陸の言葉ではない言葉が飛び交う様を見て、ロナードは本当に(ちが)う大陸へ来たのだと実感した。

 イルネップ王国は、国土の(ほとん)どが砂漠(さばく)(おおわ)われているが、大陸を縦断する山脈を中心に地下資源に(めぐ)まれている土地で、その地下資源に目を付けたエレンツ帝国に、三十年ほど前に侵略(しんりゃく)され、敗戦(はいせん)し、植民地となっている(ため)、この国の人達は帝国の公用語を話す。

 このイルネップ王国の他にも、南半球にある(ほとん)どの国が、エレンツ帝国の植民地)となっている。

 そうなった切掛(きりか)けは、先々代の皇帝の時代に、帝国の国教であるガイア神教の『老子』と呼ばれる一部の幹部たちが、北の大陸で勢力を広大させている、イシュタル教会の存在を危ぶみ、南半球の国々への布教強化と異教の排除を打ち出した事にある。

 そこに、領土拡大の野望を抱いていた当時の皇帝とその支持層が便乗(びんじょう)し、つい最近まで、エレンツ帝国は侵略戦争)を繰り広げて来た。

 この侵略戦争で、確かにエレンツ帝国の領土は拡大したが、一世紀近く戦争をしてきた所為(せい)で、国民の暮らし向きは悪化の一途(いっと)辿(たど)り、侵略(戦争を()めない皇帝(こうてい)と、ガイア神教に対する不満が、国民たちの間に徐々に()まっていった。

 そして、セネトの父親で現・皇帝を中心に、反対勢力が立ち上がり、侵略戦争を主導していた先代の皇帝と、ガイア神教の主戦派、それを支持していた諸侯らを討ち取り、現在の路線に変わったわけである。

 現在は、国力の回復を最優先にしている(ため)、エレンツ帝国は戦争を止めてはいるが、周辺諸国に対して侵略戦争をした賠償(ばいしょう)や、帝国からの独立を認めると言った事は行っていない。

 あくまで、帝国本土に住まう人々の暮らしが一番なのだ。

 植民地の事など二の次と言う訳で、植民地に住まう人々の暮らし向きは(きび)しく、無法地帯と化している地域すらある。

 特に、このイルネップ王国と言うのは、『王国』とは名ばかりの、エレンツ帝国の傀儡(かいらい)と化した王が統治(とうち)しており、それに不満を抱く勢力が、各地で反乱を起こしており、情勢が不安な地域である。

「これから、何処(どこ)へ?」

ロナードは(おもむろ)に、シリウス達に問い掛ける。

路銀(ろぎん)(かせ)がねばならん。 近くの酒場に行ってみるぞ」

シリウスが、淡々とした口調で答えると、

「えっ。 でも、お爺様から頂いた物があるのでは?」

ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら言う。

「それは、帝国へ着いてからの資金(しきん)に使うつもりだ。 旅の間にそれに手を付けるつもりはない」

シリウスは、落ち着いた口調で、自分の考えを説明する。

「分かった」

ロナードは、真剣な面持ちで頷き返した。


 傭兵の仕事がないか、近くの酒に立ち寄った。

 四人が店の中に入ると、(がら)の悪そうな男達が数人、昼間から酒を飲んでいた。

 見た所、ゴロツキの様だ。

 四人は、関わらないのが一番良いと思い、男たちの横を擦り抜け、バーカウンターの前に来ると、シリウスが(おもむろ)に、酒をグラスに注いでいたバーテンダーに、

『傭兵の仕事を探している。 何か無いか? 用心棒(ようじんぼう)でも魔物退治でも、何でも良い』

エレンツ帝国の公用語でそう切り出すと、それを聞いて、バーカウンターの側で酒を飲んでいた、(がら)の悪い男達の間から、どっと笑い声が起きる。

『おいおい兄ちゃん。 本気で言ってんのか?』

『昼間から、冗談キツイぜ』

(がら)の悪い男達は、馬鹿にした様にシリウスに言うが、彼は無視を決め込む。

 すると、柄の悪い男達の一人が、(おもむろ)椅子(いす)から立ち上がり、何故(なぜ)かロナードの事をジロジロと眺め始めたので、ロナードは戸惑いの表情を浮かべる。

『おい。 女将(おかみ)! コイツを(やと)ってやれよ!』

その男は、バーカウンターの奥に向かって叫ぶと、奥から、茶色の(ちぢ)れ髪に、ド派手(はで)なピアスを付け、化粧(けしょう)の濃い、ド派手(はで)衣装(いしょう)に身を包んだ、小太り気味の中年の女性が、五月蠅(うるさ)そうな顔をして出て来た。

