遥かなる地へ
主な登場人物
ロナード…召喚術と言う稀有な術を扱えるが故に、その力を我が物にしようと企んだ、嘗ての師匠に『隷属』の呪いを掛けられている。 その呪いを解く為、エレンツ帝国を目指している。 漆黒の髪に紫色の双眸が特徴的な美青年。 十七歳。
セネト…エレンツ帝国の皇子。 とある事情から逃れる為、シリウスたちと行動を共にしている。 補助魔術を得意とする魔術師。 フワリとした癖のある黒髪に琥珀色の大きな瞳が特徴的な可愛らしい少年。
シリウス…ロナードの生き別れていた兄。 自身は大剣を自在に操る剣士だが、『封魔眼』と言う、見た相手の魔術の使用を封じる、特殊な瞳を持っている。 長めの金髪に紫色の双眸を持つ美丈夫。 二二歳。
ハニエル…傭兵業をしているシリウスの相棒で鷺族と呼ばれている両翼人。 治癒魔術と薬草学を得意としている。 白銀の長髪と紫色の双眸を有している。 物凄い美青年なのだが、笑顔を浮かべながらサラリと毒を吐く。
眼前に延々と広がる濃い青色、澄み渡った青空に白い雲、潮風に吹かれかれながら、名の知らぬ白い海鳥が翼を広げて自分たちの目線と同じくらいの場所で揺れている。
少し強い海風が、潮の香りを運んで来て、船底に波が打ち付ける音が聞こえて来る……。
時間が経つにつれ、少しずつジリジリと肌を焼く様な日差しの下、とある旅客船の甲板の上に彼は居た。
「うえええっ……」
突如、雰囲気をぶち壊す、酷い声が彼の耳に届く……。
声の主は、船の縁に掴まり、今朝食べたばかりの物を海へとぶち撒けている。
これで、何回目だろうか……。
「……最悪だ」
肩くらいの長さの少し長めのショートカットのフワッとした癖のある黒髪、琥珀色の大きな瞳が印象的な、少し日に焼けた赤銅色しょの肌を持つ小柄な少年が、真っ青な顔をして呟いている。
「こんなに波が高くなるとは、思いませんでした」
柔らかな、春の小川を想わせる、美しい銀色の長い髪を背中に流した、長身で細身、肌は陶器の様に白く滑らかで、柔和な面差し、瞳の色は、穏やかなスミレ色で、薄紫色)のサーコートを着ており、人間離れした、洗練された美しさを漂わせる、目の覚める様な美青年が苦笑い混じりに言いながら、酷い船酔いに悩まされ、苦しそうにしている黒髪の小柄な少年の背中を摩りながら言う。
「お前は、大丈夫か?」
夏の日差しを想わせるオレンジ掛った金色の長めの髪に、深い紫色の双眸、少し日に焼けた薄い赤銅色の肌、長身でガッチリとした肩に、引き締まった筋肉質な体付き、キリッとした精悍な顔立ち、二十代半ばと思われる、赤色の袖なしのハイネック、黒色のジーンズに焦げ茶色のブーツと言う出で立ちの若者が、側に居る少し長めの、癖の無いサラリとした、闇夜を想わせる深い漆黒の髪の青年に問い掛けた。
背丈は、一八〇センチはあると思われる長身で、スラリとした細身、ごく薄い赤銅色の肌、鼻筋がスッと通った、深い紫色の双眸が印象的な、オペラ座に出て来る女優の様に眉目秀麗の青年で、今は涼しい顔をして景色を楽しんでいた。
「さっきよりは……」
彼は、隣で凄まじい顔をしている、黒髪の小柄な少年に気の毒そうな視線を向けつつ、苦笑い混じりにそう答えた。
初めての船旅に喜んでいたが、直ぐに彼は、船旅の洗礼を受けた。
生まれて初めての船酔い……。
あまりに苦しくて、その日の夕食は喉を通らなかった。
そうして、何日か船酔いに悩まされていたが、この最近は慣れて来たのか、前よりも酷くなくなってはきた……。
ただ……今日は確かに波が荒く、船が何時もよりも揺れる。
「横になりましょう……」
白銀の髪の青年は、優しい口調で黒髪の小柄の少年に声を掛けると、彼は頷き返す。
遡ること、数か月前の話だ。
彼……いや彼女は、望まぬ婚約を親に強いられそうになっていた。
王侯貴族の娘として生まれ落ちた時から、女たちはその家の『商品』と言っても良い。
一族の繁栄や権力、財力……他にも様々な理由で、彼女たちは『結婚』と言う名目で、一族にとって有益な相手の下へと嫁がされる。
そこには、彼女たちの想いなど一切、関係ない。
親や一族の長に命じられた相手と結婚し、その相手との間の子を産む事により、両家の繁栄と安泰に寄与する。
それが、この世界の、この時代の、多くの女たちに課せられた運命。
男並み、若しくはそれ以上の才覚や教養……そんなモノは無用だと見做され、女たちは、男たちにより従順で、より美しくあれば良いとされてきた。
淑女教育なるものを学んでいく内に、やはり、この世界は生き辛いと感じる様になっていた。
加えて、彼女の実母は正妻であったが、彼女が幼い頃に亡くなり、その後も祖父、伯父と次々と亡くなり、彼女と彼女の兄は後ろ盾を失い、自身と妹の身命を守る為、兄は皇太子の座を退き、帝位継承権も放棄して、ガイア神教の聖騎士になった。
今回の婚約も、貴族の子弟の様に剣術や馬術を習い、淑女教育をさぼり、魔道具研究や開発に勤しんでいる彼女の事を疎ましく思っている、第一側妃たちが言い出したにちがいなかった。
何時だって、怪訝な顔をして、彼女に文句を言って来るのは、古い価値観に囚われ、頭の堅い年を取った侍女や執事、己の頭で考える事を放棄してしまっている、馬鹿な兄姉たち、そして、彼女の事を道具程度にしか思っていない父と、彼女の実母を目の敵にしていた第一側妃だった。
彼女の父は、国で絶大な力を持つ皇帝だ。
だから、父に逆らう事は愚かな事で、従う事が正しいのだと、多くの者が思って居る。
彼女自身も、母を失い、兄が聖騎士となって宮廷を去り、一人宮廷に残った時から、父の逆鱗に触れぬ様に心掛けていたのだが、流石に、今回の婚約の話だけは、我慢ならなかった。
彼女の婚約者は、古い価値観に縛られた、典型的な男尊女卑の侯爵家の跡取り。
他に男の兄弟が居らず、侯爵家の跡取りとして甘やかされて育った所為で、、社交界でも知れ渡っている程に素行の悪い男で、おまけに、頭も顔も残念だった。
こんな、女性を男性の付属品程度にしか思っていない、彼女と相容れない価値観と、人として尊敬出来る点が何一つ見つからない、残念過ぎる男の妻など、死んでもなりたくはなかった。
彼女は一大決心をし、婚約式の前日、帝国では女性の象徴とも言える、長い黒髪を自ら、その辺にあったハサミで無残に切り落とし、少年の格好をして家出をした。
とは言え、宮廷から殆ど出た事が無い、世間知らずな姫が家出をしたところで、直に詰むことは分かり切っていたので、兄の友人であるシリウスを頼る事にした。
そうして、弟を迎えに行こうとしていたシリウスと、その恋人であるハニエルの旅路に、強引にくっついて行き、何カ月も船に揺られ、北半球の中央にある大陸の南部に位置するルオン王国に辿り着き、目的の相手を回収)し、今は、彼女たちの国であるエレンツ帝国へ戻る船の中と言う訳である。
そして只今、絶賛、船酔い中……。
「ぎもぢわるい……」
近くにあったソファーの上に倒れ込み、彼女は青い顔をして呟く。
「全部吐いてしまった方が、楽になるかもしれない」
黒髪の青年は身を屈め、ソファーの上に横になっている、彼女の背中を摩りながら言う。
彼は、自分だって、少し前まで船酔いに苛まれ、青い顔をしていたと言うのに、何事に対しても、冷ややかな兄の友人である金髪の青年と異なり、本当に同じ親から生まれたのかと思いたくなる程、何かと優しい青年だ。
「今、吐いたら、さっき私が煎じた薬も、一緒に出てしまいますよ。 ロナード」
白銀の髪の青年ハニエルが、苦笑いを浮かべながら、黒髪の青年ロナードにそう指摘すると、
「ああ……そうか」
彼は、思わずそう呟く。
何時もは冷静沈着な彼も、彼女が酷い船酔いに苦しみ、今朝から食事が取れずに元気がないので、気が気では無い様だ。
「陸が恋しい……」
彼女は、ボソリとそう呟く。
「そう仰られても……あと一週間は船に乗っていなければ、イルネップ王国には着かないですよ」
ハニエルは、困った様な表情を浮かべながら返す。
「一週間も……」
それを聞いて、ロナードも、ゲンナリとした表情を浮かべながら呟く。
「酔い止めの薬は、足りそうか?」
金髪の青年シリウスは、真剣な面持ちで、ハニエルに問い掛ける。
「何とか……」
ハニエルは、落ち着いた口調で返す。
