最低の夫を愛した公爵夫人アリーナ
ロイエール・ミルトラン公爵令息、歳は28歳。
このロイエールと言うそれなりにイイ男の彼はかなりの遊び人であった。
色々な女性をとっかえひっかえ遊ぶ遊ぶ。しつこく付きまとってこよう物なら、公爵家の権力を使い黙らせる。大抵の女は一夜限り。それでも気に入った女は過去に10人位いて、そんな女性達は長く付き合ったりした。
そんな彼が結婚した。
それが、この国の王女アリーナである。
ミルトラン公爵令息夫人になったアリーナは、まだ若い16歳の可憐な少女である。
彼女は国王の娘だが、母がメイドで、王様がうっかり手につけてしまい、生まれてしまったのである。
そんな王女アリーナは高位貴族であるミルトラン公爵家に押し付けられた形になった。
アリーナ王女と結婚式を挙げたはいいが、ロイエールは押し付けられた妻のことは全くと言う程、関心がなく放り出しておいて遊び歩き、たまにしか公爵家に帰って来なかった。
結婚して一月程経った頃、久しぶりに公爵家に帰って来たロイエール。
ひと眠りして起きて見れば、客間に驚くべき女性が来ていた。
「やっと見つけたわ。貴方の本当の名前はロイエール・ミルトランと言うのね。私、貴方の愛人になるのだから、今日からここへ住ませて貰うわ。」
黒髪でキツイ顔立ち、赤い口紅をつけた化粧の濃い女、アマルデが突然訪ねてきた。
ロイエールは自分の素性は明かさずに、友の名を騙って、さんざん、その色気のある身体を楽しんだ覚えがある。
ロイエールは焦った。
褥で甘い言葉を囁き、愛人にしてやると約束してしまったのだ。
自分の正体は隠して。遊びだった。遊びだったのだが。
ロイエールがちらりとまだ、褥も共にしていない、ろくに話もしていない妻、アリーナを見れば、金髪碧眼で幼顔ながらも、凄い不機嫌そうな顔をして、
アマルデを睨みつけながら、近寄って行き。
「わたくしがこの家の公爵子息夫人です。わたくしは愛人なんてものは認めませんわ。
誰です。この女をこの屋敷に上げたのは。ロイエール様ですか?」
睨みつけられる。
ロイエールは首を振って、
「私は今、起きた。きっと、使用人が通したのだ。」
「それならば、その使用人を首にしなければなりませんね。」
アマルデは妖艶に笑い、
「公爵子息夫人である貴方様が決めるのは間違っているわ。わたくしはロイエールに愛されているのよ。ロイエールこそ、いずれ公爵になるお方。彼の意見こそ全てではなくて。」
黙り込むアリーナ。
オホホホと笑って、アマルデは、
「わたくしのお部屋、用意して下さるわね。ロイエール。さぁ、案内して頂戴。」
睨むアリーナの視線が怖かったが、ロイエールはアマルデを受け入れる事にしたのだ。
貴族たるもの、愛人の一人や二人、持つのは当たり前だ。
そう思ったからでもある。
周りの高位貴族も、この国は愛人を持っている貴族も多かった。
ただ、人によっては、愛人を持つ事を最低だと思う貴族も多くいるのだ。
妻のアリーナは愛人アマルデの事が許せないのであろう。
だから、針の筵になった。
アマルデは思ったより独占欲が強く、外で遊べなくなったから、ロイエールは必然的に屋敷に居る事になった。
毎日、妻のアリーナと愛人アマルデと共に食事をし、その雰囲気は最悪だった。
アリーナとアマルデは顔を合わせるごとに喧嘩をし、
アマルデはこれ見よがしに、
「昨夜のロイエール様はそれはもう…オホホホ。今宵もわたくしと寝て下さるわね?ロイエール。」
悔し気にぎろりとロイエールを睨むアリーナ。
ロイエールは妻のアリーナが恐ろしく、共に寝るだなんて考えられなかった。
にこやかにアマルデに向かって、
「ああ、今宵もよろしく頼むよ。アマルデ。」
こうしてロイエールはアリーナが妻でありながら、愛人アマルデと同じ屋根の下でイチャイチャとしていたのである。