『なんだよ。 アタシゃ、徹夜(てつや)で飲んで頭痛(いんだよ! 怒鳴らないで欲しいね!』

女将(おかみ)』と呼ばれたその女性は、(がら)の悪い男に向かって言うと、

『そう言うなよ。 コイツ等、仕事、探してるって言うぜ』

柄の悪い男が、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、ロナードを指差しながら女将に言うと、

『あらぁ。 可愛(かわい)いじゃない❤ それに、黒髪に紫の瞳なんてエキゾチックね』

彼女は、ロナードを一目見ると、彼を()め回す様な、ねちっこい視線を向け、猫なで声でそう言って、何故(なぜ)か妙に体をクネクネさせながら、ロナードの下へ嬉しそうに歩み寄って来たが、当の彼は何を言って居るかは分からないので、女の雰囲気に思わず顔を引き()らせ、その場に固まる。

 女将(おかみ)の様子を見て、ハニエルは苦笑いを浮かべている隣で、彼女の言動が気に入らない様でシリウスの表情が(にわ)かに険しくなる。

『ボクぅ。 仕事が欲(しいなら、ウチで(やと)って上げなくも無いわよぉ?』

ロナードの事が気に入ったのか、女将はそう言いながら、彼の(あご)の下に手を伸ばそうとすると、側にいたシリウスが、嫌悪(けんお)に満ちた表情を浮かべ、自分の手で女の手を叩き払う。

『あら。 こっちも良い男じゃない』

女は、自分に対し、怒りの形相(ぎょうそう)で見下ろしている、シリウスを見上げながら言うと、ニヤっと下品な笑(みを浮かべる。

『へへへ。 良かったな。』

『金持ちの女の相手をする方が、傭兵なんざするより、手っ取り早く(かせ)げるぜ? 綺麗(きれい)な兄ちゃん達』

柄の悪そうな男達は、下品な笑みを浮かべながら、シリウスとロナードに言った。

 すると、シリウスが(ひたい)青筋(あおすじ)を浮かべ、目にも止まらぬ速さで、背中に下げていた大剣を引き抜き、男達の側にあったテーブルを真っ二つに叩き割ってしまった。

 それを見て、男達の顔からサーッと血の気が失せ、(そろ)って、青い顔をして立ち尽くす。

『貴様等。 どうやら私)に、頭をザクロにされたい様だな?』

シリウスは、怒り心頭(しんとう)と言った様子で、柄の悪い男達をジロリと睨み付け、ドスの利いた声で言った。

『お、落ち着いて下さい。 シリウス』

ハニエルは、困った様な表情を浮かべつつ、シリウスに言って居ると、

『いやーん。 怖い子ねぇ』

女将がそう言って、ロナードにすり寄ろうとすると、シリウスは振り向きざまに、その女の顔擦れ擦れに、物凄い勢いで大剣を振り下ろした。

『ひっ!』

女将(おかみ)は、恐怖に顔を引き()らせ、短く悲鳴を上げる。

 シリウスが振り下ろした大剣が、彼女の顔の前に突き付けられ、彼は、物凄い形相(ぎょうそう)で、女将(おかみ)(にら)み付ける。

「シリウス!」

次の瞬間、ロナードとハニエルは殺気を感じて、ほぼ同時に動いた。

 ロナードは大きく踏み出すと、素早く腰に下げていた剣を抜き、シリウスの背後から切り掛かろうとしていた、柄の悪い男達の一人の手から、彼が持っていた剣を()ね上げた。

 ロナードの剣に跳ね飛ばされた、柄の悪い男が持っていた剣は、宙で大きく弘を(えが)き、シリウスが叩き割ったテーブルの上に突き刺さった。

 ロナードと、ほぼ同時に動いたハニエルは、素早くバーカウンターの上に飛び乗ると、投げナイフを持っていた、バーテンダーに向かって勢い良く、魔術で水鉄砲を繰り出し、(さか)(びん)が並んでいる後ろの棚へ吹き飛ばした。

 バーテンダーが勢い良く吹き飛ばされ、棚が大きく揺れると、置いてあった(さか)(びん)が勢い良く床の上に音を立てて()れ、辺りに酒の(にお)いが(ただよ)う……。

 突然(とつぜん)の事に焦って、動けずにいたセネトに切り掛かろうとした、別の柄の悪い男をロナードが振り向き様に蹴飛(けと)ばすと、不愉快(ふゆかい)さを(あら)わにし、