こんなハイスペックな男性三人と一緒に旅をしているなど、世間の女性たちから羨ましがられる構図だが、今の彼女には、そんな事はどうでも良かった。
そもそも、シリウスとハニエルは恋人関係だし、ロナードは、彼女が女性である事すら知らないのだから。
傍から見れば、男四人で旅をしている様に見えているに違いない。
それは別に良い。
問題なのは、今直ぐにこの酷い船酔いをどうにかしたいと言う事と、帝国に帰ってからの事だ。
勢い良く家を飛び出したのは良い。
だが、きっと父は勿論、彼女の婚約者やその家族、そして第一側妃や周囲の者たちに、寄って集って責め立てられるだろう。
恐らく、婚約式の前日に逃走を図った事により、今回の相手との婚約の話は無かった事になるだろうが、だからと言って、彼女が今後、望まぬ相手と結婚をしなくて済む訳ではない。
ほとぼりが冷めればまた、父親や第一側妃たちは彼女に婚約の話を持ち掛けるに決まっている。
しかも、今回の相手よりも、もっと悪い条件になっている可能性が高い。
最悪、帝国の植民地となっている、幾つかある国の権力者の下へ嫁がされる可能性もある。
父を除いて、唯一の肉親である大好きな兄に、会う事が難しくなる事は避けたい。
だからと言って今回、婚約の話が出ていた相手に頭を下げて、婚約して貰うのも嫌過ぎるし、例え、彼女の謝罪が受け入れられ、結婚出来たとしても、あのクズ男と、その家族から、真面に扱われる訳が無い。
そんな事を考えていると、益々、具合が悪くなる一方だ。
(何か……。 父上は勿論、周りが黙る様な手は無いだろうか)
セネトは、酷い吐き気に見舞われながら、その様な事を思慮していたが、その内、ハニエルが煎じた酔い止めの薬が効いて来て、ウトウトしはじめた時、廊下の方からバタバタと足音がして来て、この部屋の扉の前で止まった。
彼らが使っている部屋は、貴族たちが主に使う一番高い客室が並んでいる階で、その中でも、この部屋は突き当りにあり、滅多に人は近付かない。
何だろうかと、シリウスとハニエルが思って居たところ、部屋の扉をノックされた。
「何方……ですか?」
ハニエルが、戸惑いながら返事をすると、
「アンタたち傭兵だろ? 済まないが、手を貸してくれ!」
扉を開けるなり、ハニエル達に向かって、船員が息を切らせ、酷く焦った様子で言って来た。
「何があったのですか?」
ハニエルが、穏やかな口調で、焦っている様子の船員に尋ねると、
「海賊が迫って来ているんだ!」
船員が、表情を険しくして言うと、シリウスは、深々と溜息をつきながら、
「……仕方が無いな。 礼金は弾んで貰うぞ」
シリウスはそう言うと、自分が座っていた椅子に立て掛けてあった、自分背丈くらいはあろうかと言う、大きな剣を背負うと、ゆっくりとした足取りで、部屋へ出る。
「どうかしたのか?」
騒がしさに目を覚ましたセネトが、のっそりと身を起こしながら、ずっと側に居て、自分の背中を摩ってくれていたロナードに問い掛ける。
「海賊らしい」
ロナードは、落ち着いた口調で答える。
「貴方たちは、ここに居て下さい」
先に部屋を出たシリウスに続いて、部屋から出ようとしたハニエルは、少し戸惑って居る二人に向かって言った。
「あ、ああ……」
セネトは、戸惑いながら返事をすると、二人は船員と共に、ロナードとセネトを部屋に残して、急いで甲板の方へと駈け出した。
(海賊って……あの海賊か?)
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら、心の中で呟く。
「おい。 お前も具合が悪いのだから、二人に任せてここに居ろ」
ロナードの様子を見て、何かを察したセネトは、表情を険しくして言う。
「しかし……」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら言って居ると、船が大きく揺れた。
「くそ……。 海賊が船に横付けして来たのかも……」
セネトは、忌々し気に呟くと、それを聞いてロナードは咄嗟に、側に置いてあった自分の剣を手に取り、立ち上がった。
「あ、おい!」
それを見て、慌てて制止をするセネトの声を無視して、ロナードは部屋から駆け出した。
(全く。 アイツは!)
それを見たセネトは、呆れた表情を浮かべながら、心の中で呟くと、急いでソファーから立ち上がり、彼の後を追って部屋を出た。
甲板に出ると、一隻の海賊船が、彼等が乗っている旅客船に横づけしており、その船から梯子が渡され、武器を手にした、柄の悪そうな男たちが、次々とこの船へ移って来ていて、その状況に乗客たちが逃げ惑っている。
自分が想像していた以上にカオスな状況に、ロナードは戸惑い、その場に立ち尽くす。
このままでは、自分たちを含め、この船に乗っている者たち全員が危険だと言う事は、瞬時に理解した。
戦うべきだ。
彼の中の本能がそう言っている。
「くそっ! 海賊に備えて、最新鋭の大砲を積んでたって言うのによ。 何の役にも立たなかったじゃねぇか!」
船へ乗り込んで来る、海賊たちを見ながら、船員と思われる男が、悔しそうに叫んでいた。
(どう言う事だ?)
ロナードは、そう思いながらも、シリウス達の姿を探す。
「おい兄ちゃん。 こんな所に居ちゃ殺されるぞ」
船員の一人が、彼に気付くと、表情を険しくして、そう声を掛けて来た。
そんな船員の目の前でロナードは、こちらへ逃れようとしていた、貴婦人に襲い掛かろうと、武器を振りかざした海賊を一刀両断にした。
「な、な、何なんだよオメェ……」
ロナードに返り討ちにされ、甲板の上に倒れ、肩から血を流している海賊は、恐怖に顔を引きつらせながら言っているところに、ロナードは容赦なくその海賊の顔面に蹴りを見舞った。
ロナードの蹴りを真面に食らった海賊は、白目をむいて、そのまま床に上に派手な音を立てて倒れ込んだ。
それを間近で見ていた船員と乗客たちは思わず、ぽかんと口を空けて立ち尽くす。
「早く逃げろ」
ロナードは、戸惑う貴婦人に落ち着き払った口調で言うと、自分に向かって来た別の海賊の剣を避けると、その腕を叩き斬る。
「見てないで、手を貸せ!」
近くで、呆然と立ち尽くしていた船員に向かって、ロナードが怒鳴り付けると、船員はハッとする。
そして、自分の側で恐怖に腰を抜かし、立てなくなっている貴婦人に手を差し出し、彼女を立ち上がらせると、他の乗客たちと共に、避難する様に促した。
(思ったよりも多いな……。 何か良い手は……)
彼は、次々と海賊船から梯子を伝い、彼等が居る旅客船に乗り込んで来る、海賊たちを見ながら、心の中で呟く。
すると一瞬、彼の脳裏に風のイメージが過った……。
(そうだ……。 風……風の刃で梯子を叩き落とせば、海賊たちは此方へは渡って来られなくなる)
ロナードは、海賊たちが船同士の間に掛けている梯子を見ながら、不意に心の中で呟くと、彼は徐に片方の手を翳す。
(先に、コイツ等の動きを封じておくか)
ロナードは冷静に心の中で呟くと、突然、彼の周囲に緑色の風が巻き起こり、彼に襲い掛かろうとした、周りに居た海賊たちがバタバタと倒れる。
どうやら、海賊たちは皆、物凄い睡魔に見舞われ、眠ってしまったのを見て、近くに居た人々は驚き、思わずロナードに目を向ける。
「なっ……風の魔術? ……いや……これは『シルフ』?」
突然、海賊たちがバタバタと倒れたのを見て、ハニエルが驚愕の表情を浮かべ、思わず後ろを振り返った。
そこには、部屋に居る筈のロナードが居たので、
「ロナード! 何をしているのですか! 部屋に居ろと……」
ハニエルは、慌てた様子でロナードの下に駆け寄りながら、そう声を掛けていると、
「ハニエル!」
ロナードの鋭い声がして、彼は咄嗟にハニエルを横へ突き飛ばし、彼の後ろから、切り付けようとした海賊の剣を自分が持っていた剣で防ぐ。
そして、相手の腹を思いっ切り蹴飛ばし、相手が体勢を崩した拍子に、彼は鋭く、相手の腕を切り飛ばし、振り向きざまに別の海賊の首を撥ねる。
(しまった。 咄嗟に……)
ロナードは、目の前で相手の首が飛び、夥しい血が噴き出したのを見て、自分が咄嗟にしでかした事に、思わず血の気が引いて、心の中で呟いた。
甲板の上に無残に転がった相手の首を見て、苦々しい表情を浮かべる。
背中に何とも言い難い、冷たい汗が流れ落ちて来る……。