そして、そんな日々が半月続いた頃のとある朝、ベッドの上でアマルデを隣に抱きながら、目が覚めたら、領地で暮らしていて、王都の公爵家にやって来たミルトラン公爵夫妻が凄い形相で睨みつけていた。
父、ミルトラン公爵はロイエールに、
「領地から来てみれば、お前と言う奴は。」
母、ミルトラン公爵夫人も扇を口元にあてて、
「愛人を引き入れて、アリーナ様をないがしろにするなんて。」
ミルトラン公爵はベッドの上の二人に向かって宣言する。
「今すぐ、この家から出て行け。お前達二人ともだ。」
アマルデは文句を言う。
「彼はこの家の嫡男よ。何故、出て行かねばならないの。私だって、愛人。
貴族ならば愛人の一人や二人いるものでしょう。」
ミルトラン公爵はゴミを見るような目でアマルデに向かって、
「私がこの公爵家の当主だ。お前の存在など認めん。息子も廃嫡する。出て行くがいい。召使いども。こいつらを叩き出せ。」
ロイエールは叫んだ。
「父上。母上お許しをっ。」
「離してよ。痛いじゃない。」
アマルデも叫ぶ。
二人は着の身着のまま、外へ放り出された。
アマルデはロイエールを蹴飛ばして、
「貴方なんて、頼りにならないわ。それじゃ。私、他の男に乗り変えるから。」
「アマルデっ。」
家を追い出され、アマルデにも捨てられて、ロイエールは屋敷の前で茫然とした。
これからどうしたらいいんだ?
季節は初冬。木枯らしが吹いて薄着で放り出されたロイエールは寒くて寒くて仕方がない。
すると、門の中からアリーナが出て来て、
「もうすぐ雪が降りますわ。ロイエール様。わたくし、謝らなければなりません。
可愛げのない女でしたもの。貴方様が嫌いになるのは当たり前ですわ。
ごめんなさい。」
ロイエールは頭を下げて、
「私こそ、申し訳なかった。だから、父上母上にアリーナからも口添えしてくれ。戻れるように。」
「それは出来ませんわ。」
アリーナはきっぱり言うと、温かいコートとブーツ。
刺しゅう入りのハンカチと金貨が入っているであろう革袋を手渡して、
「マルセル商会へ入って、3年間働いてきなさいと、公爵様からの命令です。
反省の色が見られるならば、廃嫡は勘弁して下さるとの事ですわ。」
「ああ…父上、有難い。」
父と母は仲が良く、それこそ愛人なんて飛んでもないと思っている人達なのだ。
怒りまくる気持ちも解らなくはないが、何も廃嫡しなくてもよいではないかと思っていたら、商会で真面目に働けば勘弁してくれると言う。なんて有難い事か。
アリーナはにっこり笑って。
「でも、わたくしは貴方を待つ必要はありませんわね。公爵様も別れても良いとおっしゃってくださって。それではごきげんよう。」
優雅にカーテシーをして、背を向けるアリーナ。
ふと、手渡された刺しゅう入りのハンカチを見て、ロイエールは思い出した事があった。
「このハンカチは…あああ…そうか、アリーナ。君はあの時の…」
王宮の庭で幼い少女が泣いていて…それを遠い日に慰めた事があった。
幼い少女の手に、刺しゅう入りのハンカチを渡して、涙をこれで拭いたらどうだ?と言ったら、少女は泣きながらも、
「わたしをお嫁さんに貰ってくれる?」
ロイエールはうっかり答えてしまったのだ。
「大きくなったら貰ってあげよう。」
振り向いたアリーナはあの泣いていた少女のように、目に涙を一杯貯めながら、こちらをまっすぐ見ていて。
ロイエールは思わず駆け寄って、アリーナを抱き締めていた。
「申し訳なかった。私は心を入れ替えて、君の良き夫になる。だから、だから…
3年間待っていて欲しい。」
アリーナは頷いて。
「ロイエール様がそうおっしゃるなら、待ちますわ。」
マルセル商会でロイエールは3年間、働く事になった。
マルセル商会は、ミルトラン公爵領で手広く商売をしている商会なのだが、王都へ支店があり、この店の主人は、ロイエールの事を幼い頃から良く知っていて、
「お坊ちゃまの事をしっかりと見るようにと、公爵様から申し付かっております。」