()めた真似(まね)を!」

強い口調で言いながら、セネトを背で(かば)う様にして立つ。

『この様な所、此方(こちら)からお(ことわ)りだ』

シリウスは、すっかり腰を抜かしている女将(おかみ)に向かって、冷やかな口調で言うと、ロナードとハニエルの方を見て、

「別の所を当たるぞ」

仕方(しかた)がないですね。 あなた達を男娼(だんしょう)にする訳には、いかないですからね」

ハニエルは、苦笑いを浮かべながら言うと、フワッとバーカウンターの上から飛び降りた。

「行くぞ」

シリウスは、自分の側に居たロナードに言うと、大剣を背負(せお)う。

 ロナードは黙って(うなず)くと、剣を腰に下げていた(さや)に収め、戸惑っているセネトに、自分の前に歩く様に(うなが)す。

四人が、店の外へ出てしまおうとすると、

『ま、待って下さい!』

そう言って、一人の中年の男が、店の中から追い駆けて来た。

 黒髪に緑色の双眸(そうぼう)褐色(かっしょく)の肌、あまり背は高く無く、暑いこの国特有の白いターバンに、日除(ひよ)けの白い外套(がいとう)に身を包んだ、小太り気味の四〇過ぎの、小奇麗(こぎれい)な格好の男だった。

『何だ?』

すっかり気分を害して居るシリウスは、殺気を放ちながら、ジロリとその男を(にら)むと、ドスの利いた声で言った。

 シリウスに(すご)まれ、その中年の男はたじろいで、思わず、二、三歩ほど後退(あとずさ)りをした。

 見た所、先程(さきほど)、店の中に居た、柄の悪い男達の仲間では無さそうだ。

(わたし)たちに、何かご用ですか?』

ハニエルは、シリウスに凄まれ、震え上がっている中年の男に、優しい口調で問い掛ける。

『あ、あなた方、傭兵の仕事を探していると、言っていましたよね?』

中年の男は、逃げ腰になりながらも、ハニエルに言った。

『え、ええ……』

彼は、戸惑いの表情を浮かべながらも、頷きながら答えた。

『私は、キャラバンのリーダーをしている、トスカナと言います。 是非(ぜひ)、あなた方に、キャラバンの護衛(ごえい)をお願いしたいのです』

『トスカナ』と名乗った中年の男は、真剣な面持ちで、ハニエルにそう言った。

「ハニエル。 キャラバンと言うのは」

一緒に居たセネトが、聞き慣れない言葉に小首を(かし)げ、彼に問い掛ける。

砂漠(さばく)等を集団で旅行する、(ぎょう)商人(しょうにん)たちの事です」

ハニエルは、落ち着いた口調でセネトにそう説明すると、トスカナは頷きながら、

『あなた方の腕を見込んで、野盗(やとう)や魔物から、我々と荷物を守って頂きたいのです』

何処(どこ)へだ?』

シリウスは両腕を胸の前に組み、淡々とした口調で、トスカナに問い掛ける。

(みな)が皆、そうではありませんが、(わたし)は、ここから南にある港町(から船に乗り、隣国(りんごく)のトロイア王国に住む大富豪(だいふごう)の元まで、商品を届ける約束なのです』

トスカナが、少しシリウスに(おび)えつつも、真剣な面持(ちで彼に説明する。

『……トロイアからならば、イルネップよりも帝国行きの船も多い。 コイツ等と付いて行って(そん)はないな……』

シリウスが、淡々とし口調で呟くと、それを聞いたトスカナは、安堵(あんど)の表情を浮かべ、

『では、引き受けて下さるのですね?』

(わたし)たち四人全員を同行する事を受け入れ、トロイアまでの船代と、護衛(ごえい)をしている間の食事と宿賃(やどちん)などを其方(そちら)が持ってくれると言うのならな』

シリウスは、淡々とした口調で言った。

『その位の事ならば問題はありません。 元より、そのつもりで声を掛けましたからね』

トスカナは、ニッコリと笑みを浮かべながら、シリウスに言う。

『コイツ、僕たちを(だま)して、奴隷(どれい)商人(しょうにん)に売るつもりで、声を掛けたんじゃないのか? ()しくは、奴隷商人かも知れないぞ』

セネトが怪訝(けげん)そうな表情を浮かべながら、側に居たハニエルにコッソリ言うと、彼は苦笑)いを浮かべる。

『ご心配なく。 私はちゃんとした行商人(しょうにん)ですよ』

トスカナは、自分に疑念(ぎねん)に満ちた目を向けているセネトにそう言うと、何やら首から下げていた札を差し出した。

 それは、特殊な光沢(こうたく)を放つ青銅製の板の様なもので、丁度、かまぼこ板の様な大きさだ。

 それに、何かの紋章(もんしょう)な様な物と共に、帝国の言葉が(つづ)られていた。

 それは、商人(しょうにん)(ふだ)と呼ばれる、商人たちにとっては身分証(みぶんしょう)みたいなもので、必要な手続(てつづ)きを()み、役所から許可が下りた時に、この商人(しょうにん)(ふだ)が渡される。

 この札を持たずに商売をする事は、帝国とその植民地では違法(いほう)とされている。

 奴隷(どれい)商人(しょうにん)に与えられる札とはまた、別の札だ。

『……本物の様だな……』

それを見て、シリウスが淡々とした口調で言う。

『私たちは、長い距離を護衛(ごえい)してくれる者がなかなか集まらず、困っていたのです。 そんな時にあなた方のやり取りを偶然(ぐうぜん)聞いてしまって……。 これは、声を掛けるしかないと思った次第(しだい)です。』