何度見ても、慣れる事のない光景と、湧き上がって来る、人を殺めてしまった事に対する罪悪感……。
「大丈夫ですか?」
青い顔をして固まって居る彼に、立ち上がって近付いてきたハニエルがそう声を掛けると、彼はビクッと身を強張らせる。
剣を握り締めているロナードのその手は、酷く震えていた。
(マズイですね。 人を斬り殺した事に動揺している)
それを見たハニエルは、心の中でそう呟くと、ロナードを背で庇いつつ、向かって来る海賊たちを魔術で次々と吹き飛ばす。
「おい! ボサッとするな!」
不意に背後から声がしたので、ハニエルは思わず振り返る。
「殿下まで……」
ロナードに声を掛けて来た相手が、セネトだと分かった途端、ハニエルはゲンナリとした表情を浮かべ、呟いた。
(どうしてこの子たちは、言われた事を守れないのでしょう……)
ハニエルは、ゲンナリとした表情を浮かべたまま、ロナードとセネトを見ながら、心の中で呟いた。
「シリウスは、お前たちを放って何やっている?」
セネトは、ゲンナリした顔をしているハニエルにそう問い掛ける。
「貴方まで、この様な場所に出て来ては駄目ですよ!」
ハニエルは、困り果てた表情を浮かべながら、自分たちの言う事をちっとも聞かないセネトに言う。
「こんな雑魚に、僕が後れを取るとでも?」
セネトは、不敵な笑みを浮かべながら、ハニエルに言い返すと、彼はゲンナリとした表情を浮かべ、片手を額に添え、特大の溜息を付き、
「そう言う問題では……」
「それより、どうした?」
セネトは、自分の傍らに立っているロナードが、真っ青な顔をして立ち尽くしている事に気付き、ハニエルに問い掛ける。
「あれです……」
ハニエルは、複雑な表情を浮かべながら、自分から少し離はな)れた所で、首を切り落とされ、夥しい血を流し、甲板の上に転がっている海賊の亡骸を指差し、
「私を助けようとして、誤って……」
ハニエルは、沈痛な表情を浮かべ、重々しい口調で語る。
「ああ……」
海賊の死体と、ハニエルの説明を聞いて、セネトは全てを理解した。
ロナードは十代前半から、傭兵として身を立てていた。
だから、こう言った荒事には慣れてはいるのだが、どうしても、慣れない事と言うか……寧ろ、トラウマになってしまっている事がある。
それは、人を殺す事だ。
傭兵という仕事柄、命を奪い合う現場に駆り出される事も多々あった筈で、彼自身も生き残る為に、相手の命を奪う事はあっただろう。
傭兵という仕事を長くしていると、多くの者たちは感情が麻痺して、命を奪う事に何の感覚)も抱かなくなるらしいが、ロナードの場合は逆だった。
己が生きる為に命を奪う事に、強い罪悪感を抱き、その事で徐々に精神が蝕まれ、重篤なうつ状態になり、遂には自殺未遂までしている。
今は、普通に生活を送る分には支障が無い程に回復しているのだが、こう言う武器を手に戦う事態になった時、毎回ではないのだが、何かの拍子に辛かった出来事を思い出してしまい、こんな風に動けなくなってしまう。
だからと言って、剣を捨て、戦いのない平穏な日々を送ると言うのも、彼の場合はなかなか難しそうなのだ。
彼を見ていると、人と言うのは常に、自分の中で幾つもの矛盾を抱えて生きているのだと、セネトは強く感じる。
「お前の所為じゃない」
セネトは、動揺して震えているロナードの手をそっと掴むと、優しい口調でそう声を掛けた。
「セネト……」
ロナードは、セネトの声にハッとした様な顔をして、彼の方へと振り返り、そう呟いた。
(もう大丈夫だ)
セネトは、自分を見たロナードの瞳から、先程まで浮かんでいた動揺の色がフッと消えて、何時もの落ち着いた眼差しに戻ったのを見て、心の中で呟く。
「済まない」
ロナードは、凛々しい顔付きになると、落ち着いた口調で、自分を気遣い、声を掛けてくれたセネトに言うと、持っていた剣を握りしめ、自分たちに向かって来る海賊たちを静かに見据える。
戦いの時、彼がこう言う顔付きになると、もはや、自分たちが負ける事など有り得ない。
シリウス程では無いにしろ剣を使え、攻撃系の魔術を得意とする彼は、ほぼ無敵と言っても良い。
(さあ。 僕も本気を出すかな)
セネトは、心の中でそう呟くと、チラリと海賊たちが乗って来た船へと目を向ける。
「ハニエル! ユリアス!」
不意に、聞き慣れた声がしたので、セネトたちは振り返る。
シリウスが、自分たちの後ろから切り掛かろうとした海賊たちを、手にしていた大剣を軽々と振り回すと彼等を蹴散らしていく。
「ば、ば、化け物っ!」
辛うじて即死を免れた海賊が、甲板の上で悶えつつ、大剣を軽々と振るうシリウスを見上げ、恐怖に顔を引きつらせながら叫ぶ。
「ふん。 貴様らが、軟弱なだけだ」
シリウスは、冷やかな口調で言うと、デカイ大剣を振るい、別の海賊を叩き斬った。
気が付けば、物凄い数の海賊が乗り込んで来た筈なのに、その多くが絶命し、生き残った者も、呻き声を上げながら、甲板の上に転がっていた。
しかも、海賊たちが乗って来た船は火達磨になっており、船に乗って居た海賊たちは慌てて海へ飛び込んでいた。
「ちょっと船に火を付けてやったら、あの様だ。 滑稽だな」
セネトが、火が付いた船の上を逃げまどっている海賊たちを見ながら、可笑しそうに言う。
(容赦ないな……)
ロナードは、乗って来た自分たちの船に火を付けられ、右往左往としている海賊たちに、気の毒そうな視線を向けつつ、心の中で呟いた。
「大体、僕だけ仲間外れだなんて、酷いじゃないか。 お前たち」
セネトは、不満に満ちた表情を浮かべ、口を尖らせながら言う。
「いや、別に……そう言う意図は……」
セネトの発言に、ロナードは困った様な表情を浮かべながら言う一方で、
「何を仰って! 御身に何かあったらどうなさるのですか!」
ハニエルは、かなり怒っている様で、強い口調でセネトを叱り付ける。
「心配性だなハニ……」
セネトが苦笑いを浮かべながら言って居ると、背後から物凄く禍々しい気配を感じ、彼は恐怖に顔を引きつらせつつも、恐る恐る振り返ると、そこにはシリウスが鬼の様な物凄い形相で立っていた。
「部屋に居ろと……言った筈だが?」
ドスの利いた低い声で、唸る様にセネトに言いながら、凄んできた。
「ひっ……」
シリウスの表情を見て、セネトは思わず表情を引きつらせ、情けない声を上げる。
「お前もだ。 ユリアス」
シリアスは、怒りの形相でロナードに向って言う。
「あー……。 えっと……これはその……」
ロナードは、焦りの表情を浮かべ、口籠らせながら言って居ると、
「この悪ガキ共がっ! 海賊を何だと……」
シリウスは怒りの形相でそう言うと、ロナードをヒョイと片手で肩に担ぎ上げ、もう片方の手でセネトを軽々と小脇に抱える。
「ちょっ。 シリウス! 何をするんだ! 下ろせ!」
「止めてくれ! 恥ずかし過ぎる!」
シリウスに抱えられた二人は、焦りと恥ずかしさに顔を赤らめながら、口々に抗議をするが、完全に無視をされ、部屋へと連行されていった。
「お前の所為だぞ!」
セネトは恨めしそうに、テーブルを挟んで向かいのソファーに座っているロナードに言った。
あの後、セネトとロナードは部屋に連れ戻されるなり、揃って、シリウスに特大の雷を落とされ、こっ酷く説教されたのだ。
「済まない……」
ロナードは、叱られた子犬の様な表情を浮かべ、長身な身体を小さくして、怒っているセネトに素直に謝る。
「大体、シリウスが化け物染みた強さなのは、お前だって良く知っているだろう?」
セネトは、特大の溜息ためいき)を付くと、呆れた表情を浮かべながら言う。
「いや、シリウスは心配してなかった。 あの人は殺したって、死ぬような人ではないからな。 だが、ハニエルは違うだろ」
ロナードは、落ち着いた口調でそう返した。
「……何気に酷いな。 お前。 自分の兄貴より、ハニエルの方を心配するなんて……」
その言葉に、セネトは驚きながらも、意地の悪い顔をして言った。
「だって事実だろ。 ハニエルは魔術を使えること以外、その辺の人たちと変わらないのだから」
ロナードは、ちょっとムッとした表情を浮かべつつ、言い返す。
「それはそうだが……」
セネトは、苦笑いを浮かべながら言ってから、
(弟から心配されない兄貴と言うのも、どうなんだ?)