そう言って、主人は傍につきっきりで商売の仕方から、色々と事細かに教えてくれた。
ロイエールは人が変わったように、仕事に励むようになり、
女性関係も一切断って、商会の近くにアパートを借りて、暇があれば、商売関係の事を調べたり、役立ちそうな本を読んだり、真面目に過ごした。
たまには、アリーナを誘って、王都でデートでもしたい。
3年間、会わないでいるのも、可哀想だ。
そう思い、アリーナを誘って、王都でデートすることにした。
さっそく手紙を出せば、OKとの了解を得て…デートの日を約束して。
とある日、アリーナは公爵家の馬車で、アパートの前まで来れば、ロイエールはアリーナを出迎える。
アリーナはにっこり笑って、
「お久しぶりですわ。ロイエール様。」
「アリーナも元気そうで。今日は王都でデートをしようと思ってね。来てくれて有難う。」
「わたくしも貴方に会いたかったのですから。嬉しいですわ。」
二人で手を繋いで、道を歩く。
「アリーナ。私の考えは間違っていた。二度と、君以外の女性を屋敷に招いたりはしないし、
君以外を愛する事はしない。」
「信じられませんわ。だって、貴方は今、罰を受けて反省中なのですもの。何とでも言えますわ。貴方が公爵になったら、好き勝手するかもしれません。」
ロイエールはポケットから畳んであった刺しゅう入りのハンカチを取り出して、
アリーナに手渡し。
「君を私はまだ泣かせているんだね。君の大きな瞳に涙を二度と流させないとここに私は誓おう。」
「まぁ嬉しいですわ。」
ハンカチを嬉しそうに握り締めるアリーナ。
「ああ。そうですわ。アマルデ・キルギーリスという女性なんですけれども、強盗にあったとかで、それはもうむごたらしく、惨殺されたらしいですわ。怖いですわねーー。」
「え???」
「それから、エリーナ・カーリス伯爵令嬢なんですけれども、事故にあったそうですのよ。馬車にはねられたとか。」
「それから、マリア・エレーティス男爵令嬢という女性は、急死したらしいですわ。悪い物を食べて。可哀想に。」
「それから、ミリー・アルバリスという平民の女性は…」
ロイエールはぞっとした。皆、昔、ロイエールが付き合っていた女性である。
10人位の最近亡くなったとされる女性の名を上げて、アリーナは楽しそうに、
「本当に物騒な世の中です事、嫌ですわねーー。」
「ああ…確かに。怖い世の中だ。」
何とも言えない冷たい汗が背中に流れる。
アリーナは母はメイドなれど、国王の娘なのだ。王家の影を使って手を下したに違いない。
ロイエールは心から思った。
二度と裏切らないと。
「愛しているよ。アリーナ。」
「わたくしもですわ。ロイエール様。」
二人は抱きしめ合った。
王都のデートを楽しんだ後、迎えに来た馬車にアリーナは乗って、公爵家に戻る。
窓の外を見ながら、
「ちょっと脅しすぎたかしら…」
王家にいた頃から仕えているメイドのサラサが、
「奥様。どうなさいました?」
「オホホ。何でもないのよ。」
ロイエールと関係のあった女性達を殺すはずないじゃない。
勿論、殺しはしなかったけれども…そう簡単に死んではつまらないわ。
女の恨みは怖いのよ。
本当はロイエール様に恨みを向けるべきでしょうけれども。
わたくしはロイエール様を愛しているから。
恨みは…ロイエール様と付き合った事のある令嬢。そして、あの憎きアマルデに受けて貰うわ。
特にアマルデ…貴方には、地獄を…うふふふふふふふふ。
ロイエールと関係のあった女性達は、皆、何故か行方不明だ。
アリーナは愛し気に刺しゅう入りのハンカチを握りしめて、幸せそうに微笑みながら。
「愛しているわ。ロイエール様。お戻りをお待ちしております。その時は…」
女の恨みは本当に怖い…
ロイエールは二度と浮気はせずに、アリーナ一筋に生きるだろう。
真っ赤な夕焼けが、血の色のように見えて…今日も一日は終わろうとしていた。