トスカナは、苦笑混じりに、何故(なぜ)、シリウスたちに声を掛けたのか、その理由を語った。

『まあ、良いだろう……』

シリウスは、両腕を自分の胸の前に組み、(えら)そうに言う。

『では明日の朝、日の出頃に、この町の入り口に来て下さい』

トスカナはそう言うと、シリウスは頷き、

『分った』

『では明日。 待って居ますよ』

トスカナは、にこやかに()みを浮かべ、シリウス達に言うと、その場から立ち去って行った。

「今日、この町に着いたばかりだと言うのに、もう仕事に有り付けるとは、幸運でしたね」

ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら、ロナード達に言った。

「正直、あまり期待(きたい)はして居なかったんだがな……」

シリウスは、淡々とした口調(で言った。

「ちゃっかり、全員の寝食を保障(ほしょう)させるなんて、流石(さすが)はシリウスですね」

ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべ、(となり)を歩くシリウスに言った。

「……キャラバンの護衛を?」

ロナードは、戸惑いの表情を浮かべ、シリウスに問い掛けると、

「そうだ」

シリウスは、淡々とした口調で答えた。


 翌朝、トスカナと名乗った男に言われた通り、ロナード達は町の入口で待っていると……。

『お待たせしました。 其方(そちら)の用意は出来ていますか?』

トスカナがやって来ると、愛想(あいそう)()く笑みを浮かべながら、シリウスに問い掛ける。

『問題無い』

シリウスが、淡々した口調(くちょう)で言い返すと、

『おいおい。 トスカナ。 こんな連中で大丈夫なのか?』

『そうだぜ。 こんな綺麗(きれい)所ばかりで』

『こんな軟弱(なんじゃく)そうな連中が護衛だって? 冗談(じょうだん)だろ?』

トスカナと共に姿を現した、(ぎょう)商人(しょうにん)と思われる男たちが、ロナード達を一目見て、口々にそう不満を漏らした。

 彼等の後ろからは、大量の荷物を乗せた馬車やラクダが(いく)つも並んでおり、それらを引く御者(ぎょしゃ)、ロナードたち以外にも(やと)われたと思われる、腕っ節の強そうな、強面(こわおもて)の大柄な男たちも数人居た。

 ロナードが想像していた以上の、大所帯(だいしょたい)だ。

『その辺は大目にみてくれ。 腕は悪く無さそうだから』

トスカナは、苦いを浮かべながら、他の商人たちに言った。

『……まあ、目の保養(ほよう)にはなるがね』

『せいぜい、他の傭兵たちの足を引っ張らない様に頑張(がんば)れよ。 美人さんたち』

商人たちはそう言うと、それぞれの馬車に乗り込んだ。

『済みませんね。 口は悪いですが、気は良い奴ばかりなんですよ』

トスカナは、苦笑い混じりに、申し訳なさそうにシリウスに言った。

(かま)わん。 人を見掛(みか)けだけで判断する奴など、何処(どこ)でも居る』

シリウスは、()っ気ない口調で、トスカナにそう言い返した。

『そうですよ。 お気になさらず』

ハニエルは、穏やかな()みを浮かべ、トスカナに言った。

有難(ありがと)御座(ござ)います。 では()馬車(ばしゃ)分乗(ぶんじょう)して下さいね』

シリウス達に、トスカナはそう言うと小走(こばし)りに、先頭の馬車へと駆け出す。

 こうして、ロナードたち一行を加え、トスカナがリーダーを(つと)めるキャラバンは、予定(よてい)通り、日が(のぼ)る前に町を出た。


 ロナード達を(ともな)ったキャラバン(たい)は、朝早くに町を出ると、トロイア王国へ向かう船が出ている港町(みなとまち)を目指して南下した。

『あ~。 やれやれ。 やっと水場(みずば)を見付けられたぜ』

『この所、雨が()って無いからなぁ。 なかなか見つからなかったもんな』

やっとの思いで水場(みずば)を発見した、ロナード達を乗せたキャラバンの者たちは、エレンツ帝国の公用語(こうようご)で口々にそう言いながら、(かわ)水筒(すいとう)片手(かたて)水場(みずば)へと近付く。

 その水場(みずば)は、草木(くさき)も何も無い、岩だらけの(ほとん)砂漠(さばく)に近い場所に突如(とつじょ)(あらわ)れ、このところ雨が降って居ないにも(かか)わらず、地下水(ちかすい)()いているのか、()き通った水を滾々(こんこん)(たた)えていた。