心の中でそう呟く。
つまりロナードは、馬鹿クソ強い兄に付き合って、海賊に向かって行ったハニエルの事が心配だったらしい。
「そんなに心配しなくても、貴方程では無いにしろ、私も、それなりに強いですよ」
何時の間に部屋に戻って来たのか、ハニエルが穏やかな口調で、ロナードにそう声を掛けた。
「そうは言うが、俺と違って殆ど、攻撃系の魔術は使えないだろう?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら言う。
「そうですね。 貴方の様に無双する事は難しいですが、シリウスが敵を蹴散らしている間、自分の身を守る事くらいは出来ますよ。 そうでなければ、私は今、此処にはいませんよ?」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら、穏やかな口調で返す。
「それは……そうかも知れないが……」
ハニエルにド正論を返され、ロナードは口籠らせる。
「いや、そもそも何故、シリウスなどと一緒に居るのかと思うんだが」
セネトがボソリとそう言った。
「それは俺も思って居た。 何か……弱みでも握られているのか? そもそも鷺族は、相手を攻撃する術を持たない種の筈だ。 それなのに……」
ロナードは思わず身を乗り出し、戸惑っているハニエルに言う。
「二人して、酷い言い様ですね?」
ハニエルは、苦笑いを浮かべながら言う。
「いや……。 弟の俺が言うのも何だが……。 ちょっと……性格に難があるだろう? まあ……俺も褒められた性格では無いが」
ロナードは、複雑な表情を浮かべ、歯切れ悪く言うと、
「あんな奴の何処が良くて一緒に居るのか、僕は理解が出来ないんだが」
セネトは、理解不能と言った様子で、ハニエルにそう言った。
確かにシリウスは、剣士としての腕は超一流ではあるが、何処か他者を拒む様な冷たい空気を纏っており、おまけに、お世辞にも性格が良いとは言い難い。
無愛想で何を考えているのか良く分からない、癖の強いシリウスと何故、つるんで居るのか、彼等(も例に漏れる事無く、不思議に思った様だ。
「そうですね……。 少し、話は長くなりますが、聞く気があるのでしたら、お話ししますよ?」
ハニエルは、苦笑い混じりに、セネトとロナードに言った。
「……私は、故郷の森で人間に捕まり、奴隷として海を渡り、この国の東にあるトロイアと言う国の、ある貴族に買われ、彼の屋敷に長い間、囚われて居ました。 その私を自由の身にしてくれたのが、他でも無いシリウスなのです」
ハニエルはそう言いながら、その時の事を思い出す……。
かれこれもう、十年近く前の話だ。
シリウスがまだ、駆け出しの傭兵だった頃、ある貴族の用心棒として雇われて来た彼は、そこで犬猫の様に、雇い主に飼われて居るハニエルと出会った。
彼は逃げ出さぬよう、入り口の扉の前や外の窓に鉄格子がはめられた、二階の離れに閉じ込められており、さながら、鳥籠の中に閉じ込められた鳥の様に、屋敷の主と限られた者としか会う事が出来なかった。
その頃のシリウスは、今のロナードよりも若く、一六歳くらいの、まだ幼さの残る少年であった。
その貴族の男は、社交界などにハニエルを連れ出して、彼のその美しい容姿と美しい歌声を、集まった貴族たちに自慢していた。
貴族たちの中には、美しいハニエルを手に入れようと企む輩も居り、シリウスは、そう言った理由で屋敷に忍び込んで来る輩を追い払い、ハニエルを守る事が与えられた仕事だった。
ハニエルは、人間に背中の翼を奪われた事により、自由と鷺族としての誇りを失)い、心身共に酷く傷つけられた事で、とても人間たちを恨んでいた。
故に、ハニエルは長く心を閉ざし、彼を買った屋敷の主は勿論、他の人間たちとも口を利こうとはしなかった。
初めは、人間たちの話す言葉が理解出来なかったからだが、長く、人間に飼われている間に、彼等)の言語を理解出来る様になっていた。
彼等の言葉が理解出来る様になると、人間たちの強欲さと身勝手さに、ハニエルは益々、人間の事を嫌いになっていった。
シリウスは既にこの時から、他人には無関心な所があり、出会った頃は、自分からハニエルに話し掛ける様な事は無かった。
だがハニエルが、主である貴族の男に、良い様にされているのを見て、堪えかねたシリウスが、遂に声を掛けて来たのだ。
「お前、悔しくないのか?」
シリウスはポツリと、鉄格子越しにハニエルに声を掛けた。
ハニエルは、彼が言った言葉を理解出来たが、敢えて無視を決め込んだ。
するとシリウスは、人間の言葉が通じないのだと判断して、今度は亜人たちが用いる古代語で、同じ事をハニエルに語り掛けた。
それには、ハニエルも驚いて、シリウスの側に駆け寄ってきた。
『貴方、私たちの言葉を話せるのですか?』
ハニエルは、扉の前に嵌め込まれている鉄格子を握り締め、身を乗り出す様にして、シリウスに問い掛けた。
『少しだけだが……』
シリウスは、淡々とした口調で言った。
「驚きました。 私は、ここに二十年以上居ますが、古代語を話せる人とは初めて会いました」
ハニエルは、驚きと喜びを隠せない様子(で言った。
「……何だ。 人間の言葉が分るのか」
シリウスは、苦笑混じりに言った。
良く見れば、自分と同じく紫の瞳を有しており、肌の色も、少し日には焼けているが、この土地の者と異なり、ごく薄い赤銅色で、その顔立ちも異なる。
あまり、彼の事を注意して見ていなかったが、南半球の生まれの者では無さそうだし、もしかしたら、人間と亜人の混血なのかも知れない。
「貴方、何処の国の方ですか?」
ハニエルは徐に、シリウスに問うと、
「クラレス公国だ。 お前は? カナンか? それともシーラか?」
シリウスが、淡々とした口調で、そう問い返して来た。
久しく耳にしない、北半球にある国の名に、ハニエルの胸が熱くなる。
自分の故郷がある国の事を、少しでも知っている人間が今、目の前に居るのだ。
「カナンです。 カナンの鷺族です」
ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべながら、シリウスに向かって言った。
「鷺族……。 そうか。 通りで歌がズバ抜けて上手い訳だ。 鷺族の歌声は『天上の歌』と例えられるほど美しいと、亡くなった母から聞いた事がある。 しかし、どうしてまた、こんなカナンから遠く離れた南半球のトロイアなどに居る?」
シリウスは、不思議そうに、ハニエルに尋ねた。
彼が、自分たち『鷺族』の事を知っていた事には正直、驚きであった。
ハニエルは正直に、今までの経緯をシリウスに語った。
生まれ育ったカナンの森で偶然、人間のハンターに会い、彼等に捕らわれ、奴隷として海を渡り、海を隔ててトロイアの南にある奴隷市場で売られ、ここの主人に買われて来た事。
そして、この屋敷の主に空を飛んで逃げられぬ様、ここへ来て直ぐに背中の翼を切り落とされ、それ以降、二十年以上この部屋に閉じ込められている事を……。
「私は、この屋敷の主の許可無く、この部屋すらも出る事が出来ませんし、この腕輪の所為で魔術も使えません。 自力で逃げる事は出来ないのです」
ハニエルは、自分の腕に付けられている腕輪に目を向け、沈痛な表情を浮かべ、シリウスに言った。
「そうか……。 それは気の毒にな……」
シリウスもハニエルの境遇に同情し、悲しそうな表情を浮かべ、そう言った。
元々、争いの好まず、外界との交流を絶ち、音楽と歌をこよなく愛し、故郷の森の奥深くで、ひっそりと暮している平和主義者の鷺族は、恐ろしく排他的だ。
その理由は、他種と争い、種を守る術を殆ど持たないからだと言われている。
竜族と魔族の次に強い魔力を保有していると言われ、魔術の扱いに長けているが、その力を保身の為に使う事は禁忌とされ、それを破った者は、里から永久に追放されてしまう。
それと同じくらいに許可も無く、森から出た者も、故郷には二度と戻れない。
一族を守る為に厳しい掟を課し、外部からの侵入)を一切、受け入れないと言うのが、鷺族の特徴だ。
事故とは言え、故郷の森から遠く離れ、この地に居るハニエルもまた二度と、故郷の森には帰る事は叶わないであろう……。
「私は、この現実に絶望し、何度も死のうとしました……。 でも、いざ命を断とうと試みると、どうしても、故郷の美しい森の光景が脳裏に浮かんで……。 結局は死ねず、未練がましく、こうして生きて居るのです」
ハニエルは、深い悲しみに満ちた表情を浮かべながら、シリウスに語った。
シリウスは、複雑な表情を浮かべながら、黙ってハニエルの話に耳を傾ける。
「せめて最期にもう一度だけ、美しい故郷の森をこの目で見る事が出来れば……。 私の心も少しは救われるのに……」
ハニエルは、泣きそうな表情を浮かべ、そう呟いた。
「……だったら、私が連れて行ってやる」
シリウスは、真剣な面持ちで、ハニエルに向かって言った。
「冗談でしょう? そんな事が出来る筈が……。 大体、見ず知らずの私の為に貴方がどうして、そんな危険な事をする必要があるのです?」
ハニエルは、シリウスの言葉に戸惑いながら、彼に言い返した。
「……昔の自分を見ている様で、居た堪れない」
シリウスは、複雑な表情を浮かべ、ハニエルに言った。
「昔の貴方?」
ハニエルは思わず、シリウスに問い返す。
「ああ。 私も昔、お前と似た様な生活をしていた。 尤もその相手は女だったが……。 それでも、他人に良い様にされるのは、本当に堪えがたいものがある」
シリウスは、沈痛(な表情を浮かべながら言った。
聞けば、シリウスは元々貴族の子弟で、事故に見せかけて暗殺されそうになり、彼が乗っていた馬車ごと、海へ転落。
運良く、通り掛かった船の乗組員に助けられたが、その船は奴隷船で、彼はそのままイルネップへ連れて行かれ、奴隷として売られ、その国のある宿屋の主人に引き取られた。
だが、その男がシリウスを引き取ったのは、別の目的があったからだった。
この男は元々、宿屋を経営する傍ら、身寄りのない子供たちに売春をさせていた。
見目の良いシリウスには直ぐに、女の客たちが飛び付き、彼は、女たちを悦ばせる為に、一〇歳くらいの頃から毎晩)、女たちの相手をさせられて来た。
時には、綺麗な少年が好きな男を相手する事もあったが……。
逃げようにも地の利は無く、頼る相手も、行く宛も無い、祖国から海を隔てた遠い異国の地……。
しかも、クラレス公国に居る母と弟は死んだと、人伝いに聞いていた。
天涯孤独の身になった彼は、頼(れる宛ても無く、余りに過酷な現実に何度も、死にたいと思ったと言う。
そして、シリウスが一三の時に、こんな奴隷生活から自由になりたい一心で、宿屋の主をナイフで刺し、他の子供たちと共に逃げた。
だが、次に会った大人もまた、最悪な奴だった。
その男は、金の為ならば何でもする傭兵で、野垂れ死にそうになっていたシリウスを助け、彼に人並みならぬ武芸の才能があると知ると、その才能を利用した。
そして、例え、長く寝食を共にした仲間であろうとも、躊躇無く殺せる様、彼を冷徹な殺人機に仕立て上げた。
そうして彼は徐々に何も感じなくなっていき、表情の乏しい、何を考えているのか分からない、不気味な少年になっていった。
「何だ? 傭兵をして居る私が、そんな事を言うのは、可笑しいか?」
シリウスは、戸惑いの表情を浮かべながら、黙って自分を見て居るハニエルに言った。
「いいえ。 貴方も辛い目に遭って来たのですね……。 可哀そうに」
「私は、この三年ずっと傭兵として一人で生きて来た。 人には言えない、汚い事も沢山した。 人間の醜い所も沢山見て来た……。 こんな現実が嫌になって、死にたいと思った事も何度もある。 それでも、死に切れない自分が居る」
シリウスは、沈痛な表情を浮かべ、重々しい口調で、ハニエルに自分の事を語った。
「分ります。 貴方も本当は寂しいのでしょう? 私の様に、自分の痛みを共有できる誰かを探)して居たのかも知れませんね……」
ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべながら、シリウスに言った。
「そうかも知れない……。 何にしても、私がお前を自由にしてやる。 時間は掛るかも知れないが、必ずここから出してやる。 私を信じて待って居ろ。 早まった事は決してするな」
シリウスは、ハニエルを真っ直ぐに見据え、真剣な面持ちで言った。
その紫の双眸には、偽りの色など一切無く、とても澄んだ綺麗な輝きを秘めていた。
「はい」
ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべ、頷いてそう言った。
だがハニエルは、シリウスの言う事など、宛てにはしていなかったし、自分の所為で、この少年が危険な目に遭う事など、望んでいなかった。
ただ……シリウスがこんな風に、我が事の様に心を痛め、真剣に自分を助けたいと言ってくれた事が嬉しかった。
それから、一年くらい経っただろうか……。
シリウスはそれ以来、ハニエルに屋敷から逃がす話はしなかったので、ハニエル自身もすっかり、彼とそんな話をした事を忘れていた。
だが、シリウスは口には出さなかったが、ハニエルとの約束を決して、忘れてはいなかったのだ。
彼は地道に、主から与えられた仕事をこなし、屋敷の主から信用を勝ち取り、屋敷(の警備隊長にまでなっていた。
そんなある日、珍しく主が、ハニエルを連れずに屋敷を留守にする日が来た。
主は、手慣れの傭兵たちを自分の護衛として同行させ、留守にしている間の屋敷の警備とハニエルの事を、自分が最も信頼するシリウスに任せ、出掛けて行った。
シリウスは、その期を見逃さなかった。
警備の目が緩くなる夜が更けるのを待ち、ハニエルを部屋から連れ出し、見張りの兵士たちの目を欺き、見事に屋敷から、ハニエルを連れて逃げ出したのである。
無論、その事を知った屋敷の主は憤慨して、追っ手を差し向けたが、シリウスの持ち前の剣の腕と、シリウスによって戒めを解かれたハニエルの共闘で、追っ手たちを見事に返り討ちにした。
それ以降、ハニエルはシリウスと行動を共にする様になり、傭兵業を生業としながら、お互いを支え合って生きて来た。
その間に、少年だったシリウスは、すっかり大人の男になり、今では、彼の剣の腕に敵う者は、殆ど無い程の強さを誇り、ハニエルにとって、とても頼もしい存在になっていた。
冷徹無慈悲な殺人機……他人は、シリウスの事をそう言うが、ハニエルは、彼と行動を共にしていく内に、彼が考えて居る事も、何となく分る様になっていた。
汚い大人の世界を知るには、当時のシリウスはあまりに幼く、そして、あまりに純粋だった。
故に、未だに他人を信じる事が出来ず、ハニエル以外の者を寄せ付けず、他人に対し、恐ろしく淡白だ。
そうする事で、必要以上に自分が傷つかない様にしている事を、ハニエルは知っていた。
孤高なシリウスにとって、ハニエルは、生きて行く為の心の拠り所であった筈だ。
ハニエルにとっても、シリウスはそうだった。
恐らく、二人はこの先も、そうやってお互いを支え合っていくのだろうと、ハニエルは思っている。
「そう言う事情が……」
ハニエルの話を聞き終えたセネトは、複雑な表情を浮かべつつ、そう呟いた。
「……」
ロナードも、沈痛な表情を浮かべ、押し黙っている。
「私もシリウスも、他人に誇れる様な生き方はして居ませんが、誰よりも必死に、生きて来たのは間違いありません」
ハニエルは、何処か遠くを見つめながら、穏やかな口調で語った。
「その……悪かったな。 シリウスをあんな風に言って」
セネトは、申し訳なさそうにハニエルに言った。
「いえ。 そう思えるのは事実ですから」
ハニエルは、苦笑いを浮かべながら返す。
「……」
ロナードは、複雑な表情を浮かべ、自分の膝の上に組んでいる手元をじっと見つめ、押し黙っている。
「幻滅……しましたか? 私やシリウスが、どんな風に生きて来たのかを知って……」
ハニエルは、戸惑いの表情を浮かべつつ、おずおずとロナードに問い掛けた。
「そうじゃない。 俺だって、体こそ売らずに済んだが、シリウスと変わらないくらい、汚い仕事をして来た。 その辛さが分かるから余計に……。 何と言って良いのか、分からなくなってしまったんだ」
ロナードは、複雑な表情を浮かべ、重々しい口調で語る。
「ロナード……」
ハニエルは、ちょっと泣きそうな顔をしているロナードの顔を見て、複雑な表情を浮かべながら呟く。
「……やっぱり、ルオン国王とベオルフを、この手で絞めておくべきだった……。 俺だけでなく兄上まで……」
ロナードは、悔しそうな表情を浮かべ、唸る様な口調で呟くと、ギュッと唇を強く噛む。
「止めておいて正解ですよ。 ロナード。 貴方やシリウスが態々、その為の時間と労力を費やす価値が、今の彼等にあるとは思えません」
ハニエルは穏やかに口調で、ロナードにそう窘めた。
「どの道、ルオンも国王もそう長くは無い。 留めを刺す事は、お前の祖父に任せておけば良い。 ベオルフやルオン王が、家族にした酷い仕打ちに対して長い間、腸が煮えくり返る想いをひた隠して、報復の機会を伺っていただろうからな」
セネトも、落ち着いた口調でロナードに言うと、慰める様にポンポンと軽く、彼の肩を叩く。
「……ルオンは滅ぶ定めからは、逃れられそうにないのか……」
ロナードは、複雑な表情を浮かべながら呟く。
(結局、エレンツ帝国軍の侵攻から、祖国を守る為に戦い、ルオンの海に散った父上たちの死は、何だったのだろう……)
ロナードは、心の中でそう呟くと、無性に泣きたい気持ちになった。
「正直、誰が国王になっても、厳しいでしょうね」
ハニエルは、複雑な表情を浮かべながら言う。
「悪いが、あのまま、お前がルオンに残っても、お前にとって、良い方向に進んだとは思えない」
セネトは、淡々とした口調で言うと、ロナードは少し傷付いた様な表情を浮かべる。
「呪いの事もそうだが、イシュタル教会が存在し続ける以上、お前がランティアナ大陸で、腰を据えて何かに打ち込む事は難しいだろう」
セネトは、落ち着いた口調でそう指摘する。
「殿下の言う通りです。 何をするにも、体が資本ですからね。 貴方は自分に掛けられた呪いを解く事を何よりも優先して下さい」
ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべながら、優しい口調で言った。
「……」
二人の言葉に、ロナードは複雑な表情を浮かべ、押し黙る。
ロナードたちはその後、無事にイルネップ王国にある港町に到着した。
ルオン王国をはじめとする、北の大陸の人達とは異なり、青い髪と瞳、褐色を有し、ガッチリとした筋肉質な人たちが多く、ランティアナ大陸の言葉ではない言葉が飛び交う様を見て、ロナードは本当に違う大陸へ来たのだと実感した。
イルネップ王国は、国土の殆どが砂漠に覆われているが、大陸を縦断する山脈を中心に地下資源に恵まれている土地で、その地下資源に目を付けたエレンツ帝国に、三十年ほど前に侵略され、敗戦し、植民地となっている為、この国の人達は帝国の公用語を話す。