 不思議(ふしぎ)に思いつつも、セネトも(かわ)水筒(すいとう)を手に、一緒(いっしょ)に乗り合わせて居た傭兵(ようへい)たちと馬車から()りて、水場(みずば)に近付こうとすると、彼の側に居たロナードが急に彼の腕を(つか)み、水場(みずば)へ行くのを引き止める。

「? どうかしたか?」

セネトは、不思議(ふしぎ)そうな表情を浮かべ、ロナードに問い掛けた時、

(いそ)いで、そこから(はな)れて下さい!』

最後(さいこう)()()馬車(ばしゃ)に乗っていたハニエルが、水辺(みずべ)へ近付こうとしていた男たちに、そう叫びながら、シリウスと(とも)荷台(にだい)から飛び出して来た。

『えっ』

ハニエルの叫び声を聞き、水辺(みずべ)に居た男たちは、(おどろ)いて振りえった途端(とたん)、それまで(あふ)れんばかりに、水を(たた)えていた池がフッと消え、砂地(すなち)(あらわ)れ、男たちの足元があっという間に(くず)れ落ちた。

『うわあああっ!』

『た、た、助けてくれ!』

男達は、あっという間に、()鉢状(ばちじょう)(くぼ)んだ砂の中へと、引き()り込まれていく。

 その様子(ようす)を、少し離れた場所から、男たちと同様(どうよう)に水を()もうと池に近付いていた、別の傭兵(ようへい)たちや商人(しょうにん)たちが、何が起きたか理解(りかい)出来(でき)ず、呆然(ぼうぜん)と立ち()くしている。

「ロナード。 ハニエル! 水だ!」

ハニエルと(とも)に大剣を手に飛び出したシリウスが、とっさに叫ぶ。

「来るぞ!」

戸惑(とまど)うセネトと(とも)に、表情を(けわ)しくして様子(ようす)(うかが)って居たロナードが叫ぶと、()鉢状(ばちじょう)(くぼ)んだ砂の中から、(ゆう)に三メートルはありそうな、巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)姿(すがた)(あらわ)した。

『ひいいいっ!』

『ばっ、化け物だ!』

それを見て、近くに居た傭兵(ようへい)たちは(なさ)けない声を上げ、守らねばならない(はず)商人(しょうにん)たちを置いて、その場から一目散(いちもくさん)に逃げ出した。

「こんなの、有り得ないだろ……」

今までこれ(ほど)までに大きな魔物(まもの)を見た事が無かったセネトは、その場に立ち()くし、青い顔をして声を(ふる)わせている。

「ロナード、セネト。 手を()せ」

駆け寄って来たシリウスは、ロナードとセネトを背で(かば)う様にして巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)の前に立ち、そう言ってから、

(ほか)(やつ)はダークエルフを(さが)せ! 近くに居る(はず)だ!』

背中(せなか)越しに、呆然(ぼうぜん)として動けずに居た、傭兵(ようへい)たちに向かって叫ぶ。

 シリウスは、こんな手の込んだ事をするのは、幻術(げんじゅつ)得意(とくい)とする、ダークエルフと呼ばれる魔物(まもの)仕業(しわざ)だと()んだ様だ。

『あ、ああ!』

シリウスの声を聞いて、(ほか)傭兵(ようへい)たちはハッとして、彼にそう返事をすると、持って居た武器を手にする。

 そうして居る間に、巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)(とげ)の様に(とが)った背を向けると、無数(むすう)の棘が雨の様にキャラバンに向かって放たれた。

 放たれた(とげ)は、空気を(いきお)い良く切る音共に、キャラバンの()馬車(ばしゃ)のホロや(へり)天井(てんじょう)()(まど)御者(ぎょしゃ)商人(しょうにん)たちと傭兵(ようへい)たちにも、容赦(ようしゃ)なく降り掛る。

 突然(とつぜん)魔物(まもの)攻撃(こうげき)に、セネトはどうして良いのか分からずに立ち()くしていると、ロナードは彼の腕をグイッと(ひっ)()り倒すと、近くに()めていたホロ付きの馬車の下へ彼を引き()り込む様にして(すべ)り込んだ。

 (かん)(ぱつ)()かずに、彼が先程(さきほど)まで立って居た場所に、大人の腕位はあろうかと言う大きく(するど)(とが)った(とげ)無数(むすう)()()さった。

 それを()(あた)たりにして、ロナードがとっさに自分を馬車の下に引き()り込まなければ、串刺(くしざ)しになっていたと(さと)ると、セネトは顔を青くした。

「ここに居ろ」

ロナードは、自分の(かたわ)らにいたセネトに言うと、果敢(かかん)に馬車の下から()い出た。

「気を付けろよ!」

セネトはそう言って、ロナードを(おく)り出す事しか出来(でき)なかった。

『おい! 後ろ!』

近くに居た傭兵(ようへい)がとっさに、ロナードに向かって叫ぶ。

 殺気(さっき)を感じたロナードは素早(すばや)く後ろに飛び退()くと、そこには(はだ)の色は褐色(かっしょく)、目の色は真紅(しんく)(とが)った高い鼻、灰色(はいいろ)の長い髪に、黒いマントをした、(しわ)だらけの老婆(ろうば)の様な醜悪(しゅうあく)な顔に長い白い髪、背丈(せたけ)は一〇歳位の子供と同じくらいで、()れ枝の様に細い手足のナイフを手にした異形(いぎょう)の生き物が立っていた。