このイルネップ王国の他にも、南半球にある殆どの国が、エレンツ帝国の植民地)となっている。
そうなった切掛けは、先々代の皇帝の時代に、帝国の国教であるガイア神教の『老子』と呼ばれる一部の幹部たちが、北の大陸で勢力を広大させている、イシュタル教会の存在を危ぶみ、南半球の国々への布教強化と異教の排除を打ち出した事にある。
そこに、領土拡大の野望を抱いていた当時の皇帝とその支持層が便乗し、つい最近まで、エレンツ帝国は侵略戦争)を繰り広げて来た。
この侵略戦争で、確かにエレンツ帝国の領土は拡大したが、一世紀近く戦争をしてきた所為で、国民の暮らし向きは悪化の一途を辿り、侵略(戦争を止めない皇帝と、ガイア神教に対する不満が、国民たちの間に徐々に溜まっていった。
そして、セネトの父親で現・皇帝を中心に、反対勢力が立ち上がり、侵略戦争を主導していた先代の皇帝と、ガイア神教の主戦派、それを支持していた諸侯らを討ち取り、現在の路線に変わったわけである。
現在は、国力の回復を最優先にしている為、エレンツ帝国は戦争を止めてはいるが、周辺諸国に対して侵略戦争をした賠償や、帝国からの独立を認めると言った事は行っていない。
あくまで、帝国本土に住まう人々の暮らしが一番なのだ。
植民地の事など二の次と言う訳で、植民地に住まう人々の暮らし向きは厳しく、無法地帯と化している地域すらある。
特に、このイルネップ王国と言うのは、『王国』とは名ばかりの、エレンツ帝国の傀儡と化した王が統治しており、それに不満を抱く勢力が、各地で反乱を起こしており、情勢が不安な地域である。
「これから、何処へ?」
ロナードは徐に、シリウス達に問い掛ける。
「路銀を稼がねばならん。 近くの酒場に行ってみるぞ」
シリウスが、淡々とした口調で答えると、
「えっ。 でも、お爺様から頂いた物があるのでは?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべながら言う。
「それは、帝国へ着いてからの資金に使うつもりだ。 旅の間にそれに手を付けるつもりはない」
シリウスは、落ち着いた口調で、自分の考えを説明する。
「分かった」
ロナードは、真剣な面持ちで頷き返した。
傭兵の仕事がないか、近くの酒に立ち寄った。
四人が店の中に入ると、柄の悪そうな男達が数人、昼間から酒を飲んでいた。
見た所、ゴロツキの様だ。
四人は、関わらないのが一番良いと思い、男たちの横を擦り抜け、バーカウンターの前に来ると、シリウスが徐に、酒をグラスに注いでいたバーテンダーに、
『傭兵の仕事を探している。 何か無いか? 用心棒でも魔物退治でも、何でも良い』
エレンツ帝国の公用語でそう切り出すと、それを聞いて、バーカウンターの側で酒を飲んでいた、柄の悪い男達の間から、どっと笑い声が起きる。
『おいおい兄ちゃん。 本気で言ってんのか?』
『昼間から、冗談キツイぜ』
柄の悪い男達は、馬鹿にした様にシリウスに言うが、彼は無視を決め込む。
すると、柄の悪い男達の一人が、徐に椅子から立ち上がり、何故かロナードの事をジロジロと眺め始めたので、ロナードは戸惑いの表情を浮かべる。
『おい。 女将! コイツを雇ってやれよ!』
その男は、バーカウンターの奥に向かって叫ぶと、奥から、茶色の縮れ髪に、ド派手なピアスを付け、化粧の濃い、ド派手な衣装に身を包んだ、小太り気味の中年の女性が、五月蠅そうな顔をして出て来た。
『なんだよ。 アタシゃ、徹夜で飲んで頭痛(いんだよ! 怒鳴らないで欲しいね!』
『女将』と呼ばれたその女性は、柄の悪い男に向かって言うと、
『そう言うなよ。 コイツ等、仕事、探してるって言うぜ』
柄の悪い男が、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、ロナードを指差しながら女将に言うと、
『あらぁ。 可愛いじゃない❤ それに、黒髪に紫の瞳なんてエキゾチックね』
彼女は、ロナードを一目見ると、彼を舐め回す様な、ねちっこい視線を向け、猫なで声でそう言って、何故か妙に体をクネクネさせながら、ロナードの下へ嬉しそうに歩み寄って来たが、当の彼は何を言って居るかは分からないので、女の雰囲気に思わず顔を引き攣らせ、その場に固まる。
女将の様子を見て、ハニエルは苦笑いを浮かべている隣で、彼女の言動が気に入らない様でシリウスの表情が俄かに険しくなる。
『ボクぅ。 仕事が欲(しいなら、ウチで雇って上げなくも無いわよぉ?』
ロナードの事が気に入ったのか、女将はそう言いながら、彼の顎の下に手を伸ばそうとすると、側にいたシリウスが、嫌悪に満ちた表情を浮かべ、自分の手で女の手を叩き払う。
『あら。 こっちも良い男じゃない』
女は、自分に対し、怒りの形相で見下ろしている、シリウスを見上げながら言うと、ニヤっと下品な笑(みを浮かべる。
『へへへ。 良かったな。』
『金持ちの女の相手をする方が、傭兵なんざするより、手っ取り早く稼げるぜ? 綺麗な兄ちゃん達』
柄の悪そうな男達は、下品な笑みを浮かべながら、シリウスとロナードに言った。
すると、シリウスが額に青筋を浮かべ、目にも止まらぬ速さで、背中に下げていた大剣を引き抜き、男達の側にあったテーブルを真っ二つに叩き割ってしまった。
それを見て、男達の顔からサーッと血の気が失せ、揃って、青い顔をして立ち尽くす。
『貴様等。 どうやら私)に、頭をザクロにされたい様だな?』
シリウスは、怒り心頭と言った様子で、柄の悪い男達をジロリと睨み付け、ドスの利いた声で言った。
『お、落ち着いて下さい。 シリウス』
ハニエルは、困った様な表情を浮かべつつ、シリウスに言って居ると、
『いやーん。 怖い子ねぇ』
女将がそう言って、ロナードにすり寄ろうとすると、シリウスは振り向きざまに、その女の顔擦れ擦れに、物凄い勢いで大剣を振り下ろした。
『ひっ!』
女将は、恐怖に顔を引き攣らせ、短く悲鳴を上げる。
シリウスが振り下ろした大剣が、彼女の顔の前に突き付けられ、彼は、物凄い形相で、女将を睨み付ける。
「シリウス!」
次の瞬間、ロナードとハニエルは殺気を感じて、ほぼ同時に動いた。
ロナードは大きく踏み出すと、素早く腰に下げていた剣を抜き、シリウスの背後から切り掛かろうとしていた、柄の悪い男達の一人の手から、彼が持っていた剣を撥ね上げた。
ロナードの剣に跳ね飛ばされた、柄の悪い男が持っていた剣は、宙で大きく弘を描き、シリウスが叩き割ったテーブルの上に突き刺さった。
ロナードと、ほぼ同時に動いたハニエルは、素早くバーカウンターの上に飛び乗ると、投げナイフを持っていた、バーテンダーに向かって勢い良く、魔術で水鉄砲を繰り出し、酒瓶が並んでいる後ろの棚へ吹き飛ばした。
バーテンダーが勢い良く吹き飛ばされ、棚が大きく揺れると、置いてあった酒瓶が勢い良く床の上に音を立てて割れ、辺りに酒の匂いが漂う……。
突然の事に焦って、動けずにいたセネトに切り掛かろうとした、別の柄の悪い男をロナードが振り向き様に蹴飛ばすと、不愉快さを顕わにし、
「嘗めた真似を!」
強い口調で言いながら、セネトを背で庇う様にして立つ。
『この様な所、此方からお断りだ』
シリウスは、すっかり腰を抜かしている女将に向かって、冷やかな口調で言うと、ロナードとハニエルの方を見て、
「別の所を当たるぞ」
「仕方がないですね。 あなた達を男娼にする訳には、いかないですからね」
ハニエルは、苦笑いを浮かべながら言うと、フワッとバーカウンターの上から飛び降りた。
「行くぞ」
シリウスは、自分の側に居たロナードに言うと、大剣を背負う。
ロナードは黙って頷くと、剣を腰に下げていた鞘に収め、戸惑っているセネトに、自分の前に歩く様に促す。
四人が、店の外へ出てしまおうとすると、
『ま、待って下さい!』
そう言って、一人の中年の男が、店の中から追い駆けて来た。
黒髪に緑色の双眸、褐色の肌、あまり背は高く無く、暑いこの国特有の白いターバンに、日除けの白い外套に身を包んだ、小太り気味の四〇過ぎの、小奇麗な格好の男だった。
『何だ?』
すっかり気分を害して居るシリウスは、殺気を放ちながら、ジロリとその男を睨むと、ドスの利いた声で言った。
シリウスに凄まれ、その中年の男はたじろいで、思わず、二、三歩ほど後退りをした。
見た所、先程、店の中に居た、柄の悪い男達の仲間では無さそうだ。
『私たちに、何かご用ですか?』
ハニエルは、シリウスに凄まれ、震え上がっている中年の男に、優しい口調で問い掛ける。
『あ、あなた方、傭兵の仕事を探していると、言っていましたよね?』
中年の男は、逃げ腰になりながらも、ハニエルに言った。
『え、ええ……』
彼は、戸惑いの表情を浮かべながらも、頷きながら答えた。
『私は、キャラバンのリーダーをしている、トスカナと言います。 是非、あなた方に、キャラバンの護衛をお願いしたいのです』
『トスカナ』と名乗った中年の男は、真剣な面持ちで、ハニエルにそう言った。
「ハニエル。 キャラバンと言うのは」
一緒に居たセネトが、聞き慣れない言葉に小首を傾げ、彼に問い掛ける。
「砂漠等を集団で旅行する、行商人たちの事です」
ハニエルは、落ち着いた口調でセネトにそう説明すると、トスカナは頷きながら、
『あなた方の腕を見込んで、野盗や魔物から、我々と荷物を守って頂きたいのです』
『何処へだ?』
シリウスは両腕を胸の前に組み、淡々とした口調で、トスカナに問い掛ける。
『皆が皆、そうではありませんが、私は、ここから南にある港町(から船に乗り、隣国のトロイア王国に住む大富豪の元まで、商品を届ける約束なのです』
トスカナが、少しシリウスに怯えつつも、真剣な面持(ちで彼に説明する。
『……トロイアからならば、イルネップよりも帝国行きの船も多い。 コイツ等と付いて行って損はないな……』
シリウスが、淡々とし口調で呟くと、それを聞いたトスカナは、安堵の表情を浮かべ、
『では、引き受けて下さるのですね?』
『私たち四人全員を同行する事を受け入れ、トロイアまでの船代と、護衛をしている間の食事と宿賃などを其方が持ってくれると言うのならな』
シリウスは、淡々とした口調で言った。
『その位の事ならば問題はありません。 元より、そのつもりで声を掛けましたからね』
トスカナは、ニッコリと笑みを浮かべながら、シリウスに言う。
『コイツ、僕たちを騙して、奴隷商人に売るつもりで、声を掛けたんじゃないのか? 若しくは、奴隷商人かも知れないぞ』
セネトが怪訝そうな表情を浮かべながら、側に居たハニエルにコッソリ言うと、彼は苦笑)いを浮かべる。
『ご心配なく。 私はちゃんとした行商人ですよ』
トスカナは、自分に疑念に満ちた目を向けているセネトにそう言うと、何やら首から下げていた札を差し出した。
それは、特殊な光沢を放つ青銅製の板の様なもので、丁度、かまぼこ板の様な大きさだ。
それに、何かの紋章な様な物と共に、帝国の言葉が綴られていた。
それは、商人札と呼ばれる、商人たちにとっては身分証みたいなもので、必要な手続きを踏み、役所から許可が下りた時に、この商人札が渡される。
この札を持たずに商売をする事は、帝国とその植民地では違法とされている。
奴隷商人に与えられる札とはまた、別の札だ。
『……本物の様だな……』
それを見て、シリウスが淡々とした口調で言う。
『私たちは、長い距離を護衛してくれる者がなかなか集まらず、困っていたのです。 そんな時にあなた方のやり取りを偶然聞いてしまって……。 これは、声を掛けるしかないと思った次第です。』
トスカナは、苦笑混じりに、何故、シリウスたちに声を掛けたのか、その理由を語った。
『まあ、良いだろう……』
シリウスは、両腕を自分の胸の前に組み、偉そうに言う。
『では明日の朝、日の出頃に、この町の入り口に来て下さい』
トスカナはそう言うと、シリウスは頷き、
『分った』
『では明日。 待って居ますよ』
トスカナは、にこやかに笑みを浮かべ、シリウス達に言うと、その場から立ち去って行った。
「今日、この町に着いたばかりだと言うのに、もう仕事に有り付けるとは、幸運でしたね」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべながら、ロナード達に言った。
「正直、あまり期待はして居なかったんだがな……」
シリウスは、淡々とした口調(で言った。
「ちゃっかり、全員の寝食を保障させるなんて、流石はシリウスですね」
ハニエルは、ニッコリと笑みを浮かべ、隣を歩くシリウスに言った。
「……キャラバンの護衛を?」
ロナードは、戸惑いの表情を浮かべ、シリウスに問い掛けると、
「そうだ」
シリウスは、淡々とした口調で答えた。
翌朝、トスカナと名乗った男に言われた通り、ロナード達は町の入口で待っていると……。
『お待たせしました。 其方の用意は出来ていますか?』
トスカナがやって来ると、愛想良く笑みを浮かべながら、シリウスに問い掛ける。
『問題無い』
シリウスが、淡々した口調で言い返すと、
『おいおい。 トスカナ。 こんな連中で大丈夫なのか?』
『そうだぜ。 こんな綺麗所ばかりで』
『こんな軟弱そうな連中が護衛だって? 冗談だろ?』
トスカナと共に姿を現した、行商人と思われる男たちが、ロナード達を一目見て、口々にそう不満を漏らした。
彼等の後ろからは、大量の荷物を乗せた馬車やラクダが幾つも並んでおり、それらを引く御者、ロナードたち以外にも雇われたと思われる、腕っ節の強そうな、強面の大柄な男たちも数人居た。
ロナードが想像していた以上の、大所帯だ。
『その辺は大目にみてくれ。 腕は悪く無さそうだから』
トスカナは、苦いを浮かべながら、他の商人たちに言った。
『……まあ、目の保養にはなるがね』
『せいぜい、他の傭兵たちの足を引っ張らない様に頑張れよ。 美人さんたち』
商人たちはそう言うと、それぞれの馬車に乗り込んだ。
『済みませんね。 口は悪いですが、気は良い奴ばかりなんですよ』
トスカナは、苦笑い混じりに、申し訳なさそうにシリウスに言った。
『構わん。 人を見掛けだけで判断する奴など、何処でも居る』
シリウスは、素っ気ない口調で、トスカナにそう言い返した。
『そうですよ。 お気になさらず』
ハニエルは、穏やかな笑みを浮かべ、トスカナに言った。
『有難う御座います。 では荷馬車に分乗して下さいね』
シリウス達に、トスカナはそう言うと小走りに、先頭の馬車へと駆け出す。
こうして、ロナードたち一行を加え、トスカナがリーダーを務めるキャラバンは、予定通り、日が昇る前に町を出た。
ロナード達を伴ったキャラバン隊は、朝早くに町を出ると、トロイア王国へ向かう船が出ている港町を目指して南下した。
『あ~。 やれやれ。 やっと水場を見付けられたぜ』
『この所、雨が降って無いからなぁ。 なかなか見つからなかったもんな』
やっとの思いで水場を発見した、ロナード達を乗せたキャラバンの者たちは、エレンツ帝国の公用語で口々にそう言いながら、革の水筒を片手に水場へと近付く。
その水場は、草木も何も無い、岩だらけの殆ど砂漠に近い場所に突如現れ、このところ雨が降って居ないにも関わらず、地下水が湧いているのか、透き通った水を滾々と湛えていた。
不思議に思いつつも、セネトも革の水筒を手に、一緒に乗り合わせて居た傭兵たちと馬車から降りて、水場に近付こうとすると、彼の側に居たロナードが急に彼の腕を掴み、水場へ行くのを引き止める。
「? どうかしたか?」
セネトは、不思議そうな表情を浮かべ、ロナードに問い掛けた時、
『急いで、そこから離れて下さい!』
最後尾の荷馬車に乗っていたハニエルが、水辺へ近付こうとしていた男たちに、そう叫びながら、シリウスと共に荷台から飛び出して来た。
『えっ』
ハニエルの叫び声を聞き、水辺に居た男たちは、驚いて振りえった途端、それまで溢れんばかりに、水を湛えていた池がフッと消え、砂地が現れ、男たちの足元があっという間に崩れ落ちた。
『うわあああっ!』
『た、た、助けてくれ!』
男達は、あっという間に、擂り鉢状に窪んだ砂の中へと、引き摺り込まれていく。
その様子を、少し離れた場所から、男たちと同様に水を汲もうと池に近付いていた、別の傭兵たちや商人たちが、何が起きたか理解出来ず、呆然と立ち尽くしている。
「ロナード。 ハニエル! 水だ!」
ハニエルと共に大剣を手に飛び出したシリウスが、とっさに叫ぶ。
「来るぞ!」
戸惑うセネトと共に、表情を険しくして様子を伺って居たロナードが叫ぶと、擂り鉢状に窪んだ砂の中から、悠に三メートルはありそうな、巨大な蟻地獄が姿を現した。
『ひいいいっ!』
『ばっ、化け物だ!』
それを見て、近くに居た傭兵たちは情けない声を上げ、守らねばならない筈の商人たちを置いて、その場から一目散に逃げ出した。
「こんなの、有り得ないだろ……」
今までこれ程までに大きな魔物を見た事が無かったセネトは、その場に立ち尽くし、青い顔をして声を震わせている。
「ロナード、セネト。 手を貸せ」
駆け寄って来たシリウスは、ロナードとセネトを背で庇う様にして巨大な蟻地獄の前に立ち、そう言ってから、
『他の奴はダークエルフを探せ! 近くに居る筈だ!』
背中越しに、呆然として動けずに居た、傭兵たちに向かって叫ぶ。
シリウスは、こんな手の込んだ事をするのは、幻術を得意とする、ダークエルフと呼ばれる魔物の仕業だと踏んだ様だ。
『あ、ああ!』
シリウスの声を聞いて、他の傭兵たちはハッとして、彼にそう返事をすると、持って居た武器を手にする。
そうして居る間に、巨大な蟻地獄は棘の様に尖った背を向けると、無数の棘が雨の様にキャラバンに向かって放たれた。
放たれた棘は、空気を勢い良く切る音共に、キャラバンの荷馬車のホロや縁、天井、逃げ惑う御者や商人たちと傭兵たちにも、容赦なく降り掛る。
突然の魔物の攻撃に、セネトはどうして良いのか分からずに立ち尽くしていると、ロナードは彼の腕をグイッと引張り倒すと、近くに停めていたホロ付きの馬車の下へ彼を引き摺り込む様にして滑り込んだ。
間髪置かずに、彼が先程まで立って居た場所に、大人の腕位はあろうかと言う大きく鋭く尖った棘が無数に突き刺さった。
それを目の当たりにして、ロナードがとっさに自分を馬車の下に引き摺り込まなければ、串刺しになっていたと悟ると、セネトは顔を青くした。
「ここに居ろ」
ロナードは、自分の傍らにいたセネトに言うと、果敢に馬車の下から這い出た。
「気を付けろよ!」
セネトはそう言って、ロナードを送り出す事しか出来なかった。
『おい! 後ろ!』
近くに居た傭兵がとっさに、ロナードに向かって叫ぶ。
殺気を感じたロナードは素早く後ろに飛び退くと、そこには肌の色は褐色、目の色は真紅、尖った高い鼻、灰色の長い髪に、黒いマントをした、皺だらけの老婆の様な醜悪な顔に長い白い髪、背丈は一〇歳位の子供と同じくらいで、枯れ枝の様に細い手足のナイフを手にした異形の生き物が立っていた。
突如、音も無く自分たちの前に現れ、自分たちに対して、殺意剥き出しの、この異形な姿の生き物を見て、馬車の下に身を隠していたセネトは恐怖でのあまり、青い顔をして身を震わせた。