 突如(とつじょ)、音も無く自分たちの前に(あらわ)れ、自分たちに対して、殺意(さつい)()き出しの、この異形(いぎょう)姿(すがた)の生き物を見て、馬車の下に身を(かく)していたセネトは恐怖(きょうふ)でのあまり、青い顔をして身を(ふる)わせた。

『な、な、何なんだ! コイツ()!』

ダークエルフたちを初めて見るのか、近くにいた(ぎょう)商人(しょうにん)恐怖(きょうふ)で顔を引き()らせ、そう声を上げる。

『ダークエルフだ。 とても性悪(せいあく)連中(れんちゅう)だ。 命が()しければ(わたし)たちの側から、絶対(ぜったい)(はな)れるな』

シリウスは、落ち着いた口調(くちょう)でダークエルフと対峙(たいじ)したまま、恐怖(きょうふ)する(ぎょう)商人(しょうにん)に言った。

「気を付けろ」

シリウスは、ダークエルフの()ぐ近くに居るロナードに、そう言って注意を(うなが)した。

 ロナードは(うなず)き返すと、シリウスは(いきお)い良く地面を()り、ダークエルフに向かって剣を振り下ろすが、軽々と()けられてしまった。

 そして今度は、ダークエルフの方がシリウスに向かって、立て続けに攻撃(こうげき)()り出して来た。

 辺りに、金属(きんぞく)同士(どうし)(はげ)しくぶつかり合う音が(ひび)(わた)り、息付(いきつ)く間もなく細々と動き回るダークエルフに、シリウスは翻弄(ほんろう)され、()めあぐねていると、ダークエルフが次の動きへ(うつ)(ため)、ほんの一瞬(いっしゅん)、動きを止めた瞬間(しゅんかん)見逃(みのが)さず、ロナードが、ダークエルフの死角(しかく)から風の魔術(まじゅつ)見舞(みま)った。

 ダークエルフは、気色(きしょく)の悪い断末魔(だんまつま)を上げながら、跳躍(ちょうやく)しようとしていた所を、ロナードがとっさに繰り出した風の(やいば)に腹を()き切られ、魔物(まもの)特有(とくゆう)の紫色の血を()()らしながら、数メートル後ろにドサッと力なく(ころ)がった。

「すまん」

シリウスは()ぐに、魔術(まじゅつ)であっさりとダークエルフを(たお)したロナードに短く(れい)()べると、彼は(だま)って、コクと(うなず)き返す。

「よし。 次はあのデカ物だ」

周りにダークエルフが居ないと確認したシリウスは、ロナード達に向かってそう言った瞬間(しゅんかん)彼等(かれら)から少し(はな)れた()馬車(ばしゃ)が、音を立てて大きく()れた。

 三人は(おどろ)いて振り返る。

 見ると、巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)()り出したと思われる、大人の男の(うで)(ほど)の大きさはある、大きな(とげ)()馬車(ばしゃ)のホロや淵に無数(むすう)()さっており、()馬車(ばしゃ)滅茶苦茶(めちゃくちゃ)になっていた。

 彼等(かれら)は、()馬車(ばしゃ)(かく)れる様な位置に居たので(なん)()れる事が出来たが……。

 それを見て、近くに居た商人(しょうにん)傭兵(ようへい)たちは思わず、顔から血の気が引き、恐怖(きょうふ)で顔を引き()らせる。

 このままでは全員が、(あり)地獄(じごく)が繰り出した巨大(きょだい)な針で串刺(くしざ)しになってしまう。

 身を震わせていたセネトは意を決し、(かく)れていた馬車の下から()い出ると、

「水があれば、良いんだよな?」

真剣(しんけん)面持(おもも)ちで、自分の前に立って居たロナード達にそう言った。

「言って置くが、水筒(すいとう)(みず)程度(ていど)では話にならんぞ。 アイツが砂の中に(もぐ)り込めなくなる程の量の水だぞ?」

シリウスは、淡々とした口調(くちょう)で、巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)指差(ゆびさ)しながら、セネトに言った。

「まあ、見て居ろ。 シリウス。 援護(えんご)をしろ」

セネトは不敵(ふてき)な表情を浮かべながら言うと、(こし)に下げていたポシェットの中から、(てのひら)(ほど)球体(きゅうたい)を取り出す。

 シリウスを(おとり)にして、セネトは巨大(きょだい)な蟻地獄との距離(きょり)をある程度(ていど)()めると、何を思ったのか、持っていた球体(きゅうたい)を思い切り巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)に向かって()げ付けた。

 それは、巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)の体に当たると、(はじ)ける様にいきなり、大量の水が鉄砲(てっぽう)(みず)の様に(あふ)れ出て来て、巨大(きょだい)(いり)地獄(じごく)を飲み込んだ。

()道具(どうぐ)か」

それを見たシリウスが、落ち着いた口調(くちょう)(つぶや)く。

「これで、(すな)の中には(もぐ)れなくはなりましたが……」

巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)の足元の、水分を(ふく)んだ(すな)を見ながら、表情を(けわ)しくしたまま(つぶや)く。

 問題は、この巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)をどうやって(たお)すかだ。

 シリウスやハニエルが、巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)を前にして()めあぐねいていると……。

(ぬし)(さま)……”

(だれ)かが、ロナードの頭に、直接(ちょくせつ)(かた)り掛けてきた。

 ロナードはハッとした表情を浮かべる。

「どうした?」

ハッとした顔をしたロナードに、シリウスが不思議(ふしぎ)そうに声を掛けた。

(かみなり)なら、()くんじゃないのか?」

ロナードは、真剣(しんけん)面持(おもも)ちでシリウスに言うと、

「そうかも知れんが……」

シリウスは、戸惑(とまど)いの表情を浮かべながら答える。

「やってみる」

ロナードは真剣(しんけん)な表情を浮かべたまま言うと、何やら不思議(ふしぎ)な言葉を口遊(くちずさ)みはじめた。

「来い。 ケツァール!」

そう呟くと、彼の足元に金色に(かがや)魔法陣(まほうじん)が浮かび上がった。

 それを見た近くに居た傭兵(ようへい)(ぎょう)商人(しょうにん)たちは、(そろ)って(おどろ)きと戸惑(とまど)いが入り()じった表情を浮かべ、ロナードを見る。

 全身は光沢(こうたく)のある濃いエメラルドグリーン、尾羽(おばね)(ちか)くの(はね)の色は黒、腹部(ふくぶ)(あざ)やかな赤、黄色い曲がった(くちばし)、美しく長い(かざ)り羽を持った、(ゆう)に三メートルはあろうかと言う(ほど)とても(あで)やかな、巨大(きょだい)な、これまで見た事も無い不思議(ふしぎ)な鳥が姿(すがた)(あらわ)した。

 先程(さきほど)の大量の水鉄砲(みずでっぽう)で、サラサラの砂だった(はず)が水気を()びてしまい、()の中に身を隠す事が出来(でき)なくなった巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)は、その全貌(ぜんぼう)(あら)わにしていた。

 砂と同色の()いベージュ色の全身、蜘蛛(くも)の様な六本の足、()(あな)に落ちた(あり)(とら)える(ため)に、大きく発達(はったつ)したハサミを有した頭部、ハリネズミの様なデコボコの背……。

 巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)()の中に(かく)れる事が出来(でき)なくなっても、(まった)戦意(せんい)喪失(そうしつ)しておらず、(ふたた)背中(せなか)(とげ)をロナード達に見舞(みま)おうとしている。

「ケツァール!」

巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)が、三度(みたび)攻撃(こうげき)して来る気配(けはい)を感じたロナードは、表情を(けわ)しくし、自分が呼び出した(げん)(じゅう)の名を叫んだ。

 (かん)(ぱつ)()かずに、ロナードが召喚(しょうかん)したケツァールが、巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)背面(はいめん)に向かって、巨大(きょだい)な電気の(おび)を放った。

 巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)は、それをまともに食らい、全身から白い(けむり)を上げながら、体を(はげ)しく痙攣(けいれん)させている。

『おお!』

『すげぇ!』

その様子(ようす)を、()馬車(ばしゃ)などの物陰(ものかげ)から見ていた、商人(しょうにん)御者(ぎょしゃ)、そして傭兵(ようへい)たちは、(そろ)って嬉々とした声を上げる。

 トスカナも、あまりに予想(よそう)(がい)光景(こうけい)にポカンと口を開け、ロナードを凝視(ぎょうし)している。

 そこに、シリウスが間を置かず、倒れ込んだ巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)の頭部に、持っていた武器を思い切り振り下ろす。

 巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)は、断末魔(だんまつま)を上げながら、頭を激しく振り、魔物(まもの)独特(どくとく)の紫色の血を飛び()らしながら(あば)れ回る。

「兄上!」

シリウスに向かって、ロナードが叫ぶと、シリウスは、巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)の頭を思い切り()り、素早(すばや)く数メートル後ろへ後ろに飛び退()く。

 すると、ケツァールから(とど)めの電撃(でんげき)が放たれ、(かみなり)をまともに食らった巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)は、体を(はげ)しく痙攣(けいれん)させ、全身から白い(けむり)を上げ、(くろ)()げて、全く動かなくなってしまった。