『な、な、何なんだ! コイツ等!』
ダークエルフたちを初めて見るのか、近くにいた行商人が恐怖で顔を引き攣らせ、そう声を上げる。
『ダークエルフだ。 とても性悪な連中だ。 命が惜しければ私たちの側から、絶対に離れるな』
シリウスは、落ち着いた口調でダークエルフと対峙したまま、恐怖する行商人に言った。
「気を付けろ」
シリウスは、ダークエルフの直ぐ近くに居るロナードに、そう言って注意を促した。
ロナードは頷き返すと、シリウスは勢い良く地面を蹴り、ダークエルフに向かって剣を振り下ろすが、軽々と避けられてしまった。
そして今度は、ダークエルフの方がシリウスに向かって、立て続けに攻撃を繰り出して来た。
辺りに、金属同士が激しくぶつかり合う音が響き渡り、息付く間もなく細々と動き回るダークエルフに、シリウスは翻弄され、攻めあぐねていると、ダークエルフが次の動きへ移る為、ほんの一瞬、動きを止めた瞬間を見逃さず、ロナードが、ダークエルフの死角から風の魔術を見舞った。
ダークエルフは、気色の悪い断末魔を上げながら、跳躍しようとしていた所を、ロナードがとっさに繰り出した風の刃に腹を掻き切られ、魔物特有の紫色の血を撒き散らしながら、数メートル後ろにドサッと力なく転がった。
「すまん」
シリウスは直ぐに、魔術であっさりとダークエルフを倒したロナードに短く礼を述べると、彼は黙って、コクと頷き返す。
「よし。 次はあのデカ物だ」
周りにダークエルフが居ないと確認したシリウスは、ロナード達に向かってそう言った瞬間、彼等から少し離れた荷馬車が、音を立てて大きく揺れた。
三人は驚いて振り返る。
見ると、巨大な蟻地獄が繰り出したと思われる、大人の男の腕程の大きさはある、大きな棘が荷馬車のホロや淵に無数に刺さっており、荷馬車は滅茶苦茶になっていた。
彼等は、荷馬車に隠れる様な位置に居たので難を逃れる事が出来たが……。
それを見て、近くに居た商人や傭兵たちは思わず、顔から血の気が引き、恐怖で顔を引き攣らせる。
このままでは全員が、蟻地獄が繰り出した巨大な針で串刺しになってしまう。
身を震わせていたセネトは意を決し、隠れていた馬車の下から這い出ると、
「水があれば、良いんだよな?」
真剣な面持ちで、自分の前に立って居たロナード達にそう言った。
「言って置くが、水筒の水程度では話にならんぞ。 アイツが砂の中に潜り込めなくなる程の量の水だぞ?」
シリウスは、淡々とした口調で、巨大な蟻地獄を指差しながら、セネトに言った。
「まあ、見て居ろ。 シリウス。 援護をしろ」
セネトは不敵な表情を浮かべながら言うと、腰に下げていたポシェットの中から、掌程の球体を取り出す。
シリウスを囮にして、セネトは巨大な蟻地獄との距離をある程度詰めると、何を思ったのか、持っていた球体を思い切り巨大な蟻地獄に向かって投げ付けた。
それは、巨大な蟻地獄の体に当たると、弾ける様にいきなり、大量の水が鉄砲水の様に溢れ出て来て、巨大な蟻地獄を飲み込んだ。
「魔道具か」
それを見たシリウスが、落ち着いた口調で呟く。
「これで、砂の中には潜れなくはなりましたが……」
巨大な蟻地獄の足元の、水分を含んだ砂を見ながら、表情を険しくしたまま呟く。
問題は、この巨大な蟻地獄をどうやって倒すかだ。
シリウスやハニエルが、巨大な蟻地獄を前にして攻めあぐねいていると……。
“主様……”
誰かが、ロナードの頭に、直接語り掛けてきた。
ロナードはハッとした表情を浮かべる。
「どうした?」
ハッとした顔をしたロナードに、シリウスが不思議そうに声を掛けた。
「雷なら、効くんじゃないのか?」
ロナードは、真剣な面持ちでシリウスに言うと、
「そうかも知れんが……」
シリウスは、戸惑いの表情を浮かべながら答える。
「やってみる」
ロナードは真剣な表情を浮かべたまま言うと、何やら不思議な言葉を口遊みはじめた。
「来い。 ケツァール!」
そう呟くと、彼の足元に金色に輝く魔法陣が浮かび上がった。
それを見た近くに居た傭兵や行商人たちは、揃って驚きと戸惑いが入り混じった表情を浮かべ、ロナードを見る。
全身は光沢のある濃いエメラルドグリーン、尾羽近くの羽の色は黒、腹部が鮮やかな赤、黄色い曲がった嘴、美しく長い飾り羽を持った、悠に三メートルはあろうかと言う程とても艶やかな、巨大な、これまで見た事も無い不思議な鳥が姿を現した。
先程の大量の水鉄砲で、サラサラの砂だった筈が水気を帯びてしまい、巣の中に身を隠す事が出来なくなった巨大な蟻地獄は、その全貌を顕わにしていた。
砂と同色の濃いベージュ色の全身、蜘蛛の様な六本の足、巣穴に落ちた蟻を捕える為に、大きく発達したハサミを有した頭部、ハリネズミの様なデコボコの背……。
巨大な蟻地獄は巣の中に隠れる事が出来なくなっても、全く戦意を喪失しておらず、再び背中の棘をロナード達に見舞おうとしている。
「ケツァール!」
巨大な蟻地獄が、三度攻撃して来る気配を感じたロナードは、表情を険しくし、自分が呼び出した幻獣の名を叫んだ。
間髪置かずに、ロナードが召喚したケツァールが、巨大な蟻地獄の背面に向かって、巨大な電気の帯を放った。
巨大な蟻地獄は、それをまともに食らい、全身から白い煙を上げながら、体を激しく痙攣させている。
『おお!』
『すげぇ!』
その様子を、荷馬車などの物陰から見ていた、商人や御者、そして傭兵たちは、揃って嬉々とした声を上げる。
トスカナも、あまりに予想外な光景にポカンと口を開け、ロナードを凝視している。
そこに、シリウスが間を置かず、倒れ込んだ巨大な蟻地獄の頭部に、持っていた武器を思い切り振り下ろす。
巨大な蟻地獄は、断末魔を上げながら、頭を激しく振り、魔物独特の紫色の血を飛び散らしながら暴れ回る。
「兄上!」
シリウスに向かって、ロナードが叫ぶと、シリウスは、巨大な蟻地獄の頭を思い切り蹴り、素早く数メートル後ろへ後ろに飛び退く。
すると、ケツァールから留めの電撃が放たれ、雷をまともに食らった巨大な蟻地獄は、体を激しく痙攣させ、全身から白い煙を上げ、黒焦げて、全く動かなくなってしまった。
周囲には、虫が焼き焦げた様な臭いが立ち込める。
『うほほ! やっつけたぞ!』
『やった! やった!』
それを見て、巨大な蟻地獄を倒した当人たち以上に、離れた場所から、固唾を飲んで見守って居た、商人や御者たちが、嬉々とした声を上げ、お互いに抱きあう。
ロナードは、ホッとした表情を浮かべ、召喚した幻獣を引っ込めると、疲れてその場にペタンと座り込むと、そこへシリウスとハニエル、セネトが駆け寄って来て、三人三様に彼に抱き付いたり、頭を思い切りワシャワシャと撫で回す。
『いやー。 あの巨大な蟻地獄を見た時は、どうなるかと思いましたが、あなた方が居てくれたお陰で、窮地を脱する事が出来ました』
トスカナは、嬉々とした表情を浮かべ、シリウス達に礼を述べる。
『まあ、当然と言えば、当然だな』
野営をする事となり、シリウスが、商人たちが勧める酒を煽りながら、淡々とした口調で言った。
彼は、もう随分と飲んでいる筈だが、顔色一つ変えず、まるで水でも飲むかの様な、見事な飲みっ振りだ。
『それにしても、幻術で池を作り、蟻地獄の巣穴を隠して我々を待ち伏せするなど、魔物にしては随分と手の込んだ事をするんだな』
傭兵たちの一人が、豪快に酒を煽りつつ、神妙な面持ちで言った。
『魔物たちの狙いは積荷でしょう。 積荷の中には、希少な武具や魔道の道具もありますから』
トスカナが、深刻な面持ちで語る。
『成程。 ダークエルフは、そう言った物には、目が無いですからね』
ハニエルが、『納得』と言った様で呟く。
『それにしても、凄いですね。 え――っと……』
トスカナは、そう言いながら、シリウスの肩に凭れ掛る様にして、魔力を使って疲れて爆睡しているロナードを見る。
どうやらトスカナは移動中、暑さに参って、何時も大人しかったロナードの名を記憶して無かった様だ。
『ロナードだ』
シリウスが、淡々とした口調で、トスカナに言い返すと、
『そうそう。 ロナード君。 凄いですね! あまり喋らない、控えめな子だと思って居ましたが、戦いになると別人ですね。 本当に驚きですよ!』
トスカナがそう言うと、ハニエルは苦笑いを浮かべ、
『彼は、北半球の出身なので、ただ単に、帝国の言葉を良く話せないので、喋らないだけですよ』
『そうなのですか? そう言えば、彼と話す時は、あなた方はランティアナの言葉で話していましたね』
トスカナは、苦笑いを浮かべながら、ハニエルに言い返す。
『ええ。 急にエレンツ帝国へ行く事になり、あまり、言葉を勉強する暇が持てなかったので……』
ハニエルが、穏やかな笑みを浮かべながら、トスカナに事情を語ると、
『でしたら、私共が教えますよ』
彼は、自分の胸元に片手を添え、ニッコリと笑みを浮かべながら言う。
『有難う御座います』
ハニエルも、ニッコリと笑みを浮かべながら言うと、
『お安い御用です。 私たちも何かする事がある方が、楽しいですからね』
トスカナは、笑みを浮かべたまま言った。
その後も、焚火を囲みながらシリウスとハニエルは、トスカナたち商人と、その護衛の傭兵たちと共に夜遅くまで飲み明かした。
しかし、その多くが、酒を水の様に飲む、酒豪のシリウスに付き合ったが為に、翌日、酷い二日酔いに苛まれる事となる。
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