 周囲(しゅうい)には、虫が焼き()げた様な(にお)いが立ち込める。

『うほほ! やっつけたぞ!』

『やった! やった!』

それを見て、巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)を倒した当人(とうにん)たち以上に、(はな)れた場所から、固唾(かたず)()んで見守って居た、商人(しょうにん)御者(ぎょしゃ)たちが、嬉々(きき)とした声を上げ、お(たが)いに()きあう。

 ロナードは、ホッとした表情を浮かべ、召喚(しょうかん)した(げん)(じゅう)を引っ込めると、(つか)れてその場にペタンと座り込むと、そこへシリウスとハニエル、セネトが駆け寄って来て、三人(さんにん)(さん)(よう)に彼に()き付いたり、頭を思い切りワシャワシャと()で回す。


『いやー。 あの巨大(きょだい)(あり)地獄(じごく)を見た時は、どうなるかと思いましたが、あなた方が居てくれたお(かげ)で、窮地(きゅうち)(だっ)する事が出来(でき)ました』

トスカナは、嬉々(きき)とした表情を浮かべ、シリウス達に(れい)()べる。

『まあ、当然(とうぜん)と言えば、当然(とうぜん)だな』

野営(やえい)をする事となり、シリウスが、商人(しょうにん)たちが(すす)める酒を(あお)りながら、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で言った。

 彼は、もう随分(ずいぶん)と飲んでいる(はず)だが、顔色(かおいろ)(ひと)つ変えず、まるで水でも飲むかの様な、見事な飲みっ振りだ。

『それにしても、幻術(げんじゅつ)で池を作り、(あり)地獄(じごく)()(あな)(かく)して我々を待ち()せするなど、魔物(まもの)にしては随分(ずいぶん)と手の込んだ事をするんだな』

傭兵(ようへい)たちの一人が、豪快(ごうかい)に酒を(あお)りつつ、神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで言った。

魔物(まもの)たちの(ねら)いは積荷(つみに)でしょう。 積荷(つみに)の中には、希少(きしょう)な武具や魔道(まどう)道具(どうぐ)もありますから』

トスカナが、深刻(しんこく)面持(おもも)ちで語る。

(なる)(ほど)。 ダークエルフは、そう言った物には、目が無いですからね』

ハニエルが、『納得(なっとく)』と言った様で(つぶや)く。

『それにしても、(すご)いですね。 え――っと……』

トスカナは、そう言いながら、シリウスの肩に(もた)れ掛る様にして、魔力(まりょく)を使って(つか)れて爆睡(ばくすい)しているロナードを見る。

 どうやらトスカナは移動中(いどうちゅう)(あつ)さに(まい)って、何時(いつ)も大人しかったロナードの名を記憶(きおく)して無かった様だ。

『ロナードだ』

シリウスが、淡々(たんたん)とした口調(くちょう)で、トスカナに言い返すと、

『そうそう。 ロナード君。 (すご)いですね! あまり(しゃべ)らない、(ひか)えめな子だと思って居ましたが、(たたか)いになると別人ですね。 本当に(おどろ)きですよ!』

トスカナがそう言うと、ハニエルは苦笑(にがわら)いを浮かべ、

『彼は、北半球(きたはんきゅう)の出身なので、ただ(たん)に、帝国の言葉を良く話せないので、(しゃべ)らないだけですよ』

『そうなのですか? そう言えば、彼と話す時は、あなた方はランティアナの言葉で話していましたね』

トスカナは、苦笑(にがわら)いを浮かべながら、ハニエルに言い返す。

『ええ。 (きゅう)にエレンツ帝国へ行く事になり、あまり、言葉を勉強する(ひま)が持てなかったので……』

ハニエルが、(おだ)やかな()みを浮かべながら、トスカナに事情(じじょう)を語ると、

『でしたら、私共(わたくしども)が教えますよ』

彼は、自分の胸元(むなもと)片手(かたて)()え、ニッコリと笑みを浮かべながら言う。

有難(ありがと)御座(ござ)います』

ハニエルも、ニッコリと笑みを浮かべながら言うと、

『お安い御用(ごよう)です。 (わたし)たちも何かする事がある方が、楽しいですからね』

トスカナは、()みを浮かべたまま言った。

 その後も、焚火(たきび)(かこ)みながらシリウスとハニエルは、トスカナたち商人(しょうにん)と、その護衛(ごえい)傭兵(ようへい)たちと(とも)(よる)(おそ)くまで飲み明かした。

 しかし、その多くが、酒を水の様に飲む、酒豪(しゅごう)のシリウスに付き合ったが(ため)に、翌日(よくじつ)(ひど)二日酔(ふつかよ)いに(さいな)まれる事となる。

《お知らせ》

毎週月曜 朝7時に次話を更新していきます。

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